Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文全文

第124巻第2号

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原著
日本独自の伝統的な「うつ病」概念のこれまでとこれから―軽症内因性うつ病からうつ病(DSM-5)へ―
大前 晋
国家公務員共済組合連合会虎の門病院精神科
精神神経学雑誌 124: 91-108, 2022
受理日:2021年10月2日

 2014年に出版されたDSM-5日本語版は,major depressive disorder(MDD)の訳語を,それまでの「大うつ病性障害」から「うつ病」に改めた.その一方,日本の精神医学臨床では2000年頃まで,DSMと関係のない独自の伝統的な「うつ病」概念が生きていた.この日本独自の伝統的な「うつ病」をかぎ括弧なしでニッポンのうつ病と表記する.
 外来診療所には,日常生活上のストレスに関連した抑うつ・不安・身体違和感・疲労・不眠などを訴える人たちがたくさん訪れる.Horwitz, A. V.はこれらをストレス伝統と総称する.ところで,このストレス伝統のようにみえるが,躁うつ病と共通する症状・経過と治療反応性をとる一群がある.端的にいえば,一見ストレス伝統だが,実は軽症で入院の必要がないタイプの躁うつ病,それがニッポンのうつ病である.
 ニッポンのうつ病と命名したが,この病型の核をなす軽症内因性うつ病は19世紀末から海外で報告されている.当初より精神療法の効果は限定的で,のちに電気けいれん療法の効果が認められた.第二次世界大戦後の西ドイツにおける状況論・病前性格論と同じころ,スイスでKielholz, P. が消耗性抑うつを報告した.この病態にはimipramineをはじめとする三環系抗うつ薬(TCA)が有効であり,患者に対する励ましはしばしば有害であると戒められた.
 これらの研究成果は1959年から日本に紹介された.TCAの日本発売も同年である.そこで軽症内因性うつ病は敗戦の傷跡とのつながりを解き放たれ,働く企業人の疲弊・消耗と結びつけられた.これが日本独自の伝統的な「うつ病」すなわちニッポンのうつ病のはじまりである.ニッポンのうつ病概念はTCAと一対にして啓発され,1975年に確立された.箴言「励ましてはいけない」は1983年以降の教科書に掲載された.
 しかし1999年に新規抗うつ薬としてセロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)が日本で発売されると,「うつ病」概念もニッポンのうつ病からMDDに更新された.
 ただしMDDの診断基準に,生物医学モデルにおける妥当性は期待しがたい.今後のうつ病関連病態の生物医学的研究は,軽症内因性うつ病をたたき台に用いるほうが実り多いだろう.その際ニッポンのうつ病の時代的変化という現象を通じて,軽症内因性うつ病の普遍的な特徴が抽出できるかもしれない.

索引用語:うつ病, 内因性うつ病, 消耗, メランコリー, ストレス>

はじめに
 2014年に出版されたDSM-5日本語版7)は,major depressive disorder(MDD)85)の訳語を,それまでの「大うつ病性障害」から「うつ病」に改めた.正確には「うつ病(DSM-5)/大うつ病性障害」というように併記する.ただし煩雑なため,見出しおよび初出を除いて(DSM-5)と「大うつ病性障害」は省略される.したがって「うつ病」すなわちMDDである.
 その一方,日本の精神医学臨床では2000年頃まで,DSMと関係のない独自の伝統的な「うつ病」概念131)が生きていた.修飾語なしの「うつ病」である.等価で相互交換可能な単語は外国にない.これは20世紀後半の日本の精神医学を背景において描き出した軽症内因性うつ病138)である.軽症うつ病30)49)ともいう.
 これは近年「うつ病のプロトタイプ」42)「うつ病中核群」114)115)「本物のうつ病」77)と称される*1.その際はMDDとの混淆を避けるために「内因性うつ病」27)42)73)77)「メランコリー(親和)型うつ病」99)114)115)と表記される.ただしこれらの表記はしばしば誤解と混乱をまねく*2.そこでここでは,この日本独自の伝統的な「うつ病」をかぎ括弧なしでニッポンのうつ病と表記する89)94)
 19世紀後半からいまに至るまで,外来診療所の神経医や一般かかりつけ医のもとには,日常生活上のストレスに関連した抑うつ・不安・身体違和感・疲労・不眠などを訴える人たちがたくさん訪れる.そういう人たちに対して,過去には神経衰弱,神経質,神経症,近年では慢性疲労症候群,日本ではノイローゼ,自律神経失調症などの診断が与えられてきた.現在ではMDDである.Horwitz, A. V. 34)35)はこれらをストレス伝統(stress tradition)と総称する.
 ところで,このストレス伝統のようにみえるが,独自の症状・経過と治療反応性をとる一群がある.その一群は精神科病院に入院が必要な重症の躁うつ病と特徴を共有している.この臨床単位は鑑別診断を行う意義がある.端的にいえば,一見ストレス伝統だが,実は軽症で入院の必要がないタイプの躁うつ病,それがニッポンのうつ病である94)
 ニッポンのうつ病は2000年頃までつぎのような特徴をもっていた93)94).几帳面で常識的な会社員や主婦が,転居や昇進などの生活環境の変化を機に,うっとうしくすべてがつまらないという抑うつ気分,喜びや悲しみの感情の喪失,考えがまとまらず物事が決められないといった思考の渋滞・制止,疲労・消耗や漠然とした体調不良,そして不眠・食欲低下などを主症状として発症する.日内変動をともなう.これらは誰もが日常生活で経験するストレス反応性の抑うつにみえる.しかし感情移入できそうにみえて,実際には情緒的な交流は拒まれてしまう.われわれの想像が及ばない不気味な体験である.また,自律性の経過をとる.ストレスから解放されても軽快しない.しかし原則として軽症なため,自殺のリスクに注意を払いさえすれば外来で治療できる.休息と抗うつ薬によって軽快に向かう.そして,この人たちを励ましてはいけない.
 このニッポンのうつ病概念は1959年にはじまり28),1975年に学会誌で確立され45),1983年に教科書に掲載されて83)完成した.箴言「うつ病の人を励ましてはいけない」の発信源である.しかし2000年頃から日本の日常語では,ストレス伝統全般をすべて「うつ病」と呼ぶ習慣が広まった94).この習慣は2014年以後,公式の学術用語の領域でも認められた7)90).ここでニッポンのうつ病は「うつ病のプロトタイプ」「うつ病中核群」「本物のうつ病」としての機能を失った.今回論じるのはその一部始終と,忘れ去られつつあるニッポンのうつ病概念のこれからである.

I.ニッポンのうつ病とMDD比較
1.「うつ・抑うつ」の4通り
 「うつ・抑うつ(depression)」には少なくとも,つぎの4通りの意味がある.分類にあたってHamilton, M. 23)24)を参考にし,DSM-5の診断基準7)にあわせてA0・A1・A2・A3の見出し記号を付した.DSM-5のA1とA2には「ほぼ1日中ほとんど毎日」と書き添えられている.重症度の定義30)はDSM-5と異なる.ここでいう最軽症は医療介入不要,軽症は外来加療の対象,重症は精神科病院での入院加療の対象という意味である.

 A0.最軽症:障害を伴わない抑うつ・悲しみ
 A1.軽症:障害を伴う抑うつ・悲しみ
 A2.軽症:喜びの喪失・気分の非反応性(アンヘドニア),悲哀不能・生気的悲哀
 A3.重症:焦燥・激越,昏迷・カタトニア,妄想(罪業・貧困・心気)

 A0とA1は健常な心理の延長として感情移入可能な経験である.どちらも喪失体験など,さまざまなストレス性の出来事に続いておきる.気分の反応性が保たれている.外部からの影響によって悪化も改善もする.したがって精神療法の効果が期待できる.A1はA0よりも程度が激しかったり期間が長引いたりする.臨床では,これらが有意な苦痛または機能障害を伴うかどうかを目安とする(MDDの診断基準B).
 A2はA0・A1と違い,感情移入困難な経験である.ストレス性の出来事との関連がはっきりしない.気分の反応性が失われている.外部からの影響によって悪化も改善もしない.したがって精神療法の効果には限界がある.一方でこれは抗うつ薬の効果を期待させる標識として注目された症状である59).それ以前からドイツの内因性うつ病論でも重視されていた.喜ばしい出来事に反応して改善しないし,悲しい出来事に反応して悪化もしない〔Schulte, W. 111)112)の悲哀不能(Nichttraurigseinkönnen)〕.そのとき,抑うつは心理的な層だけでなく身体的な層までを侵してしまう.具体的には胸部に根をおろした内部の落ち着きなさと興奮,あるいは胸部と胃部の圧迫感などとして訴えられる〔Schneider, K. 106)109)の生気的悲哀(vitale Traurigkeit)〕.患者は自らの気分が正常な経験と違うという事実を承知している.したがって病識を保つ101)109)141)
 A1とA2は気分の反応性が「保たれている/失われている」で相反する.理論的には両立しない.しかし,A2を経験している患者がまれならずA1を訴える.ただしこの経験は,健康だったころの抑うつ・悲しみとは似ていても違う.メタファーとしての抑うつ・悲しみである24)112).この旨を問えば,患者はたいてい肯定する.DSM-5の「メランコリアの特徴」における診断基準B1「抑うつ気分の独特な質(distinct quality of depressed mood)」7)12)はこの事態をいう.
 A3はKraepelin, E. 61)62)が記載した躁うつ病性抑うつ状態の中核像である.Kraepelin以前のメランコリーもここに属する.生命維持機能にしばしば支障をきたす.しかも病識を欠く.

