Advertisement第118回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第120巻第9号

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特集 精神医学の哲学(Philosophy of Psychiatry)―新しい潮流―
精神科臨床におけるニューロエンハンスメント
榊原 英輔
東京大学医学部附属病院精神神経科
精神神経学雑誌 120: 782-789, 2018

 病気の治療のために開発された医科学的な介入手段を能力向上のために用いることは「エンハンスメント」と呼ばれている.なかでも,向精神薬を用いて精神機能の向上をめざすニューロエンハンスメントは,倫理学において活発に議論されてきた.そのなかでは,ニューロエンハンスメントに対し,治療の文脈でも議論される安全性/有効性に対する疑念のほかに,周囲からの圧力で服薬を強要されてしまう危険性,貧富の格差が一層固定化してしまうのではないかという不公平性,現状の社会の恣意的な価値観を強化してしまうのではないかという共謀の危険性が指摘されている.精神科を受診する人のすべてが精神疾患であるわけではないが,精神疾患と正常な苦悩の境界は曖昧である.加えて現代では,軽度の抑うつや不安,成人期に診断される発達障害など,その境界線上に位置する人々が多く受診するようになった.このような境界線上のケースにおいては,病気と健康,治療とエンハンスメントを事実判断として区別することは不可能であり,「精神医療のなかでこの人とかかわるべきか」「向精神薬はこの人に役立つか」という価値判断に基づいて意思決定を行う必要がある.それゆえ,ニューロエンハンスメントに関して提起された問題点は,「病気の治療」という枠組みのなかでなされる向精神薬の使用の是非にもそのままあてはまる.本論では強要と共謀の問題がかかわる架空のケースを提示し,向精神薬使用の是非に関して,「歩み寄りモデル」という精神医療のあり方を提案した.歩み寄りモデルに基づく医療は,生物医学モデルに基づく医療とは対照的に,正常と病理の区別に執着せず,個人と社会の間のコンフリクトの解消を目標とする.そして,向精神薬がこの目標に役立つと考えられるなら,その使用を検討してもよいと主張するが,それと同時に社会の側にも個人への歩み寄りを求めることで,医療化によって生じる副作用とバランスをとることを重視する.

索引用語:医療倫理, エンハンスメント, 向精神薬, 薬物療法>

はじめに
 著者は精神科医になりたての頃は入院患者の治療に携わることが中心であったが,数年前より市中の精神科クリニックで外来診療を行うことになった.クリニックにはさまざまな人が,さまざまな理由で受診する.教科書的なうつ病や統合失調症の人もいるが,大半は軽症の不安や抑うつが主訴であり,成人になってから発達障害の診断を希望して受診してくる人も少なくない.
 このような環境では,「この人は精神医療が関与すべき人なのか」「この人に向精神薬を使うのは妥当なのか」という判断を迫られることが多い.そのため,このような判断を行う際に,どのような点を考慮するべきなのかという臨床疑問が生じてきた.このうち,精神医療が関与すべきか否かを判断する際に,何を考慮するべきなのかについては,すでに別のところで論じた23).そこで本論では,向精神薬の使用を判断する際に考慮すべきことについて考えていきたい.
 著者が悩ましいと感じていたのは,次のA氏のような事例である.なお,以下の記述は架空のものである.

 A氏は40歳の会社員であり,彼の上司とともに精神科のクリニックを受診した.彼は長らくB社に勤め,就職直後より遅刻や忘れ物が多い社員だったが,精神科の受診歴もなく,大学を卒業してから休むことなく勤め上げてきた.しかし会社は,年齢に見合った仕事をこなすことができず,何歳になっても一人前に仕事を任せられない彼を徐々に持て余すようになっていた.A氏が精神科を受診したのは,発達障害についての情報をメディアで小耳にはさんだ上司が,A氏がADHDを患っており,薬物療法によって問題が解決するのではないかと考え,彼に精神科を受診するよう強く促したからであった.A氏は「このままでは会社にいられない」と上司から仄めかされており,上司の仕打ちに憤然としていたが,同時に,ひどく困惑していた.

