Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第124巻第7号

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特集 倫理指針改正による多施設研究と試料・情報利用研究へのインパクト
「医学研究」について,当事者・家族が感じている不安と期待―『人を対象とする生命科学・医学系研究に関する倫理指針』施行に関して―
夏苅 郁子
やきつべの径診療所
精神神経学雑誌 124: 479-486, 2022

 2021年に『人を対象とする生命科学・医学系研究に関する倫理指針』が施行された.当事者・家族の立場で日本精神神経学会倫理委員会委員を務めている著者の視点から「医学研究」について当事者・家族が感じている不安と期待,新指針の活用について検討した.著者は,全国精神保健福祉会連合会の会員の方々に「医学研究」について疑問や意見を聞いたが,研究には期待しつつも「研究そのものがよくわからない」といった不安,研究資金,研究の具体的な手段,結果の利活用などについて懸念を抱いていることがわかった.新指針では「多機関共同研究の倫理審査一括化」「研究協力機関の新設」「電磁的同意の新設」の3つが主な改正であるが,研究に対する当事者・家族の不安や懸念も念頭においてほしい.対策の1つとして,著者は「当事者参加型の倫理審査委員会」を提案したい.研究者だけが集まって審査するのではなく,市民感覚をもつ当事者・家族が参加することで倫理審査委員会の質の担保となる.「研究協力機関の新設」では,研究機関同士の疎通性を円滑にすること,民間診療所や精神科病院も参加するオールジャパン体制の構築が課題である.「電磁的同意」はメリット,デメリットの両面があるが,説明の仕方や質問への対応など対面での同意以上に慎重さが求められる.医学系指針とゲノム指針が統合された点については,ゲノム医療が身近になり共通する点も多く統合することは当事者・家族としても賛同するが,偶発所見などに際して遺伝カウンセリングを行える専門家があまりにも少ないことが心配される.科学と倫理が両輪で動くことなしには,どちらも頓挫する.「何のための,誰のための研究か」を見失わないためにも,新指針によって研究の迅速化とともに当事者・家族・市民・研究者の相互理解と協力が進むことを願ってやまない.

索引用語:研究倫理, 研究への患者・市民参画, 倫理審査, 遺伝カウンセリング>

はじめに
 著者は,精神疾患の当事者でもあり家族の立場でもあることを10年前に公表した7).公表をきっかけとして全国の当事者・家族と出会いさまざまな話をしたが,そこでは「医学研究」の話は皆無だった.また,著者は児童精神医学を専門とする開業医でもある.臨床研究について多少は同業仲間で話題にはなるが,ヒトゲノム・遺伝子解析研究といったレベルの話は皆無だった.医学研究は著者にとって,当事者・家族としても臨床医としても他人事であった.医学研究に対して,著者と同じ感覚をもつ当事者・家族・臨床医は少なくないのではないだろうか.
 精神疾患の病態解明をめざした脳画像/ゲノム解析研究が実施されているが,残念ながら研究成果はいまだ当事者・家族へ還元できていない.病態解明と創薬を望む当事者・家族,日常診療で最も当事者・家族と接する機会が多い臨床医こそが医学研究へ関心をもたねばならないはずだが,なぜ他人事になってしまったのであろうか.
 本稿では,2021年に『人を対象とする生命科学・医学系研究に関する倫理指針』5)が施行されたことに鑑み,4年前から当事者・家族の立場として倫理委員会委員を務めている著者の視点から,医学研究について当事者・家族が感じている不安と今後への期待と指針の活用について述べてみたい.
 なお,本稿では「倫理委員会」は本学会の委員会,「倫理審査委員会」は倫理指針の規定による委員会として区別して記載した.

