着床前遺伝学的検査(PGT)とは,体外で受精させた胚の一部を生検して,その細胞のDNAを解析する方法である.PGTを行い,重篤な遺伝性疾患をもたない可能性が高い胚だけを子宮に移植する場合,「重篤」の定義をどうするのかが倫理的な問題となる.また,PGTを行うこと自体の是非・条件についてさまざまな議論がある.精神医学領域では,遺伝性疾患に伴う精神疾患を中心にPGTの適応を判断していくことになろうが,一般の精神疾患の多くは多因子遺伝であり,表現型や経過が多彩であることに留意すべきである.遺伝カウンセリングにおける精神科的支援や,精神疾患教育とも連動した遺伝教育をどのように行っていくのかも考えなければならない.現在,日本では,PGTの適応についての法規制がない.これまで,日本産科婦人科学会の見解と各医療機関の倫理審査で対応していたが,2022年に「重篤性」の定義が変更(拡大)された.重篤性の判断が難しい拡大症例については,(i)生殖医療専門医,(ii)臨床遺伝専門医,(iii)当該遺伝性疾患の専門医が合同で症例ごとに申請することとなり,また,(iii)として,精神科専門医から申請された症例については,日本産科婦人科学会より日本精神神経学会に審査協力依頼がなされ,当学会医療倫理委員会で検討し,協力していくこととなった.本稿では,PGTをめぐる精神医学領域の倫理的課題について検討する.
2)山梨大学大学院総合研究部医学域臨床遺伝学講座
3)山梨大学大学院総合研究部医学域精神神経医学講座
4)山梨大学医学部附属病院遺伝子疾患診療センター
5)医療法人弘仁会島田病院
6)東京都立松沢病院
7)国立成育医療研究センター周産期・母性診療センター産科/遺伝診療センター
8)名古屋大学大学院医学系研究科精神疾患病態解明学
https://doi.org/10.57369/pnj.24-072
受理日:2024年2月16日
はじめに
本稿では,第119回日本精神神経学会学術総会で行われたシンポジウムをもとに,着床前遺伝学的検査(preimplantation genetic testing:PGT)をめぐる精神医学領域の倫理的課題について検討する.
なお,著者の新村秀人は日本精神神経学会医療倫理委員会,石黒浩毅,石川博康,稲生宏泰は日本精神神経学会医療倫理委員会と日本精神神経学会着床前遺伝学的検査に関するワーキンググループ,佐々木愛子は日本産科婦人科学会臨床倫理監理委員会内重篤な遺伝性疾患を対象とした着床前遺伝学的検査に関する審査小委員会,尾崎紀夫は日本精神神経学会着床前遺伝学的検査に関するワーキンググループに所属している.
I.日本産科婦人科学会から日本精神神経学会へのPGT-Mに関する審査協力依頼
1.体外受精とPGTの歴史
近年の生殖補助医療の発達により,わが国の体外受精・顕微授精による児の出生は14人に1人(2020年)となり21),これらの医療を用いた妊娠・出産は年々増加傾向にある.2022年度からは,日本産科婦人科学会認定の生殖補助医療登録施設における一般的な体外受精・顕微授精は保険適用となり,かつて「試験管ベビー」といわれていたような特殊な医療から一般医療の1つへと変化している.
体外受精による最初の児の出生は1978年に英国から報告され,2010年に技術開発にかかわったロバート・エドワーズ博士がノーベル生理学・医学賞を受賞している.一方,PGTの最初の報告は,1990年の英国におけるX連鎖性知的障害(X-linked mental retardation)に対し性別判定を行った症例であった3).国内における初の体外受精実施は1983年で,初のPGT実施は2004年である.
2.PGTとは
PGTとは,体外受精・顕微授精における体外培養中の胚の一部の細胞を生検し,細胞内にある染色体や遺伝子を用いて検査を行う技術である.通常は顕微授精で,体外培養5~6日目の胚盤胞において,将来胎児部分となる内部細胞塊から離れた栄養外胚葉(trophectoderm:TE)の一部(5~10細胞程度)を採取し,この細胞塊から抽出した微量のgenomic DNAをもとに全ゲノム増幅を行った後に,目的とする遺伝学的解析を行う手法が一般的である(図1).
単一遺伝子疾患を対象に行う場合,PGT-M(PGT for monogenic disorders/single gene defects)と呼び,疾患の原因となる病的バリアントの有無を検査解析する.PGT-Mの解析方法としては,病的バリアントを直接検出する「直接法」と,多型マーカーを用いて原因遺伝子の上流と下流を挟み,病的アレル/野生型アレルの胚への伝わり方から疾患の有無を推定する「間接法」の両方を行うことが一般的である.
3.わが国におけるPGT-M導入の歴史
わが国におけるPGT-Mの歴史は,1990年の英国でのPGT-M実施を受け,新しい医療技術がわが国にも導入されることを想定し,日本産科婦人科学会が1998年に「着床前診断に関する見解」20)を発表したことに始まる.申請される単一遺伝子疾患のうち,どのような疾患であればPGT-Mの実施が妥当とするかの判断基準が,この見解には明記されていなかったため,見解の発表後,数年間にわたり,日本産科婦人科学会と患者団体とで意見交換・すり合わせが行われた.最終的には,2004年の日本産科婦人科学会の倫理委員会において,Duchenne型筋ジストロフィー症例に対し,最初の承認が出されることとなった.このときの議事録には,「重篤性の基準は時代とともに変化する可能性があるが,現時点では“成人に達する以前に日常生活を強く損なう症状が発現したり生存が危ぶまれる疾患”という基準が妥当だと思われる」と記載されており,以後,この基準が着床前診断に関する審査小委員会〔現,重篤な遺伝性疾患を対象とした着床前遺伝学的検査に関する審査小委員会(略称:PGT-M審査小委員会)〕で準用されてきた.
