Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第123巻第12号

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特集 「内因性うつ病」を多面的に把握する
かけがえのない内因性うつ病概念―治療に対する有用性―
大前 晋
国家公務員共済組合連合会虎の門病院精神科
精神神経学雑誌 123: 793-800, 2021

 現代のガイドラインに基づくうつ病臨床に飽きたらなくなったら,ぜひ内因性うつ病概念に再評価のチャンスを与えたい.
 2016年に公開された日本うつ病学会監修の『うつ病治療ガイドライン第2版』における「うつ病」は,米国精神医学会の診断・統計マニュアルDSM-5が定めるmajor depressive disorder(MDD)と同義である.米国からの輸入概念であり翻訳概念である.しかし実はその一方で,DSMがMDDを定める以前から,日本には独自の発展をとげた固有のうつ病診断があった.それが内因性うつ病である.
 内因性うつ病は疾患(disease)である.一方,MDDは症候群(syndrome)である.疾患は,諸症状と経過の基礎にある身体的病変を前提とする.症候群は,症状の集まりそのものをいう.MDDの基礎は内因性うつ病のような身体的病変でなくてもいい.抑うつ・悲しみをもたらす出来事であってもいいし(抑うつ反応),無意識の領域に抑圧された心的葛藤でもいい(抑うつ神経症).これらの基礎に合わせて,それぞれの治療方針を選択しなければならない.
 内因性うつ病における抑うつ・悲しみは,精神と身体が交錯する領域にあらわれる.生気的抑うつ・生気的悲哀,生気的抑制,悲哀不能,原発性の自殺念慮はいずれも,接する者の想像や共感や感情移入を受けつけない.日常生活で経験する抑うつとは質が違う.
 DSMの「喜びの喪失」は,内因性うつ病における気分の無反応・非反応性をあらわす.アンヘドニアともいう.アンヘドニアのなかでも完了行動の喜びの喪失は内因性うつ病に対する感度・特異度とも高く,抗うつ薬の適応をあらわす重要な指標である.
 内因性うつ病の診断は治療のためにある.診断と経過・予後の告知,つぎに休息・療養の指示,最後に自殺抑止の契約という一連の手続き自体が良好な転帰をもたらす.電気けいれん療法あるいは三環系抗うつ薬と,疾患の精神病理学的把握に基づいた精神療法的態度は,治療において必須である.笠原がこれを「うつ病(病相期)の小精神療法」としてとりまとめ,大熊が患者に対する激励をいましめた.こうして内因性うつ病の診断自体がもつ治療的意義にくわえて,診断に特化した身体的治療と精神療法指針があたえられた.これが内因性うつ病概念の有用性である.

索引用語:うつ病, 軽症うつ病, 内因性うつ病, 精神療法, 激励禁忌>

はじめに
 現代のガイドラインに基づくうつ病臨床に飽きたらなくなったら,ぜひ内因性うつ病概念に再評価のチャンスを与えたい.
 2016年に公開された日本うつ病学会監修の『うつ病治療ガイドライン第2版』における「うつ病」は,米国精神医学会の診断・統計マニュアルDSM-5が定めるmajor depressive disorder(MDD)と同義である.訳せば「うつ病(DSM-5)/大うつ病」あるいは「うつ病(DSM-5)/大うつ病性障害」*1である18).米国からの輸入概念であり翻訳概念である.
 しかし実はその一方で,DSMがMDDを定める*2以前から,日本には独自の発展をとげた固有のうつ病診断があった*3.それが内因性うつ病である25)26).この「内因性」には,「遺伝・体質性が大きく関与している.心理的なきっかけがなく,ひとりでに発症する.発症後の経過は外からの影響を受けない」という含みがある.
 さらに内因性うつ病には軽症と重症それぞれで異なった意味あいがある.

 軽症:外来で治療できる.病識をもつ.主症状は生気的抑うつ,気分の非反応性など.
 重症:精神科病院に入院が必要である.病識をもたない.主症状は焦燥・激越,カタトニア,罪業妄想・貧困妄想・心気妄想など.

