Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文全文

第122巻第11号

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討論
クレプトマニアの責任能力について
古茶 大樹
聖マリアンナ医科大学神経精神科
精神神経学雑誌 122: 822-831, 2020
受理日:2020年7月8日

 近年,クレプトマニアの窃盗に対する責任能力について法廷で争われることがしばしばある.原則論では,責任能力について言及するのは法律家であって精神科医ではない.しかし,精神科医による専門的意見は法律家にとって最も重要な資料であることには変わりがない.司法精神医学的見地からクレプトマニアの責任能力について考察した.最初にその概念は理念型であることを指摘し,DSM-5の診断基準に沿って典型例を描写した.次にその概念の適用範囲は医療の場では司法の場よりも広いことを指摘し,法廷では常習窃盗に対して診断基準を厳密にあてはめる必要性を説いた.そのうえでクレプトマニアについての責任能力と情状という法律問題について意見を述べた.

索引用語:クレプトマニア, 責任能力, 情状, 理念型, 司法精神医学>

はじめに
 近年,クレプトマニア(Kleptomania)の窃盗行為に対する責任能力(以下,「窃盗行為に対する」は省略し,単に責任能力と記載する)について法廷で争われることがある.ケースの本鑑定が行われることは稀だが,弁護側は意見書や私的鑑定書の形で責任能力について争う構えをみせる.これまでそのような主張はなかっただけに,その法的判断をめぐって法廷が混乱することがしばしばある.著者は東京地方検察庁の嘱託医として,それらの意見書についての見解を求められることが多い.公には精神科医はケースの責任能力については直接言及しないということになっているが,実務ではその見解を尋ねられることは少なくない.精神科医による専門的意見は,法律家にとって最も重要な資料であることには変わりがない.この機会に,クレプトマニアの責任能力について鑑定に携わる精神科医として意見を述べたい.

I.クレプトマニアの概念について
1.理念型であること
 クレプトマニアに限らず多くの精神障害の類型は,身体医学でいうところの疾患単位ではなく社会科学における理念型(ideal type)に相当する6).クレプトマニアの診断は,診断基準に記されているいくつかの特徴を満たすものを「そう呼ぶ」という約束事でしかない.診断といってもその診断に共通する身体的基盤が見つかっているわけではない(何らかの脳内メカニズムは想定されているといわれているが,もちろん診断に使える水準ではない).クレプトマニアと診断される者は実在するが,クレプトマニアという疾患の実在が証明されているわけではない.
 クレプトマニアだけでなく放火癖も含む一連の衝動制御障害は,ドイツ精神医学分類においては「疾患ではない精神障害」とみなされている(司法精神医学的枠組みについては後述).クレプトマニアや反社会性パーソナリティ障害のように犯罪行為そのものを特徴として定義された精神障害については,そういった特徴をもつ人をそれぞれの診断名で呼んでいるだけで,それらは精神病(疾患である精神障害)であるわけでは決してない.しばしば鑑定書に検討を求められる「犯罪行為に影響を与えた精神障害の有無・その程度」「犯行の機序・メカニズム」という問いは,この衝動制御障害のグループに対しては意味を失うことに注意してほしい.この問いに答えようとすると「被告人はクレプトマニアに罹患している.クレプトマニアは窃盗衝動に対する制御障害があるので犯行に大きな影響を与えた」「犯行はクレプトマニアによる衝動制御障害によるものである」というような循環論に陥ってしまう.この点は法律家にぜひとも知っておいてもらいたいことである.
 歴史的にはこの群の精神障害の責任能力判定は原則的に完全責任能力とするのが慣例であった.Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, Fifth Edition(DSM-5)(『DSM-5精神疾患の診断・統計マニュアル』)の前文には「その人の行動制御能力の低下が診断の特徴である場合ですら,診断を有すること自体が,特定の個人が特定の時点において自己の行動を制御できない(あるいはできなかった)ということを示しているわけではない.」1)と注意喚起されている.これはおそらく衝動制御障害の一群に対するものだが,クレプトマニアの診断基準を満たしているからといって,それを直ちに責任能力に結びつけることはできない.ちなみに現在の責任能力判断は,統合失調症などの「疾患である精神障害」であっても診断を直接責任能力に結びつけずに「その精神障害によって,犯行時に全自我による意思決定がどの程度,阻害されていたかを吟味しなければならない」とするのが全体的傾向となっている.クレプトマニアを含む衝動制御障害についても同様である.多くの弁護側から提出されている意見書はクレプトマニアの診断イコール限定責任能力を主張しており,この検討を欠いている.