4.PGT-Mに関する倫理審議会の開催と見解の改定
1998年の最初の見解発表以降,上述の「重篤性の基準」を念頭に,疾患単位ではなく各症例単位での個別の審査を20年来行ってきたが,2018年に従来の重篤性の基準にあてはまらない網膜芽細胞腫をもつカップルからの新規申請があり,これを機に今後も従来の判断基準での運用を継続していくのかとの「問い」が生じることとなった.これを受け,日本産科婦人科学会主導で2020~2021年にPGT-Mに関する倫理審議会が開催され,多方面の有識者・一般からの意見(public comment)も募り,3回にわたり議論を行った22).さまざまな意見が寄せられ,最終的には2004年当時は妥当と思われた疾患の「重篤性」の判断についても,時代に合わせて適応していく必要があるとの方向で合意に至った.つまり,従来は「不承認」としてきた,「20歳までに死亡にいたらない,また寝たきりにならないような疾患」,例えば,成人期に発症する可能性がある遺伝性腫瘍の家系におけるPGT-Mなどについても,一律却下ではなく,症例ごとに個別に改めて審議していく方針となった.これに伴って,最終的に「着床前診断に関する見解」は,2022年1月に「重篤な遺伝性疾患を対象とした着床前遺伝学的検査に関する見解」と「不妊症および不育症を対象とした着床前遺伝学的検査に関する見解」の2つに分けて改定発表され,重篤性の定義も「重篤な遺伝性疾患を対象とした着床前遺伝学的検査に関する見解」内に「原則,成人に達する以前に日常生活を強く損なう症状が出現したり,生存が危ぶまれる状況になり,現時点でそれを回避するために有効な治療法がないか,あるいは高度かつ侵襲度の高い治療を行う必要がある状態」とすると明記された.現在,PGT-Mはこの前者の新見解/細則に則って臨床実施されている23).
5.日本精神神経学会へのPGT-Mに関する審査協力依頼
上述の新見解への改定に伴って,従来の重篤性の基準に当てはまらない新規症例の申請については,PGT-M審査小委員会において全員一致の合意に至らなかった場合,さらに上位組織であるPGT-M臨床倫理個別審査会を開催し,従来PGT-M審査小委員会で行ってきた医学的判断のみならず,申請者カップルの生活背景やおかれた立場を考慮したうえでの判断も加えて総合審議する方針となった23).
また,そもそも,PGT-Mの症例申請を行う医師(生殖医療専門医,基本領域が産婦人科の臨床遺伝専門医)や,PGT-M審査小委員会が産婦人科医師を主体に構成されており,適応の判断に偏りがあり,医療・社会における中立性が保たれていないのではないか,という前述の倫理審議会での外部からの指摘を受け,症例申請と審査の判断に「各遺伝性疾患の診断・治療にかかわる専門学会」の,i)医師(個々の専門医)の意見と,ii)学会の意見書を組み入れることとした24).
以上のことから,今回「日本産科婦人科学会から日本精神神経学会へのPGT-Mに関する審査協力依頼」として,i)精神神経領域の症状を主体とするような遺伝性疾患の家系においてカップルよりPGT-Mの申請希望があった場合,PGT-M実施について主治医(精神科専門医)として当該家系における適応をどのように考えるかを記載した申請書の作成(日本産科婦人科学会規定書式「承諾書様式M3」),ii)日本精神神経学会として精神神経領域の症状を主体とするような遺伝性疾患のPGT-M実施について,当該家系における実施をどのように判断するかを記載した意見書の作成(規定書式「様式 意見書A」)の申し入れがなされた(図2).
6.小括
PGT-Mは,体外受精をベースとした医療であるため,現在までは日本産科婦人科学会が主体となって見解を作成し,professional autonomyで自主規制を行ってきた.しかしながら,慎重な審査を行ってきた経過より,PGT-M審査小委員会の判断では「不承認」となったものの,やはりPGT-Mを希望し,海外での実施や認定外施設での実施を選択するカップルも存在する.また,一職能団体である日本産科婦人科学会の「見解」には,法的拘束力はなく,さらに現在の多様な価値観のなかにおいて,真に中立的な判断を行うことが可能かといった指摘もある.次善の策として日本産科婦人科学会主導で実施規制に努めているものの限界があり,日本産科婦人科学会は「生命倫理について審議・監理・運営する公的プラットフォーム」の設立について国に要望を行っている.
II.PGTをめぐる精神医学領域の課題
1.PGTをめぐる精神医学領域の課題の背景―旧『優生保護法』との関係―
著者(N. O.)は精神科の日常診療において,当事者や家族から「自分の精神疾患は親からの遺伝で発症したので,良くならないのではないか」「両親がいとこ婚なので,息子は精神疾患を発症したのではないか」といった悩みを打ち明けられる経験をしてきた.当事者と家族の生活や人生,さらには生命にも影響を与えうる精神疾患に相対して,なんらかの成因を求めずにいられない彼らの悲痛な想いに少しでも応えたいと,著者(N. O.)は遺伝学を改めて学び,遺伝カウンセリングを実践してきた27).
