Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文全文

第125巻第1号

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特集 精神科医療における「感情労働」
日本社会精神医学会相模原事件特別委員会の問題意識と活動
松本 俊彦
国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部
精神神経学雑誌 125: 56-62, 2023
https://doi.org/10.57369/pnj.23-007

 日本社会精神医学会(JSSP)は,2016年7月の相模原障害者施設殺傷事件を「社会精神医学的問題」ととらえて相模原事件特別委員会を組織し,2017年6月に声明文を公表した.さらに2020年9月より,JSSPは再度特別委員会を組織し,これまで議論を重ねてきた.本稿では,当委員会における議論の経過と問題意識について報告するとともに,過大な感情労働は,支援者の人権感覚鈍麻を引き起こし,ひいては,障害者への差別や偏見の温床ともなりうる危険性を指摘した.

索引用語:感情労働, 強度行動障害, 社会精神医学, 優生思想>

はじめに
 2016年7月26日に相模原市の障害者支援施設「津久井やまゆり園」で,同施設に入所する障害者が多数殺傷される事件が発生した.この事件は,死亡者19名,重軽傷者26名という,戦後わが国で発生した殺人事件としては最も犠牲者数の多い大惨事であった.
 日本社会精神医学会(Japanese Society for Social Psychiatry:JSSP)は,この事件を単に加害者の精神医学的診断や刑事責任能力をめぐる議論だけで終わらせずに,「社会精神医学的問題」ととらえ,学会として何らかの意見表明をすべきであると考えた.
 そこで,JSSPは2017年4月に特別委員会を組織し,社会精神医学的見地から事件について検討し,同年6月に学会ホームページならびに学会誌に学会としての見解を公表した.さらに,加害者の死刑判決から半年後の2020年9月より,JSSPは改めて特別委員会を組織し,これまで議論を重ねてきた.
 本稿では,JSSP相模原事件特別委員会における議論の経過,ならびにその問題意識について報告したい.

I.第1次相模原事件特別委員会と日本社会精神医学会見解
1.日本社会精神医学会相模原事件特別委員会設置の経緯
 当該事件から9ヵ月を経過した時期,JSSP理事長である水野雅文より「この事件はきわめて社会精神医学的な要素を数多く孕んでいる.当学会に特別委員会を組織し,その議論の結果を声明文として公表すべきではないか」との提案があった.委員会のメンバーとして,学会員より下寺信次,須田史朗,田口寿子,新村秀人,中根秀之,松本俊彦,前川早苗,水野雅文,森田展彰が選ばれ,事件発生後,厚生労働省社会・援護局に設置された「相模原市の障害者支援施設における事件の検証及び再発防止策検討チーム」の構成員でもあった著者が,同委員会の委員長を務めることとなった.
 委員会の初回会合において,次の3つの理由から,この事件がJSSPとして看過できない問題であることが確認された.第一に,この事件の加害者が,「障害者は生きていく価値がない」というきわめて偏った障害者観をもっていた点である.第二は,加害者自身が障害者施設に勤務していた支援者であり,その支援者が起こした事件であるという点である.そして最後は,加害者が,事件を起こす5ヵ月前に精神科に措置入院していたという点である.

2.学会見解
 委員会において対面での会合とメール上での審議を重ねた末に,4つの論点からなる見解にまとめた.以下に,その内容をそのまま示したい2)

1)差別・偏見の解消と共生社会の実現
 相模原事件の加害者が表明していた偏った障害者観は,人権を脅かすものであり,断じて許容できるものではない.しかし同時に,そのような障害者観は決して加害者一人に特異なものではなく,程度の差こそあれ,社会のなかに広く存在している.ことに近年のわが国では,経済至上主義,効率主義が浸透し,個人の価値をその存在自体にではなく生産性に求める傾向が強まっている.そうした社会のあり方自体が,加害者の偏った価値観の形成に無視できない影響をおよぼした可能性がある.
 障害者に対する差別や偏見を克服するためには,障害者を含め,さまざまな違いを持つ者同士が同じ共同体のなかで暮らし,お互いを知ることができる共生社会を作っていかなければならない.その実現のためには,子どもたちが,早期より日常の生活や教育のなかで,障害者とふれあうことを通じて障害者に対する理解を深め,差別・偏見を解消するような働きかけが必要である.

