Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文全文

第124巻第12号

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特集 摂食障害の連携指針と簡易治療プログラムの研究開発
『神経性やせ症(AN)初期診療の手引き』の開発と概要
髙倉 修
九州大学病院心療内科
精神神経学雑誌 124: 863-867, 2022

 摂食障害(ED)は心理的のみならず身体的にも重症化し,若年者の精神疾患のなかで死亡率が最も高い.また,遷延化すると,より重症化し,治療が困難となることも知られている.したがって,他の疾患同様,EDは早期に発見し,早期に治療に導くことがきわめて重要である.しかしながら,わが国のEDを取り巻く医療環境は必ずしも十分に整備されているとはいえず,一部の専門医療機関に患者が集中する傾向がある.また,適切な対応を行うことで改善に向かう症例も存在するが,身体的に重症であるにもかかわらず治療に抵抗するなどの疾患特性から一般の医療機関では敬遠されがちな疾患となっている.さらに,標準的な治療法がわが国には存在せず,その対応は各医療機関に任されているという現状がある.こうしたことから,2017~2019年度のAMED事業「摂食障害の治療支援ネットワークの指針と簡易治療プログラムの開発」では,EDを専門としない医療機関(非専門病院)が摂食障害診療の担い手になる場合の障壁を減らすこと,ED専門の医療機関と非専門医療機関の対応を統一することを目的とし,『神経性やせ症(AN)初期診療の手引き』を開発した.本手引き作成においては,国内外のEDガイドラインやエビデンスを中心に情報が収集された.初期対応,身体管理,心理教育,栄養管理の4つのマテリアルから構成され,患者の病状に応じて必要な情報を参照できるようになっている.患者を治療に導く方法や身体的改善のための方法などを具体的に明記し,臨床ですぐに使用できるよう工夫した.試験的に臨床医に使用してもらい,そのフィードバックに基づき修正したうえで完成に至った.本手引きの開発・普及により,AN診療に対する障壁が低減し,AN患者が身近な医療機関で比較的均一に初期診療を受けることが可能なED医療体制整備への展開が期待される.

索引用語:摂食障害, 神経性やせ症, マニュアル, 初期対応>

はじめに
 摂食障害(eating disorders:ED)は遷延化すると,身体的のみならず,心理的にも重症化することが知られている5).また,特に神経性やせ症(anorexia nervosa:AN)は発症後の生存率が,その他のEDと比較して早期に低下することが報告されており1),早期発見・早期治療がきわめて重要である.
 一方,わが国のEDを取り巻く医療環境は必ずしも整備されているとはいえず,受診患者が一部のED専門医療機関に集中するなどの課題がある.また,適切な対応を行うことで改善に向かう症例も存在するが,身体的に重症であるにもかかわらず治療に抵抗するなどの疾患特性から,一般の医療機関では敬遠されがちな疾患となっていることは否めない.さらに,これまで標準的治療法や統一した対応を示すマニュアルはわが国には存在せず,その対応は各医療機関に任されているという現状がある.
 本稿では,ANに対する統一した初期対応を可能とするために開発された『神経性やせ症(AN)初期診療の手引き』の開発の経緯とその概要について紹介する.

I.摂食障害専門医療機関の課題
 わが国のED専門医療機関は全国に存在するが,その数は少なく,大都市を中心とした地域に偏在する傾向がある.したがって,一部の専門医療機関に受診患者が集中し,予約から受診に至るまでにかなりの時間を要する場合も少なくない.また,専門医療機関においても,多くの患者を引き受けるに足りる医療資源の確保は難しく,診療のキャパシティには限界がある.専門医および専門医療機関を増やす取り組みに加え,EDを専門としない一般内科や精神科医療機関(非専門医療機関)においても,ある程度EDを診療できる体制作りが,この問題の解決には不可欠であると考えられる.

