Advertisement第122回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第125巻第7号

連載 21世紀の「精神医学の基本問題」 ― 精神医学古典シリーズ
Sigmund Freud―想起することとその崇高性―
新宮 一成1)2)
1)京都産業大学保健診療所
2)奈良大学総合研究所
精神神経学雑誌 125: 623-633, 2023
https://doi.org/10.57369/pnj.23-088

 Freud, S. による精神医学への寄与の意義は,治療論を基盤にした精神疾患の精神病理学を築いたことにある.Freudが始めた精神療法である精神分析は,想起を重んじることをもって成り立つ療法である.よく知られているように,精神分析の発祥は,ヒステリーから心的外傷の記憶を催眠によって取り出すことができたことにある.だがそこからの順調な発展として精神分析という想起の技術が作られたわけではない.想起には,治癒を促すものもあれば,治癒にとっての袋小路となりうる反復や転移,そして妄想さえ作る働きがある.Freudはこのことを持ち前の根気よさで認識し,それらすべてに想起がかかわっていると見なす考え方を発明し,この想起の力ゆえに人間の尊厳が保たれているという認識のもと,想起を聴き取る技術として,精神分析を創り出したのであった.想起を聴き取る際に必要な技法としてFreudが見出したことの1つに,そもそも発病に際してもある種の想起が働くという点がある.すなわち,潜在化している心的外傷の記憶が,後の環境因あるいは成熟の要因によって,時間的に遡って再賦活されて,これが症状の形をとって想起される「事後性」という想起のメカニズムが存在するということである.このメカニズムが幼年期に及んで成人期に症状を現れさせることがある.そのとき神経症の成因は複雑な様相を呈するが,その分析こそ生活史における幼年期の重大さを人に認識させる.精神分析実践に内包されるFreudの医学思想は,想起という心的行為には,人としての内面の意識を成り立たせる崇高性があるということである.

索引用語:Sigmund Freud, Josef Breuer, 事後性, 精神分析の発明, 想起の崇高性>

はじめに
 Freud, S. による精神医学への寄与の意義は,治療論を基礎にした精神疾患の精神病理学を築いたことにある.本稿はこの治療的精神病理学の構築の道のりを,殊に彼が開業医として精神医学の臨床のあり方を徐々に塗り替えていった歩みに即して述べてみたい.Freudの精神病理学において早くに打ち出され,後期に至るまで検討され続けた臨床概念は「心的外傷とその想起」である.これは非常に有名になったものであるが,その内容は「心的外傷が神経症の原因でその想起はそこからの治癒の道」という単純な図式のみでは語れない.
 心的外傷の記憶を「想い出すこと」には,治療学的に実ははっきりとした二面性がある.それは,心的外傷を想起することが治癒への方向性を拓きつつも,治癒への妨げになる副現象をも生み出しうるということである.この二面性をFreudは実際に治療をしているなかで経験し,想い出すことが人を治癒へと導くことに驚き,希望に満たされたが,一方で想い出す作業の途上でかえって新しい症状や転移という症状類似物が現れて進路に立ちふさがり,治療が妨げられることを,嘆かなければならなかった.それぞれにむろん必然的な理由がある.Freudはもともと想起の治癒作用を発見して間もなく,そこで働いた想起する力は,もともと症状という現象がもたらされたときに働いていた当のものでもあることをも見出していた.
 精神分析という方法論の発見は,想起のこの二面性の発見そのものであったし,その後の技法的な彫琢と人間学的な発展は,この二面性の扱いをめぐってなされていったものとしてみてゆくことができる.

