急激に変化する社会構造の中で,精神科主治医が職場と連携できる可能性と限界について考える.精神科主治医は患者側に立ち疾病性に対応し,産業現場は安全配慮義務と危機管理のバランスを考えながら事例性を中心に対応する.主治医が処方や診断書を作成する権限をもつのに対し,産業医は様々な法令や指針,手引きに則り,適切な就労条件を整えるよう労働者や会社に指示をする権限をもつ.精神科主治医は労働者のメンタルヘルス不調に対し疾病性への対応は可能であるが,具体的な職場介入には限界がある.精神科主治医が産業医を含めた産業保健スタッフの立場や判断基準は異なることを理解し,国の手引きや指針を理解して産業現場と連携することは,メンタルヘルス不調を持つ労働者が健康的に働き続けるために重要となる.
はじめに
国の定める四大疾病(糖尿病,脳卒中,がん,心臓病)に2011年に精神疾病が追加され,五大疾病として今後対策がなされることになったことは記憶に新しい.その理由の1つとして,精神疾病患者数の急増が挙げられる.2008年時点になるが,他の五大疾病で患者数の最も多い糖尿病でも250万人程度であったのに対し,精神疾病患者数は330万人を超え,うつ病患者だけでも100万人を超えていた(最も少ない心臓病は80万人).人数の問題だけではなく,その増加速度にも違いがある.国の対策もあってか,精神疾病以外の他の五大疾病は1999~2008年の10年間で患者数は減少もしくは1割程度の増加にとどまっているのに対し,精神疾病患者は同時期に6割以上増加している(200万人が330万人程度).では,どのような領域の患者が増えたのであろうか.
I.労働者のメンタルヘルス状態について
労働者の精神疾病を把握するために,2005年に大阪産業保健推進センターと共同で行ったメンタルヘルス現状調査から興味深い結果が得られた.従業員数300名以上の事業所1,248ヵ所にアンケートを配布し,精神疾病病名で休職した労働者数などを調査したものであるが(有効回答468事業所,有効回答率37.5%),2000年と2004年を比較すると精神疾病病名で休職した労働者の総数は3.5倍に増加しており,特にうつ病・うつ状態の診断書で休職した労働者はこの5年で4.9倍に増加していた3)(図1).労働者におけるメンタルヘルス不調の急増が示唆されたわけである.その背景に何があるのであろうか.複数の産業保健スタッフから意見を聞いたところ,うつ病を中心とした精神障害の啓発活動が奏功した一面もある(精神疾病病名での診断書提出に心的抵抗がなくなった)が,最も大きな原因の1つは情報化社会の到来であるという.当時より急速に普及した携帯電話やスマートフォンを具体的な例にとっても,いつでも連絡がくるので仕事とプライベートの区別がつきにくくなった,語学とPCに堪能であればインターネットで24時間世界中を相手に仕事ができ,そのため個人に関する仕事量や責任が増加し,できる労働者層とそうでない層が二極化した,などが生じた.併せて国際化による年功序列や終身雇用の崩壊などが複合的に関与し,労働者のメンタルヘルスに悪影響を与えているということであった.また,労働者である親が仕事に忙殺される結果,子供は親を介しての社会的通念の獲得が減少し,学歴中心主義で成長し社会人になってから多様な価値観に直面化し困惑する,ネット上での遠距離で表面的な人間関係の成立などから具体的で込み入った問題が発生した時に相談する相手がいないなどの生活環境の変化も生じており,これらがいわゆる最近増えているうつ病の病態に一部影響している可能性も示唆された.精神疾病患者の増加に,労働者におけるうつ病を中心としたメンタルヘルス不調者の急増が関連していたと思われる.
精神障害による労働災害(労災)申請件数は増加傾向にあることなどから,行政はメンタルヘルスに関する様々な手引きや指針を出すなど前向きな取り組み2)を行うようになった(表1).障害者の雇用対策にも積極的に取り組み,働く障害者のうち,精神障害者の雇用は2012年度までの10年間で10倍に増えたという報告もある.2013年度から障害者雇用率が1.8%から2.0%に増え,2018年4月から精神障害者の雇用も義務化される方向にある.メンタルヘルス不調になる労働者が増えると同時に,精神障害者の雇用機会や行政的対応も着実に整備されており,精神疾病をもちながら就労することはもう特別なことではないといえる.それに伴い,職場(人事労務担当者)主導でメンタルヘルス対策に力を入れる職場も出てきているが,産業現場からの医療への希望・要望と,我々精神科主治医が実際に診療上対応できることの「ずれ」に戸惑うことも増えてきた.産業現場は何を精神科主治医に期待しているのであろうか.また精神科主治医は何に対応できて何に対応できないのであろうか.
