Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文全文

第122巻第8号

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特集 患者の違法薬物使用を知ったとき,精神科医はどうふるまうべきなのか?
麻薬中毒者届出制度の意義と課題
松本 俊彦
国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部
精神神経学雑誌 122: 602-609, 2020

 麻薬及び向精神薬取締法58条の2は,患者を麻薬中毒者であると診断した際にはすみやかに都道府県知事への届出をするように医師に義務づけている.しかし,「麻薬中毒者」の定義が曖昧であり,患者が捜査対象とならないことを保証するものではないなどの問題がある.本稿では,麻薬中毒者届出制度を主題とした厚生労働科学研究班での議論を踏まえ,本制度創設の経緯と時代背景,ならびに同制度全体の内容を概説し,その意義と問題点について検討した.その結果,麻薬中毒者に対するアフターケアのなかには,「環境浄化」のような従来の精神保健福祉的支援のスキームではなしえない回復促進要素が含まれているという意義がある一方で,患者の治療アクセスを抑制し,患者に対する過剰な人権侵害が生じている可能性があることが明らかにされた.以上の問題点を踏まえ,当面,麻薬中毒者の診断にあたってはきわめて慎重な検討が必要であることを指摘した.そのうえで,近い将来,同制度の見直しを行い,わが国における今日の精神科医療・地域精神保健福祉の考え方と齟齬のないものへと修正する必要があることを主張した.

索引用語:麻薬, 麻薬及び向精神薬取締法, 麻薬中毒者, 措置入院, 薬物依存症>

はじめに
 2016年7月に発生した相模原障害者施設殺傷事件は,精神科医療における薬物問題への介入のあり方に関して重要な問題を提起した.というのも,事件後に逮捕された加害者の尿中からは大麻成分が検出されたが,犯行5ヵ月前,加害者が措置入院となった際にも,簡易検査で尿中の大麻成分が確認されていたからである.
 そのような事情から,当初,一部より「大麻取締法では大麻の使用は処罰対象となっていなくとも,麻薬及び向精神薬取締法(以下,麻向法)に基づく麻薬中毒者として届出をする余地があったのではないか」という批判の声が上がった.後に,厚生労働省内に設置された検討委員会において,加害者の大麻使用様態は麻薬中毒者の水準にはなく,措置入院先の医療機関が届出をしなかったのは妥当であったという判断がなされたことで2),批判はすみやかに鎮静化したが,著者は,このようなかたちで麻薬中毒者届出制度が注目されたことを苦々しく感じていた.なぜなら,この制度には薬物依存症治療の根幹を揺るがしかねない問題が内包されているからである.
 なるほど,麻薬中毒者届出制度は患者の犯罪行為を告発するものではなく,どちらかといえば,医療的ケアを促進する趣旨の制度である.しかし,だからといって治療中の患者を捜査対象としないことを保証するものではない点は注意しなければならない.その意味では,麻薬中毒者届出制度が広く国民に周知されるようになれば,薬物問題を抱える人たちの医療アクセスは抑制され,臨床場面での患者が「正直になる」ことを阻害する可能性は十分にありうる.
 しかも困ったことに,たとえ正当な理由があったとしても,医師はその届出を裁量できないのである.警察通報ならば,刑法に定められた守秘義務との兼ね合いにより医師の裁量が許容される余地は十分にあるが,麻薬中毒者届出はそうではない.医師に義務づけられたものであって,診断しながら届出を怠れば罰則規定もあるのである.
 精神科医,ことに薬物依存症治療を専門とする精神科医は,この麻薬中毒者届出制度といかに向き合ったらよいのだろうか? そのような問題意識から,われわれは,平成29~30年度厚生労働科学研究費補助金(障害者政策総合研究事業)「精神科救急および急性期医療の質向上に関する政策研究」(研究代表者:杉山直也)における分担研究「精神科救急及び急性期医療における薬物乱用および依存症診療の標準化と専門医療連携に関する研究」(研究分担者:松本俊彦)4)において,この麻薬中毒者届出制度の意義と課題を整理し,現状における運用に際しての留意点を検討した.
 よって,ここにその成果の概要を報告したい.

