Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文全文

第121巻第11号

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特集 精神医学研究の倫理―症例報告から大規模データ研究まで―
症例報告における倫理的配慮―本人同意をめぐる議論と課題―
久住 一郎1), 栗原 千絵子2)
1)北海道大学大学院医学研究院精神医学教室
2)国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構
精神神経学雑誌 121: 843-849, 2019

 日本精神神経学会倫理委員会では,「症例報告を含む医学論文及び学会発表におけるプライバシー保護に関するガイドライン」とそのQ & Aを発出しているが,その作成過程で多くの議論がなされ,現在の形に整えられた経緯がある.本稿では,本ガイドラインの概要を提示するとともに,現在のガイドラインに至るまでの議論の過程を紹介した.作成にあたっては,症例報告に医学系指針と個人情報保護法のいずれが適用されるのかという複雑な法令解釈は確定させないまま,「患者」「当事者」である「個人」が,「どう感じるか」「どのような不利益を被りうるか」について,想像力を働かせることを最優先としたが,その過程において「患者」「当事者」「一般市民」「医療従事者」が平易な言葉で語り合って共有しうるような原則を探ることの重要性に気づかされた.本ガイドラインをまとめるにあたって,検討はしたものの十分な合意形成に至らなかった重要課題も多数残されており,これらの点は,今後も学会員,学会外部からの意見・情報を反映して,さらなる検討を深めていく必要がある.本ガイドラインは,法令・指針等の新たな解釈が示されれば,今後変更される可能性はあるが,患者・当事者の立場を最大限に尊重し,良き医師・患者関係があってこそ症例報告が成り立つという基本的な考え方は変わらないと思われる.

索引用語:症例報告, プライバシー保護, 医学系指針, 個人情報保護法, 医師・患者関係>

はじめに
 いわゆる「症例報告」は,医学論文の基本とも言うべきものであり,臨床医が初めて論文を執筆する際に必ず通る関門の1つである.しかし,2015年改正,2017年5月施行された個人情報保護法3)の観点に立つと,その扱いはけっして容易ではなく,今後十分に議論しながらコンセンサスを形成していくべき問題を多く含んでいる.学会や専門誌等への症例報告は,「研究目的ではない医療の一環とみなすことができる場合」には,「人を対象とする医学系研究に関する倫理指針」6)(以下,医学系指針)の適用対象外となっている.一方,「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱いのためのガイダンス」2)においては,「氏名,生年月日,住所,個人識別符号等を消去することで匿名化されると考えられるが,症例や事例により十分な匿名化が困難な場合は,本人の同意を得なければならない」とされている.
 日本精神神経学会倫理委員会(以下,当委員会)*1では,「倫理審査が必要な『研究として扱う症例報告』についてのガイドライン」8)を2016年3月に発出したが,医学系指針に基づく倫理審査の対象とはならない症例報告を含む,論文発表および学会発表におけるプライバシー保護に関する考え方を早急に整備する必要性に迫られ,2度の改訂を経て,2018年1月に最新版「症例報告を含む医学論文及び学会発表におけるプライバシー保護に関するガイドライン」9)を作成し,さらにその後,ガイドラインQ & A10)の発出に至った.本ガイドラインに対しては,当学会会員から多くの意見が寄せられているが,発出に至るまでに当委員会でも多くの議論の末,現在の形に整えられた経緯がある.本稿は,当委員会における本ガイドライン作成に至るまでの議論の過程をまとめたものであり,本ガイドラインの概要を紹介するとともに,今後の課題についても併せて論じた.

I.症例報告におけるプライバシー保護ガイドラインの概要
 「症例報告を含む医学論文及び学会発表におけるプライバシー保護に関するガイドライン」およびQ & Aの概要を,表1に示す.
 個人のプライバシー保護を含む倫理的配慮は,医師および医療専門職・関係者に求められる重要な責務である.医師のいわゆる守秘義務は,刑法第134条で規定されている2)(「正当な理由がないのに,その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたとき」には懲役または罰金刑が科せられる.「正当」な行為の範囲については諸説がある).一方,医学論文あるいは学会において発表される症例報告は,医学・医療の進歩に貢献し,国民の健康,福祉の向上に重要な役割を果たしてきた.
 症例報告では,特定の個人が有する疾患やその治療内容に関する情報が記載されることが多い.特に,精神科領域における症例報告では,生活史や生活環境が詳細に記載されることが必要とされ,完全に個人を特定できないようにすることによって,症例報告としての医学的価値を損ねてしまう場合もあり,固有名詞などを伏せてもなお匿名化が不十分となることが多い11).このため,ガイドラインではプライバシー保護のために行うべき具体的なリスク低減策(氏名・住所・実年齢などを記載しない,時期・場所などの記載方法,情報の内容の配慮事項など)を示したが,情報を削除しても特定しうる,特定しないことにより意義を損ねるなどの場合が考えられ,あくまでも「例示」との位置づけとした.
 その一方で,精神科領域で取り扱われる個人の情報は,「要配慮情報」のなかでも特別な配慮を要する情報である場合がある.したがって,できる限りプライバシー保護に配慮し,個人が特定されないよう留意する(プライバシー保護の責務)とともに,個人が特定される可能性を完全に排除できない場合には,十分な説明をし,理解を得たうえで,同意を得る必要がある(説明と同意).
 説明と同意に関しては,症例報告を行う場合に原則として,症例報告の対象となる個人に対し,症例報告の目的・意義,発表する内容とその方法を,本人が理解できるように十分に説明したうえで,同意を得なければならない.この場合に,同意しないことにより不利益を受けないこと,同意撤回の自由についても説明する必要がある.なお,未成年者,成年被後見人,被保佐人および被補助人が,個人情報の取り扱いに関して同意したことによって生じる結果について判断できる能力を有していないなどの場合は,親権者や法定代理人等から同意を得る必要がある.ただし,表1に「例外」として示したような場合には,本人または代理人の同意を得ることなく発表することが可能な場合がある.

