Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第125巻第2号

※会員以外の方で全文の閲覧をご希望される場合は、「電子書籍」にてご購入いただけます。
総説
児童相談所からみえる児童虐待と精神医学との関連
山下 浩
医療法人慶仁会天神病院
精神神経学雑誌 125: 103-115, 2023
https://doi.org/10.57369/pnj.23-015

 近年,社会的問題となっている児童虐待に対して精神医学はどうとらえ対応してきたであろうか.1990年代にHerman, J. L. により複雑性PTSDの概念が提唱され,1990年代半ばに著書『心的外傷と回復』(中井訳)が日本に紹介された.さらにトラウマの研究者であったvan der Kolk, B. A. らがそれに協調し,同時期に行われたACE研究をもとに「発達性トラウマ障害」の概念も提唱されることとなった.その後,徐々にトラウマの理解が進んでいくなかで,2018年に改訂されたICD-11でようやくcomplex PTSDが採用されることになったこともあり,児童期に逆境体験に曝されてきた子どもや成人に対するトラウマ,アタッチメント(愛着)の理解や診断,治療の分野に大きな関心が集まっている.今後の精神医学が児童虐待に対応するためには,トラウマインフォームドケアをよく理解し啓発していくことと,要保護児童対策地域協議会に積極的に参加していくことが求められる.

索引用語:児童虐待, 児童期の逆境体験, 発達性トラウマ障害, トラウマインフォームドケア, 地域連携>

はじめに
 精神医学におけるトラウマは,「トラウマ関連障害」と表現されるようにトラウマが原因となって生じた(精神)障害を1つの疾患カテゴリーとしてとらえる向きがあるが,近年では,トラウマはほとんどすべての精神疾患に関与する問題として重要であることが認識されるようになった.特に米国で行われたAdverse Childhood Experiences Study(ACE研究)により,児童虐待その他の幼少期の逆境体験によるトラウマは,多くの精神疾患のみならず身体疾患や人生の幸福度にまでも影響することが,全世界共通のものとして認識されている.
 著者は児童精神科医として児童虐待の最前線である児童相談所に身をおいて仕事をしている.日々の子どもやその養育者とのかかわりのなかから感じることは,こういう問題を抱えている人たちのことが世の中では十分に理解されていないということである.

I.児童虐待の現状
1.全国の児童相談所における児童虐待相談対応件数の推移
 厚生労働省は2021年度の全国の児童相談所による児童虐待相談対応件数が207,659件(速報値)であることを発表した20).統計を取り始めた1990年度(1,101件)の約189倍,児童虐待の防止等に関する法律(いわゆる児童虐待防止法)が制定された2000年度の前年(11,631件)と比べても約18倍に上っている.

2.新型コロナウイルス感染症の流行と児童虐待
 日本では2020年から始まった新型コロナウイルス感染症の流行において,人との交流(いわゆる「人流」)を抑えるため,できるだけ家から出ないようにという「ステイホーム」の名のもとにさまざまな取り組みが行われた.子どもたちは学校が休みとなり自宅でのオンライン授業が取り入れられるようになり,また親は出勤せずに在宅でのリモートワークが推進されたことなどにより,家族がそれまでとは違って家に密集する状況となった.それによる影響と分析されているのが,児童虐待やドメスティック・バイオレンス(domestic violence:DV)の増加・悪化である.警察庁の犯罪統計の発表では,2020年の1年間に児童虐待の疑いがあるとして全国の警察が児童相談所に通告した子どもは106,960人,DVの相談や通報も82,643件であり,毎年それぞれ前年比で20%強,約6%の増加を示していた.しかし2021年はそれぞれ108,050人(暫定値)と83,042人となり,ともに過去最多となったものの,増加率は低下した.DVに関しては,加害者がともに家にいる時間が長くなり,被害を受けている側からの相談や通報の機会が減少しているのではないかと懸念されている.
 一方,厚生労働省が発表している全国の児童相談所における児童虐待相談対応件数は増加しているものの,その増加率は2019年度には前年比21.2%増であったものが2020年度は5.8%増にとどまっておりかなり減少している.さいたま市の児童相談所の統計では,毎年増加し続けていた児童虐待相談対応件数が2020年度は1.5%減少した.その統計では,それまですべての虐待が増加してきていたが,2020年度はネグレクト(前年比7.8%減),性的虐待(同46.5%減),心理的虐待(同1.6%減)は減少していた.相談経路別受付状況をみると,一斉休校・休園などにより学校や園からの通告が2019年度の前年比66.3%増から2020年度14.8%減と大幅な減少をきたした.また地域の福祉事務所からの通告も42.2%増から6.3%の減少となり,医療機関からの通告も40.1%の減少となった.特にネグレクトの通告は公的な機関の家庭訪問など積極的なかかわりのなかで発見されることが多いが,新型コロナウイルス感染症対策により訪問自体が制限され,ネグレクトを発見する機会が減ってしまったことも大きな要因の1つである.そして,性的虐待も,実際は増加のリスクが高いと考えられているにもかかわらず極端な減少を示している.通常,性被害は学校や友人に開示されることが多いのだが,コロナ禍で休校になったり友人との交流が制限されているために,開示の機会が失われているのではないかと危惧される.したがって,現在のコロナ禍では,児童虐待やDVという問題が表面に現れてこない,つまり「潜在化している可能性」があり,大きな懸念がある.
 さらに「死にたい」と自傷や自殺企図を行ったり,「家に帰りたくない」と保護を求めてくるか,あるいは家出をして,その後に性被害に遭うなど,心の問題を抱えた女児の増加が深刻である.実際に自殺に関しては,警察庁の発表に基づく厚生労働省の統計でも2020年8月の若い女性(30代未満)の自殺者数が193名(前年は111名)と顕著に増加していて,特に20歳未満が40名(前年は11名)であり3.6倍に急増している.