 ほんらい内因性うつ病は軽症の意味で用いる5)22)36)37).神経症性抑うつや抑うつパーソナリティそして適応障害性抑うつなどの「心因性」抑うつと区別するために「内因性」うつ病と呼ぶ.しかし現代ではDSM-5の「メランコリアの特徴」4)にしたがって,重症の意味での用法が優勢となってきている.
 今回論じるのは軽症の内因性うつ病である.これは2010年頃まで「うつ病のプロトタイプ」7)「うつ病中核群」33)34)「本物のうつ病」17)と呼ばれていた.当時その背景では,「うつ病の派生型」「うつ病辺縁群」「ニセ物のうつ病」とでも呼ぶべき病態が脚光を浴びていた.やがて,うつ病のプロトタイプ・中核群・本物は,派生型・辺縁群・ニセ物の奔流に飲まれて埋没した26).庇を貸して母屋を取られてしまった.行きついたところがMDDすなわち「うつ病(DSM-5)/大うつ病性障害」である.
 2021年現在,内因性うつ病はMDDにバージョンアップされて,サポート期間を終えたかにみえる.Windows XPのような扱いである*4.20年以上前から精神科臨床に従事している者は,あの快適な動作環境を懐かしく思いだす.しかし,いまも手入れしながら使い続けている者は酔狂とみなされる.この10年の間に精神科臨床に従事し始めた者は,その名称に覚えがあっても概念自体はよく知らない.使った経験もない.ただ,案ずる必要はない.それでも専門医になれる.
 もっとも,内因性うつ病概念を用いた臨床経験の積み重ねのすべてがうち棄てられたわけではない.少なからずはMDDに転用されている8)18).しかし内因性うつ病とMDDは診断カテゴリーも指し示す病態も異なる.そのため,内因性うつ病に対する経過・予後予測と治療方針を,内因性うつ病以外のMDDすなわち,かつての派生型・辺縁群・ニセ物に対しても適用してしまうとミスマッチが起きる.これが臨床従事者に違和感,患者ら当事者に不信感をもたらす.そのひとつが,「格言『うつ病の人を励ましてはいけない』は有効性を失ったのではないか」という問いである.この格言における「うつ病」は内因性うつ病なので,これをMDD全般に適用すれば齟齬が発生する.当然である.
 そこで今回ばかりは角を立てて,内因性うつ病とMDDの違いについて注意を喚起する.そのうえで,現代における内因性うつ病概念の有用性を供覧する.

