Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第125巻第1号

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特集 精神科医療における「感情労働」
精神科医療における感情労働とトラウマ―環状島モデルから考える―
宮地 尚子
一橋大学大学院社会学研究科
精神神経学雑誌 125: 63-70, 2023
https://doi.org/10.57369/pnj.23-008

 近年,トラウマに配慮をしたケアの提供の重要性が多くの領域で認識されるようになっている.著者が2007年に発表した「環状島モデル」は,内海のあるドーナツ型をした島で,トラウマについて語ることの困難さを形象化したモデルである.本稿では,この環状島モデルを用いて,精神科医療の感情労働とトラウマについて考える.まず,環状島モデルの説明を行う.トラウマはその内容が重ければ重いほど語りにくく,環状島の<内海>に沈み,中心には語りの不在が広がっている.環状島には3つの力が働いており,<重力>はトラウマがもたらす反応や症状,<風>は当事者と周囲との間でまきおこる混乱や葛藤,人間関係の齟齬,<水位>は社会の無理解度を示す.次に,障害者支援(精神科医療を含む)について,環状島モデルを用いて分析する.相模原障害者施設殺傷事件は,重度知的障害や強度行動障害をもつ,障害者のなかでも声を上げにくい人たちが被害者になったものであり,日常では<内海>に深く沈んでいたものが噴出したということになる.それによって,多くの人が見ることを避けていた問題が可視化された.支援者側の困難や傷つき,感情労働の重さもその1つである.第三に,比較として性暴力被害者への精神科医療・支援についても環状島モデルを用いて分析する.財政的資源,社会的資源,人材育成資源のいずれもが限られた,「ないないづくし」のところで「ぎりぎりのケア」を提供している点,スティグマが強い点では,障害者医療・支援と共通しており,環状島の<水位>が高いといえる.上記の分析を踏まえて,精神科医療における感情労働やトラウマについて考察し,最後に,傷つけず,傷つかない支援のあり方を考え,共感疲労やバーンアウトを最小限にするような精神科医療の方向性について考察する.

索引用語:トラウマ, 環状島モデル, 感情労働, 障害者支援, 性暴力>

はじめに
 何か言葉になりづらいこと,誰もが口ごもるような状況があるとき,その先には,トラウマティックな現象が起きていることが少なくない.著者が2007年に発表した「環状島モデル」7)は,内海のあるドーナツ型をした島(図1)で,トラウマについて語ることの困難さを形象化したものである.環状島モデルは,トラウマをめぐる人々のポジショナリティを整理するために役立ち,当事者と支援者の関係や,当事者同士・支援者同士の関係性なども分析することができる.本稿では,この環状島モデルを通して,精神科医療における感情労働とトラウマについて考えていく.

図1画像拡大

I.環状島モデルとさまざまな立ち位置
 まず,環状島モデルについて説明する.このモデルは,語りの不在を<内海>で表している(図29).<内海>の中心がゼロ地点,すなわちトラウマの核心である.<内海>には,死者や声を上げられない人がとどまっている.トラウマは,その内容が重ければ重いほど語りにくい.島の<内斜面>には,<内海>から上がってきた生還者,つまり声を上げられるようになった生存者(サバイバー)がいる.そして<外斜面>には,出来事に関心をもち,<外海>から上がってきて支援をする人たちがいる.
 トラウマについて語り,声を上げようとする当事者は,<内海>を出て,<内斜面>から<尾根>へと向かっていく.支援者たちは,<外斜面>から手を差し伸べようとしているが,時に自分自身が<内斜面>に転がり込み,<内海>へと沈んでしまう危険もある.一方,<外海>には,傍観者,無関心な人々,その出来事を知らない人々などがいる.
 環状島には,<重力><風><水位>という3つの力が働く.<重力>は,トラウマがもたらす反応や症状のことを示し,「心的外傷後ストレス障害(post―traumatic stress disorder:PTSD)」や抑うつ症状などを含む.また,二次的症状として,自己価値観の低下や,対人関係の問題などが生じることもある.<内斜面>でも<外斜面>でも,島の上に立ち続けているだけで,心身を消耗させられ,口をつぐんでしまいたくなる.
 <風>は,当事者と周囲との間でまきおこる混乱や葛藤,人間関係の齟齬のことを意味している.トラウマをめぐっては,しばしば当事者と支援者の間で仲たがいが起きたり,被害者同士で被害の重さ比べをしてしまったり,犠牲者に対して生存者が自分だけが助かったことに対する自責の念を抱いたりすることがある.<重力>や<風>の影響によって,当事者は<内海>に押し戻されやすくなる.また,支援者も,<外海>に押し戻されたり,<内斜面>や<内海>に引き込まれたりする.
 3つめの力は,<水位>である.水位は,トラウマに対する社会の偏見や無理解,否認を意味する.多くの人の関心や同情を呼び寄せる被害や事件の場合は,<水位>が下がる.あるトラウマについて,被害者や支援者が声を聞いてもらえるか,支援を受けられるかどうかは,声の受け手であり,支援の与え手である社会のあり方によって大きく変わっていく.<水位>が下がると,声を上げることのできる人が増え,当事者による活動が活発になり,支援の輪が広がる.
 環状島モデルは,このように人の状態や関係性を表象化することで,トラウマやその語りについての人々のポジショナリティを整理することができる.これによって,当事者や支援者だけではなく,当事者同士・支援者同士の関係性も分析することが可能になる.