 向精神薬の使用に関しては,「精神疾患の診断に基づき,有効性が害のリスクを上回れば,患者の同意のうえで用いる」という考え方が一般的であろう.しかし,この考え方は当初の疑問に対する答えとするには不十分である.なぜなら,向精神薬の使用の判断に迷うケースは,そもそも病気か否かの判断が難しいケースであり,またA氏のようなケースでは,向精神薬の使用に際して薬理作用や本人の同意の有無以外にも考慮すべきことがあるように思われるからである.そこで私は,疑問に答えるためのヒントを,エンハンスメント(enhancement)を目的とした向精神薬使用の是非に関する倫理学の議論に求めることにした.次の二節では倫理学における議論を紹介し,そのうえで最初の臨床疑問に取り組んでいきたい.

I.ニューロエンハンスメントとは何か
 エンハンスメントとは,医科学的な介入手段を,健康の維持や病気の治療という目的を超えて,人間の形態や機能を向上させるために用いることを指す11).身体的なエンハンスメントの典型例は,筋力増強のための蛋白同化ステロイドの使用であろう.ほかにも,成長ホルモン製剤を,内分泌疾患を伴わない特発性低身長の子どもに投与し,身長を伸ばすことの是非が問われている.加えて,美容形成手術もエンハンスメントに含められることが多い.なかでも,ニューロエンハンスメント(neuro-enhancement:NE)とは,精神神経領域におけるエンハンスメントであり,向精神薬を用いた精神機能の向上の是非を中心に,活発な議論が交わされている5)8)9)
 NEに用いられる向精神薬の例を挙げてみよう.例えば,注意欠如・多動性障害(attention-deficit/hyperactivity disorder:ADHD)などの治療薬であるメチルフェニデートは,健常者の記憶力を向上させることがわかっている21).また,ナルコレプシーの治療に用いられるモダフィニルは,睡眠剝奪状態の健常者の眠気を改善し実行機能を向上させ,米国空軍ではすでに,長時間の任務に就く航空機のパイロットが使用している21).米国の精神科医Kramer, P. D. は,選択的セロトニン再取り込み阻害薬(selective serotonin reuptake inhibitor:SSRI)が,うつ病や不安障害の治療に有効であるだけでなく,敏感で回避的なパーソナリティ傾向をもつ人々を,より社交的で自己主張的に変えるのに役立つと著書で発表し,センセーションを巻き起こした14).その後の系統的レビューにおいても,健常者がSSRIを内服すると,服用日数に比例して気分が向上することが示唆されている22)
 医科学的手段を用いることは,病気の治療という目的のためならば疑問は生じない.また,能力向上をめざすことは,用いる手段が一般的なトレーニングや食品の摂取という「伝統的」方法である限りでは,問題視されない.ところが,能力を向上させるために医科学的手段を用いることに対しては,漠然とした抵抗感が生じるのではないだろうか.倫理学が取り組んでいるのは,このような直感が働く理由を言語化し,NEを含むエンハンスメントの是非を論じることである.
 その是非をめぐる議論をよそに,NEは現実に広がりつつある.例えば,Nature誌上で行われた読者アンケートでは,回答を寄せた1,400名のうち,およそ20%がNEのために向精神薬を使用したことがあると回答した17).使用者の62%はメチルフェニデート,44%はモダフィニルを使用したと答えている.また,米国において大学生約1万人に対して行ったアンケート調査では,6.9%の学生が治療外の目的で治療用の精神刺激薬を使用した経験があると答えた18).日本においても,メチルフェニデートの不適切処方で医師が逮捕された事件は記憶に新しい2)

II.NEに対する倫理的懸念
 個人の自己決定権を尊重するリベラリズムに基づくならば,NEを行うか否かは各自の自主性に委ねられるべきではないだろうか? これに対して,NEの使用を制限するべきだとする主張も多い.そのような主張の背後にあるのは,以下のような倫理的懸念である7)8)19)

1.安全性/有効性
 健常者の能力向上目的の向精神薬の使用が正当化されるためには,病気の治療のために用いられる場合以上に,薬の安全性と有効性が確立されていなければならない.なぜなら,健常者には,薬を服用すべき切迫した理由がないからである.ところが,健常者に対する向精神薬使用の安全性に関する報告は,治験の結果など短期間の服用に関するものに限られている.有効性に関しても,治療効果の研究と比べて報告は圧倒的に少ない.これはNEの臨床研究は予算がつきにくく,研究倫理的にも正当化されにくいことが関係している4)

2.強要(coercion)
 強要とは,周囲の人間からの直接的・間接的な圧力により,NEを行わざるを得ない状況に追い込まれることを指す.NEの使用が個人の自由に委ねられていたとしても,NEを行うことが一度許容されると,NEを使用しない人は社会のなかで不利な立場に立たされるため,使用せざるを得なくなるかもしれない.組織に属する人は,同僚からNEの使用を強く要求される可能性がある.強要は,プロスポーツの世界ではすでに現実となっている12)

3.不公平性(unfairness)
 NEは,治療目的の向精神薬の使用と異なり保険適用とならない.このため,NEが自由に行えるようになると,高額なNEに手が届くのは富裕層のみとなり,富裕層と貧困層の能力差が開き,貧富の格差を一層固定化させてしまうかもしれない.

