Advertisement第121回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第127巻第2号

※会員以外の方で全文の閲覧をご希望される場合は、「電子書籍」にてご購入いただけます。
総説
精神保健における障害の社会モデルの重要性
熊谷 晋一郎
東京大学先端科学技術研究センター
精神神経学雑誌 127: 65-73, 2025
https://doi.org/10.57369/pnj.25-014
受付日:2024年3月30日
受理日:2024年9月17日

 障害を,少数派の心身の中に宿る特性を意味する機能障害と区別し,多数派向けに偏ってデザインされた社会によって機能障害を有する人々が被る不利益として認識する枠組みである「障害の社会モデル」は,社会の偏りを発見する概念装置として今なお有効である.特に,精神保健サービスを利用する人々の不利益を社会モデルに基づいて記述するためには,社会を構成する重要な公共財である言語さえもが多数派向けにできていることを意味する「解釈的不正義」や,偏見によって精神障害のある人々の証言が信用されないものとして無効化される「証言的不正義」の視点をもつ必要がある.これらの不正義を自伝的記憶研究に接続することで,マイノリティ-マジョリティ間の権力格差や不平等が,経験を語るという行為や,ウェルビーイングに与える影響を議論することができるとともに,解釈的不正義を是正するために,少数派が,自らの経験を表す独自の概念やフレーズを生み出し流通させる当事者研究のような活動が,社会正義,知の創造,個人のウェルビーイング向上という3つの意義を有することを理解できる.現状では,精神障害や発達障害に関する解釈資源の産出はいまだにその多くをアカデミアが独占している状況にあるが,今後は,当事者コミュニティと専門家コミュニティが,謙虚かつ対等に共同し,認識的コミュニティとしての包摂的なアカデミアの構築をめざして連携していく必要がある.

索引用語:障害の社会モデル, 解釈的不正義, 自伝的記憶, 認識的コミュニティ, 共同創造>

はじめに
 障害学(disability studies)を専門とし,自らも車いすユーザーであるShakespeare, T. は,2006年の総説のなかで,障害者運動が求める障害理解の認識枠組みを以下のように説明している.
 障害者の問題は,歴史的には神罰,カルマ,道徳的失敗の観点から,啓蒙運動の後は生物学的欠損の観点から説明されてきたが,障害者運動は,社会的抑圧,文化的言説,環境的障壁に注意を向けている35)
 宗教的・法的・道徳的逸脱のモデルや生物学的欠損のモデルは,いずれも,個人の中に問題となる性質が宿るという前提をおいており,障害に対する差別や偏見を助長しやすい言説といえる.それに対して障害者運動は,個人の中にある性質ではなく,環境によって障害が生み出されているという点を主張してきた.北欧の障害研究者であるTøssebro, J. は,こうした障害認識に関するパラダイムシフトを,「環境的転回(environmental turn)」37)と総称している.
 環境的転回は,世界各地で同時多発的に生じた.北米では,黒人の解放運動や女性運動など,さまざまなマイノリティグループによる公民権運動の用語を用いて自立生活パラダイムという新しい枠組みが組み立てられ,北欧諸国では「その人の能力と環境からの機能的要求との間のミスマッチ」として障害を定義する関係モデルが提案された.
 障害の社会モデル(social model of disabilities)とは,障害(disability)を,少数派の心身の中に宿る特性を意味する機能障害(impairment)と区別し,多数派向けに偏ってデザインされた社会によって機能障害を有する人々が被る不利益として認識する枠組みを意味し,環境論的展開を志向する先述のモデルを包括する概念として用いられている.障害の社会モデルにもいくつかのバージョンがあるが,そのうちの1つである狭義の社会モデル(強い社会モデルと呼ばれることもある)は,イギリスの障害者運動にルーツをもつ,より強力な環境的転回を志向するバージョンを指す.強い社会モデルによれば,障害とは単なる人と環境のミスマッチではなく,あくまでも環境によって引き起こされるものであり(環境に起因),それを取り除く責任も社会に帰せられることになる(環境への帰責).
 本稿では,精神保健の領域において,この障害の社会モデルをどのように応用することができるのかについて考察をしてみたい.特に,いくつかの精神障害に着目して考察することで,精神保健領域における社会参加を阻む障壁として,これまでわが国の社会モデル的な言説のもとでは十分に強調されてこなかった,「言語」そのものが多数派向けにデザインされているということの問題を指摘し,その障壁の除去に取り組んでいく作業の手がかりを,当事者研究を参照しながら提示することを試みる.

