Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文全文

第124巻第4号

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特集 金沢総会後50年―その後の学会の変革と将来への展望―
金沢総会当日のこと
山口 成良
社会医療法人財団松原愛育会松原病院
精神神経学雑誌 124: 239-244, 2022

 1969年(昭和44年)5月20~22日,第66回日本精神神経学会総会が,島薗安雄会長,大塚良作副会長のもと,当時の金沢市観光会館で開催され,会長講演,2つのシンポジウム,一般演題188題が発表される予定であった.しかし,金沢総会は公開評議員会と通常総会に終始し,学術発表は行えなかった.前日の5月19日の午前に理事会が行われ,午後1時すぎから金沢商工会議所中小企業会館で評議員会が開かれたが,一部評議員の提案により,公開評議員会となり,理事長の一般報告,昭和43年度事業報告および収支決算が承認され,その後各種委員会の報告,質疑・討論が行われたが,会場の使用しうる最終時刻(午後9時)が迫ってきたので,翌日予定されていたシンポジウム,一般演題,会長講演をとりやめて,公開評議員会を続行するという提案が議決された.5月20日は前日に引き続き公開評議員会が開かれ,理事会の不信任案が提出され,可決されたため,新理事が選出された.そして評議員会を再開したが,新理事会より評議員会をこれをもって終了し,総会議事に移るという提案が出され,可決された.5月21日,総会議事として,昭和43年度事業報告,収支決算報告が行われている途中,総会経費が問題となり,「第66回日本精神神経学会は製薬資本,関連病院の寄付や金沢大学医学部神経精神医学教室員の犠牲の上に立って行なわれてきた.このような従来の慣習は精神医療,精神医学のあり方をゆがめるものであったことを反省し,今後は学会員の負担によって運営していくことを決議する」という小澤勲提案が可決され,その後の学会運営の指針となった.引き続き昭和44年度事業計画および収支予算案が承認された.5月22日には,呉秀三賞選考委員会,学会賞選考委員会の結果報告があったが,後者の受賞者に選ばれた会員から,受賞の保留,辞退の発言が述べられ,学会賞授与は行われなかった.その後出席者が総会成立の定足数以下となり,会長は第66回総会を終了する旨の発言を行った.この第66回総会で論じられたことは,その後の「学会基本理念」となり,精神神経学雑誌の末尾に毎号掲載されている.

索引用語:金沢総会, 学術発表中止, 公開評議員会, 総会運営に関する決議, 学会基本理念>

はじめに
 日本精神神経学会は第66回学術総会(金沢総会,金沢,1969年)において,すべての演題の発表を中止して,従来の学会のあり方について,評議員会も含めて4日間真摯な討論に終始した.その後,学会は日本の精神医療・医学の反省と今後の進むべき道を基本テーマに学会の改革を行ってきた.2019年は金沢総会後満50年になるため,それを記念して,第115回総会においてシンポジウム「金沢総会後50年―その後の学会の変革と将来への展望―」がもたれた.本稿では「金沢総会当日のこと」と題して,1969年(昭和44年)5月19~22日の4日間の真摯な討論を紹介したい.
 ドイツの故ワイツゼッカー大統領は「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」という名言を残しているが,われわれは50年前の過去をかえりみて,将来への展望を開きたい.

I.金沢総会の準備
 第66回日本精神神経学会総会会長の島薗安雄教授が1967年(昭和42年)10月東京医科歯科大学教授に併任されて東京へ移られたので,後任の金沢大学教授になられた大塚良作教授が副会長となり,金沢大学医学部神経精神医学教室が第66回日本精神神経学会総会の準備にあたった.
 精神経誌71巻3号1)に第66回日本精神神経学会総会抄録が掲載され,会長講演,2つのシンポジウム,188題の一般演題の抄録が24のセクションに分類されて掲載されている.金沢大学医学部神経精神医学教室では,九谷焼の極彩色の飾り皿の絵を表紙にしたプログラム集と評議員会プログラムと第66回日本精神神経学会宿泊・観光ご案内を入れた袋を用意したが,最後者については総会議事のとき,会員から学会に来たのであって観光に来たのではないとお叱りを受けた.以下,開催日ごとに分けて,討論の内容を記載したい.