2.「病」の2通り
 「病」も多義的である.ここでは,つぎの2通りを区別する.

 D1.疾患(disease):身体医学的病変が存在する,あるいは身体医学的病変の存在をつよく要請する
 D2.障害(disorder):臨床的に有意な調子の乱れ(disturbance)であり,有意な苦痛(distress)あるいは機能障害(impairment)と結びついている

 D1は生物医学(biomedical)モデル13)20)102)146)に基づいている.Robins, E.,Guze, S. B.,Winokur, G. らいわゆる新Kraepelin主義者たち60)がその代表である.
 DSM-III4)は政治的配慮もあり,無理論(atheoretical)を標榜してD2を採用した.それは生物医学モデルだけでなく精神生物学(psychobiology)74)あるいは生物心理社会(biopsychosocial)モデル16)19)にも対応できるように構成された126),*3
 しかし新Kraepelin主義者たち,とくにGuze13)20)はD1とD2を同一視しDSMを生物医学モデルへ取り込もうとする〔疾患としての障害法(the disorder-as-disease method)124)*4
 実際にDSM-5では苦痛や機能障害の基準が弱められて,多軸診断が廃止された.ここにCooper, R.15)は生物医学モデルへの偏向を認めている.DSM-IV6)以降,すでに無理論の語は削除されていた*5

3.ニッポンのうつ病とMDDにおける「うつ・抑うつ」「病」まとめ
 軽症の病態に関して,ニッポンのうつ病*6ではA2が必須である*7.A2が確認されないならば,A1に「(抑うつ気分の)独特な質」7)12)が認められなければならない.通常の質のA1だけならば抑うつ反応(死別反応を含む),抑うつ神経症(気分変調症を含む)など各種神経症ないし抑うつパーソナリティと診断される*8*9.いいかえればストレス伝統である.
 一方でMDDではA1かA2のどちらかがあればよい.Spitzer, R. L. ら125)によれば,MDDにはDSM-IIの躁うつ病の抑うつ型と精神病性抑うつ反応,そして抑うつ神経症の諸病態が含まれる.
 要約すれば,ニッポンのうつ病はA2をあらわすD1,MDDはA1あるいはA2をあらわすD2である.MDDはストレス伝統とニッポンのうつ病の総和に相当する.
 ちなみに重症例に関してはニッポンのうつ病とMDDはほぼ等しい.ともに主症状はA3であり,重症例のほとんどはD1とD2の両方を満たす,すなわち疾患であり障害でもあるからだ.

II.南北戦争後の米国から第一次世界大戦前の欧州へ―神経衰弱と軽症内因性うつ病―
 ニッポンのうつ病と命名したが,この病型の核をなす軽症内因性うつ病は19世紀末から海外で報告されている.

1.Beard, G. M. の神経衰弱―ストレス伝統のはじまり―
 ストレス伝統のはじまりは19世紀後半の神経衰弱である.1869年から米国ニューヨークの神経医Beard8)9)によって主唱され,すみやかにフランス・ドイツ・英国など欧州諸国にも広まった88).先進国の大都会では,技術文明の急速な発展と生活様式の変化に対応しきれない頭脳労働者たちが,あたかも充電が切れた機械のように倒れてしまう.血液が欠乏するのが貧血ならば,神経の生気的な力が枯渇するのが神経衰弱である.
 神経衰弱のなかには,当時病態生理が明らかでなかった進行麻痺の初期,そして甲状腺機能障害や膠原病などが含まれている.しかし主流は身体医学的病変の存在しない心身の不調である.神経の生気的な力を回復させるために,当初は発電機を用いた直流電気刺激療法が施された.のちの標準治療は休息療法(rest cure)と精神療法である.

2.Lange, C. の周期性抑うつ状態―軽症内因性うつ病の症状と経過そして治療
 1886年デンマークの神経医Carl Lange65)が,神経衰弱の種々雑多な集合からひとつの臨床単位を取りだした.周期性抑うつ状態(periodiske depressionstilstande)である.これがニッポンのうつ病の核をなす臨床単位,すなわち軽症内因性うつ病の世界初の報告である.
 周期性抑うつ状態は「いわゆる神経衰弱という,定義の不十分な小部屋に押し込まれて」いる.特徴的な症状は「すべてが硬直したという感覚によって,快活さと生の歓びが失われる」「他人も出来事も環境も,患者にとってどんな暖かさも呼びさますことができない,これは彼らにとってもっともつらい訴えである」.ここにはA2の喜びの喪失・気分の非反応性が明確にとらえられている.くわえて疲労感・精神運動制止・興味と関心の喪失・決定困難・身体症状(頭痛・めまい・背部痛・腹部の不快感など),そして自律神経症状(体重減少・衰弱・四肢の冷感・脈拍異常・睡眠障害とくに早朝覚醒)などが日内変動をともなってあらわれる.
 また「メランコリーとは何の関係もない」.メランコリーと違って周期性抑うつ状態は,周期性・反復性の経過をとる.おもな精神症状は無動機性の気分変調である.A3の病態をあらわさない.幻覚妄想状態になったり入院が必要になったりしない.自殺もしない.
 治療の要諦は病因論に基づいた身体的治療にある.病因は尿酸素質にあるため,食事療法で尿酸摂取を減らし,薬物療法(おもにリチウム)*10によって尿酸排泄をうながす.「心理学的視点から治療されるのは不幸である」というように,精神療法の効果は否定する.
 Lange, C. の治療指示は過酷でもあった.「患者たちはみじめな思いをするのを嫌がって会社や日常の義務から退却しようとするが,それを許してはならない」「不活発な神経系に対しては精神的な刺激が必要である」「したがって可能な限り,患者は変化する強い刺激にさらされ続けるべきである」.ここには,神経衰弱の休息療法との違いを際立たせる意図があったのかもしれない.
 このLange, C. の記載のうち「自殺はしない,治療では休息させない」を「自殺リスクが高い,治療では休息させる」に書きかえて,几帳面なパーソナリティと抗うつ薬の効果そして格言「励ましてはいけない」をつけ加えれば,ニッポンのうつ病記載ができあがる.

3.周期性抑うつ状態から軽症の躁うつ病へ―軽症内因性うつ病の位置づけ―
 軽症内因性うつ病に相当する臨床単位は,前後して精神科医たちも報告している.Kahlbaum, K. のヴェコルディア・ディスチミア(Vecordia dysthymia)(1863)40),循環性精神病(cyklische Irresein)(1882)41),Hecker, E. のチクロチミー(Cyclothymie)あるいは循環性精神障害(cirkuläre Gemüthserkrankung)(1877,1898)25)26),Ziehen, T. の軽メランコリー(Hypomelancholie)(1896)148)である*11.Lange, C. と違い精神科医たちは,この臨床単位に重症のメランコリーやのちの躁うつ病と通底する本質をみてとった.自殺のリスクも高い.
 Kraepelinは教科書第5版(1896)61)の周期性精神病(periodische Irresein)に手を入れ,第6版(1899)62)で躁うつ性精神病(躁うつ病)(manisch-depressive Irresein)を提示した.これを受けてWilmanns, K.(1906)143)は,Heckerのチクロチミーを躁うつ病の軽症形態として位置づけた.さらにBonhoeffer, K.(1912)10)は,この病型を内因性抑うつ(endogene Depression)と称した.これは一般医やかかりつけ医の外来診療でみられる軽症抑うつであり,しばしば神経衰弱と診断されている.予後を正確に予測し,自殺のリスクに注意をはらうため,内因性抑うつを神経衰弱から鑑別せねばならない.

III.世界大戦間の英国―軽症内因性うつ病のための精神療法と身体的治療法―
 ドイツ医学は診断にあたって,病因論的な仮説や精神病理学的な本質を重視する.その一方で英国医学は,治療方針を決定する指標としての診断を重視する.絶対的な妥当性を追求するドイツ医学に対し,その都度の治療のための有用性を追求する英国医学である.