I.内因性うつ病とMDDの違い
 内因性うつ病は疾患(disease)である27).疾患は,諸症状と経過の基礎にある身体的病変を前提とする.内因性うつ病の諸症状・経過の性質からいって,その基礎には身体的病変が存在するはずだ31).ただしその身体的病変が何であるかは現在のところわかっていない.ちなみに身体的病変がすでにわかっているものは症状・器質性抑うつと呼ばれる.Reserpine内服中や甲状腺機能低下症における抑うつなどである.
 一方,MDDは症候群(syndrome)である4)28).身体的病変の前提は症候群にはない.症候群は,症状の集まりそのものをいう*5.基礎は何でもかまわない.身体的病変があってもなくてもMDDはMDDである.
 内因性うつ病とMDDの関係は,肺炎と咳の関係にたとえられる23).肺炎にかかれば咳をする.肺炎が治れば咳は止まる.しかし,咳を止めても肺炎は治らない.同じように,内因性うつ病にかかればMDDの症状を訴える.否定的な発言をしたり意志意欲を失ったりする.内因性うつ病が寛解すれば,すなわち基礎にある身体的病変が治れば,MDDの症状もなくなる.しかし,MDDにおける否定的な発言をやめさせ意志意欲をとりもどさせようと勇気づけ励ましても無駄である.内因性うつ病の基礎にある身体的病変は治らない.「咳なんかするから肺炎にかかるんだ.咳を我慢しろ」というようなものだ.
 また,咳をするからといって肺炎とは限らない.喘息かもしれないし,ビスケットを喉に詰めてしまったのかもしれない.同じように,MDDの基礎は内因性うつ病のような身体的病変でなくてもいい.抑うつ・悲しみをもたらす出来事であってもいいし,無意識の領域に抑圧された心的葛藤でもいい.これらのあらゆる事態から発生する最終共通路(final common pathway),それがMDDである1)38).内因性うつ病の時代では,出来事から発生するMDDは抑うつ反応,心的葛藤から発生するMDDは抑うつ神経症と呼ばれていた.具体的には次の通りである23)26)
 機械猫Dは,怠け者の小学生Nの成長を助けるために,22世紀の未来から現代へ派遣されてきた*6.Dは未来の道具を用いてNを助け,信頼関係を構築していった.
 エピソード1:しかし,Dはプロジェクトの途上で未来への帰還を余儀なくされ,Nと別れなければならなくなった.その別れの回で描かれたのが抑うつ反応(悲しみ)である.
 エピソード2:紆余曲折ののち物語は打ち切りをまぬがれ,DはNのもとに戻ることを許された.ふたりは喜びあう.彼らの関係は永遠に続くかと思われた.しかしDの奮闘努力にもかかわらず,Nにはまるで向上心がみられない.かえってDへの依存心が高じるばかり.Dは自分がいるせいでかえってNの成長が阻害されているのではないかと葛藤に悩み続ける.この葛藤は,Dの生育史における両親不在と関係しているかもしれない.これが抑うつ神経症である.
 エピソード3:それでもDの働きかけの甲斐あって,やがてNが精神的な自立をとげるときがやってきた.意中の少女Sと未来に結婚できる見込みもついた.しかしDは目標を達成したというのに白けるばかりで,なぜか心底から喜べない.ポケットから道具を取りだすのに以前より難儀するし,そもそも状況に見合った適切な道具を思いつかない.Dはそんな自分に戸惑いを隠せない.大好物のドラやきを食べてもまったくおいしくない.天敵のネズミが出ても驚かない.これが内因性うつ病である.Dが姿を消す日も遠くないだろう.実際にNが未来の自分とその家族に会いにいったとき,そこにDの姿はない.
 エピソード1から3までがすべてMDDの症候群でも,これらを3回の再発とみなしてはいけない.各エピソードの基礎は,1が出来事,2が心的葛藤,そして3が身体的病変というようにすべて異なる.これらの基礎に合わせて,それぞれの治療方針を選択しなければならない.すべてに対して「うつ病」の診断を貼りつけて抗うつ薬を投与するのは,ビスケットを喉に詰めて咳込んでいるときにステロイド製剤を静脈注射したり,喘息発作のときに電気掃除機を咽頭にねじ込んで,ありもしないビスケットを吸い出そうとしたりするようなものである.
 エピソード1ではNへの思いを傾聴しながら,別れの悲しみも永遠に続くわけではないと告げる.必ずしも医療は必要ないだろう.エピソード2では現状の生活を続けるよう指示しながら,最近の状況だけでなくDの発達・生育史も問診し,洞察志向的な精神療法も検討する.本人の求めに応じて医療を行うべきだろう.ただし,求められなければ深追いする必要はない.エピソード3では精神療法よりさきに,休息をすすめて抗うつ薬を処方する.本人が治療を希望しないならば,聡明な妹など重要人物にも伝えて治療への協力を依頼する.
 こういった選択を,その都度その都度のさじ加減ではなく,それまで積み重ねられた医学的知識に裏打ちされた基準に即してすすめたい.とくに薬物療法を中心に行うべきエピソード3とそれ以外を区別する基準があればいい.そこで要請されるのが,内因性うつ病概念の再評価である.