I.言葉の障壁―認識的不正義―
 自分の経験を意味あるものとして認識するためには,対象物や人物,出来事や行為,状況などを表す概念やフレーズといった解釈資源が不可欠である.そうした解釈資源を発明したり,それを用いた証言を通じて異なる人々が互いの経験や知識を伝達したりする営みは,われわれが社会生活を営むうえできわめて重要なものである.しかし,一部の人々は,社会にはびこる偏見や権力が原因で,こうした「認識実践」とも呼ぶべき営みから不当に排除されている.このような状況を,哲学者のFricker, M. は「認識的不正義」(epistemic injustice)と呼んだ17)
 Frickerは認識的不正義を2種類に分類している.1つ目は,自分の経験について語る黒人の証言が白人の裁判員によって信用されない状況のように,「聞き手が,偏見のせいで話し手の言葉に与える信用性(credibility)」17)を過度に低くしてしまう「証言的不正義」(testimonial injustice)である.そして2つ目は,産後うつという概念が存在しなかった時代に,女性たちが自分の体験を意味付けられず,周囲からも「非道徳的」「わがまま」と誤解されていた状況のように,抑圧された人々が自らの経験を意味付ける概念やフレーズを生み出す空間から排除され(解釈的周縁化),それゆえにそうした人々の経験を意味付ける概念やフレーズが社会のなかで流通しない状況が温存される「解釈的不正義」(hermeneutical injustice)である.解釈的不正義は,社会モデルの考え方を,概念やフレーズといった社会に流通する解釈資源さえもマジョリティ向けにできている現状に応用した考え方ともいえる.そのうえでFrickerは,聞き手が自らの偏見を自覚し,証言的不正義に手を染めないために必要な徳(証言的正義)と,社会に流通する解釈資源が権力をもつ人々に有利なものに偏っていることを自覚し,解釈的不正義に手を染めないために必要な徳(解釈的正義)について記述したのである.
 注目すべき点はFrickerが,これら2つの徳を,不正義な状況を是正するために必要な「倫理的徳(ethical virtue)」であると同時に,真理(truth)や信実性(truthfulness)を担保するための「知的徳(intellectual virtue)」でもあるという意味で,「ハイブリッド型の徳」17)と捉えている点である.
 このことは,知的徳や認識論と親和性の高い社会モデルと,倫理的徳や実践論と親和性の高い人権モデルのハイブリッドを構想するうえでも有益といえるだろう.
 認識的不正義という主題を具体的に考えるにあたって,著者が2010年以降行ってきた,薬物依存症のピアサポートや当事者研究で有名な自助グループであるダルク(Drug Addiction Rehabilitation Center:DARC)との共同研究の一部を紹介する25).ダルクに通うメンバーの多くは,依存症の自助グループのなかで経験知として受け継がれてきた「12ステップ」と呼ばれるプログラムに沿って依存症からの回復をめざしている.12ステップとは,12段階のワークから構成されるプログラムであるが,メンバーによれば,なかでもステップ4を行えるかどうかに大きな壁が待ち受けているという.著者がインタビューしたメンバーの以下の語りは,ステップ3とステップ4の違いを説明したものである.

 ステップ3までは,これまでの自分の経験を口で語り,回復への決意をするのがメイン.そこで決意をして,ステップ4からは過去をみて,自分の棚卸しをする.いろんなことを,記憶をたどって書いていく作業.自分の場合は,そのときの自分の年だけルーズリーフを用意して,それぞれの年の出来事を書いていった.記憶のないところは親に聞いたりして書く.それを徹底的にやる.余すところなく徹底的にやる,とワークブックには書いてある.

 ところがメンバーのなかには,過去の記憶を詳細に思い出すことを要求するステップ4に大きなハードルを感じる人がいるという.語りのなかでは,ステップ4に取り組む際の工夫として,思い出せる記憶を思い出すままに付箋に書き出し,あとから時系列に並び替えたという経験談もあった.
 こうした作業を経なければ回復に至らないのか,それとも別様の回復経路を構想することができるのかという問題については,別途議論する必要があるだろう.しかし,ここで注目したいのは,当事者にとって自分の過去の経験を語れるようになること,言い換えると,これまで意味付けてこなかった記憶に対して,それを解釈する概念やフレーズを発明する作業が,依存症からの回復にとって1つの重要な要素として捉えられているという点である.