4.共謀(complicity)
 何をもって人間の能力が高められたとされるかは,しばしばその時代とその地域の人々の価値観を反映した相対的なものである.恣意的で時に不正な価値観が社会に広がっているとき,NEはそれを強化してしまうかもしれない.このような懸念が最もあてはまるのは,美容形成手術である.例えば,黒人差別の残る地域で黒い皮膚を白くする処置を行うことは,「白い肌は黒い肌よりも価値が高い」という人種差別的な価値観を強化することになってしまうように思われる16).同様に,外向性や積極性を重視する米国において,性格を社交的で自己主張的にするためにSSRIを使用することは,米国の価値観を強化することにつながるだろう.しかし,奥ゆかしさや遠慮深さを尊ぶ日本的な文化が存在することからも明らかなように,米国の価値観は決して普遍的なものではないのである.

 これらの懸念に対しては,すでに再反論がある7)8)19).第一に,安全性/有効性に関する情報不足はNEを一律に禁止するべき理由としては不十分である.というのも,われわれは,危険性があるとわかっていることや,有効性が不明なことを,自分の意思で行う限りある程度許容しているからである.例えば肺癌のリスクを高めることがわかっていても,成人では喫煙は個人の自由に委ねられている.NEに近い例としては,成人には「治験の被験者になる自由」があることが挙げられるだろう4)
 第二に,強要に関しては,NEが他者と競争するうえでの相対的利益しかもたらさない場合と,他者との比較にかかわらず本人に絶対的な利益をもたらす場合に分けて論じたほうがよいだろう.前者の例は,身長を伸ばすために成長ホルモンを使用する場合である.現代社会では,高身長のメリットは,専ら他者より相対的に背が高いということに由来する.したがって,皆が成長ホルモンを使うようになると,結局誰も得をせず,経済的コストと副作用の害のみが残るという自滅的(self-defeating)な結果が生じるのである7).これに対し,メチルフェニデートが記憶力を高めるのだとすると,他者との競争で有利になるという点を除いたとしても,個人の幸福追求に役立つかもしれない.NEが相対的利益しかもたらさない場合は,自滅的な「軍拡競争」を阻止するために,一切の使用を禁止するべきかもしれない.一方で,NEに絶対的利益がある場合は,仮に強要が生じたとしても容認すべしという意見がありうる.現代ではほとんどの人が携帯電話やスマートフォンをもち,連絡が容易となったが,一部の人は,他者から強く促されて所持するに至ったのではないだろうか.便利な社会がもたらされたのは,強要のおかげかもしれないのである.
 第三に,NEを許容することで貧富の格差が固定化されてしまうという不公平性を論拠とする批判に対しては,そもそも資本主義社会とはそういう社会なのだ,と開きなおることも可能かもしれない.NEに限らず,高性能な道具に手が届く富裕層は,手が届かない貧困層よりも1人あたりの生産性を上げることができる.そうだとすれば,NEだけを否定するのは的外れではないだろうか.この意見が貧困層に対して過酷であると考えるなら,NEが貧困層にも行きわたるように,国が補助金を出してもよいかもしれない.現在,一部の予防接種は国から助成が出るが,予防接種は,免疫機能のエンハンスメントと解釈することもできるだろう4).さらに,ドパミン作動薬は,健常者において,もともと作業記憶が高い人では機能を低下させ,もともと機能が低い人では機能を向上させたという報告がある13).これが一般化できるとすると,NEは先天的な能力差を縮小させ,より平等な社会を実現するための一助となるかもしれないのである.
 最後に,共謀に関しては,美容形成の場合と比べ,NEの場合はそれほど顕著な問題ではないかもしれない.というのも,記憶力や集中力の高さ,長時間活動できる能力,精神的な安定性や社交性などは,ある程度まではあらゆる社会で望ましいとされる特性だからである.とはいえNEにおいても,共謀の懸念は,個人の資質や性格のばらつきに対する社会の不寛容を強化してしまうという形で現実のものとなりうる.
 上記の議論から浮かび上がってきたのは,NEに対するさまざまな倫理的懸念はあるにしても,NEを一括して禁止すべきとまではいえず,個別のケースごとにその是非を検討していく必要があるということである.