II.内因性うつ病の症状
 内因性うつ病は,重症の躁うつ病と同じように疾患である.症状は身体的病変から発生する.その意味で,肺炎における咳や胃潰瘍における吐き気と同列である.
 内因性うつ病における抑うつ・悲しみは,精神と身体が交錯する領域にあらわれる.胸の奥深くに根差した内部の重苦しさ・落ち着きのなさ,すなわち内的な不穏・興奮は,抑うつ・悲しみというよりも苦悶といったほうが近いかもしれない.これがSchneider, K.29)31)のいう生気的抑うつ(Vitaldepression)・生気的悲哀(vitale Traurigkeit)である.
 生気的症状は運動面にもあらわれる.思考や行動が抑えつけられる.渋滞して前へ進まない.そのため遅くなる.物事が決められない.ちょっとした行動にも多大な労力を要す.これは生気的悲哀における内的な不穏・興奮と表裏一体の体験である.これらを生気的抑制(vitale Hemmung)とも呼ぶ16)
 これらは内因性の法則すなわち生体固有のリズムにしたがう.そのあらわれが日内変動である.他の身体症状,睡眠障害や食欲低下をともなってあらわれる.たいていは早朝覚醒したときがもっとも不調であり,昼・夕刻から夜にかけて改善する.寝つきは悪くない.
 内因性うつ病における生気的抑うつ・生気的悲哀そして生気的抑制は,外からの慰めや励ましや脅しに反応しない12).無反応である.非反応性ともいう.あらゆる感受性が消えてしまう.気分・感情が動かない.揺さぶられない.悲しみの底にあるのではない.悲しめない.これがSchulte, W.32)のいう悲哀不能(Nichttraurigseinkönnen)である.
 無反応・非反応性は経過にもあらわれる.内因性うつ病はいったん始まると持続する.内因性・自律性の経過をとる.喜ばしい出来事が回復をもたらしたりしない.期間は数ヵ月から年余に及ぶ.しかし最終的には治る.いったん回復の途に入れば,悲しい出来事によって逆戻りしたりもしない31).ただ経過を通じて再発・反復が多い.
 内因性うつ病では,疾患によってもたらされる苦痛や能力障害そして社会的不利益などのせいで,現世から逃げたくなる.死にたくなる.この心理は,がんなど他の慢性疾患にも通じる.この自殺念慮には感情移入の余地がある.
 ただしこれだけではない.内因性うつ病には,身体的病変からじかに発生するとしかいいようのない原発性の自殺念慮がある.肺炎の人が咳をし,胃潰瘍の人が吐き気を催すように,内因性うつ病の人は自殺へ向かう35).そこに理由などない.この事実を知っておかないといけない.忘れてはいけない.
 生気的抑うつ・生気的悲哀,生気的抑制,悲哀不能,原発性の自殺念慮はいずれも,接する者の想像や共感や感情移入を受けつけない.日常生活で経験する抑うつとは質が違う.Hamilton, M.は「患者の気分と正常な経験は違う.自覚的で聡明な患者ならば気づいている.しかしその違いを比喩でしか語れない」6),Schulteは「周囲の健康な人々にいくらかでも自分を理解してもらいたい.そんなときに患者がとりうる方法は,『悲しい』という手近な比喩を用いるしかないだろう」32)という.
 内因性うつ病は重症,そういう印象を与えるかもしれない.たしかに本人の体験は深刻である.しかし外見は必ずしも重症との印象を与えない.自殺に注意をはらえば,ほとんどは外来で治療可能な軽症うつ病である.
 外来には日常生活上のストレスに関連した精神・身体症状を訴える患者がたくさん訪れる.この種々雑多な集合は,かつては神経衰弱,ヒステリー,ノイローゼと呼ばれた.現在ならMDDである.このなかに埋もれている内因性うつ病を取りだす能力,これこそが,精神科医の存在意義のひとつだった27).そういう時代が確かにあった.

