Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文全文

第120巻第9号

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特集 精神医学の哲学(Philosophy of Psychiatry)―新しい潮流―
バイオサイコソーシャルモデルと精神医学の統合
鈴木 貴之
東京大学大学院総合文化研究科
精神神経学雑誌 120: 759-765, 2018

 Engel, G. L. のバイオサイコソーシャル(BPS)モデルは,精神医学における多様な理論や方法の共存を可能にするものとして,広く受け入れられている.近年,Ghaemi, S. N. は,このモデルは折衷主義だと批判している.彼によれば,このモデルは,BPSの三要因をつねに考慮に入れるように命じるだけで,具体的な治療の方針を与えてくれないのである.これに代わって,Ghaemiは,何らかの原則に基づいて精神疾患ごとに異なる方法を使い分けるという多元主義を提唱する.心と脳の関係を,コンピュータのソフトウェアとハードウェアの関係と類比的に理解できるとすれば,多元主義は説得的な立場であるように思われる.しかしGhaemiは,精神医学には説明と了解という本質的に異なる二種類の方法があるということも強調する.これを認めれば,コンピュータとの類比を成り立たせることは困難になる.精神医学の多元性と統一性の調停は,依然として困難な課題なのである.

索引用語:バイオサイコソーシャルモデル, ジョージ・エンゲル, ナシア・ガミー, 多元主義>

はじめに
 19世紀にKraepelin, E. らによって創始された現代精神医学は,当初,脳の器質的異常から精神疾患を理解しようという生物学的アプローチを採用していた.20世紀になり精神分析が台頭すると,これに代わって心理学的なアプローチが主流となった.20世紀後半になり,統合失調症やうつ病などの薬物療法が可能になると,生物学的アプローチが再び勢いを取り戻したが,心理学的なアプローチも認知療法などに受け継がれることになった.
 このような歴史的経緯の結果,現代の精神医学にはさまざまな理論や方法が併存している.この現状を理論面で支えているのが,Engel, G. L. が提唱したバイオサイコソーシャル(biopsychosocial:BPS)モデルである.Ghaemi. S. N. は,近年出版された2冊の著書6)7)において,BPSモデルに対する批判を展開している.本論文の目的は,Ghaemiによる批判の検討を通じて,BPSモデルとはいかなるものであり,そこにはどのような問題があるのか,そしてBPSモデルにはどのような代替案があるのかを明らかにすることである.

I.EngelのBPSモデル
 BPSモデルを提唱した論文において,Engelは,「すべての医学が危機的状況にある」3)(p.129)と指摘する.彼によれば,「医学の危機は,『疾患』は身体的パラメータで定義されるのだから,医師は医学の責任や権威の外に位置する心理社会的問題にかかわる必要はない」(Ibid., p.129)という考えに起因する.そしてEngelは,「医学モデルは患者,患者の生きる社会的文脈,疾患のもたらす害悪に対処するために社会が作り出したシステム,すなわち医師とヘルスケアシステムを考慮に入れる必要がある.これにはバイオサイコソーシャルモデルが必要である」(Ibid., p.132)と主張する*1
 さらにEngelは,BPS三要因の関係を理解するためには,Von Bertalanffy, L. らの一般システム理論が重要な役割を果たすと主張する.「システム理論は,組織のすべてのレベルは階層的な関係のなかで相互に結びついており,あるレベルにおける変化は他のレベルにおける変化に影響を与えると考える.それゆえ,この理論を科学的アプローチとして採用することで,全体論―還元主義という二分法から逃れ,科学の専門領域間のコミュニケーションを改善することができるだろう」(Ibid., p.134)というのである.
 このように,医学においてはBPS三要因すべてを考慮すべきだということ,そして三要因の関係を理解するためには新たな理論的枠組が必要だということが,Engelの主張である.
 Engel自身は内科医であり,彼自身がBPSモデルを提唱した目的は,内科診療における心身医学やコンサルテーション・リエゾン精神医学の重要性を強調することにあった*2.とはいえ,BPSモデルは,精神医学のあるべき姿を示したものとして理解することも可能である.第一に,家族の死による悲しみや過酷な職場環境がうつ病の発症を引き起こすという例を考えれば明らかなように,多くの精神疾患には心理的要因や社会的要因が関係している.第二に,うつ病治療には,抗うつ薬の投与だけでなく,認知療法や職場環境の改善も有効であるということからわかるように,精神疾患の治療においても,生物学的アプローチに加えて,心理学的アプローチや社会的アプローチが有効である.精神医学においては,BPSモデルは,生物学的なアプローチと心理学的なアプローチの共存を可能にする考え方として,教育や臨床の場を中心として,広く受け入れられていったのである*3
 このように,一見したところ,BPSモデルの主張はもっともらしいものにみえる.そこにはどのような問題があるのだろうか.Ghaemiの批判に目を向けてみよう.