I.精神分析創造までの助走―Breuerとの二人三脚―
 神経学者として医師のキャリアを出発させたFreudであったが,精神療法への興味は早くから彼のなかに芽生えていた.パリの神経学者Charcot, J. M. のもとに留学したのは1885年,Freudが 29歳のときであり,神経学の大家Charcotはこのときにはすでに,神経症とりわけヒステリーの研究に軸足を移していた1).FreudはそのCharcotに深く感化され,翌年ウィーンに戻って開業したときには,催眠療法を用いたヒステリーの治療に取り組み始める.催眠による治療活動は,開業医としての生活を賭けた真剣なものになり,Freudはこの時期,Charcotの著作を翻訳したり,Charcotと対抗していたナンシー学派のBernheim, H. M.の許にも出かけて催眠技術を磨いたり,実際にヒステリーの女性患者を催眠で治療したり2),また催眠についての解説を執筆するなど,多忙で充実した臨床研究者としての生活を送った.
 こうした研究と臨床の活動が1つの実践的方向性を見出すようになったのは,Freudが先輩医師Breuer, J. から,Breuerが進めていたあるヒステリー患者の催眠治療の話を親しく聞かせてもらった日々のなかでであった.有能な内科医であり研究者でもあったBreuerによる治療は,早くから催眠という治療法の専門家の一人と見なされながらも,この方法のもつ意味を明確化するのに苦労していたFreudに,大きな光明をもたらした.BreuerとFreudは共著で,「ヒステリー諸現象の心的機制について」と題した「暫定報告」を『神経学中央誌』に発表し,その2年後の1895年には同じく共著で『ヒステリー研究』を出版する.この書物のなかには,Freudによる複数の症例報告と共に,上記の「暫定報告」,Breuerが携わりFreudに語ったヒステリー症例の治療歴,加えてBreuerによって著された「理論的部分」があり,そこには後に精神分析が打ち立てられてゆく際の礎石となった「想起」の機能についての基本的知見が散りばめられている3-5)
 Breuerは,アンナ・Oという仮名で呼ばれる女性をほぼ毎日の催眠療法で治療していた.そしてその治療的催眠中の特徴は,「患者自身が話す」ということだった.催眠療法の常道を,患者を催眠に導いてその間に医師からの指示を入れるということだとするなら,これは不十分な催眠であったと見なされもしよう.しかし患者はこのような状態に自分のほうから自己誘発的に入って行って,自分自身にかかわる物語を長々と話しだすことができたのである.そしてBreuerはそれがヒステリーという病の特性と結びついているばかりでなく,自己治癒に向かおうとする潜在力の表明であるということを見逃さなかった.これを「解離」の現象として,未熟な性格の二分裂だと突き放すこともできたかもしれない.しかしBreuerはそうした人格論に引き摺られず,患者がその間に,症状の解発にかかわった体験を,想い出し語ることができたという患者の側の精神的な営みに着目した.
 これはFreudに大いに興味を抱かせた.Freudは,その頃にはすでに,周囲に容れられず自分でも忘れたいような体験の記憶がヒステリー症状を起こすという可能性を考えていて,催眠状態でのその記憶の想起は患者自身による症状の説明になっている可能性に気づいていたからである3).そしてこの共著でFreud自身の症例報告や精神療法論を,この構想に基づいて展開した.現代の精神科臨床において,解離現象に遭遇したならばその底には心的外傷体験があることを考えておくべきであるのはすでに教科書的な知見であると言ってよいが,BreuerとFreudはそうした法則性の具体例を当時すでに目のあたりにしていて,詳細にその動態を記述していたことになる.
 その記述に際して,Breuerは「類催眠状態」という概念を用いた.それはBreuer自身の言葉を借りれば「真性の自動催眠」というべきものである.ここでBreuerは,術者が患者に対して施術して人為的に引き起こすまでもなく,患者自らが自己誘発的に経験する催眠に準じた軽い意識水準低下状態における,外傷性の心的体験が問題だと言っているのである.加えてBreuerは,この状態は患者が自ら「私の劇場」と呼ぶような,白昼夢を生産しやすい空想力から連続してきているということ,さらに,この状態で患者に経験されたことが,その後治療のためにBreuerによって引き起こされた人為的な催眠状態において,再現され,語られうるということまでを観察した4)
 だがそれは,催眠さえ行えばやすやすと再現される質のものではなく,まずは何も出てこない呆然状態を経て現れるのであった.その呆然状態を経過したうえで,類催眠状態が病気の父の介護の間に存在して,その間には患者が強烈な幻覚を見ていたということがわかったのである.父は重い肋膜周囲膿瘍を患い,そのためにやがて亡くなるのであるが,その間,患者アンナ・Oは,「寝ずの介護」を繰り返していた.その介護の一夜に,壁から蛇が現れてきたのであった.もちろんこれは幻覚であった.彼女はそれを右手で追い払おうとしたが,右腕が麻痺して動かなかった.この麻痺は,介護中に傾眠から白昼夢へと入っていた間,彼女の腕が椅子のひじ掛けに圧迫されていたことに対応していた.その間に現れたのがこの蛇である〔それは睡眠とも白昼夢とも空想とも決め難い意識状態,つまりBreuerのいう類催眠状態においてのことであり,その意味では蛇の幻覚も夢幻的表象に近づいて,Jaspers的な用語法を適用すれば(強度の高い)偽幻覚ということになるかもしれないが,ここでは患者自身がそれを知覚表象だと感じて右手で振り払おうとした事実があるので,われわれはこれをBreuerの見立て通り,単に幻覚と言っておこう〕.
 そしてBreuerは,自己誘発性の類催眠状態下で経験されたこの幻覚と麻痺とが,アンナの症状の起点となった「心的外傷」の体験であり,ヒステリーの原因であると結論づけたのである.確かに,アンナの症状は,視野狭窄,難聴,失声,ジャルゴン,夢遊状態や,上下肢の進展性拘縮などであり,介護中に経験した蛇の幻覚の組成は,症状の組成と対応していると見なせる.しかもこれは「自分に催眠をかけて遊んでいたら蛇の像が出てきて驚愕した」ことが外傷体験になったということではなく,強い介護ストレスのもとで受動的に起動された幻覚体験である.これらの症状は介護していた父が死亡すると,途端に悪化し,寝たきり状態,夢遊状態,そして自殺衝動が頻繁になって周囲の目からも明確に発病したことが認識され,催眠治療で蛇の幻覚の体験がしっかり語り出されるまでは間断なく続いていたのであった.なお父の死の前にも,父の頭が髑髏に見えたり,鏡に映る自分の像が髑髏に化した父の顔であったりする錯覚も経験しており,「蛇と父と死」を組み合わせたこの幻影世界は,彼女のなかで持続していたことがうかがわれる.
 当然,この蛇の幻覚体験による外傷性記憶の影響が取り除かれることが治癒の目安になるだろう.ここから精神療法史上有名な,患者自身の命名による「お話し療法」あるいは「煙突掃除」,Breuerが命名し直したところでは「カタルシス法」によって,この蛇の幻覚をはじめとする出来事が,1年の間「話し尽くされる」ことになった.極度に不安にさせる蛇の幻覚の経験が明らかになってからは,彼女はこの療法にさらに熱心に取り組み,驚くべきことに,自らその幻覚体験を再現させる実験を敢行している.Breuerの示唆があったのかどうかはわからないが,それはほとんど「130年前の曝露療法」とでも言えそうな自己治癒実験であった.彼女は自分の「部屋を父親の病室と同じように模様替えするといったことをし,それを助けとして(中略),上述した不安幻覚を再現させた」のである.Breuerはこのときの詳細を描写していないが,少なくとも蛇の姿がリアルに浮かんでくるということが,再び自分に起こるかどうかを,彼女が自分に試したことは間違いないと思われる.
 この患者はもともと高い精神力の持ち主であると書かれており,実際,その後に治癒してからは社会活動家として実績を上げて切手に肖像画が採用されるほどの人であったのだから,自己治癒のためにこれくらいの実行力を発揮することがあっても不思議ではない.しかし,それほどの女性にして,「寝ずの介護」ということは,強烈な病因的ストレッサーとして働いたことは間違いない.度を越した睡眠剝奪によって,日中の傾眠が生じ,それが催眠類似の状態へと進んだこと,そして介護の対象が寝たきりの実の父であったということ,そのことによって幻覚が,そして夢遊状態や身体化を含む解離症状や自殺衝動が起きたということは,現代のPTSDの標準的な知識からも十分に考慮に値する見立てである.
 Breuerによる次のような一節をここに示しておこう.そこで彼は今でいうPTSDを「外傷性ヒステリー」として捉え,彼が助手のKarplus, P. 博士という人から聞き知った,次のような臨床事実を紹介している.ある若い娘が最初のヒステリー発作を起こしたのは,暗い階段でたまたま猫が肩に飛び乗って来たときであって,それから発作を繰り返すようになった.単純な驚愕反応のように見えた.しかしその数日前,彼女は同じ階段で若い男に襲い掛かられ,辛うじて逃げたという経験をしていた4)
 Breuerは,この若い男による襲撃事件が,認識も報告もされずに後の猫の1件が病因と見なされるようなことが,多くの症例において起こっているのではないかという.すなわち病気の成立には,2つの外傷体験がかかわっていることを見逃すべきでないとする.外傷体験の場合,その1つの外傷が繰り返し想起されてそれ自体が病気を構成する場合があり,それが「狭義の外傷性ヒステリー」である.ところがもしもその外傷の強度をとにかく減衰させようと,想起をしないまま心のなかで患者自身による「心的加工」が試みられるうちに,減衰し切れていない情動価は後に起こった他の非特異的な体験を短絡路として捉えて噴出し,その短絡路が症状形成経路として定着することがある.だから表象を伴う想起は統制可能な範囲において必要なのであるが,アンナ・Oの場合のように類催眠状態で起きた外傷的な心的体験は,穏便に想起したくてもできないものであり,その種の短絡的噴出を招くというのである.アンナの病気は親愛なる父を失った娘が受けたショックからきているようにみえたが,そこにはその半年ほど前の白昼夢のなかの幻覚体験が背後からかかわってきていたのだ.そのためこのケースでは治療的に制御された想起を促進することが必要になって,実際患者自身の自己治癒的関与の力も手伝って,治療は成功した.このことは「狭義の外傷性ヒステリー」ではないいわば「一般の外傷性ヒステリー」を,催眠法による想起という手技で治そうという構想の範例となった*1
 そして患者がその想起を行い得たとき,催眠から醒めた患者から,実際に症状が消えていた.Breuer自身もFreudも,このことへの驚きを率直に書き記している.