III.MDDの診断基準からみた内因性うつ病症状
 MDDの診断基準4)21)は,誰もが日常生活で経験する抑うつをテンプレートとしている.重症の躁うつ病をテンプレートとした内因性うつ病とは逆方向からのアプローチである.
 ただしMDDの診断基準には,内因性うつ病の症状論の痕跡がある.診断基準A2の「興味または喜びの著しい減退」である21).DSM-IIIでは「興味または喜びの喪失」だった2)
 「喜びの喪失」は,内因性うつ病における気分の無反応・非反応性をあらわす.またの名をアンヘドニア(anhedonia)という.Klein, D. F.14)15)によれば,この症状は抗うつ薬の適応をもっともよくあらわす指標である.
 Klein15)はさらに,アンヘドニアを欲求行動の喜び(appetitive pleasure)の喪失と完了行動の喜び(consummatory pleasure)の喪失の2段階に分けた.欲求行動の喜びの喪失が「興味の喪失」,完了行動の喜びの喪失が「喜びの喪失」に相当する.欲求行動の喜びは「狩猟の喜び」すなわち獲物を追ったり楽しい物事を計画したりする喜びである.完了行動の喜びは狩猟の喜びに続く「祝宴の喜び」であり,飲食や性交など生物学的欲求の満足と直接関係した喜びである.
 贔屓にしているミュージシャンのライブ情報を検索して日程と会場の情報をいちはやく手に入れ,発売日の発売時刻ちょうどにプレイガイドにアクセスしてチケットを購入するときのどきどきした気分,そして座席表を確認してステージの見え方を想像したり,その日に着ていく衣装を選んだりする際のうきうきした気分が欲求行動の喜びであり,当日実際にライブを存分に堪能し,帰りに友人たちと感想を語り合うのが完了行動の喜びである.
 欲求行動の喜びの喪失は,内因性うつ病に対する感度が高くても特異度が低い.抑うつ反応でも抑うつ神経症でもあらわれる.完了行動の喜びの喪失が内因性抑うつに対する感度・特異度とも高く,抗うつ薬の適応をあらわす重要な指標である.
 かつて贔屓にしていたミュージシャンに関心を失い,ライブの告知にも無反応だった.しかし,友人がチケットを確保して当日家までタクシーで迎えに来てくれてはじめて重い腰をあげた.すると会場では次第にかつての情熱がよみがえり,「アリーナ!」のコールに腹の底からレスポンスし,思い出のヒット曲では友人からロゴ入りバスタオルを奪い取って投げ上げ,大満足して帰ってきた.しかし翌日にはもとに戻ってしまい,「ライブなんて行くんじゃなかった,楽しめなかった」とこぼす.これが欲求行動の喜びの喪失である.完了行動の喜びは保たれている.診断は抑うつ神経症である.
 一方で,関心を失ったにもかかわらずファンクラブの退会手続きもせず,惰性でチケットの予約抽選に申し込み,見事当選しても気分はいっこうに沸き立たない.ライブ当日も以前と同じようにパンフレットやグッズをひととおり購入してスタンディングで形式的に拍手はするが,あこがれの的だったミュージシャンは以前のように輝いてみえない.それなのに他の客は昔と同様に熱狂しているので疎外感をおぼえる.帰りの電車ではただひたすらに空しい.翌日職場では毎度のようにおみやげのグッズを同僚に配るが,感想を聞かれるとすこし戸惑って微妙な間ののちに「うん…楽しかったよ」とぎこちない笑みを浮かべる.これが完了行動の喜びの喪失である.診断は内因性うつ病である.
 現在のうつ病臨床ではこれらふたつの精神病理学を区別しない.どちらもMDDである.
 もし診断基準A2を「喜びと悲しみの喪失」まで狭めれば,それは悲哀不能とほぼ等価である.内因性うつ病を診断できる.しかし実際の診断基準は「喜びと悲しみの喪失」→「喜びの喪失」→「興味あるいは喜びの喪失」→「興味あるいは喜びの著しい減退」というように広げられた.さらにA2はA1「抑うつ気分」とのOR条件である.あってもなくてもよい.
 MDDは,基礎にある身体的病変,出来事,無意識の領域に抑圧された心的葛藤などに関する情報を一切もっていない.DSM-IIIが理論に基づかないatheoreticalと標榜したゆえんである2).それでもDSM-IVまでは生物心理社会biopsychosocialモデルに配慮した5軸評価があった3)が,DSM-5はそれもうち棄てた4).また,MDDの診断が身体的病変の有無にかかわらない以上,生物学的マーカーの開発は無意味である*7.結果としてMDDの治療方針は,その都度その都度の担当医のさじ加減と患者の希望に委ねられる.

