Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第123巻第4号

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特集 「共同意思決定」を生む対話についての検討―患者の権利,意思とはなにか―
当事者・家族からみた「共同意思決定」―相互理解のための知恵と工夫―
夏苅 郁子
やきつべの径診療所
精神神経学雑誌 123: 192-198, 2021

 身体疾患でも精神疾患でも,自身の健康や生命に直結する治療方針を当事者・家族だけで決めることは,大きな迷いや時には後悔さえ伴う.専門職もともに葛藤を抱え悩み苦しみながら,当事者・家族とともに意思決定に参加することが望まれる.現在の日本で,そのような「共同意思決定」は成り立っているのだろうか.病態が解明されている・いないにかかわらず,これは今日の医療の根本的な問題である.パターナリズムの時代を経て,最近は「患者中心」という言葉が使われるようになったが,その意味をはき違え本人や家族だけに意思決定を求めることになっていないだろうか.現在の精神科医療において,共同意思決定が実現するには何が必要なのだろうか.著者は,パターナリズムが主流の時代に精神科医療を受けた当事者である.著者が実施した「精神科担当医の診察態度」を当事者・家族に評価してもらう調査や,著者のホスピスでの経験などをもとに当事者・家族の立場から検討した.著者はまず第一に,専門家の悲観論の是正が必要だと考える.専門職としての経験ゆえに悲観的な見立てをしてはいないだろうか.そのための工夫として,当事者・家族の生活の実態をよく知り具体的に考える姿勢を身につけてほしい.また,コ・メディカルの知識や経験が特に必要とされる領域では特定行為に係る看護師やPSWの研修制度などを設けて医師の働き方を変えていく(タスクシフト)の必要性,民間の市民団体の実践から学ぶ,妊娠・出産など人生の節目に相談できる専門医の養成などを挙げたい.医療者は無意識に「専門知識の押しつけ」をしていないか,謙虚に振り返る必要がある.当事者・家族から日々の生活を謙虚に聞くこと,そのうえで相手への尊敬をもちながら相手のおかれた状況の困難に対して想像力を働かせることが基本的なスピリットではないか.精神科医療だけではなく広く医療全体を視野に入れ,われわれ自身も将来は「当事者になる」という観点から,「共同意思決定」について考えるべきではないだろうか.

索引用語:共同意思決定, 意思決定支援, リカバリー, パターナリズム, 当事者中心>

はじめに
 「意思決定」とは,2つ以上の選択肢から1つを選ぶことであり,複数の選択肢がなければ成立しない.複数の選択肢があるから迷いや葛藤も起きそこに意思決定の難しさがあるが,そもそも選択肢の設定の段階で精神科医療には共同意思決定を阻むさまざまな問題がある.例えば,精神疾患の病態解明がされていない,遺伝や環境など多様な要因が想定されるため治療へのアプローチの優先度が担当医により違いがある,ガイドラインはあるが疾患分類そのものに混乱があるため実際にはどの疾患にどの治療がより有効なのかは「やってみなくてはわからない状況」に近い,精神病発症危機状態(at risk mental state:ARMS)など臨床病期モデルも広く使われるほどにはエビデンスが乏しい,医療の質にバラツキが大きく全国的な「医療の均てん化」が進んでいない,などである.
 このような状況で複数の選択肢を用意するには,治療者側に「治療のゴール」についての多様な価値観が備わっていることが求められる.
 近年,精神疾患の治療ゴールについてパラダイムシフトが起きつつある.
 単に症状や機能の改善をめざす(臨床的リカバリー)だけではなく,症状を抱えながらも「主体的で満足のある生活を送る」「社会における役割の取得」(パーソナルリカバリー)が治療のゴールとなってきている18)
 つまり,「精神障害からの回復」ではなく「精神障害における回復」15)という考え方であるが,Klockmo, C.ら8)は理念としてリカバリーを掲げることと個々の専門職が真にリカバリーに焦点をあてた支援をするということにはいまだ大きな隔たりがあると指摘している.
 著者は,パターナリズムが主流の時代に当事者・家族として精神科医療を受けた12)13).当時を経験した立場からは,パーソナルリカバリーという概念の登場には目を見張るものがあるが,現実に当事者・家族がパーソナルリカバリーという考えに基づいた治療を手にできているとは言い難い.
 本稿では著者の当事者・家族としての経験,著者が30年前に研修したホスピスでの「共同意思決定」の現場,著者が実施した「精神科担当医の診察態度」についての全国調査の結果を参考に,精神科における共同意思決定のあり方について論じたい.そのうえで,わが国で共同意思決定が成り立つための知恵と工夫について考察する.

