Advertisement第116回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第120巻第8号

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討論
イタリア精神科医療における脱施設化を考える―イタリア精神科医療施設を視察して―
小田 晶彦
独立行政法人国立病院機構下総精神医療センター
精神神経学雑誌 120: 640-646, 2018
受理日:2018年3月27日

索引用語:イタリア精神科医療, 脱施設化, バザーリア>

はじめに
 著者は平成29年4月1日から4日までイタリアのフィレンツェ市で開催されたヨーロッパ精神医学会に参加した際,滞在期間を延長して学会事務局から紹介していただいたイタリア各地の精神科医療施設を視察した.かかった経費はすべて自費である.イタリア精神科医療は公立の単科精神科病院を廃絶し,地域精神保健センターを中心とした医療・福祉を行っていることで有名である.ただ実際の精神科臨床がどのように行われているかについての詳細な報道はない.関連した書籍は多数あるが,急性期の対応などの具体的な記載が見受けられない.隔離・拘束などの強制的な処遇をせず人間的なかかわりで治療を行っているというような理念のみに傾いており,日々精神科急性期の治療にあたっている著者にはとても現実的とは思えない内容なのである.その治療理念についても1960年代から1970年代にかけて一世を風靡した哲学理論が土台となっており,現代の精神科医療の視点からみれば,はなはだ時代錯誤という印象を受ける理論展開である.その理念を以下にまとめる5)6)8)10)
 ①精神疾患は存在しない.社会が少数者を差別し,結果狂気に陥った者を社会から隔絶するために精神科医が診断名をつけたものである.したがって精神科病院は本来の治療機能をもっておらず,廃絶しなければならない.
 ②患者を狂気から救い出すには精神科医,その他の支援者が患者と友人のような対等の関係を作らなければならない.
 ③患者の就労を援助し,社会のなかで役割を与えることが重要である.
 ④隔離,拘束のような強制的な処遇はしない.副作用の強い抗精神病薬も最小限にとどめる.
 上記のようなまとめ方,特に①については異論も出るとは思われるが,実際に関連書籍に書かれていることは現象学,構造主義などの哲学理論であり,その疾病観は現在の精神科医療の否定としかとりようがないため,あえてこのように簡潔に記載した.詳細は考察で論じる.さて,このような観点に立てば,わが国の精神科医療がはなはだ人権を無視していると解釈されるのであろう.近年わが国でも精神科入院治療の短縮化が叫ばれており,イタリア精神科医療が引き合いに出されることが多いので,実際に精神科臨床医がその実態を視察し,報告する必要があると考えた.視察前にいくつかの仮説をたてた.

1.隔離・拘束をしない代わりに大量の向精神薬で鎮静しているのではないか
 著者は2006年から2008年にかけてアメリカ合衆国の精神科病院に留学したが,確かに抗精神病薬の使用量は少ないものの,併用して使われているバルプロ酸などの気分調整薬の処方量がかなり多いことに気づいた.これは精神病の治療よりも,速やかな鎮静と早期退院を重視した処方ではないかと思われた.イタリア精神科医療の薬物療法にも同様のことが行われているのではないか.

2.重度の精神病患者専用の施設が精神科病院以外にあるのではないか
 これもアメリカ合衆国で,慢性の精神病患者の施設を見学したことがあるが,閉鎖施設であり,自由な出入りはできない.「精神科病院」ではないが,慢性化した患者を長期に処遇する施設が別にあるのではないか.

3.違法薬物を乱用している精神障害者が刑務所や薬物乱用者の施設に入ってしまい,精神科医療の現場に現れるのはごく一部なのではないか
 わが国で乱用されている覚せい剤は強力な中枢神経刺激薬であり,精神病惹起性があるため,統合失調症患者が乱用することは少ない.一方,ヨーロッパ諸国で広範に乱用されているヘロインは中枢神経抑制薬であり,精神症状を軽減させるために「自己治療目的」で乱用されることも多く,引きこもりがちになるために社会の表面に出にくい.また,薬物乱用者の入寮施設や刑務所に入ってしまい,そのため医療施設に来る精神障害の患者はごく少数になるのではないか.

 以上のような視点も盛り込みながら,イタリア精神科医療施設の視察を行った.