IV.内因性うつ病概念の有用性
 内因性うつ病の診断は治療のためにある*8.まず診断によって,患者の苦痛を治療可能な症状と関連づけ,経過・予後を告知する.つぎに休息・療養を指示し,最後に自殺の抑止を契約する.この一連の手続き自体が良好な転帰をもたらす.空腹の苦しみは放置されると耐えられなくても,すみやかに食事を提供する方針とその時刻を明確に伝えられれば耐えられる.内因性うつ病に苦しむ患者には,数週間から数ヵ月間をしのげば回復する見通しと,それまでの治療方針が明確に伝えられなければならない.
 先に述べたように,内因性うつ病における体験は,接する者の想像や共感や感情移入を受けつけない.この精神病理学的事実こそが治療の鍵である.Schulteは「患者の状態が感情移入できるという断言は押しつけがましい.それよりも黙って了解不能性を認めてもらうほうが,患者はよりよく『了解』され受容されたと思うだろう」32)という.患者はすでに体験の異質性に圧倒され,戸惑い,途方に暮れている.それならば,その異質性をくみとって「わからない」と伝えたほうが,患者には「わかってもらえた」と思ってもらえる.一見パラドキシカルだが,高い次元からとらえれば首尾一貫している.この「了解不能性の了解」が内因性うつ病治療の第一歩である.
 ただし内因性うつ病は,精神療法によって症状の基礎や発症機序に働きかけても回復しない.がんなどの身体的病変が精神療法によって縮小したり消失したりしないのと同じである.もし内因性うつ病に対して精神療法が効果をあらわしたかのようにみえたなら,それは内因性うつ病でなかったか,自然軽快に立ちあったか,そのどちらかである30)
 1940年代に電気けいれん療法,1957年に三環系抗うつ薬という特異性の高い身体的治療法があらわれた.これ以降,内因性うつ病診断があらわす治療指針は,当初いわれた精神療法の無効性から電気けいれん療法あるいは三環系抗うつ薬の有効性に転じた20)*9
 あわせて精神療法の役割も見直された.疾患の精神病理学的把握に基づいた精神療法的態度は,内因性うつ病の治療において必須である22)25)26).がんなどの慢性疾患に向きあう患者に対して精神療法的態度が必須なのと同じである.
 笠原はこれを「うつ病(病相期)の小精神療法」(1978)10)にまとめた.のちの「うつ病のムンテラ7カ条」(1982)11)またの名を「急性期治療の七原則」(1996)13)という.①病気であったことを医師が確認すること,②できるだけ速く,かつできるだけの休息生活に入らせること,③予想される治癒の時点をはっきりと述べること,④少なくとも治療中,自殺を絶対にしないことを誓約させること,⑤治療終了まで人生にかかわる大問題についてはその決定をすべて延期させること,⑥治療中病状に一進一退のあることをくりかえし指摘すること,⑦服薬の重要性ならびに服薬によって生じる自律神経系の随伴症状をあらかじめ指摘しておく,以上である.
 これが日本のうつ病臨床に広く効力をもたらした.大熊の教科書『現代臨床精神医学』には,1983年の第2版からこの7カ条・七原則と,「『しっかりしなさい,元気を出せ』などと患者を激励することは,患者の自責感,絶望感を強めるので禁物である」19)旨があわせて掲載された.
 こうして内因性うつ病の診断自体がもつ治療的意義にくわえて,診断に特化した身体的治療と精神療法指針があたえられた.これが内因性うつ病概念の有用性である.

おわりに
 日本のうつ病臨床の叡智は,内因性うつ病とともにあった.笠原は「うつ病の精神療法を論じるにあたって意外に大切なのは『診断』の問題だと私は思う」10)と宣言した.大熊も「正確な診断を行なうこと,たとえば内因性うつ病と神経症性うつ病の鑑別」19)との前提をおく.小精神療法の適用範囲は,笠原・木村分類9)でいう第I型(性格反応型うつ病)と第II型(循環型うつ病)とくに第I型,すなわち内因性うつ病の病相期・急性期である.
 現代のうつ病すなわちMDD治療ガイドラインには「病因論を考察し(中略),個々の患者の抑うつ状態が生物学的基盤による部分が大きいのか,(中略)心理的・社会的に理解可能な心理反応として捉えることが可能なのかを十分に検討すべきである」18)とある.問題意識は過去も現在もかわらない.しかし,そこで参照されるのは英語のMDD文献である.今回論じた,内因性うつ病の精神病理学的理解と日本における治療経験の積み重ねは一顧だにされない.
 しかし内因性うつ病概念とその有用性は再評価の余地がある.そこで,これから精神科専門医を取得しようという諸先生がたにはぜひ知っておいてほしいと切に願って,この小論を提示した.試験には出ないかもしれませんが.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

 日本語以外の引用は一部訳書を参照したが,その際も筆者自身が原著を参照のうえ翻訳し直した.したがって,引用箇所の文責はすべて筆者にある.