II.GhaemiによるBPSモデル批判と多元主義の提唱
 Ghaemiは,『現代精神医学原論』6)において,精神医学のさまざまなアプローチを4つの立場に分類している*4
 第一のアプローチは教条主義(dogmatism)で,BPSいずれかの要因によってすべての精神疾患が理解可能だという立場である.すべての精神疾患は脳の機能不全として理解可能であると考える生物学的な立場と,すべての精神疾患を無意識の欲求などによって理解しようとする精神分析の立場は,いずれも教条主義に分類される.Ghaemiは,これらの立場はそれぞれのアプローチの限界を無視しているとして,教条主義を退けている.
 BPSモデルは,第二のアプローチである折衷主義(ecleticism)に分類される.折衷主義は,精神疾患を理解するうえでBPSの三要因すべての関与を認める.前節で見たように,これは一見したところもっともらしい主張である.しかし,Ghaemiは,このような立場は精神医学に関係する要因をリストアップしているにすぎず,「それぞれに異なる状況でのそれぞれに異なる精神医学的病態において,それら3つの側面をどのように理解すべきかという点については,何も言ってはくれない」(Ibid., p.12)と批判する*5
 Ghaemiによれば,臨床の場面においては,折衷主義はつぎのような態度をもたらすことになる.

 すべてのことが生物学的であり心理社会的でもあるのだから,すべての人が薬物療法と精神療法を受けることになる.しかし,薬物療法がうまくいったりいかなかったりするのはどういうときなのかそしてなぜなのか,精神療法が効果的であったりなかったりするのはどういうときなのかそしてなぜなのか,あるいは,両者を組み合わせるとうまくいく(あるいはうまくいかない)のはどういうときなのか,といったことを特定しようという努力はほとんどなされない.(Ibid., p.114)

 精神医学におけるBPSモデルは,どの精神疾患(あるいはどの症例)においてBPSのいずれが重要であるかについての原則を一切欠いており,それゆえ,具体的な治療の方針を与えてくれないのである.Ghaemiは,BPSモデルのこのような姿勢を,「それは見かけ上寛容であるが,要するに心の無秩序状態(アナーキズム)にほかならない」7)(p.39)と批判している*6

 このように,Ghaemiは教条主義と折衷主義をともに退ける.これらに代わって彼が提唱するのは,多元主義(pluralism)と呼ばれる立場である.多元主義もまた,精神医学にBPSの三要因が関与することを認める.しかし,Ghaemiによれば,多元主義と折衷主義には重要な違いがある.「どの単一の方法もそれで十分ということはない.どの方法も皆部分的で限界がある.そして,それらは別々に,それぞれ純粋に用いなければならない―この点が,多元主義と折衷主義の相違点である」6)(p.20)とGhaemiは述べる.折衷主義があらゆる精神疾患において無原則にBPSすべてを考慮に入れるよう命じるのに対して,多元主義は精神疾患ごとに(あるいは症例ごとに)考慮に入れる要因を使い分けるよう命じるのである.
 Ghaemiによれば,多元主義のこのような態度は,Jaspers, K. の「方法論的自覚」という考え方に由来する.

