Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第118巻第10号

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特集 リカバリーの脳科学と支援ガイドライン
家族・当事者としての経験を通して見たリカバリー,そして精神科医として考えるリカバリーについて
夏苅 郁子
やきつべの径診療所
精神神経学雑誌 118: 750-756, 2016

 私は統合失調症だった母親をもつ子どもであったこと,自身も摂食障害やうつ状態を呈し精神科に通院したこと,その後に精神科医となった経緯を2011年,本誌に論文として発表した.発表を通してさまざまな方々と交流することで,私にとっておぞましい人でしかなかった母が力強くリカバリーを果たしていたと思うようになった.半世紀にわたり精神科に通院した母は,私にはもはや「不幸な人」ではなくなった.こうした母への考え方の変化は,私自身の価値観の変化・内面の強化をもたらし,自身のリカバリーの方向性が見え始めている.方向の先には,幸運にも精神科医となることができた自分が精神科医療のために何ができるのか,家族・当事者でもあった自分にしかできない社会活動をやりたいという「精神科医としてのリカバリー」がある.活動の1つとして,私は2015年6月に「精神科医のコミュニケーション能力」を全国の当事者・家族に問うアンケート調査を行った.母や私が精神科医療を受けたとき,治療について主治医と率直に話せなかった悔しい経験が基盤にある.自身の変化から,リカバリーとは主観的な回復を表すものであり,主観は人生の途上で変化するものなので,「リカバリーした」とピリオドを打つものではないことを実感した.私にとってリカバリーとは,常に「坂道を登っていくようなもの」と感じている.人生の出会いや出来事により,時には坂を転げ落ちそうになることもあるだろう.リカバリーの坂道を登っていくには,そういうときに支えてくれる人が必要である.精神医学の専門家とは,医学知識を基盤にもちながら一方で患者・家族の主観に基づき,坂道の傍らで「その人にとってのリカバリー」を支援する大切な一人であると考える.本稿では,上記の変化を記述したうえで「精神科医としてのリカバリー」への坂道を登る私の姿をお伝えし,皆様の臨床に何らかの参考になることを願う.

索引用語:家族, 当事者, リカバリー, 統合失調症, 偏見>
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