3.児童虐待の子どもに対する精神医学的影響
 日本では児童虐待を,身体的,心理的,性的虐待とネグレクトの4つのタイプに分類している.厚生労働省の定義では19),身体的虐待は,殴る,蹴る,叩く,投げ落とす,激しく揺さぶる,やけどを負わせる,溺れさせる,首を絞める,縄などにより一室に拘束する,など,性的虐待は,子どもへの性的行為,性的行為を見せる,性器を触る又は触らせる,ポルノグラフィの被写体にする,など,ネグレクトは,家に閉じ込める,食事を与えない,ひどく不潔にする,自動車の中に放置する,重い病気になっても病院に連れて行かない,など,心理的虐待は,言葉による脅し,無視,きょうだい間での差別的扱い,子どもの目の前で家族に対して暴力をふるう(ドメスティック・バイオレンス:DV),きょうだいに虐待行為を行う,などとしている.それぞれが子どもにさまざまな影響を及ぼすが,1つのタイプの虐待のみを受けていることは少なく,虐待の子どもに対する影響は複合的になる.厚生労働省は次のような共通した特徴を挙げている.すなわち,(i)身体的影響として,小さな傷・痣から死に至らしめるような大きな外傷(大きな多発骨折や頭蓋内出血など)だけでなく,ネグレクトからくる栄養障害や体重増加不良,愛情不足により成長ホルモンが抑えられた結果の成長不全,などがみられる.(ii)知的発達面への影響としては,ネグレクトによって言語面の発達(言葉の数だけでなく,知識や概念の理解も含めて)が遅れたり,落ち着いて学習に向かうことができなかったり学校への登校もままならない場合にもともとの能力に比して知的な発達が十分に得られない,などが認められる.(iii)心理的影響としては,対人関係の障害〔アタッチメント(愛着)形成の不全による〕,低い自己評価(自分は愛情を受けるに値する存在ではないと感じて自己肯定感をもてない),行動コントロールの問題(暴力で問題を解決することを学習し,学校や地域で粗暴な行動をとることがある),多動〔刺激に対して過敏になり落ち着きのない行動をとるようになる.注意欠如・多動症(attention deficit/hyperactivity disorder:AD/HD)に似た症状を示す〕,心的外傷後ストレス障害(posttraumatic stress disorder:PTSD)(受けた心の傷が適切な治療を受けられないまま放置される),偽成熟性(大人の要求に従って行動したり,精神的に不安定な保護者に代わって大人としての役割を果たしたりするなど),精神的症状(反復性のトラウマにより精神的な症状を呈する.時に解離の症状など),などを挙げ,「虐待は子どもの心身に深い影響を残し,その回復のためには長期間の治療やケアが必要となる」としている19)
 つまり,児童虐待は,(i)身体的・心理的発達への影響(低身長や言葉の遅れ,実際の能力とは異なる知能検査結果の低値など),(ii)トラウマによる反応(PTSDの症状など),(iii)アタッチメント形成への影響(感情調節が困難であったり,基本的信頼の障害が生じたり,自己に対する肯定感がもてない,など)を子どもに与えるものである35)

4.DVと児童虐待の関連
 家庭でDVが存在する場合も子どもへの心理的虐待にあたるとされる.夫婦の言い争いで近隣から警察に通報された場合,その場に子どもがいるときには,いわゆる「(子どもの)面前(での)DV(の疑い)」ということで,児童相談所に通告することになっている.近年その通告が増加し,厚生労働省発表による児童相談所での虐待相談の内容別構成比では,心理的虐待が2016年度より50%を超え,2021年度には60%を超えて60.1%になっている20).ただし,そのなかには支配―被支配関係のある本当のDVではなく単なる夫婦喧嘩ということも多く,また,配偶者間にDVがあったとしても子どもへの他の虐待が存在する場合には,統計上は「DV目撃による心理的虐待」ではなく,その他の虐待のほうに入れられるため,本当のDVの存在と子どもへの影響がどれくらいあるかは不明である.
 児童虐待とDVがともに存在する場合は,子どもへの影響はより大きくなる37).先に示した児童虐待の子どもへの影響としての,(i)身体的・心理的発達への影響,(ii)トラウマによる反応,(iii)アタッチメント形成への影響に加え,加害親が被害親に暴力を振るう状況を第三者として見て学ぶという「(iv)暴力や支配に対する誤学習」が加わる.児童虐待を取り扱う場合にDVの存在はその対応を困難にし,かつ重大な死亡事例につながるおそれもある.したがって,著者はDVをより重要視する目的で,虐待の5番目のタイプとして「DVへの曝露」を取り扱うことが必要と考えている.しかしながら,和田が述べているように「児童相談所のDV通告については,他の種別と比較して短期的な重症度評価があいまいな事例が多く,99.5%が非常に短い期間で終結している」のが現状である32)

II.精神医学における児童虐待・トラウマの変遷
1.児童虐待の存在を認識すること
 かつて医学教育のなかで児童虐待のことを学ぶ機会は,米国のKempe, H. が1962年に発表した,『The Battered-Child Syndrome』の小児科学講座での講義のみであった.しかし,近年では日本でも明らかにされる児童虐待事案が急激に増加したことや死亡事件がしばしば報道されるようになったことにより,医学も多くの診療科がかかわらざるをえない状況となった.整形外科学,脳神経外科学,放射線科学,歯科学,法医学などの講座でも児童虐待の講義が必要とされる状況である.
 精神医学も例外ではない.虐待を受けた子どもが精神的なダメージを受け,治療を求めて精神科を訪れることがある.しかし,他科との大きな違いがある.それは,他科の医療従事者が虐待を受けた子どもだけを治療対象として診ているのに対して,精神科医は虐待をしてしまう養育者も診ていく必要に迫られるケースが多々あることである.場合によっては,普通の外来診療において一般の精神疾患として診察していた患者が,実は子どもを虐待していたということがわかり,その後に虐待行為に対する治療と虐待を受けている子どものケアを求められることもある.外来あるいは入院を問わず,患者に養育している子どもがいるかを知り,子どもに対して不適切な養育となっていないかを精神科診療の場で確認することが大切である.一般の精神科医療のなかで表に出ない児童虐待が多く存在していることを知っておくべきである.
 日本の精神医学の歴史のなかでトラウマがはっきりと全国に認識されたのは,1995年に起きた阪神・淡路大震災であろう.多くの精神科医が支援に現地を訪れたが,そのときに精神医学的なテーマになったものがPTSDである.もう1つ同じ時期に児童虐待に関連して1994年に発足したのが日本子ども虐待防止研究会(Japanese Society for Prevention of Child Abuse and Neglect:JaSPCAN.後に学会となった)である.医療関係者のみならず,福祉,心理,司法,行政などの関係者が参加している.そこで多くの他分野の関係者が一堂に会して,児童虐待という複雑で難しい問題を少しでも解決し,そして予防するための方法を熱心に検討している.