I.当事者・家族は「医学研究」に対して,どのような疑問をもっているのか?
 著者の願いは「100人の支援者・理解者よりも,母の病気を治してくれる1錠の薬が欲しかった」である.母は「保護室に入れられたことは生涯忘れられない」と著者に語ったが,症状を緩和する治療法があれば隔離拘束も必要なくなるはずである.母の発病から半世紀以上を経た現在でも,残念ながら隔離拘束がまったく必要ではなくなるような根本的な治療法は開発されていない.原因が不明のまま,ゴールのない薬物療法が世界中で続けられている.精神疾患への偏見もいまだ是正されていない.「精神疾患も他の疾患と同じ病である」と一般に理解していただくためにも当事者・家族は病態解明を心から願っているが,研究に接する機会も研究者から話を聞く機会もほとんどない.その結果,どのように話題にしてよいのかわからず他人事になっていると著者は推察する.
 著者が所属する公益社団法人全国精神保健福祉会連合会(みんなねっと)の会員の方々に医学研究について,また最近スタートした多機関共同研究の1つである『精神疾患レジストリの構築・統合により新たな診断・治療法を開発するための研究』についての疑問や意見を聞いた.は,その抜粋である.
をみると,当事者・家族は研究には期待しつつも「研究そのものがよくわからない」といった不安,研究資金,研究の具体的な手段,結果の利活用などについて懸念を抱いていることがわかる.

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II.著者は,なぜ倫理委員会委員となったのか?
 現在,精神疾患以外では多くの倫理審査委員会で当事者・家族の立場の人が審査委員を務めているが,精神科領域では著者が第一号ではないかと思う.
 著者が委員となったのは,自らの希望ではなかった.そもそも他人事の医学研究の倫理審査委員会に自ら応募するはずもない.4年前,委員である本学会理事の方から「精神神経学会の倫理委員会の委員になってもらえないか」というお誘いをいただいた.「当委員会は集まっての会議は年に数回でそのうち1回は総会中です.欠席も可でweb参加も可能です.その他メール審議がありますが,大きなご負担になることはないと思います」という説明を真に受け,よくわからないまま「自分が何かのお役に立つなら」とお引き受けした.ところが,承諾直後にこの理事から「臨床研究7つの倫理要件」1)という内容のスライドが送られてきた.「この中の1.社会的・科学的な価値 3.公正な被験者選択 4.リスクベネフィットの適切性 7.被験者の尊重,の4つの観点から特にご意見をお願いしたい」と説明が添えてあった.スライドに書かれた聞きなれない用語に圧倒され,著者はすぐに承諾したことを後悔したが時すでに遅かった.
 実際に委員会に出席してみると「負担をかけない」どころではなかった.会議の参考資料は通常のメールでは送れないほど大量で,当初は要点を掴んで読むことができず目を通すだけでも1日がかりだった.2ヵ月に1回,きっちり開かれる委員会は時に3時間に及んだ.最も困ったことは,会議で使われる研究倫理の用語がわからないことだった.これは著者の勉強不足に尽きるが,研究倫理については何も知識がない者がいきなり現場の研究倫理の「審査」を務めるのだから大変だったのは無理もなかった.
 不安を分かち合える仲間もおらず(一般の立場の委員はほかにいるものの,当事者・家族の立場の委員は著者一人である),医療や倫理の専門家の討論を呆然と聞いているしかなかった.興味深かったのは,沈黙する著者の存在を忘れて議論に熱中していた各委員が話に行き詰まると「では,当事者・家族はどう思っているのだろう?」という流れとなり,そこではっと著者の存在に気づき,一斉に著者を見て「どう思うか?」と聞いてくることだった.著者はすぐに答えが出てくる簡易アンケートのような存在に近かったように思う.
 忍耐力と少しばかりの向学心で何とか1年を乗り越えた頃には研究倫理の用語も聞き慣れ,討論の内容も認識できるようになってきた.資料の読み方もコツがわかり,さほど時間をかけずに要点を掴めるようになった.4年たった今は,どの委員よりも口を挟む頻度が高いうるさい存在になっている.
 委員となったおかげで他人事だった研究が身近になり,なぜ研究倫理が必要なのかがわかってきた.誘っていただいた理事の方には心から感謝する次第である.ただ,ここまでたどり着くには,医師資格をもち,ある程度の専門知識をもつ著者でも相当の苦労と孤独感を味わったことをお伝えしたい.とくに孤独感は厳しいものがあった.昨今,さかんに言われている「患者・市民参画(patient and public involvement:PPI)」は大変重要な考えだが,十分な準備が当事者・家族側,受け入れる研究者側にないと,ただ参加するだけでは当事者・家族は蚊帳の外と感じてしまい,かえって不安や不満を煽る結果になりかねない.
 著者が委員になってから4年が経つが,研究者,当事者・家族の双方ともに倫理委員会への当事者・家族参加についての意識は育っていないように思われる.第118回本学会学術総会での本委員会シンポジウムでは「当事者参加型の倫理審査委員会の意義と可能性」をテーマとしている.他科では倫理審査委員会委員育成のための市民講座10)も開かれている.そういった状況も参考に,精神科医療の事情に対応した工夫を今後検討していきたい.