精神疾患を対象とした遺伝カウンセリングを提供するなかで,1948~1996年の間,わが国に存在した旧『優生保護法』が,当事者・家族の遺伝に対する考え方に影響を与えていると感じた.本法第4条別表に「遺伝性精神病・遺伝性精神薄弱」として統合失調症,双極症,てんかん,知的発達症が挙げられ,本人の同意なしに優生手術(強制不妊手術)が施行されていた.しかし,このメンデル遺伝形式を想定したと思われる「遺伝性」という言葉に医学的根拠は全くない.
『母体保護法』の制定とともに,「遺伝性精神病・遺伝性精神薄弱」という言葉はなくなったが,精神疾患と遺伝に関する一般的理解は十分に普及していない.この点をふまえると,PGTをめぐる精神医学領域の課題は,遺伝性疾患に伴う精神疾患のみならず,多因子疾患である精神疾患も含めて検討することが求められる.
2.遺伝性疾患に伴う精神疾患
本稿の検討の中心であるPGT-Mの対象は,「本法を希望する夫婦の両者またはいずれかが,重篤な遺伝性疾患児が出生する可能性のある遺伝子変異または染色体異常を保因する場合に限られる」23).そこで,原因ゲノムバリアントが同定されている遺伝性疾患に伴う精神疾患について確認しておく.
原因バリアントが同定されている遺伝性疾患のなかで,22q11.2欠失・3q29欠失症候群や神経線維腫症,結節性硬化症,レット症候群などは脳を含む多臓器に影響を及ぼし,小児期から成人期までを通じ,自閉スペクトラム症,注意欠如・多動症や統合失調症などの精神疾患を高率に合併する16).これら遺伝性疾患の原因バリアントはde novoである(親から子に伝わったものではない)場合が過半数を占める.したがって,「原因バリアントが親から子に伝わる」という意味での「遺伝」とは異なる「遺伝性疾患」であり,遺伝カウンセリングでもこの点の説明が必要になる.
これら精神疾患を起こしうる遺伝性疾患の特徴として,同一バリアントを有する患者が呈する表現型のばらつき(曖昧性)があり,同一家族内でも表現型(精神面でも身体面でも)は多様で,遺伝子型と表現型の関係は一対一ではない.すなわち,これらのバリアントをもつ患者は一般集団に比べ,精神疾患は高率に発症するが発症率は100%ではなく,患者によりどの精神疾患を発症するかは異なる.さらに重症度も多様で,例えば22q11.2欠失症候群患者が呈する知的障害の程度はさまざまである.
遺伝学的検査により診断が確定することで,多臓器疾患を有することをふまえた診療や,生じうる精神疾患の早期診断と適切な診療が可能になる.しかし,表現型の多様性をふまえた遺伝カウンセリングにおいては,一般的な情報提供にとどまらず,個々の患者や家族の特性とニーズを把握し,それに基づく情報の伝達と支援が求められる11).そのため,医療者と当事者・家族との間で双方向的なコミュニケーションを行い,それぞれの認知機能や生活環境に合わせた適切な情報提供とサポートを行うことが重要である.
旧『優生保護法』においては,結節性硬化症を含む遺伝性疾患の患者が強制不妊手術の対象とされていた.しかし,i)旧『優生保護法』時代に考えられた「親から子に伝わる」という意味での「遺伝」とは異なるde novoバリアントも精神疾患発症にはかかわる.ii)同じバリアントをもつ当事者でも,とりうる病像はきわめて多様である.さらに,iii)あるバリアントをもつ当事者が発達段階あるいは年齢により,多様な病像を取りうること,すなわち「遺伝により病像が決定される」という考え方は妥当ではない.したがって,旧『優生保護法』の基本概念であった「親のゲノム情報(親から子に伝わるか否かにかかわらず)だけで,子の精神疾患発症を100%予測できる」という考え方は否定されている.
以上の点から,遺伝性疾患に伴う精神疾患のPGTについて,海外の状況もふまえ検討する.
3.遺伝性疾患に伴う精神疾患のPGT
成人期に達した患者と将来の生殖に関する選択肢に関して話し合う際は,各人の特性をふまえた遺伝カウンセリングが重要となる.英国の国営医療サービス(National Health Service:NHS)が運営するホームページ,『Health Education England』の22q11.2欠失症候群の遺伝カウンセリングに関する記載15)では,本症候群の家族は当該バリアントの有無を確認し健康管理に活かすことに加え,患者は出生前診断やPGTなどの生殖に関する選択肢についても検討するよう勧めている.なお,英国において,遺伝学的検査はNHSによる公費負担医療である.また,英国政府が運用する『Human Fertilization & Embryology Authority』のウェブサイト6)には,神経線維腫症,結節性硬化症,レット症候群などを含むPGT-Mの対象疾患が記載されている.
当事者が,遺伝学的検査による生殖に関する選択に関してどのようにとらえているか,英国で22q11.2欠失症候群患者13名を対象とした調査結果が報告されている13).その結果,同症候群患者は遺伝学的検査に基づき患児を望まない場合,胎児の終息という形式をとる出生前検査よりPGT-Mを選択するという点で,他の遺伝性疾患(筋緊張性ジストロフィーや網膜色素変性症など)と同様の傾向であった.一方,22q11.2欠失症候群患者の一部は,自らの疾患に伴う特性もアイデンティティの不可欠な部分ととらえ,遺伝学的検査による胚の選択を行わない方向性を示した.
