Advertisement第121回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第116巻第8号

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特集 日本精神神経学会が自殺対策に果たすべき役割とは
自殺予防に関する国際連合/世界保健機関のポリシーと東アジア地域の現況
高橋 祥友, 高橋 晶, 今村 芳博, 山下 吏良
筑波大学医学医療系災害精神支援学
精神神経学雑誌 116: 690-696, 2014

 国際連合(UN)と世界保健機関(WHO)によりまとめられた国のレベルにおける自殺予防ガイドラインの趣旨を紹介するとともに,現時点で東アジアに起きている自殺の現状と将来への予防の方向性について解説した.わが国は世界の中でも高い自殺率を呈しているが,近年では自殺率上昇傾向が他の東アジア諸国でも認められる.たとえば,大韓民国の最近の自殺率は人口10万人あたり30を超え,わが国の自殺率を上回っている.この現状を直視して,さまざまな対策が進められつつある.UNガイドラインの冒頭で,これはあくまでも議論の叩き台であって,各国の必要性を十分に議論した上で,それに沿った独自の対策を立てるべきであると強調されている.わが国でも2006年6月に自殺対策基本法が成立し,自殺予防は社会全体で取り組むべき課題であると宣言された.経済の急速な発展やそれに伴うグローバリゼーションの結果,人員整理,成果主義の導入,非正規雇用の増大などにより貧富の格差拡大などがもたらされ,従来の雇用体系が確保できなくなったことが,自殺の増加の社会的背景とされている.さらに,このような社会経済的変化が固有の地域・家族制度の変化をもたらしたことも自殺が増加した原因と見なされている.

索引用語:自殺, 自殺予防, 国際連合, 世界保健機関, 東アジア, 自殺対策基本法>

はじめに
 1991年の国際連合総会(UN)において,世界中で年間約100万件の自殺が生じていて,社会経済的に深刻な問題であり,国のレベルで自殺予防に対する具体的な行動を開始することが提唱された.それに応えて,1993年5月25日から29日まで,カナダのカルガリでUNと世界保健機関(WHO)合同で自殺予防のための包括的国家戦略ガイドラインの立案と実施のための専門家会議が開催された.14ヵ国から約20名の専門家が参加し,1週間にわたって各国の自殺の現状を発表した.各国の実情は多岐にわたった.たとえば,すでに国のレベルでの自殺予防対策を始めている国(フィンランド),自殺予防に特化するのではなく精神科医療水準の底上げを図ることが先決であるとの結論を下した国(オランダ),若者の自殺が深刻な社会問題となっている国(オーストラリア,ニュージーランド),中高年の自殺が深刻な国(日本)1)8),ソビエト連邦からの独立前後で自殺率の変化をみた国(エストニア),感染症や飢餓対策が優先されて精神保健に十分な対策を取ることができない国(ナイジェリア)などであった.