II.5月19日 理事会,評議員会
 昭和43年度第4回理事会は,5月19日午前9時30分より12時まで金沢商工会議所で開催された.昭和43年度収支決算書,フォリア刊行会収支決算書が報告されたところで,一部の会員から理事会傍聴の申入れがあった.理事会では「事前の交渉もなく,一部の人にだけ公開するのは望ましくない」とまとめ,傍聴要求の会員に伝えたが,10数名の会員が係の制止もきかず,理事会室に入室した.しかし,理事会の議事は支障なく進められた.あとで臺弘理事長より,「この傍聴要求は10大学よりの会員の集会における決定にもとづく由であり,理事会の見解には反対であるとの表明があった」との報告があった.
 同日午後1時すぎから金沢商工会議所中小企業会館大ホールで評議員会が開催された(図1).開会後間もなく,一部評議員から,「この会を公開する」という提案がなされ,挙手の結果可決され,その後,議長団が組織され,会長のほかに辻悟,江熊要一両評議員が議長に選ばれた.そして,「傍聴者に議長が必要と認めた特定の問題については発言を許す」という提案が可決された.
 その後,印刷された「評議員会プログラム」に従って会議がすすめられ,理事長の一般報告,昭和43年度事業報告,収支決算,監事報告が承認され,各委員会の報告が続いたところで,「精神医学教育・専門医制度委員会」の報告に入り,認定医制度に関する各理事の意見が聞かれた.そこで議長団としての総括を行ったところ,それに対して反対の意見もあり,総括を保留した.
 会場を使用しうる最終時刻(午後9時)も迫ってきたところから,翌日予定されていたシンポジウム,一般演題,会長講演をとりやめて,金沢市観光会館で引き続き公開評議員会を開くという原田憲一評議員の提案が可決された.

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III.5月20日 評議員会,通常総会議事
 午前9時24分より,金沢市観光会館大ホールで評議員会が前日に継続して開かれた.会館前には学会批判の垂れ布(図2)や,会館内には立て看板(図3)が置かれた.一方,会場の中(図4)は,立錐の余地のないほど,1,500名を超える多数の会員が出席し,熱心に討論に参加した.
 認定医制をめぐって理事会の不信任案が提出され,投票の結果理事会が不信任され,新しい理事が選出された.早速,新理事会が開かれ,「評議員会をこれをもって終了する.そして直ちに通常総会を開催する」という提案が新理事会から提出され,挙手によってこの提案が可決された.続いて,翌日午前9時から総会を開くという議長提案が挙手多数で可決された.

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IV.5月21日 総会議事
 議長団選出の動議が出され,議長として島薗安雄会長,大塚良作副会長,栗原雅直会員で議長団を構成した.
 最初に昭和43年度事業報告,収支決算が旧理事長にかわって菅又淳参事から報告された.支出の面で総会費が25万円ということが問題になり,25万円で総会が開催できるかどうかということで,大塚副会長から金沢総会の準備委員会の活動について説明があった.種々討論の結果,総会運営に関する小澤勲提案として,「第66回日本精神神経学会は製薬資本・関連病院の寄付や,金沢大学医学部神経精神医学教室員の犠牲の上に立って行なわれてきた.このような従来の慣習は精神医療・精神医学のあり方をゆがめるものであったことを反省し,今後は学会員の負担によって運営していくことを決議する」という決議文が賛成多数の挙手で可決された.
 次いで昭和43年度事業報告および収支決算,フォリア刊行会の収支決算が承認され,さらに学会事務所移転に関する件とそれに伴う定款改正が可決された.
 その後,この総会は評議員会の解散を勧告する,という勧告案が挙手によって可決された.次いで新理事会の任務に関して,「新理事会を次の条件のもとに承認する.1.新理事会は第66回総会において問われたことをまとめ,早急に全会員の真剣な討論を組織する.2.総会の評議員会解散勧告に基づき,早急に新評議員会の選出の準備をする」という島成郎会員の提案が賛成挙手多数で可決され,監事2名も承認され,ここに学会の新役員が正式に決定した.
 そして,前理事会が作成した昭和44年度事業計画と収支予算案を,新しい理事会が一部変更するという条件で承認された.続いて翌日も総会を継続するという議長からの提案が賛成多数の挙手で可決された.