PGT-Mに関する判断は複雑で,患者・家族を取り巻く医療・福祉・社会状況,患者自身の病歴や考えなどに影響される.わが国の状況を振り返ると,例えば,胎児が22q11.2欠失などの疾患原因バリアントを有するかどうかを推定する内容を含む母体血を用いた非侵襲的出生前検査(noninvasive prenatal genetic testing:NIPT)は,妊婦からの採血のみにより容易に実施可能なため,十分な遺伝カウンセリングが行われないまま,安易に実施される事例もある.その一方で,原因バリアントが同定されている諸精神疾患は多臓器にわたる症状を有することが多く,臓器と疾患の関連性をふまえた診療を実践するには,各診療科をコーディネートする役割をもつ遺伝カウンセリング体制を備えた診療科間ネットワークが不可欠26)だが,そのようなネットワーク機能を有する医療機関はきわめて乏しいのがわが国の現状である.
4.精神疾患を含む多因子疾患に対するPGT
遺伝性疾患の原因バリアントは,一般人口の頻度は稀だが,なかには頻度が高いバリアントもある.ゲノム全体にわたって頻度が高い一塩基置換(single base substitution)を用いて多因子疾患との関連を検討するゲノムワイド関連解析(genome-wide association study:GWAS)が実施されている.近年,多くのSNPsを組み合わせて算出されるポリジェニックリスクスコア(polygenic risk score:PRS)が提唱され,精神疾患を含む多因子疾患のリスクを評価するPRSが次々に報告されている.GWASから算出された多因子疾患のPRSに基づくPGT-polygenic(PGT-P)は,海外の複数企業が開始している.PGT-Pのスコア算出の対象には,糖尿病,冠動脈疾患,悪性腫瘍に加え,統合失調症も含まれる.しかし,いまだ遺伝統計学的には実施が妥当とは言えない段階であり,さらには社会に適合しない人の排除という優生思想につながる可能性が懸念されている43).
5.遺伝リテラシーの向上に向けて―精神疾患教育との連動―
わが国は,ヒトの遺伝に関する初等中等教育が,先進諸国のみならず,多くの国々に比し圧倒的に不足している状況が続いている8).特に精神疾患を含む多因子遺伝や遺伝情報をもとに作られる形質には「多様性がありうる」点に関する国民の知識はきわめて乏しい.2022年4月に高等学校での精神疾患に関する教育が開始されるまでの長い間,教育の不足に起因する知識不足やリテラシーの不十分さに由来する精神疾患に対する誤解や偏見が生じていたが,遺伝に関するタブー視や差別意識も同様である.したがって,ヒトの遺伝に関する教育方針を抜本的に再検討のうえ再構築し,遺伝リテラシーを向上させるための取り組みを進める必要がある.精神疾患教育とも連動した遺伝教育の充実は,PGT-Mを含む遺伝医療・ゲノム医療が国民の間で適切に普及し,発展する一助となるだけでなく,遺伝情報に基づく不当な差別を防止し,旧『優生保護法』の影響がいまだに残る精神疾患の誤解や偏見を解消するためにも不可欠である.
6.小括
精神医学領域のPGTの課題を考えるうえで,前述した遺伝性疾患に伴いうる精神疾患の診療・福祉体制,さらに広く精神疾患と遺伝に関する悩みをもつ患者・家族に遺伝カウンセリングが提供できる体制の拡充と,そのために必要な人材育成,精神疾患教育とも連動した遺伝教育の充実が求められる.
III.AYA世代に対する遺伝外来―PGTをめぐるクライアントの葛藤と精神科医療のあり方―
1.遺伝カウンセリングとは
遺伝学的検査は自身に発症した遺伝性疾患を診断することに加えて,未発症者である次世代が同疾患を発病する(遺伝する)可能性を診断できるため,他の医療検査とは異なる不安や苦悩をクライアント(罹患者・家族)に抱かせることがある.遺伝カウンセリングとは,「疾患の遺伝的要因がもたらす医学的,心理学的および家族的影響に対して,人々がそれを理解し適応するのを助けるプロセス」と2006年に米国遺伝カウンセリング学会が定義している32).すなわち,疾患の遺伝学的解釈を行い,クライアントに遺伝形式や遺伝学的検査,治療や予防法,社会資源や研究についての情報提供を行うことで,インフォームドチョイスを可能とするよう支援を行うものである.一方,遺伝カウンセリングを受けるクライアントの抱くさまざまな精神的・社会的・スピリチュアルな苦痛や不安を解消するための支持・助言や心理カウンセリング・精神療法は,遺伝カウンセリングとは区別されており,遺伝医療分野における精神科医療のあり方は新たに検証すべき重要課題であると考える.
2.遺伝カウンセリングにおける葛藤
生殖医療に関する遺伝カウンセリングでは,妊娠前あるいは出産前の児に起こりうる未来予測や福祉サービスを含む情報提供を行っている.生殖医療において精神科医がかかわる問題として想定されるのは,i)多因子疾患である一般的な精神科疾患が次世代へ遺伝するのか否かに関する不安,ii)遺伝性疾患罹患者の精神症状に対する医療などの支援のあり方である.ここではii),特に比較的頻度の高い染色体疾患の精神症状について概説し,i)については簡潔に述べる.i)の統合失調症や気分障害などの多因子の精神科疾患に関する遺伝カウンセリングには,現在,主に家族研究の知見を用いているが,将来はゲノム解析知見に基づくPRSの臨床応用が期待されている.しかし,日本人集団では疾患に関連したゲノム情報の蓄積がいまだ十分ではなく,そもそもゲノム特性の曖昧性のために,PRSはリスク予測には用いられても診断方法としての臨床応用はいまだ難しいとされ,国内医療機関ではPRSによる精神疾患の出生前・着床前遺伝学的診断は行っていない.
