2023年4月に,日本精神神経学会ほか12学会がまとめた「精神疾患の克服と障害支援にむけた研究推進の提言」が公表された.2018年に提言を発表して以降の精神医学研究の進展をふまえ,今後取り組むべき研究のフェーズと課題,実施すべき戦略について明確で具体的なビジョンを示している.当事者,家族,一般向け版も公開されており,協働の原則に深く根ざした貴重な提言となっている.看護の立場からは,看護職がしばしば遭遇する一過性の症状,軽度の症状をもつ患者に関する精神医学研究のさらなる進展を期待する.また,提言で強調されているように,研究・治療の対象者に対する意思決定支援の充実も期待するところである.さらに,急速に進歩するゲノム研究においては当事者や家族を支援するための多職種による学際的連携が求められるだろう.看護職は精神医学研究の方向性を深く理解し,精神保健医療における実践と研究に貢献する必要がある.
https://doi.org/10.57369/pnj.24-119
はじめに
2023年4月に日本精神神経学会ほか12学会から公表された「精神疾患の克服と障害支援にむけた研究推進の提言」10)(以下,提言)では,2018年に公表された提言以降の精神医学研究の発展をふまえ,今後取り組むべき研究フェーズと課題,方策について明確なビジョンが示されている.当事者・家族・一般向け版も作成され,わかりやすく簡潔に伝える取り組みもなされており,提言の根底に流れる当事者・家族と協働するという理念が明示された非常に価値ある提言である.本稿では,看護の立場から次世代の精神医学研究に期待することについて3つの点からまとめてみたい.
I.精神医学研究の対象を同定する方法と治療に関する研究
提言では,精神保健疫学研究の取り組むべき課題として,国民全体のメンタルヘルスの問題を同定し,その対応法を開発する研究の重要性について述べられている.精神の健康は,健康な状態から重篤な状態までの連続体であり,精神医学研究はこの広がりにおいて展開される.なかでも精神疾患の実態や関連要因の解明,治療に焦点があてられることが多いと思われるが,精神疾患の基準を満たさないが健常とはいえない人たち,すなわち提言にある「正常範囲の一過性の症状の出現」「閾値以下の症状の持続,軽度症状の出現」にあたる人たちに関する研究もさらに期待する.なぜなら,看護職はこの範囲にいる人たちに出会うことが多く,早期発見やケアに悩んでいるからである.例えば,身体疾患を抱え精神的に不安定な状態にある人たちがそうである.厚生労働省が自殺の原因・動機別自殺者数の年次推移を公表しているが,最も多い原因・動機は「健康問題」で,2022(令和4)年の統計では自殺者全体の約58.4%にあたる7).令和元年度のデータ6)では「健康問題」のうち「うつ病」は中高年(40~64歳)で男性23.7%・女性48.5%であり,次いで多い原因が「身体の病気」で男性14.6%,女性15.2%である.前期高齢者(65~74歳)になると「身体の病気」の割合が増え,男性41.6%・女性32.1%となっている.身体疾患で入院している患者が自殺念慮を口にした場合には,精神科医や精神科リエゾンチームに相談がもち込まれ対応されることが多いだろう.しかし,患者が口に出さなければ,自殺念慮や抑うつ状態が気づかれないままになってしまう可能性がある.
大山らは,看護師ががん患者の抑うつ状態を早期発見,早期対応するための系統的な観察指標となるアセスメントツールを開発している12).ツールの項目は看護ケアを行いながら観察できるように作成されている.例えば,抑うつ気分は「視線が動かない」「声に抑揚がない」などの言動が,興味・喜びの減退は「自ら人と話さない」「周囲の物に興味を示さない」などの言動が指標となっている.看護師は患者の精神状態の変化を早期に発見し,専門家による治療やケアにつなぐ方法を模索している.