II.トラウマと自伝
 ダルクのメンバーが証言した,経験の語りがたさという現象について考察を加えるために,そもそも経験を語るという行為(自伝)がどのようなものなのかについて,1つの先行研究をみておくことにする.
 先行研究では,過去に経験した一回性の出来事の記憶を,それを解釈する概念なりフレーズを用いて物語的なフォーマットで整理してできる記憶の総体のことを「自伝的知識基盤(autobiographical knowledge base:AKB)」と呼ぶことがある.そして,時々刻々,必要に迫られる形で,AKBのうちの一部が想起されたものを「自伝的記憶(autobiographical memory:AM)」という.
 Conway, M. A. は,AKBやAMのモデルを提案している.Conwayによると,AKB/AMの構築や想起の過程における一般的な原則は,哲学のなかで主張されてきた2つの真理論(既存の知識体系との内的な整合性=coherenceが保たれているときに新規な知識が真理と見なされるという「整合説」と,新規な知識が事実と対応=correspondenceしているときに真理と見なされるという「対応説」)を用いて説明できるという8).以下ではこの原則についてのConwayの解説を簡単に紹介しよう.
 人間の記憶は,それぞれの個体がもっている予期(生存に直結する自己保存への期待や,幸福への期待,自己や世界はこのようなものだという予測などを指す)との整合性を維持できるように,予期を更新するか,さもなければ記憶を書き換えたり,歪めたり,時には捏造さえする.AKB/AMの構築に課されるこの「予期と記憶の整合性の維持」という拘束条件が,自己整合性(self-coherence)である.
 他方,自己整合性の条件に拮抗するものとして,AKB/AMの内容は事実に対応していなくてはならないという現実対応性(correspondence)という条件がある.ただし,詳細な記憶をずっと保持し続けることは,記憶の容量および検索時間の面で負荷が大きくなる.原則として詳細な記憶は短期間のうちに随意的にアクセスしにくくなり,予期と整合性を保てたものだけが,適度な抽象化の過程を経て,随意的に想起できる長期記憶に変換されることになる.
 こうして,自己整合性と現実対応性の2条件に挟まれながらAKBが構築される.Conwayのモデルによると,長期記憶として保存されているAKBの構造は,1)自己整合性が優先され,抽象概念(主に言語やフレーズ)によって表象される「概念的自己(conceptual self)」と,2)現実対応性が優先され,具体的な感覚運動情報で表象される「エピソード記憶(episodic memories)」という2つのサブシステムから出来上がっている.先程述べたように,2)のエピソード記憶は,そのほとんどは短期間で随意的にアクセスが抑制されるが,予期にかなったもののみ概念的自己とリンクし,随意的に想起可能な長期記憶となるという.
 自己整合性と現実対応性という,AKB/AMの構築と想起についての2条件の両立を阻む記憶は,その定義上,広義のトラウマ記憶と呼べる.なぜならトラウマ記憶とは,受傷時に本人がもっていた予期をゆるがすような現実対応性の高いエピソード記憶であり,概念的自己とのリンクによる解釈が与えられていない特殊な記憶として定式化できるからだ.
 実際,トラウマに関連した状態においては,過剰一般的な自伝的記憶(overgeneral memory:OGM)という傾向が認められることがよく知られている40).OGMとは,自分の過去の具体的な出来事を思い出して描写することの困難,とりわけ特定の時間と場所で起こった出来事をうまく報告できない状態であり,先のステップ4で過去の記憶を詳述できない状態に相当する概念と思われる.トラウマと依存症との関連に関する先行研究では,専門外来を受診する依存症患者の約半数が,心的外傷後ストレス障害(post traumatic stress disorder:PTSD)の診断を満たしているということや5)22),親からの虐待といった養育環境の問題が依存症の発症や予後の悪さを予測するという研究14)39),PTSDの症状を和らげるための自己対処法として依存症をとらえるモデル23)も提案されている.そして,高いレベルのOGMは,社会的問題解決の能力低下や自殺企図歴の高さとも有意に相関することが知られている33)
 一方で,PTSDの主症状のなかには,自己整合性を満たしていない,きわめて具体的なフラッシュバック記憶の不随意的な侵入もある.OGMとフラッシュバックの併存という事態からは,概念的自己とエピソード記憶とのリンクの不全が示唆される.
 OGM概念を初めて報告したWilliams, J. M. G. は,PTSDにおけるOGMのメカニズムに関して,具体化された記憶を一般化した記憶に再構成することで,そのトラウマ的な影響を抑制し,適応を図っているという「感情制御仮説」を提唱している40)