II.産業現場におけるメンタルヘルス不調者への基本的対応
まず職場の人事や労務,産業保健スタッフ(産業医を含む)など産業現場の立場からメンタルヘルス不調の労働者への基本的対応について述べる.メンタルヘルスに限らず労働者が病気になると,どのような職務配慮が必要なのか,減少する労働力をいかに補うのかなどを考える必要が生じる.治療や休職が長引き労働生産性に影響が生じることもあるが,対応が不適切で自殺などの事故が起これば労災として職場が訴訟対象になることもあり,慎重な対応が求められる.訴訟対象になることを避けるためにも,職場は労働者の健康に配慮し安全配慮義務を念頭に対応を行う.安全配慮義務とは,事業者が労働者に負っている労働契約上の債務で,事業者が労働者に対し,事業遂行のために設置すべき場所,施設もしくは設備などの施設管理または労働の管理にあたって,労働者の生命および健康などを危機から保護するよう配慮すべき義務(労働契約に附随する自然発生的な責務)とされている.昔は炭鉱における落盤事故のように労働と疾病の直接的な因果関係が労災判断で重視されており,それに対する安全配慮が求められていた.ところが近年は個人の持病を知りながら,それを悪化させるような職務を与えた結果生じた疾病の悪化部分に対しても労災が適応され,様々な個人の持病に対しても安全配慮義務が求められるようになった.例えば,うつ病と知りながら過重なストレス(残業など)を加えて結果自殺が生じれば,労災認定されることがあるのである.安全配慮義務違反から労災認定されれば,賠償金の支払い,風評被害や株価の暴落,優秀な職員が雇用できない,残された人(家族・友人・同僚)が発病し休業する,職場や組織の士気が低下する,管理職や経営者への不信を生じる,など多くの問題が生じ,場合によっては企業そのものの存続にまで影響を与える.一方,労働者を雇用し賃金を支払うわけであるから,職場は労働者の健康に配慮しつつも一定の労務を与え成果を得ることもまた企業の存続に必要となり,これは一種の危機管理(会社に損失を与えないようにする)と考えられる.そのため,うつ病などへのメンタルヘルス対策は労働者の健康保持など安全配慮義務的観点と,企業の危機管理の両面から重要なのである.
具体的なメンタルヘルス不調として,職場で最も多いのはうつ病であることに異論はないであろう.うつ病・うつ状態という診断書の中には,従来いわれてきたうつ病以外に,現代型うつ病,職場結合型うつ病,ディスチミア親和型うつ病などと呼ばれ最近増えているタイプのうつ病も含まれる.しかし,職場側のメンタルヘルスに対する意識向上から,これらのうつ病については研修がなされていることも多い.一方,統合失調症はどうであろうか.気分障害に比べ,統合失調症の労働者は多くはない.気分障害に比べ,症状そのものが理解しにくいこともあり,産業保健スタッフであっても理解は不十分である.他にも,発達障害やパーソナリティ障害など精神障害の範囲は広い.これら多様なメンタルヘルス不調は,いまだ理解も対応方法の検討も職場では不十分である.そこで,一般的な理解として,職場におけるメンタルヘルス不調への基本対応は,職場の評価原則は事例性(普段通り働けないこと)とし,産業保健スタッフなど必要最低限の人員が疾病性を理解し,どのように配慮することで安全配慮義務と危機管理のバランスをとって就労継続に至るのかを事例性を中心に検討している(症状を完全になくすことが重要ではなく,症状が存在しても事例性がなければそれを受容していく).休職判断についても事例性を中心とした検討となる1).職場の考える休業が必要な状態として,他人に迷惑をかける行動を認めるなど身体的・精神的症状が重篤で業務遂行に困難を認める状態,業務への意欲がみられない状態,服薬遵守など病気の自己管理ができない状態,などが挙げられる.それを避けるための労働者に対する保健指導として,病気を正しく理解し服薬遵守性を向上するよう指導し,眠気や過鎮静の少ない薬剤選択などを主治医に相談させることなどがなされていることが多い.
産業現場は個別の疾患についての知識が限られていることから,対応は疾病性を念頭に置くのではなく,事例性を考慮して対応を行っている.とはいえ,メンタルヘルス不調が職場でこれまであまり取り扱われてこなかったこともあり,組織としての対応が定まっていないことも多い.また産業保健スタッフの知識が不十分であることも多く,精神症状への実際的対応に苦慮している.そのため表1に示したような,2000年以降に国が示した「事業場における労働者の心の健康づくりのための指針」「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」などの指針や手引きを重視して対応していることが多く,これらの指針や手引きを職場と精神科主治医の共通理解である前提で連携を望んでくることも多い.しかしながら,精神科主治医にこれら知識がなく問題が生じる場合がある.