2.DSM-5の診断基準からみた典型例
 クレプトマニアはDSM-III(1980)以来,その定義に大きな変更は加えられていない.DSM-5(2013)の診断基準2)を以下に提示する(下線は著者による).
 A.個人用に用いるためでもなく,またはその金銭的価値のためでもなく,物を盗もうとする衝動に抵抗できなくなることが繰り返される.
 B.窃盗に及ぶ直前の緊張の高まり
 C.窃盗に及ぶときの快感,満足,または解放感
 D.その盗みは,怒りまたは報復を表現するためのものではなく,妄想または幻覚への反応でもない.
 E.その盗みは,素行症,躁病エピソード,または反社会性パーソナリティ障害ではうまく説明されない.
 AからDまでの診断基準について説明を加え(E基準は除外診断),クレプトマニアの(著者の考えるところの,あるいは古典的な)典型例(prototype)を描写してみよう.その診断を下すために,鑑定の際に聞くべきポイントにも言及しておく.
 A基準は通常の窃盗(以下,クレプトマニアではなく窃盗を繰り返すものを「常習窃盗」と呼ぶことにする)との鑑別のために用意されたもので特に重要である.1つめのポイントは「物を盗もうとする衝動に抵抗できなくなることが繰り返される」ことである.注意してほしいことは物を盗みたいという欲動が繰り返し起こることではない.窃盗衝動の頻度そのものは関係がなく高くなくてもよい.繰り返されるのは抵抗することの失敗である.これを確認するためには「盗まないために,あるいは万引きを実行に移さないためにどのような工夫やどれだけの努力をしていたか(抵抗していたか)」ということを質問しなければならない.衝動とあるようにそれは突然湧いてくる類のものである.そして,本人はその行為が悪いことであることも,自分にとって何の益もない無意味(senseless)なことであることもよく理解している.逮捕されることで社会的地位を失うことも身をもって体験している.だからこそ,その衝動に対して理性が抵抗しようとするのである.そのような理性による抵抗の試みの延長線上にあるものが,日常生活上の用心である.衝動が湧いていないときから,衝動に襲われても実行に移さないように,あるいは衝動が起きないようにするための工夫や用心をしている.例えば外出に際して一人になることをできるだけ避ける,袋やカバンをもたない,物を隠すことのできないような服装にするなどである.それでもその衝動に抗することができずに盗んでしまう.それがA基準である.典型例では窃盗について事前の準備をしていないので犯行が発覚してしまうことが少なくない.窃盗行為の最中は周囲(逮捕される可能性)への注意も十分ではない.著者がかつてクレプトマニアと診断したケースでは,窃盗衝動の頻度はわずか(年に数回)だったが,それに抗しきれずに行為に至りそのほとんどが発覚し逮捕されていた.もしクレプトマニアの「重症度」を考えるなら,窃盗の成功率がその指標となるかもしれない.どうやってそれを評価するのか,何を比較対象とするのかという問題はあるが,成功率は「重症度」に反比例するだろう.窃盗が成功するためには,適切な状況判断と欲動のコントロールが必要になる(高すぎる成功率は,そもそもクレプトマニアでは考えにくい).2つめのポイントは「盗まれた物は個人的使用や金銭的価値のためではない」ことである.クレプトマニアでは盗むという行為そのものに快感が生ずるのであるから,盗まれた物には無関心なのが典型例である.問診では「盗む物は選んでいるか,いないのか,もし選んでいるならそれはなぜか」「盗まれた物に何か個人的な使用の目的があるのか,ないのか」「盗まれた物にどの程度の関心があるのか」を尋ねる.クレプトマニアでは盗品を使用することを目的にしていないので,盗まれた物を捨ててしまったり,そっと元の場所に戻したり,あるいはため込んだりすることもある.個人的な使用目的ではないという意味では,盗まれた物のジャンルは多岐にわたるのが典型である.盗む物は何でもよく,その物には何の関心もない.摂食障害患者(特に過食症)に窃盗行為が随伴することは少なくないが,彼らが関心を寄せる物は大抵は過食に使われる食品である.A基準ではこのようなケースを除外しているのである.しかし,この個人的使用目的の有無について実務上の判断はしばしば困難なことがある.常習窃盗犯が刑罰の回避や軽減を意図して(保身の心理から),盗まれた物に個人的使用や金銭的価値の目的がなかった,あるいは関心がなかったと強調することはありふれて経験する.そうでなくても,盗まれた物すべてが個人的使用目的ではないことを実証することは不可能だろう.一方,常習窃盗犯が盗まれた物すべてを必ず個人的に使用したり換金したりするとも思えない.なかには捨ててしまう物もあるだろう.この使用目的についての判断は,個人的使用された物を強調するのか,使用されなかった物を強調するのかでA基準を満たすかどうかの判定が違ってくる.