III.認識的不正義と自伝
 OGMを引き起こすのはトラウマだけではない.Crane, L. らは,自閉スペクトラム症(autism spectrum disorder:ASD)においてもOGM傾向が強いことを報告した.また,OGM傾向が強いASD者ほど,心の理論課題(他者の言動から,その人の信念,意図,感情を推論する課題)の得点が低い傾向にあることも報告している9)10).このことは,自伝的記憶が,他者の心的状態を推測する場面においても利用されている可能性を示唆する.
 またOGMは,苦痛な幻聴体験とも関連しているといわれている.近年,幻聴という体験は一部の精神疾患に固有のものではなく,9~12歳の子どもの17%,13~18歳の青年の7.5%が日常的に体験している比較的ありふれたものであることが疫学的研究によって明らかにされつつある21).しかも幻聴体験者のうち,日常的に幻聴に悩まされた経験があるのは一部に過ぎず24),精神医療にアクセスすることなく幻聴との平和的な関係を取りもちながら社会生活を営んでいる人は少なくない.重要なのは,どのようなときに幻聴が苦痛な体験になるのかという問いである.
 これまでの研究で注目すべきは,幻聴に苦痛を感じるグループではOGM傾向がみられることが報告されている点である19).また,幻聴を苦痛と感じるグループは,声の主が非常に権力をもち,知識が豊富で,制御不能で悪意をもっていると認識する傾向にあり20),幻聴のキャラクターには,家族からのサポートの少なさ,そしておそらくはいじめによる仲間からの疎外という現実の人間関係27)を通じて構築された社会的スキーマが影響を与えるとも報告されている31)
 OGM傾向は,例えば「幻聴(あるいは実在する他者)には常に従わなければならない」といった非適応的な信念を維持し,より適応的な信念へと更新するために必要な情報へのアクセスを制限してしまう可能性がある.なぜなら,予期(期待や信念)を更新するのに必要な,信念の反証となる新規の経験(エピソード記憶)と,予期と整合する概念的自己とのリンクが外れているために,信念の反証可能性が低くなるからである.
 さて,ASDや幻聴といった非トラウマ性の状態でOGMが生じるのはなぜだろうか.著者は,認識的不正義がその原因の1つなのではないかと考えている.Conwayのモデルではあまり強調されていないが,われわれのエピソード記憶の内容は,現実対応性の面で必ずしも十分とはいえない18).われわれは自分の行動の真の原因をリアルタイムでは意識できず,せいぜい事後的に推測して行動を正当化しているに過ぎない.しばしば自分の行動よりも,他人の行動の原因をより正確に推測できるほどである.したがって,われわれは自分の行動を理解するうえで,他人のコメントから恩恵を受ける可能性がある.また,行動原因だけでなく,知覚の正確性についても同様である.例えばBahrami, B. らは,単純な知覚判断課題を,二人一組の被験者で取り組んでもらう実験を行い,1)パートナーが自分と似た知覚特性を有し,2)パートナー同士のフリーディスカッションが許されるときに,知覚の正確性が向上することを示した3).またその効果は,フリーディスカッションにおいて互いの知覚経験だけでなく,その確信度(confidence)をも伝達しているからだという加重信頼共有(weighted confidence sharing:WCS)モデルによってうまく説明された.
 このように一人きりの経験の記憶(エピソード記憶)は,自己整合性だけでなく,現実対応性の面でも不十分だが,類似した知覚特性をもつ他者との,言語などの解釈資源(概念的自己)を介したコミュニケーションを通じて,その現実対応性は高まっていく.これは,真理論でいうところの合意説(他者と合意が得られた知識こそが真理とされるという説)を裏付ける経験的根拠と見なせるかもしれない.知覚特性におけるマイノリティ性をもつASD者や幻聴体験者は,自分と類似した経験をもつ他者との接触頻度がマジョリティに比べて相対的に低くなるために,自分達に特有なエピソード記憶に確信をもって意味付け共有するための概念的自己を立ち上げにくく,それゆえにOGMになりやすい可能性がある.言い換えれば,認識的不正義がOGMを引き起こしうるということである.最近では,ASD者の活躍やウェルビーイングにおいて,認識的不正義の重要性が指摘されはじめている2)6)
 先行研究でもOGM傾向が,「誰」と「どのように」かかわるかに影響を受けうることが報告されている.幼児期の親子関係が子どものOGM傾向に影響を及ぼす可能性や38),より詳細で一貫性のあるナラティブ(語り)を紡ぐ親のもとに育つと,子どもは,よく分節化して統合されたAKB/AMを獲得することが知られている16).さらに青年期になると,自分が属する文化のなかで流通しているマスター・ナラティブも解釈資源として利用するようになる16).これはまさに,認識的正義が達成された状況である.
 政治的,倫理的な視点が不足している自伝的記憶研究に,認識的不正義の観点を導入することで,マイノリティ-マジョリティ間の権力格差や不平等が,経験を語るという行為に与える影響を議論できる枠組みが与えられる.また,期待との整合性を維持すべしという自己整合性の条件には倫理性が宿っており,現実対応性や他者との合意という条件は信実性を担保するとしたら,Frickerのいう認識と倫理のハイブリッドな徳は,AKB/AMにおける現実対応性・自己整合性・合意性の両立という条件と重なる.
 当事者研究とは,状況付けられた固有の自分の経験(エピソード記憶)に対して,期待との整合性(有用説),予測的信念との整合性(整合説),現実との対応性(対応説),他者との部分的な共有(合意説)という条件を満たす概念やフレーズを創造し,解釈・共有する営みといえる.その意味で当事者研究は,認識的正義の実現をめざす実践といえる.
 こうして,自らの経験を表す独自の概念やフレーズを生み出し流通させる当事者研究のような活動が,社会正義の実現(倫理的徳),知の創造(知的徳),そして個人のウェルビーイング向上という3つの意義を有することを理解できる.

