本稿では,日本精神分析的精神医学会を紹介したいと思う.この学会は,2003年に著者を会長として,発足した.現在は180人ほどの会員が存在している.そして,毎年各地で学術大会を行い,学会誌を発行している.また2021年から,資格認定制度の申請受付を開始している.精神分析的精神医学では,横断的な症状診断であるDSMおよびICDと,縦断的診断である患者個人の幼児期から受診時までの生活史を,詳しく調査するアプローチを行っていることが特徴である.患者個人がどのような剝奪体験や外傷体験をもっているか,養育者との関係は,幼児期から現在までどのようなものか,家族の剝奪体験や外傷体験など存在するかなどを診断面接のなかで明らかにしようと試みる.そのような視点をもって患者の診断を行い,精神分析的精神療法を中心にし,広範囲の患者対象群に対して,その応用としての技法の変更,治療目標の変更などを行っている.治療対象となる患者群は,精神的に何らかの問題を抱える乳幼児・児童思春期,青年期・成人のパーソナリティ障害,さらにリエゾン,学校の問題などである.さらに,精神分析的精神療法家の基礎訓練,診断の方法とフォーミュレーション,重ね着症候群について基礎的なことを解説する.
https://doi.org/10.57369/pnj.23-017
はじめに
精神分析は,国際精神分析学会に認定されている日本精神分析協会が主体となって,実践している臨床研究法である.精神分析は,主として神経症やパーソナリティ障害に対する,週4~5回のセッションをもち,カウチを使用し,自由連想法,転移と逆転移の解釈などからなる,無意識の理解を中心にした精神療法である.日本精神分析的精神医学会(Japan Academic Association of Psycho-analytical Psychiatry:JAAPP)の実践とその治療論は,精神分析の応用の理論と治療法である.小児・児童,思春期の子どもの分析的治療,リエゾンや慢性疾患を合併した患者群,外傷体験をもつ患者の治療など,薬物療法の併用が必要なことがほとんどであり,精神科医が遭遇する広範な患者群に対する,精神分析の応用に基づく力動的精神医学と精神分析的精神療法からなっている.
また日本精神分析学会とは,ほとんどの学会構成員が非医師であること,治療者自身の精神分析的治療セラピーの体験が必要ないことなど,会員の資格の基準が異なる.JAAPPは構成員が精神科医であり,資格基準のなかに治療者自身が精神分析的治療セラピーを受ける必要があり,これは国際的な精神分析的精神医学の訓練要求に沿うものである.臨床的には,症状診断に加えて発達的力動的診断を行い,治療対象は重篤な症状をもち,薬物も併用しながら精神分析的精神療法的なアプローチを必要とする患者群である.
はじめに,JAAPPの趣旨と意義について述べたいと思う.
まず,精神分析的診断法による,力動的な葛藤を視点に入れた診断と治療を行うことが特徴である.特に精神分析的精神療法の適切な使用を特徴とするが,多彩な患者群に対して治療目標,治療構造や治療技法を変化させて対応している.
最も特徴的な点は,横断的な症状精神医学と縦断的な精神分析的(力動的)精神医学の,2つの基本的な診断的視点で診断面接を行う点である.第一の横断的診断法の代表がICDとDSMである.これは,現在の症状と行動障害に焦点をあてたものである.この方法は基本的な精神科診断と,薬物療法や身体療法,社会療法を中心とした治療法に重要なものである.
第二の縦断的な歴史的診断法は,精神分析的精神医学の診断法の特徴を提示している.つまり,患者個人の生活歴と家族の歴史との相互関係を中心の視点にした,歴史的・縦断的な診断法である.そして,本人の葛藤や苦痛な経験,剝奪体験,外傷体験などの影響,家族の同様の体験なども考慮する方法である.さらに,幼児期から思春期青年期までの,社会的関係性の影響も考察することとしている.
精神分析的精神医学は,この横断的・縦断的診断法を用いた診断を行う.そして,必要な患者群に精神分析的精神療法やその応用技法を行うことが,臨床の中心になっている.そしてほとんどの患者が,薬物療法やデイケアなどの社会療法も必要になる場合が多いのである.
この精神分析的精神医学の縦断的な歴史的診断法は,30分以上の時間をかけた診察を数回行う.日本のような医療保険システムにおいて,一般精神医学的診断や精神分析的精神療法の手当が非常に低額な保険医療を行う医療機関では,この診察を日常的に行うには非常な困難を伴っている.実際には,韓国,台湾を含めて世界の先進各国のなかで,日本の精神医療は極端に低額の診療報酬のために,スタッフ数も他国の3分の1以下であり,精神分析的精神医学のアプローチが,最も行われていない国となっている.