2.外傷性精神障害と複雑性PTSD
 1996年,精神分析的心理臨床セミナーの主催で「外傷性精神障害」ワークショップ(講師:岡野憲一郎)が開かれた.その講義は同時に出版された著書『外傷性精神障害―心の傷の病理と治療―』に基づくものであり,そこで紹介されたのが,複雑性PTSDという概念を提唱したHerman, J. L. の『心的外傷と回復』であった.岡野は,「精神的外傷が主たる原因となって一定の精神障害が生じるという前提で構成された理論」を「外傷理論」とし,「従来多くの臨床家が持っていた『レンズ』」とは異なる「外傷理論にもとづく新しい『レンズ』を通したものの見方とは,(中略)『患者の現在の症状が,過去に経験した心の傷の繰り返し,再現,ないしはその代償行為である』という見方」であると述べている.そのレンズを通して見てみると,今までとは違ったものが見えてくる例として,境界性パーソナリティ障害を挙げている.当時の日本でネガティブな感情を引き起こす境界性パーソナリティ障害として考えられていた症状の多くは,外傷性精神障害(精神的外傷が主たる原因となって生じる一定の精神障害)でも認められる症状であり,そういう見方をすると「それこそ図と地の反転のように異なってくるということが起きる」と述べている22).確かに治療者側の対応(その人に対するこちら側の見方,感じ方,認識の仕方)次第で良くも悪くもなるということを経験する.このことは,Hermanも『心的外傷と回復』のなかで,「児童期虐待の被害経験者はしばしば種々の診断名を積み重ねられてからはじめてその下に複雑性外傷後症候群という問題があることに気づかれる始末である.(中略)特に有害な病名が3つ(身体化障害,境界性人格障害,多重人格障害)あり,(中略)おとしめの意味合いを背負っている.もっともひどいのが境界性人格障害という診断名である」と述べている12)
 例えば著者の経験として,ある初診患者が問診票の主訴の欄に「境界性人格障害の治療」と記載していた.確かに薬物依存,男性依存,犯罪行為,多重人格障害,抑うつ,気分の易変性,攻撃性,両価的,操作的などがあり,しかし外傷理論にもとづくレンズで見ると,身体的,心理的,性的虐待を受けながらもなんとか生き延びてきたサバイバーとしての一面ももっていたということがあった.そういう外傷理論に立脚した治療者側の見方は,患者をほんの少しではあるが,落ち着く方向に向かわせる.児童相談所がかかわる思春期の子どもたちはそこまでのパーソナリティの問題を抱えているケースは多くはないが,はじめから(性的虐待や性被害はまだ明らかになっていない場合もあるが)幼少期から虐待を受けていたことがわかっているケースが多いため,外傷理論にもとづくレンズで見ることができる.それができれば対応はそれほど困難ではない.初めて出会ったにもかかわらず,問題となっている言動や症状を話題にするのではなく,過去に負った心の傷に目を向けてくれる担当のワーカーや心理士,精神科医の存在は,彼らにとって初めての経験であったりする.にわかには人を信用しない彼らは拒否的であったり反抗的であったりもするが,こちらが「外傷理論」を忘れずに頭においておくことで,彼らの言動や症状に耐えられるものである.すると,しばらくののちに彼らにも他人への信頼感が芽生え,落ち着いた生活になっていく.

3.ACE研究
 ACE研究は,成人期における健康リスク行動および疾患と児童期の逆境体験との関係を検討する疫学研究である.その原点は,1990年代後半に行われた米国の疾病対策センター(Center for Disease Control:CDC)とKaiser Permanente(大手の保険会社の1つ)との協働による,健康維持機構(Health Maintenance Organization:HMO)の17,000名を超える成人の登録者に対する大規模な調査である.1985年に米国の医師Felitti, V. J. が肥満症の人たちの治療プログラムを行っているなかで,治療がうまくいっていたにもかかわらず脱落していく人たちがいた.原因を突き止めようと,286名を1人ずつ面接調査したところ,その多くが幼少期に性的虐待を受けていたということがわかった.そのことを知ったCDCがFelittiらに呼びかけて大規模な調査をすることとなった.当初調査では逆境体験の7つのカテゴリーと後の人生の健康リスク因子との正の相関が示された.すなわち半数以上の回答者が少なくとも1つ,4分の1が2つ以上のカテゴリーを報告し,4つ以上のカテゴリーのある人は,ない人と比較して,アルコール依存症,薬物乱用,うつ病,自殺企図の健康リスクが4~12倍高かった.また,喫煙率,自己評価が低い,50名以上の性交パートナー,性感染症が2~4倍に増加した.また,身体的な不活発および重度の肥満について1.4倍から1.6倍の増加をもたらし,幼少期の逆境体験のカテゴリー数は,虚血性心疾患,癌,慢性肺疾患,骨折および肝疾患を含む成人後の疾患の存在と正の相関があることを示した10)
 その後,逆境体験の10のカテゴリーの質問,すなわち家庭内における虐待(心理的虐待,身体的虐待,情緒的ネグレクト,身体的ネグレクト)や家族の機能不全(母親がDVを受けている,親の離婚や別居,うつ病などの精神疾患の存在,アルコール依存や薬物使用,服役者の存在),誰かからの性的被害が18歳以前にあったかに追加修正した質問をもとに,数多くの研究がなされた.そこから多くの知見が見いだされ,ACEスコア(逆境体験の累積数)が高いほど,抑うつ4),自殺企図6)24),不安,睡眠障害5)などの精神的問題や,喫煙1)38),アルコール依存7)9),違法薬物使用8)などの健康リスクにつながる行動の問題や,意図しない妊娠や思春期の妊娠13),成人期の性的被害23)などの妊娠に関する問題,また,心筋梗塞,喘息,健康不良,および身体障害,脳卒中,糖尿病11),癌リスク14)17)などの身体疾患の問題,低収入・失業や貧困39)などのwell-beingに関する問題,そして50歳以下の死亡率が高くなるということ18)などに関連していることが報告されている.
 著者が行った児童相談所の調査34)では,虐待相談としてかかわった子どもの保護者84名(虐待をしてしまう状況に陥っている養育者)について,少なくともその約半数近くの39名に精神医学的診断名がつけられていた.そのうち9名(23.1%)に3つ以上の診断名がついていた.例を挙げると,ある40歳代女性は複数の医療機関を経験するうちに,産後うつ病,情緒不安定性パーソナリティ障害,全般性不安障害,うつ状態,注意欠如・多動症,パニック障害という多数の診断名がつけられていた.39名の診断名はうつ病やうつ状態,パーソナリティ障害,パニック障害の診断名が多くみられたが,なかには線維筋痛症や二重人格,自閉スペクトラム症(autistic spectrum disorder:ASD)疑いなどもあった.
 児童相談所が虐待をしてしまう状況に陥っている養育者からその逆境体験の存在を聴取し確認することは,子どもを虐待から守るという立場上,時に養育者と敵対関係になることも少なくないため,難しい場合が多いが,逆境体験の存在が確認できた者は84名の養育者のうち26名で,逆境体験が複数ある者はそのうち15名(57.7%)であった.ACEスコアが高いほど,複数の診断名がつけられている傾向が強く,ACEスコアが最も高い5つの事例でつけられた診断名は,不安障害,境界性パーソナリティ障害,対人恐怖,過食症,二重人格であった.虐待をしてしまう状況に陥っている養育者(特に女性)は,複数の医療機関を受診し,さまざまな診断名がついているということを示しているが,つまりは,逆境体験を多くもつことが将来の精神疾患につながり,病態が複雑であればあるほど,子育て困難で不適切な養育を行わざるをえない状況にも陥っている可能性があると考えられる.ちなみにDV被害を受けてきた養育者(DV被害親)においてはうつ病,おそらくPTSDの一症状であろうと思われるパニック症,嘔吐を伴う過食症の診断を伴うことが多い印象であった.
 やはり精神科医が精神疾患をもつ患者の診療を行う場合には,その幼少期に逆境体験がなかったかを聴取,あるいは聴取がすぐにできない場合でも推察することが重要な点である.