IV.当事者研究と既存の研究の連携による信実性の高い知の共同創造
 Frickerのいう知的徳に基づいて,概念やフレーズ,知識を産出しようとするのは当事者研究だけでなく,専門家による研究も同じ目的を共有して日夜行われている.しかし,専門家が障害者を客体化しながら他人事として行う研究は,かつての医学モデルがまさにそうであったように,障害者への差別や偏見,認識的不正義を助長する知を産出する可能性がある.
 Chapman, R.らも,ASDをめぐる認識的不正義を是正するために,1)ASDに対する医学モデルを解体すること,2)ASD者の性格や行動に関する価値判断を相対化すること,3)ASD者が集まり,ASDのニーズや嗜好を反映したボキャブラリー,共有された実践,社会規範を発展させてきたASD的認識的コミュニティ(autistic epistemic communities)の出現を認め,支援すること,4)定型発達者側の認識的謙虚さと異文化コミュニケーションを育むこと,の4点を提案している6).言い換えると,社会モデルの視点をふまえ,当事者研究コミュニティのようなASD的認識的コミュニティと,認識的謙虚さを備えた既存の研究者コミュニティが共同して,ASDをめぐる概念やフレーズ,知識を産み出す必要があるということだ.
 実際,ASDの研究においても,当事者の参画が進んでいる.例えば,Academic Autism Spectrum Partnership in Research and Education(AASPIRE)プロジェクトは参加型自閉症研究(participatory autism research)の主要な提供者として一般のASD者でも専門知識があることを示した.2021年には,世界各地のASD当事者団体の代表や,自らがASD当事者である研究者や医師などからなるGlobal Autistic Task Force on Autism Research(GATFAR)が結成された.このグループの目的は,同年に『Lancet』が公表したASDのケアや臨床研究の指針26)に対して,多様な当事者の声を十分に反映していないこと,短期的な行動療法や薬物治療に比べて社会的包摂や生活上の支援への言及が少ないこと,ASDコミュニティの分断を招きうる行政用語であるprofound autismを推奨していることなどの観点から批判的応答をすることであり,日本からはASDの当事者研究を専門にする綾屋も参加した.GATFARは,東京大学先端科学技術研究センターインクルーシブ・アカデミア・プロジェクトの支援を得て,『Lancet』の指針を批判する論文を出版した32).一連の経緯は2023年5月10日付の『Nature』の特集記事で広く紹介された34)
 参加型自閉症研究の例として,例えば綾屋1)は,ASD者と定型発達者との間でコミュニケーションのすれ違いが起きた場合,現状の定義では,ASD者のみに原因を帰属することが可能になり,その結果,証言的不正義を助長することになると批判してきた.綾屋によればそうした状況で実際に起きているのは,双方が心の理論を同時に失調させている事態なのだ.ASDの診断をもつ研究者であり,英国Participatory Autism Research Collective(PARC)の代表でもあるMilton, D.E.M. もまた2012年に「二重共感問題(double-empathy problem)」を提案し,ASD者と定型発達者の間のコミュニケーション不全は双方向の問題であるにもかかわらず,相互作用がうまくいかない理由として一方的にASD者の欠陥を指摘する既存のASD言説に挑戦している28)
 綾屋やMiltonによるこうした当事者視点でのASD理解を裏付ける経験的証拠も,少しずつではあるが報告されている.例えば,定型発達者がASD者に対する心の理論をもっていないことを裏付ける証拠15)36)や,ASD者のコミュニケーション上の問題は,他のASD者と交流したときには生じないといった報告7)11-13)30)もある.また,予測符号化理論を専門にする研究者の一部は,会話の展開に関するASD者の予測が定型発達者の予測と食い違う場合には両者の交流がうまくいかなくなるが,ASD者同士であれば予測が一致しやすく,交流がうまくいくことを説明している4)
 また,定型発達者に偏った社会的能力の判定尺度を再考するうえで,二重共感問題はインスピレーションを与えており13),ASD者の精神的問題の原因を,機能障害の必然的な帰結ではなく,社会的排除の帰結として捉える視点を提供している29)