 B基準とC基準は分かちがたいひと続きの流れとして考えるべきもので,普通の窃盗にはみられない特異的なものとされる.そしてこれが,クレプトマニアを衝動制御障害のグループに分類する理由でもある.A基準にもあるように,日頃から本人は窃盗行為が起きないように十分に気をつけて生活をしている.ところが窃盗衝動は予想もつかず突然湧き上がってくる.それは大抵お店に一人で入るときなど,窃盗が可能な状況におかれたときがトリガーになる.本人は理性でそれを抑え込もうとするが,衝動はさらに抑えきれないほど高まる.そうなるとまさに実行しようとする窃盗衝動と実行させまいとする理性との間で力比べになる9).これが行為直前の独特な緊張感の高まりで,一刻も早く解放されたい(終わらせたい)と感ずるだろう.窃盗衝動が力比べに勝利した途端に窃盗は一気に(熟慮なく)行動に移される.そしてまさに窃盗という行為のとき(最中)に,非常に強い快感や,高まった緊張感が急速に減ずることによって生ずる安堵感(解放感)が得られるのである.緊張感から快感(解放感)への流れが1つのセットになっている.これらは犯行の直前とその最中というように時間的に密接したごく短い時間に生ずるものである.C基準にはpleasureやgratificationという表現が使われているが,その快感は例えば性欲の高まりと性行為による解放に近いものと著者は理解している.一旦窃盗行為が実行に移されれば,緊張感は直ちに解消し快感も長く持続することはない.むしろ入れ替わるように現れるのは,敗北した側の理性の心の動きである.またやってしまったという罪悪感や見つかって逮捕されるのではないかという不安である.通常の窃盗行為にみられるような,窃盗前の緊張感(見つからないことへの用心)であるとか発覚しなかったことの安堵(結果に対する安心)とはまったく別ものである.その違いを問診のなかで確認する必要がある.「犯行直前はどんな感じですか」「誰でも物を盗む前にうまくやれるだろうかと緊張するし,犯行後に発覚しなければ安心するものですが,あなたの場合はこれと似ていますか,それともまったく違うものですか」「緊張が解けるのはどの場面ですか,窃盗行為の直後ですか,それとも発覚しなかったと安心できたときですか」と尋ねてみれば常習窃盗との違いがよりはっきりするだろう.
 D基準は窃盗行為そのものが怒りや仕返しを表現するものではなく,妄想や幻覚に反応したものではないと記されている.A基準では盗まれた物そのものが目的ではないことが明記されていたわけだが,D基準は窃盗行為そのものが何かに反応して,あるいは何かを目的として生ずるものではないことを明記したものである.そのような例としては青年期の通過儀礼(度胸試し)として行われるものがあるし,誰か(例えば親)に対する仕返しや恨みの気持ちを発散させるものがある.さらには自暴自棄になって実行されるものもある.クレプトマニアはそのようなものではない.要は窃盗衝動とその行為は二次的に生ずるものではなく,一次性に発生することを規定しているものである.だからこそ,その行為は無意味なのである.窃盗行為に目的がないのか,いろいろな角度から聞いてみる必要がある.「あなたにとって窃盗行為は意味があるのか,それともないのか,もしあるとしたらそれは何か」と聞いてみる.典型例では,「わからない」あるいは「なんの意味もない」,時にはとってつけたような理由を語るかもしれない.その一方,「わからない」という応答は,常習窃盗者を含め窃盗で逮捕されたものの多くも(一部は健忘を伴って)そう語ることがある.対象者が「わからない」と答えているだけで,真の動機は不明でD基準を満たしているとはいえない.注意深く全体像をみながらこの基準を満たすかどうか判断してほしい.
 クレプトマニアの典型例は上記のようなもので極めて稀である.著者は東京地方検察庁で20年以上鑑定業務(起訴前簡易精神診断)に携わっている.鑑定例は1,000例を超えるが,これまでクレプトマニアと診断したのは数例にとどまる.これらの診断基準を完全に満たす例は極めて少ない.「厳密にあてはめたらそんな患者はほとんどいない」という医療関係者の声もよく聞く12).クレプトマニアの典型例と常習窃盗者との違いは明白であるようにみえるのだが,無数の万引き犯について上記の診断基準をあてはめてみると,完全にあてはまるものは非常に少ないものの一部だけあてはまるものはそれなりにいる.クレプトマニアと常習窃盗者との境界は必ずしも明瞭ではないという主張11)もあるが,これは概念が理念型であることを考えれば当然のことである.ある対象者がクレプトマニアであるかないかではなく,どの程度クレプトマニアの特徴を有しているのかしかいえないのである.それが正しい理解だが,そうかといってその鑑別に意義がないわけでは決してない.その鑑別がどれくらい意義があるのかは,その診断が下される状況次第である.