地域保健においても,一過性の症状,閾値以下・軽症にある人たちの精神の健康問題を同定し支援することは重要な課題である.看護職は医療の現場だけでなく,保健,福祉,教育,産業などの場でスクリーニングと早期対応の役割を担っている.例えば,行政保健師は健康相談・健康教室を開いて母子保健・精神疾患・介護に関する相談対応をしたり,乳幼児健診や出産後訪問をしたりしている.養護教諭は学校で児童生徒の心身の健康をチェックして健康増進や疾病予防の支援をしており,助産師は妊娠から出産,産後まで母子の健康状態の観察や支援,育児相談を行っている.訪問看護師は在宅看護を担い,企業,福祉施設,保育施設などにも看護職がいる.「正常範囲の一過性の症状の出現」「閾値以下の症状の持続,軽度症状の出現」にあたる人たちの同定と治療にかかわる研究がさらに進めば,早期発見,早期治療・ケアの後押しとなるだろう.看護職には,特定の場や地域で問題となっているストレス要因や,メンタルヘルスの傾向などを把握して研究の必要性を提示し,精神医学研究者とそのニーズを共有して研究につなげることが求められよう.また,精神医学研究で明らかにされた介入を現場で実践し,その効果を確認したり,現場の状況に即した意見を提案したりする役割を担うことができるだろう.
II.研究・治療における患者の意思決定支援
1.自己決定することの意味
中山は8),世界59の国・地域のデータ解析によって主観的well-beingにおける幸福度と生活満足度の要因を調査した研究9)から,幸福度と生活満足度の主な要因が,(i)健康状態,(ii)家計の経済的満足度,(iii)人生の選択の自由度であったことを紹介している.さらに,日本人2万人を対象とした調査11)により,幸福感や生活満足感には,人間関係に次いで所得や学歴よりも「自己決定」が強い影響を与えていたという研究結果を紹介している.そして,これまで健康や医療の領域では専門家が意思決定するパターナリズムが主であったが,患者・市民を中心とした共同意思決定(shared decision making:SDM)が重要であることを指摘している8).十分に情報を得たうえで,自分の価値観と一致したものを選択し決定することは,人々のwell―beingにとって大切な要素である.研究協力や治療において意思決定のプロセスを丁寧にふみ,患者にとって納得のいく選択ができるような体制づくり,環境整備が求められる.
2.精神科臨床におけるSDMの価値と課題
提言には,精神科臨床においてSDMが大前提であるという方針が明確に示されている.日本では基礎研究に臨床の場を熟知している臨床医が多く携わっており,これが強みであることも記されている.患者のニーズを把握し,信頼関係の基盤の上で研究が進められることは非常に望ましい.とはいえ,臨床の場は多忙であるため,研究参加や治療選択においてSDMを丁寧に実施することには困難を伴うであろうと推察する.
精神科治療におけるSDMについて,患者および臨床医の見解を調査した研究がある13).対象は精神科外来患者(うつ病,不安障害,強迫性障害)17名,精神科医33名で,8回のフォーカスグループを行ってSDMに関連するコードを分析している.その結果,患者は「SDMは行われるべき」「自分の治療に対して責任をもっている」などと回答している.臨床医は「患者の同意を得る,治療のアドヒアランスを促進する,良好な患者―医師関係を築くことにおいてSDMを重視している」と回答する一方,「重症度に影響され,障壁(例えば,患者の意思決定能力,治療の利用可能性,臨床家の考え方)が父性的意思決定につながっている」とも回答している.著者らは,患者,臨床医ともSDMに最も責任を負うのは臨床医だと考えており,個別的な情報提供,相談時間を長くとることがSDMを促進するだろうと考察している.