V.5月22日 総会議事
 午前10時10分,まだ総会成立の人数に達していないので,西園昌久理事より昨晩開かれた新理事会の報告があった.午前10時40分現在456名の出席者があり,総会開催に必要な定足数に達したので総会議事に入った.最初に呉秀三賞選考委員会報告および呉秀三賞授与があり,呉秀三賞は金子準二会員に授与されることとなった.本人欠席のため,授与式は省略された.次いで,学会賞選考委員会報告および学会賞授与の議事に移った.学会賞が浅香昭雄会員と森山公夫会員に授与されることが報告されたが,浅香会員より「学会正常化まで学会賞をいただくことを保留したい」という意見があり,森山会員より「学会賞を辞退したい」という発言があり,学会賞授与は行われなかった.
 その後,「大学治安立法に反対する」決議文について討論中,総会成立の人数を割り,昼の休憩をとったあとも総会議事を成立させる定足数に達せず,島薗安雄会長から総会議事をこれで終了させていただくという挨拶があり,江熊要一理事からも会長,副会長および金沢の教室員へのお礼の言葉があり,午後1時50分で総会は終了した.その後,金沢大学医学部神経精神医学教室員による会場の後片付けが始まった.その際,会場の片隅で大塚副会長が泣いておられるのを50年経った今でも,はっきりと覚えている.

おわりに
 日本精神神経学会は第66回学術総会(金沢,1969年,昭和44年)において,すべての演題の発表を中止して,従来の学会のあり方について,評議員会も含めて4日間真摯な討論に終始した.金沢総会といわれるものである.その概略については,会長の島薗安雄4)による「第66回日本精神神経学会総会について」や,日本精神神経学会理事会3)による「日本精神神経学会第66回総会の報告」があり,詳細なものは,山口成良のノートにもとづいて不備をおぎない,岡田靖雄,原俊夫,原田憲一の3理事の編集した「第66回日本精神神経学会議事録」2)がある.
 その後,学会は日本の精神医療・医学の反省と今後の進むべき道を基本テーマに学会の改革を行ってきた.その結果は「学会基本理念」としてに示したごとくまとめられ,精神経誌107巻1号(2005年)から毎号の精神経誌の末尾に掲載されている.

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 編注:本特集は,2019年第115回日本精神神経学会学術総会シンポジウムの内容をもとにしたものであり,2019年が「金沢総会後50年」に当たる.

 追 記 金沢総会後,金沢大学医学部神経精神医学教室では毎週火曜日午後の医局会では医局の若い医師からいろいろの問題が提出されましたが,そういう医局会の雰囲気も約半年程で収まり,従来の医局会のように,新しい論文の抄読と症例報告の医局会にもどりました.大塚良作教授は昭和49年10月16日に胃癌にてご逝去されました.享年48で,学会のお疲れか,あまりお体のことをご配慮されなかったのか,悔やまれてなりません.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

1) 第66回日本精神神経学会総会抄録. 精神経誌, 71 (3); 215-309, 1969

2) 日本精神神経学会理事会: 第66回日本精神神経学会議事録. 精神経誌, 71 (11); 1029-1222, 1969

3) 日本精神神経学会理事会: 日本精神神経学会第66回総会の報告. 精神経誌, 71 (6); 607-616, 1969

4) 島薗安雄: 第66回日本精神神経学会総会について. 精神経誌, 71 (5); 517-518, 1969

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