1.精神療法の指針と「励ましてはいけない」の孤立的出現
 英国の一般かかりつけ医Ross, T. A.104)は1923年,精神療法の教科書で「躁うつ性精神病の抑うつ期と,神経衰弱というふたつの病態はしばしば混淆されるが,これらの疾患の治療原則はまったく違う.そのため,精神病(筆者註:軽症内因性うつ病を意味する.以下同)と神経衰弱の鑑別診断はとても重要である」と指摘した.さらに「抑うつにおちいる前の患者が,自発的に過剰労働に取りくんでいた時期が確実にあったならば,精神病の疑いが強くなる.この過剰労働は,周囲の人からの『確実で信頼できる』情報でなければならない.神経衰弱者は,自らが倒れた原因として過剰労働を挙げることが実に多いが,これらのストーリーはおおよそ精査検討に耐えるものではない」.この記述は現代でもそのまま通用するだろう.
 Rossは精神療法の心得として「神経衰弱の人は,その人ができると思っている以上を成しとげるよう促され,励まされるべき(should be encouraged)である」「その一方で,精神病の人に対して,その人ができると感じている以上の要求は有害である」と述べた.これがいわゆる「励ましてはいけない」あるいは激励禁忌のはじまりである.ただしこの教科書が日本で参照された痕跡は当時もいまもない.

2.電気けいれん療法の指針
 1940年頃から電気けいれん療法(electroconvulsive therapy:ECT)が広まった123).ECTはさまざまな病態に効果をあらわしたが,なかでもカタトニアとA3の重症抑うつによい適応を示した.
 1944年にはCook, L. C.14)がECTの総説で「精神神経症のけいれん治療成功例の多くは,神経症的不安を仮装した抑うつ状態の方に本質的な解消をもたらした報告である可能性がある」,Sargant, W.ら105)は精神科身体治療の教科書で「『不安神経症』患者のうち,けいれんの恩恵を受けられる者は,あやまって神経症と呼ばれていた者に限られる.彼らは実際のところ,不安と焦燥が前景に立った抑うつに苦しまされていたのである」と記した.
 基本原理として,ECTは重症のA3だけでなく軽症のA2にも効果をあらわす.しかし神経症性のA1には無効である.したがって,軽症の抑うつにECTが効果をあらわしたならば,それはA1の神経症ではなくA2の軽症内因性うつ病だったと考えるべきである.

3.治療反応性に基づく鑑別診断学の再編
 ここから,治療反応性に基づく診断の見直しという潮流があらわれた84).ここではECTは治療ツールであると同時に診断ツールと見なされる.もちろん治療ツールと診断ツールの役割は違う.しかし病因論や発症機序でなく,治療反応性を根拠とした診断分類という方法は,のちの精神医学に大きな影響を及ぼした.
 実際に一般かかりつけ医Watts, C. A. H.(1956)137)は,内因性うつ病の診断根拠として,病相収束のためにECTが必要であり(原因探索的な)精神療法が助けをもたらさない事実を挙げた.ただし彼は精神科専門医ではないのでECTを用いない.当時は抗うつ薬もない.
 それでもWatts(1957)138)は軽症内因性うつ病に対して,患者との良好なラポールを基本にbarbiturate系薬剤,amphetamine系薬剤や軽作業などの対症療法を用いて高い治療成績をあげた.適切な病態理解と予後予測を与える軽症内因性うつ病診断は,特効薬がなくても有用である.

IV.ドイツにおける軽症内因性うつ病研究―ニッポンのうつ病概念の起源―
 ニッポンのうつ病概念の直接的な起源は,第二次世界大戦後の西ドイツとスイスにおける軽症内因性うつ病の諸研究である.その先ぶれはすでに第一次世界大戦後にみられる.

1.第一次世界大戦後―戦争後遺症と反応性抑うつの生気化―
 ドイツでは第一次世界大戦がはじまると,神経衰弱に対する関心は薄らいだ.かわって戦後に喫緊の問題として浮上したのが,戦争体験の心理学的後遺症に苦しむ人々である.
 Schneider(1920)106)によれば,大戦に従軍した兵士では,当初の抑うつ(A1)を引き起こした「苦しみ」が除隊ののちに消えさったあとも,生命感情の障害・生気的抑うつ(A2)が持続する者が少なくない.これを反応性抑うつの生気化(Vitalisierung)と呼ぶ.このとき当初の苦しみの内容・主題は失われている.体験の意味連続性・意味関連性・意味法則性が引き裂かれている107)109).その意味でA1とA2は異質な体験である.区別せねばならない.
 Johannes Lange(前出のCarl Langeとは無関係の別人である)(1926)66)によれば,A2の生気的抑うつをあらわす人たちのパーソナリティ特徴は(A3をあらわす)躁うつ病に典型とされる同調性格・循環性格でなく,強迫的で勤勉,几帳面,良心的などの傾向が目立つ.この指摘はニッポンのうつ病と相通じる.
 さらにLange, J.(1928)67)は,反応性抑うつの生気化,すなわちA1からA2への移行の際には,未知の遺伝・体質的な植物神経-内分泌の動揺性が発症準備性として働くという発症メカニズム仮説を提示した.これはSelye, H.113)のストレス仮説に20年以上先行している*12

2.第二次世界大戦後―うつ病の状況論―
 1950年代の西ドイツには日本と同じく,第二次世界大戦の傷跡が生々しく残されていた.そこでは,戦中の破壊および戦後の混乱という持続的なストレス状況ののちに(A1でなく)A2の内因性抑うつ像,それも軽症だが慢性的な経過をとる例が無視できないほど多いという事実が明らかとなった30)37)38)
 さらに当時の西ドイツでは,「ナチのおかした悪行の清算という意味で,精神科医に課せられている大きな社会的要請の一つとして,ナチの被迫害者に対する賠償をめぐる精神鑑定の問題」36)38)があった.そこで精神科医たちは,「外的な出来事に関係なく自然発生する建て前の『内因性』抑うつが,迫害や喪失などの出来事に対して『反応性』に発症する」という事実を否応なく突きつけられ,その本態解明を要請されたのである91)
 Weitbrecht, H. J.139)140)は1949年以降,反応性にはじまって内因性抑うつの経過をたどる臨床単位の報告を積みかさねた.その最終的な名称は内因反応性気分変調(endo-reactive Dysthymie)(1952)101)141)である.戦後1951年頃までに,東ドイツから西ドイツにきた避難民にもっとも多くみられた28).発端は反応性抑うつ(A1)でも二次的に生気化する,すなわち生気的悲哀(A2)に移行する軽症内因性うつ病である.循環病(SchneiderとWeitbrechtは躁うつ病をこう呼ぶ)の中核(A3)とは違うが,疑いなく疾患(D1)すなわち身体医学的な病変が存在している.健常な心理反応の延長(A1)ではない.病前性格は同調性でなく,循環病の遺伝負因もまれである.躁転しないし,病歴にも家族歴にも躁状態はない.原発性罪業感(Weitbrechtは罪業妄想をこう呼ぶ)もない.
 またPauleikhoff, B.(1958,1959)96)97)によれば,反応性にはじまる内因性抑うつの経過はA1からA2だけではない.A1を飛ばしていきなりA2を発症する例もある.この指摘はLange, J.66)以来である.Pauleikhoffはそこで,発病における性格と状況の関係性を問うた.転居・昇進・出産・子どもの結婚などのときは環境の外部構造が変化して,個人の存在の秩序が揺さぶられる.そのとき,パーソナリティの内部構造を臨機応変に変換できなければ,A2を発症するという.
 この領域には他の研究者も注目した.根こぎ抑うつ(Entwürzelungsdepression)(1950)11),荷おろし抑うつ(Entlastungsdepression)(1951)110),実存抑うつ(existentielle Depression)(1954,1958)22)144),喪失抑うつ(Verlustdepression)(1959)69)などである.これらはうつ病の状況論研究と総称された37)38)

3.軽症内因性うつ病に対する精神療法可能性
 当時の精神医学の常識では,精神療法は躁うつ病に対して治癒をもたらさない.躁状態だけでなくうつ状態に対しても効果がない.1954年にSchneider108)は「精神療法によって循環病は,せいぜい瞬間的表面的な鎮静効果しか望めないし,それも軽症の場合に限られる」「循環病に精神療法が効果的だったと報告されたなら,それは循環病ではなかったか,治療者が自然軽快に立ちあったか,そのどちらかである」と念を押した.
 しかし,軽症内因性うつ病に対しては,精神療法が果たすべき役割があるのではないか.Schneiderの好敵手Kretschmer, E.,その門下生たちが動いた.Häfner, H.(1954)22)は実存抑うつの報告にて,生気的抑うつの発症過程をKretschmer流の病前性格論・価値構造論・鍵体験といった概念を駆使して解釈した.いわば「敏感関係妄想」のうつ病版である.ついでWinkler, W. T.(1958)144)は,複合的でない(状況因的要素の少ない純遺伝学的・体質学的な)抑うつはECTのみで治療できるが,実存抑うつのような複合的な(状況因的要素の大きい)抑うつに対しては,Häfner流の解釈が患者との接触の架け橋をつくると論じた.Winklerによれば,軽症内因性うつ病に対する精神療法は原因療法ではないが,身体的治療を行いながら患者に接近するための態度・姿勢の指針を与えてくれる.軽症内因性うつ病に対しては,身体的治療と精神療法は相補的にはたらく.
 あとはECTよりも簡便な,外来の軽症例にふさわしい身体的治療法の発見を待つだけだった.