I.イタリアにおける精神科病院解体の歴史
 以下はトリエステ地域精神保健センターのTommaso Bonavigo医師から聞いたイタリア精神科医療の歴史である.20世紀前半は「アシュラム(収容所)」と呼ばれる1,000床近くの単科精神科病院に多くの精神科患者を収容していた時代であった.これはイタリアに限らず他の欧米諸国,そしてわが国でも似たような状況であり,これらの施設の環境は相当に劣悪だったと報道されている.イタリアは「アシュラム」の解体に最も初期に取り組み,極めて良好な結果を得たことで有名である.イタリア精神科医療の開放の歴史はフランコ・バザーリア(1924~1980)という精神科医師の存在を抜きには語れない.バザーリアがイタリアのフリウリ=ヴェネト・ジュリア州ゴリツィア県立精神科病院の解体に取り組んだのは1961年の頃である.バザーリア自身,第二次大戦中にムッソリーニ独裁政権に対してレジスタンス活動をし,強制収容所に入れられた経験があった.バザーリア赴任当時のゴリツィア県立精神科病院も強制収容所と大差ない劣悪な環境であり,その後生涯続く精神科医療改革の決意を固める出発点となった.バザーリアは当時イギリスで行われていた治療共同体を参考に入院患者の自治組織を作るなど,精神科病院の民主化を試みた.多くの患者が社会復帰を果たし,入院患者は800人から300人ほどに減少した.開放化の途中,自宅へ外泊した男性が妻を殴り殺すという事件が起こり,バザーリアはゴリツィアを去ることになったが,改革は後継者によって進められた.バザーリア自身はトリエステのサン・ジョバンニ県立精神科病院院長に就任し,そこでも病院の開放化を進めた.一方,精神科病院の解体は国政のレベルでも法制面の整備として進行した.1968年の法改正(マリオッティ法)で自由入院が導入され,地域精神保健センターが設置されるようになった.1978年にはイタリア精神科医療の方向性を大きく変える法律が制定された.180号法(バザーリア法)である.内容は,
 ・精神科病院の新設,すでにある精神科病院への新規入院,1980年末以降の再入院の禁止
 ・予防・医療・福祉は原則として地域精神保健サービス機関で行い,治療は患者の自由意思のもとで行われる
 ・一般総合病院に最大14床までの精神科病床を設置し,緊急に介入しなければならないときは強制入院治療ができる
 などである.このような法制度改革の後押しがあったのは,当時のイタリアで精神科病院廃絶に対して一定のコンセンサスが得られていたからである.1960年代のイタリアは極右,極左政治団体ともにテロリズムを頻繁に起こしており,テロ対策が国家的な問題であった.極左テログループ「赤い旅団」による「アルド・モーロ元首相誘拐殺害事件」はわが国でも大きく報道されている.共産党中道派は極左団体を切り離すことにより,政権与党であるキリスト教民主党と「歴史的妥協」をし,1976年に連立政権入りした2).精神科病院の解体には,バザーリア医師の献身的な努力があったことは否めないが,共産党を中心とした労働運動が大きく後押しした影響は無視しえない.事実,イタリアでcitta rossa(赤い町)と呼ばれた都市を中心に精神科病院は解体されていったのである11).1998年に精神科病院を閉鎖できない州への予算を0.5%削減する法律が制定され,1999年にイタリア全土から公立精神科病院が完全になくなったことが宣言されるに至った.

II.イタリア精神科医療施設の現状
 イタリアの人口は約6,000万人で,日本の約半分である.全土を約150に地域区分し,各地域に複数の地域精神保健センターが設置され,各地域精神保健センターの傘下でその地域の精神科医療システムが完結するようになっている.人口約10万人に対し,1つの地域精神保健センターがあると考えればよい.地域精神保健センターでは総合病院精神科(Servizio Psichiatrico per Diagnose e Cura:SPDC)で入院治療を受けた患者のその後の治療,生活支援が行われている.SPDCでは強制的入院治療が行われるが,医師2名の診察を要し,少なくとも1名は精神科医でなければならない.入院期間は7日間までであるが,最大14日間まで延長できるようになっている.