4.発達性トラウマ障害
 子どもに対する虐待や長期間のトラウマの影響を示したのは,Terr, L. C. である28).子どものトラウマを2つのタイプに分けた.タイプIは単回性のトラウマ体験(大きな災害,事故,事件など)により生じるもので,その特徴を,(i)視覚的記憶の正確さ,(ii)前兆形成,(iii)誤認が含まれるとし,タイプIIは,反復継続性のトラウマ体験(虐待,長期の監禁・暴行など)により生じるもので,(i)否認と精神的麻痺,(ii)類催眠状態と解離現象,(iii)激しい怒りが含まれるとしている.さらに子どものトラウマに共通にみられるものとして,4つを挙げ,(i)トラウマの出来事が視覚化あるいは繰り返し知覚される,(ii)反復的行動,(iii)そのトラウマと結びついた恐怖,(iv)人や人生,未来についての態度の変容としている.詳しくは成書に譲るとして,このタイプIIと同様な概念を発展させ,発達性トラウマ障害(developmental trauma disorder:DTD)という概念30)を示したのがvan der Kolk, B. A. である.
 日本嗜癖行動学会誌『アディクションと家族』に,特集として組まれた「児童虐待とその心的後遺症」のなかで来日したHermanとvan der Kolkの講演記録が掲載されており,そのvan der Kolkの講演「心的外傷体験の影響と治療について」において次のようなことが話されている(抜粋を示す)2)

 霊長類の一種である私たちヒトは,集団の中で生まれてくる.その集団の大人や年長者のなすべきことは,小さな子どもが動揺するようなこと(地震や災害など)があったとき,その子の面倒をしっかり看ることである.動揺するようなことが起こったとき,精神生理学的に“過覚醒”の状態になる.そのとき,世話をされないままでいると,過覚醒の調整法が分からず,自傷行為を行うようになる.つまり,体を前後に揺すったり,ベッドの側面に頭をぶつけたり,自分の身体を噛んだり,実際に指を噛み切ったりして,幼児自身が模索する.虐待やネグレクトの場合は,子どもは,「自分は無力だ.物事の結果を変えられない.」ということを学習する.このとき子どもは,“自分の感覚をなくして人生を送る”ように発達する.たとえば,自傷,過食,拒食,シンナーやアルコールなどの薬物依存,など.それから,記憶がなくなる,意識がもうろうとする,現実感覚や時間感覚がなくなる,感情を中に抱え込む,身体症状が出る,自分を非難する声が聞こえる,などが,こうした患者さんのすべてに認められる.

 van der Kolkはマルトリートメントがいかに子どもたちの各種の調整機能を失わせるかを的確に説明している.この考え方が,後のDTDにつながっていく.
 DTDは発達上の変化も検討されている.すなわち幼少期には反応性アタッチメント障害を呈し,学童期にはADHD様の多動と破壊的行動障害が前面に現れ,思春期にはPTSDと解離症状の明確化,青年期には解離症と素行症に展開していき,成人期には複雑性PTSDを呈するようになるとしている.これは,これまでの診断基準ではその年齢ごとに異なる診断名がつけられてしまう,つまり診断を受ける時期の違いによってまったく別々の疾患であるかのようにとらえられてしまう現状があることを示唆している.したがってvan der Kolkらは,DSMにDTDが採用されることをめざし(結局採用はされなかったが),操作的な診断基準を作成している31)).具体的な症状の記載がDTDの概念をわかりやすくしているとともに,実際の臨床でもあてはまるケースが多くあるという印象である.つまり,幼少期からのマルトリートメントがこのように複雑な多種の症状を引き起こすことがあるということを知ることができる.ただし,これを1つの疾患名とするかどうかは検討の余地がある.虐待を受けたとして児童相談所で取り扱う事例の多くがこれにあてはまる可能性もあるが,そのすべてが同じようにDTDの全部の症状を呈するわけではないからである.身体的虐待によるトラウマが主であったり,ネグレクトによるアタッチメント形成の問題が主であったり,DVに曝された経験が主であったりするため,症状に大きな差があることはよくある.
 ただ,van der Kolkは,「内面の混乱の巨大なシステムの表現としてではなく,これらの1つ1つの問題にそれぞれ対処していくことは,木を見て森を見ずという危険を冒す」とも述べている30).治療的には主たる症状それぞれに対処することも必要となる場合もあるであろうが,もともとの森をきちんと把握したうえで診ていくことが重要である.したがって,DTDは森と考えて,おそらくそれぞれの木を何らかの下位分類で表現する必要があると著者は考えている.