III.指針改正について,当事者・家族の立場から伝えたいこと
 自身の委員としての経験から最も感じていることは「自分がいつ研究対象者となるかもしれない」「ひとつひとつの研究が,自分たちの日常に直接,影響することがあるかもしれない」という切迫感だった.今回の指針改正では『人を対象とする生命科学・医学系研究に関する倫理指針』がヒトゲノム・遺伝子解析研究も含む形で施行された.病態解明が進むためにはビッグ・データの集積が必要であり多くの研究機関の共同が求められるが,協力研究機関が多くなればなるほど,計画の規模が大きくなればなるほど,当事者・家族にとって研究は遠い存在となり個人情報の漏洩への心配は増大する.
 精神医学の進歩に貢献し当事者・家族と研究者をつなぐ精神医学研究となるためには,どのような工夫が求められるのだろうか.新指針の「多機関共同研究の倫理審査一括化」「研究協力機関の新設」「電磁的同意の新設」の各々について論述する.また統合失調症の親をもつ子の立場から「医学系指針とゲノム指針が統合」された点についても述べてみたい.

1.多機関共同研究における倫理審査一括化
 今回の多機関共同研究の倫理審査一括化は,研究者の事務手続きを軽減し研究のスピード化のためにも必要だと思われるが,唯一となる倫理審査委員会,一研究一研究計画書を担う研究代表者の責任は重い.倫理審査審査会には「質・効率性・透明性」が保たれていることが求められる.2012年に文部科学省・厚生労働省から倫理審査委員会の質を保証するシステムの導入として『臨床研究・治験活性化5か年計画2012』4)が出され「倫理審査委員会の認定制度」が設けられたものの,認定制度終了以降は質の担保がないまま登録制度だけが残っている状態である.著者が必要と思う「質の担保」として,「実際に精神疾患を経験した当事者,および家族が参加する倫理審査委員会」を提案したい.審査する側も研究者,審査される側も研究者という状況では「慣れあい」「立場による駆け引き」が生じる可能性がないとは言えず,常に自浄作用が求められる.また,当事者・家族にとっては気になることが,研究者の常識では気にならないこともある.とくに精神疾患では,スティグマに関する問題や個人情報のデリケートな問題が見過ごされやすい.研究者の感覚ではなく,当事者・市民ならではの感覚をもつ人が委員のなかに配置されることを強く求める.
 個人情報が最も顕著に問われるのは「症例報告」であろう.とくに精神科は症状発現や診断に至る過程で,本人の生い立ちや家族構成,職業などの詳細な記述が必要になる場合もある.症例報告が医師の育成にとって非常に重要なだけに,症例報告における本人同意,個人情報保護との兼ね合いは難しい.これについては既報8)で述べており割愛するが,本人同意,個人情報保護についての倫理指針は「学会発表するために,論文を書くために」事務的に守ればよいというものでは決してない.研究者には「もし自分や自分の家族が研究対象になったら,本人の同意なく個人情報を晒されることをどう思うか」,ぜひ想像力を駆使して考えていただきたい.著者は『症例報告への患者同意必須化は臨床・研究を貧困化する』3)という論文を目にしたとき,「研究は研究者任せではなく,自分たち(当事者・家族)の尊厳・安全は自分たちが守らないといけない」と痛感した.また今回の新指針とは別枠の扱いではあるが,臨床研究法でも「臨床研究法の施行により,弱小の研究機関の研究が駆逐され研究テーマの枯渇を招きかねない.本来の臨床研究をボトムアップするためには,若手研究者に手が届く「介入」を伴う臨床研究の領域を残すことが課題である」という声2)もある.
 当事者・家族がどんなに病態解明を願っても,自ら研究をすることは難しい状況がある.研究者には研究へのモチベーションを損なうことなく,大切に育ってほしい.研究者へ惜しみない協力をするためにも,当事者・家族が直接意見を言える「当事者参加型の倫理審査委員会」の誕生が待たれる.