3.AYA世代の遺伝性疾患患者の葛藤
一方,ii)の遺伝医療の臨床現場においては,精神科医療を遺伝カウンセリングに求める患者会や家族会の声が増えている.ダウン症の平均余命は50年前には10歳未満であったのが,現在60歳代まで改善したと報告31)があるように,心臓手術など小児外科治療技術が向上した現在,遺伝子疾患や染色体疾患を罹患するAdolescent and Young Adult(AYA)世代のクライアントが増加した.比較的頻度の高いダウン症や22q11.2欠失症候群,ウィリアムズ症候群などの染色体疾患では,身体症状のほか,知的障害を含めた神経発達症を併発することが少なくない34).そして,心疾患を罹患した患者は二次的障害である不安障害を発症しやすいことも知られる.重度の神経発達症患者は成人後も養護施設などでの支援や介護が続けられるが,神経発達症が比較的軽度である場合は,AYA世代になると小児医療機関の医療対象から外れ,障害者雇用や就労支援事業所などへの社会適応を求められ,心理社会的ストレスから適応障害や急激退行などの精神症状の発症リスクが高まる.精神科医療者が学童期からAYA世代までのライフステージを中長期的に経過観察し,精神症状を適切に評価することで本人・親の支援をすることが望まれる1).
さらに,AYA世代となった罹患者は年齢相応の自立心の芽生えや身体的成熟があり,パートナーを得ることを望むようになる.遺伝カウンセリングでは染色体疾患や遺伝子疾患の当事者とともに,親から罹患者の生殖に関する切実な相談を受けることが多い.染色体疾患は常染色体顕性遺伝(優性遺伝)で,確率50%で次世代に遺伝する.親らはわが子に愛情をもち,多大な苦労を重ねて成長を支援してきたが,多くの罹患者は身体症状が完治しても,神経発達症などにより育児を含む生活能力が限定的であると痛感している.そのため,親らは罹患者以上に,AYA世代の罹患者がパートナーとの交際や挙児を望むにあたり,その児に同疾患が遺伝しないことを望むことは不思議ではない.
4.NIPTおよびPGTの問題
わが国では,妊婦の血液検査により胎児の染色体異常症や先天的疾患リスクを検出するNIPTが実施されており,日本医学連合会の認証施設においては13,18,21番染色体トリソミーのスクリーニングを行う(性別を含め他項目の報告は行わない)と定めている19).しかし,最新の検査技術では染色体1本の量的異常だけでなく,比較的小さい染色体領域の部分欠失も測定することが可能であるため34),国外や非認証施設でのNIPTにより,22q11.2欠失症候群の可能性が報告されることもある.NIPTは非確定的検査であるため,染色体異常の可能性が示唆されると,母体や胎児により侵襲性のある羊水検査を行って確定をする必要があり,クライアントは確定的検査であるPGT-Mが可能となることを望んでいる.一方,日本産科婦人科学会を中心に議論されている,受精卵の遺伝子や染色体を解析するPGT,特にPGT-Mでは,ゲノム情報による命の選別が優生思想であるとして,慎重な実施・規制を望む意見も強い25).生命予後が比較的良くなった22q11.2欠失症候群などの染色体部分欠失症候群がPGT-Mの実施適応となることについては議論が続きそうである.クライアントからみると,国外や一部の非認証施設において検査が実施されている一方で,遺伝カウンセリングの実施機関である認証施設では検査ができない国内医療の現状に対するもどかしさがある.
5.遺伝医療と医療倫理の4原則
遺伝情報の特性には生涯変化しない「不変性」,将来の発症の「予測性」,血縁者内での「共有性」,そして遺伝情報だけでは発症の有無や発症年齢・重症度がわからない「曖昧性」がある.PGT-Mは共有性に基づいて児に関する予測性を検出するが,同時に曖昧性があることが議論される.医療倫理の4原則(自律尊重原則,無危害原則,善行原則,正義原則)について出生前遺伝学的検査を検証すると,クライアント(罹患者と親)にとっての自律尊重原則と胎児にとっての無危害原則とが対立する.さらに,罹患者が出産を望むものの(自律尊重原則),罹患者の親が「娘が同疾患の罹患児を出産・育児することで同じ苦労をさせたくない」「自分から児に疾患を遺伝させたという罪悪感を抱かせたくない」などと出産に付随する不利益を懸念する場合があり,この場合にも自律尊重原則と善行原則が対立しうる.このような懸念から,罹患者の結婚や挙児に反対する親は少なくない.PGT-Mを含む出生前遺伝学的検査において,精神症状を有する罹患者の親が罹患者である娘に生活の破綻回避のために健康な子どもを望むことは必然であり,クライアントの気持ちを単純な優生思想として遺伝カウンセリングを行うことは難しい.
6.小括
われわれ精神科医療者は,遺伝医療においてもクライアントの心理的・社会的(経済的)苦痛に対し,神経発達症などへの精神科医療の早期介入・支援システムを構築し,精神疾患ならびに精神症状を有する遺伝性疾患のPGT-Mなどの遺伝学的検査の適応についてより積極的に議論を進めるべきである.