4.軽症内因性うつ病の状況論・病前性格論研究の終焉
 Tellenbach, H.は著書『メランコリー』(1961)135)で,うつ病の状況論研究の総まとめを試みた.彼は内因性うつ病の発病状況を構成する人間学的類型をメランコリー型と称した.メランコリー型の基本特徴は秩序愛(Ordnungsliebe)にある.その秩序性は几帳面として仕事・態度・良心にあらわれる.対人関係では他人のために存在し(Sein-für-andere),社会的な常識・義理を重んじる.このメランコリー型はのちに日本の臨床に即してその本質的・根本的特性を秩序愛から「他者との円満な関係の維持」45)に移され,ニッポンのうつ病の病前性格として定着した86).メランコリー親和型性格45)である.
 Tellenbach以後,西ドイツの軽症内因性うつ病とその状況論研究は終焉に向かう86).この背景には1965年の連邦補償法終結法の成立があった.また,それよりも大きいのは抗うつ薬の発見である.Janzarik, W.39)はつぎのように説明する.精神障害の本質の研究と解釈というそれまでの王道に対して,新たな薬物療法が切り開いた治療経験主義が勝利をおさめた.そのため精神病理学は衰退に向かった.ひらたくいうと,治しかたの見当がついてしまえば,精神病理学的な本質に対する問いかけはもう必要ないだろうという風潮である.ドイツ流の本質主義が,英米流のプラグマティズムに道を譲りつつあった.

V.1950年代後半のスイス―消耗性抑うつとimipramineそして「励ましてはいけない」―
1.Kielholzの消耗性抑うつとWeitbrechtの内因反応性気分変調そしてストレス伝統
 舞台は少し戻って1950年代後半のスイスである.1957年Kielholz, P.53)は,反応性にはじまって内因性の経過をとる抑うつ病態を消耗性抑うつ(Erschöpfungsdepression)と命名した.その症状と経過は内因反応性気分変調と酷似している64).いずれも長期間の負荷・緊張のもとで心気症・自律神経症状を長びかせ,症状の生気化をきたす.心臓のあたりに胸苦しさを感じる.原発性罪業感はない.すなわちA0からA1そしてA2へ移行するが,A3には至らない.躁状態もない.いずれも軽症内因性うつ病である.
 ただし社会文化的側面は違う.消耗性抑うつの注釈には管理職病(Managerkrankheit)の無力形態と記されている53).内因反応性気分変調の典型は敗戦後の傷跡に悩まされる人たちだった.対して,消耗性抑うつの典型は疲弊・消耗した企業人,なかでも頭脳労働者たちである*13.発病を促進するのは,過剰な職業負荷・忙しく騒がしい業務への急激な変化・時間に迫られながらの責任ある決断・とりわけ急かされ,けたたましく,緊張した環境で即座に解決しなければならなかったり,不確かで疑いに満ちたなかで正しい決断を行わねばならなかったりするような事態である.そのような状況下で,①過敏-無力性前駆期,つぎに,②心身症症状期,最後に,③抑うつ期という経過をとる.これはSelye113)の汎適応症候群におけるストレス反応過程,すなわち,①警告期,②抵抗期,③消耗期を参照したとおぼしい.消耗(exhaustion,Erschöpfung)は,Selye理論およびストレス伝統の鍵概念のひとつでもある.敗戦国ドイツとその周辺からはじまった軽症内因性うつ病とその状況論研究は,戦勝国米国発のストレス伝統と,中立国スイスで出会った.

2.imipramineの発見
 消耗性抑うつに対する身体的治療は,十分な休養を確保したうえで,インシュリン・ショックとchlorpromazineの100 mgから200 mgの組み合わせが推薦されていた53).ところがKielholzの報告と同じ1957年,同じスイス医学週刊誌でKuhn, R.63)が新たな薬物による抑うつ治療を報告した.イミノジベンジル誘導体のひとつG22355,のちの抗うつ薬imipramineである.使用経験は入院患者対象であり,imipramineは内因性抑うつの生気的気分変調だけでなく病的な罪業感,貧困念慮に対しても効果をあらわしたという.すなわちKuhnの対象は,おもにA3の重症躁うつ病性抑うつだった.
 それでは,消耗性抑うつなどA2をあらわす軽症内因性うつ病に対してimipramineはどうだろうか.翌1958年Kielholz54)が回答した.またしてもスイス医学週刊誌である.彼らによれば,従来のchlorpromazineやreserpineやmeprobamateは抑うつにともなう不安や内的不穏を鎮静・緩和し,覚醒アミン(amphetamineなど)や一部の抗ヒスタミン薬やiproniazid(MAO阻害薬)は精神運動制止に対して欲動を亢進させる.しかし,これまで生気的抑うつ性気分変調に効果をあらわす薬剤はなかった.そこに現れたのがimipramineである.もっともよい適応は,制止と生気的症状が前景に立つ外来の消耗性抑うつと,軽症の単発性あるいは周期性メランコリーである.入院の循環性メランコリーにも効果をあらわすがECTには一歩ゆずる.まとめると,imipramineは抑うつ症状の3つの構成成分すなわち,①悲哀・無感動の気分変調,②思考制止,③欲動生活と意志生活,すべてに効果をあらわす.こうして軽症内因性うつ病に対するimipramineの効果が根拠づけられた.

3.「励ましてはいけない」の再出現
 Kielholz55)は1959年,imipramineの発売元であるGeigy社から『抑うつ状態の臨床と鑑別診断そして治療』という小冊子を出版した.そこで彼は「親類などからの善意に満ちた助言,例えば『気を取り直して勇気を奮い起こせ』『この難関を切り抜けて人生の道を切り開け』などは,患者を絶望(Verzweiflung)に追いやり,不安で途方に暮れさせて自殺のリスクを上げてしまう.忘れてはいけない」と述べている.さらに自殺を招きかねない有害な対応として「しっかりしろ,意志さえあれば何だってできる」という訓戒や,実りのない苦痛に満ちた気分転換の強要などを挙げている.
 西ドイツでも1962年Schulte112)が,軽症内因性うつ病に対する精神療法的手立てを語る際に,患者への激励を戒めた.Schneiderが循環病に対する精神療法無効論を念押しした8年後,掲載誌は同じドイツ医学週刊誌である.Schulteは「健康な人の悲しみ-高揚という感情の尺度で躁うつ病の諸状態を『了解(verstehen)』できる,という軽率な断言から患者を守らねばならない」したがって「患者を誘導したり,励ましたり(ermuntern),過大な要求をしたりという間違った手立てはすべてやめさせねばならない」と注意をうながした.

4.軽症内因性うつ病の治療論の進歩
 抗うつ薬療法はECTと違って外来で簡便に行えるため,軽症内因性うつ病に打ってつけである.さらに,抗うつ薬の普及によって精神療法の役割と方針が明らかになった.精神療法は,それ自体で軽快をもたらしはしない.しかし,軽症内因性うつ病の精神病理学的理解そのものが,患者に接近するための精神療法的態度・姿勢の指針を与えてくれる.そのさい患者を励ますのは無駄どころかしばしば有害であるという箴言が授けられた.