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II.障害者支援と環状島モデル
 精神障害といっても,さまざまな種類やレベルがあり,実態はさまざまである.精神疾患や症状のありようは多様であり,症状の分類のされ方や,何が疾患とされるかは,その時代や社会によって変化することがある.医師が患者を診断し,治療するという専門家優位なあり方には,医療人類学などの領域から批判的な分析がなされてきた.そして近年では,障害者自身が当事者運動を通して声を上げるようにもなり,当事者研究も進んできている6).支援者は,当事者(患者)から見た視点を知り,お互いに対等な立場で支援や回復を考えていくことが求められている.例えば,べてるの家の当事者研究14)は有名であり,統合失調症の幻覚妄想などについても新たなアプローチがされるようになっている.一般的に関心が高まっている発達障害なども,当事者研究という形をとれば,違った見方ができるようになる1).企業や教育の場で,障害への合理的配慮という考え方も浸透しつつあるが,これにしても当事者の声がなくては,企業や学校の一方的な価値観や見方を押し付けることになりかねない.
 当事者研究はじめ当事者の活動を,環状島モデルで考えると(図3),当事者が<内海>から<内斜面>へと向かう動きといえる.その当事者の声を<外斜面>にいる支援者が聞き,当事者と支援者とが対等な立場で支援について考えることが重要である12).また,障害そのものへの社会的理解を促進し,島の<水位>を下げていくことも重要だろう.
 もちろん,当事者の誰もが声を上げられるわけではない.当事者研究ができるのは,知的で比較的コミュニケーション能力が高い人に限られるし,問題行動を起こさない人が理想の障害者像とされ続けていることに変わりはない.そのため,障害が重い,または知的障害や行動障害などがある場合,それらが<重力>となり,声を上げられず<内海>にとどまってしまう当事者も少なくない.2016年の相模原障害者施設殺傷事件では,重度の知的障害や強度行動障害をもった被害者が多く,当事者研究や当事者運動をする余裕がない方たちがほとんどだったと考えられる3)
 次に,障害者支援における支援者の困難を,環状島モデルを用いて分析してみたい(図4).支援者のなかにも,声を上げられる人たちと,そうではない人たちがいる.支援のあり方を良くするために声を上げるには,時間や余裕,仕事への誇りなどが必要である.これらが奪われると支援者も声を上げることをやめ,最小限の支援をするだけになりがちである.
 障害者支援においては,人的・財政的・社会的資源などが限られ,「ないないづくし」のところで「ぎりぎりのケア」を提供していることが多い.その場合,<水位>は上がっていく.過剰な仕事の負担や重圧によって支援者に<重力>がかかると,バーンアウトや士気の低下をもたらしやすくなる.現場の資源不足が続き,職場の士気が下がると,<風>が強くなり,支援者である職員間のパワー・ハラスメントや,職員同士の傷つけ合いを生じさせることもある.支援者がぎりぎりの状況で支援を行っている場合,ケアの質が下がり,負の感情の蓄積が当事者へのネグレクトや虐待につながることもある.これは支援者自身も声を上げる場所がなかったり,仕事の価値を認めてもらえる機会が少なかったりする場合に,特にいえることである15)
 先にふれた相模原障害者施設殺傷事件においては,加害者本人も支援者として働いていたことがある.加害者の歪んだ思想や行動化は決して許されるべきではないが,支援者がぎりぎりのところで支援を行っているような場合,厳しい環境が虐待やネグレクトを生じさせる土壌になりかねないということは知っておいたほうがよいと思われる.精神科医療においても,資源が限られた現場に支援者が放り込まれることがしばしばあり,そこで時には自分が管理者にならなければならない.現実の厳しさに直面し,自分が抱える責任に圧倒されてしまったり,病院の方針や家族の希望などから,自分の信念と違う判断を迫られ,モラル・インジャリー(自身の倫理観に反する行動をせざるをえなくなることによる心理的苦痛)を負うこともある.