I.わが国における麻薬対策の歴史
1.「麻薬」とは何か
 麻向法は,厚生労働大臣の免許をもつ麻薬営業者(麻薬製造・製剤・販売業者など)や都道府県知事の免許をもつ麻薬施用者(研究・医療での使用者)以外の者が,麻薬を所持,輸出・輸入,製造,製剤,譲渡・譲受,施用・使用することを禁じた法令である.
 ここで注意する必要があるのは,「麻薬(narcotics)」とは医学的概念ではなく,あくまでも法律的概念であるという点である.つまり,麻薬とは,医学的根拠によらず,あくまでも「麻向法第2条第1項で定義された薬物」と法律上でしか定義できないのである.麻薬に分類される薬物を具体的に挙げれば,ヘロイン,モルヒネなどのアヘンアルカロイド,コカインや,LSD,MDMA(エクスタシー)などの化学合成物質,さらにはマジックマッシュルームなどである.そこには化学構造式や薬理作用の共通点は見いだせず,一種の「ガラパゴス的」な概念として存在している.
 歴史的には,「麻薬」は,1912年に調印された,世界初の薬物規制に関する国際条約「万国阿片条約(International Opium Convention)」にまで遡ることができる.同条約では,当初,あへん,モルヒネ,コカイン,およびそれらの誘導体に対して「麻薬」という用語を適用して規制対象としたが,その後,米国の強い要望により,対象は大麻および大麻製剤にまで拡大された.そして,その定義はそのまま第二次世界大戦後の「麻薬に関する単一条約(Single Convention on Narcotic Drugs)」(1961年)に引き継がれ,今日における国際的な麻薬の定義となっている.したがって,国際的に「麻薬」といった場合には,この「麻薬に関する単一条約」で指定された,「アヘン系麻薬」「コカ系麻薬」「大麻系麻薬」の3種を指すことになる.
 その意味では,わが国の「麻薬」は国際的な麻薬概念とは異なっている.なによりもまず,大麻が含まれていない.その背景には,わが国の場合,伝統的に麻繊維産業が存在したことから,大麻系麻薬を麻薬から切り離し,大麻取締法という別立ての法律で規制することとなった経緯がある.それから,LSDやMDMAといった,国際的には「麻薬」ではなく,「向精神薬」に分類されている化学合成物質まで含めてしまっている.その結果が,前述したようにガラパゴス的な様相を帯びた,独自の麻薬概念となっている.

2.麻薬対策の強化とその成功
 1960年代前半,わが国では一過性にヘロイン乱用が社会問題化した時期がある.その背景には,覚せい剤取締法制定後,規制強化により覚せい剤が入手困難となり,いわばその代替薬としてヘロインが市中に出回ったことがあるといわれている.特に横浜市日ノ出町付近はヘロイン常用者が各地より集まり,治安上の問題となっていたという.
 そうしたなかで,1962年7月に「横浜・日ノ出町異変」と称される事態が勃発した.ある日突然,路上のあちこちで多数の人たちが昏睡状態のまま倒れ込んでいる,という異様な光景が出現したのであった.これは規制強化や天候による影響でヘロインの供給が一時的に途絶え,離脱の苦しさに憔悴しきったヘロイン常用者たちが,その苦痛を紛らわせようとして睡眠薬を多量に服用したために生じたものであった.
 このような事態を受けて,政府は麻薬に対する規制強化だけでなく,同時に,麻薬依存症に陥った者に対する医療的措置が必要と判断し,1962(昭和37)年,麻薬対策閣僚会議および麻薬対策推進本部を設置した.さらに翌1963年には,「麻薬取締法」の大改正が行われ,それまでは精神衛生法を準用していた麻薬中毒者の入院に関して,麻薬取締法独自の診断および入院措置,麻薬中毒者相談員制度,麻薬中毒者専門医療施設の設置が定められた.これが,本稿の主題である麻薬中毒者届出制度の創設であった.この制度は,供給低減(規制強化)に併せて需要低減(依存症治療)の双方をカバーするもので,少なくとも当時の水準では国際的にも先進的な取り組みといえた.
 もっとも,皮肉なことに,麻薬中毒者専門医療施設9施設が整備された頃には,わが国の麻薬乱用問題はすでに事実上終息していた.これは,麻薬に対する規制強化が功を奏したためであった.この経験は,以後,わが国の供給低減に偏重した薬物対策を根拠づける,政府にとっての重要な成功体験になったと思われる.