 「最初はその発見に我々自身が大変驚いたものだった.つまり,誘因となる出来事の想起をを完全に明晰完全に明晰な形で呼び覚まし,それに伴う情動をも呼び起こすことに成功するならば,そして,患者がその出来事を出来る限り詳細に語詳細に語りその情動に言葉を与えたならば,個々のヒステリー症状は直ちに消滅し,二度と回帰することはなかったのである.」3)(傍点は原著者による)

 これは,上記「暫定報告」に記されている言葉である.二人の著者の驚きが並々ならぬものであったことがうかがい知れる.しかし『ヒステリー研究』のなかで「ヒステリーの精神療法のために」と題した最終節を分担執筆するにあたり,Freudは多少とも冷静さを取り戻し,用いられた技法が行われるにあたっての困難についても説明しなければならないと告白してから記述を始めている5).実際,対処せねばならぬ困難もまた,並々ならぬものであった.それを克服するためには新しい技法を開拓しなければならなかった.

II.精神分析樹立の基礎理念としての想起の至高性
 Freudの精神分析関連の著作の英語版全集であるStandard Edition(SE)の編集に向けて,Freudは編者とともに『ヒステリー研究』に目を通していた.そして,ある箇所を指さして,英語版の編者に向かい,「この箇所には,テクストに脱落している部分がある」と言ったのである6).それはまさに,アンナ・Oが,「病気全体の根幹となっている」あの幻覚を再現させて(想起して),その直後から,「以前呈していた数え切れないほどの個々の障害のすべてから解放されたのである」とBreuerが書いている当の箇所7)であった.
 Breuerの治療がめでたく終わったはずのその瞬間に,いったい何があったとFreudは言いたかったのだろうか? ここで英語版の編者は,後年Freudが自らの自伝的語りのなかでそれを明らかにしたと述べている.その自伝にはこうある.

 「件の女性には,カタルシス法による治療が終了したと思われたあとになって,突然に「転移愛」の状態が発生していたのだ.それをBreuerは,患者の病状とはもはや無関係なものと考えた.狼狽した彼は,患者を投げ出してしまったのである.この一見したところの災難を想い出すのは,彼にはつらいことだったにちがいない.その後しばらく,私にたいする彼の態度は,是認と批判の間を揺れ動いた.やがて,緊迫した状況にはつきものの偶然がいくつも重なって,私たちは袂を分かったのである.」14)