2)当事者中心,当事者主体の退院後支援
 今回の精神保健福祉法の改正案(著者注:本改正案は廃案)にも示されているように,措置入院となった者が退院後に地域で孤立することなく,継続的な支援を受けられるしくみを整備することが重要である.しかし,精神障害者の健康の保持増進のために行うアフターケアが,かえって当事者の自律性を制限するものとなっては,精神保健福祉法の目的から逸脱してしまうことになる.
 支援にあたって堅持すべきなのは,精神科医療や地域精神保健福祉サービスは,あくまでも当事者のリカバリーを支援するものである,という原則である.退院後の支援計画は,当事者自身のニーズを出発点として,当事者と支援者がそれぞれの立場から対等に意見交換しながら作りあげるべきであり,退院後においても,当事者と支援者とが協働的に支援のあり方を点検し,よりよい支援を模索し続ける必要がある.当事者が自らのニーズを率直に表現でき,支援者と安心して協働できる関係を維持すること,そして,そのような関係をもとに家族や職場,地域社会へとつながっていくことこそが,当事者の孤立を防ぐ,最も有効な方法である.

3)支援者への支援
 この事件が社会に大きな衝撃を与えた理由は多岐にわたるが,そのなかでも無視できないのは,加害者自身が障害者福祉の現場で日々障害者のケアに従事してきた支援者であった,という事実である.
 加害者がこのような考えに至った背景が明らかにされていないため速断は避けなければならないが,障害者に対する差別思想の醸成には,障害者福祉の現場の抱えるさまざまな問題が影響した可能性がある.それは,慢性的な人員不足のため労働環境が過酷である,常に感情の抑制や緊張,あるいは忍耐が求められ,精神的負担が大きいなどといった問題である.このような問題から生じるストレスは,支援者を心理的に孤立させ,偏った考えへの親和性を高めてしまう危険性がある.
 今回の精神保健福祉法改正によって,措置入院からの退院者支援に関わる医療関係者や保健所職員等の責任と労働負担が激増することが予想される.障害者の医療や福祉を向上させるためには,このような負担の増大が支援者の孤立や燃え尽きを促進しないよう,支援者が心身のゆとりとやりがいを持って障害者に関われる労働環境―支援者を支援し,支援者の孤立を防ぐ体制を整備する必要がある.

4)精神科医療・精神保健福祉に対する人員と予算の拡充
 当事者主体の治療や退院後支援,支援者を支える体制を有効に機能させるためには,手厚い精神科医療や地域精神保健福祉サービスの提供に必要十分な予算措置が求められる.一例を挙げれば,近年,精神科医療は入院中心から外来中心へと移行しているが,外来診療はともすれば医師一人の診察に終始し,多職種チーム医療を提供したり,多機関連携による地域支援を展開したり,積極的にピアサポート(当事者による支援)を行ったりすることができない現状がある.
 精神障害は医療法における五大疾病の一つであり,疾病が生命予後や生活機能におよぼす影響の指標である障害調整生命年(disability adjusted life years:DALY)では,うつ病は先進国では全疾病で第1位,わが国においてもがんに続く第2位と大きな影響を与えている.それにもかかわらず,現状では,精神科医療・地域精神保健福祉に割り当てられる予算は,他の疾病に比べて著しく少ないといわざるを得ない.
 その意味で,精神科医療・精神保健福祉の向上のためになお一層の財政的手当がなされるべきであり,そのような施策は,国民の健康を増進させるのみならず,長期的には経済的・社会的な利益をもたらすであろう.

II.第2次相模原特別委員会設置の経緯とその後の展開
1.相模原障害者施設殺傷事件裁判判決
 以上に示したJSSP学会見解を公表してから,2年半あまりが経過した後の2020年3月16日,相模原障害者施設殺傷事件裁判の判決が出た.
 判決は死刑であった.加害者は,弁護人による控訴を取り下げる手続きを行い,死刑が確定となったが,その判決文,「被告人自身の本件施設での勤務経験を基礎とし,関心を持った世界情勢に関する話題を踏まえて生じたものとして動機の形成過程は明確であって病的な飛躍はなく,了解可能なものである」という文章は,意味深長だった.というのも,この判決文は,本件犯行の動機となった加害者の優生思想が,「被告人自身の本件施設での勤務経験」を通じて醸成された可能性を示唆するものだったからである.