II.麻薬中毒者の届出とアフターケア
 麻薬中毒者届出制度の意義と課題について論じる前に,本制度の内容についておさらいをしておきたい.

1.届出対象薬物と麻薬中毒者の定義
 麻向法第58条の2では,「医師は,診察の結果受診者が麻薬中毒者であると診断したときは,すみやかに,その者の氏名,住所,年齢,性別その他厚生労働省令で定める事項をその者の居住地の都道府県知事に届け出なければならない」と定められている.
 ここでいう麻薬は,ヘロイン,モルヒネ,コカイン,LSD,MDMAなどの麻向法の規制対象に加え,あへんや大麻など,他の法令の規制対象も含んでいることに注意したい.
 なお,麻向法における「麻薬中毒者」の概念は,「麻薬中毒とは,麻薬に対する精神的身体的欲求を生じこれを自ら抑制することが困難な状態,即ち麻薬に対する精神的身体的依存の状態をいい,必ずしも自覚的または他覚的な禁断症状が認められることを要するものではない」(昭和41年厚生省薬務局長通達)と定義されている.

2.届出・通報―都道府県薬務課への連絡―
 ある患者に麻薬中毒という診断をした場合,医師はまず都道府県の薬務課,もしくは保健所に電話で連絡しなければならない.そして,その連絡をもって,都道府県知事に通報したことになり(麻向法58条の2),都道府県はその患者を麻薬中毒者台帳に登録することとなる.同時に都道府県は,地方厚生局麻薬取締部を介して厚生労働省にも報告する.なお,この報告内容が警察に共有されることは原則としてない.

3.麻薬取締員による環境調査
 その後,都道府県薬務課職員である麻薬取締員(逮捕権限を有する司法警察員)は,その患者が通院・入院している病院へと出向いて患者と面会し,環境調査を行う.この環境調査は,精神保健指定医による診察(58条の6)の必要性の判断を目的としている.麻薬取締員は自治体所属の司法警察官としての権限をもっているが,環境調査は取り調べではない.あくまでも医療・保護の必要性と本人の治療意欲を評価するとともに,薬物の入手先を突き止め,密売人の捜査・摘発により本人を薬物から遠ざける,という「環境浄化」のためのものである.

4.麻薬中毒者の診察(58条の6)と入院措置(58条の8)
 環境調査の結果,都道府県知事が必要と認めた場合には,精神保健指定医による診察が行われる(58条の6,7).診察の結果,「当該受診者が麻薬中毒者であり,かつ,その者の症状,性行及び環境に照らしてその者を入院させなければその麻薬中毒のために麻薬,大麻又はあへんの施用を繰り返すおそれが著しいと認めた」ときには,厚生労働省が定める病院(「麻薬中毒者医療施設」)に措置入院させることができる.この際,精神保健指定医は,30日以内の措置入院中に,治療に必要な入院期間を,3ヵ月を限度として決定しなければならない(58条の8).治療経過のなかで入院期間の延長が必要となった場合には,各自治体の麻薬中毒審査会に申請し,全入院期間が6ヵ月を超えない範囲で毎回2ヵ月までの延長ができる(58条の9).
 なお,すでに精神保健福祉法にもとづいた入院治療中であったり,あるいは,本人の治療意欲が十分に認められ,居住環境や精神症状などの観点から通院でも治療が可能と判断されたりした場合には,ただちに後述するアフターケアが実施される.