3.医療と司法におけるクレプトマニアの適用範囲について
 医療の現場でクレプトマニアの診断がついているものの多くは,わが国では摂食障害との合併例(食品を含む窃盗)である.それこそが中核群であるという意見12)もある.そこではA基準を厳密にあてはめようとしない.摂食障害であるので食品以外のものが含まれていれば,あるいは食べずにため込んでしまっていたりすれば,それは個人的使用目的ではないと解釈されA基準を満たしたとみなされる.さらに「物を盗もうとする衝動に抵抗できなくなることが繰り返される」ことを単に「盗みたいという欲動が繰り返し生じていること」に読み替えてしまっていることが少なくない.「本人は悩んでいて当然抵抗しようとしているはずだ」ということが前提になっていて,「抵抗することへの失敗」は繰り返し逮捕されていることや執行猶予中の犯行であるという事実が証明していると簡単に解釈されてしまう.逮捕されるかどうかの心配や執行猶予中であるという状況はA基準とは直接関係がなく,その状況におかれてどうしたのかがA基準の判断で重要になる.「どのように窃盗衝動に抵抗していたのか」がまず重要で,それにもかかわらず繰り返し失敗しているという事実があって初めてこの基準を満たす.B基準とC基準については,よくあるのは分かち難い1つの流れとしてみるのではなく,B基準は窃盗行為に随伴するごくあたり前の緊張感がそれと認識されてしまう.この緊張感は,窃盗の最中ではなく,犯行現場を相当離れたところでやっと軽減する.そしてC基準は「見つからなくてほっとした」という安心感や「やってのけた」という遂行感,あるいは「出し抜いてやった」という優越感などに置き換えられてしまう.これらは結果に対する安堵感や達成感であって,逮捕されてしまえば生ずることのないものである(窃盗の結果に依存するもので,窃盗行為そのものから生ずるものではない).クレプトマニアに特有とされる,衝動によって生じた緊張感が一気に解放される独特な快感ではない.D基準についても,摂食障害患者が繰り返す窃盗行為の個人的な意味を語ることは少なくない.多くは親に対する当て付けや困らせてやろうという意味だったり,深い自己嫌悪から生ずる自暴自棄であったりする.
 摂食障害(特に過食症)に随伴する窃盗は,かなり以前から臨床上の大きな問題であった.本来であれば,摂食障害に「窃盗を伴うもの」というような下位群や付記をつけることで整理をしてクレプトマニアと区別するのがふさわしい対応だと思うのだが,現状ではそのような扱いはない.そうなると半ば必然的に摂食障害患者にみられる繰り返される窃盗行為をクレプトマニアに近づけてみざるをえないだろう.わが国ではそこからクレプトマニアがにわかに注目されるようになったといえるかもしれない.患者は食品の万引きを繰り返し何回も逮捕される.医療現場ではそのような患者に対し診断基準を緩くあてはめ,摂食障害と「クレプトマニア」の併存症として治療をすすめている.著者は医療現場で普通に行われている,その概念の拡大に反対するものではなく,やむをえないと思っている.これ以降は拡大された「クレプトマニア」を厳密な診断と違うという意味で括弧付きで表現することにしよう.もちろんここには狭義のクレプトマニアも含まれている.
 概念を拡大しても大きな問題とならないのは理由がある.医療の場には反省することのない懲りない常習窃盗者は登場しないし,医療は刑罰を科すかどうかの判断をする場ではないからである.その概念はあくまで治療に役立てるために使われていて理念型としての重要な役割を果たしている6).依存症の専門治療機関では狭義のクレプトマニアも含まれているはずだが,そのような医療機関においても大半は「クレプトマニア」で,摂食障害患者がかなりの部分を占めるだろう.クレプトマニアの概念が実在ではなく理念型である限り,そう見立てることで患者の治療に役に立つのであれば,厳密に診断基準を満たすかどうかは些細なことといえるかもしれない.その類型が使われる状況・文脈に応じて,どの診断基準をどれくらい厳密にあてはめるかどうかが関係しているわけである.
 医療現場と違って司法の場では,この基準は厳密にあてはめなければならない.医療で使われている「クレプトマニア」をここに持ち込んではならない.なぜなら司法は治療ではなく刑罰を科すかどうかの判断をしなければならない場であるからである.そもそもクレプトマニアが歴史的に概念化されてきたのは,医療の対象ではなく司法の対象として,であった(後述の偏狂概念).1980年のDSM-III以降,この厳しい診断基準に大きな変更がないのは,この基準を少しでも緩めると,常習窃盗との鑑別・境界があいまいになってしまうからである.司法の場でクレプトマニアの鑑別という点で最も重要となる対象者は,医療の場には登場しない窃盗を常習とする懲りない犯罪者である.診断基準はその鑑別を重視して出来上がっているものである.
 摂食障害患者の窃盗の問題について司法の場ではどのように対処したらよいのか.主治医や本人の身になれば,有罪となることで社会復帰が遅れることを危惧する心情もよくわかる.有罪となれば,ただでさえ高くない本人の自己価値はさらに下がってしまう.治療によって問題が軽減する可能性に期待したい気持ちもよくわかる.司法の場で本人および関係者が「クレプトマニア」を主張することは治療的にはよく理解できるもので,とても悩ましい.著者はこれを責任能力の問題としてではなく情状の問題として理解するのが最も穏当な解決策ではないかと常々思っている.減刑は責任能力だけでなく情状から導かれることもある.クレプトマニアの責任能力については次項で詳しく述べる.