2.津久井やまゆり園利用者支援検証委員会中間報告
 前述の判決に先立つこと3ヵ月前の2019年末,神奈川県に対して,「やまゆり園の障害者支援において身体拘束などの虐待にあたる行為がなされていたのではないか」という告発があった.この告発を受けて,神奈川県は津久井やまゆり園利用者支援検証委員会(以下,検証委員会)の設置を決定した.
 検証委員会は,3人の外部有識者から構成され,2020年1月10日にはさっそく第1回会合が開かれた.そして,1月21日の第2回会合後の記者会見では,障害者虐待防止法に触れる可能性のある身体拘束のあり方を指摘するなど,やまゆり園と同園の運営母体であるかながわ共同会に対して厳しく検証する姿勢を示していたという.その後,同検証委員会は2月19日の第5回まで開催され,3月にはそれまでの調査をもとに,かながわ共同会へのヒアリングを予定していたが,コロナ禍の影響でその計画は延期となっていた.
 ところが,検証委員会の「中間報告」4)が県に提出された直後の5月18日,神奈川県議会厚生常任委員会において,突如として神奈川県側が,「やまゆり園の検証は中間報告をもって終了」「最終報告は作成しない」と説明し,検証委員会は事実上の廃止となった.なお,このことは,検証委員会には事前に伝えられていなかったという1).こうした神奈川県の一連の対応については,各方面より非難の声が上がった.

