Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文全文

第120巻第9号

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討論
症例報告における本人同意原則化の必要性―投稿規定改訂(2018年4月)に添えて―
大森 哲郎, 精神神経学雑誌編集委員会委員長
徳島大学大学院医歯薬学研究部精神医学分野
精神神経学雑誌 120: 757-758, 2018
受理日:2018年6月2日

索引用語:本人同意, 症例報告, 投稿規定, 倫理規定>

 私たちの診療は過去の研究成果の上に成立している.研究成果の到達点が,教科書であり,診断マニュアルであり,治療ガイドラインであるが,これらは最新の所見を取り入れて常に書き換えられている.現時点の到達点は将来へ向けた通過点に過ぎない.しかし,将来へ向けて行われる研究活動は,研究対象となる眼前の患者の利益には必ずしも結びつかず,むしろ若干の時間的・精神的・身体的な負担を伴うことが少なくない.また,科学的探究は行き過ぎると患者の人権と抵触する.すべての研究は眼前の患者の利益と人権を守って行わなければならない.
 症例報告は,眼前の患者に関する診療経験そのものを,研究所見として公表するものである.エビデンスとしての位置付けは低いが,臨床実践に密接な情報が含まれているし,未知の疾患の発見,新たな治療法の開発,稀な副作用の同定などの糸口ともなるものであり,最も基本的な医学研究方法ともいえる.しかし,報告対象となった患者自身には報告されることによるメリットは通常何もなく,メリットがあるのはあくまでも将来の患者である.当然のことながら,報告される患者の利益と人権は最大限に守られなければならない*1
 症例報告で特に配慮すべきはプライバシーの保護である.住所,病院名,学校名,会社名などの個人の特定につながるような固有名詞を伏せるのは言うまでもない.しかし,生活史や生活環境などに詳しい精神科の症例記述では,固有名詞を伏せても匿名化は不十分となることが多い*2.患者本人や家族には容易に特定可能であろう.固有名詞を伏せても匿名化に危惧のある際に,症例に改変を加えるという手法がしばしば取られるが,本人や家族にも特定できないほどに改変を加えれば,もはや架空症例というべきであり,事実の尊重という科学の根幹がそこなわれるおそれがある.
 また,専門誌の読者はいまや専門家に限らないことに留意しなくてはならない.広く一般医学,保健福祉,心理,看護などの関係者,ジャーナリストや隣接領域の研究者,そして患者・家族など誰もが読者である.誰でもがweb上で検索したり,全文を閲覧したり,バックナンバーや論文を購入したりすることができる.患者が自分自身の報告を読むこともありうるのである.診療上,知りえた病歴を,いかに匿名化を図ったとしても,患者本人に無断で広範囲の読者に向けて公表するのは不適切である.
 私たちは,症例報告という研究活動と患者の利益と権利の擁護を両立させなくてはならない.そのためには説明と同意の誠実な実践が基本となる.その症例報告が将来の患者の診療に役立つこと,プライバシーは十分に保護されること,同意しなくても診療上の不利益がないことなどを丁寧に説明し,患者および場合によっては家族にも同意を得ることである.同意が得られるか否かは,治療の成否よりも医師と患者の信頼関係が重要だと思われる.最善を尽くしたことが伝わっていれば,治療の失敗例や予想外の有害事象でも,将来の患者のために公表する意義を理解してもらいやすい.医療と研究における倫理基準は時代とともに変化してきた.診療行為において常識化した説明と同意の考え方を,症例報告の際にも適用する時代を迎えている.
 症例を報告することは,医学の発展に寄与する可能性があるとともに,発表する医師のキャリア形成に資する側面がある.報告は,的確な臨床観察によって何かを見出すことから始まり,関連する文献を広範に渉猟し,経験と文献を照合して綿密な考察を加え,適切に文章表現するという過程を踏む.若手ならば指導医との討論も加わるだろう.この一連の作業が,専門領域の知識と理解を深めるに留まらず,研究活動の一端に足を踏み入れるという意味で,研修段階で強調されるリサーチマインドの陶冶にもつながっている.多くの会員,特に若手からの積極的な報告を期待したい.
 もし同意取得が叶わず症例報告ができないことがあっても,私たちはそれを受け入れなければならない.ヘルシンキ宣言第8条(2013年改訂版)に述べられているように,「医学研究の主な目的は新しい知識を得ることであるが,この目標は個々の被験者の権利および利益に優先することがあってはならない」のである.研究遂行と患者の利益と権利が解決しがたく相反したときには医学研究が引かざるを得ない.
 なお,同意取得に例外がないわけではない.日本精神神経学会は「症例報告を含む医学論文及び学会発表におけるプライバシー保護に関するガイドライン」(2018年1月20日改訂版)において,原則として,本人の同意を得ることを定めたが,ここには本人又は代理人の同意を得ることなく発表することが可能な場合も提示されている.特殊な事情があり,かつ発表の意義が大きい際には,個別に対応を考慮したい.
 精神神経学雑誌は,症例を提示した論文では,原則として本人同意を得ることを平成30年4月から投稿規定に加えた.私たち精神科医は精神疾患の理解が進み治療が向上することを願っているが,患者・家族は私たち以上に切実に願っている.診療行為と同様に,研究活動は患者・家族との協力関係が基盤となるのであり,その同意とともに遂行しなければならない.原著論文,資料論文,討論,会員の声とともに,同意を得た優れた症例報告の投稿をお待ちする.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

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