 この「転移愛(転移性恋愛)」の内容も,Freud伝の著者Jones, E. によって明らかにされている.それは「Breuerの子を宿した」という妄想様観念であった6).これが名医Breuerをいたく苦しめたことは,Freudが思いやっている通りであろう.
 このような病理現象が出現したことをどう捉えればよいのだろうか? これは治療法が無効であることを示しているのか,それとも再発と考えるべきなのか,いやそれとも重大な副作用なのか,副作用だとしても,修正すればまたこの治療法を用いて再発を抑えられるのか,それとも病気の治療とは関係のない不適切な感情を呼び込んでしまうという技法の本質的欠陥なのか…….検討すべきことは多々あるが,Breuerにとっては催眠によるカタルシス法をこの症例に続けるという選択を放棄させるほどの困難を与えるものだった.しかしFreudにとっては,この事象は困難であると同時に,それ自体のなかに打開の道を示唆することがらを含んでいた.
 Freudは,Breuerとの共同作業のなかで,想起こそが人間にとって重要であるという認識を自分のものとしていた.Breuerに負うこの認識はFreudの治療指針として最晩年まで保たれた.Freudが臨床的方法論を転換してもさらに保持し続けた原理があるとすれば,それはこの想起の力であり,想起によって新たな困難が招来されるとしても,Freudはやはりそれを想起に内在する問題の1つとして考察の対象にすることにした.想起という根本的な精神作用への信頼感の上に立てばこそ,Freudは引き続きこの妄想着想の如き転移愛を,治療のなかで扱い続けるべきであると考えることができたのである.ただこれは,そこで引いてしまったBreuerを咎めるかのような立ち位置になりかねない.事実Freudは上の述懐の通り,真の盟友と言えるBreuerの友情を失うことになったが,それでも,想起を治療の軸にすることをやめるべきでないと考えたのである.
 アンナは幻覚のなかでの蛇の出現という外傷体験に見舞われた.それは健忘のなかにいったん落とされたが,Breuerによる催眠療法のなかで想起され蘇り,症状の軽快を導いた.患者はそのあとこの想起を自己誘発する試みもした.ところがその後出現してきたのは,治癒の安定化ではなく,Breuerの子を宿しているという妄念だったのだ.しかし落ち着いてFreudの立脚点に戻ってみよう.患者自身が自分の想起を促進するようなしつらえをしておいたところに出て来たのがこれであった.そのことをそのまま受け止めよう.これはつまり,FreudがBreuerと共に患者のなかに認めた,想起することによって治癒しようとする根本的な力が,引き続き働き続けていて,その力が新しい局面を拓いたということではないのだろうか?
 これこそが,Freudがここで想起の治療力への信頼を捨てずにいることを可能にした考え方なのである.確かにいったんはBreuerと共にFreudも嘆いたであろう,せっかくの想起の代わりに,転移愛が発生したと.だが,患者が求めて辿っていた想起の途は,そのまま続いていたのであって,想起は,もともとのヒステリーの病因的な力となっていた性的な力をも,ここで再賦活させたのではないのだろうか.Freudが到達したのは,せっかく発見された想起のもつ治療的な力を信頼し続けることと,それによって病因的な力が再現しても,想起それ自体のもつ至高の治癒力を尊重するという考え方であった.ここにこそ精神分析の開始点がある.彼が論文に精神分析という言葉を初めて使ったのは,1896年,『ヒステリー研究』出版のあくる年である18)
 アンナ・Oの幻覚と転移愛とを振り返って,転移の中身を確認してみよう.瀕死の父親を二人きりで介護して睡眠剝奪状態となったアンナに,壁から蛇が現れた.これが外傷的幻覚である.父の死の後,幻覚を想起して症状が軽快して,治療は不要となってBreuerも来なくなるだろうという予想が立つ頃,アンナはBreuerの子を宿していると信じた.これが妄想的な転移愛である.2つの間には対応関係がある.去り行くBreuerは,天国へ去った父に代わって愛の対象になったことが明らかである.そして天国へと去った父は,Breuerの姿をまとって,アンナを言葉で妊娠させたのである(神格化された「父」による受胎告知と表現できよう).後のFreudの象徴表現についての構造論的思考をここに適用してみれば,睡眠剝奪状態での外傷的幻覚体験の場面には,1つの神話的コノテーションがある.原初の男であるアダムが,アダムの肋骨から造られた女と世界で二人きりでいるところに蛇が現れて,生殖力の存在を知らせるのである.父のそばでアンナの見た幻覚は,男女と蛇の場面構造が旧約聖書の神話と相同的に重なるが,生殖力は覆われたままであった.しかしアンナの転移愛の妄想的観念では,その覆いが取れて,先の幻覚場面のコノテーションは明示的になった.覆いを取ったのは,持続的に働き続けている想起の力に違いないのである.アンナはここで,旧約・新約聖書の神話を,想起の力によって象徴的に生きようとしたとの見立ても可能である.転移愛のなかのアンナはまさに,想起の仕事の真最中であったのだが,死せる父の不在の場に面して,そこにBreuerという人物像を引き込んでしまったのである.
 このように想起の延長線上に潜在している転移というものを,どう治療的に扱うべきかという問題を,FreudはBreuerから引き受けたことになる.これはむろん,Freud自身が何人かの患者たちから転移を向けられ,Breuer同様にそれに苦しむという経験をすることによってしか解けるものではなかった.Freudは実際多くの転移経験を報告しているが,ここで1例だけを簡単に挙げておくことにしたい.家族力動や発症のきっかけまでがほぼ明らかにできていながら,転移によって示唆された内容が謎のままに残って,結局患者のほうから治療を中断してしまった「ドーラ」という仮名のヒステリーのケースがある9).Breuerの場合と同じように,転移が中断を招いたと言えなくもない.Freudは,転移への自分の対応に誤りがあったのではないか,その結果,想起が十分に行い得なかったのではないかと自問しながらも,ではどうすべきであったのかということについては問題含みのまま報告を終えている.
 Freudが転移愛について,実践的な指針を示すことができたのは,1915年の「転移性恋愛について」という論文においてであり13),Jung, C. G. との技法的・学派的確執の余波が収まらぬ頃のことで,Freudの示した答えは,やはり患者と共に想起する仕事を続けることであった.Freudは転移愛へのいろいろな対応可能な道の候補を想定してみて,それらの倫理的得失を吟味し,想起の重要性を再確認する.このような作業は転移愛を想起の本来の途に引き戻せる目算が立っていないとできないことである.
 精神分析には,治療中に「行動化」や「反復」,時には両方の意味を含む事態が起こる.しかもそれらのなかには何らかの「想起」が含まれていることが普通である.「転移」は,遠い過去を繰り返すという意味で「反復」であり,かつ「想起」でもある.精神分析治療でとびきり大切なものと認識された「想起」であるが,想起に胚胎されながらも,折をうかがって転移や行動化のほうに向かった観念経路が,元の想起の道を塞ぐことがある.こうした観念経路が生じる起動因として,アンナにおいては,死んだ父と治療者の間に,強力な性的な力による橋渡しが作られたことが推定される*2
 それでも治療にとっての想起の力の至高の価値を,Freudが捨て去ることはなかった.Freudがその壮年期に出会って長い治療経験を共有したある強迫性障害の症例は,Freudとの分析のなかで,その根本的な無意識活動において,金銭と鼠と子ども,そして自己自身との間をつなぐ象徴的交換関係が成立していたことが明らかにされている.この人は,Freudとの間に強い転移関係を形成し,その陰陽両面を経験したが,治療の終結に向かう時期に,Freudの家の階段を舞台とするある夢を語った.この転移夢のなかに,症状の発生を導いた彼の家族内での金銭的諸契機が明快な象徴で想起されており,夢を語ることがそのまま症状の淵源を語ることになっていた10).この症例の転移も他の面では対処が必ずしも簡単ではなかったのであるが,想起という肝腎な点では成功裡に運んだのである.
 これほどにFreudが治療のためにこだわった「想起」という営為であるが,この営為がそのこだわりに値するものであるのかどうかを,われわれは吟味したくなる.Freud自身もその点については常に気にかけていた.そして,想起という心的行為こそ,個人としての人間の内面を支えているものであるがゆえに,それを放棄することはあり得ないというところまで,壮年期の臨床のなかで考えを巡らしていた.想起せずに忘却することも人間にはできるし,話さずにいればある程度忘れたかのような行動ができるという能力も人間にはある.こういった想起以外の選択肢を保存的療法として医療者は知らず知らずのうちに選択しているかもしれない.さらに想起すべき内容を認識しないまま他人に責を負ってもらうという精神的行為も世の中にはあるだろう.しかしFreudは,転移の場合のように,想起が現実の治療場面とつながって,想起それ自体に対する抵抗と化すような現象を起こしても(あるいは起こるからこそその現象の分析を通して),想起を続けてそのつながりを解きほぐすこと12)こそが治療にとって至高の価値のある道であると考えていった.なぜならそもそも想起は,人の過去からの人格の連続性や一貫性の感覚を保たせるものであるに違いないからである.想起が可能となる精神環境を構築したうえで*3,さらに想起を続けることによって,医療は一人一人の人格の尊厳の保持に資することができるだろうという見通しを,Freudは持ち得ていたのであろう.