3.日本社会精神医学会相模原事件特別委員会再発足
 2020年5月の検証委員会中間報告書は,加害者の死刑判決をもってあの事件を終わらせてしまうことに「待った」をかけた.というのも,そこに書かれた内容は,2017年6月のJSSP見解で「3)支援者への支援」として掲げたものと一致し,多大な感情労働である障害者福祉現場が,加害者の優生思想醸成に影響を与えた可能性を示唆するものだったからである.
 このような認識から,再び水野理事長の声かけによって,2020年9月相模原事件特別委員会が招集され,委員長 松本俊彦,委員 水野雅文(理事長),榎戸芙佐子,須田史朗,新村秀人,西尾雅明,前川早苗,森田展彰というメンバー構成で再発足した.
 ところが,第1回の会合において委員会はいきなり暗礁に乗り上げることとなった.なぜなら,委員会のメンバーはいずれも,これまで精神科医療・地域精神保健福祉の領域をフィールドとして臨床や研究に従事してきた者ばかりであり,津久井やまゆり園のような障害福祉の現場には疎かった.とりわけ福祉施設において職員を悩ませる強度行動障害については,臨床経験や知識は断片的なものにとどまっていた.
 そこで,委員会では,まずは強度行動障害や障害福祉の現場に精通する有識者(本人の希望により一部匿名化している)を招聘し,レクチャーをしていただくこととした.以下に委員会でのレクチャーの概要を提示したい.
1)委員会レクチャー(i):A医師(国公立系専門医療機関・療育指導責任医師)
 A医師は,長年,国公立系専門医療機関において療育指導責任医師として強度行動障害の臨床に従事するとともに,強度行動障害に関する研修会の企画・運営,さらには政策提言を行ってきた児童精神科医である.
 A医師によれば,強度行動障害とは,直接的他害(噛みつき,頭突きなど)や間接的他害(睡眠の乱れ,場所や人へのこだわり,多動,唸り,飛び出し,器物破損),あるいは自傷行為などが,通常では考えられない頻度と形式で出現し,通常の養育環境では著しく処遇困難な状態をいい,行動的に定義される一群であるという.医学的には,重度知的障害を伴う自閉スペクトラム症罹患者が多く,通常,思春期後半~成人期前半に顕在化し,長期にわたって持続する傾向がある.
 わが国では,1970年代より「動く重症児対策」として強度行動障害の存在が認識されるようになり,1980年代末より本格的な対策が開始されたという.2005年以降は,従来の施設収容主義から地域生活支援へと施策の方向転換がなされ,それに伴って,2013年以降,強度行動障害支援者養成研修や強度行動障害チーム医療研修を通じて,多職種アプローチや地域の多機関連携モデルの普及・均てん化が推進されてきた.
 しかし,強度行動障害に対する支援には依然として施設間格差がある.行動分析や環境の構造化など心理社会的アプローチが普及していない施設では,ともすれば抗精神病薬の投与量が多くなってしまう傾向がある.また,グループホームや福祉施設の数,医療機関・福祉施設・行政との連携に関しては深刻な地域差があり,帰住先選定に苦慮する状況にある.何よりも,医療機関から地域移行に際しては欠かせない退院前訪問や地域移行支援に対する診療報酬上の評価が十分とはいえず,医療機関にとっては支援の負担が大きい.
 なお,支援者に対する支援としては,同医療機関では,かねてより自施設において支援者への個別スーパーヴィジョンや心理的ケアを実施してきたが,最近では,国内各地の医療機関従事者を対象としたメーリングリスト開設やWeb研究会定期開催なども展開している.
2)委員会レクチャー(ii):上東麻子(毎日新聞記者)
 上東は,2020年5月に神奈川県による不可解な検証中止を告発した新聞記者である1)
 上東によれば,検証委員会中間報告書には,同園では居室施錠や長時間の身体拘束が常態化しており,利用者の日中活動が乏しく,エビデンスに基づく支援が確認できないこと,外部評価システムの不備,さらには,職員による,一部の利用者に対する暴力が疑われる事例の存在も指摘されていたという.さらに取材を進めるなかで,かつてやまゆり園では長時間身体拘束をされていたにもかかわらず,現在は福祉的就労するまでに改善した利用者の存在も明らかになった.こうした事実を踏まえると,やまゆり園の支援が専門性を欠いていた可能性は否めず,同園を運営するかながわ共同会のガバナンス,さらには,設置者としての神奈川県の管理責任が問われるべきであり,検証中止はおかしい―このように上東は主張した.
 しかし,上東は,この問題を単に神奈川県,あるいはかながわ共同会や園だけの責任に帰するだけでは不十分であるとも指摘した.というのも,こうした神奈川県の一連の動きについては,上東が記事にするまでどのメディアも関心をもたず,報道もしてこなかったからである.その意味では,メディアの無関心や否認も問われるべきであるという.さらに,一般の人々もまったく無関係とはいえないとも指摘した.毎日新聞が2019年12月に行った調査によれば,障害者福祉施設建設反対運動は全国で68件あり,反対の理由としては,「地価が下がる」「地域の安全が脅かされる」 「子どもたちの安全が守れない」などが挙げられていたという.障害者に対して偏見や差別意識を抱いているのは,事件の加害者だけではないのである.