 それぞれの方法は,長所と強みがあり,他の方法よりも,特定の諸側面を効果的かつ正確に捉えることができる.一方でそれぞれの方法には短所,弱点があり,特定の諸側面については見落としてしまう.(中略)「方法論的自覚」とは,それぞれの方法の長所と限界を認識し,特定の状況(疾患,診断,病態)に対してもっとも適したものを適用するところにある.このことが,精神医学における科学的方法の理論に対するヤスパースのもっとも重要な貢献であろう.(Ibid., p.109)

 無原則な折衷主義に対して,原則に応じて方法を使い分ける多元主義は,方法論として優れている,というのがGhaemiの主張である.これは直観的にもある程度説得的な主張だが,多元主義により積極的な正当化を与えることは可能だろうか.

III.多元主義の正当化
 BPSモデルの妥当性を論じる文脈で,何人かの論者はコンピュータとの類比に訴えている9)10).多元主義について考えるうえでも,この類比が手がかりとなるように思われる.
 デジタルコンピュータは,真空管やトランジスタなど,さまざまな材料によって作ることができる.材料が何であれ,しかるべき仕方で各部品が関係づけられ,しかるべき仕方で動作するならば,それはデジタルコンピュータだと言うことができる.このとき,あるコンピュータは,真空管やトランジスタといったハードウェアのレベルで記述することも,ハードウェアの違いを捨象したソフトウェアのレベルで記述することも可能である.前者のレベルでは,コンピュータは物理的な語彙を用いて記述されるが,後者のレベルでは,より抽象的な計算論的な語彙を用いて記述されることになる*7
 コンピュータが故障した場合にも,レベルの違いは重要な意味をもつ.プログラムのバグが原因でコンピュータが正常に動作しないときには,ハードウェアのレベルでは,コンピュータは正常に作動している.異常を特定し,それに対処するには,ソフトウェアレベルに注目する必要がある.これに対して,例えばハードディスクが物理的に破損した場合には,ハードウェアレベルで異常を特定し,それに対処する必要がある.故障のタイプに応じて,異なるアプローチが必要となるのである.
 人間の心が脳を基盤としたシステムであるということを考えれば,精神医学についても類比的に考えることができるように思われる.例えば,認知療法が有効なある種の精神疾患においては,脳の生物学的なメカニズムそのものに大きな異常はなく,心理学的なメカニズムのみに異常が生じているのかもしれない.それに対して,認知療法は有効ではないが薬理学的治療が有効な別種の精神疾患においては,脳の生物学的なメカニズム自体に異常が生じているのかもしれない.人間の心にも複数のレベルで異常が生じる可能性があり,それに応じて異なる対処法が必要なのである.このように考えれば,精神医学における多元主義は説得的な立場であるように思われる.
 さらに,この類比からはいくつかのことが帰結する.第一に,統一理論が存在しないことが,精神医学の特徴としてしばしば指摘される2).しかし,これは,精神医学の未熟さや不整合性を示すものではなく,精神疾患の原因が多様であることからの当然の帰結だと考えることができるかもしれない9)
 第二に,このような見方によれば,Engelの第二の主張,すなわちレベル間の相互作用を認めることは困難になる.ソフトウェアレベルとハードウェアレベルは,1つのコンピュータの異なるレベルにおける記述であり,因果関係はそれぞれのレベルで完結している.BPS三要因の関係も同様だとすれば,心理学レベルの現象が生物学レベルの現象を引き起こすというような因果関係は,文字通りには認められないことになるのである*8
 他方,このような類比に訴えて多元主義を擁護するためには,さらに説明すべき課題もある.第一に,多元主義が折衷主義と一線を画した立場となるためには,何らかの原則に基づいて方法を使い分けることが不可欠である.しかし,この原則がどのようなものであり,具体的にどの精神疾患にどの方法が用いられるべきであるのかは明らかでない.多元主義者は,これらに関して具体的な提案を示す必要がある.第二に,精神疾患のなかには,うつ病のように,複数の治療法が有効なものがある.なぜこのようなことがありうるのかについて,多元主義の立場から説明を与えることも,重要な課題である*9

IV.BPSモデルと説明/了解
 このように,精神医学のあるべき姿を描いたものとして,Ghaemiの多元主義は折衷主義よりも説得的な立場であるように思われる.しかし,Ghaemiの多元主義には,もう1つ重要な主張が含まれており,それが問題をもたらすように思われる.
 ふたたびJaspersに依拠して,Ghaemiは,精神医学には説明(Erklären,explanation)と了解(Verstehen,understanding)という2つの異なる方法が存在するということを強調する.