5.「発達障害」と診断することと児童虐待について
 2018年にICD-11でようやくcomplex PTSDが採用され,2022年1月1日にICD-11は発効となったこともあり,児童期の虐待・ネグレクトなどの逆境に曝されてきた子どもたちや成人に対する「トラウマ」「アタッチメント(愛着)」の理解,診断,治療の分野に大きな関心が高まってきた.
 ここで考えたいのが,いわゆる「発達障害」との関連である.児童精神科の臨床現場だけでなく成人の臨床でもいわゆる「発達障害」が注目されて久しい.そういう診断ができて障害の理解が進み,支援がうまくいくことは多く,大変喜ばしいことである.しかし,一方で危惧する面もある.「発達に障害がある」という診断を下すには,あくまでおよそ健全な養育環境のなかで育ったうえで,他児とどう違うかを検討すべきものであるはずである.生育環境が定型発達の子どもと大きく違うと考えられるのに,「(先天的な)発達障害だから治らない,できなくても仕方がない」と言い渡され,諦められている子どももいる.例えば,被虐待児の誤診とも言うべき問題であるが,不適切な環境で育ったがために,勉強などの面倒(宿題や時間割の準備など)をみてもらうことがなく,また家事の手伝いや病気の家族の世話をさせられていたり,学習塾や習い事などはもちろん学校にも通わせてもらえないなど,学習の機会の制限や不足から,本来は能力があるにもかかわらず発達指数や知能指数が低値となっている子どもがいる.幼児期から問題行動もあって,ADHDやASDと診断され,特別支援学級へ籍をおいていた子どもが,高学年になって落ち着き,問題行動もなくなったときに,通常の学習がまったくできていないということが多々ある.また,不適切な養育環境に育った子どもが,幼児期にIQ54で中等度に近い知的障害と診断されたが,その後,社会的養護(里親や児童養護施設など)が与えられた結果,中学生でIQ82に上昇したという,2010年の第16回日本子ども虐待防止学会学術集会での杉本の報告26)もある.環境が良くなれば,本来の能力を発揮できるようになる子どもも多いことも確かである.
 いわゆる「発達障害」の概念はこれまでさまざまに変遷している.これからも,その概念は変わっていく可能性がある.いわゆる「発達障害」を考えるにあたり,虐待などのマルトリートメントや逆境体験の存在を検討することは重要である.子どもに発達上の問題があるがゆえに子育てが困難で不適切な養育になってしまうことももちろんないわけではない.しかし,それよりも養育上の問題が子どもにさまざまな問題行動を引き起こし,いわゆる「発達障害」と診断されている場合のほうがかなり多いと経験上感じている.「ADHDとASDの2つの発達障害がある」として虐待されてきた子どもが保護され一時保護所に来てみると,行動も落ち着いていて対人関係も問題ないというケースがかなりある.ただし,「発達障害」が虐待の原因であっても結果であっても,その鑑別も難しい場合も多くある.だからこそ,「先天的な問題である発達障害」との診断は容易にすべきではないし,時間をかけてでももともと不適切な養育がなされていないかを診ていく必要がある.

画像拡大

III.これから知っておくべき重要なこと
1.トラウマインフォームドケア
 トラウマインフォームドケア(trauma-informed care:TIC)とは,1990年代に米国で発展してきたトラウマ支援の基本姿勢を示すものであり,支援を求めている人がトラウマを抱えている場合,そのトラウマに配慮した支援や治療を提供することが求められる,とされる15).TICを実践する際にまず行わなければならないのは,その人のトラウマ歴のアセスメントであり,それがどのように発達や生活に影響しているかを理解すること,また,何がトリガーとなって症状を悪化させたり再体験を引き起こしたりするかを理解していることが重要である.そして本人に対する心理教育である.Elliott, D. E. らの「トラウマインフォームドケアの10原則」も参考にされたい21)
 TICは,トラウマに特化したtrauma-focused cognitive behavioral therapy(TF-CBT)やeye movement desensitization and reprocessing(EMDR)などの専門的な治療とは異なり,誰にでもできるケアをめざすものであり,ケア・システム全体を置き換え,組織や地域全体で実践することが重要である.幼少期の逆境体験などの影響を考慮した精神科医療が求められる今後の診療のなかでも,このTICの考えは重要なものとなっていかなければならない.