5.麻薬中毒者相談員によるアフターケア(58条の18)
 退院後の通院期には,麻薬中毒者相談員による定期的な観察・指導が実施される.麻薬中毒者相談員は非常勤の自治体職員であり,逮捕権をもたず(非司法警察員),守秘義務を負った職種である(実際には保護司と兼任している者が多い).本人の薬物再使用に際しては,医学的治療を促す方向で援助・指導を行う.
 なお,この観察・指導は台帳収載が解除されるまで継続される.

6.観察・指導の解除
 麻薬中毒者指導員によるアフターケアのなかで,5年以上のクリーン(薬物を使わない生活)が達成され,「更生」が認められれば,薬務課から厚生労働省に対して解除申請が行われる.審査の結果,解除との決定がなされた場合には,その者の名前は自治体の麻薬中毒者台帳から削除される.

III.麻薬中毒者届出制度の問題点
 1963年に創設された麻薬中毒者届出制度は,すでに述べたように,当時の水準としては先進的な要素を含む制度であった.また,「環境浄化」のように,精神保健福祉のスキームでは実施困難な,薬物依存症に罹患する者の回復を促進する介入もあり,それこそは本制度の肯定的側面として評価することはできる.
 しかし,その後,長らく見直しや改正がなされてこなかったために,依存症の治療・回復支援に関する今日的な水準に照らしてみると,もはや非現実的な制度になってしまっている.
 この制度の問題は以下の4点に整理できる.

1.定義の曖昧さ
 前節で述べた麻薬中毒者の定義は実に曖昧である.漠然とWHOの精神障害診断分類ICD-10における「依存症(候群)」に近似した状態であろうと察することは可能だが,医学用語との乖離は看過できない水準に達している.
 なによりもまず問題とすべきは,「中毒」という用語である.中毒とは,今日,急性中毒に限定して用いられる表現であって,「麻薬に対する精神的身体的欲求を生じこれを自ら抑制することが困難な状態」には用いない.また,「精神的身体的依存」なる用語も医学用語には存在しない表現である.この表現が「精神依存かつ身体依存」なのか,「精神依存または身体依存」なのか,あるいは両者のいずれとも異なる臨床概念を意味するのかが判然としない.

2.治療アクセスの阻害
 本制度の届出は,警察通報とは異なり,患者を捜査対象として告発するものではない.しかしながら,届出後のプロセスには司法警察員である麻薬取締員が関与し,その後,その監視下に置かれるのは事実である.薬物依存症の治療経過において薬物再使用はあたりまえのこととして発生するが,監視下にあることで,通常よりも再使用時の逮捕リスクが高くなる可能性は否定できない.その意味では,ある種の感染症への罹患者を都道府県に届け出るのとは次元の異なる話といえるだろう.
 その意味では,本制度において,医療機関は不本意にも「捜査機関分室ないしは出張所」としての機能を担わされているようにみえなくもない.本制度が薬物問題に悩む者の医療アクセスを抑制し,彼らを治療や回復支援から疎外するのは当然である.

3.過剰な人権侵害の可能性
 ひとたび麻薬中毒者として自治体の麻薬中毒者台帳に名前が収載されると,その状況を解除するのは容易ではない.
 都道府県保健行政担当者に対するヒヤリングによれば,台帳に収載された多くの人が「死亡」をもって削除となっている現実があるという.というのも,単に5年以上のクリーンだけで解除がなされることはまずなく,正規雇用されて就労し,安定した社会生活が送れている必要があるからである.これでは,景気の停滞や職業スキルの不足などにより非正規雇用に甘んじるしかない者,心身の障害により生活保護受給下での療養生活を送らざるをえない者は,台帳収載解除は見込めず,生涯,観察・指導下に置かれかねない.
 本制度による観察・指導期間は,保護観察などの刑事処分,あるいは,心神喪失者等医療観察法の処遇と比べても著しく長期に及び,重大な人権侵害が生じている可能性がある.麻薬中毒者は,薬物依存症という精神保健福祉法にリストされた精神障害を抱える者でもあるはずである.権利擁護に関する考え方に精神保健福祉法との齟齬があってはならないだろう.