おわりに
 本稿では,障害の社会モデルを言語の領域に展開した概念ともいえる認識的不正義を,自伝的記憶研究に接続することで,マイノリティ-マジョリティ間の権力格差や不平等が,経験を語るという行為や,ウェルビーイングに与える影響を素描するとともに,少数派が,自らの経験を表す独自の概念やフレーズを生み出し流通させる当事者研究のような活動が,社会正義,知の創造,個人のウェルビーイング向上という3つの意義を有することを述べてきた.
 しかし,現状では,精神障害や発達障害に関する解釈資源の産出はいまだにその多くをアカデミアが独占し,必ずしも知的徳と倫理的徳の条件を満たしているとはいえない状況にある.著者は,当事者コミュニティと専門家コミュニティが,謙虚かつ対等に共同すべく,2012年以降,共同創造を大学内に実現するさまざまな取り組みを行ってきた.例えば,自らの当事者性に関する障害者コミュニティのなかで仲間とともに活動してきた人物が,共同創造を担う研究者として雇用され,障害当事者の視点から自らの障害に関する研究をする「ユーザーリサーチャー制度」を,2018年に日本で初めて試行的に導入した.著者らの研究室では現在,5名のユーザーリサーチャーが活躍しており,自分の経験だけでなく多様な仲間たちの歴史・経験についての知識をふまえて,自分たち当事者にとって大切にすべきことを見出し,それを羅針盤として研究に取り組んでいる.
 今後はさまざまな学協会とも,ハイブリッドな徳に導かれた認識的コミュニティとしての包摂的なアカデミアの構築をめざして連携していければと考えている.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

 謝 辞 本稿執筆のもととなった研究は,文部科学省科学研究費補助金・学術変革領域研究(A)「当事者化の過程における法則性/物語性の解明と共同創造の行動基盤解明」(課題番号:JP21H05175),JST CREST「知覚と感情を媒介する認知フィーリングの原理解明」(課題番号:JPMJCR16E2),内閣府 ムーンショット型研究開発制度「多様なこころを脳と身体性機能に基づいてつなぐ『自在ホンヤク機』の開発」(課題番号:JPMJMS2292)の支援を受けた.


 本稿は,下記の論文を加筆修正して執筆した.
 第I節
 熊谷晋一郎:社会モデル.こころの支援と社会モデル―トラウマインフォームドケア・組織変革・共同創造―(笠井清登,熊谷晋一郎ほか編).金剛出版,東京,p.224-240,2023
 第II~IV節
 熊谷晋一郎:経験を表すことばを作ること.障害学の展開―理論・経験・政治―.明石書店,東京,p.146-159,2024

 編  注:第119回日本精神神経学会学術総会教育講演をもとにした総説論文である.