I.著者が経験できなかった共同意思決定と,ホスピスでみた共同意思決定
 「共同意思決定」には,2つの倫理原則がある.1つは,自己決定ができることは人間が生まれもった性質として幸せだというもの,もう1つは人間は相互に依存して生きているため自己決定できるためには自律の支援が不可欠,というものである11).自律とは「自分の行為を主体的に規制できることであり,そのためには外部からの支配や制御から脱して自分の立てた規範に従って行動すること」である9).この「外部からの支配や制御」について,精神科医療に限らずすべての医療者は無意識に「専門知識の押しつけ」「結論を迫る」という行為をしていないか謙虚に振り返る必要があるだろう.
 著者と著者の母親が当事者だった時代は,パターナリズムが主流で「外部からの支配や制御」は当然だった.一方,同じ時代に「共同意思決定」が成立していた場があった.それは,著者が研修したホスピス病棟である.著者の現在の治療姿勢の根幹をなしているのはこのホスピスでの経験なので,この点も伝えたい.

1.当事者・家族として,経験できなかった共同意思決定
 著者の精神科医療ユーザーとしての意思決定には,大きく3つの場面があった.
 第一は,「家族として」の意思決定である.
 統合失調症だった母親の急性期の対応について,中学2年生だった著者は,まったく話し合いの場には加えてもらえなかった.著者が不在の間に,父親が母親を後ろ手に縛って病院へ連れて行き入院となった.後からこのことを父親から聞いた著者は,父親の苦しさや著者への思いやりもわかったので何も反論できなかった.しかしそれからは,一人娘として確かに家族のはずなのに,自分がよそ者のような感覚しかもてなくなってしまった.子どもなりに意思決定の場に参加させてほしかったと今でも思っている.
 第二は,「患者として」の,主に薬物療法についての意思決定である.
 著者は,医学生時代から精神科に通院し薬物療法を受けていた.副作用のため医師国家試験の勉強にも難儀したので,処方されたばかりの薬を駅のごみ箱に捨ててしまったり,一部の薬だけを取り出して飲む「薬の間引き」をしていた.結局,調子を崩してしまい主治医である教授の診察日以外の日に,外来に駆け込む事態となった.代診で著者を診た精神科医が最初に言ったのは「教授が出した薬だから,飲んでもらわないと困るんだけどねぇ…」という言葉だった.著者がなぜそういうことをしたのか,どのような理由で飲みたくなかったのかはまったく質問されなかった.教授にも,薬の効果や副作用について説明されたことはなく,患者の意志などまるで考慮されない時代だった.
 著者が拒薬をしたのは病識がなかったのではなく,副作用がつらかったからだった.副作用があっても服用すべき理由,いつまで副作用に耐えればよいのか,副作用についてどのような対策をすればよいかを説明されていれば,無理な断薬はしなかったと思う.「患者は大人しく薬を飲んでさえいればよい」という,暗黙の押しつけがあった.現在でも,当事者・家族から薬物療法に関する同じような悩みを著者は頻回に聞いている.
 著者は,薬は人生の「小道具」だと思っている.人生の主役はあくまで患者本人であり,薬は本人の生き方を応援する1つの手段である.「薬を飲まないと悪化して入院になりますよ」という,薬が主役のような医療者の言い方では「共同意思決定」は成立しない.
 第三は,著者の「妊娠・出産」においての意思決定である.
 著者は妊娠がわかったとき,親になることが本当に怖かった.母親の病気は遺伝するのか,遺伝の確率はどれくらいなのか,欠陥家庭で育った著者に子育てができるのか,そういったさまざまな不安を相談しようにも出産を任せる病院では遺伝相談など行われていなかった.それ以前に,身内に統合失調症の患者がいることを外部の人には言えなかった.内なる偏見があり,相談すること自体が憚られた.「精神科医が2人もついているんだから,(病気になっても)何とかなる」と夫婦で信じて子育てをしてきた.専門職である著者でさえ不安だったのだから,専門職ではない当事者の不安は想像に難くない.