IV.PGT-Mと関連する医療倫理委員会の動向
1.PGT-M意見書Aに関連する議論の発端
日本精神神経学会宛に意見書A作成の準備の依頼が届いたのは,日本産科婦人科学会がPGT-Mの「重篤」の判断基準変更に向け,事前の相談を行っていた2021年8月3日であった.日本精神神経学会では,理事長指示のもと医療倫理委員会が中心となり,本件について検討する方針となった.日本精神神経学会では,広範かつ複雑な倫理的課題を伴うことなどに鑑み,十分な検討の時間が必要と判断し,解答を保留させてもらいたい旨を日本産科婦人科学会宛に返信した(2021年10月5日付).
2.医療倫理委員会での検討過程
医療倫理委員会では,この問題について理解を深め,対応方針を定めるため,2021年11月~2022年3月にかけて計3回の委員会内勉強会を行った.勉強会開催にあたっては,ゲノム技術の生殖医療分野への応用について,(i)慎重な立場からの意見,(ii)積極的な立場からの意見,さらに(iii)審査を担当する立場からの意見と,幅広い意見を取り入れることができるよう配慮した.
1)慎重な立場からの意見
日本産科婦人科学会が,PGT-Mの対象を重篤な遺伝性疾患と初めて定めた1997~1998年頃には,生殖医療へのゲノム技術の応用について,各国はそろって慎重な立場をとっていたが,今日では特に米国,英国,中国がこの技術応用に積極的で,世界をリードしている.遺伝子解析に要するコストはここ20年間で劇的に低下し,クリニックでも容易に手が届きうる状況となり,市場が形成されている.遺伝子解析のビジネスとしての側面が,当事者の不安を煽ることも懸念される.従来,日本産科婦人科学会の審査のもとで行われてきたPGTについて,「重篤な遺伝性疾患の申請のみを対象としたが,この『重篤』をどのように限定するのかは曖昧で,海外においても“serious genetic disease”をPGTの対象とする考え方があるが,やはり“serious”や“very serious”がどのような疾患を指すのか不明確であるとして議論が起こっている」10),などと産婦人科医の一部から批判も出ている.着床前胚染色体異数性検査(PGT for aneuploidy:PGT-A),着床前胚染色体構造異常検査(PGT for structural rearrangement:PGT-SR),さらにはヒトゲノムの編集など,PGT-Mには近接する技術が多くあり,それらはより一層重い倫理的課題を含んでいる.そのため,これらを議論する際は“slippery slope”9)と呼ばれるようなモラルハザードをまねくリスクを十分考慮する必要がある.
2)積極的な立場からの意見
「医療者側は選択肢を提示する立場で,当事者が選択する過程を支援することが望ましい」「中絶の絡む妊娠後の出生前診断よりもPGT-Mを利用したいという女性の立場,気持ちに配慮してほしい」など,PGT-Mのより積極的な利用を希望する意見30)を紹介する一方,ゲノム医療を担う精神科領域の専門職が不足している現実もあり,PGT-Mのより積極的な利用を望む当事者の希望を,十分に受け止めるに足る医療資源を欠いている,との問題提起がなされた.また,PGT-Mの対象を議論する際,土台となる法令がなく,その結果として倫理的・社会的に重い課題を含む事柄を日本産科婦人科学会が決めなければならない状況となっていることも指摘された.
3)審査を担当する立場からの意見
これまで,日本産科婦人科学会は,PGT-Mを用いる研究の申請窓口となって実施に関して承認/非承認を審査し,必要時に他診療科の専門家に意見を求めるなど,慎重な判断を行ってきた.このPGT-Mの適応審査の枠組みは,1998年以降,20年以上にわたり変更されなかったが,生殖技術の積極的利用を望む当事者の意見が多様化し,現実社会のニーズとの齟齬が大きくなっていた.日本産科婦人科学会は,先述した2022年1月に行った重篤性の定義変更など25)と関連して,PGT-Mの適応を希望する,従来の重篤性の基準を満たさない新たな申請者が現れた際に意見書を出してもらえる専門家の推薦を該当学会に依頼した.ワーキンググループを設けるなどして,個別症例の申請に際し,「日本精神神経学会としての意見書を作成いただけると大変ありがたい.PGT-Mの積極的利用を求める人たちの意見と社会との調和を図るためにも,多くの学会で議論し,この問題に積極的に関与していただきたい」との意見も寄せられた.
4)委員会での議論
以上,3つの立場からの意見は一致しない点が多かったものの,この問題を議論するうえで土台となる法令が国内には見当たらず,そのことが問題をより一層難しくしている点で一致していた.国内にPGT-Mにかかる直接の法令がないとはいえ,積極的な側の意見にはリプロダクティブ・ヘルス/ライツという明確な法理的基盤があるように思われたが,慎重な側の意見には明確な法理的裏づけが見受けられず,本件について日本精神神経学会として協力を拒むことは不適当と考えられた.優生思想,差別,または,遺伝に関する誤解を含む考えから申請が行われる可能性についても議論され,これら可能性は意見書A作成に際して個別に十分注意を払うことが確認された.
3.PGT-M意見書Aについての対応方針
最終的に,日本産科婦人科学会より日本精神神経学会へ定期的に重篤な遺伝性疾患を対象としたPGT-Mに関する情報提供をもらうこと,などいくつか条件を付したうえ,意見書Aの作成を介して審査に協力するとの結論に至った.医療倫理委員会で得た結論を理事会に伝達し,理事会の判断を経て日本産科婦人科学会に対応方針を返答した(2022年5月21日付).また,「着床前遺伝学的検査に関するワーキンググループ」を発足させ,この分野の倫理的課題について日頃から多様な意見や学術的知見を集積し,内在する倫理的課題を検討し,意見書の求めがあった際には学会として必要な対応が取れるよう準備を整えた.