文献

1) 綾屋紗月: アスペルガー症候群当事者の自己感と当事者研究の可能性. 臨床発達心理実践研究, 6; 55-62, 2011

2) 綾屋紗月: 自閉スペクトラム当事者からみた診断―科学と正義論が交わるところ―. そだちの科学, 42; 75-77, 2024

3) Bahrami, B., Olsen, K., Latham, P. E., et al.: Optimally interacting minds. Science, 329 (5995); 1081-1085, 2010
Medline

4) Bolis, D., Balsters, J., Wenderoth, N., et al.: Beyond autism: introducing the dialectical misattunement hypothesis and a Bayesian account of intersubjectivity. Psychopathology, 50 (6); 355-372, 2017
Medline

5) Brady, K. T., Back, S. E., Coffey, S. F.: Substance abuse and posttraumatic stress disorder. Curr Dir Psychol Sci, 13 (5); 206-209, 2004

6) Chapman, R., Carel, H.: Neurodiversity, epistemic injustice, and the good human life. J Soc Philosophy, 53 (4); 614-631, 2022

7) Chen, Y. L., Senande, L. L., Thorsen, M., et al.: Peer preferences and characteristics of same-group and cross-group social interactions among autistic and non-autistic adolescents. Autism, 25 (7); 1885-1900, 2021
Medline

8) Conway, M. A.: Memory and the self. J Mem Lang, 53 (4); 594-628, 2005

9) Crane, L., Goddard, L., Pring, L.: Brief report: self-defining and everyday autobiographical memories in adults with autism spectrum disorders. J Autism Dev Disord, 40 (3); 383-391, 2010
Medline

10) Crane, L., Goddard, L., Pring, L.: Autobiographical memory in adults with autism spectrum disorder: the role of depressed mood, rumination, working memory and theory of mind. Autism, 17 (2); 205-219, 2013
Medline

11) Crompton, C. J., Ropar, D., Evans-Williams, C. V., et al.: Autistic peer-to-peer information transfer is highly effective. Autism, 24 (7); 1704-1712, 2020
Medline

12) Crompton, C. J., Hallett, S., Ropar, D., et al.: 'I never realised everybody felt as happy as I do when I am around autistic people': a thematic analysis of autistic adults' relationships with autistic and neurotypical friends and family. Autism, 24 (6); 1438-1448, 2020
Medline

13) Davis, R., Crompton, C. J.: What do new findings about social interaction in autistic adults mean for neurodevelopmental research? Perspect Psychol Sci, 16 (3); 649-653, 2021
Medline

14) Dube, S. R., Felitti, V. J., Dong, M., et al.: Childhood abuse, neglect, and household dysfunction and the risk of illicit drug use: the adverse childhood experiences study. Pediatrics, 111 (3); 564-572, 2003
Medline

15) Edey, R., Cook, J., Brewer, R., et al.: Interaction takes two: typical adults exhibit mind-blindness towards those with autism spectrum disorder. J Abnorm Psychol, 125 (7); 879-885, 2016
Medline

16) Fivush, R., Habermas, T., Waters, T. E. A., et al.: The making of autobiographical memory: intersections of culture, narratives and identity. Int J Psychol, 46 (5); 321-345, 2011
Medline

17) Fricker, M.: Epistemic Injustice: Power and the Ethics of Knowing. Oxford University Press, Oxford, 2007 (佐藤邦政監訳: 認識的不正義―権力は知ることの倫理にどのようにかかわるのか―. 勁草書房, 東京, 2023)

18) Frith, C. D.: The role of metacognition in human social interactions. Philos Trans R Soc Lond B Biol Sci, 367 (1599); 2213-2223, 2012
Medline

19) Jacobsen, P., Peters, E., Ward, T., et al.: Overgeneral autobiographical memory bias in clinical and non-clinical voice hearers. Psychol Med, 49 (1); 113-120, 2019
Medline

20) Johns, L. C., Kompus, K., Connell, M., et al.: Auditory verbal hallucinations in persons with and without a need for care. Schizophr Bull, 40 (Suppl4); S255-264, 2014
Medline