II.非専門医療機関の課題
 EDは,先述したように,治療に抵抗したり,身体的に重症化することから,非専門医療機関においては敬遠されがちな疾患である.その背景には,治療に抵抗する患者に対してどのように対応すればよいのか,身体状態や栄養状態をどのように評価し,どのように治療を行えばよいのか,どのように治療動機を高めればよいのかといった,非専門医療機関が抱えるED診療のハードルが存在することが考えられる.このハードルを下げるためには,統一した初期対応マニュアルの存在は不可欠であり,その開発が急がれていた.

III.『神経性やせ症(AN)初期診療の手引き』の開発
 上述した課題を克服するために,2017~2019年度に日本医療研究開発機構(AMED)の支援を受けた「摂食障害の治療支援ネットワーク指針と簡易治療プログラムの開発」(研究開発代表者:安藤哲也)の分担研究開発課題「神経性やせ症の簡易治療プログラムの開発」により,『神経性やせ症(AN)初期診療の手引き』3)を開発した.本手引きの目的は,(i)非専門医療機関がED診療の担い手になる場合の障壁を減らすこと,(ii)ED専門の医療機関と非専門医療機関の対応を統一することである.なお,本手引きは,日本摂食障害学会のウェブサイト4)において無料でダウンロード可能である.

IV.『神経性やせ症(AN)初期診療の手引き』の概要
 国内外のガイドラインおよびエビデンスをもとに,AN治療において非専門医療機関での初期対応に必要と考えられる4つの重要事項(初期対応,心理教育,身体管理,栄養管理)に分けて,細目ごとに対応を概説している.できる限り,手軽に使用できるようハンディサイズとし,読みやすくなるよう分量は最小限となるように工夫した.

1.初期対応
 この項では,具体的なbody mass index(BMI)の値や体重低下のスピードなどANを疑うべき身体所見(図a),血液検査所見,病歴や行動などを具体的に示し,問診上の注意点や聴取すべき項目などが記載されている.

2.心理教育
 ED,とりわけANは,自分が病気であるという認識に乏しいことから,治療動機を高めるための心理教育はきわめて重要である.低栄養・低体重になると電解質異常などの身体への悪影響が生ずることのみならず抑うつやこだわりなどの精神症状が生ずるといった心理教育に必要な情報やその病態,身体状態に合わせた活動制限の目安,治療のゴール,家族のかかわり方などが概説されている.また,患者の行動変容の段階に合わせた対応方法についても述べられている.

3.身体管理
 ANには低栄養や嘔吐・下剤乱用などの排出行為によるさまざまな身体合併症が生じる.
 代表的なものとして,低カリウム血症,肝機能障害,低血糖,低リン血症などが挙げられ,いずれも適切な対応が必須である.ED非専門医,とりわけ身体合併症の診療に慣れていない医療従事者においては,最も対応に苦慮する分野ではないだろうか.そこで,本手引きにおいては,低体重・低栄養において生じうる身体合併症を項目ごとに概説し,具体的な対応法が記載されている.臨床ですぐに使用可能となるよう,薬剤名などはできる限り商品名を用いるなどの工夫が施されている.

4.栄養管理
 ANの治療において,再栄養療法による栄養の回復は不可欠である.一方,飢餓状態にある患者の初期エネルギーをどのように決定すればよいのか,どのように栄養を投与すればよいのかなどの疑問の多い領域でもあろう.AN患者に対するエネルギー必要量決定方法についての記載例を図bに示す.に示すように,AN患者のようなるいそうを伴う成人患者に対するエネルギー必要量の決定は,一般的に用いられるHarris-Benedictの式ではなくScalfiの式を用いるなど,一般診療において迷いが生じる点が明確にされている.このように,本手引きでは,エネルギー必要量の決定方法,栄養の投与方法,再栄養時に生じるリスクのあるリフィーディング症候群の予防方法などについて具体的に述べられている.