I.UN/WHOガイドライン
 カルガリ会議における議論に基づいて自殺予防のためのガイドラインをまとめ,1996年にUNにおいて最終的に承認され,各国に配布された9)
 前述したように,カルガリ会議に参加した14ヵ国ですら自殺の実態は多様であった.この現実を直視して,ガイドラインの冒頭では,「すべての国や地域に一律に応用可能な自殺予防対策などはない.関係者が十分に議論した上で,ガイドラインを参考にして各国や地域に応じた対策を立てることが必要である」と強調されている.以下,このガイドラインをUN/WHO自殺予防ガイドラインと呼ぶ.その要点を表1にまとめておく.これからも明らかなように,UN/WHO自殺予防ガイドラインでは,精神保健領域の対策が中心であり,後に2006年にわが国で制定された自殺対策基本法のように,多重債務者への救済策といった,経済対策は具体的な項目として挙げられていない.経済対策からの自殺予防は具体的に項目が挙がっていないものの,「1.各国の実情に合わせて独自の対策を立てる」「9.総合的にサポートする」などの項目を考えて,自殺と債務の間に深刻な問題があるととらえるならば,自殺予防対策に経済対策を加えるという発想も当然出てくるであろう.
 最後の項目に,「マスメディアとの協力関係を築く」とあるのも独特である.高度に情報化した現代社会において,たとえば,著名人の自殺がセンセーショナルに報道されると,他の複数の自殺が引き起こされる群発自殺(cluster suicide)といった現象も知られている3)5).しかし,単にマスメディアを非難するだけでは問題解決にはならず,適切な報道が自殺予防にもつながることが強調されている.
 各国や地域が自殺予防対策を進めるにあたって,次のような流れで進めていく必要があると指摘されている2)
 1.自殺の実態の把握:効果的な自殺対策を実施する上で,自殺の実態が把握されていることが出発点となる.
 2.ターゲットの設定:関係者が十分に議論して,何がもっとも深刻な問題で,どこから対策を始めるべきかという点についての合意を形成する.
 3.実情に合った予防対策の立案と実施:最新の自殺予防対策をいかなる国や地域でも一律に行うことができるわけではない.予算も人員も限られている中で,「今,ここから」という発想で自殺予防対策を立案し,実施に移す必要がある.
 4.対策の評価:自殺予防対策はけっして短期間で効果が現れるものではない.適切な方針のもとで中長期的な対策を立て,それを実施する.そして,対策を実施したら,その効果をかならず評価する.
 5.予防対策の改善:評価された内容をもとに,対策を改善し,より効果的な対策を実施できるようにする.

表1画像拡大

II.自殺率の目標値
 国のレベルでの自殺対策を開始するにあたって,かならず数値目標が議論される.たとえば,わが国では年間約3万件の自殺が生じているが,それをただちに0にするというのは非現実的な目標である.さて,どのあたりを目標値とすべきであろうか? これにはいくつかの考え方がある.
 ①現在よりも10~20%減少させることを目標にする
 ②交通事故死者数と同数程度にする
 ③世界の平均自殺率
 ④アジアの平均自殺率
 ⑤G8諸国の平均自殺率
 ①は各国の自殺予防対策においてもしばしば出てくる数値目標であるが,合理的な根拠があるわけではない.たとえば,わが国の自殺総合対策大綱でも「自殺対策の数値目標を2016(平成28)年までに,2005(平成17)年の自殺死亡率を20%以上減少させることと設定する」とある.
 さて,筆者(高橋祥友)はこの点について自殺予防を専門とする多くの臨床家や研究者に質問をしてきたのだが,WHOで長年にわたり精神保健および自殺予防対策の担当官を勤めてきたJose Bertolote博士の意見がもっとも妥当なものであると思われたので,紹介しておきたい.
 まず,男女別に,横軸に年齢,縦軸に自殺率をとって,自殺曲線を描いてみる.そこで,もっとも深刻な性別,年代をターゲットにして,自殺予防対策を実施する.ある期間(5~10年)でその自殺率をたとえば30~50%下げることを目標にする.その期間が過ぎたら,自殺曲線を新たに描いてみて,次のターゲットにすべき群を定めて,そこを対象としてさらに自殺予防対策を進めていく.何%下がったから,それでよしということはなく,これを繰り返していくというのが,Bertolote博士の意見であった.