2.ホスピスで経験した共同意思決定
 著者は,ホスピス病棟で数年間,回診や病棟ミーティングに参加した経験がある.30年前のことだが,そこには確かに共同意思決定のスピリットがあったように思う.
 著者の記憶に残っている例は,頭頸部癌のため筆談で意思の疎通を図っていた患者のケースだった.意識は清明で腫瘤の圧迫により顔面はうっ血し舌が口腔外に飛び出しており,膿を24時間吸引しなければならない.他には転移していないのでケアさえよければ半年はもちそうという見込みだった.担当医は,「もう吸引しかやることはない」と匙を投げ,「外泊したい」という患者の希望や,感染や処置への不安から外泊に消極的な家族への対応は何もされていなかった.
 そのような状態で,患者はホスピス病棟へ移ってきた.当初はホスピス病棟でも意思疎通ができず,吸引しかやることのない患者と家族の対応は困難を極めた.何度も開かれたカンファレンスでは,病棟医長も新人スタッフも対等に意見交換がされていた.ある新人看護師が,患者は筆談そのものにイラついているのではないかと気づき,皆でもう一度患者をよく観察しようということになり,その結果,目の動き・手の上げ下げで本人の気分をスタッフ全員がほぼ読み取れることがわかり,患者の安定につながった.患者の希望と家族の不安の解決のため,担当医から外泊中に患者自身が吸引管理ができるよう教えたいと意見が出され,スタッフ内では反対もあったが試みられた.家族には仕草から患者の気持ちを読み取れること,患者は吸引の練習もしていることを伝え,担当医も交えて家族に患者のこれからの希望を聞いてもらった.家族の負担にはケースワーカーが相談に乗り,患者は最期まで定期的に外泊を繰り返すことができた.
 著者は大学ではなく,このホスピス病棟で患者の希望を第一に聞き患者をよく観ること,話し合いが大切であることを教わった.ここでの経験は,現在まで精神科医としての著者の患者―医師関係の根幹をなしている.
 このホスピスは,日本のホスピス創成期を築いた柏木7)の影響を大きく受けた,極めて望ましい場であった思う.当時,そして現在でも終末期医療でこのような対応ができるところは決して多くはないと思われる.野中16)は,自身の癌患者としての体験を通して,共同意思決定など到底望めない日本の癌医療の実態を報告している.

II.「共同意思決定」を阻んでいるものと,それに対する工夫
1.「質問促進パンフレット」の配布からみえてくるもの
 著者らは,統合失調症の当事者・家族向けに,診察時に医師へ質問する際のツールとして「質問促進パンフレット」を作成し,当事者・家族・医療関係者に配布している10).医師に質問することは,共同意思決定のスタートだからだ.著者が精神科医に意見を聞くと「パンフレットを使うのはいいが,こんなに質問が並んでいると時間が心配」「自分は,こんなに難しい質問に答えられる自信がない」など,パンフレットを使うことに抵抗を示す意見も少なからずあった.
 「この病気の原因は何ですか?」「私は,いつ治りますか?」など,現在の精神医学では答えにくい質問が含まれており,敬遠したくなる医師もいるのだろう.しかし,当事者・家族はこうした医師が答えにくい質問こそ,聞きたいのだと思う.正解を答えるためにあるのではなく,医師と当事者・家族がともに話し合い考えるためのパンフレットであると医師に説明している.
 パターナリズムの時代,医師は見せかけの「専門家としての自信」を保っていたのかもしれない.現在は一般の方でも専門知識が手に入り「専門家の情報独占」という状況は失われつつある.「情報に基づいた当事者・家族の質問に答える自信がない」という状況こそ,共同意思決定を阻んでいるように思う.専門家が,情報を勉強するだけでなく,「相手がもっている情報に基づいた質問に少しずつ答えてみよう」という姿勢をもつことが必要ではないか.