また,説明文書を用いて行う治験のインフォームド・コンセントの現状を分析した研究がある3).治験においては「説明文書」が意思決定支援のツールであることから,ツールとしての説明文書を評価基準に則って評価している.説明文書の対象疾患は全体で20件,うち約半数が悪性疾患で精神疾患が2件含まれている.調査の結果,ほぼすべての説明文書において不足している記載事項として,研究不参加の場合の利益/不利益(比較表や図による提示),エビデンス情報,副作用などの数的情報,不確実性の程度,生活への影響をイメージできる記載,自分にとって何が最も重要かの問いかけ,決めるためのステップ,関係者との話し合いを促進するツールなどを挙げている.さらにこの研究では,患者・治験関係者16名を対象に,意思決定支援におけるニーズと問題点についてインタビューしている.その結果,治験関係者から「不参加による不利益の記載は脅迫・誘導になるようで難しい」「不参加は現状維持なので,利益不利益という考え方は馴染まない」「患者にとって副作用などの数的情報は読み解きにくい」などの意見があり,患者からは「医療者の勧めや,医師との信頼関係を気にしながら治療参加を決めている」「文書より医療者との話し合いや医療者以外からの支援・情報源を望む」などの意見があったことが示されている.
また,ベンゾジアゼピン系薬剤の使用,使用中止の意思決定について,精神科外来患者と精神科医の認識を比較した研究2)では,精神科医543名のうち79%が「患者が睡眠薬・抗不安薬の中止を望まない」と回答する一方,患者は「睡眠薬・抗不安薬の中止について,手順(18.3%),タイミング(19.2%),適切な状態(14.4%)などの説明が十分でない」と回答している.また,精神科医と比較して「精神科医の意見を考慮して決定される(あるいは,決定された)」と感じている患者が多く,患者と精神科医の間で薬の使用や中止の認識に違いがあるかもしれないと考察している.
意思決定支援の重要性が認識され,現在SDMの重要性は諸ガイドラインに明記され,支援ツールの開発とその実践適用,教育プログラムの普及が進んでいる14).SDMの実践・教育が重度精神疾患の意思決定にまつわるアウトカムに効果をもたらすことが文献レビューにより示され1),さらに多職種が協力してSDMを展開することの効果や意義も報告されている15).われわれ看護職も他職種とともにSDMの実践,普及に取り組んでいく必要がある.
III.ゲノム研究について
精神医学研究においてもゲノム研究が急速に進んでいる.多施設共同研究体制が整備され,大量のデータが分析できるようになった.病態解明,さらに診断や治療法の開発につながるものと大きな期待を抱く.一方で,遺伝子疾患が判明することが,当事者や家族のさまざまな苦悩を引き起すことは少なくない.発症の恐怖,進学・就職・恋愛・結婚・出産など人生の節目での悩み,家族メンバー間の葛藤,罪責感などによる関係性の危機などが生じうる.また,遺伝情報を伝えるか,伝えるとすればどう伝えるか,誰に誰が伝えるかといった問題も生じるだろう.ゲノム情報の収集と活用,精神疾患の発症に関与する遺伝要因の同定に関する研究参加同意,データ保護などを含め,ゲノム研究をめぐって対応すべき倫理的課題は多い.
網羅的な全ゲノム解析により判明した二次的所見の結果開示とカウンセリングのあり方に関する研究で,遺伝医療に携わる多職種,多領域における連携体制づくり,人材育成などの諸課題が提示されている5).DNAの解析結果が診断や治療に利用され,健康増進,疾病予防,疾病管理に活用されるようになり,ゲノムの正しい知識をもつこと,支援体制を構築することは時代の要請である.ゆえにゲノム研究と臨床実践に精通した専門医が期待されるが,2021年12月時点で,1,651名の臨床遺伝専門医のうち精神科医は11名であり,研究人材の育成が不可欠であるという指摘がある4).カウンセリングや当事者・家族の生活支援のニーズはきわめて大きい.当事者や家族を支援するため,保健,医療,福祉,教育,倫理,法律,産業など諸分野で連携し,切れ目なくサポートする体制を整えることが急務である.看護分野においては遺伝看護専門看護師の育成が行われているが,教育プログラムを有する大学院は2024年現在,全国で4校であり,育成校,育成数の増加が強く望まれる.ゲノム研究が加速度的に進むなか,われわれ看護職もゲノム研究,ゲノム医療に関するリテラシーを高め,看護職としての役割をいかに果たしうるかを自身に問わねばならない.