III.フィンランドの自殺予防対策
 自殺予防対策が成功した国の例としてしばしばフィンランドが挙げられるので,簡単に紹介しておく.図1に示すように,フィンランドの自殺率は1990年には人口10万人あたり30を超えていたのだが,10年以上かけて自殺率を約3割低下させた.筆者は2005年2月にヘルシンキを訪問し,自殺予防活動に主要な役割を果たした人々を訪問し,意見を交換した.以下のデータは筆者がフィンランドを訪れた当時のものである6)7)
 フィンランドについての基本的な情報を述べると,北欧の一院制の議会制民主主義国である.国土は34万km2と日本よりやや小さく,人口は約520万人である.フィンランド全体の精神科医の数は1,400人(特別な資格を有する精神科医1,100人)であり,人口あたりの精神科医数はわが国の約2倍にあたる.
 自殺予防対策の第一段階として,国立公衆衛生院(NPHI)のJouko Lönnqvist博士が責任者となって自殺の実態が調査された.1987年4月~1988年3月にフィールドリサーチを実施し,1年間にフィンランドで生じた自殺1,397件について心理学的剖検の手法を用いた調査を実施し,分析した.この調査の目的を説明され,参加に同意した遺族の率は96%という高さであり,この調査結果はベースラインのデータとして貴重な情報源となった.その要点は以下の通りである.
 ①自殺者の大多数(93%)は最後の行動に及ぶ前に何らかの精神障害の診断に該当する状態にあった.
 ②うつ病,アルコール依存症,あるいはその両者の合併で,全体の約8割を占めていた.
 ③ただし,適切な治療を受けていた人はごく少数であった.
 ④男性が自殺者全体の3/4を占めていた.
 また,国立福祉健康研究開発センター(STAKES)は具体的に地域における自殺予防対策を地道に実施していくという大きな役割を担った.
 このようにメディカル・モデル(medical model)とコミュニティ・モデル(community model)が互いに緊密な関連をもってこそ,有効な自殺予防対策が実施できるというのは,近年の自殺予防学の常識である.フィンランドもこの両者の連携が円滑に進んだ例といってよいだろう.
 ごく簡潔に解説すると,メディカル・モデルとは,自殺に直結しかねない重症の精神障害を早期の段階で発見し,適切な治療に導入し,自殺を予防する.これはhigh-risk approachとも呼ばれる.一方,コミュニティ・モデルでは,地域の健康な人を対象に早期の問題認識と援助希求的態度を高めるような教育を実施していく.これはpopulation approachと呼ばれることもある.コミュニティ・モデルでは,具体的には次のような点を強調する.
 ・困った時には助けを求めるべきであるというメッセージを伝え,助けを求めるのはむしろ適応力の高い反応であると教育する.
 ・どこに助けを求めたらよいかという点について適切な情報を提供する.
 ・地域の人々に対して精神障害についての正しい知識を教育する.
 ・同時に,精神障害に対する偏見を減らすように働きかける.
 1992年にはSTAKESは“Suicide Can be Prevented”(自殺は予防できる)という冊子を出版し,フィンランドの予防対策の方針をまとめ,とくに次の2点を強調している.
 ①自殺は単独の原因から引き起こされることは稀であり,ほとんどの場合,多くの原因が複雑に絡み合って起きている.したがって,さまざまな領域で活動する人々の協力が欠かせない.社会全体が関心をもたなければ有効な自殺予防対策にはならない.
 ②一般には,ある日突然,何の前触れもなく自殺が起きているように考えられているが,実は,長い期間にわたって問題が山積していき,その末に自殺が起きる.したがって,適切な介入の機会はそれまでにも何度もあるはずである.どのような人に危機が迫っているのか,どのように救いの手を差し伸べなければならないのかが重要な課題となる.
 このようにメディカル・モデルとコミュニティ・モデルの緊密な連携がフィンランドにおける自殺予防対策が奏功した背景にあった.さらに,関係者は当時のフィンランドの内外に起きた社会経済状況の変化も指摘している.すなわち,この時期にソビエト連邦が崩壊し,隣国からの脅威が劇的に減った.さらに,ノキアをはじめとするIT産業が好調で,経済的にも安定した時期であった.このような社会経済的な要因も自殺率が確実に減っていく背景にあったのではないかと指摘されている.