2.要保護児童対策地域協議会
 児童福祉法第25条の2~5に定められている要保護児童対策地域協議会(以下,要対協)は重要である.別名は「子どもを守る地域ネットワーク」である.対象は,「要保護児童」(保護者のいない児童又は保護者に監護させることが不適当であると認められる児童)とその保護者がまず定められ,後に,「要支援児童」(保護者の養育を支援することが特に必要であると認められる児童)とその保護者,と,「特定妊婦」〔出産後の養育について出産前において支援を行うことが特に必要と認められる妊婦(とその胎児)〕(「特定妊婦」には,精神疾患をもつ妊婦,思いがけない妊娠,若年の妊娠,支援者不在などの妊婦などが含まれる)が追加された.これによって,すべての子どもと保護者への支援が,胎児期/妊娠期からできるようになった.これは,児童相談所が中心となるのではなく,より地域に根ざした支援が必要であるという観点から生まれたものである.
 組織は,各市区町村の諸機関〔学校その他の教育機関,保育園,児童養護施設,医師(小児科,産婦人科,精神科など),弁護士,民生委員,主任児童員,警察,児童相談所,婦人相談所,市区町村の公的機関など〕により構成され,3層構造の会議,すなわち,代表者会議,実務者会議,個別ケース検討会議が開催されている.要対協は,地域が主体となるべき組織であるため,地域固有の名称で呼ばれているところも多い.この会議のなかで最も重要なものは,個別ケース検討会議である.
 個別ケース検討会議の流れを簡単に説明すると,協議が必要と判断した機関があれば,要対協の定められた調整機関が招集し,時間は1,2時間,場所は適宜集まりやすい場所が設定される.会議ではまず,要対協の説明を行い,「子どもを守るための地域主体のネットワーク」であること,守秘義務が課せられること,情報提供は守秘義務違反にはならないこと,などを確認する.次に,情報収集(前回~現在の状況報告)と共有,リスクアセスメント,具体的な対策を検討,役割分担を確認する36).なお,調整機関が専門的に要対協に取り組めるよう,「市区町村子ども家庭総合支援拠点」を自治体に設置することが求められ,要対協と密接に関係することも求められた.それとともに,「子育て世代包括支援センター」の機能も担い,一体的に支援を実施する「こども家庭センター」の設置も提案されている.
 著者は,要対協のシステムができた当初から児童精神科医として,医療機関で児童思春期の診療を行う傍ら,要対協の調整機関(事務局)と協力してその運営にも携わってきた.不適切な養育を受けた子どもにかかわろうとする大人が,そのかかわりのなかで思いもよらぬ思考や行動をする子どもたちに困惑し,対処に疲弊することが多々ある.そのため,児童精神科医として,そういった子どもたちがどのような精神的なダメージを受けていて,思考や行動が変容しているかを関係者に伝えること,そして対処の方法を提示することがいちばんの責務となる.また,子どもだけではなく,虐待をしてしまっている,つまり子育てに困難を抱えている養育者への対応も示唆することが多い.そのなかには,精神的な問題を抱えた養育者もかなり多く,養育者への面接・診察を依頼されることが多い.
 また,著者は長い間児童相談所に籍をおき,児童虐待の最前線で活動してきた.虐待を受けた子どもの今後の処遇を検討する会議のなかで精神科医の立場から助言を求められたり,実際に通所している子どもや一時保護所に保護された子どもに会って精神医学の観点から診断および治療にかかわることがある.あるいはその養育者との面接を行って養育者の精神医学的な見立て,不適切な養育にならないで済むような助言,場合によっては医療の立場から精神療法や薬物療法などの治療を行うこともある.全国の児童相談所数は少しずつではあるが増え続けており,2022年4月1日現在,228ヵ所である(ちなみに一時保護所数は149ヵ所である)が,そのすべてに医師をおくことが求められている.しかし,児童相談所に常勤している医師はごく限られている.したがって,常勤でなくとも,要対協(特に個別ケース検討会議)への参加を通じて子どもないしは養育者に関する精神医学的な助言が求められる.特に精神疾患をもつ養育者の対応は一般の福祉や行政の立場では難しい場合があり,日本子ども虐待防止学会第22回学術総会おおさか大会(2016)のなかで「精神疾患を抱えた親やその子どもへの対応について―要保護児童対策地域協議会の利用(役割と限界の克服)を考える―」というテーマでシンポジウムを企画したところ,会場はすぐにいっぱいとなり,入り口の外にも人があふれ,発表者がなかに入れない事態になったことも経験している.それだけ児童福祉関係者は対応に苦慮しており,その分だけ関心が高いと思われる.要対協システムの作成からかかわり,その後も全国要対協の実態調査を行っている加藤は,要対協で行われる精神科医の精神医学的見立ての意義に関して,「精神疾患で悩む親御さんにより早く関われるようになった」と答えた自治体があったと述べている16).一方で,要対協に積極的に参加している精神科医の澤田25)は,第113回日本精神神経学会学術総会のシンポジウム「多くの精神障害の発症に関与するACE(Adverse Childhood Experiences)について―精神科医の再確識―」における「精神科病院とACE―要保護児童対策地域協議会における精神神経科医の立場から―」という発表のなかで,精神科医側の利得について,「(要対協に)参加して思うことは,(i)多くの苦難の中を必死で生き抜き,今尚孤立の中で生きていこうとする人への,人間的な理解と共感を持てることの大切さ.(ii)援助機関や医療にまで繋がっていなく,孤立している対象者や家族を『いかに傷つけずに抱え続けていくか』について皆と一緒に考えていくこと.(iii)皆,色々な職業を代表して参加しており,精神科医では思いつかない意見は非常に貴重で,多くの事を考えさせられ勉強になる.謙虚に受け止めて考えていくことが大切である」と述べている(一部を抜粋).
 児童虐待には,親の精神疾患が関係していることが多いことは先にも述べた.要対協の対象となるケース(特に虐待をしてしまう養育者)を診ている精神科医,またほかの精神科医療従事者の積極的な参加が期待されている.

IV.精神医学に何ができるか
1.子育て困難な養育者に対して
 不適切な養育環境はこれまで述べてきたように,成人になるまでに精神症状であったり虐待をしてしまう傾向であったりさまざまに心のあり方を修飾する.
 特に精神科で出会う「精神疾患をもつ親」には,その障害ゆえに子どもに適切な養育ができない(虐待やネグレクトなどとなる)ケースがあることは事実である.しかし一方で,過去の被虐待体験が精神疾患や虐待の原因になっていることが少なからずある.そのことを考えると,「精神疾患がある=虐待をする」のではなく,むしろ親が不適切な養育環境で育ってきたがために,精神疾患をもつことになったり,また,虐待をせざるをえない(子育て困難を抱える)親になったりする(世代間連鎖)ことがあると考えるべきである33).そういう親は,自身が不適切な養育をされてきたなかで,大人になって自分が適切に子育てをすることは非常に困難なことが多々ある.子どもに少しでも泣かれると,自分のつらかった過去を身体感覚的に思い出す(嫌な感覚や感情が引き起こされる)場合もある.自分が幼少期につらくて泣いたときのその原因となる親からの叱責や暴言暴力などを思い出す場合もある.そういうフラッシュバックにより今ここで自分が暴力を受けている感覚になると,目の前にいる子どもが5歳であろうと1歳であろうと生後1,2ヵ月であろうと,過去の自分自身の怒りを子どもにぶつけてしまうことになる.単に「虐待した親をどうしてもっと厳しく罰しないのか」と批判することが何の解決にもならないことは理解する必要がある.
 この執筆の最中にも,2020年6月に母親が3歳女児を8日間置き去りにして衰弱死させた事件の初公判の報道があった.検察側は冒頭陳述で被告(母親)について「鹿児島には交際相手に会いに行った」もので,「身勝手な犯行」と指摘した.一方,弁護側は,被告が幼少期に親に育てられた記憶がないことや,小学校から同居した母親には外出する際に,ごみ袋に入れられ風呂場に放置された経験があることなどを挙げ,裁判員らに対し「虐待を受けていない人と比べて,どれだけ非難できるのか,どれだけ刑務所に入れておかなければならないのか,考えてください」と訴えた,とのことである.この話を耳にしたときに,2010年に起こったまったく同じような事件を思い起こされる方も多いだろう.大阪市西区で幼い2児がマンションに放置されて死亡し,その母親に懲役30年が確定した事件である.これに関してはジャーナリストの杉山が詳しく記している27)
 これらの母親が精神疾患を抱えていたかどうかはわからないが,少なくともともに子どもを「愛していた」とされる2人の母親がこういう結果になってしまう背景には同じ病理があったはずであり,精神科医の立場として無関心ではいられない.こうした子育て困難な親は,幼少時から虐待を受けながらも,必死に生きてきた,サバイバーでもある.このサバイバーに敬意を払い,そして,その「子どもだった時期」と「親となった現在」の心のありように思いを馳せながら接し,「あなたには,この状況を克服する力がある」としっかり伝え,一緒に歩んでいくこと.そのことが,回復へのレジリエンスを高め,虐待の連鎖を断ち切り,精神疾患をも癒すことにつながる.
 先に述べた杉山は,2017年の埼玉子どもを虐待から守る会主催の講演会にて,「虐待してしまう(子どもを虐待死させてしまった)親たちは,どの親も子どもをしっかり育てたいと思っていた時期がある」「子ども時代からの不遇/暴力を受けてきたため,他者から遠ざかることで,社会によって守られている環境を失ってしまっている」だからこそ,そういう親たちに伝えたいことは,「この社会はあなたのそして,私の場所だ」と語った.それは,この社会はあなたがいてよい場所であり,そして私も一緒にその社会にいるから大丈夫だということを伝えようという意図である.周囲がそういう強い意志をもって味方であると伝えることが,虐待加害者というレッテルを貼られること,つまり子育て困難から救うことになる.
 van der Kolkが2001年5月の日本精神神経科診療所協会総会埼玉大会に招待された3).講演の冒頭で,「ホームレスですら日本では集団をなして移動しているということで,それに興味深く感じました」などと語り,その国の歴史や文化の違いでトラウマへの対応の仕方は違ってよいかもしれないと述べたが,その社会がどのような集団を形成しているかは重要なことであるということを彼は示した.
 このような背景をまず十分に理解したうえで,精神医学においては,治療や対処法を検討しなければならない.精神科を訪れる患者が子育て困難な状況にあることをまず把握することから始まる.子どもがいる場合は,子育てに困難感を抱えていないかを必ず聴取すべきである.そして,困難が存在する場合,その裏にどういう個人の歴史的な背景があるのかを十分に知ることが必要である.その個人史がすぐには語られないことは多いが,真摯に話に耳を傾けて聴いていくなかで少しずつ信頼関係が構築されていくと,その患者の背景がみえてくるものである.そして,背景がみえてくると,アタッチメントの形成の問題や過去の積算されたトラウマなどを抱える患者が信頼を寄せてくる.そこからがTICの始まりである.そして,ともに生きているこの社会でどう支えてケアしていくかを提案することも精神科医療に求められている.