1.トリエステの精神科医療施設
 トリエステはイタリア北東部,スロベニアとの国境近くにある地方都市である.人口は約24万人程度であり,観光客が多く密集したフィレンツェのような都市から来るとずいぶん静かな印象を受ける.トリエステには4つの地域精神保健センターがあり,そのうちの1つを訪れ,Tommaso Bonavigo医師から話を聞いた.
 この地域精神保健センターは市内に4つある施設の1つであり,職員は医師が4人,臨床心理士が2人,ソーシャルワーカーが2人,理学療法士が1人,看護師20人である.入寮できる設備としては個室が6床あり,市内にあるマッジョーレ病院のSPDCから患者が紹介されてくる.当時,入寮している6人のうち1人が強制入院であるとのことであった.治療について聞いても,バザーリアの精神をそのまま受け継いだように,「therapeutic relationship(治療的関係作り)」「role(役割)を与えること」を繰り返し強調し,薬物療法などの具体的な治療内容についてはなかなか話が進まなかった.施設の機能の中心は患者のデイサービス,安価な入寮施設の斡旋,就労支援である.
 一方,総合病院内の精神科であるSPDCはトリエステ市内中心部のマッジョーレ病院のなかにあった.入口は施錠されていて自由な出入りはできない.精神科のSerena Goljevscke医師から話を聞いた.勤務体制は,日中と夜間の2交代制になっており,日中は医師1人,看護師4人,夜間は医師1人,看護師2人が配属されている.病床数は6床で全室個室.それぞれ広々としたスペースがあてられている.患者とのtherapeutic relationshipがしっかりしているため,過去2年間自殺企図はなかったという.視察時,入院していた患者は2人であった.高齢でかなり症状が進行した統合失調症患者のようである.受診者数はまちまちで多くてもシフト中4人くらいで受診者が1人もいないこともある.すでに治療を受けたことのある患者で症状がさほど重篤でなければすぐに地域精神保健センターに紹介する.新規の患者が来院することもあり,それは統合失調症であったりうつ病であったりする.薬物療法については,ハロペリドールを頻繁に使うということであった.気分調整薬を併用することが多く,バルプロ酸やリチウムを使用する.バルプロ酸ならば800 mgから2,000 mgまで使用するとのことで,案の定相当の処方量である.拘束はしない.関係作りが重要で,時には市内を一緒に散歩するとのことであった.精神障害に薬物依存症を合併する「重複障害」者は増えており,今後はDepartment of Dependence(薬物依存専門の部署)と協力していく必要があると語った.
 次に旧サン・ジョバンニ精神病院内にあるDepartment of Dependenceを訪れた.ここは精神科医療からは独立した部局で,薬物乱用者対策を専門に行っている.Gabriella医師から話を聞いた.ここはトリエステ市内で最も古くからある薬物依存治療施設であり,主にヘロイン依存症患者の治療を行っている.メサドン維持療法(ヘロイン依存の患者に,より危険性の少ないメサドンを毎日服用させることにより,ヘロインの摂取を抑制する治療)のために毎日数百人の受診者がいるとのことであった.また精神障害者は症状による不快感を軽減するためにヘロインを乱用することが多く,統合失調症,双極性障害,境界性パーソナリティ障害など,さまざまな患者がヘロインを乱用するとのことであった.
 トリエステの精神科医療をここで概括すると,まず気づいたことは精神科患者の少なさである.訪問した日は精神科救急病棟に入院している患者は2人のみであった.人口約10万人規模にキャッチメントエリアを絞れば,このくらいの入院数で済むのだろうか? それに対して医師1人,看護師4人がいれば,それなりに手厚い治療,看護ができるだろう.退院後は,各種サービス機能を有した地域精神保健センターが後方支援するわけであるが,施設を変わる過程で治療が中断される危険性はある.また,この日入院していた患者は2人とも高齢で,身体的にも脆弱にみえた.これはアメリカ合衆国の精神科病院でも同様であったが,一般社会のなかで精神障害者がおかれている環境が劣悪であり,貧困や違法ドラッグの使用で身体が衰弱していることが多い.視察した当日,入院していた2人の患者は女性看護師でも簡単に制止できるほど脆弱そうなのである.そのためわざわざ隔離,拘束を要することがないのではないかと推察された.また,少なくとも精神科病院内では衣食住が保証されている.精神障害者が,食うや食わずの状態で入院すれば,まずは大人しく恩恵にひたることを考えるのではないか.観光立国として華やかなイメージの強いイタリアではあるが,経済不振,薬物乱用など負の部分も大きい.どれほど福祉政策が充実していても,その恩恵にあずかれない者は貧困,ドラッグなどの社会的な問題に直面する.日本の精神科医療を批判する者は,まず先進諸国のなかで最も治安のよいのは日本であることをよく考えるべきである.帰路トリエステ駅のホームで一見して精神障害者とわかる白人男性から空腹なので金を恵んでほしいと無心された.いったいここの精神障害者は本当に幸せなのだろうかと疑問に感じたものである.