 心の病気の分類をまとめあげる一つのやり方は,これら三つのカテゴリーを二つにまとめる方法かもしれない.すなわち,生物学的な病気(既知の身体的なもの,あるいは身体的な基礎が疑われるもの)と,(極端なパーソナリティによるものであれ,単に極端なライフ・イヴェントによるものであれ,それらの組み合わせであれ)人生における問題との二つである.ヤスパースのメソード・ベイスド・アプローチを用いるならば,第一のタイプの病気は,Erklärenによって最良の分析がなされ,身体的手段(薬物)によって最良の治療がなされる.第二のタイプの病気は,Verstehenによって,最良に理解され,(宗教的,霊魂的,あるいはそれ以外の精神的手段によって)医学の分野の外部で,あるいは精神療法によって,最良の治療が与えられる.7)(p.324-325)

 説明と了解の区別は,自然現象と人間行動には根本的に異なる説明原理が必要であるということを示すものとして,19世紀以来一般的なものである.説明とは自然科学的な説明様式で,三人称的な観点から因果法則によって現象を説明する方法である.了解とは人文科学的・社会科学的な説明形式で,一人称的な観点から意味理解に基づいて現象を説明する方法である.Ghaemiは,精神医学はこの2つの方法を必要に応じて使い分ける必要があると主張しているのである.
 ここで問題となるのは,BPSという区別と,説明と了解という区別はどのような関係にあるのか,ということである.1つの解釈は,生物学的なレベルが説明に相当し,心理学的なレベルと社会的なレベルが了解に相当する,というものだろう.上の引用も,このような見方を示唆しているように思われる.しかし,BPSの関係をこのようなものと考えるならば,コンピュータとの類比は成り立たないことになる.コンピュータの事例において問題になっているのは,ここでいう説明における2つの階層の関係であるのに対して,説明の対象となる領域と了解の対象となる領域は,異なる原理に基づくまったく異質な2つの領域だからである.コンピュータとの類比に訴えるならば,コンピュータがある意味では真空管やトランジスタといった物質にほかならないといえるのと同じ意味で,心は脳にほかならないということができる.しかし,説明と了解の異質性を強調すれば,コンピュータとの類比はもはや成り立たず,古典的な心身二元論に立ち返ることになってしまうのである.
 さらに,このように説明と了解の異質性を強調すれば,精神医学はいかなる意味で統一性をもつのかが明らかでなくなってしまう,ということも問題となる.コンピュータとの類比によれば,生物学的なアプローチと心理学的なアプローチは,同じ現象を異なるレベルあるいは異なる抽象化において捉えるものだと考えることができた.これに対して,説明と了解という対比のもとでは,説明が適用される領域と了解が適用される領域には,人間に関する事柄であるという以上の共通性は見出せなくなってしまうのである.
 このように,Ghaemiの多元主義には,穏健な主張と大胆な主張の両者が含まれている.そして,両者のあいだには緊張関係が存在するように思われるのである.

おわりに
 以上の検討からは,何が明らかになっただろうか.第一に,精神医学においてBPSの三要因がすべて重要な役割を果たすということは,間違いないように思われる.第二に,三要因の関係が厳密にいってどのようなものかということは,それほど明らかではない.第三に,それゆえ,精神医学がいかなる意味で統一性をもつのかということも,明らかではない.いかにして精神医学の多元性と統一性を調停できるかという問題は,精神医学にとっていまなお重要な理論的課題なのである.

 本論文は科学研究費補助金(16K13152)による研究成果の一部である.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

1) Brown, T. M.: George Engel and Rochester's biopsychosocial tradition: historical and developmental perspectives. The Biopsychosocial Approach: Past, Present, Future (ed by Frankel, R., Quill, T., et al.). University of Rochester Press, Rochester, p.199-219, 2003

2) Cooper, R.: Psychiatry and Philosophy of Science. Acumen Publishing, Stocksfield, 2007

3) Engel, G. L.: The need for a new medical model: a challenge for biomedicine. Science, 196 (4286); 129-136, 1977
Medline