II.責任能力について
 村松・植村の『精神鑑定と裁判判断』を参照・引用する8).クレプトマニアは歴史的には偏狂(モノマニア)に含まれており,偏狂とは知能がまったく明晰である偏倚欲動を意味するものである.ここには窃盗・詐欺・放火・偽造・殺人などの偏狂が知られている.歴史的な司法の見解は以下の通りである8)(下線は著者).
 a.偏狂とは大抵,犯罪的欲求が烈しく強調されて,心の全体性によっても拘束されない程支配的になったものにすぎない.
b.このような障害がどの程度に存在し,いわゆる偏狂がどの程度抵抗不能で,どの程度全自我による意思決定を排除するかは,事実問題である.
 c.実務では偏狂による免責を差し控えているが,これは正当である.
 歴史的見解ではあるが,今日においてもこの基本方針を大きく変更すべきではないし,そうしなければならないような格別の事情もない.特に犯罪行為をその定義とする精神障害の場合はいかなる免責についても慎重にならざるをえない.今日,偏狂は衝動制御障害と呼ばれているが同じグループに病的放火(放火癖)が含まれているし,かつてはここに快楽殺人も含まれていたことは見逃せない.クレプトマニアにおいて特徴的なB基準とC基準は放火癖にも同様の記載があり,それゆえ1つの衝動制御障害(習慣および衝動の障害)としてまとめられている.そのような背景も含めて考えると「実務では偏狂による免責は差し控えていること」は著者も賛成である.立場は違うが「クレプトマニア」を主張する竹村も同じ意見である12).「クレプトマニア」は完全責任能力を原則として扱うべきで,基本的には次項のように酌量すべき情状があるのかどうかについて検討すべきだろう.
 それでもクレプトマニアについて,その診断だけでなぜ完全責任能力となるのかという批判もあるかもしれない.あえてクレプトマニアと診断されている対象者の責任能力について議論するなら,理論的には次のように考えるのが妥当だろう.クレプトマニアはパーソナリティ障害と同じく,ドイツ司法精神医学の枠組み〔四分類:疾患である精神障害(krankhaften seelischen Störungen),深刻な意識障害(tiefgreifende Bewusstsein Störungen),知的障害(Schwachsinn),重いその他の精神的偏倚(schwere andere seelische Abartigkeit)〕でいうところの「重いその他の精神的偏倚」に位置づけられる7)10).「その他の精神的偏倚」とは,疾患ではない精神障害にあたるもので,正常との間に明確な境界線を引くことのできない量的な偏りとみなされている.それゆえ責任は生ずるのである(責任能力あり).この群については「軽い」ものは論外で,「重い」ものだけが責任量の判断が必要となる.規範学的な重症度(医学的な重症度とは一致しない),すなわち課すべき責任量の判断(完全なのか限定なのか)の指針は前述した歴史的見解の下線部に示されている.これは事実問題であるからあくまで法律家が主体的に判断すべきものだが,あえて精神科医として参考意見を述べるなら,対象者が「クレプトマニア」と診断されている場合,以下の吟味が必要である.前述のように犯罪行為を定義としている精神障害であるからこそ,司法の場では相当高いハードルを設けなければならない.
 ①狭義のクレプトマニアの診断基準を異論の余地なく満たしているか
 ②日常生活においてどれくらい窃盗衝動に抵抗するための用心をしていたか
 ③窃盗の頻度と成功率はどのくらいか
 ④犯行に対する準備性・計画性・合目的的性がどの程度あるのか
 ⑤結果に対する後悔(見つからなければよかった)ではなく,行為に対する深い反省と罪悪感があるか,それが告白だけでなく行動として現れているか
 ①は対象者が医療現場で使われている緩い「クレプトマニア」ではなく狭義のクレプトマニアであることを確認している.クレプトマニアではない「クレプトマニア」は論外となる.さらにそれが「重い」ことが証明されなければならないので,以下の要件が加わる.②は日常生活で十分な用心をしている実績があるにもかかわらず逮捕されているのであれば,窃盗衝動に対する人格の制御が困難であることを示す根拠となりうる.ここでは「盗まないように注意をしていました」というような言明では不十分で,日常生活において具体的な行動様式として現れているものだけを信頼できるものとして評価する.③について具体的な数値を挙げるものではないが,成功率が高いことは日常生活でも窃盗衝動に抵抗していないことを間接的に示しているし,犯行時に周囲に十分な注意を払っていることにもなる.成功率が低ければ低いほど衝動制御の問題が大きいことを総合的に示している.窃盗行為の頻度よりも成功率が重要だが,行為の頻度が特に高ければ,そもそも抵抗していないことを疑わせる所見になるだろう.この頻度と成功率については,どこまで対象者の自己申告を信じてよいかという問題はある.④は犯行がその準備段階を含めていかに入念に行われているかどうかである.入念であればあるほど,自我による意思決定が窃盗行為に及んでいることを示している.「重い」ケースではこれを欠くべきである.⑤は窃盗衝動の力比べに負けてしまった理性の存在を評価している.非常に高い理性とさらに強い窃盗衝動という対比が際立っていればいるほど,責任量は限定されるほうに傾くだろう.これら5点をクレプトマニアの責任能力判定についてのポイントとしてみるとよいと思う.責任量を限定する場合は,これらすべてを満たしていることが必要となる.そのような例がどれくらいあるのかといわれると,著者はこれまで経験したことがない.実質的にはほとんどないというのが実感である.そう考えると,やはり「クレプトマニアについては免責しない」が原則として正しいのである.