2.「精神科担当医の診察態度」についての全国調査から
 著者らが2015(平成27)年に実施した「精神科担当医の診察態度」を当事者・家族に評価してもらう調査14)では,「医師を選べるとしたら,何を1番の基準にするか」という問いに対して,6,000人の回答の1位は「処方能力」だった.2位は「人柄・性格」,3位は「コミュニケーション能力」で「医学知識」は5位だった.
 回答の選択肢として設けられた10項目は,事前に当事者・家族にアンケートをして挙げてもらった項目である.当事者・家族が考える「処方能力」とは,副作用に留意する姿勢や当事者・家族の気持ちを尊重し,減薬にも積極的に取り組むといった姿勢も含んだ「処方能力」であると考えられる.「医学知識」が水準以下で「処方能力」が高いという状況はありえないが,逆に高い「医学知識」に基づいて正しい処方だったとしても,当事者・家族が望む処方とは限らないことをこの回答は示していると考えられる.
 また,処方能力が1位だった理由としてほかに2つが考えられる.1つは「処方能力が高ければ,よりよい薬物療法で症状がよくなるのでは?」という期待であり,2つ目は医師だけではなく当事者・家族さえも「薬で,早く症状をとらなくては…」と急ぐ気持ちの反映,薬物療法以外の治療に時間をかけて取り組むゆとりがない医療環境の反映という解釈である.
 では,ゆとりのない環境で何か工夫できることはないのだろうか.
 「診察で医師に工夫してほしいこと」という質問への回答では「診察でできないことは,看護師やカウンセラーにも相談できるようにする」が最も多かった.治療における重要なメンバーとして,当事者・家族は彼らの生活の実態をよく知っているコ・メディカルの力を評価している.コ・メディカルへのタスクシフトも,現実的な対策ではないだろうか.
 また調査では,ほとんどの項目において医師の「説明不足」が指摘されている.医師のほうは説明しているつもりでも,相手に伝わっていなければ説明していないのと同じである.当事者・家族にわかってもらえるような説明をする能力を専門職が身につけることが必要である.科学用語ではなく,当事者や家族が理解できる言葉で治療に関する説明をし,質問を受け,対話を重ねるといった努力が求められる.

3.話し合いの基盤となる「根拠」が必要
 精神疾患の多くは長期・慢性の経過をとるため「生活をしながら」の治療となる.そこでは,医療以外の要件も大きな問題となる.
 例えば自動車運転である.2014(平成26)年の改正道路交通法や自動車運転死傷行為処罰法により一部の病気や薬物の影響による運転事故は厳罰の対象となった.しかし,これらは必ずしも根拠に基づいた法ではなく,岩本6)は,自動車運転と薬物療法について科学的検証を継続し当事者の生活と公共の安全を考慮した議論の必要性を説いている.「運転を継続すべきか,やめるべきか」について共同意思決定するための根拠が不十分なのが現状である.
 同じことが,患者の妊娠・出産・育児についてもいえる.
 現在も多くの当事者が母親になることを望みながら,大きな不安にさらされている.妊娠・出産について共同意思決定が成り立つには医療側に遺伝や子育てについての正確な知識や蓄積データが必要であるが,極めて乏しい現状である.
 臨床遺伝専門医1,334名(2019年10月21日現在)のうち,本資格をもつ精神科医は全国でわずか10人である17).また出産後の授乳における向精神薬の乳児への影響についても,わが国では少数例の調査しかされていない3).遺伝子解析は飛躍的に進歩しているが,遺伝相談については著者が出産した数十年前より大きく進歩したとは言い難い.
 千葉ら4)は,専門職が「根拠に基づく」支援のスキルをもつことは,支援の対象者のチャレンジをより現実的に支援することにつながると指摘している.
 石塚ら5)は,遺伝を心配する当事者・家族と一緒に医療者が家系図を書きながら説明する手法を挙げているが,これも根拠に基づいた共同意思決定のあり方である.何より,妊娠する前から精神疾患も含めて母親にとっても子にとっても「相談することが健康な人生につながる」というプレコンセプションケア(妊娠前健康管理)を行う必要がある.そうでないと,いくら支援窓口を作っても窓口に行くこと自体を躊躇するケースもあるだろう.
 生活の手段である自動車運転や出産や子育てについて,支援を行うための根拠を積み重ね,その根拠を説明し当事者や家族の不安に対応できる専門医を養成すれば,その人を中心に「共同意思決定」の流れを膨らませることできるのではないだろうか.