図1画像拡大

IV.韓国の自殺率の推移
 次にアジアの状況をみてみよう.2011年12月4日に台湾の台北市で「2011 International Suicide Prevention Conference」が開催された.比較的小規模な会議であり,東アジア地域で自殺が深刻な社会問題となっていることから,今後,台湾,韓国,日本の間で自殺予防対策に関して意見交換を行おうという合意が形成された.
 その際にソウル大学精神科教授Ha Kyooseob博士の発表から,その要旨を紹介したい.図2にアジア諸国でWHOに自殺率を報告している主な国の率を示した.なお,WHOに自殺率を毎年報告している国ばかりではない.国によってWHOへの報告年に数年の差があるので,これはおよそ2010年前後の率ととらえてほしい.最近では,韓国は日本の自殺率を超え,アジアの中でももっとも自殺率が高い国の1つとなっている4)10)
図3に示すように,過去20年間に韓国の自殺率は約3倍も上昇した.さらに,年代別にみると,図4に示すように,高齢者層の自殺率の上昇が著しいことも明らかである.
 近年の自殺率の急激な上昇の社会的背景として,Ha教授はさまざまな要因を挙げていた.国民総所得の増加,教育水準の上昇,農業人口の減少とサービス業や専門職の増加,女性労働人口の増加,結婚率の減少と離婚率の増加,核家族化,高齢人口の急増,犯罪件数の増加と若年化など,急激な社会経済的な変化が近年の自殺の急増の要因として挙げられるという.さらに,わが国以上のインターネット社会である韓国では,著名人の自殺がインターネットを通じてセンセーショナルに伝わってしまう傾向があり,群発自殺が発生し,拡大する要因の1つにもなっている.近年になって,韓国においても国のレベルにおけるさまざまな自殺予防対策が開始されている.
 Ha教授の発表の最後にまとめとして述べられた言葉が筆者には強く印象に残った.その大意は「韓国は民主化も経済発展も果たした.さて,韓国はこれから未来に向かってどこに進んでいこうとしているのか,これこそが最大の問題である」というものであった.これは韓国だけに対する指摘ではなく,わが国にもそのままあてはまる意見であるように思われた.

図2画像拡大
図3画像拡大
図4画像拡大

おわりに
 本論では,まずUN/WHO自殺予防ガイドラインについて簡単に紹介した.これは自殺予防に向けた包括的な手引きではあるものの,世界の各国・各地域にそのまま応用可能なものではなく,これを叩き台にして,地域の実情にそった独自の対策を立てるべきである.あくまでも関係者の合意に基づいた「今,ここから」の発想から出た対策を実施する必要があることを主張している.
 また,自殺の増加は東アジア地域に共通する社会問題であるという認識も生まれつつあり,この地域の連携は今後ますます必要性が高まるであろう.2011末に台北で行われた自殺予防対策に関する意見交換の場でソウル大学精神科教授Ha Kyooseob博士が指摘された「民主化も経済発展も果たした.さて,我々はこれからどこに向かうのか,これこそが最大の問題である」という言葉は,今後の東アジア諸国に共通してあてはまる指摘のように思われた.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

1) Chiu, H. F. K., Takahashi, Y., Suh, G. H.: Elderly suicide prevention in Asia. Int J Geriatr Psychiatry, 18; 973-976, 2003
Medline 

2) Mann, J. J., Apter, A., Bertolote, J., et al.: Suicide prevention strategies: A systematic review. JAMA, 294 (16); 2064-2074, 2005
Medline 

3) Osvath, P., Fekete, S., Takahashi, Y.: Az Ongyilkossaggal Kapcsolatos Attitudok A Mediaban: Magyar-amerikai-japan osszehasonlito vizsgalat. Psychiat Hung, 13 (4); 405-414, 1998

4) Statistics Korea(http://kostat.go.kr/portal/english/help/1/index.board?bmode=list&bSeq=20185). 2013

5) 高橋祥友: 群発自殺. 中公新書, 東京, 1998

6) 高橋祥友: 新訂増補版・自殺の危険: 臨床的評価と危機介入. 金剛出版, 東京, 2006

7) 高橋祥友: 自殺予防. 岩波新書, 東京, 2006

8) Takahashi, Y.: Suicide in Japan. Suicide in Asia: Causes and Prevention (ed by Yip, P. S.). Hong Kong University Press, Hong Kong, p.7-17, 2008

9) United Nations/World Health Organization: Prevention of Suicide: Guidelines for the Formulation and Implementation of National Strategies. United Nations, New York, 1996

10) World Health Organization: Suicide rates per 100,000 by country, year and sex (http://www.who.int/mental_health/prevention/suicide_rates/en/). 2013

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