III.遡行する想起から崇高の出現へ
 ナチスに逐われての亡命を余儀なくされた慌ただしい最晩年のこと,Freudは,「キリストが人々の罪を自らの死で贖ってくれたおかげで人々は救われた」というキリスト教の基本信念について,次のように解釈している.まずユダヤの民は,民の父ともいうべきモーセという大人物を殺害してしまったとFreudは考えた.しかもモーセはもともとエジプト人であると彼は想定した.その罪は思い出せない過去になっていったが,無意識の罪の記憶は残り,それはユダヤ民族を結束させ,死せる父が定めた掟を守る,父なる神への愛という観念になった.ところがあるとき,「人々はすでに救われている,なぜならイエスが全ての民の罪を,その死によって贖ってくれたのだから」と唱えるキリスト教の教義が現れた.そこでFreudは問う.いったい,誰かの死によって贖われるような罪とは何だろう,それは殺人以外にはないではないか,その殺人はまさにモーセの殺害を措いて他にはあるまい.すでに救われているという着想は,無意識の苦しい罪悪感から逃れるべく発展した,集団的な妄想である.これがFreudのキリスト教への解釈であった.
 ところが,このような被救済妄想をもつということをよくよく打ち眺めてみると,それはそもそも自分が罪を負っているということを認めたということになっているではないか.罪があったからこそ,今,そこから救われているのである.こういう妄想的な形で,キリスト者は,古い過去の殺人の罪業を,想起しているのだと見なせる.罪業を想起しているのであるから,それを想い出せないユダヤ人,神を愛してさえいれば救われると考えるユダヤ人よりもましなのである.想起の尊さについてのFreudの洞察は,それを民族の精神的水準の尺度とするところにまで進んだ15)
 回りくどいのみならず,ユダヤ人自身がユダヤ人に対して下す判断として,これは甚だしく異色であろう.しかし「想起」ということにFreudが置いたきわめて高遠な倫理的価値は,それゆえにかえってよく浮かび上がってくるではないか.しかもFreudは,自民族であるユダヤ民族を,この「想起」という価値基準によって格下げし,対するキリスト者たちを,罪の想起を裏返すかのような被救済妄想を思いついたことで,ユダヤ民族より上に置くのである.自虐ともとれなくはないこの見立てによって,ユダヤ人に対するナチスの暴虐を少しでも宥めてもらえないかと,ローマ教会にネゴシエーションを持ちかけているFreudの心が痛々しい.ナチスのユダヤ人迫害は本当はキリスト教嫌いなのだとも唱えている.ただローマ教会側がこの訴えに耳を傾けた形跡はない.
 ふだんの治療のなかでも,Freudは,心的外傷となった経験を「想い出す」ことができるように,そして,新宗教の発明ならずとも,それを自由連想なり,夢語りなり,言い間違いなり,何らかの仕方で語ることができるように,患者を導こうとしたことは上に紹介したいくつかの治療歴からもよく伝わってくる.それが精神分析場面の基本設定である.妄想によって想起を語る人があっても,その語り方を一旦受け入れようというところまで,Freudは治療的姿勢をごく柔軟に保った.すなわちFreudの実践は,想起という心的営為に,人間の歴史を作りつつ流れる一人一人の意識のかけがえのなさを託すということによって成立していた.一人一人の考えは,気づかぬうちに1つの想起を含んでいることにおいて,長い歴史を背後に控えさせている.想起が身体症状となっても,妄想という奇矯な観念になっても,はかない夢となって消えかけても,想起を含む限りにおいて,これらの思考は尊重されなければならないものであることがわかる.「妄想を持つということは,1つの自己治癒の試みである」というFreudの有名な見方がある11).この見方によって,病める人は人としての自尊感情を回復できることもあるだろう.
 前節においてみたように,Freudは医療において,人間の精神における「想起」という営為の高い実践的価値を取り出し,確定させたが,この価値は畢竟人間全般に及ぶものではないだろうか.実際,そこへの着目は,西欧近代の人間学の中軸思想である.歴史に流されてゆく人間は,逆に歴史を内面化して,一個の個人としての主体的意識をもつに至る.その主体意識の発露が「想起」なのである.想起することで,目撃者として話す個人は,自身の背後にある歴史を押しやり,曳き戻し,動かせるのである.人間中心主義と言えばその通りであり批判も招いている近代思想だが,ともあれこの「想起」の思想は,Locke, J. が人格を記憶の束として見なしたことに始まり,Kant, I. の人間学を受けて,考える内面をもつ人間の尊厳というPascal, B. やDescartes, R. 以来の理念を実践的に支えるものとなった.そしてHegel, G. W. F. による「〈内面化〉としての想起」という着想16)を軸に,歴史を受けて歴史を作る理性の無限の運動という人間観にまで発展した.
 Freudは決してヘーゲリアンではなかったが,このような人間学の残響を呼吸して患者たちと対話したことで,想起の人間学を医学の分野に流し入れることになった.人を治癒させる想起と,その逆に妄想を産出させる想起の多様性に直面したFreudは,この変幻自在な想起の流れを目のあたりにして,心の病気の来歴を一旦遡行して事後的に生き直すことが,歴史を主体的に生きるということと同義になると観じたのである.「想起」を巡るHegelの順行的な歴史学は,治療のなかで一旦解体されなければならない.