4.民間団体の実践や他科から学ぶこと
 医療については,精神科に限らず多くの診療科で当事者・家族と治療担当者の間で誤解が生まれ,時には訴訟となる場合もある.認定特定非営利活動法人ささえあい医療人権センターCOML(コムル)は「同じ目的に向かって立場の異なる者同士が協力しあう」「患者も努力が必要」という趣旨で,1990年に設立された民間団体である.
 コムルでは,日常のコミュニケーションの延長上に医療現場でのコミュニケーションがあるという考え方から「患者のためのコミュニケーション講座」を開いたり「情報の見極め方」「医師向けの患者対応セミナー」などを行っている.代表の山口19)は「患者の不信感は医療者にも伝わり医療者は構えてしまう.私たち患者も少し冷静になって,不信感を持つことが自分たちの治療にとって幸せなのかを考え直す時期に来ているのではないか」と述べている.コムルの考え方や手法を,当事者・家族・医療者への教育の一環として精神科でも取り入れてはどうであろうか.
 海外では,重要な意思決定のためにディシジョンエイド(意思決定ガイド)が開発されている.「オタワ個人意思決定ガイド」2)は,利用可能な選択肢を並べ,それぞれの長所と短所,重要度を数字で表し一覧表に並べ比較していく方法である.順を追って記入することで自身の決定プロセスがよくわかるように作成されている.こうしたディシジョンエイドの効果は,決められない人が少ない,医師と患者のコミュニケーションが向上する,意思決定やそのプロセスに満足しやすいとされている.精神科医療も含めた医療全体の課題への工夫として,このようなガイドの作成も考えたい.

5.専門家の悲観論の是正
 著者は,「共同意思決定」が成り立つために何より必要なことは,専門家の悲観論の是正であると考える.慢性の経過を辿る重度のケースに対しては,専門職としての経験ゆえに悲観的な見立てをしてしまうのではないだろうか.支援する側のこうした先入観や悲観論は,共同意思決定に大きく影響する.経験から身につけた「専門職の常識」をいったん捨てる踏み込みが必要であろう.
 むしろ「専門職ならではの経験」をもとにした,前向きな姿勢こそが求められるのではないだろうか.著者は,9年前にある雑誌に掲載された3人の精神科医の対談が心に残っている1)

 「双極性障害の患者さんや家族の方から,診断や薬の副作用などへの怒りの声をしばしば耳にしますが,それだけ皆さんが困っているということです.その怒りを『双極性障害を皆で克服しよう』というポジティブなエネルギーに昇華させて,病態の解明につなげられればと願っています」(加藤忠史)
 「私の診察では『会社に薬のことを聞かれたら,どう答えるか』など,患者さんが不安に思うことについて一緒に答え方を検討することもあります.ロールプレイなどで,そうしたノウハウを実際的に学べるとよいですね」(尾崎紀夫)
 「人は皆,何らかの病気を持っており,病気がコントロールできない場合に“患者”と呼ばれます.逆に病気をうまくコントロールできれば“患者”も健康な人と同じです.彼らが一人の人間として,仕事や家族との生活を維持し人生を全うしていく“責任”を果たせるようサポートしていきたいと考えています」(秋山剛)

 上記の対談のように,ロールプレイなどで学んだスキルや長年の経験をもとに「ともに具体的に」支援を考えることが共同意思決定なのだと著者は思う.
 人が生きてゆく過程ではさまざまな「意思決定」が必要であり,それは病気ではない人にとっても大変なことではないだろうか.当事者・家族は生き方まで,医療者に決めてほしいと希望しているわけではない.ただ,生活するうえで困難を感じるとき,その困難をどのように解決していくかを「専門家の専門知と当事者・家族の経験知をあわせて一緒に考えていく」ことを望んでいる.専門家はまず「当事者・家族の生活上の困難」を知り,その困難を解決するための工夫を一緒に考える姿勢をもつべきであろう.残念ながら,そうした工夫については医学書には載っていない.
 この対談から9年たった現在も,3人の言葉が新鮮に聞こえるのがわが国の精神科医療の実態である.特別な技能やツールはなくとも,目の前の当事者の個々の生活や困り感をよくみて,担当医ならではのアプローチや支援を考えていただきたい.