図3画像拡大
図4画像拡大

III.性暴力被害者支援と環状島モデル
 次に,障害者支援との比較のために,性暴力被害者支援を環状島モデルで考えたい.性暴力被害研究について,海外の状況をみると,児童虐待に関する研究が出てきたのは1960年代のことである.また,レイプ被害については,1973年にようやくレイプ・トラウマ・シンドロームという言葉が使われるようになった.PTSDという診断名がアメリカの精神医学において正式に導入されたのは1980年代であり,日本で広く知られるようになったのは1995年頃からのことである.精神科医療でも,この20年あまりで精神医学や心理学にトラウマ関連疾患の知識が増え,今では,精神科医であればトラウマについて診ることができるのが当然になってきている.性暴力被害者の精神科への受診も比較的多くなってきており,臨床において適切に対応できることが急務となっている.
 著者を含め,性暴力被害者の回復支援にあたる専門家は増えてきたものの,まだまだ被害者がさまざまな形で沈黙を強いられる状況にあることには変わりない.性暴力被害の場合,PTSD症状やうつ症状のほか,解離,自傷,依存症などの二次的症状が<重力>となり,<内海>に沈んでいきやすい.また,性暴力被害者へのスティグマはいまだに強く,周囲の誰にも被害を打ち明けられない被害者や,打ち明けても,「なぜ逃げなかったのか」といった偏見や無理解にさらされ,より深く傷つき,再び口を閉ざしてしまう被害者も多い.つまり,環状島の<水位>が高く,<内海>が広くて深いといえる.さらに,<風>として,被害の重さ比べや支援の受けやすさの違いなども起きる.性暴力被害者は,性別や職業といったバックグラウンドや,加害者との関係性など,さまざまな要因から「ピュアな被害者」と「そうではない被害者」に分けられてしまいがちである.顔見知りからの被害,なかでもカップルや夫婦間の被害は認められにくく,薬物やアルコールを使用している場合の被害,男性・男児の被害,セックスワーカーなどの被害は,さらに認められにくい.このように周縁化・不可視化された被害について,支援や研究の現場から明らかにしようとする試みもあるが2)13),まだまだ十分な理解が進んでいるとは言い難く,<内海>に沈んでしまいやすい.
 性暴力被害者に対する支援者についても,環状島モデルで考えることができる.人的・財政的・社会的な資源がいずれも限られる,「ないない尽くし」のなかで「ぎりぎりのケア」を提供している点では,障害者支援の現場と同様である.支援者は,過度な負担や重圧にさらされ,バーンアウトや士気の低下につながりやすい.支援者同士で葛藤や対立が起きることもあり,また,被害者へのネグレクトや,負の感情が強くなることもある.障害者支援での環状島モデルで分析した<水位> <重力> <風>とほぼ同じことが起きているといえる.
 性暴力被害者支援は,公的な支援や制度が何もないところからボランティアベースで始まったという経緯がある.犯罪被害者への支援制度や性暴力に関する法改正は,当事者や支援者たちの熱心な活動によって獲得されてきたものである5).もっとも,それゆえの問題もあり,世代交代が起こってくるなかで,ボランティアに頼るばかりではなく,予算を確保して,支援の質・量を充実させることが,<内海>を小さくしていくために重要である.