表1画像拡大

II.症例報告におけるプライバシー保護ガイドライン作成過程における議論
 プライバシー保護ガイドライン作成にあたり,当委員会で最も議論が難航したのは,症例報告は,医学系指針,個人情報保護法のいずれが適用されるのか,個人情報保護法の例外規定に該当しうるのか,という論点である.医学系指針は,上述のように,「研究目的ではない医療の一環とみなすことができる場合」には,症例報告を適用対象外であるとしている.これ以前の「臨床研究に関する倫理指針」Q & A5)では,症例数の多寡,解析等の処理内容,公表の場(施設内か学会等報告か),公表対象(患者・医療関係者等内部に限定されるか,一般国民等に公表されるか)といった判断基準が示されており,学会発表は指針適用対象寄りに解釈しうるものであったが,医学系指針ガイダンス4)によって,学会発表を行うことのみをもって適用対象とはしないという考え方が一般的となってきた.医学系指針の適用対象とならないのであれば,個人情報保護法3)の第4章の規定が同法第76条により適用除外となる「学術研究機関における学術研究」の定義からはずれてしまうのではないか,という論点が喚起される.当委員会では,法令解釈については確定させないまま,上述のような精神科領域における症例報告の特殊性を鑑み,また,厚生労働省による「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱いのためのガイダンス」2)に従って,症例報告を行うにあたっては原則として同意を必要とする,という考え方を基軸とし,例外として明記できるのは個人情報保護法3)において例外と規定されている場合に限られるであろう,という立場に立ってガイドラインを作成した.
 この過程において,一般社団法人日本医学会連合「各学会活動における個人情報の取り扱いと配慮について」7)が2017年10月に発表された.ここでは,専門医試験等における症例情報や病歴情報の登録を具体例として挙げて,「学術研究の用に供する場合」には,個人情報保護法の第三者提供制限を含む第4章の規定の第76条による適用除外を受けることを,個人情報保護委員会事務局と確認した,と明記している.この文書を受けて,各学会は多様な見解表明を行ったが,当委員会としては,これをもって学会活動として行う症例報告はすべて個人情報保護法第4章の規定の第76条による適用除外を受けるという解釈を明示すべきではないと判断した.その理由を表2にまとめた.
 こうした複雑な法令解釈について検討する経緯のなかで,当委員会としては,報告される対象となる個人の立場を最優先してガイドラインを最終化することに合意した.当委員会は,精神科医,他領域の医師,患者の立場,一般市民の立場,人文社会科学専門家,学会内部,外部,といった多様な視点をもつが,「患者」「当事者」である「個人」が,「どう感じるか」「どのような不利益を被りうるか」について,想像力を働かせることを最優先した.また,この経緯においては,医師・患者関係において,症例報告の重要性を説明し,同意を得ることのできる関係を構築することの重要性も合意された.そのような観点から,症例報告における説明と同意のため,一部の委員の施設で使用されている文書について再検討し,雛形としての文書例をホームページに公表している10)
 このように,複雑な法令解釈をめぐる議論を経て,逆に,「患者」「当事者」「一般市民」「医療従事者」が平易な言葉で語り合って共有しうるような原則を探ることの重要性を気づかされるという経緯があった.当委員会の立場は,本来は個人情報保護法が依拠すべき憲法第13条に示される個人の尊重より導かれる個人のプライバシー権や人格権よりも,医師の裁量権,憲法第23条に規定される「学問の自由」に重きがおかれがちな日本の医療関係者・学術研究機関におけるバランスのとり方の,大多数を代表するものではない可能性はある.また,個人情報保護法の適用除外規定の範囲に対する正しい解釈として示すものでもない.法令の示す適用除外規定をそのまま取り入れた学会ガイドラインを,今後どのように運用するかは,実際の症例報告が提出された際に,その評価の責任を担う者が,症例報告対象者の権利と,学問の自由および学術の発展もしくは公衆衛生などとの間のバランスをどのようにはかって,個々の事例に対する判断を示すか,その蓄積に委ねられることになる.