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V.『神経性やせ症(AN)初期診療の手引き』の活用
 著者が所属する九州大学病院心療内科(当科)には,全国4ヵ所のED支援拠点病院の1つとして,福岡県摂食障害支援拠点病院(旧福岡県摂食障害治療支援センター)が設置されている.本事業は国と県の主導で,(i)ED患者や家族への相談支援,(ii)医療機関への助言指導,(iii)県民へのEDの啓発・普及を柱として展開されている.相談支援や普及・啓発活動により,当科では,年々10歳代の若年AN患者の受診割合が増加する傾向にあり,EDの早期発見・早期治療に寄与している可能性が考えられる2).また,治療に両価的な感情を抱いているEDの疾患特性から,潜在的なED患者が多数存在する可能性が示唆される.したがって,普及・啓発活動に加え,EDに対応できる医療機関を増やす活動が重要と考え,医療機関への助言指導活動を精力的に行っている.この活動により福岡県内のED相談可能医療機関は増加傾向にあるが,近年では当該医療機関に対して『神経性やせ症(AN)初期診療の手引き』を用いた研修会を開き,共通の初期診療法を共有する試みが始まっている.また,本手引きの内容を含む初心者向けのED治療研修会が国立精神・神経医療研究センターで開催されており,手引きの普及が期待される.

おわりに
 繰り返しになるが,EDは早期診断・早期治療が重要であるものの,患者自身の病識は乏しく,医療機関を受診したがらないという疾患特徴がある.そのため,潜在的ED患者が多数存在する可能性が考えられる.したがって,家族や自身がEDであると気づいた時点で受診した医療機関が,敬遠することなく,適切な対応を行い,専門医療機関へつなげることがきわめて重要であろう.『神経性やせ症(AN)初期診療の手引き』により,ED診療に対する障壁が低減し,身近な医療機関で比較的均一に初期診療が可能な摂食障害医療体制整備への展開が期待される.

 編注:本特集は,第117回日本精神神経学会学術総会シンポジウムをもとに井上幸紀(大阪公立大学大学院医学研究科神経精神医学)を代表として企画された.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

 謝 辞 本手引きは,2017~2019年度に日本医療研究開発機構(AMED)の支援を受けた「摂食障害の治療支援ネットワーク指針と簡易治療プログラムの開発」(研究開発代表者:安藤哲也)(課題番号JP17dk0307067)の分担研究開発課題「神経性やせ症の簡易治療プログラムの開発」(分担開発研究者:須藤信行,研究開発協力者:波夛伴和,山下真,麻生千恵)の研究開発費を用いて作成されました.
また,本手引きの作成には以下の先生のご協力をいただき,有益なご助言をいただきましたことを心より感謝申し上げます.
東京大学大学院医学系研究科内科学専攻ストレス防御・心身医学 吉内一浩先生
国立国際医療研究センター国府台病院心療内科 田村奈穂先生
国立精神・神経医療研究センター精神医学研究所行動医学研究部 小原千郷先生

文献

1) Fichter, M. M., Quadflieg, N.: Mortality in eating disorders: results of a large prospective clinical longitudinal study. Int J Eat Disord, 49 (4); 391-401, 2016
Medline

2) 福岡県摂食障害治療支援センター: 令和2年度精神保健対策費補助金摂食障害治療支援センター活動設置事業. 2021 (https://www.ncnp.go.jp/nimh/shinshin/edcenter/pdf/business_report_r2_13.pdf) (参照2021-11-29)

3) 日本医療研究開発機構 (AMED)「摂食障害の治療支援ネットワーク指針と簡易治療プログラムの開発」(研究開発代表者: 安藤哲也) (課題番号JP17dk0307067). 神経性やせ症 (AN) 初期診療の手引き. 平成29年度~令和元年度 (http://www.jsed.org/books/摂食障害に関する指針・マニュアル/) (参照2021-11-29)

4) 日本摂食障害学会ウェブサイト. (http://www.jsed.org) (参照2021-11-29)

5) Takakura, S., Aso, C. S., Toda, K., et al.: Physical and psychological aspects of anorexia nervosa based on duration of illness: a cross-sectional study. Biopsychosoc Med, 13; 32, 2019
Medline

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