2.フィレンツェの精神科医療施設
 次に世界的な観光地であるフィレンツェ市の精神科医療施設を視察した.わが国での報道はトリエステなど限られた地域のものであり,人口密度の高い都市で同様の実践ができるのかどうかが著者の関心であった.フィレンツェ市の地域精神保健センターセンター長であるAndrea Cicogni医師,SPDCのNadia Iovieno医師から話を聞いた.フィレンツェ市には5つの地域精神保健センターがあり,Cicogni医師が勤務する地区はZone 5と呼ばれ,人口約10万人をカバーする.Zone 5には約2,000人の精神障害患者がいると推定され,SPDCで治療を受けた患者の治療が地域精神保健センターで継続されるようにさまざまな取り組みがなされている.各種グループセラピーが行われており,不安障害,強迫性障害など疾患ごとのグループや家族会,認知行動療法のグループがある.興味深かったのは,domestic violenceの加害者の方のグループがあったこと,またautobiographyという患者に自伝を書かせる治療もあるとのことであった.会話中に著者がschizophreniaと言ったところ,Cicogni医師が不快そうな表情になり,「日本ではschizophreniaという偏見の強い病名は改めたと聞いている」と指摘されたので,日本語の呼称は変わったが,今は英語を使っているのでschizophreniaと表現したと伝えると,表情を和らげた.イタリアではsalient syndrome(salientは英語で突出したなどの意.ここでは発揚,衝動性亢進という意味であろうか)という呼称が使われているとのこと.ただその後Iovieno医師も含めての会話のなかで何度かschizophreniaという表現が出たので,この診断名に強い拒否感をもっているわけではなさそうだった.Iovieno医師は医学生時代に双極性障害について広く教示されたので,こちらの診断名を多用する傾向があると語り,Cicogni医師はどちらにしても治療は同じだからと付け加えた.いずれにしても診断名はさほど重視していない様子であった.また,精神障害者の薬物依存について聞いたが,依存症は他の部局で扱っているとのことで十分な情報は得られなかった.
 SPDCはNadia Iovieno医師から案内していただいた.本来総合病院精神科であるが,Zone 5に対応するSPDCは総合病院から離れた場所に立地する“Oblate”という施設である.入院病床数は9床で,総合病院他科から患者が送られてくるので常時満床の状態である.訪問当日も40歳代から50歳代の入院患者で満床であった.精神科医は20人勤務しているが,全員他の施設との兼任であり,各シフト毎に働いているのは精神科医1人と看護師4人である.病棟のある階は閉鎖されており,自由に外部に出ることはできない.個々の個室は十分な広さがあり,いわゆる精神病室らしさはない.日本の精神科病院の場合,自殺予防のため,紐が掛けられるような構造物,例えばドアノブなどがないのが一般的であるが,そのような工夫がみられなかった.その点を指摘すると,過去に室内で縊首した患者もいたとのことで,元来精神科病院ではなかったため建築上の工夫がなされていないとのことであった.院内の自殺企図は問題であるが,その予防のためにあまりにも無機質になってしまったわが国の精神科病院と比較すると,療養上どちらがよいのかわからない.病棟の奥に厚い鉄扉があり,そこは喫煙所になっていた.看護師に時間の余裕があるときは患者を病院の外に散歩がてら喫煙させに行くとのことであったが,忙しいときはここで喫煙させるとのことであった.薬物療法の内容について,非定型抗精神病薬,定型抗精神病薬,クロザピンなども使用される.ここでも併用される気分調整薬の量は多く,バルプロ酸を例にとると通常1,000 mgから1,500 mg,必要なときは2,000 mgまで増量するとのことであった.また,ここでは身体拘束も行うとのことであった.興奮して暴れる患者がいれば警察を呼んで身体拘束を行うし,注射もすると語った.著者がトリエステでは拘束はしない,何時間でも話を聞き,ハグしたり,一緒に町を散歩したりしているという話を伝えると大笑いされ,「あそこはそういう土地柄だから」と言っていた.「彼らは私たちをaggressive psychiatry(攻撃的精神科医療)と呼んでいる」とは言っていたものの,著者の感覚ではこちらのほうが常識的な治療であるように感じられた.
 フィレンツェのSPDCはトリエステよりも稼働率が高く,患者も比較的低年齢のようである.高齢化の進んだ地方都市と都会の違いであろう.Cicogni医師の言葉の端々には精神科診断学への反発は感じられたが,SPDCで働くIovieno医師は現実的でバザーリア流の精神科医療など意に介さずといった印象であった.