III.精神科臨床とNE
 精神科を受診する多くの人は,程度の差はあれ何らかの悩みや苦しみを抱えている.これらの悩みや苦しみのすべてが病気であるわけではない.一方で,悩みや苦しみを抱えた人が病気といえるかどうかの境界は曖昧である.正常と病理の間に明確な境界線が存在しないということは,害を軽減するための向精神薬の使用が治療なのかNEなのかに関しても,明確な境界線が存在しないことを意味する10).だが,精神医療の実践においては,悩みを抱えた人を前にして,医療の対象として引き受ける/引き受けない,薬を処方する/しない,という二分法的な判断を行っていかなければならない.このようなとき精神科医は,「この人を医療の対象とすることは適切か?」「向精神薬を導入することはこの人の利益になるか?」という価値判断に基づいて意思決定を行っているのだと著者は考える.「病気である」「治療である」という判断は,形式上は事実判断である.だがこの事実判断は,少なくとも正常と病理の境界領域においては,先立つ価値判断に基づいて決定されるという点で,隠れた規範的性質(cryptonormative)を有するのである24)
 治療とNEを明確に線引きできないのだとすると,NEの是非をめぐって検討されてきた倫理的懸念は,精神疾患の治療という文脈で行われる向精神薬使用においても,そのままあてはまることになる.すなわち,医療のなかでこれまでも考慮されてきた安全性と有効性だけでなく,強要や不公平性や共謀という観点にも気を配りながら判断を行っていかなければならないということである.
 最初に提示したA氏の事例に立ち戻って考えてみよう.本人ではなく周囲の人間が発達障害の診断を求めて精神科を受診するのは,小児精神科の領域では普通のことであるが,近年では,成人においても,周囲の人間が発達障害を疑い,本人を精神科に受診させるケースを経験することがある.このようなケースは,成人期に診断される発達障害が境界不明瞭な概念であることに加え,受診機転の背後に複数の人の思惑が絡むため,対応に悩むことが多い.A氏の事例は,明白な強要のケースである.さらに,このケースは,個人の能力や特性と社会や周囲の期待に齟齬が生じた場合に,齟齬の原因を一方的に個人に求め,その解決を精神医療に期待する行為にみえる.A氏に向精神薬を処方することは,問題のある価値規範(例えばA氏の会社の社風など)に精神医療が共謀することになってしまうのではないだろうか?
 旧ソ連では,体制に反対する思想をもつ者が統合失調症と診断され,精神病院に強制入院させられ,非人道的な「治療」を受けたという歴史がある1).これは政治犯という社会的問題を医療化し,精神疾患という個人の問題に偽装するという仕方で,精神医学が政治体制維持のために濫用された事件である.DSM−5精神疾患の診断・統計マニュアルの序文には,「社会的に逸脱した行動(例:政治的,宗教的,性的に)や,主として個人と社会との間の葛藤も,上記のようにその逸脱や葛藤が個人の機能障害の結果でなければ精神疾患ではない」と明記されている3).A氏をADHDとして治療することは,旧ソ連における精神医学の濫用に似たところがないだろうか?
 しかし,A氏の事例は単なる個人と社会の間のコンフリクトではない.彼が一貫して遅刻や忘れ物が多く,安心して仕事を任せられない人間であることは,少なくとも部分的には彼自身の認知特性に由来するからである.さらに,精神医療がA氏への関与を単に控えるだけでは,個人と社会の間のコンフリクトが解決しないまま,苦悩する個人が放置されることになってしまう.
 必要とされているのは,問題の医療化だけに終始しないような精神医療のモデルである.精神医療の生物医学モデルにおいては,個人と社会の間にコンフリクトが生じた場合に,専ら個人のなかに問題の原因を措定し,個人の側に,社会が課す要求や規範に従うことを求めがちである.これに対し,かつての反精神医学では,個人の側には一次的な機能不全はなく,専ら社会が個人を疎外したことが精神疾患と呼ばれる問題の根本原因であり,社会を改革すれば「精神疾患」と名づけられた問題は消失すると主張された6).これに対し,著者は,個人と社会の双方にコンフリクトの要因があると考え,双方が互いに歩み寄ることでコンフリクトの解消をめざす「歩み寄りモデル」を提唱したい.
 発達障害の診断や,薬物療法の導入は,現在生じている問題を生物学的な問題として理解しようとする傾向を強化する,という薬理学的な副作用とは別の「副作用」が伴う.それゆえ,患者が直面する問題を,当人の生物学的な特性のみに由来すると考えるのが適切でないときには,意識的に心理社会的な焦点づけを行い,この副作用を緩和するようにバランスをとる必要があると著者は考える.A氏にADHDの診断を下し薬物療法を行うのであれば,最近になってA氏が事例化した背景に何が存在するのかを探り,周囲の人間や会社の制度に対しても,齟齬の緩和のために変化を求めていくことが同時に必要であろう.
 生物医学モデルに基づく医療では,あらかじめ定められた正常性の水準まで患者の状態を改善させることが治療の目標である.これに対し,歩み寄りモデルに基づく医療は,本人と周囲の社会の間に生じているコンフリクトを解消することを医療的関与の目標と位置づける.歩み寄りモデルは,病気と健康,治療とNEの区別を前提とせず,コンフリクトの解消に役立つならば向精神薬の使用を検討し,同時に周囲の人間にもどう歩み寄ってもらえるかを考えていく.無論,歩み寄りモデルにおいても,向精神薬の使用には限度がある.純粋に精神機能を高めたいとか,競争で優位に立ちたいという目的での向精神薬の使用は,コンフリクトの解消という目的に合致しないため,少なくとも保険診療の枠組みでは明確に否定すべきであろう.