III.情状の問題について
 これも責任能力と同様に司法に委ねられる判断だが,治療にかかわる医療サイドの意見を述べたい.それは情状の問題である.ここでは「クレプトマニア」が主役である.窃盗行為に目的があるのか否か,目的が推測される場合,それは盗まれた物に対するものなのか,それとも自らの窃盗行為に対するものなのか.これはクレプトマニアであるか否かの診断基準にもかかわるものだが,上述のようにその判断が難しく結局はどこまでその概念の範囲を拡げるのかという議論になってしまう.物品であるにせよ何らかの心理的なものであるにせよ,その目的についての個人的な意味について社会的な文脈での評価が必要である.例えば世間に対する恨みから窃盗を繰り返すことで優越感を得ているようなケースのなかに,不幸な生活史(親からの虐待),苦しい生活環境(経済的困窮や配偶者からの虐待),親しい人の裏切り,繰り返される就職の失敗などを通じて,社会に対して歪んだ見方をするようになり犯行が繰り返されていることがある.行為そのものは責められるべきだが,そのような歪んだ欲動が生ずる背景に本人を取り巻く社会の責任が問われるケースがある.
 専門医療機関で治療中のケースも酌量すべき情状に含まれるだろう.対象者の理性的な人格側面が優勢になっていること,なんとか窃盗をやめたいと努力していることが証明されることが必要である.注意してほしいのは,刑罰を回避することだけを期待して医療機関に入院してしまうケースである.行為そのものへの真の反省があるのか,それとも刑罰を回避するための意図なのかによって,その情状は違ってくる.
 摂食障害患者の大量万引き事例の多くに酌量すべき情状があるように思える.そのようなケースをあえて責任能力という文脈で争ってしまうと,この情状の問題は不問のまま予想外の重い判決が下されてしまうことになる.これも患者を支えてきた医療関係者としてはとても残念なことである.「クレプトマニア」については責任能力ではなく積極的に情状を評価すべきというのは,そのような不幸な例を少しでも減らすべきであると考えているからである.