文献

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8) 神庭重信編: 気分症群(講座精神疾患の臨床1) 中山書店, 東京, 2020

9) 笠原 嘉, 木村 敏: うつ状態の臨床的分類に関する研究. 精神経誌, 77 (10); 715-735, 1975 (笠原 嘉: うつ病臨床のエッセンス新装版. みすず書房, 東京, p.15-70, 2015)

10) 笠原 嘉: うつ病(病相期)の小精神療法. 季刊精神療法, 4 (2); 118-124, 1978

11) 笠原 嘉: うつ病の管理と社会復帰. うつ病(織田敏次, 阿部 裕ほか編, 内科セミナーPN6). 永井書店, 大阪, p.241-251, 1982 〔笠原 嘉: うつ病臨床のエッセンス新装版. みすず書房, 東京, p.151-167, (「うつ病の治療と社会復帰」に改題)〕

12) 笠原 嘉: 不安・ゆううつ・無気力―正常と異常の境目―. 精神の危機(飯田 真, 笠原 嘉ほか編, 岩波講座 精神の科学3). 岩波書店, 東京, p.207-260, 1983

13) 笠原, 嘉: 軽症うつ病―「ゆううつ」の精神病理―. 講談社, 東京, 1996

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15) Klein, D. F.: Depression and anhedonia. Anhedonia and Affect Deficit States (ed by Clark, D. C., Fawcett, J.). PMA Publishing, New York, p.1-14, 1987

16) Lange, J.: Die endogenen und reaktiven Gemütserkrankungen und die manisch-depressive Konstitution. Handbuch der Geisteskrankheiten VI, Spezieller Teil II(Hrsg von Bumke, O.). Springer, Berlin, p.S.1-232, 1928

17) 中安信夫: うつ病は増えてはいない―大うつ病性障害(DSM)とは成因を問わない抑うつ症状群である―. 精神経誌, 111 (6); 649-656, 2009

18) 日本うつ病学会監, 気分障害の治療ガイドライン作成委員会編: うつ病治療ガイドライン第2版 医学書院, 東京, 2017

19) 大熊輝雄: 現代臨床精神医学改訂第2版. 金原出版, 東京, 1983

20) 大前 晋: 「軽症内因性うつ病」の発見とその現代的意義―うつ病態分類をめぐる単一論と二分論の論争, 1926~1957年の英国を中心に―. 精神経誌, 111 (5); 486-501, 2009

21) 大前 晋: 「大うつ病性障害」ができるまで―DSM-III以前の「うつ病」(内因性抑うつ)と現代の「うつ病」(大うつ病性障害)の関係―. 精神経誌, 114 (8); 886-905, 2012

22) 大前 晋: 内因性うつ病―概念史と現代的意義―. 臨床精神医学, 42 (7); 825-839, 2013

23) 大前 晋: 個人が悩みをかかえきれなくなったとき, 社会的に求められる機能を果たせなくなったとき, 精神科医療は何ができるのか―うつ病概念と, それが指し示す範囲すなわちスペクトラム―. 精神医学におけるスペクトラムの思想(村井俊哉, 村松太郎責任編集, 精神医学の基盤3). 学樹書院, 東京, p.127-139, 2016

24) 大前 晋: 精神医学における診断妥当性―具体化・物象化の錯誤を超えて―. 精神科治療学, 35 (2); 133-140, 2020

25) 大前 晋: 内因性概念は何のために―うつ病の場合―. 精神科診断学, 13 (1); 61-67, 2020

26) 大前 晋: 内因性うつ病概念は何のために. 気分症群(神庭重信編, 講座精神疾患の臨床1). 中山書店, 東京, p.55-69, 2020

27) 大前 晋: うつ病概念は死なず, ただ消え去るのみ―ニッポンのうつ病からmajor depressive disorderへ―. 精神科治療学, 35 (9); 933-940, 2020