I.学会の沿革と組織,活動内容
1.学会設立の経緯
1993年からほぼ10年間,東京において毎月の対象関係論セミナーを,著者主催で30名ほどのメンバーで行っていた.さらに,広島の研究会メンバーが15名おり,この両者のメンバーを中心に,10年後の2003年に,日本精神分析的精神医学会を設立した.そのときの学会会長は著者であったが,現在まで学会会長を担当している.最初のメンバーは80名ほどであったが,徐々にメンバーが増え,現在は約180名となっている.
2.学術大会
第1回大会は,2003年に広島市精神保健福祉センターを本部事務所として,広島の会場で行われた.以後毎年,東京,高知,神戸,名古屋,大阪,岡山などの各地で,学術大会が行われている.なお,本部事務局は広島にあり,学術大会の事務局は関東地区に設置されている.
1)シンポジウム
学術大会のシンポジウムは重症パーソナリティ障害,境界パーソナリティ障害,引きこもり,児童精神医学,投影性同一視,エンアクトメント,発達論などの主題で行われている.また,アセスメント,治療構造論,治療技法の臨床などを行ってきている.
2)特別講演
特別講演として,主として開催地の大学教授の講演をお願いしている.
3)海外からの招待特別講演
海外からの招待特別講演として,精神分析家の講演と臨床セミナーを依頼している.
3.学会誌
学会誌は「精神分析的精神医学」のタイトルで,最近の10年間は毎年1回の発刊を行っている.内容は,原著,臨床研究など,臨床の実践を基本にした論文が多い.
4.学会の運営委員
全国からの立候補者,被推薦者を対象に,3年ごとに運営委員の選挙が行われている.現在,運営委員は36名で,教育委員会,編集委員会,広報委員会,資格問題検討委員会,学会事務委員会などに機能分担されている.
II.認定制度の設定―資格認定のための基本的研修課程―
認定制度は,2019年には基本的指針を決定し,2022年から応募申請受付を始めている.申請には,以下の条件に加え,数年の臨床研修が必要である.
(i)日本精神神経学会専門医であること
(ii)規定のセミナーを修了すること〔広島精神分析セミナーなど(フロイト,対象関係論,自我心理学,自己心理学,児童精神分析など,2~3年かけて150時間を履修する)〕
(iii)精神分析的に治療構造化された条件下で,つまり,毎週1~3回の時間,空間を一定にし,中立性と患者の自由会話を基本にした症例治療の経験が必要である.さらに2例の症例を2年以上,別々のスーパバイザーから指導を受ける必要がある.
(iv)精神科医自身が教育分析を,週1~3回,上級指導者から受ける必要がある.
(v)定期的な学会主宰の研究会への参加が必要である.
(vi)以上に加えて,JAAPPの学術大会での発表,JAAPP誌での臨床論文の発表が必要である.
III.精神分析的精神医学の症例の特徴(表1)
精神分析的精神医学で取り扱われる症例の特徴を表1に示す.
精神分析的精神療法の主な治療対象は,各種パーソナリティ障害などである.パーソナリティ障害では,個人精神分析的精神療法が中心に行われるが,グループ療法が行われる場合もある.
パーソナリティ障害の周辺に多くの疾患群が存在している.児童,思春期精神医学の臨床実践のなかでも,精神分析的・力動的アプローチは重要な位置を占めている.リエゾンのなかには,種々の身体疾患と心理的症状をもった患者が存在している.そして,死の問題,慢性疾患の問題など,各年代に,多数の疾患や課題が存在している.それらについて,見立てを詳しく行い,治療的アプローチについて,精神分析的視点からみて,応用が可能なアプローチと治療目標,治療構造,治療法などを見いだしていく.身体障害者,慢性精神障害者など,身体機能や精神機能の障害や低下に関係する対象喪失の心理や,自責的・迫害的心理などについての問題も考慮していく.そのなかで,デイケアや社会療法なども併用していく.
精神分析的精神療法の治療対象は,精神分析の治療対象と比較して,応用分野が広範囲になる.多彩な疾患群を対象とし,さまざまな治療構造や治療技法の変更によって治療が可能になる.治療対象の特質によって治療法の部分的応用とし,治療目標も疾患によって変化させる.
特に精神分析的精神療法の採用に関して,治療対象の横断的・縦断的診断面接は重要である.そして,精神分析的精神療法家として認定されるためのパーソナリティ障害を治療対象とした基礎訓練は,最も中心的な研修となる.実際その治療技法を身につけることによって,基本的な精神分析的思考を身につけることができ,多彩な患者群に対して,個別にその治療目標,治療技法を考察することができるようになる.