 上東は,ともすれば加害者の優生思想にばかり注目し,それに脅えることに終始しがちであるが,それよりも,障害者支援のために,国や自治体,支援者,メディア,そして一般の人々のそれぞれが,自分たちには何ができるのかを具体的に考えていくべきである,と主張した.
3)委員会レクチャー(iii):木下大生(武蔵野大学人間科学部教授)
 木下は,かつて国立重度知的障害者総合施設のぞみの園に勤務し,知的障害者に関する調査に従事していた研究者であり,現在は,大学教員として社会福祉士養成にかかわっている.
 木下によれば,障害者福祉施設では,支援現場を切り盛りするために,暗黙のうちに職員間のインフォーマル・ルールが作られてしまい,多数の利用者に画一的な日課や行動を強要するなど,個々の人権が軽視された支援が生じやすいという.ことに知的障害者の支援では,「本人が表出したこと」=「本人の意思・希望」とは限らず,本人の意思・希望が,支援者というフィルターを通されて「ニーズ」に転換される際に,業務上都合のよいものへと誤訳される危険がある.
 加えて木下は,支援者の資質が年々低下しているとも指摘した.近年,福祉職は不人気な領域となっており,深刻な人材不足に陥っている.低賃金であるゆえに求職者が集まらず,採用にあたって能力や意欲といった観点から人選ができない.結果的に経験を積んでも専門性が高まらず,ますます低賃金が改善されない,といった悪循環が生じているという.
 木下は,このような状況を変え,支援の質を高めていくためには,国や施設事業者は,労働環境・待遇条件の改善,福祉職のやりがい・魅力を発信し,スーパーヴィジョン体制や外部評価システムの整備などの必要があると主張した.
4)委員会レクチャー(iv):大川貴志(社会福祉法人同愛会てらん広場施設長)
 てらん広場は,1992年に開所した定員70人の障害者福祉施設であり,利用者の95%は強度行動障害を呈しているという.大川は同施設の施設長を務めている.
 大川は,やまゆり園からの受け入れ事例の支援を紹介した.20代後半の男性で,食事や入浴が苦手で,これまでも介助に抵抗して暴れ,いつも厳しい顔をして廊下を延々行き来しては,突然,職員を叩いたりする,といった行動障害を呈していたという.このため,やまゆり園では,長時間の身体拘束を受けることが常態化していた.ところが,てらん広場に移ってからは,行動障害は目立たなくなり,身体拘束どころか,週5日作業所で働くようになったのである.
 てらん広場での支援は実に興味深いものであった.まず,支援開始にあたって,綿密な行動観察と養育者からの生育歴情報に基づいて,「見立て」(仮説)を作っていた.そして,その「見立て」に基づいて体験の場を提供しては,仮説を何度も修正し,深化させ,利用者の真の「意思」への肉薄を試みた.その結果,例えば,「意思⇒保続⇒意思実行困難⇒不安・焦燥増大⇒感覚過敏増大⇒身体接触拒否⇒支援者への暴力」というプロセスが明らかになれば,今度は,「意思の実行を阻む保続を解消するにはどのような介助が必要か?」「本人の不安・焦燥感を吸収するにはどんな言葉かけがよいか?」といった観点から,職員間での議論を行うのである.
 大川は,てらん広場は,障害者にとっての「終の棲家」ではなく,あくまでも「通過施設」であると主張した.地域での「人間らしい」生活を想定し,利用者の日々の生活は「働く」「買い物をする」「里帰り(自宅への外泊)」「うさばらし(居酒屋に行く)」「リラックスする(温泉に出かける)」「おしゃれをする」などといった領域を想定し,多様な日中活動を提供していた.そして何よりも,職員が支援を「楽しんでいる」様子が印象的であった.
5)委員会レクチャー(v):野崎秀次(社会福祉法人同愛会医療顧問)
 野崎は,知的障害者専門医療機関である公益財団法人十愛会十愛病院の院長,理事長として,長年,強度行動障害臨床に従事してきた小児神経科医である.
 野崎によれば,強度行動障害を伴う知的障害者は長らく医療難民であったという.もちろん,精神科医療において対応される場合も少なくなかったが,そのことによるデメリットもあった.例えば,抗精神病薬による過鎮静やADLの低下は,地域生活との乖離を大きくし,医療機関における長期収容を促した面があったことは否めないという.また,重度知的障害者では,先天奇形をはじめ,さまざまな身体医学的合併症をもつ者も少なくないが,精神科医療から「身体管理はできない」と門前払いを受けてしまい,結局,医療難民化してしまう事態が稀ではなかった.
 しかし近年,状況は改善しつつあるという.非定型抗精神病薬の登場,あるいは,抗てんかん薬や注意欠如・多動症治療薬の選択肢が増えたことにより,過鎮静にしない薬物療法が可能になった.また,自閉スペクスラム症概念の広がりとともに患者理解も進んできたという.
 野崎は,地域の福祉施設との連携にあたっては,施設職員との情報共有を重視しているという.医療機関と福祉施設双方の共通指標として,「基本情報シート」 「健康管理シート」 「生活状況シート」などのツールを開発し,診療において活用しているという.
 今回のレクチャーでは,野崎から2つの具体的な提案がなされた.1つは,医学部の卒前・卒後教育において,知的障害・発達障害療育,強度行動障害に関する教育の必須化であり,もう1つは,福祉職従事者の待遇改善と労働状態に対する第三者評価,および,それと併行して管理職の孤立を防ぐための支援の強化である.