表2画像拡大

III.本人同意をめぐる今後の課題
 2018年のプライバシー保護ガイドライン9)およびそのQ & A10)の公表後,会員から,また時には会員外からも,多くの質問が寄せられ,また本学会誌上の論争も喚起されている1)11).学会の場において,さまざまな立場の主張が表明され,学術的文脈による報告が行われることは,学会がその重要な機能を果たしていることを意味し,当委員会の見解に対する反論も含めて,多くの意見交換がなされることが望まれる.
 今回,プライバシー保護ガイドライン9)およびQ & A10)の記述をまとめる際に,検討したものの課題として残された重要事項として,少なくとも,表3に示す事項が挙げられる.これらの事項については,学会員,また学会外部からの意見・情報を反映し,さらに検討を深めていきたい.また,Q & Aの冒頭に記載されているとおり,ガイドラインやQ & Aの内容は,法令・指針等の新たな解釈が示されれば,今後変更される可能性がある.しかしながら,本ガイドラインおよびQ & Aを作成する過程で,当委員会が合意した,患者・当事者の立場を最大限に尊重し,良き医師・患者関係があってこそ症例報告が成り立つという基本的な考え方は変わらないであろう.

表3画像拡大

おわりに
 改正個人情報保護法3)が学術研究や症例報告のあり方に及ぼした影響は大きい.長らく「聖域」とみなされてきた「学問の自由」についても再考する機会を与えられたことになったが,学会員の多数を占める医療者・研究者は,自戒も含めて,これまでこの問題にあまりにもルーズであったのではないかという自省に立ち帰る必要がある.
 世界医師会による「ヘルシンキ宣言」第8条(2013年改訂版)12)に述べられているように,「医学研究の主な目的は新しい知識を得ることであるが,この目標は個々の被験者の権利および利益に優先することがあってはならない」のであり,研究遂行と患者の利益・権利が解決しがたく相反したときには医学研究が引かざるを得ない11).この考え方は,症例報告においても共通すると考える.ガイドラインによって症例報告が行われにくくなり,学問の発展が停滞することを危惧する声もあるが,逆に,医療者・研究者と当事者・家族との真の協力関係を基盤にした研究活動が盛んになることで,精神障害の解明と新たな治療法の開発が進展し,社会一般からの理解が深まっていくことを期待したい.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

1) 小林聡幸: 症例報告への患者同意必須化は臨床・研究を貧困化する. 精神経誌, 120 (9); 752-756, 2018

2) 個人情報保護委員会, 厚生労働省: 医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱いのためのガイダンス. 平成29年4月14日 (https://www.ppc.go.jp/files/pdf/iryoukaigo_guidance.pdf) (参照2018-10-25)

3) 個人情報保護委員会: 個人情報の保護に関する法律 (平成15年法律第57号). 平成29年5月30日 (https://www.ppc.go.jp/files/pdf/290530_personal_law.pdf) (参照2018-10-25)

4) 厚生労働省: 人を対象とする医学系研究に関する倫理指針ガイダンス. 平成29年5月29日一部改訂 (https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10600000-Daijinkanboukouseikagakuka/0000166072.pdf) (参照2018-10-25)

5) 厚生労働省医政局研究開発振興課長: 臨床研究に関する倫理指針質疑応答集 (Q & A) の改正について. 医政研発第0612001号. 平成21年6月12日 (https://www.mhlw.go.jp/general/seido/kousei/i-kenkyu/rinsyo/dl/gigisyoukai.pdf) (参照2018-10-25)

6) 文部科学省, 厚生労働省: 人を対象とする医学系研究に関する倫理指針. 平成29年2月28日一部改正 (https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10600000-Daijinkanboukouseikagakuka/0000153339.pdf) (参照2018-10-25)

7) 日本医学会連合: 各学会活動における個人情報の取り扱いと配慮について. 2017年10月25日 (https://www.jmsf.or.jp/files/privacy01.pdf) (参照2018-12-19)

8) 日本精神神経学会: 倫理審査が必要な『研究として扱う症例報告』についてのガイドライン. 平成28年3月19日 (https://www.jspn.or.jp/uploads/uploads/files/activity/rinri_casereport_guideline.pdf) (参照2018-10-25)

9) 日本精神神経学会: 症例報告を含む医学論文及び学会発表におけるプライバシー保護に関するガイドライン. 平成30年1月20日 (https://www.jspn.or.jp/uploads/uploads/files/activity/patient_privacy_considerations_guideline20180120.pdf) (参照2018-10-25)

10) 日本精神神経学会: 症例報告を含む医学論文及び学会発表におけるプライバシー保護に関するガイドラインQ & A (https://www.jspn.or.jp/uploads/uploads/files/activity/rinri_faq20180615.pdf) (参照2018-10-25)

11) 大森哲郎: 症例報告における本人同意原則化の必要性―投稿規定改訂 (2018年4月) に添えて―. 精神経誌, 120 (9); 757-758, 2018

12) 世界医師会 (日本医師会訳): ヘルシンキ宣言―人間を対象とする医学研究の倫理的原則―(2013年World Medical Associationフォルタレザ総会で修正) (http://med.or.jp/wma/helsinki.html) (参照2018-12-19)

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