VI.1959年から1990年代の日本―ニッポンのうつ病概念の定着と小精神療法―
1.ニッポンのうつ病以前の日本
 日本にも独創的かつ先駆的な研究があった.
 ひとつは下田の執着性格と発病過程論である.下田は1929年,躁うつ病の病前性格特徴として偏執的性格をとりあげた130).のちの執着性格である.これは,神経衰弱と内因性うつ病(原著では初老期鬱憂症)鑑別のための鍵概念とされた.主訴は同じ消耗・抑うつであっても内向性格の者は神経衰弱,執着性格の者は内因性抑うつの可能性が高い.
 下田(1948,1950)117)118)はのちに,執着性格が発病過程にもたらす影響を論じた.はじめ,①過労事情(誘因),つぎに,②神経衰弱反応(睡眠障害,疲労性亢進),そのあと,正常人では情緒興奮性減退と活動欲消失が起こっておのずから休養状態に入るが,執着性格者は体質的な感情興奮性の異常によって,③疲労に抵抗して活動を続け,ますます過労におちいり,この疲労の頂点において多くはかなり突然に,④発揚症候群または抑うつ症候群を発する.これらの病前性格論と発病状況論はKielholz,Tellenbachに先行している.
 いまひとつは內村136)による第二次世界大戦後のうつ病報告である.1946年,彼は「ここに述べんとする欝病は躁欝病系の一病態であつて(中略)こと更に戦爭に伴ふ激しい身邊の變化及び困難なる社會環境につれて,この種の病的状態は著しく増加して居る樣に見える」と論じた.この指摘は西ドイツのWeitbrechtに先行している.これは日本語,ただし漢字で「鬱病」「欝病」の表記(原著にタイトル「鬱」,本文「欝」の表記ゆれあり)を初めて用いた報告でもある.この1946年の報告以前の日本に「うつ病」という言葉はなかったのである.

2.軽症内因性うつ病からニッポンのうつ病へ
 日本では1950年代後半より「ノイローゼ」という言葉が医学的診断でも日常用語でも流行した132).はじめに述べたストレス伝統である.その頃からノイローゼ・神経症と躁鬱病・鬱病(うつ病)の鑑別診断が注目されはじめた75)80)81)128)
 追って1960年頃に,西ドイツやスイスから新しい精神病理学と精神薬理学が日本に紹介された.敗戦国の意気消沈が高度経済成長期の高揚感にかわりつつあった時代である.そこで軽症内因性うつ病は敗戦の傷跡とのつながりを解き放たれ,働く企業人の疲弊・消耗と結びつけられた.日本独自の伝統的な「うつ病」すなわちニッポンのうつ病のはじまりである.
 1950年代後半Weitbrechtのもとに留学していた平沢は帰国後,当時最先端の軽症内因性うつ病研究を日本に紹介した.平仮名の用語「うつ病」は,1959年「精神医学」誌4月号に掲載された彼の総説「うつ病の臨床精神医学的研究の現況(1945-1958)」28)から広まった*14.奇しくも1959年5月にimipramineが日本で発売された.以後うつ病概念は,imipramineをはじめとする三環系抗うつ薬(tricyclic antidepressants:TCA)が有効な抑うつ病態として定着する.ニッポンのうつ病概念はTCAと一対にして啓発された.さらに,平沢29)が下田の執着性格論を再評価したのと時を同じくして,Tellenbachがメランコリー論135)を出版した.症状・経過・治療反応性に病前性格論と発病状況論が加味され,ニッポンのうつ病概念は磨きをかけられていった30)
 1975年の笠原・木村によるうつ状態の臨床分類45)では,Kraepelin以来長らく抑うつ状態の古典かつ中核とされていた重症の躁うつ病性(内因性)抑うつがII型に格下げされ,当時はまだ新しかった「メランコリー性格型うつ病」あるいは「性格(反応)型うつ病」の軽症内因性抑うつがI型にすえられた.これがニッポンのうつ病概念の確立である.ここで精神科臨床における抑うつの中核は,重症のA3から軽症のA2に移された.

3.「励ましてはいけない」あるいは激励禁忌の確立
 1978年に笠原46)は「うつ病の急性期治療七原則」を呈示した*15.これは小精神療法あるいは「うつ病のムンテラ七カ条」47)として,日本の精神科臨床に広く効力をもたらした心得である.くわえて1982年に新福122)は,家族や職場の仲間に対して,うつ病の人を「善意からでも叱咤激励するのはいけません」と戒めた.
 大熊はこれらを踏まえ1983年出版の『現代臨床精神医学』改訂第2版83)で,笠原のムンテラ七カ条とならべて「『しっかりしなさい,元気を出せ』などと患者を激励することは,患者の自責感,絶望感を強めるので禁物である」と追記した.さらに諏訪は1984年出版の『最新精神医学』新改訂第31版129)で,躁うつ病性うつ状態に対して「しかし単なる元気づけは避けなければならない.それはかえって患者を追いつめ,その苦悩を増強することになるからである」と記した*16
 ここに独自のニッポンのうつ病概念が完成した.それは,病像はしばしばストレス伝統と見まがうA2の軽症内因性抑うつ,経過は自律性・反復性,パーソナリティは几帳面で常識的なメランコリー型性格,治療方針は心身の休息・抗うつ薬としてimipramineなどのTCA・小精神療法と「励ましてはいけない」などの特性によって構成されている87)88)93)94)

VII.1990年代以降の日本―ニッポンのうつ病からうつ病(DSM-5)へ―
1.学術用語から日常語へ
 1980年代当時のニッポンのうつ病概念は,精神科臨床にたずさわる者の間でのみ用いられる符牒だった.新聞や週刊誌で「うつ病」や「うつ」が日常的に使われるようになったのは1984年頃から2000年にかけてである.おもな話題は「反応性うつ病」の自殺に対する1984年の労災認定(精神障害によるものは国内初だった)や,1991年に起きた過労自殺にまつわる係争が2000年に結審するまでの経過などである58)70).さらに,1998年に日本の年間自殺者がはじめて3万人を超え,「うつ病」への社会的関心が増した.
 これと並行して日本の精神科専門誌では,「うつ病」にかわってMDDに相当する「大うつ病」「大うつ病性障害」の術語が用いられはじめた.1994年頃からである.これはDSM-IVの出版された年でもある.またこの頃から,ニッポンのうつ病のカテゴリーには包括できない関連病態が,新たな病型として注目を集めはじめた.その嚆矢が逃避型抑うつ(広瀬,1977)31)である.1990年代以降は,ニッポンのうつ病の病像や病前性格の時代的変化,あるいは新たなうつ病関連病態が陸続と報告された.現代型うつ病(松浪ら,1991)71),未熟型うつ病(阿部,1995)1),職場結合性うつ病(加藤,2002)51)などである*17

2.ニッポンのうつ病からMDDへ―いわゆる「『うつ病』の拡大」―
 1999年にfluvoxamineが発売された.日本初認可のセロトニン再取り込み阻害薬(selective serotonin reuptake inhibitor:SSRI)である.抗うつ薬が新しくなると,あわせて「うつ病」概念も更新される.SSRIの適応症はニッポンのうつ病(A2)でなくMDD(A1+A2)だった.したがってSSRI後の「うつ病」には新たに,膨大なストレス伝統群(A1)がくわえられた.「うつ病」拡大の第一段階である.
 さらにこの頃,薬剤の消費者直結(direct to customer:DTC)広告が許可された.MDDの疾患啓発と特効薬SSRIのパッケージ広告は消費者に直接届けられた.ストレス伝統といえばたいていの人に思いあたる節がある.その重いものを「うつ病」と呼ぶらしい.よく効く薬があるらしい.そいつは耳寄りだ.こうしてSSRIは,かねてからの「生活上の問題に対して化学がもたらす解決策すなわち薬剤への渇望」33)を「うつ病」に結びつけた.新たな「うつ病」の中核は,伝統的なニッポンのうつ病(A2)からストレス伝統(A1)に動いた.
 こうして「うつ病」は日常会話の語彙として定着した.日本の「うつ病」・「躁うつ病」の総患者数と抗うつ薬の市場規模は右肩上がりの上昇に入った.この2000年あたりが,ニッポンのうつ病とMDDの勢力分布が入れ替わった分水嶺である.2002年には「精神科治療学」誌で特集「『うつ』は変わったか―評価と分類―」127)が組まれ,MDD概念の是非が問われた.こののち提案されたディスチミア親和型うつ病(樽味,2005)133)は,MDDだがニッポンのうつ病ではない.しかしこれは「非うつ病」ではなく「うつ病」の亜型として提示され,日本の臨床にひろく受容された.「うつ病」の内実はすでに,ニッポンのうつ病からMDDに移行していたのである.
 まもなくMDDはさらに,障害をともなわない日常生活の健常なストレス反応(A0)までをのみこんだ.MDDの診断基準Aに定められた9項目のほとんどは特異性がない.健常な人にもあらわれる.したがって,健常と障害を区別するためには,基準Aでなく基準B「臨床上有意な苦痛あるいは機能障害」を判断する必要がある.これは事実判断でなく価値判断である.したがってここで,健常を障害と判断する疑陽性が発生してしまう.ここから診断の濫用と抗うつ薬の濫用がもたらされる18)32)95).A1+A2からA0+A1+A2へ.これが「うつ病」拡大の第二段階である.

