Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第125巻第5号

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連載 21世紀の「精神医学の基本問題」 ―精神医学古典シリーズ―
呉秀三は何に憤慨し何をめざしていたか
金川 英雄1)2)
1)国立病院機構埼玉病院
2)昭和大学精神神経科
精神神経学雑誌 125: 430-442, 2023
https://doi.org/10.57369/pnj.23-060

 呉秀三(第3代東京帝国大学教授)は東日本を中心に1918年に私宅監置について調査し,『精神病者私宅監置の実況』(以下『実況本』)をまとめた.それらをもとに私宅監置と精神医学の歴史を分析した.それ以前,呉は精神医学を日本に移植するために留学したが,その間に医療を欠いた『精神病者監護法』ができたことに憤慨した.監置室は速やかに廃止すべきであり,各都道府県に公立精神科病院を建設するべきだと提言した.法律改革への働きかけの1つが内務省からの雑誌連載の出版配布であり,1919年の『精神病院法』成立の礎になったが,多数の公立精神科病院創設は不可能に近いと考えていた.『実況本』では精神病は適切な入院医療が重要で改善するが,公立精神科病院が足りず欧米と比べると大きな差があると述べている.著者は法律の成立とその周辺の細部も分析したが警察が法律を厳密に解釈し,施行したことは『精神科監護手続き』という本からわかる.警察が強制的に精神病者を隔離していた印象があるが,実は家族が困り果て監置を県にお願いする形であった.大分県に残る当時の記録では煩雑さのために,なかなか監置手続に踏み切らなかったことがわかる.その後の私宅監置の調査記録もあり,警察が指導したためか,待遇は改善されている.江戸時代にも同様の記録があり,家族親戚の申し立てに医者の診断書が添えられ,奉行所が私宅監置を許可した.『精神病者監護法』の骨格に江戸時代との類似性があり,この法律は突然できたものではなく現代までつながる連続性があった.呉の『わが国における精神病に関する最近の施設』では明治から昭和までの大学の精神科病棟,公立,民間精神科病院から民間収容施設までが網羅されている.呉は東京帝国大学内に精神科外来の設置を望んでいたが,呉の前任教授と内科教授が留学中に現地でドイツの貴族の娘と三角関係になった背景から内科教授が外来の設置に抵抗を示した.そのため呉は精神病者慈善救治会を作り,寄付金を集め精神科病棟を建設し大学に寄付した.樫田五郎は毎年の出来事を年表にまとめたので,呉は本を書けた.

索引用語:呉秀三, 樫田五郎, 精神障害者, 私宅監置, 精神科病院>
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