4.薬物乱用の実態との乖離
 本制度が麻薬中毒として当初想定していたのは,精神病を惹起する薬理作用を欠く一方で,きわめて強力な身体依存をもつヘロインの依存症に罹患する者であった.例えば,覚せい剤であれば,誘発性精神病性障害にもとづく自傷・他害のおそれが生じたのを契機に,精神保健福祉法による措置入院によって精神科治療に導入できる.
 一方,ヘロインなどのオピオイド類の場合にはそのような治療導入は困難である.その身体依存は非常に強力で,メサドンやブプレノルフィンといったオピオイド代替療法を実施できないわが国の場合,依存性薬物からの離脱には非自発的入院によって物理的に薬物から隔離しなければならない.その意味で,1960年代前半のヘロイン禍においては,麻向法の措置入院は必要なものであった.
 しかし,今日,わが国の精神科医療機関における薬物関連障害患者の多くは,麻向法の対象薬物ではない覚せい剤であり,大麻をのぞけば,麻向法対象薬物に関連する障害患者はきわめて少ない5).そして,薬物関連障害患者が措置入院となる際には,精神病症状にもとづく自傷・他害のおそれを指標とした精神保健福祉法の運用で十分対応できているというべきである.事実,1990年以降,麻向法による措置入院患者は毎年0~2名程度であり,2008年以降は現在まで0人という状況が続いている1)図1).その意味では,少なくとも現在のわが国には麻向法の措置入院は存在意義がきわめて乏しいといわざるをえない.

図1画像拡大

IV.麻薬中毒者届出制度とどのように向き合うべきか
1.「死に体」制度
 前節で挙げた本制度の問題点―特に人権侵害の問題―をみると,「これほど問題の多い制度がなぜいまだに残っているのか」と疑問に思う人もいるであろう.おそらくこれほど多くの問題を抱えながらこれまで議論の俎上に載せられずにきたのは,本制度が医療関係者に知られておらず,麻向法の措置入院件数からもわかる通り,ほとんど運用されていない制度だからである.
 最近,著者は,全国およそ1,600施設ある有床の精神科医療施設を対象として経年的に実施している,「全国の精神科医療施設における薬物関連精神疾患の実態調査」5)のなかであることを調べた.全国有床精神科医療施設で2018年9~10月に外来もしくは入院で治療を受けた全薬物関連精神疾患2,609症例中,担当医が麻薬中毒者として届出がなされていると把握している患者の数を調べた.
 その結果,6症例(0.2%)が麻薬中毒者の届出がなされていたことが判明した.全2,609症例中,潜在的な麻薬中毒者数として,麻向法規制対象薬物および大麻の依存症候群に該当する症例数も試算したところ,69例存在したことから,潜在的該当者のうち8.7%しか届け出られていない実態が推測された.この結果からわかるのは,実際の精神科医療現場では,精神科医が本制度のことを知らないか,知っていたとしても相当に消極的な運用がなされている可能性がある,ということであろう.
 それでは,薬物依存症治療を専門とする精神科医は本制度をどのように活用しているのだろうか? 著者は,2005~2006年に実施した厚生労働科学研究3)で,国内の薬物依存症治療を専門とする精神科医を対象として麻薬中毒者届出制度の運用に関するアンケート調査をしたことがある.その結果,全員が本制度を熟知していたが,運用については,「精神依存が明らかとなって依存症の診断が確定した時点で,治療的な見地から積極的に通報する」といった者も少数存在したが,大多数は,「ヘロインなどの依存性の強い薬物の乱用患者については通報して措置入院で治療を行うが,大麻やMDMAの乱用患者については,まず治療を行い,経過をみながら個別的に判断する」,さらには「実情にあっていない,基準が明確でないことからいっさい届出しない」と,届出に対して消極的もしくはきわめて慎重な態度をとっていた.
 以上から推測されるのは,次のようなことではなかろうか.すなわち,一般の精神科医の多くは本制度のことをよく知らず,よく知っている薬物依存症治療を専門とする精神科医は届出に消極的である,ということである.こうした実情を考えるとき,今日の薬物依存症対策において,本制度は実質的に「死に体」制度となっているといわざるをえない.やはりごく近い将来,今日の精神科医療,地域精神保健福祉の水準と歩調を合わせた制度へと大規模な修正が必要であろう.