3.うつ病(DSM-5)へ―ニッポンのうつ病が「うつ病中核群」としての機能を失う―
 2014年に出版されたDSM-5日本語版はこの趨勢を踏まえて,MDDの訳語を「大うつ病性障害」から「うつ病(DSM-5)/大うつ病性障害」に改めた7)90).実質的にはMDDすなわち「うつ病」である.
 日本うつ病学会も治療ガイドラインの標的診断名を,2012年(出版は2013年)初版78)の「大うつ病性障害」から,2016年(出版は2017年)第2版79)では「うつ病」に改めた.そして序文には「ガイドラインにでてくる『うつ病』とは,major depressive disorderの訳である『うつ病(DSM-5)/大うつ病』と同義である」と明記した.
 こうして「うつ病」とMDDの等価性は,学界で承認された.ここでニッポンのうつ病は「うつ病のプロトタイプ」42)「うつ病中核群」114)115)「本物のうつ病」77)としての機能を失った.それまで心因(性)うつ病56)66)67)82)・反応(性)うつ病66)67)82)83)・神経症性うつ病82)83)119)120)121)・葛藤反応型うつ病45)などは「うつ病」の諸型と称されていても,ニッポンのうつ病とは鑑別・除外診断が要求されていた.症状・経過が異質であり,治療方針も異なるからである*18.しかしいまや,これらの諸病態とニッポンのうつ病は,MDDすなわち新たな「うつ病」という単一のカテゴリーのもとにとりまとめられたのである.

VIII.MDDの問題点とニッポンのうつ病のこれから
 MDDの診断基準は,米国の国立精神衛生研究所(National Institute of Mental Health)において,1969年にはじまった抑うつの精神生物学カンファレンスに端を発する52)103).現在この診断基準は,生物医学モデルや生物心理社会モデルや疫学研究やあらゆる文脈で扱われている.
 生物医学モデルで比較すれば,ニッポンのうつ病とMDDの診断学的な階層は違う.ニッポンのうつ病は,病因と発症機序は不明だが,ひとまとまりの症状と経過・予後をあらわす疾患である120).一方でMDDは,ストレス伝統やニッポンのうつ病などさまざまな由来から発生する症候群95)145)いわば抑うつの最終共通経路(final common pathway of depression)145)である.
 米国精神医学の伝統に通底する精神生物学に沿って考えればつぎの通りである.たしかにMDDの原因(etiology)は,遺伝・体質や生育史やパーソナリティやストレスなどさまざまなのだろう.しかし原因が違っていてもあらわれる症状は同じMDDである.逆にいえば,症状をいかに描き分けても原因に基づく分類には到達できない.分類のためには,家系や体質や化学伝達物質や脳血流や生育史や性格や生活習慣や社会環境などの多次元を生物心理社会モデルに即して把握するべきだ68)145).治療も多次元に応じて,薬物療法・精神療法・リハビリテーションを柔軟に組むべきだ.
 しかし実際のところ,MDDはひとつの疾患であるかのように扱われ,画一的に抗うつ薬が投与された.心理社会的次元はしばしば無視され,MDDは生物医学モデルの占有であるかのようにあつかわれた18)32)95).この風潮はSSRIの普及とともに蔓延した.米国では1988年以降,日本では1999年以降である.さいわい現在は収束しつつある.
 今後期待される研究は,MDDの診断精度を向上させ,治療法の選択に役立つような生物学的マーカーなど診断補助検査の開発である.しかし健常と障害の区別に生物学的マーカーは使えない.基準B「臨床的に有意な苦痛あるいは機能障害」は心理社会的次元に基づく価値判断であり,生物学に還元できないからである.また,MDDの基礎にある軽症内因性うつ病,抑うつ神経症,抑うつパーソナリティなどの原因や発症機序は不明である.そのため生物学的マーカーが測る標的が定まらない.その妥当性92)は限定的である.
 生物医学モデルにおけるMDDの妥当性は期待しがたい.MDDはふたたび,もとの生物心理社会モデルの文脈においてとらえなおすべきだろう.それは神経衰弱からつらなるストレス伝統の系譜である.19世紀後半は,そこからいくつかの身体疾患が分離された.現在もそこに躁うつ病の軽症型が存在する.この群に対しては,身体疾患と同様に生物医学モデルが優先されなければならない.それが軽症内因性うつ病である.今後のうつ病関連病態の生物医学的研究や治療研究は,MDDでなく軽症内因性うつ病をたたき台に用いるほうが実り多いだろう.
 軽症内因性うつ病を核として「病前性格―発病状況論―病像―治療への反応―経過」の多次元を包括的にとらえたもの45)がニッポンのうつ病である.それは確固とした生物医学モデルを基礎として,心理社会的側面にも配慮している.このメランコリー型性格と自責的傾向をもつ病像は,1990年頃から減少あるいは変化がうたわれて久しい27).この問題は社会・文化的考察の意義がある*19
 またこの現象を通じて,軽症内因性うつ病の普遍的な特徴が抽出できるかもしれない.例えば笠原がメランコリー親和型性格の本質的・根本的特性とした「他者の円満な関係の維持」や所属組織への忠誠心は,近年みられなくなった.しかし松浪71)72)は現代型うつ病に,患者が職場外の私的領域(趣味など)においてみせる強迫性・秩序性を指摘している.笠原50)も近年は「世の中では怠け者ということになっていたんだけれども,『ある条件下において』はとても几帳面性の出てくる人です」という.これらはすべて,メランコリー型の基本特徴である秩序性のあらわれかたのヴァリアントなのかもしれない.このようにとらえれば,ニッポンのうつ病論を突破口とした生物医学研究,たとえば生体リズム研究への端緒が開かれるかもしれない.

おわりに
 ニッポンのうつ病に関する迫真の記載は,論文や教科書にはない.それは当事者の体験記にある.将棋棋士の先崎学九段は自らのうつ病体験を,「心の中に黒いコールタールのようなものが固まっていて,喜怒哀楽はもちろん,後悔や嫉妬などあらゆる暗い感情すらもそこでシャットアウトされてしまっていた」「本物のうつ病の症状を当事者としてひと言でいうと無反応だ.喜びにも悲しみにも反応がなくなってしまう.はじめは悲しいとか辛いとかで単なる『うつ状態』なだけかもしれないが,本物のうつ病はあらゆる感受性が消えてしまう」116)と語る.彼はニッポンのうつ病における気分の非反応性と悲哀不能(A2)の痛切な経験だけでなく,MDDにおける悲しみ(A1)との違いを明確に記載している.
 こういった当事者の切実な語り(narrative)を受けとめ,精神医学の知識体系の文脈でとらえなおす概念がニッポンのうつ病である.自らが内因性うつ病を経験した精神科医田中恒孝134)は,DSMが多種多様な病態を「一括して大うつ病性障害としてまとめあげていることに納得がいかない」と訴える.当事者にとってMDDではニッポンのうつ病のかわりにならない.ニッポンのうつ病概念の再評価が求められる.完全に忘れ去られる前に.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

 謝 辞 かずかずの書物と幾度かの対話を通じて,うつ病臨床に求められる厳しさと寛容さを教えてくださった桜クリニック 笠原 嘉名誉院長に胸いっぱいの感謝を込めて.また,国家公務員共済組合連合会虎の門病院本院・分院における玉田 有先生との11年間の協同関係の思い出に.

 日本語以外の引用は一部訳書を参照したが,その際も筆者自身が原著と比較検討のうえ翻訳し直した.したがって,引用箇所の文責はすべて筆者にある.

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31) 広瀬徹也: 「逃避型抑うつ」について. 躁うつ病の精神病理2 (宮本忠雄編). 弘文堂, 東京, p.61-86, 1977

32) Horwitz, A. V., Wakefield, J. C.: The Loss of Sadness: How Psychiatry Transformed Normal Sorrow into Depressive Disorder. Oxford University Press, Oxford, 2007 (伊藤和子訳: それは「うつ」ではない-どんな悲しみも「うつ」にされてしまう理由-. 阪急コミュニケーションズ, 東京, 2011)

33) Horwitz, A. V.: Book review:VHappy Pills in America:From Miltown to Prozac. The age of anxiety:a history of America's turbulent affair with tranquilizers. Before Prozac:the troubled history of mood disorders in psychiatry. N Engl J Med, 360 (8); 841-844, 2009

34) Horwitz, A. V.: How an age of anxiety became an age of depression. Milbank Q, 88 (1); 112-138, 2010
Medline

35) Horwitz, A. V.: How did everyone get diagnosed with major depressive disorder? Perspect Biol Med, 58 (1); 105-119, 2015
Medline