2.児童相談所でのかかわりを終えて旅立つ子どもたちに対して
 児童相談所では,基本的には18歳になる時点でかかわりを終えることになる.それまで過酷な逆境体験のなかで生きてきた子どもたちに共通するものは,「悪い子」というレッテルを貼られて,多くを語らず,簡単には心から笑わない,人に対しても自分に対しても信用せず,自己評価の低い姿である.しかし,実際に会ってみると,とても憂いのある瞳をしているが,素直で,賢く,しっかりしていて,魅力的な子どもであったりする.そういうなかである1人の子どもが,18歳になった旅立ちの日に描いた子どもの顔の絵(著者は,通常出会った子どもたちにはバウムテストや風景構成法などよく絵を描いてもらっている)には,おそらくとても普通の大人ではわかりようのない複雑で深い想いが表現されていた.そこで,著者は,「あなたには,これまでの過酷な体験から生まれたであろう良くも悪くもいろいろな感情があり,その分,人のいろいろな心もよくわかる人だと思う.本当は自分でもまだ気づいていない能力や魅力がたくさんある.それを信じて夢をもって諦めずに自分を活かしていってほしい.世の中には自分のことを理解してくれる人はいないとあなたは思っているかもしれない.しかし理解している,あるいは理解したいと思っている人は少なからずいることを信じてほしい.そして,あなた自身のなかの自分自身を助ける力を信じて生きていってほしい.そしてくれぐれもあなたの心と体は大切にしていって」と伝えた.
 その子がどの程度,理解してくれたかはわからないが,今ここでかかわる1人の大人として,そして精神科医として,その子どもが「人」を,「人たちという集団・社会」を本当は求めていると信じたいし,児童相談所も「あなたたちとともにある」ということを忘れないでいてほしいという思いであった.
 児童相談所を巣立っていった子どもたちには,幸せにめぐり逢って欲しい,と願うばかりである.だが,もしかしたら成人になって精神科の門を叩くことがあるのかもしれない.そのときこそ精神科医療が正しい理解をもち,その心を癒し,幸せを提供できるように準備をしておかなければならない.

おわりに
 世の中にはいろいろな子どもやその子どもを養育している親・養育者がいる.そもそも「子どもの養育環境」とは,親だけではない.親も困難な幼少期を生き抜いてきて,なんとか自分が経験してきた困難な状況を子どもには与えたくないと思いながら子育てを始める.しかし,自身の幼少期からの逆境体験が邪魔をして,自分で自分の心をコントロールできない状態に陥り,しかも実は人の助けを求めて他者と関係をもちたいと思いながら,それがうまくできないでいる.そういう状況はとてもつらいために,逆に他者を避けるようになってしまう.だからこそ,社会にともに住んでいる人たち,そして同じ場所にいる私たちの理解と支えが必要である.「子どもの養育環境」とは,親・養育者を含む私たちそのものである.
 児童虐待という困難な課題に,精神医学という立場で今一度真摯に目を向けてかかわっていくべきである.

 編  注:第117回日本精神神経学会学術総会教育講演をもとにした総説論文である.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

1) Anda, R. F., Croft, J. B., Felitti, V. J., et al.: Adverse childhood experiences and smoking during adolescence and adulthood. JAMA, 282 (17); 1652-1658, 1999
Medline

2) ベッセル・ヴァン・デア・コーク: 心的外傷体験の影響と治療について. アディクションと家族, 15 (1); 15-23, 1998

3) ベッセル・ヴァン・デア・コーク: 外傷性精神障害の臨床. 埼玉精神神経科診療所協会誌. 埼玉大会特集号, p.109-169, 2002

4) Chapman, D. P., Whitfield, C. L., Felitti, V. J., et al.: Adverse childhood experiences and the risk of depressive disorders in adulthood. J Affect Disord, 82 (2); 217-225, 2004
Medline

5) Chapman, D. P., Wheaton, A. G., Anda, R. F., et al.: Adverse childhood experiences and sleep disturbances in adults. Sleep Med, 12 (8); 773-779, 2011
Medline

6) Dube, S. R., Anda, R. F., Felitti, V. J., et al.: Childhood abuse, household dysfunction, and the risk of attempted suicide throughout the life span: findings from the Adverse Childhood Experiences Study. JAMA, 286 (24); 3089-3096, 2001
Medline