おわりに
 本論では,NEをめぐる倫理学での議論を振り返り,安全性/有効性,強要,不公平性,共謀という4つの論点について概観した.臨床現場では,「治療」なのか「NE」なのかがあいまいなまま向精神薬の使用の是非を判断しなければならないことがあり,その際には,NEに関して提起されてきた倫理的問題点を精神医療のなかでも考慮することが重要である.なかでも,向精神薬の使用が一度「病気の治療」と位置づけられると,向精神薬の使用をめぐる本人と周囲の価値観の違いや利害の衝突を見落としやすくなるため,強要と共謀という観点は特に意識する必要がある.NEに用いる向精神薬が近い将来に市販されるとは考えにくいため,当面の間,医師は向精神薬使用のゲートキーパーであり続けるだろう9).つまり,薬物規制をめぐる政策論を別にすれば,NEに関する倫理学的考察の成果が最も生きてくるのは,精神医療の現場なのである.
 最後に,本論の限界を確認しておきたい.第一の限界は,NEに関する懸念としてよく提起される,真正さ(authenticity)にかかわる問題を本論では扱えなかったことである)12)19)20).歩み寄りモデルという医療のあり方が「生物」「心理」「社会」という3つの視点のなかで,「生物」と「社会」の対比に関連したものであるのに対し,真正さの問題は「生物」と「心理」の観点の対比と関係が深いと著者は考えており,別の所で論じていきたいと考えている.
 第二の限界は,NEに特有とされる倫理的問題を検討できなかったことである.本論で扱った4つの倫理的な問題は,エンハンスメント全般にあてはまる.しかし,精神機能は人間存在の根幹であり,そこに医科学的介入を行うNEには,身体機能への介入にはない特別な問題があると論じる者は少なくない12)15).NEの特異性が,精神医療とどのように関係しているかについては,今後の検討課題としていきたい.

 本研究は,上廣倫理財団の研究助成(研究題目「精神科におけるエンハンスメントの倫理:臨床実践の観点から」)を受けたものである.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

1) 秋元波留夫: 精神医学と反精神医学. 金剛出版, 東京, 1976

2) 朝日新聞: 事務員がリタリン処方―医師法違反容疑で診療所院長ら逮捕 東京・江戸川区―. 2007年10月31日夕刊15面

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23) 榊原英輔: 精神疾患とは何か?―反本質主義の擁護―. 科学基礎論研究, 44 (1-2); 55-75, 2017

24) Synofzik, M.: Ethically justified, clinically applicable criteria for physician decision-making in psychopharmacological enhancement. Neuroethics, 2 (2); 89-102, 2009

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