36) 飯田 真: ナチの被迫害者と後遺症―伝統的ドイツ精神医学への衝撃―. 自然, 24 (2); 41-45, 1969

37) 飯田 真: 状況論. 躁うつ病 (新福尚武編). 医学書院, 東京, p.119-140, 1972

38) 飯田 真: 精神医学論文集―臨床遺伝学から精神病の状況論へ―. 金剛出版, 東京, 1978

39) Janzarik, W.: Die Krise der Psychopathologie. Nervenarzt, 47 (2); 73-80, 1976 〔The crisis in psychopathology. The Clinical Roots of the Schizophrenia Concept: Translations of Seminal European Contributions on Schizophrenia(ed by Cutting, J., Shepherd, M.). Cambridge University Press, Cambridge, p.135-143, 1987〕
Medline

40) Kahlbaum, K.: Die Gruppirung der psychischen Krankheiten und die Eintheilung der Seelenstörungen. Entwurf einer historisch-kritischen Darstellung der bisherigen Eintheilungen und Versuch zur Anbahnung einer empirisch-wissenshaftlichen Grundlage der Psychiatrie als klinischer Disciplin. Kafemann, Danzig, 1863 (石井 厚抄訳・解説: カールバウム―生涯と主著『精神疾患の集群化と精神障害の分類』―. 精神医学史ノート. 医学出版社, 東京, p.283-323, 2006)

41) Kahlbaum, K.: Ueber cyklisches Irresein. Der Irrenfreund. Psychiatrische Monatsschrift für praktische Aerzte. 24 (10); 145-157, 1882 (Baethge, C., Salvatore, P., Baldessarini, R. J. : "On cyclic insanity" by Karl Ludwig Kahlbaum, MD: a translation and commentary. Harv Rev Psychiatry, 11 (2); 78-90,2003)

42) 神庭重信: 「うつ病周辺群のアナトミー」うつ病は神経衰弱の轍を踏むのか. 臨床精神医学, 37 (9); 1089-1090, 2008

43) 笠原 嘉: 内科・婦人科を初診することの多い「軽症うつ病」者について. 臨牀と研究, 47 (1); 152-156, 1970

44) 笠原 嘉, 宮田祥子, 由良了三: 昨今の抑うつ神経症について. 精神医学, 13 (12); 1139-1145, 1971

45) 笠原 嘉, 木村 敏: うつ状態の臨床的分類に関する研究. 精神経誌, 77 (10); 715-735, 1975 (笠原 嘉: うつ病臨床のエッセンス, 新装版. みすず書房, 東京, p.15-70, 2015)

46) 笠原 嘉: うつ病(病相期)の小精神療法. 季刊精神療法, 4 (2); 118-124, 1978

47) 笠原 嘉: うつ病の管理と社会復帰. うつ病 (織田敏次, 阿部裕ほか編, 内科セミナーPN6). 永井書店, 大阪, p.241-251, 1982 〔笠原 嘉: うつ病臨床のエッセンス, 新装版. みすず書房, 東京, p.151-167, 2015(「うつ病の治療と社会復帰」に改題)〕

48) 笠原 嘉: 感情病 (躁うつ病). 必修精神医学 (笠原 嘉, 風祭 元ほか編). 南江堂, 東京, p.79-94, 1984

49) 笠原 嘉: 軽症うつ病―「ゆううつ」の精神病理―. 講談社, 東京, 1996

50) 笠原 嘉: 「復職」サポートについて我々にできること, できないこと―不安神経症と軽症うつ病を中心に―. IMH産業精神保健研究, 6; 3-17, 2015

51) 加藤 敏: 現代日本における不安・焦燥型うつ病の増加. 精神科, 1 (4); 344-349, 2002

52) Katz, M. M., Secunda, S. K., Hirschfeld, R. M., et al.: NIMH clinical research branch collaborative program on the psychobiology of depression. Arch Gen Psychiatry, 36 (7); 765-771, 1979
Medline

53) Kielholz, P.: Diagnostik und Therapie der depressiven Zustandbilder. Schweiz Med Wochenschr, 87 (4); 87-90, 87 (5); 107-110, 1957
Medline

54) Kielholz, P., Battegay, R.: Behandlung depressiver Zustandsbilder. Schweiz Med Wochenschr, 88 (31); 763-767, 1958
Medline

55) Kielholz, P.: Klinik, Differentialdiagnostik und Therapie der depressiven Zustandsbilder. Geigy, Basel, 1959 (Diagnosis and Therapy of the Depressive States. Geigy, Basel, 1959)

56) Kielholz, P.: Klassifizierung der depressiven Verstimmungszustande. Das Depressive Syndrom: Internationales Symposion Berlin am 16. und 17. Februar 1968 (Hrsg. Hippius, G., Selbach, H.). Urban & Schwarzenberg, Munich, S. p.341-346, 1969

57) 木村 敏: 非うつ病性抑うつ症状について. 日本醫事新報, 3586; 21-25, 1993

58) 北中淳子: うつの医療人類学. 日本評論社, 東京, 2014

59) Klein, D. F.: Endogenomorphic depression. A conceptual and terminological revision. Arch Gen Psychiatry, 31 (4); 447-454, 1974
Medline

60) Klerman, G. L.: The Evolution of a Scientific Nosology. Schizophrenia: Science and Practice (ed by Shershow, J. C.). Harvard University Press, Cambridge, p.99-121, 1978

61) Kraepelin, E.: Psychiatrie, Ein Lehrbuch für Studierende und Ärzte, Fünfte, vollständig umgearbeitete Auflage Barth, Leipzig, 1896

62) Kraepelin, E.: Psychiatrie, Ein Lehrbuch für Studierende und Ärzte, Sechste, vollständig umgearbeitete Auflage. II. Band. Klinische Psychiatrie. Barth, Leipzig, 1899

63) Kuhn, R.: Über die Behandlung depressiver Zustände mit einen Iminobenzylderivat (G22355). Schweiz Med Wochenschr, 87 (35-36); 1135-1140, 1957 〔立山萬里訳: イミプラミン (スイス, 1957年). 精神病治療薬の原点―国外重要文献全訳集―(保崎秀夫監訳, 八木剛平編集・解説). 金剛出版, 東京, p.70-83, 1987〕

64) 熊﨑 努, 大前 晋: 「消耗抑うつ」再考―Kielholzにみる抑うつ状態の分類の変遷―. 精神医学史研究, 15 (1-2); 105-112, 2011

65) Lange, C.: Om Periodiske Depressionstilstande og deres Patogenese. Lund, Kjøbenhavn, 1886 〔trans. by Schioldann, J. A. : 'On periodical depressions and their pathogenesis' by Carl Lange (1886). Hist Psychiatry, 22 (1); 116-130,2011〕

66) Lange, J.: Über Melancholie. Z Gesamte Neurol Psychiatr, 101 (1); 293-319, 1926

67) Lange, J.: Die endogenen und reaktiven Gemütserkrankungen und die manisch-depressive Konstitution. Handbuch der Geisteskrankheiten. VI. Band. Spezieller Teil II (Hrsg. von Bumke, O.). Springer, Berlin, p.S. 1-231, 1928

68) Lewis, A.: States of Depression. Br Med J, 2 (4060); 875-878, 1938

69) Lorenzer, A.: Die Verlustdepression: Verlust und existentielle Krise. Arch Psychiatr Z Gesamte Neurol, 198 (6); 649-658, 1959

70) マッツァリーノ, パオロ.: 会社苦いかしょっぱいか―社長と社員の日本文化史―. 春秋社, 東京, 2017

71) 松浪克文, 山下喜弘: 社会変動とうつ病. 社会精神医学, 14 (3); 193-200, 1991

72) 松浪克文: 「現代型うつ病」を経て「現代のうつ病」へ. 最新精神医学, 21 (3); 195-205, 2016

73) 松浪克文: 内因性うつ病概念の死とその亡霊. 最新精神医学, 23 (5); 381-390, 2018

74) Meyer, A.: The Commonsense Psychiatry of Dr. Adolf Meyer. Fifty-Two Selected Papers. McGraw-Hill, New York, 1948

75) 村上 仁: ノイローゼの鑑別―特に內因性精神病との区別―. 最新医学, 11 (6); 1284-1288, 1956

76) 中嶋 聡: 「逃避型抑うつ」(広瀬)・「現代型うつ病」(松浪)・「ディスチミア親和型うつ病」(樽味)の診断学的検討―「新型うつ病」問題への一寄与―. 精神経誌, 116 (5); 370-377, 2014

77) 中安信夫: うつ病は増えてはいない―大うつ病性障害(DSM)とは成因を問わない抑うつ症状群である―. 精神経誌, 111 (6); 649-656, 2009