7) Dube, S. R., Anda, R. F., Felitti, V. J., et al.: Adverse childhood experiences and personal alcohol abuse as an adult. Addict Behav, 27 (5); 713-725, 2002
Medline

8) Dube, S. R., Felitti, V. J., Dong, M., et al.: Childhood abuse, neglect, and household dysfunction and the risk of illicit drug use: the adverse childhood experiences study. Pediatrics, 111 (3); 564-572, 2003
Medline

9) Dube, S. R., Miller, J. W., Brown, D. W., et al.: Adverse childhood experiences and the association with ever using alcohol and initiating alcohol use during adolescence. J Adolesc Health, 38 (4); 444. e1-10, 2006
Medline

10) Felitti, V. J., Anda, R. F., Nordenberg, D., et al.: Relationship of childhood abuse and household dysfunction to many of the leading causes of death in adults. The Adverse Childhood Experiences (ACE) Study. Am J Prev Med, 14 (4); 245-258, 1998
Medline

11) Gilbert, L. K., Breiding, M. J., Merrick, M. T., et al.: Childhood adversity and adult chronic disease: an update from ten states and the District of Columbia, 2010. Am J Prev Med, 48 (3); 345-349, 2015
Medline

12) Herman, J. L.: Trauma and Recovery. Basic Books, New York, 1992 (中井久夫訳: 心的外傷と回復. みすず書房, 東京, p.191-193, 1996)

13) Hillis, S. D., Anda, R. F., Dube, S. R., et al.: The association between adverse childhood experiences and adolescent pregnancy, long-term psychosocial consequences, and fetal death. Pediatrics, 113 (2); 320-327, 2004
Medline

14) Holman, D. M., Ports, K. A., Buchanan, N. D., et al.: The association between adverse childhood experiences and risk of cancer in adulthood: a systematic review of the literature. Pediatrics, 138 (Suppl 1); S81-91, 2016
Medline

15) 亀岡智美: マルトリートメントを受けた子どもへのトラウマインフォームドケア. 精神科治療学, 36 (1); 79-84, 2021

16) 加藤曜子: 精神障害をもつ親と要保護児童対策地域協議会. 流通科学大学論文集―人間・社会・自然編―, 27 (2); 11-22, 2015

17) Kelly-Irving, M., Lepage, B., Dedieu, D., et al.: Childhood adversity as a risk for cancer: findings from the 1958 British birth cohort study. BMC Public Health, 13; 767, 2013
Medline

18) Kelly-Irving, M., Lepage, B., Dedieu, D., et al.: Adverse childhood experiences and premature all-cause mortality. Eur J Epidemiol, 28 (9); 721-734, 2013
Medline

19) 厚生労働省雇用均等・児童家庭局総務課: 子ども虐待対応の手引き(平成25年8月改訂版). (https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/dv/130823-01.html) (参照2022-12-28)

20) 厚生労働省: 児童相談所での虐待相談の内容別件数の推移. 令和3年度 児童相談所での児童虐待相談対応件数(速報値). 2022 (https://www.mhlw.go.jp/content/000863297.pdf) (参照: 2022-10-26)

21) 野坂祐子: トラウマインフォームドケア―"問題行動"を捉えなおす援助の視点―. 日本評論社, 東京, 2019

22) 岡野憲一郎: 新外傷性精神障害―トラウマ理論を越えて―. 岩崎学術出版, 東京, p.3-9, 2009

23) Ports, K. A., Ford, D. C., Merrick, M. T.: Adverse childhood experiences and sexual victimization in adulthood. Child Abuse Negl, 51; 313-322, 2016
Medline

24) Ports, K. A., Merrick, M. T., Stone, D. M., et al.: Adverse childhood experiences and suicide risk: toward comprehensive prevention. Am J Prev Med, 53 (3); 400-403, 2017
Medline

25) 澤田 修: 精神科医とACE―要保護児童対策地域協議会における精神神経科医の立場から―. 第113回日本精神神経学会抄録集, S-527, 2017

26) 杉本篤言: 子ども虐待と発達障害―精神科臨床における被虐待児への誤診を考える―. 日本子ども虐待防止学会第16回学術総会くまもと大会 (2010) プログラム・抄録集. p.99, 2010

27) 杉山 春: ルポ虐待―大阪二児置き去り死事件―. ちくま新書, 東京, 2013

28) Terr, L. C.: Childhood traumas: an outline and overview. Am J Psychiatry, 148 (1); 10-20, 1991
Medline

29) 友田明美: 新版いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳―. 診断と治療社. 東京, p.129-145, 2012

30) van der Kolk, B. A.: Developmental trauma disorder: toward a rational diagnosis for children with complex trauma histories. Psychiatric Annals, 35 (5); 401-408, 2005

31) van der Kolk, B. A., Pynoos, R. S.: Proposal to include a developmental trauma disorder diagnosis for children and adolescents in DSM-V. 2009 (https://www.cttntraumatraining.org/uploads/4/6/2/3/46231093/dsm-v_proposal-dtd_taskforce.pdf) (参照2022-12-28)

32) 和田一郎: データサイエンスを利用した児童虐待防止政策の評価―児童相談所のDV通告増加への対応から見た今後の政策のゆくえ―. 子どもの虐待とネグレクト, 22 (2); 214-223, 2020

33) 山下 浩: 精神障害を持つ親とその子どもに対する理解. 小児保健研究, 72 (6); 769-776, 2013

34) 山下 浩: 児童相談所で関わる養育者の精神医学的問題―主に児童虐待に関しての検討―. 第112回日本精神神経学会学術総会抄録集, S-644, 2016

35) 山下 浩: 児童相談所におけるアタッチメント形成不全治療の可能性. こころの科学, 198; 85-89, 2018

36) 山下 浩: 虐待された子どもへの地域支援体制と精神科医療の役割. 精神科治療学, 36 (1); 35-40, 2021

37) 山下 浩: 児童虐待としてのDV. こころの科学, 219 (9); 23-29, 2021

38) Yeoman, K., Safranek, T., Buss, B., et al.: Adverse childhood experiences and adult smoking, Nebraska, 2011. Prev Chronic Dis, 10; E159, 2013
Medline

39) Zielinski, D. S.: Child maltreatment and adult socioeconomic well-being. Child Abuse Negl, 33 (10); 666-678, 2009
Medline

Advertisement

ページの先頭へ

Copyright © The Japanese Society of Psychiatry and Neurology