V.PGTをめぐる昨今の倫理的論点
生命倫理学では,胚の道徳的地位や優生学など,生殖補助医療技術に関する古典的な論点が半世紀以上にわたり議論されてきた.ここでは,先行して議論が行われてきた英語圏の知見を中心に,ここ四半世紀で蓄積されてきたPGTに関連する倫理的論点を整理し,問題系の複雑さを共有する.
1.PGTの意思決定を誰がなすべきか?
自律尊重原則やリプロダクティブ・ライツに基づき,最終的なPGT受検の意思決定はカップル双方の自発的な同意に基づいてなされるべきである.ただし,カップルがPGT受検を希望していても,生殖の強制(reproductive coercion)のように虐待的な関係にある場合や,養育能力の問題がある場合もある.また,障害のリスクが高いが,カップルの一方がPGTを希望しない場合には,意思決定能力の程度が問題になる可能性もある.ただ,これらの場合でも生殖の自律性が優先されると考える論者は多い.
2.PGTは何を対象としてよいのか?
PGTは現在,児の疾病負荷の軽減を目的として検討されている.文化依存的な形質をターゲットとするエンハンスメントは許容されないとするガイドラインが多く存在している41)一方で,気質や知能,リスク選好性などのメンタルヘルスに関連する特性がウェルビーイングに関連しており,PGT技術の進展により介入が行われる可能性があるとする論者37)もいる.
さらに,ウェルビーイングを低下させると考えられる特性を児がもつように,胚を選択する逆選択も問題となる42).逆選択を目的としてPGTを希望する場合,実施施設による拒否が許容されるかどうかは議論が分かれる.逆選択の扱いは,PGTへの優生学批判や生殖の自律性の尊重を行う際に,中絶なども含めた生殖医療に関する規範的議論の一貫性の観点から重要となってくる.
関連する規範的議論として,PGTは予防接種などと異なり,出産に至る胚が変化するため,同一の児への介入ではないことを重視する人格影響説が存在する.一方,人格影響説を受け入れた場合,次のような例も許容されることになる.「ある女性は風疹にいま罹患している.その女性はいま妊娠すれば,目が不自由で,聴覚に障害のある子を生むことになるだろう.もし3ヵ月待てば,そのようなことは起きない.しかし『いま子を妊娠したとしても,その子は3ヵ月後に妊娠する子と(遺伝学的に見ても)同一ではない.したがって,たとえ今妊娠した子が目が不自由で聴覚障害をもつとしても,それは3ヵ月後に妊娠したであろう子とは違う子なので,今妊娠しても何ら子に悪いことはしていない』と考えている」37).Parfit, D. はこのような事例を考慮し,人格の同一性ではなく個々の人格を超えた視点で経験の質に非人格的に注目することの可能性を提示している28).また,PGTそのものと今生きている障害者への差別は分離して考えるべきだとする,PGTに関する世界保健機関の諮問委員会の2002年の報告書45)も出されている.同様に障害に対する既存の社会的態度・スティグマがPGTの利用に影響する可能性も指摘されており2)17),PGT導入前後でのスティグマ変化に関する経験的生命倫理学に基づく調査が重要となろう.
3.PGTを行う目的とは何か?
PGTを行う目的には,主に3つの立場が考えられる.第1に,自ら障害を抱える親の不安を軽減し,生殖の自律性を促進する立場であり,出生前検査ではこの効果が検証されている39).徳倫理学的な観点からも,子どもの幸福を願い真剣に考える「慈愛の徳」をもつ親がPGTを行うことは許容されるとする論者が存在する7).第2に,生まれてくる子どものウェルビーイングを考慮する立場がある.そして第3に,親のウェルビーイングを考慮する立場がある.
第2の立場に関連して,生殖の善行原則が注目すべきトピックとして挙げられる.Sandel, M. J. は子どもの選択について特定の義務はないと主張した35)が,Savulescu, J. らは生殖の善行原則が存在すると主張した.これは「もし子どもをもつことを決め,選択が可能であるならば,そのカップルには,もてる子どものなかで,関連する利用可能な情報に照らして,その人生が他のどの子どもよりも最善であるか,少なくとも悪化しないことが期待できる子どもを選択する重要な道徳的理由がある」という考え方である37)38).この原則は強制を許容するものではなく説得の正当化のレベルを意味しているとSavulescuらは説明しており,一方で超義務36)や,ただ単に行うのが合理的な行為5)として捉える論者もいる.生殖の善行原則に対する批判として,PGTの重篤性要件が医学・心理・社会的など多様な視点から構成されている14)のと同様に,quality of life(QOL)予測の技術的困難さや,最良の生の定義の困難さ4)29)を指摘する向きもあるが,技術的困難さは倫理的主張を否定する根拠にはならないという反論5)や一定の線引きを認める立場29)がある.
4.PGTの情報提供や意思決定をどのタイミングで行うべきか?