 想起という精神作業の,治療的な貴重さ,あるいは他の作業に優る至高性を,このように思想史的文脈でみてくると,人間精神が,精神それ自身の内部を遡ってその起源に触れるという,想起が帯びている独特の性質に改めて気づかされる.こうした質は,実は「崇高」と呼ばれるものであり,これは人間が人間を超越した事物に触れたときに,人間の内心に現れる心的状態をいうものである17).ここで自らの精神の内側を,起源に向かって遡ってゆく想起の性質を,「事後性」の働きに即して考えてみよう.
 心的外傷はいったん忘れられたようにみえても,後の非特異的なきっかけで「事後的に」神経症を発症させる.Freudはこの機制を介したときに,狭義の「神経症」(「精神神経症」)が成立すると見なした.Breuerと共にヒステリーのなかに垣間見た「事後性」という機制は,彼による「神経症」概念の確定のうえでもきわめて重要なものとなった.とりわけ「事後性」を構成する2つの心的外傷の早期の部分が,子ども時代にまで遡りうることが精神分析的生活史にとって大きな意味をもつ.Freudが挙げているこの機制にあてはまる症例をみることにする8)
 エマという若い女性は,一人で買い物に行けない.このことについてエマ自身は,12歳だった頃に一人で買い物に行き,二人の店員がいて,うち一人の店員は男性としてよい感じがしたが,もう一人は彼女の服装に当てつけるかのように彼女を笑った,そこで急に言うに言えない恐怖感が湧きあがり逃げ出して,以来買い物に行けない,そう回想した.確かにこれは外傷体験のようだし,読者はここで小さな外傷体験に遭遇した女の子の外傷性神経症を,見つけるかもしれない.しかしこの見かけ上小さな外傷体験が及ぼしたのは,そのような単純な症状誘起作用ではなかったことが明らかになった.彼女がFreudに,引き続き想起を語ったからである.エマはその場面に4年先立つ8歳の頃に,ある食料品店に一人でお菓子を買いに出かけたことがあって,そこの店主が服の上から彼女の性器をつねって,ほくそ笑んでいたのを想い出す.もう一度お菓子を買いに行って同じことがあった.彼女は自分が二度目に出かけた迂闊さをもって自分を責めた.
 12歳のときの店員の笑いがきっかけで出現した恐怖感は,連想回路が8歳のときの体験まで遡り,そこで心的外傷の記憶を再賦活したから生じた.店員や店主による「笑い」と,その笑いに関係した「服装」や「服の上から」という共通の観念が通路になったのである.8歳のときの刺激興奮は,その主体にとっての意味が,認識されていなかった,つまり興奮量と,それに対する言語表現が結びついておらず,成熟が近づいた12歳のときに「事後的に」結びついて恐怖を湧き出させ,そこから現在に及ぶ回避症状が発展したと考えられる.表面的には無害化していた記憶痕跡は,後の非特異的な体験の遡行的刺激を受けて病原性を獲得する.
 Freudが幼少期の淵源を強調した理由は,性的な認知が子どもには社会的あるいは発達的に許されていないがゆえに,性的な侵襲は子どもにとって極端に大きな外傷となって滞留し,これを淵源とし「事後性」を介して発症する神経症が多発しているという状況が社会にあったからであった.すなわち子ども時代を想起できるということは人間にとって当たり前ではなく,人によってはかなりの苦難を強いられている場合もあるということになる.もちろん児童虐待事例のフォローアップなどを巡って今はすでに知られていることではあろう.こうしたことから「想起」をみれば,一般にはそれは時間によって隔てられた2つ以上の「自己」を,自己自身が媒介することによって生じる生成過程と映る.われわれはこの生成過程を,何度でも過去に遡って記憶を想い起こす形で再体験することができる.その心的営為はあたかも人に当然のように与えられた恩寵であるかのように感じられはする.しかし現実にそれができなくなっていたり,病気の危険を伴うようになっている人に出会うとき,どんな形で想起が可能になりうるのかを,常々互いに考えておく必要に人々は迫られているのである.医療がそこに関与して,事後性による想起を受容する機関にならない理由はない.
 「事後性」が人の歴史を過去に遡らせるという限りにおいて,想起を言語で語る主体は,自分自身の幼少期の,言語のない起源へと近づいてゆく.その際に,心的な外傷的記憶は,ますます内面的なもの,個的なもの,共通言語に乗りにくいものへと変わってゆく.言い換えれば人の人格の根拠,その人にしかわからないその人らしさ,簡単に言えばアイデンティティと言われるものの底辺には何があるのかという問題に突きあたる.そしてその何かを自らの人格の一部に統合しなければならなくなる.崇高という質が「事後性」という機制によって想起の内に現れてくるのは,この時点においてである.Kantの崇高論17)を基にして述べると,崇高という質は,われわれが例えば,われわれに先行する世界において死んでいった多くの人々のことを考え続けたりするときにも,人のいない大自然に圧倒されるときにも,心のなかに現れる.それは死者たちそのものを特徴づける質ではなく,人が死者たちの質を何とかして内面化しようとするときに,あくまでもわれわれの心の内に現れる心的な質である*4.先ほどのモーセ殺害の想起を巡るFreudの議論を参照するなら,ユダヤの民の一人一人が,殺されたモーセのなかから自己の起源を思い起こそうとしていると想定してみたときの彼らの主体的な感覚はその1つとなろう.父親を自己の起源とした場合,死にゆく父を二人きりの空間で介護していたアンナ・Oが,その場面をもう一度誘発しようと努力していたときに予感していたのも,同じ崇高さであったのだろう.想起できないはずの死者たちの感覚をわれわれが自分のこととして想起しようとするとき,想起は崇高さを帯びて,主体の個別性の尊厳を支えるものとなるのである.