4) Engel, G. L.: The clinical application of the biopsychosocial model. Am J Psychiatry, 137 (5); 535-544, 1980
Medline

5) Frankel, R. M., Quill, T. E., McDaniel, S. H.: The future of the biopsychosocial approach. The Biopsychosocial Approach: Past, Present, Future (ed by Frankel, R., Quill, T., et al.). University of Rochester Press, Rochester, p.255-267, 2003

6) Ghaemi, S. N.: The Concepts of Psychiatry: A Pluralistic Approach to the Mind and Mental Illness. Johns Hopkins University Press, Baltimore, 2007 (村井俊哉訳: 現代精神医学原論. みすず書房, 東京, 2009)

7) Ghaemi, S. N.: The Rise and Fall of the Biopsychosocial Model: Reconciling Art and Science in Psychiatry. Johns Hopkins University Press, Baltimore, 2010 (山岸 洋, 和田 央, 村井俊哉訳: 現代精神医学のゆくえ―バイオサイコソーシャル折衷主義からの脱却―. みすず書房, 東京, 2012)

8) Kendler, K. S.: A psychiatric dialogue on the mind-body problem. Am J Psychiatry, 158 (7); 989-1000, 2001
Medline

9) Malmgren, H.: The theoretical basis of the biopsychosocial model. Biopsychosocial Medicine: An Integrated Approach to Understanding Illness (ed by White, P.). Oxford University Press, Oxford, p.21-38, 2005

10) McHugh, P. R., Slavney, P. R.: The Perspectives of Psychiatry, 2nd ed. Johns Hopkins University Press, Baltimore, 1998

11) McLaren, N.: A critical review of the biopsychosocial model. Aust N Z J Psychiatry, 32; 86-92, 1998
Medline

注釈

*1 何人かの論者が指摘しているように5)11),BPSモデルは自然科学におけるいわゆるモデルというよりは,医学あるいは精神医学に関するより一般的な見方である.その意味では,BPSモデルという名称はややミスリーディングであり,BPSアプローチのような名称がより適切だと考えられるが,以下ではEngelの用語法に従ってBPSモデルという語を用いる.

*2 実際,Engelが論文4)でくわしく検討している症例は,冠動脈閉塞による心筋梗塞である.彼がBPSモデルを提唱するに至った経緯については,Brown, T. M.1)がくわしく論じている.

*3 「ここで提案されたバイオサイコソーシャルモデルは,研究の青写真,教育の枠組,現実世界のヘルスケアにおける行動計画を提供する」3)(p.135)というEngelの言葉からもわかるように,BPSモデルは,教育および臨床における方針であると同時に,理論的研究に関する主張でもあるという点に注意が必要である.

*4 Ghaemiの分類には,本文で言及した3つの立場に加えて,すべての心的過程は脳過程の産物であるという前提に立ち,すべての精神疾患は神経の変容として理解可能であると考える統合主義(integrationism)がある.Ghaemiによれば,生物学的な教条主義が還元主義的であるのに対して統合主義は非還元主義的であるという点で両者は異なり,統合主義は多元主義と両立可能である.

*5 以下,Ghaemiの著作の引用は邦訳に依拠し,邦訳の頁数を示す.

*6 McHugh, P. R. とSlavney, P. R. も,「[BPSアプローチ]は材料を明らかにするが,精神障害を説明する際にこれらの材料をどのように用いるかを特定するレシピを与えてくれない」10)(p.288)と批判している.

*7 正確に言えば,ソフトウェアレベルとハードウェアレベルの違いとは,マクロなレベルとミクロなレベルのスケールの違いではなく,ある因果的機能とそれを実現するものの違いである.

*8 実際には,「家族の死による悲しみが神経伝達物質のバランスの変化を引き起こした」というように,異なるレベル間に因果関係が成立するかのような語り方がしばしばなされる.レベル間の相互作用を認めない立場では,このような語り方は,不正確あるいは省略的な語り方として分析されることになる8)

*9 1つの説明は,ソフトウェアのバグで計算に時間がかかる場合に,ソフトウェアを修正することだけでなく,CPUの性能を上げることでも問題を解決することが可能であるように,本質的なレベルにおける介入とは別の方法によっても問題が解決可能な場合があるというものだろう.

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