IV.精神科医療における感情労働とトラウマ
 ここまで環状島モデルを通して,障害者支援や性暴力被害者支援における支援者の立ち位置や困難について考えてきた.これらを踏まえて精神科医療における感情労働とトラウマについて考えていきたい.
 精神科医療における感情労働とは,以下のようなことである.支援者は,冷静かつ共感的な姿勢・態度を求められ,支援の対象に対して負の感情をもってはならないとされている16)が,支援者も,さまざまな感情に揺り動かされるものである.嫌悪感,恐怖や屈辱,処罰感情,後ろめたさややましさ,逆転移感情など,その内容にはさまざまなものがある.これらの感情を否認したり,他の支援者と共有せず,自分のなかで抱え続けることは,心身への負担となるのみならず,ケアの質を低めることにもなりかねない.
 また,支援者自身もトラウマを受けることがある.支援者のトラウマは,重層的で,複雑なものになりうる8).第一に,苦しみの目撃者として傷つくということがある.支援者は,当事者や家族の苦しみを見続けなければならないし,当事者がよくならないこと・治せないことに無力感を覚えることも多く,傷つきが深くなりがちである.第二に,医療従事者という職業上,仕事のなかで傷つくということがある.例えば当事者が自殺したり,陰惨な暴力の被害体験を聞いたりする場合,業務内容がトラウマ体験になりうる.また,当事者からの暴言・暴力や,同僚からのハラスメントによって,トラウマ体験を業務のなかで受けることもある.一方,支援者が「加害者」として傷つくこともある.この傷つきはモラル・インジャリーであり,これまでなかなか言語化されずにきたことである.コロナ禍で資源不足や感染の危険のなか,十分な治療ができず,モラル・インジャリーを負った医療従事者が多いことが指摘され,関心を集め始めている10).精神科医療の場合,身体拘束や強制治療を担うなど,自分の信条と異なることを仕事として行わなければならないこともある.このほか,当事者,家族,病院の意向の違いのなかで調整役をさせられるなど,「板挟み」になって支援者が傷つくこともあるだろう.
 支援者側に起こりうるトラウマ体験は,広く「二次的外傷性ストレス/代理外傷(secondary traumatic stress:STS)」としてまとめられることが多い11).その症状としては,PTSD様症状や,うつ症状,身体症状のほか,共感ストレス,共感疲労,バーンアウトによる休職や離職,最悪の場合には,自殺念慮や自殺企図などがある.重要なことは,これらを個人的な問題や個人の脆弱性として片付けてしまわないことである.状況によって,医師にも看護師にも臨床心理士にも,誰にでも起こりうる.また,職務からは簡単に離れることができないため,トラウマ的状況が長期化しうることにも注意が必要である.

V.環状島モデルで考える「良い支援」とは
 以上を踏まえて,障害者支援や性暴力被害者支援やその他のさまざまな精神科医療の現場において,支援のために必要なことや,支援者にできることを考察する.環状島モデルを用い(図5),<水位>を下げる,<風>に対抗する,<重力>を軽くする,という3つの観点から,「良い支援」のために何ができるかを示していく.
 <水位>を下げることは,環境に働きかけることを意味する.自分たちがおかれている状況(長時間労働による疲弊など)を把握し,どのような資源が必要なのかを考えることや,職場の文化を見直し,エトスを高め,悪循環を減らしていくことも大事だろう.こうして,「傷つけず傷つかない支援」,つまりネグレクトや虐待をしない,されないですむ環境をめざしていく.社会の理解を高めるような啓発活動も重要だろう.
 <風>に対抗することは,支援者同士で相互サポートをすることや,当事者に対する虐待などを防ぐことを意味している.支援者は仲間を増やし,お互いに支え合い,敬意を払い合うことが重要である.スーパービジョンを受けることも重要だろう.ユーモアやジョークで気持ちを切り替えるのもよい.環状島モデルで示してきたように,困難な事例を扱っているときほど,<風>や<重力>は働きやすくなり,<水位>が上がり,助けを求めにくい構造が生じやすくなる.当事者の声を聴き,敵対関係ではなく,上下関係でもなく,協働関係になってともに考えていくことをめざしたい.また,明るくにこやかでこちらに感謝してくれるといった理想の障害者像や,まったく落ち度がないというピュアな被害者像を求めないこと,少なくとも,自分たちがそういう障害者像や被害者像を求めがちであることに気づき,自戒することが重要である.
 <重力>を軽くすることは,支援者としての自己を振り返ることにつながる.職務上どのような感情を抱き,それをどうマネージメントしているか,どうしてその感情が生じたのかを理解するとともに,元にある思い込みや自分たちの価値観について,振り返ってみるとよいと思う.支援者としての傷つきを否認せず,それが個人的なものではなく,構造的なものであることを理解するのも重要であろう.自分自身の感情や重圧を客観視し,自分自身がめざす支援についてとらえ直すことができる.そして,自分がもともともっていた初心および内的価値観を維持したい4).ナイーブな理想主義ではいられないが,シニシズムに陥らないようにしたい.もちろん,適切なセルフケアを行うこと,セルフネグレクトをしないことが大切である.
 べてるの家の当事者研究14)では,当事者たちが「弱さの情報公開」をしている.自分の弱さを隠さずに人に伝え,また受け入れてもらう経験を積み重ねていくものである.それに倣って支援者も,「弱さの情報公開」をしながらの支援というものを試みてもよいのではないだろうか.