III.委員会における議論
 委員会レクチャーはいずれも衝撃的な内容であり,委員会のメンバーは強度行動障害に関する自身の不明を恥じた.もちろん,社会精神医学という立場から障害福祉領域に関して意見できる範囲は自ずと限定されるが,それでも,障害福祉領域への側面的支援は可能である.そのような認識に基づいて,これまでの委員会における議論を整理すると,以下の5点になる.

1.強度行動障害に関する周知
 これまで医学部卒前・卒後の教育課程で強度行動障害が取り上げられることはなく,精神医学の教科書にもその言葉はない.しかし,小児科医療を卒業した強度行動障害事例を精神科医療が引き継ぐことはあり,また,すでに精神科医療機関においても,「強度行動障害」という用語は使わないまでも,同じ問題を呈する重度知的障害者は存在し,コメディカルがさまざまな工夫を凝らしてケアを提供している.その意味で,精神科医がこの用語を知っていること,そして,コメディカルの努力に関心と敬意をもつことは重要である.

2.支援者をとりまく環境と支援スキルの改善
 さまざまな対応困難な問題に対して,ともすれば薬物療法による過鎮静や行動制限の乱用という事態に陥りやすいが,行動分析や環境の構造化,さらにはペアレント・トレーニングや障害者ケアマネージメントなどを駆使することで,薬物療法や行動制限を最小化できる可能性がある.さらに,支援チームのメンバー同士が職種・職階を問わず対等な立場で意見交換し,さまざまな支援の工夫ができる職場の環境整備も重要である.

3.強度行動障害の丁寧な支援を可能とする経済的保障
 医療機関が地域の福祉施設と積極的に地域移行を進めることができるような診療報酬の担保も必要である.現状の「強度行動障害入院医療管理加算」は,算定可能な病棟が限られている.その意味でも,一般精神科医療機関の急性期病棟や救急病棟においても,実効性のある「強度行動障害入院医療管理加算」の仕組みが求められる.

4.障害者支援に際しての透明性・開放性の担保
 困難な支援の現場では,支援者と利用者との関係性が硬直化し,管理的・閉鎖的な様相を帯びてしまいやすく,ともすれば支援者の都合が優先され,利用者の人権や尊厳が軽視される危険性もある.こうした事態を防止するには,支援内容や職員の労働環境を改善する実効性のある外部評価システムやスーパーヴィジョン制度が必要である.

5.人材の育成と社会への啓発
 障害福祉領域に意欲的な人材を集めるには,まず福祉施設職員の待遇改善が求められる.その一方で,良質な支援を実践している施設も存在し,このような「知られざるグッドプラクティス」を学術的に評価し,その手法を広く普及することも重要である.また,教育やマスメディアを通じて一般の人々にもわが国の障害福祉の実態,すなわち,障害を抱えている人の困難,それを支援する人の努力について広く理解を求め,社会全体の関心を高めていく必要もある.

おわりに
 われわれは,相模原障害者施設殺傷事件を,偏奇したパーソナリティをもつ人間の,奇異な信念による稀な犯行として片付けるべきではない.むしろ支援現場における過大な感情労働は,利用者の健康や福祉を損なうだけでなく,支援者の人権感覚鈍麻を引き起こし,ひいては,障害者への差別や偏見の温床ともなりかねず,社会安全にもネガティブな影響をおよぼしうる,ということを,われわれはこの機会に改めて認識する必要がある.
 そして,言うまでもなく,このような障害福祉の現場における感情労働は,精神科医療・地域精神保健福祉にとって決して対岸の火事とはいえない,ということを確認し,本稿の締めくくりとしたい.

 編  注:本特集は,第117回日本精神神経学会学術総会シンポジウムをもとに新村秀人(東洋英和女学院大学人間科学部)を代表として企画された.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

追記 本稿で紹介した学会見解は,2022年7月26日に日本社会精神医学会ホームページ上にて公開された3)

文献

1) 上東麻子: やまゆり園事件は終わったか―福祉を問う やまゆり園の虐待調査, コロナに乗じて闇に? 神奈川県の中止宣言に疑問の声. 毎日新聞デジタル版2020年6月18日版. (https://mainichi.jp/articles/20200618/k00/00m/040/151000c) (参照2021-12-31)

2) 日本社会精神医学会: 相模原事件特別委員会見解. 2017 (www.jssp.info/pdf/sagamihara.pdf)(参照2022-08-09)

3) 日本社会精神医学会: 一般社団法人日本社会精神医学会 見解―相模原市障害者施設殺傷事件を再考する―. 2022 (http://www.jssp.info/pdf/sagamihara20220726.pdf) (参照2022-08-09)

4) 津久井やまゆり園利用者支援検証委員会: 津久井やまゆり園利用者支援検証委員会中間報告書. 2020 (https://www.pref.kanagawa.jp/documents/62352/r20518kousei01_2.pdf) (参照2021-12-31)

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