III.考察
 本稿は一人の精神科臨床医が限られた期間で見聞きしたことからまとめた視察記であり,十分な裏づけ調査が行われているとは言い難い.しかし,日々急性期病棟で重篤な患者の治療にあたり,覚せい剤乱用者が呈する激しい不穏興奮状態にも頻繁に対処している立場からすれば,日本で紹介されているところのイタリア精神科医療の実態はどうみても腑に落ちぬものであり,それを支えている社会状況についての著者の推論はおおむね正鵠を得ているものと考える.論点は以下の2つである.
 ①わが国の一部の報道で,まるでイタリアには精神科病院がまったくなく,日本は極めて非人道的な精神科医療を行っているかのように批判されているが,まずこれは正確な報道とはいえない.地域がカバーする人口10万人あたり14床以下のSPDCが設置されれば,人口1億人あたり1万床が確保できるわけである.今回の訪問先は限度数の14床いっぱいまで作られていなかったが,他の地域についてはわからない.最長14日までの強制入院が可能ならば,欧米諸国の平均入院日数並である.わが国でも実施できないわけでもない.ただし,その後地域精神保健センターでの治療が任意性なので,強制性がなくなった時点で治療が中断される可能性がある.貧富の差が激しい欧米諸国では,衣食住の安定のためにそのまま治療が継続されるかもしれないが,わが国では自宅に帰る患者が多いので,よほど困窮していない限りそこで治療が中断されてしまう可能性が高い.
 ②バザーリアの思想とその活動について,今後さらに紹介され,検証される必要があると思われる.精神科病院解体に取り組んだ活動家としての一面はよく知られているが,臨床医としての一面はあまり知られていない.当時,世界中で社会構造を改革しようという風潮があり,イタリア精神科医療の改革もその時代の流れのなかで捉える必要がある.1968年に勃発した「パリ5月革命」はたちまち世界中に波及し,社会主義革命を叫ぶ若者が各地で騒乱を起こした.その後どのような顚末に至ったかは周知の通りである.革命に挫折した若者たちはイタリアに来て,バザーリアに合流し,精神科病院の改革に協力した4)7)9).当時のバザーリアのインタビュー記事を読むと,現象学,マルクス主義,構造主義などの哲学理論の影響を受けて,その治療理念を形作ったことがわかる5)10).バザーリアと交流のあったイギリスの精神科医R・D・レインは統合失調症患者に人間学的現存在分析を行い,臨床上興味深い事例報告をしている3).鑑別診断と薬物療法が偏重される現代の精神科臨床において,精神療法がもたらす治療効果について学ぶべき点が多いと思われる.「狂気の歴史」などの著作があるフランスの哲学者ミシェル・フーコーは,ヘルダーリン,ニーチェ,アルトー,ネルヴァルなどの芸術的感性の源泉を「狂気」と関連づけるとともに,精神医学の診断により「狂気」を監禁することの否定的側面を告発している1).19世紀の近代ヨーロッパが創り上げた理性万能主義の社会に対し,より感性的な立場を重んじる現象学,非欧米型文化の見直しから欧米社会の根底を見直そうとする構造主義,唯物論の立場から社会の構造に進化の法則を見出そうとするマルクス主義など,当時は哲学・思想がさかんに論じられていた時代であった.このような時代背景から,精神障害の原因を「支配と抑圧」の論理で解釈しようとする観点が生まれたわけだが,現代の精神科臨床医の立場からすれば精神病の根源は単なる社会構造の改革では達し得ない深みから来ていることは容易に洞察できる.わが国で唱えられている精神科医療改革は,臨床の質に言及せず,単に少ない精神病床,少ない強制処遇で精神科医療を行えているという実績のみでイタリア精神科医療に賞賛を向けている.しかし,入院治療の短縮化,効率化は一貫して提供されるべき治療からの脱落,薬物依存への移行など,より悪い結果をもたらす可能性があることは十分留意しておくべきである.
 視察前に想定した精神科病院以外の施設については民間の施設として“nursing home”“private clinic”などがあると聞いたものの呼称自体がまちまちで,その実態はうかがい知れなかった.精神障害者の間に広がる薬物依存についてもその深刻さはうかがえたものの,実際の被害の甚大さを示すデータは得られなかった.これは今後の課題である.
 なお,本稿では多くの紙面を割けなかったが,イタリアでは精神障害者の社会復帰施設が充実していることは確かである.著者の勤める下総精神医療センターでも治療は終了しているが,グループホームの入居に長ければ年単位で待たされることがある.症状が軽度の患者の社会復帰のために社会資源を充実しなければならないことは論を待たない.