非遺伝専門医による日常臨床において,PGT技術の告知義務の有無,ならびに関連情報の告知のタイミングが課題となってくる.これに類似したwrongful birth訴訟が本邦でもみられているため,今後,法学分野の専門家を交えた議論が必要と考えられる.ただ,むやみに遺伝の可能性を告知するのは望ましくないと考えられる.将来的な挙児希望があればライフコース支援の一環としてその可能性に触れながら,外来での心理的支援や必要時には遺伝専門医との連携を行うことが求められると考えられる.
5.PGTの意思決定プロセスはどのように行われるべきか?
PGT実施を検討し始めたカップルにとって,遺伝カウンセリングは意思決定プロセスの中心であり,その機会を確保する必要がある.遺伝カウンセリングにおける倫理的な主題は,カップルの自律性と児のウェルビーイングであると考えられる.その際に関係的自律の視点から,他者の影響の可能性や,社会的な偏見や抑圧の内面化の可能性12)に留意すべきである.さらに児のウェルビーイングに関しては,具体的な事例をふまえ対象疾患をもつ人々の生活実態をわかりやすく示すことが重要である33).
なお,生殖の自律性とは,何者にも強制されないという意味での自律性であって,高度な合理性を求める自律性ではないとする立場もある.カップルまたは児のウェルビーイングにとっての利益をカップルが提示できるのであれば,参加の多様性(検査する/しない),決定の仕方の多様性(明白な意思表示をする/しない,医療者にとって合理的な判断根拠を示す/示さない),決定内容の多様性(障害のある/ない児を,生む/生まない)が担保されるべきだと考えられる.カップルへの強制や非難・偏見・差別には厳しい視線を送りながらも,どの選択肢をカップルがとったとしても,心理・社会的に寄り添い続ける柔らかく,そして長く続く支援が必要であろう.
6.小括
PGTに関連する主要な倫理的論点を整理してきたが,PGTの倫理的課題はこれに限らない.また,PGTの制度運用をいかに行うべきか,障害者・家族支援,ノーマライゼーション,エンパワメントは十分か,また,PGTによって特定の疾患が減少した場合の診療の質の担保や予算配分の問題44)など,他領域がより有用なアプローチを提供する課題もある.PGTはトランスサイエンス的な存在であり,規範的議論だけでなく,科学哲学,法学,社会学,政治学,科学技術社会論など他の学問領域との協働した分析,そして当事者や関係者も交えたオープンな議論が必要不可欠であり,今後も求められるであろう.
おわりに
2023年6月,『良質かつ適切なゲノム医療を国民が安心して受けられるようにするための施策の総合的かつ計画的な推進に関する法律(ゲノム医療法)』が成立し,良質かつ適切なゲノム医療を国民が安心して受けられるようにするための施策が総合的・計画的に推進されることになった.『ゲノム医療法』は,精神医学を含む幅広い医療分野における高い水準のゲノム医療を実現し,その恩恵を広く国民が享受できるようにすることを求めると同時に,生命倫理への適切な配慮がなされるようにすること,不当な差別が行われることのないようにすることをうたっている.さらに,国が基本理念に則り,ゲノム医療政策を総合的かつ計画的に策定し,および実施する責務を有すると明記された40).
本稿で取り上げたPGTはゲノム医療である遺伝子診断技術を活用した医療技術であり,『ゲノム医療法』が国の責務を明記していることを鑑みると,PGTに関しても基本的な法律を整備したうえで,公的なサポートのもと,アカデミアと社会が共同して設立するプラットフォームを設置すべきである.そのために,PGTを含む生殖医療と生命倫理の検討を所管する公的機関の設置が必要であり,同機関において広く生命倫理のあり方について審議・合意し,規範化を進めることが期待される18).
近年の生殖医療の発展により,精神医学領域でもPGTに関連する問題を避けては通れない状況になってきている.出生前・着床前遺伝学的検査について知り,その倫理的課題について理解を深めることが必要であろう.
本稿は,第119回日本精神神経学会学術総会での委員会シンポジウム(医療倫理委員会)「着床前遺伝学的検査をめぐる倫理的課題―精神医学の観点から―」をもとに作成した.
利益相反
尾崎紀夫は以下の企業とのCOI関係がある.(特許・成果有体物使用料)武田薬品工業株式会社,田辺三菱製薬株式会社,(講演料)大塚製薬株式会社,住友ファーマ株式会社,ヴィアトリス製薬株式会社,エーザイ株式会社,EAファーマ株式会社,武田薬品工業株式会社,(研究費・助成金など)株式会社地球快適化インスティテュート,株式会社リコー,住友ファーマ株式会社,エーザイ株式会社,武田薬品工業株式会社,大塚製薬株式会社,(奨学寄附など)株式会社地球快適化インスティテュート,大塚製薬株式会社,住友ファーマ株式会社,エーザイ株式会社,田辺三菱製薬株式会社,(その他アドバイザリーなど)住友ファーマ株式会社,日本ベーリンガーインゲルハイム株式会社,大塚製薬株式会社,持田製薬株式会社
他の著者に開示すべき利益相反はない.
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22) 日本産科婦人科学会: 「PGT-Mに関する倫理審議会」最終報告書, 参考資料, ご意見の掲載に関するご案内. 2021 (https://www.jsog.or.jp/modules/committee/index.php?content_id=178) (参照2024-01-01)
23) 日本産科婦人科学会: 倫理に関する見解一覧 (https://www.jsog.or.jp/modules/statement/index.php?content_id=3) (参照2024-01-01)
24) 日本産科婦人科学会: 意見書Aに関する説明動画 (https://www.jsog.or.jp/modules/committee/index.php?content_id=238) (参照2024-01-01)
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