おわりに
 今日のクレプトマニアの定義・構成概念の内包は古典的なもののままだが,その外延は明らかに拡大しつつある.この動きはクレプトマニアを巡る学問的な状況と関係がある.この分野で多くの研究論文を発表しているGrant, J. E.らは「クレプトマニア」をギャンブル障害(gambling disorder)に近づけてみようとしている.彼らの作成した自記式症状評価スケールKleptomania Symptom Assessment Scale(K-SAS)は,ギャンブル障害のそれをほぼそのまま転用したものである4).このスケールはつい最近,日本語版の妥当性・信頼性についての論文も発表された3).Grantらは,「クレプトマニア」について,その衝動的側面よりも強迫的側面を重視している5).一方,わが国の第一人者である竹村は摂食障害に随伴する窃盗行為こそが「クレプトマニア」の中核であると主張し,これを嗜癖障害とみることで治療を進めている12).強迫性障害とみるのか嗜癖障害とみるのか,どちらも「クレプトマニア」は従来考えられていたよりも身近なものである(決して稀ではない)ことを主張し,衝動制御障害の群から「クレプトマニア」を外そうとするものである.このような学問的な動きはクレプトマニア概念の内包にかかわるもので注意深く見守るしかない.クレプトマニア概念が修正されるのか,されないのかにかかわらず,それが「その他の精神的偏倚」であることには変わりはない.司法精神医学的にはその認識が最も重要である.鑑定の場では精神医学的診断だけでは決着がつかず,さらにそれが規範学的に「重いかどうか」の判断がもとめられる.ちなみに,GrantらのK-SASは,窃盗衝動の強さ,頻度,制御の程度,自覚的苦痛に焦点をあてた自記式評価で主観的なものであるため,司法精神医学的判断に使うことはできない.今後,司法の場で「重いクレプトマニア」の根拠として持ち出されることがあるかもしれないので注意する必要があるだろう.
 本論で指摘した,いくつかの見解を責任能力判定に携わる精神科医と法律家が共有することで法廷での無用な混乱を避けることができることを願う.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