2.研究協力機関の新設
 新指針には新たに「研究協力機関」(当該研究のために研究対象者から新たに試料・情報を取得し,研究機関に提供のみを行う機関)が設けられた.これまでは,試料の提供のみであっても研究者として倫理指針に従って実施しなければならず大きな負担となっていたが,純粋に「協力」のみを行えることになり研究のすそ野が広がることを期待したい.著者が所属する診療所は「精神疾患レジストリ」の診療所における研究協力機関第一号となった.参加にあたり,研究代表者から時間をかけて非常に詳しい説明がなされた.研究協力機関と研究代表者の相互理解がしっかりしていることは安心して試料提供ができることにつながり,それは診療所に通院する当事者・家族の安心にも通じる.新指針により,研究代表者・研究協力機関・研究対象者の風通しがよく信頼に基づくものとなり,精神医学研究がさらなる進歩を遂げることを期待する.
 精神疾患レジストリの代表研究者である中込は「すべての関係者(民間クリニックや医療機関など)が一体の学術研究グループとなって,個人情報保護に取り組む努力が求められる」と本誌で述べている6).民間クリニックや医療機関を含むオールジャパン体制をどのように構築するかが,本邦の今後の精神医学研究の成功を左右する大きな課題であり,その点はにあるように当事者・家族からも指摘されている.研究機関同士の疎通がうまくとれず,小さなほころびが大きな障害となって結果として研究に参加した当事者・家族に負担がかかることのないように,何よりも「研究は病に苦しむ当事者のために」という目的のもとで,研究にかかわる全員が団結することを求めたい.

3.電磁的同意の新設
 当事者・家族の視点から,メリットとデメリットについて考えてみたい.
1)メリットについて
 COVID-19のような感染症の流行が起きている状況下で対面でのインフォームド・コンセントに固執していると,研究の進捗に大きな支障が生じる.研究に参加して少しでも精神医学に貢献したいと希望する当事者・家族にとって,感染のリスクや遠方まで出向く負担なく参加できることは大きなメリットである.
 また,倫理審査一括化のもとでは,研究協力機関ではなく研究代表者がインフォームド・コンセントを行う.レジストリなどでは膨大な参加者となるが,研究代表者は電磁的同意の活用により多数の参加者へ説明を行うことが可能となる.
 電磁化は研究者にも研究対象者にもメリットは大きいので,不安に対して適切に対応しつつ,効率化を進めてほしい.
2)デメリットについて
 冒頭で述べたように「研究」そのものが当事者・家族にとっては遠い存在である.研究協力機関は自分たちの通院先であることが多くまだ身近に思えるが,インフォームド・コンセントを行う「研究代表者」は国立研究所や大学病院などの教授が務める場合が多く,当事者・家族・一般市民にとっては非常に距離感がある.同意のための説明が,唯一,参加者と研究代表者をつなぐ媒体となるが,距離感を縮めるための工夫がなされていないと,電磁化は当事者・家族にはデメリットに変わってしまうリスクがある.
 最も大きな懸念は,研究代表者の説明能力の問題である.著者は2つの研究に研究対象者として参加し実際に電磁化によるインフォームド・コンセントを受けたが,説明するスピードが速すぎると感じた.慣れないパソコン画面上で立て板に水が流れるように話されると,当事者・家族はそれだけで気後れして質問ができない.研究者と当事者・家族は知識や権威において「対等ではない」ことを十分に認識してほしい.研究者の説明能力は,自身が思う以上に低いことを自覚すべきであろう.対策として,説明用のビデオがあってそれを何回でも繰り返し見ることができるようにし,繰り返し見ることができることをあらかじめ説明時に伝えてほしい.難解な用語や一般的ではない用語については,事前に用語集の配布も必要である.
 また電磁的同意では,対面式に比べ当事者や家族が直接に質問しにくいと思われる.なかには「電話での質問も可能」とするケースもあるが,説明した研究代表者本人が電話口に出て答えてくれる可能性は少ないであろう.実務担当者へ電話をかけて聞けるほど,当事者・家族は研究者とフレンドリーな関係ではない.聞きたい質問を諦め「何となく不安を抱えたままの同意」になってしまうこともある.不安が強い対象者には,対面か電磁化かを選択できるようにしてほしい.
 膨大な試料・情報をデータ化し多くの研究者が共有するため使用目的が多義となりわかりにくく,いつ,どこで,誰が何に自分たちの試料を使うのかが見通せないという不安が研究対象者に生じやすい.研究代表者はそのような不安は当然であるとして,説明の際には相手が理解しているかフィードバックを受けつつ,丁寧な説明を心がけてほしい.
 研究協力機関の不安も大きい.新指針では「研究協力機関においては,当該インフォームド・コンセントが適切に取得されたものであることについて確認しなければならない」とされている.例えば著者の診療所に通院する当事者が「適切なインフォームド・コンセントを受けていない」と判断された場合は,研究代表者に直接意見を言えるのだろうか.多機関になるほど,研究代表者と研究協力機関との距離も広がってしまう危険性がある.
 電磁的同意は当事者,研究者双方の負担の軽減につながるが,上記の懸念を念頭に互いに信頼を保てるような工夫をしていただきたい.