図5画像拡大

おわりに
 環状島モデルを用いて,精神科医療における「感情労働」やトラウマについて考察してきた.環状島はトラウマの理解のために生み出したモデルだが,社会のなかで避けられてきた課題や,さまざまな支援現場で語られずにきた問題について考えるためにも役立つ.PTSDなどのトラウマ関連疾患に限らず,当事者にとっては,精神を病むこと自体が「傷」であり,その傷に支援者が寄り添うこともまた困難を伴うことである.共感は必要だが,共感をし過ぎてもバーンアウトになるような危うさを常に抱えているのが支援者である.それでも,喜びや希望をもてる瞬間,やりがいを感じられる瞬間がある.関係者がお互いの立場を尊重し,敬意を払いあうことによって,「精神科医療」の文化が耕されて,当事者や支援者にとって良い医療が実現されることが望ましい.環状島モデルが理解と対処の一助になればと思う.

 編  注:本特集は,第117回日本精神神経学会学術総会シンポジウムをもとに新村秀人(東洋英和女学院大学人間科学部)を代表として企画された.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

1) 綾屋紗月, 熊谷晋一郎: 発達障害当事者研究―ゆっくりていねいにつながりたい―. 医学書院, 東京, 2008

2) Gartner, R. B: Betrayed as Boys: Psychodynamic Treatment of Sexually Abused Men. Guilford Press, New York, 1999 (宮地尚子, 岩崎直子, 井筒 節ほか訳: 少年への性的虐待―男性被害者の心的外傷と精神分析治療―. 作品社, 東京, 2005)

3) 神奈川新聞取材班: やまゆり園事件. 幻冬舎, 東京, 2020

4) Kleinman, A.: The Soul of Care: The Moral Education of a Husband and a Doctor. Viking, New York, 2019 (皆藤 章監訳: ケアのたましい―夫として, 医師としての人間性の涵養―. 福村出版, 東京, 2021〕

5) 小西聖子: 性暴力被害者支援の歴史と現状. 性暴力被害者への支援 (小西聖子, 上田 鼓編). 誠信書房, 東京, p.194-213, 2016

6) 熊谷晋一郎: リハビリの夜. 医学書院, 東京, 2009

7) 宮地尚子: 環状島=トラウマの地政学. みすず書房, 東京, 2007

8) 宮地尚子: 医療のなかのトラウマ―環状島モデルを用いて―. 患者安全推進ジャーナル, 60; 37-45, 2020

9) 宮地尚子編: 環状島へようこそ―トラウマのポリフォニー― 日本評論社, 東京, 2021

10) 大谷 彰: パンデミックとトラウマ―新型コロナウイルスから考える―. 人間福祉学研究, 13 (1); 25-40, 2020

11) Stamm, B. H.: Secondary Traumatic Stress: Self―care Issues for Clinicians, Researchers, and Educators. The Sidran Press, Lutherville, 1995 (小西聖子, 金田ユリ子訳: 二次的外傷性ストレス―臨床家, 研究者, 教育者のためのセルフケアの問題―. 誠信書房, 東京, 2003)

12) 杉浦寛奈: 誰がエビデンスを作るのか―当事者の経験知を専門知と対等に扱う―. 現代思想, 49 (2); 157-163, 2021

13) 田中麻子: 不可視の性暴力―性風俗従事者と被害の序列―. 大月書店, 東京, 2016

14) 浦河べてるの家: べてるの家の「非」援助論―そのままでいいと思えるための25章―. 医学書院, 東京, 2002

15) 渡邉 琢: 障害者の傷, 介助者の痛み. 青土社, 東京, 2018

16) 山上実紀: 感情と労働―医師の感情に焦点をあてる意義―. 日本プライマリ・ケア連合学会誌, 35 (4); 306-310, 2012

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