おわりに
精神医学研究の進展は目覚ましい.精神医学研究の成果が治療やケアに具体的に還元され,患者のwell-beingやQOLが向上することへの期待は大きい.当事者・家族を支援する多職種協働の仕組みづくりや学際的な共同研究のさらなる進展が望まれる.われわれ看護職には,精神医学研究の方向性をより深く理解し,諸職種・当事者・家族・市民と協働して精神保健医療分野の学術的,実践的発展に寄与する責務がある.
編注:本特集は第119回日本精神神経学会学術総会シンポジウムをもとに尾崎紀夫(名古屋大学大学院医学系研究科精神疾患病態解明学)を代表として企画された.
なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.
謝 辞 本研究はAMEDの課題番号JP22dk0307113の支援を受けて実施した.
1) 青木裕見, 渡邊衡一郎: 重度精神疾患を対象としたShared Decision Makingの研究動向. 日本社会精神医学会雑誌, 29 (4); 300-313, 2020
2) Aoki, Y., Takeshima, M., Tsuboi, T., et al.: A comparison between perceptions of psychiatric outpatients and psychiatrists regarding benzodiazepine use and decision making for its discontinuation: a cross-sectional survey in Japan. Int J Environ Res Public Health, 20 (7); 5373, 2023
3) 藤田美保, 米倉佑貴, 大坂和可子ほか: ディシジョン・エイドの質基準から見た説明文書の現状と課題―治験関係者へのインタビュー調査を含めて―. 臨床薬理, 50 (6); 247-257, 2019
4) 林 優, 加藤秀一, 尾崎紀夫: 当事者・家族の期待に応えるゲノム研究とは. 日本生物学的精神医学会誌, 33 (3); 117-122, 2022
5) 堀内泰江, 浄住佳美, 浦上研一ほか: 研究における遺伝情報の返却について考える―臨床ゲノム研究 (Project HOPE) 5,000症例の経験から―. 日本生物学的精神医学会誌, 33 (3); 133-138, 2022
6) 厚生労働省: 令和元年度 我が国における自殺の概況及び自殺対策の実施状況 (令和2年版自殺対策白書) の骨子. 2020 (https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/gian_hokoku/20201027jisatsugaiyo.pdf/$File/20201027jisatsugaiyo.pdf) (参照2024-05-26)
7) 厚生労働省: 令和4年の主要な自殺の状況. 令和5年版自殺対策白書, 2023 (https://www.mhlw.go.jp/content/r5hs-1-1-03.pdf) (参照2024-05-26)
8) 中山和弘: 意思決定と健康とWell-being. 聖路加看護学会誌, 25 (2); 38-41, 2022
9) Ngamaba, K. H.: Determinants of subjective well-being in representative samples of nations. Eur J Public Health, 27 (2); 377-382, 2016
10) 日本精神神経学会, 日本生物学的精神医学会, 日本神経精神薬理学会ほか: 精神疾患の克服と障害支援にむけた研究推進の提言. 2023 (https://www.jspn.or.jp/uploads/uploads/files/activity/20230401.pdf) (参照2024-09-11)
11) Nishimura, K., Yagi, T.: Happiness and self-determination: an empirical study in Japan. Rev Behav Econ, 6; 385-419, 2019
12) 大山末美, 深田順子, 鎌倉やよい: がん患者の抑うつ状態を早期発見するためのアセスメントツールの開発. 日本がん看護学会誌, 31 (1); 105-115, 2017
13) Rodenburg-Vandenbussche, S., Carlier, I., van Vliet, I., et al.: Patients' and clinicians' perspectives on shared decision-making regarding treatment decisions for depression, anxiety disorders, and obsessive-compulsive disorder in specialized psychiatric care. J Eval Clin Pract, 26 (2); 645-658, 2019
14) 高江洲義和: 共同意思決定 (SDM) の普及可能性. 精神医学, 62 (10); 1387-1392, 2020
15) 高江洲義和, 山田 恒, 家 研也ほか: 領域・職種を超えて取り組む抗不安薬の出口戦略. 不安症研究, 15 (1); 20-30, 2023