28) Paris, J.: The Intelligent Clinician's Guide to the DSM-5. Oxford University Press, Oxford, 2013 (松崎朝樹監訳: DSM-5Ⓡをつかうということ―その可能性と限界―. メディカル・サイエンス・インターナショナル, 東京, 2015)

29) Schneider, K.: Die Schichtung des emotionalen Lebens und der Aufbau der Depressionszustände. Z Gesamte Neurol Psychiatr Orig, 59 (1); 281-286, 1920 〔赤田豊治訳・解説: 感情生活の成層性と抑うつ状態の構造. 精神医学, 18(4); 441-447, 1976〕

30) Schneider, K.: Zur Frage der Psychotherapie endogener Psychosen. Dtsch Med Wochenschr, 79 (22); 873-875, 1954
Medline

31) SchneiderK.: Klinische Psychopathologie, 6 Aufl. Thieme, Stuttgart, 1962 (平井静也, 鹿子木敏範訳: 臨床精神病理学. 文光堂, 東京, 1963)

32) Schulte, W.: Psychotherapeutische Bemühungen bei den Melancholie. Dtsch Med Wochenschr, 87 (44); 2225-2231, 1962 (飯田 眞, 中井久夫訳: うつ病の精神療法. 精神療法研究. 岩崎学術出版社, 東京, p.63-85, 1994)

33) 仙波純一: 「改めてうつ病中核群を問う」特集にあたって. 精神科治療学, 24 (1); 1-2, 2009

34) 仙波純一: 「変わりゆくうつ病―診断と治療の現在―」特集にあたって. 精神科治療学, 34 (1); 3-4, 2019

35) 先崎 学: うつ病九段―プロ棋士が将棋を失くした一年間― 文藝春秋, 東京, 2018

36) Watts, C. A. H.: Endogenous depression in general practice. Br Med J, 1 (4487); 11-14, 1947
Medline

37) Watts, C. A. H.: The mild endogenous depression. Br Med J, 1 (5009); 4-8, 1957
Medline

38) Winokur, G.: All roads lead to depression: clinically homogeneous, etiologically heterogeneous. J Affect Disord, 45 (1-2); 97-108, 1997
Medline

注釈

*1 『うつ病治療ガイドライン第2版』では「うつ病(DSM-5)/大うつ病」18)だが,2014年に出版されたDSM-5日本語版では「うつ病(DSM-5)/大うつ病性障害」である4)

*2 MDDのはじまりは1980年出版のDSM-III2)にある.

*3 以前に筆者は,2000年以前の日本の精神科臨床におけるうつ病を「ニッポンのうつ病」と称した27)

*4 Windows XPはマイクロソフト社のオペレーティングシステム(OS)である.使いやすさと草原の壁紙で広く知られた.2001年に発売され2008年に出荷終了したが,サポート期間は何度も延長されて2014年に終了した.現在でも一部では使い続けられている.

*5 症候群(syndrome)は,「同時(syn)」と「走る(drome)」なので,ほんらいは横断的な症状だけをいう.ただし実際の臨床で症候群というときは,経過を含まなかったり含んだり,柔軟性をもって扱われている.

*6 この症例はフィクションです.実在の作品,人物,団体とは一切関係ありません.

*7 たとえば腫瘍マーカーの妥当性はがん病変それ自体との比較によって評価する.腫瘍マーカーの数値とがんにおける心理社会的尺度を比較しても妥当性には永遠に近づかない.

*8 内因性うつ病の基礎にある身体的病変が何であるかはわかっていない.そのため妥当性24)は確立されていない.しかし治療に対する有用性24)については,過去の知識が積み重ねられている.

*9 現在も内因性うつ病治療の第一選択は抗うつ薬である.なかでも内因性うつ病治療に対する積み重ねがあるのは三環系抗うつ薬である.セロトニン再取り込み阻害薬をはじめとする新規抗うつ薬のエビデンスの対象は,もっぱらMDDである.

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