IV.精神分析的精神医学の理論的特徴
1.特有の横断的・縦断的診断法
精神分析的精神医学では先述のようにDSM,ICDによる横断的診断に加えて,個人の生育歴や養育者との対象関係の特徴を明らかにすることが重要である.そのため,患者個人の無意識の動機や葛藤に注目する必要がある.また,生活のなかで形成されてきたパーソナリティ特徴と,その葛藤を処理する方法(防衛機制)を明らかにし,その現在の心的内部での活動状況をみていくようにしている.
2.精神分析から導入した理論的視点で重要なもの
1)力動論
人の心は,無意識の葛藤状況にあり力動的関係にある.過剰な不安には対処できず,症状形成に関係すると考えられる.
2)不安・防衛論
個人が経験した不安と,それに対する個人特有の防衛機制が存在していることを理解する.
3)対象関係論
個人が幼児期から受診現在までのなかで体験した,養育者との複雑な関係を対象関係の視点から考察していく.それにより,患者のパーソナリティ形成の過程とその防衛的機能を理解しようとする.
4)発達論
患者が神経症などの症状を呈して精神科医に相談するまでの,患者個人の乳幼児期からの心の発達の過程を重視する視点である.個人の成長過程で,個人特有のパーソナリティを形成し,それがさまざまな葛藤を処理する働きをもっていることに注目していく.
5)心の構造論
心は無意識,前意識,意識に分けられ,さらに機能的に異なる自我,超自我,エスに分けられる.近年はそれらを総合したパーソナリティ研究,自己構造論が展開されている.
V.精神分析的精神医学,精神分析的精神療法とその研修
1.精神分析的精神療法
精神分析的精神医学の基本の臨床行為の基礎を身につけるためには,規定のセミナーの研修,2例以上の症例のスーパービジョン下での2年以上の臨床経験,さらに治療者自身が上級指導者から教育セラピーを受ける必要がある.これにより精神分析的精神療法家の視点と治療技法が得られ,すべての精神分析的精神医学の基本的臨床になる.
2.精神分析的精神医学と精神分析的精神療法の基本的視点
精神分析的精神医学と精神分析的精神療法の基本的視点は,精神分析の方法論を簡略化したものである.治療対象は,パーソナリティ障害,リエゾンなどの個人療法の対象となるものである.
3.研修での治療構造と理論
研修は,精神分析の治療室設定のもとで,週1~3回の治療構造で行う.
理論的視点は,精神分析の理論をそのまま応用している.つまり,発達論,局地論,構造論,不安防衛論,対象関係論,適応論などである.
4.治療技法
治療技法も,精神分析の基本的な方法を採用している.治療者は,中立的で,受容と共感の必要性,転移―逆転移の理解と解釈が重要である.治療者は,不安と防衛のあり方を理解し,内的対象関係への注目,パーソナリティ防衛の理解と解釈を行う.
5.治療目標
治療目標は,各疾患によって変化する.治療技法もパーソナリティ障害の周辺の疾患群に対しては,適切に変更していく.
6.分析的グループ療法
分析的グループ療法は,精神分析的精神医学の力強い治療技法になる.
VI.精神分析的精神療法の診断面接
一般的には45分のセッションを4回行う.まず,最初に横断的診断として,DSM,ICDによる記述的診断を行う.次に,縦断的診断を行う.最初に,患者個人の生活史として幼児期から成人までの体験世界を患者本人に語ってもらう.また,患者と家族との関係,さらに家族の構成や性格,剝奪体験,外傷体験などを語ってもらう.さらに,夢や最早期の記憶も,患者の想像力や時間感覚の理解のために語ってもらう.そして,診断面接時の資料をもとに,診断時のフォーミュレーションを行う.
VII.重ね着症候群の鑑別診断(表2)
各種の精神症状をもっている患者群では,背景に軽度の発達障害をもっていることがある.特にパーソナリティ障害の臨床症状をもっている場合には,そのまま精神分析的精神療法に導入せず,背景の発達障害を考慮に入れた治療が必要になる.自閉的な部分に加えて,神経症的な葛藤の部分が大きいときには,一部の患者群では精神分析的個人療法の対象とすることがあるが,特有の自閉的な傾向がみられることが多い.多くの重ね着症候群では,療育的支持的アプローチや薬物の投与が有効なことがあるが,デイケアなどのリハビリテーションや社会療法などが必要な患者群もみられる.これはほとんどの患者が素質的な部分が大きいと思われるが,早期の外傷体験をもった患者群も重ね着症候群と類似した状態を示し,鑑別は困難なことがある.なお,著者は重ね着症候群の概念を2004年に提示したが,以後数年間にわたって研究論文を発表している1).
おわりに
以上のように,JAAPPの歴史,会員組織,資格認定,診断法の特徴,治療対象となる患者群の広範さ,重ね着症候群の特徴などを解説した.
なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.
編 注:本特集は第117回日本精神神経学会学術総会シンポジウムをもとに本稿著者を代表として企画された.