2.現状における運用上の留意点
 将来的な修正が必要とはいえ,当面は,現状の制度を運用していかざるをえないのもまた事実である.その際,留意すべきなのは,監督期間の長さや司法警察員関与の可能性など,患者の人権擁護にかかわる諸問題および法令の現代における存在意義を勘案すると,麻薬中毒者の診断には慎重を期する必要がある(医師は,麻薬中毒者の届出は裁量できないが,診断に関しては医師の専権事項である).少なくとも限られた情報にもとづく単回の診察,ましてやICD-10などの操作的診断基準にもとづいて,半ば自動的に「依存症候群=麻薬中毒者」とするような診断は避けるべきである.
 麻薬中毒者の診断に際しては,まずは,薬物依存症にくわしい精神科医師に相談し,スーパーヴィジョンを受けることが望ましい.そのうえで,これまでの治療経過などを総合して判断する必要がある.いずれにしても,プライマリケアや一般救急医療の現場で即断するのは控えるべきであろう.

おわりに
 本稿では,麻薬中毒者届出制度を主題とした厚生労働科学研究班での議論を踏まえ,本制度が創設された経緯と時代背景,ならびに同制度全体の内容を概説し,その意義と問題点について検討した.その結果,麻薬中毒者に対するアフターケアのなかには,「環境浄化」のような従来の精神保健福祉的支援のスキームではなしえない回復促進要素が含まれているという意義がある一方で,患者の治療アクセスを抑制し,患者に対する過剰な人権侵害が生じている可能性があることが明らかにされた.
 以上の問題点を踏まえ,当面,麻薬中毒者の診断にあたってはきわめて慎重な検討が必要であることを指摘した.そのうえで,近い将来,同制度の見直しを行い,わが国における今日の精神科医療・地域精神保健福祉の考え方と齟齬のないものへと修正する必要があることを主張した.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

1) 厚生労働省: 麻薬中毒者及び措置入院者年次状況. (https://www.mhlw.go.jp/bunya/iyakuhin/yakubuturanyou/gyousei-gaikyo/dl/chudoku_h30-01.pdf) (参照2019-09-20)

2) 厚生労働省: 「相模原市の障害者支援施設における事件の検証及び再発防止策検討チーム」中間とりまとめ(2016年9月14日). (https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12201000-Shakaiengokyokushougaihokenfukushibu-Kikakuka/0000138402.pdf) (参照2019-09-20)

3) 松本俊彦, 今村扶美, 梅野 充ほか: 薬物関連精神障害の臨床における司法的問題に関する研究. 平成18年度厚生労働科学研究費補助金医薬品・医療機器等レギュラトリーサイエンス総合研究事業「薬物乱用・依存等の実態把握と乱用・依存者に対する対応策に関する研究(主任研究者: 和田 清)」分担報告書. p.241-273, 2007

4) 松本俊彦: 精神科救急及び急性期医療における薬物乱用および依存症診療の標準化と専門医療連携に関する研究. 厚生労働科学研究費補助金障害者政策総合研究事業(精神障害分野)精神科救急および急性期医療の質向上に関する政策研究(研究代表者: 杉山直也)平成29年度総括・分担研究報告書. p.127-144, 2018

5) 松本俊彦, 宇佐美貴士, 船田大輔ほか: 全国の精神科医療施設における薬物関連精神疾患の実態調査. 平成30年度厚生労働科学研究費補助金医薬品・医療機器等レギュラトリーサイエンス政策研究事業「薬物乱用・依存状況等のモニタリング調査と薬物依存症者・家族に対する回復支援に関する研究(研究代表者: 嶋根卓也)」総括・分担研究報告書. p.75-141, 2019

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