著者は,学生実習で統合失調症患者に出会い,また,放射線医学総合研究所(千葉市)で脳画像研究に触れ,「21世紀は医学も医療も精神科の時代」と考えて1984年に精神科医になりました.1985年から放射線医学総合研究所の研究生となり,PETによる脳内神経伝達に関する研究を開始しました.その頃,「宇都宮病院事件」をきっかけに『精神衛生法』が『精神保健法』に改正(1987年)され,その前年に国立精神・神経センター精神保健研究所(市川市)が編成されました.著者はそこで放射線医学総合研究所と併任しながら覚せい剤精神病を中心に研究を行いました.その後,勤めた浜松医科大学でも研究の一部を継続させていただき,2000年に千葉大学医学部精神医学講座に移りました.教室は1960年代の医局闘争の影響で研究体制が脆弱だったため,臨床に直結した認知行動療法の導入や,治療ガイドラインの作成,精神疾患の血中バイオマーカー研究を進めました.この頃,『少年法』の改正や『医療観察法』の施行があり,千葉大学にこどものこころ診療部と社会精神保健教育研究センターが設置されました.2008年に千葉県東総地区が精神医療崩壊に陥り,診療所設置や地域移行の促進,通信技術を用いた再発予防研究を行いました.2009年に本邦でクロザピンが漸く上市され,千葉県での普及をめざした医療連携を組織し,国の難治性精神疾患地域連携体制整備事業のモデルとなりました.2010年には社会保障審議会に参加する機会を得ました.精神病院の長期入院が解消されないなか,治療抵抗性統合失調症研究に重点を移し,ドパミン過感受性精神病などの研究を推進し,啓発活動も行ってきました.東日本大震災や新型コロナウイルス感染症の流行で災害精神医学,東京オリンピックではアスリートの精神保健が注目され,それらにも対応しています.精神医療は社会の変化に大きな影響を受け,精神科医は対応に迫られます.一方で,精神医学の発展には継続的な研究も必要でしょう.幸いにも「目の前の患者さんに最善の医療を提供し,将来さらに良い医療が提供できるように努力する」という理念のもと,社会の変化に対応しながら,精神疾患に関する臨床や研究,教育,精神医療体制の構築を行う機会を得ました.
第119回日本精神神経学会学術総会
応機展開の精神医学とその底流―目の前の患者さんに最善の医療を提供し,将来さらに良い医療が提供できるように努力する―
第119回日本精神神経学会学術総会会長
千葉大学大学院医学研究院精神医学
千葉大学社会精神保健教育研究センター
千葉大学大学院医学研究院精神医学
千葉大学社会精神保健教育研究センター
精神神経学雑誌
126:
622-629, 2024
https://doi.org/10.57369/pnj.24-099
https://doi.org/10.57369/pnj.24-099
<索引用語:ポジトロンCT, 認知行動療法, 医療崩壊, 地域精神医療, ドパミン過感受性精神病>