おわりに
 今回イタリア精神科医療の視察で立ち寄った施設の関係者はみな熱意にあふれ,困窮する精神障害者の治療に誠心誠意の努力を傾けている姿勢には感銘を受けた.背景にあった理念への共感度はまちまちであったが,すでに制度が固まっている以上,その是非を云々してもしかたがない.社会の矛盾に向き合いながら治療に臨む姿勢は万国共通である.著者も日本の精神科医療の状況を説明し,治療の継続性を保証するために一定期間の強制的な入院治療を続けていることに理解をいただいた.わが国でも脱施設化に向けて法制度が整えられつつあるが,欧米諸国の精神科医療の実態をよく踏まえて改革を進めなければ,日本の精神科医療がもっていたよい部分まで破壊しかねないことに留意すべきであろう.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

1) Foucault, M.: Histoire de la Folie à l'Age Classique. Gallimard, Paris, 1972 (田村 俶訳: 狂人保護院の誕生. 狂気の歴史―古典主義時代における―. 新潮社, 東京, p.486-533, 1975)

2) 伊藤 武: 社会運動の高揚とテロリズムの横行1968~1978. イタリア現代史―第二次世界大戦からベルルスコーニ後まで―. 中央公論社, 東京, p.71-93, 2016

3) Laing, R. D.: The Divided Self: an Existential Study in Sanity and Madness. Tavistock Publications Ltd, London, 1960 (阪本健二, 志貴春彦, 笠原 嘉共訳: ひき裂かれた自己―分裂病と分裂病質の実存的研究―. みすず書房, 東京, 1971)

4) 松嶋 健: イタリアにおける精神医療の展開. プシコナウティカ―イタリア精神医療の人類学―. 世界思想社, 京都, p.75, 2014

5) 同書, フランコ・バザーリアの思想とその実践. p.122

6) 同書, 病院から出て地域で働く. p.184-186

7) 大熊一夫: バザーリアとの7年間の二人三脚. 精神病院はいらない!―イタリア・バザーリア改革を達成させた愛弟子3人の証言―. 現代書館, 東京, p.139-158, 2016

8) Parmegiani, F., Zanetti, M.: Basaglia una Biografia. LINT Editoriale srl, Trieste, 2007 (鈴木鉄忠, 大内紀彦訳: ゴリツィアとパルマ. 精神病院のない社会をめざして―バザーリア伝―. 岩波書店, 東京, p.37-77, 2016)

9) 同書, トリエステ. p.79-129

10) Schmid, S.: Freiheit heilt. Bericht ueber die demokratische Psychiatrie in Italien. guter Zustand, Berlin, 1986 (半田文穂訳: バザーリアとの対話. 自由こそ治療だ―イタリア精神病院解体のレポート―. 社会評論社, 東京, p.57-78, 2013)

11) 同書, オットネッロの民主的精神医療化. p.137-161

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