1) American Psychiatric Association: Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, 5th ed(DSM-5). American Psychiatric Publishing, Arlington, p.25, 2013 (日本精神神経学会 日本語版用語監修, 髙橋三郎, 大野 裕監訳: DSM-5精神疾患の診断・統計マニュアル. 医学書院, 東京, p.25, 2014)

2) Ibid., p.478-479 (同書, p.469)

3) Asami, Y., Nomura, K., Shimada, H., et, al: Validity and reliability of the Japanese version of the kleptomania symptom assessment scale: a comparison between individuals with kleptomania and prisoners in Japan. Compr Psychiatry, 96; 152133, 2020
Medline

4) Grant, J. E., Kim, S. W.: An open-label study of naltrexone in the treatment of kleptomania. J Clin Psychiatry, 63 (4); 349-356, 2002
Medline

5) Grant, J. E., Chamberlain, S. R.: Symptom severity and its clinical correlates in kleptomania. Ann Clin Psychiatry, 30 (2); 97-101, 2018
Medline

6) 古茶大樹: 臨床精神病理学―精神医学における疾患と診断―. 日本評論社, 東京, p.35-54, 2019

7) 同書. p.173-194

8) 村松常雄, 植村秀三: いわゆる偏狂(モノマニア). 精神鑑定と裁判判断―諸鑑定例について法律家との協力検討―. 金原出版, 東京, p.39-40, 1975

9) Peters, U. H.: Kleptomanie. Lexikon, Psychiatrie, Psychotherapie, Medizinische, Psychologie, 7. Auflage. Urban & Fischer, München, p.321, 2016

10) Rasch, W., Konrad, N.: Die psychischen Merkmale. Forensische Psychiatrie. 3 überarbeitete und erweiterte Auflage. Verlag W, Kohlhammer, Stuttgart, p.69-72, 2004

11) Sarasalo, E., Bergman, B., Toth, J.: Theft behaviour and its consequences among kleptomaniacs and shoplifters: a comparative study. Forensic Sci Int, 86 (3); 193-205, 1997
Medline

12) 竹村道夫: 窃盗癖と他の嗜癖性疾患との比較. 臨床精神医学, 45 (12); 1571-1576, 2016

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