おわりに
 Freudが始めた精神療法である精神分析は,想起を重んじることをもって成り立つ療法である.よく知られているように,精神分析の発祥は,ヒステリーから心的外傷の記憶を催眠によって取り出すことができたことにある.だがそこからの順調な発展として精神分析という想起の技術が作られたわけではない.想起には,治癒を促すものもあれば,治癒にとっての袋小路となりうる反復や転移,そして妄想さえ作る働きがある.Freudはこのことを持ち前の根気良さで認識し,想起の力ゆえに,思考する人間の内面の尊厳と,思考が思考自身の起源にまで遡る崇高さとが保たれていることを洞察した.それゆえ想起には治療上の至高の価値があることを繰り返し確認しながら,想起を容易にして虚心に聴き取る技術として,精神分析を創り出したのであった.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

 謝 辞 本研究はJSPS科研費JP19H05476の助成を受けたものです.

 以下の文献欄において,GW-の表示はS. Fischer Verlag, Frankfurt am Main刊行のドイツ語版フロイト全集(Sigm. Freud:Gesammelte Werke)を示す.ただし年号は本全集に収録の各論文・単行本の初出年を示す.そのうち,文献3)から7)に,BreuerとFreudの共著(Breuerが筆頭著者)であるStudien über Hysterieを置き,このなかに収められたそれぞれの著者の論文を,邦訳で表示した.3)は2人の共著論文,4)6)7)はBreuerの論文,そして5)はFreudの論文である.

文献

1) Freud, S.: Vorwort des Übersetzers von J. M. Charcot, Leçons sur les maladies du système nervueux, faite à la Salpêtrière. GW-Nachtragsband, (兼本浩祐訳: J. Mシャルコー著『神経系の疾病をめぐるサルペトリエール講義』への訳者まえがき. フロイト全集1. 岩波書店, 東京, p.149-150, 2009)

2) Freud, S.: Ein Fall von hypnotischer Heilung, nebst Bemerkungen über die Entstehung hysterischer Symptome durch den "Gegenwillen". GW-I, 1892~1893. (兼本浩祐訳: 催眠による治癒の一例―「対抗意志」によるヒステリー症状の発生についての見解―. フロイト全集1. 岩波書店, 東京, p.341―357, 2009)

3) Freud, S.: Studien über Hysterie. GW-I. 1895 (芝 伸太郎訳: ヒステリー諸現象の心的機制について―暫定報告―. フロイト全集2. 岩波書店, 東京, p.6-23, 2008)

4) Freud, S.: Studien über Hysterie. GW-Nachtragsband. 1895 (芝 伸太郎訳: 観察1 アンナ・O嬢, 理論的部分. フロイト全集2. 岩波書店, 東京, p.24-55, p.234-322, 2008)