おわりに
 当事者の生き方や希望・価値観はどのようなものか,リカバリーとは何か,家族の希望との兼ね合いはどうなのか…これらは非常に流動的で抽象的な概念であり,どの診療科であろうと担当医が個々に聴き取り模索していくしかない.
 著者の当事者・家族としての経験で最もありがたいと思ったのは,人生の節目節目における決定に担当医も一緒に考えてくれる行為だった.リカバリーといった抽象的な言葉ではなく,実際の生活での困り事を「ともに頭を悩ませ考えてほしい」というのが当事者・家族の願いだと思っている.そのほかのことは,それなりに当事者・家族で何とかやっていくだろうし,やっていくしかない.
 実際の生活で役立つ支援のために「当事者・家族の生活の実態」を知ることを精神科医の皆様へお願いしたい.現状では,あまりにも実態を知らない専門家が多すぎるように思う.難しい議論やツールの前に,当事者・家族の生活の実態を謙虚に聞くこと,そのうえで相手への尊敬をもちながら相手のおかれた状況の困難に対して想像力を働かせ頭を悩ませて考えていただきたい.
 最後に,家族としての著者が最も望んだのは「100人の支援者・理解者よりも,母を治してくれる1錠の薬」だった.基礎研究者との「共同創造」もぜひ広がってほしいと願う.リカバリー概念の登場というパラダイムシフトが起きつつあることは大きな進歩だが,一方で創薬という希望の灯も消すことのないように,研究にも当事者・家族の意思が反映されることを期待したい.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

1) 秋山 剛, 尾崎紀夫, 加藤忠史: 患者さんが, 社会で生き生きと暮らしていくために―双極性障害を"識る"―. 週刊医学界新聞, 2012.5.21 (https://www.igaku-shoin.co.jp/paper/archive/y2012/PA02978_01) (参照2019-10-24)

2) 有森科研ポータルサイト: オタワ個人意思決定ガイド2015年版(2019年10月翻訳修正). (https://www.clg.niigata-u.ac.jp/~arimori/kaken/wordpress/wp-content/uploads/2019/10/opdg_2015_02.pdf) (参照2019-11-15)

3) 馬場美穂, 伊藤 弥, 鮒田栄治ほか: 妊娠中の統合失調症の治療はどうすべきか―何が児に影響するか―. 精神経誌, 121 (9); 689-699, 2019

4) 千葉理恵, 梅田麻希, 宮本有紀ほか: 精神疾患をもつ人々のリカバリーを支援するために, 専門職者が大切であると認識していること―自由記載の質的分析から―. 看護科学研究, 16 (3); 70-78, 2018

5) 石塚佳奈子, 尾崎紀夫: 「遺伝」を継承と多様性で語る精神科医療に―精神疾患の遺伝要因を当事者やその家族とどう話し合うか―. 精神経誌, 121 (8); 602-611, 2019

6) 岩本邦弘: 精神障害と自動車運転―わかっていることとは何か?―. 精神経誌, 119 (7); 485-492, 2017

7) 柏木哲夫: 死にゆく人々のケア―末期患者へのチームアプローチ―. 医学書院, 東京, 1978

8) Klockmo, C., Marnetoft, S. U., Nordenmark, M., et al.: Knowledge and attitude regarding recovery among mental health practitioners in Sweden. Int J Rehabil Res, 35 (1); 62-68, 2012
Medline

9) 新村 出編: 広辞苑第6版 岩波書店, 東京, 2008

10) 熊倉陽介: 質問促進パンフレットを用いたリカバリー志向の診療. 精神経誌, 118 (10); 757-765, 2016

11) 中山和弘: 患者中心の意思決定支援. 日本手術医学会誌, 40 (2); 91-96, 2019

12) 夏苅郁子: 「人が回復する」ということについて―著者と中村ユキさんのレジリエンスの獲得を通しての検討―. 精神経誌, 113 (9); 845-852, 2011

13) 夏苅郁子: 人は, 人を浴びて人になる―心の病にかかった精神科医の人生をつないでくれた12の出会い―. ライフサイエンス出版, 東京, 2017

14) 夏苅郁子, 夏苅直己, 金原明子ほか: : 「精神科担当医の診察態度」を患者・家族はどのように評価しているか―約6,000人の調査結果とそれに基づく提言―. 精神経誌, 120 (10); 868-886, 2018

15) 丹羽真一: リカバリーの時代とSST(生活技能訓練). 精神経誌, 120 (7); 592-600, 2018

16) 野中 猛: がんサバイバーという臨床活動. 緩和ケア, 23 (4); 266-267, 2013

17) 臨床遺伝専門医制度委員会: 全国臨床遺伝専門医・指導医・指導責任医一覧. (http://www.jbmg.jp/list/senmon.html) (参照2021-02-14)

18) Thornicroft, G., Slade, M.: New trends in assessing the outcomes of mental health intervention. World Psychiatry, 13 (2); 118-124, 2014
Medline

19) 山口育子: 賢い患者. 岩波書店, 東京, 2018

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