4.医学系指針とゲノム指針が統合された点
 今回,医学系指針とゲノム指針が統合された背景には,ゲノム医療がもはや高度に専門化した特殊な医療ではなくなりつつあるという現状も影響している.「遺伝情報を取り扱うのはゲノム研究のみならず,医学系研究を実施する上でも留意すべき事項である」と指針にあるが,これは当事者・家族にとっては当然のことである.当事者は一般の精神科医の治療を受けており,遺伝の専門家の治療を受けることは一部の希少疾患以外はごく少ない.当事者・家族にとって重要なことは,自分たちの人生が少しでも生きやすく前向きなものになることである.そのために精神科医療・精神医学研究に適切かつ迅速に機能してほしいと願っている.実態に即して2つの指針を統合するという今回の改正に,当事者・家族としても同意できる.
 しかし,ゲノム解析が身近になった反面,研究目的ではなくゲノム解析結果を商品として一般の人に売り出す企業も出てきており,医学の進歩が必ずしも正しい方向で活用されているか疑問である.何より,精神疾患をもつ当事者や家族にとっては今なお遺伝にまつわる諸問題は非常にセンシティブに受け止められている.
 背景の1つに,半世紀にわたって施行された旧優生保護法の影響が考えられる.医学的根拠なく当事者に優生手術を強制的に行った歴史は,世間の精神疾患への偏見を助長する結果となった.優性保護法が撤廃された現代でも,精神疾患をもつ妊産婦の出産・育児には十分な理解と支援があるとは言い難い.福祉資源の乏しさだけではなく,妊産婦への精神科薬処方などをみると医師の側にも理解が進んでいない.こうした状況があるので,当事者・家族は妊娠・出産とは切り離せない要件である遺伝について,センシティブになってしまうことを理解してほしい.著者は「精神疾患の親をもつ子の立場」であるが,支援の乏しいなかでの育児がいかに当事者の負担となるか母親をみて実感した.そうした環境下で生育した場合,子が何らかの精神的な不調をもちやすいのは「遺伝」の影響だけではない.著者自身は50歳を過ぎて遺伝と環境についてさまざまな文献を読み専門家に相談することで,母親から受け継いだ遺伝子は悪い面ばかりではないのだと思い直すことができた.ゲノム医療にとくにかかわらない精神科医も遺伝に関心をもち,担当する当事者・家族の相談に応じられる,あるいは適切な遺伝の専門家へ紹介できるようになってほしい.
 新指針では「研究者等は,研究により得られる結果等の特性を踏まえ,研究対象者への説明方針を定め,インフォームド・コンセントを受ける際はその方針を説明,理解を得なければならない」と規定している.「偶発所見」の取り扱いについては,有効な対処法があるなど対象者にとって結果の開示が有用である場合は積極的な開示を求める方針である.しかし,治療困難な疾患が偶発的に見つかった場合などはいまだ一定の見解はない.最も望ましいのは,当事者・家族・治療担当者が遺伝の専門家から遺伝カウンセリングを受け,可能な限り落ち着いた状態で方針が出せることである.導かれる結論がどんな内容であれ,結論に至る過程で当事者・家族・治療担当者が後悔したり負い目を抱えることがないようにすべきである.しかし現実には,遺伝カウンセリングを日本のどこにいても受けられるのだろうか.2022年5月31日時点で臨床遺伝専門医(全1,638名)を取得している精神科医は全国でもわずか11名であり9),地域差も著しい.得られたゲノム情報について適切な説明を当事者・家族が受けられるよう,また,当事者と家族の不安を聞き取りながら臨床医もさまざまな場面での決定について相談していけるように,医学教育において遺伝を含むさまざまな領域での人材育成が求められる11)