III.精神科主治医のできること,できないこと―職場の連携の重要性―
精神科主治医の側からメンタルヘルス不調の労働者にできること,できないこと,考慮すべきことなどを考えてみる.主治医は疾病性の改善が第一の目的であることから,労働者の病態を評価し,投薬治療や本人への精神療法を行うとともに,必要に応じて職場面談や診断書を通して職場と連携をとることができる.「完全に治してくれ」「再発しないことを主治医が保証してくれ」などという職場(上司)もまだ存在し,職場に対する基本的な疾病教育が必要になることも多い.「あの上司のもとでは再発するので,異動させるよう指示してくれ」などという患者に対しては,医療としての対応の限界を説明することなども必要になる.さて,治療として,就労状況を考慮した投薬治療や精神療法〔認知行動療法(CBT)など〕が必要となるが,主治医は診療の場面だけから適切な治療判断を行えるのであろうか.CBTを例に考えてみても,職場に関する具体的判断や指導には課題が多いことに気づかされる.すなわち,本人から話を聞くことは重要であるが,それがどこまで事実を反映しているのか,精神状態に影響を受けていないのかなどが不明である.真の意味での職場現状は不明,復職条件などの就労規則も不明,職務配慮の実際や限界も不明な状態で治療を求められていることも多い.このような状況に対して,本人の話を信じる,確証のあることのみ扱う,ということになるが,よりよい治療のためには職場との継続した連携が重要となることに異論はないであろう.精神科主治医は様々な専門性(児童精神医学,物質依存性疾患など)をもち,全員に産業精神医学への理解があるわけではなく,また職場面談に十分な時間を割く余裕もない(その経済的保証もない).CBTなどの治療上も職域と十分に連携を図ることが望まれることは理解していても,労働者個別の就業規則,職場風土,立場や権限,仕事量の調整可能範囲,個別の人間関係などの詳細を常に理解し対応することは困難である.主治医は患者側に立ち疾患の治療が目的となるため復職判定などの判断は症状の改善に注目しているが,産業医は中立であり事例性を通して予防と早期発見が目的となり様々な判断は業務遂行能力に注目していることなど,主治医と産業医には立場の違いがあることの理解が重要である.精神科主治医と産業医は,患者である労働者の幸せを健康回復と安全な就労継続というお互い別の観点から求めているが,診断書の問題など連携が不可欠な事柄も多く,精神科医は国の様々な指針や手引きを理解し,お互いの立場を理解して連携することが望ましい.
おわりに
職場の状況は時代とともに大きく変化し,メンタルヘルスに関する問題が急増している.精神科主治医は様々な専門性をもつが,専門性に関わらずメンタルヘルス不調の労働者の診察を避けて通ることができなくなっている.職場との連携の中では,精神科主治医としてできること,できないこと,考慮すべきことなどを念頭に置くことが必要である.主治医は患者側に立って疾病性に対応し,産業現場は安全配慮義務と危機管理のバランスを考えながら事例性を中心に対応する.主治医が処方や診断書を作成する権限をもつのに対し,産業医は適切な就労条件を整えるよう労働者や会社に指示する権限をもつ.精神科主治医が,同じ医療関係者であっても産業保健スタッフの立場や判断基準は異なることを理解し,国の手引きや指針を理解して産業現場と連携することは,メンタルヘルス不調をもつ労働者が健康的に働き続けるために重要である.
第109回日本精神神経学会学術総会=会期:2013年5月23~25日,会場=福岡国際会議場・福岡サンパレスホテル&ホール
総会基本テーマ:世界に誇れる精神医学・医療を築こう:5疾病に位置づけられて
教育講演:産業現場に対し精神科主治医ができること,できないこと 座長:荒井 稔(日本私立学校振興・共済事業団東京臨海病院精神科)
なお,本原稿は教育講演の内容に一部修正を加えたものであり,本内容に関して開示すべき利益相反はない.
1) 井上幸紀: 精神. 特集 病気をもちながらどこまで働けるか―病気と就労の臨床判断―. 臨床病理レビュー, 146; 159-171, 2010
2) 厚生労働省ウェブサイト: http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000002o0qm-att/241114houkoku.pdf
3) 酒井國男, 井上幸紀, 前久保邦昭ほか: 休職からの職場復帰体制の現実と課題―企業へのアンケート調査から―. 労働者健康福祉機構大阪産業保健推進センター, 大阪, 2006