5) Freud, S.: Studien über Hysterie. GW-I. 1895 (芝 伸太郎訳: 病歴A~D, ヒステリーの精神療法のために. フロイト全集2. 東京, 岩波書店, p.56-233, p.323-390, 2008)

6) Freud, S.: Studien über Hysterie. GW-Nachtragsband. 1895 〔芝 伸太郎訳: 観察1 アンナ・O嬢, 理論的部分 (編注). フロイト全集2. 岩波書店, 東京, p.400, 2008〕

7) Freud, S.: Studien über Hysterie. GW-Nachtragsband. 1895 (芝 伸太郎訳: 観察1 アンナ・O嬢, 理論的部分. フロイト全集2. 岩波書店, 東京, p.48, 2008)

8) Freud, S.: Entwurf einer Psychologie. GW-Nachtragsband. 1895 (総田純次訳: 心理学草案. フロイト全集3. 岩波書店, 東京, p.1-105, 2010)

9) Freud, S.: Bruchstück einer Hysterie-Analyse. GW-V. 1905 (渡邉俊之, 越智和弘, 草野シュワルツ美穂子ほか訳: あるヒステリー分析の断片「ドーラ」. フロイト全集6. 岩波書店, 東京, p.3-162, 2009)

10) Freud, S.: Bemerkungen über einen Fall von Zwangsneurose. GW-VII. 1909 (福田 覚訳: 強迫神経症の一例についての見解「鼠男」. フロイト全集10. 岩波書店, 東京, p.177-274, 2008)

11) Freud, S.: Psychoanalytische Bemerkungen über einen autobiographisch beschriebenen Fall von Paranoia (Dementia paranoides). GW-VIII. 1911 (渡辺哲夫訳: 自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察「シュレーバー」. フロイト全集11. 岩波書店, 東京, p.99-187, 2009)

12) Freud, S.: Erinnern, Wiederholen und Durcharbeiten. GW-X. 1914 (道籏泰三訳: 想起, 反復, 反芻処理. フロイト全集13. 岩波書店, 東京, p.295-306, 2010)

13) Freud, S.: Bemerkungen über die Übertragungsliebe. GW-X. 1915 (道籏泰三訳: 転移性恋愛についての見解. フロイト全集13. 岩波書店, 東京, p.309-325, 2010)

14) Freud, S.: Selbstdarstellung. GW-XIV. 1925 (家高 洋, 三谷研爾訳: みずからを語る. フロイト全集18. 岩波書店, 東京, p.63-133, 2007)

15) Freud, S.: Der Mann Moses und die monotheistische Religion. GW-XVI. 1939 (渡辺哲夫訳: モーセという男と一神教. フロイト全集22. 岩波書店, 東京, p.1-173, 2007)

16) Hegel, G. W. F.: Phänomenologie des Geistes. Joseph Anton Goebhardt, Bamberg, 1807 〔樫山欽四郎訳: 精神現象学 (新装版・世界の大思想1). 河出書房新社, 東京, p.441-451, 1975〕

17) Kant, I.: Kritik der Urteilskraft. Verlag Lagarde und Friedrich, Berlin und Libau. 1790 (坂田徳男訳: 判断力批判. カント〈下〉(世界の大思想11). 河出書房新社, 東京, p.206-279, 1969)

18) 新宮一成, 総田純次: 解題 (神経症の遺伝と病因/防衛―神経精神症再論―). フロイト全集3. 岩波書店, p.497-500, 2010

19) 新宮一成: 精神療法についての構造論的な考察. 臨床精神病理, 32 (2); 129-139, 2011

注釈

*1 「外傷は2回で1セットとして病原性を発揮する」というこの構想は神経症論として重要である.ただしここでBreuerが例示している「男」と「猫」の襲撃については,「真の原因と単なるきっかけ」という重みの違いに過ぎないのではないかという問いが出るかもしれない.これについては症例そのものというよりBreuerの議論のほうに着目していただきたいと思う.Breuerはここで,例えば「猫が飛び乗ってきたくらいのことでヒステリー症状を出す未熟で演劇的な若い娘」という「性格診断」に陥りがちなことへの警戒を促している.実際の臨床では,心的外傷の経験のある神経症のケースでは,症状と心的外傷とがそもそも関連しているということを患者自身が考えたこともなく,したがって医師にもそれと認識できないことが多いので,単純に何かを病因的事件としてしまうことは自戒しておく必要がある.著者が経験した例では,ある女性が合法的に妊娠中絶を行って2年半経った後で,姉が出産のために実家に帰省して一緒に暮らすようになってから,初めて身体化症状を呈するようになった.彼女は妊娠中絶がその症状の原因になっていることに,面接が何回か進んでから初めて思い至り,医師にも告げた19).このように心身への侵襲が,一定の年月の後に,非特異的なその後のきっかけからの事後的な影響によって,初めて病原化することがある.なおこの機制はFreudによって「事後性」と呼ばれる(本論文第III節後半を参照).

*2 Freudは,1920年に「死の欲動」の概念を導入して以降は,転移や行動化といった治癒に逆らうようにみえる現象を,死の欲動を背景に考えるようになっていく.

*3 想起内容や想起の代替現象から患者の人格の倫理的価値を云々するような態度を取らない医療環境のこと.治療の継続のために陽性転移による「治療同盟」の必要性が語られることがあるが,それも医師が好ましい人柄を示すことではなく,偏りのない中立的な判断力を保つ能力を涵養できているということをいう.

*4 Freud自身が「崇高な(もの)」の類似概念を,死刑囚の言葉を巡って論じている箇所が,晩年の小論文「フモール」(1927年)のなかにある.Kantの“Erhaben”の代わりに,Freudは“Erhebend”という言葉を用いている.

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