おわりに
 研究への患者・市民参画(PPI)が推奨されているが,研究費獲得のために形式的にPPIを語る場合も多い.「何のための,誰のための研究か」を見失わないためにも,倫理審査委員会への当事者・家族・市民参加は必要と考える.科学と倫理が両輪で動くことなしには,どちらも頓挫するであろう.精神疾患の病態解明と創薬という目的に向かって,当事者・家族・市民・研究者の相互理解と協力が進むことを願ってやまない.4年前の委員就任時に著者に課された役割「臨床研究7つの倫理要件」の,1.社会的・科学的な価値,3.公正な被験者選択,4.リスクベネフィットの適切性,7.被験者の尊重について意見を述べることを,今後も真摯に務める所存である.

 編注:本特集は,第117回日本精神神経学会学術総会シンポジウムをもとに栗原千絵子(量子科学技術研究開発機構)を代表として企画された.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

1) Emanuel, E. J., Wendler, D., Grady, C.: What makes clinical research ethical? JAMA, 283 (20); 2701-2711, 2000
Medline

2) 古郡規雄: 編集後記. 精神経誌, 122 (10); 799, 2020

3) 小林聡幸: 症例報告への患者同意必須化は臨床・研究を貧困化する. 精神経誌, 120 (9); 752-756, 2018

4) 文部科学省, 厚生労働省: 臨床研究・治験活性化5か年計画2012. 倫理審査委員会の認定制度. 2012 (https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10800000-Iseikyoku/120403_3.pdf) (参照2021-10-31)

5) 文部科学省, 厚生労働省, 経済産業省: 人を対象とする生命科学・医学系研究に関する倫理指針(令和3年文部科学省・厚生労働省・経済産業省告示第1号). (https://www.mhlw.go.jp/content/000757566.pdf) (参照2021-11-02)

6) 中込和幸: レジストリ研究の倫理. 精神経誌, 121 (11); 850-857, 2019

7) 夏苅郁子: 「人が回復する」ということについて―著者と中村ユキさんのレジリエンスの獲得を通しての検討―. 精神経誌, 113 (9); 845-852, 2011

8) 夏苅郁子: 当事者にとって症例報告の意味とは何か―同意取得が困難な事例を含めて, 当事者・家族の立場からの検討―. 精神経誌, 123 (6); 354-360, 2021

9) 日本人類遺伝学会: 全国臨床遺伝専門医・指導医・指導責任医一覧. (http://www.jbmg.jp/list/senmon.html) (参照2022-05-31)

10) 認定NPO法人ささえあい医療人権センターCOML: 医療をささえる市民養成講座. (https://www.coml.gr.jp/katsudo-naiyo-ippan/koza.html) (参照2021-11-01)

11) 尾崎紀夫: 精神科臨床の課題解決をめざす人材の育成. 精神経誌, 117 (9); 730-736, 2015

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