21) Kelleher, I., Connor, D., Clarke, M. C., et al.: Prevalence of psychotic symptoms in childhood and adolescence: a systematic review and meta-analysis of population-based studies. Psychol Med, 42 (9); 1857-1863, 2012
Medline

22) Kessler, R. C., Sonnega, A., Bromet, E., et al.: Posttraumatic stress disorder in the National Comorbidity Survey. Arch Gen Psychiatry, 52 (12); 1048-1060, 1995
Medline

23) Khantzian, E. J., Mac, K. J. E., Schatzberg, A. F., et al.: Treating Addiction as a Human Process. Jason Aronson. Northvale, 1999

24) Kompus, K., Løberg, E. M., Posserud, M. B., et al.: Prevalence of auditory hallucinations in Norwegian adolescents: results from a population-based study. Scand J Psychol, 56 (4); 391-396, 2015
Medline

25) 熊谷晋一郎, 五十公野理恵子, 秋元恵一郎ほか: 痛みと孤立―薬物依存症と慢性疼痛の当事者研究―. 精神医学と当事者 (石原孝二編者代表, シリーズ精神医学の哲学). 東京大学出版会, 東京, p.225-251, 2016

26) Lord, C., Charman, T., Havdahl, A., et al.: The Lancet Commission on the future of care and clinical research in autism. Lancet, 399 (10321); 271-334, 2022
Medline

27) Løberg, E. M., Gjestad, R., Posserud, M. B., et al.: Psychosocial characteristics differentiate non-distressing and distressing voices in 10,346 adolescents. Eur Child Adolesc Psychiatry, 28 (10); 1353-1363, 2019
Medline

28) Milton, D. E. M.: On the ontological status of autism: the 'double empathy problem'. Disabil Soc, 27 (6); 883-887, 2012

29) Mitchell, P., Sheppard, E., Cassidy, S.: Autism and the double empathy problem: implications for development and mental health. Br J Dev Psychol, 39 (1); 1-18, 2021
Medline

30) Morrison, K. E., DeBrabander, K. M., Jones, D. R., et al.: Outcomes of real-world social interaction for autistic adults paired with autistic compared to typically developing partners. Autism, 24 (5); 1067-1080, 2020
Medline

31) Paulik, G.: The role of social schema in the experience of auditory hallucinations: a systematic review and a proposal for the inclusion of social schema in a cognitive behavioural model of voice hearing. Clin Psychol Psychother, 19 (6); 459-472, 2012
Medline

32) Pukki, H., Bettin, J., Outlaw, A. G., et al.: Autistic perspectives on the future of clinical autism research. Autism Adulthood, 4 (2); 93-101, 2022
Medline

33) Richard-Devantoy, S., Berlim, M. T., Jollant, F.: Suicidal behaviour and memory: a systematic review and meta-analysis. World J Biol Psychiatry, 16 (8); 544-566, 2015
Medline

34) Rodríguez Mega, E.: 'The best way to get it right is to listen to us' -autistic people argue for a stronger voice in research. Nature, 617 (7960); 238-241, 2023
Medline

35) Shakespeare, T.: The social model of disability. The Disability Studies Reader (ed by Davis, L. J.). Psychology Press, London, p.197-204, 2006

36) Sheppard, E., Pillai, D., Wong, G. T. L., et al.: How easy is it to read the minds of people with autism spectrum disorder? J Autism Dev Disord, 46 (4); 1247-1254, 2016
Medline

37) Tøssebro, J.: Introduction to the special issue: understanding disability. Scand J Disabil Res, 6 (1); 3-7, 2004

38) Valentino, K., Nuttall, A. K., Comas, M., et al.: Mother-child reminiscing and autobiographical memory specificity among preschool-age children. Dev Psychol, 50 (4); 1197-1207, 2014
Medline

39) Westermeyer, J., Wahmanholm, K., Thuras, P.: Effects of childhood physical abuse on course and severity of substance abuse. Am J Addict, 10 (2); 101-110, 2001
Medline

40) Williams, J. M. G., Barnhofer, T., Crane, C., et al.: Autobiographical memory specificity and emotional disorder. Psychol Bull, 133 (1); 122-148, 2007
Medline

Advertisement

ページの先頭へ

Copyright © The Japanese Society of Psychiatry and Neurology