78) 日本うつ病学会監: 気分障害の治療ガイドライン作成委員会編: 大うつ病性障害・双極性障害治療ガイドライン. 医学書院, 東京, 2013

79) 日本うつ病学会監: 気分障害の治療ガイドライン作成委員会編: うつ病治療ガイドライン. 医学書院, 東京, 2017

80) 野村章恒: ノイローゼの治療と現代生活. 日本教文社, 東京, 1958

81) 野村章恒: うつ病と神経症との鑑別と治療. 臨床の日本, 5 (6); 412-414, 1959

82) 大熊輝雄: 現代臨床精神医学. 金原出版, 東京, 1980

83) 大熊輝雄: 現代臨床精神医学, 改訂第2版. 金原出版, 東京, 1983

84) 大前 晋: 「軽症内因性うつ病」の発見とその現代的意義―うつ病態分類をめぐる単一論と二分論の論争, 1926~1957年の英国を中心に―. 精神経誌, 111 (5); 486-501, 2009

85) 大前 晋: 「大うつ病性障害」ができるまで-DSM-III以前の「うつ病」(内因性抑うつ)と現代の「うつ病」(大うつ病性障害)の関係―. 精神経誌, 114 (8); 886-905, 2012

86) 大前 晋: Tellenbachのメランコリー論再説―その構築過程と理論的意義―. 精神経誌, 115 (7); 711-728, 2013

87) 大前 晋: 内因性うつ病―概念史と現代的意義―. 臨床精神医学, 42 (7); 825-839, 2013

88) 大前 晋: 抑うつ障害群: 診断概念の変遷―DSM-IIIまで. 双極性障害および関連障害群, 抑うつ障害群, 睡眠-覚醒障害群 (神庭重信総編集, 内山 真編, DSM-5を読み解く―伝統的精神病理, DSM-IV, ICD-10をふまえた新時代の精神科診断-3). 中山書店, 東京, p.105-127, 2014

89) 大前 晋: うつ病の文化論的理解―ニッポンの「うつ病」1959~1978―. 精神科, 32 (1); 13-18, 2018

90) 大前 晋: うつ病の精神病理―2014年の定義変更を批判する―. うつ病と双極性障害 (井上 猛企画, 最新醫學別冊 診断と治療のABC 141). 最新医学社, 大阪, p.53-59, 2018

91) 大前 晋: 反応性と内因性の境界にて―よみがえれ!うつ病の状況論―. 精神医学, 61 (7); 801-815, 2019

92) 大前 晋: 精神医学における診断妥当性―具体化・物象化の錯誤を超えて―. 精神科治療学, 35 (2); 133-140, 2020

93) 大前 晋: 内因性うつ病概念は何のために. 気分症群(神庭重信編, 講座精神疾患の臨床1). 中山書店, 東京, p.55-69, 2020

94) 大前 晋: うつ病概念は死なず, ただ消え去るのみ―ニッポンのうつ病からmajor depressive disorderへ―. 精神科治療学, 35 (9); 933-940, 2020

95) Paris, J.: Overdiagnosis in Psychiatry. How Modern Psychiatry Lost Its Way While Creating a Diagnosis for Almost All of Life's Misfortunes. Oxford University Press, Oxford, 2015 (村上雅昭訳: 現代精神医学を迷路に追い込んだ過剰診断―人生のあらゆる不幸に診断名をつけるDSMの罪―. 星和書店, 東京, 2017)

96) Pauleikhoff, B.: Über die Bedeutung situativer Einflüsse bei der Auslösung endogener depressiver Phasen. Arch Psychiatr Z Gesamte Neurol, 197 (6); 669-685, 1958
Medline

97) Pauleikhoff, B.: Über die Auslösung endogener depressiver Phasen durch situative Einflüsse. Arch Psychiatr Z Gesamte Neurol, 198 (4); 456-470, 1959
Medline

98) Petrilowitsch, N.: Zyklothymie. Endogene Psychosen von depressivem und manischem Typ. Fortschr Neurol Psychiatr Grenzgeb, 32 (11); 561-624, 1964
Medline

99) 佐々木雅明, 玉田 有, 大前 晋: 「メランコリー型うつ病」を再考する―笠原・木村分類(1975)I型とメランコリアの特徴を伴う大うつ病性障害(DSM-5)―. 精神科治療学, 34 (1); 39-44, 2019

100) 佐藤幹正, 佐保盛彥, 宮元久男ほか: うつ病の非定型病型である心氣性病型について. 鹿兒島醫學雜誌, 29 (11―12); 375, 1956

101) 佐藤晋爾: 内因反応性気分変調概念とその批判―<気分変調症候群とその内因性/反応性の二面性>(Weitbrecht)(部分訳)および<Weitbrechtの「内因反応性気分変調」批判>(Völkel)(全訳)―. 臨床精神病理, 37 (1); 9-19, 2016

102) Robins, E., Guze, S. B.: Establishment of diagnostic validity in psychiatric illness: its application to schizophrenia. Am J Psychiatry, 126 (7); 983-987, 1970
Medline

103) Robins, E., Guze, S. B.: Classification of affective disorders: the primary-secondary, the endogenous-reactive, and the neurotic-psychotic concepts. Recent Advances in the Psychobiology of the Depressive Illness: Proceedings of a Workshop Sponsored by the Clinical Research Branch, Division of Extramural Research Programs, National Institute of Mental Health (ed by Williams, T. A., Katz, M. M., et al.). U. S. Government Printing Office, Washington, D. C., p.283-293, 1972

104) Ross, T. A.: The Common Neuroses: Their Treatment by Psychotherapy. Arnold, London, 1923

105) Sargant, W., Slater, E.: An Introduction to Physical Methods of Treatment in Psychiatry. Livingstone, Edinburgh, 1944

106) Schneider, K.: Die Schichtung des emotionalen Lebens und der Aufbau der Depressionszustände. Z Gesamte Neurol Psychiatr Orig, 59 (1); 281-286, 1920 〔赤田豊治訳・解説: 感情生活の成層性と抑うつ状態の構造. 精神医学, 18(4); 441-447,1976〕

107) Schneider, K.: Die Untergrunddepression. Fortschr Neurol Psychiat Grenzgeb, 17 (9); 429-434, 1949

108) Schneider, K.: Zur Frage der Psychotherapie endogener Psychosen. Dtsch Med Wochenschr, 79 (22); 873-875, 1954
Medline

109) Schneider, K.: Klinische Psychopathologie. 6. Aufl. Thieme, Stuttgart, 1962 〔平井静也, 鹿子木敏範訳: 臨床精神病理学(改訂増補第6版). 文光堂, 東京, 1963〕

110) Schulte, W.: Die Entlassungssituation als Wetterwinkel für Pathogenese und Manifestierung neurologischer und psychiatrischer Krankheiten. Nervenarzt, 22 (4); 140-149, 1951 〔佐藤哲哉, 大橋正和訳, 飯田 真, 佐藤哲哉解説: 神経学的および精神医学的疾患の病因と発病に対する好発期としての荷おろし状況. 諸外国の研究状況と展望 付総目次(別冊)(飯田 真, 笠原 嘉ほか編, 岩波講座 精神の科学 別巻). 岩波書店, 東京, p.191-221, 1984〕

111) Schulte, W.: Nichttraurigseinkönnen im Kern melancholischen Erlebens. Nervenarzt, 32 (7); 314-320, 1961

112) Schulte, W.: Psychotherapeutische Bemühungen bei den Melancholie. Dtsch Med Wochenschr, 87 (44); 2225-2231, 1962 (飯田 眞, 中井久夫訳: うつ病の精神療法. 精神療法研究. 岩崎学術出版社, 東京, p.63-85, 1994)

113) Selye, H.: The Stress of Life. McGraw-Hill, New Yok, 1956 (改訂版: 杉 靖三郎, 田多井吉之介, 藤井尚治ほか訳: 現代社会とストレス, 原書改訂版. 法政大学出版局, 東京, 1988)

114) 仙波純一: 「改めてうつ病中核群を問う」特集にあたって. 精神科治療学, 24 (1); 1-2, 2009

115) 仙波純一: 「変わりゆくうつ病―診断と治療の現在―」特集にあたって. 精神科治療学, 34 (1); 3-4, 2019

116) 先崎, 学: うつ病九段―プロ棋士が将棋を失くした一年間―. 文藝春秋, 東京, 2018

117) 下田光造, 今泉恭二郎, 松井太一: 躁鬱病に就て. . 臨牀ト硏究, 25 (9); 415-417, 1948

118) 下田光造: 躁鬱病に就いて. 米子醫誌, 2; 1-2, 1950

119) 新福尙武: 神経症性うつ病. 日本醫事新報, 1882; 113, 1960

120) 新福尚武: うつ病と神経症. 医学のあゆみ, 95 (9); 420-424, 1975

121) 新福尚武, 北西憲二, 川室 優: 躁うつ病について. 日本醫事新報, 2718; 3-7, 1976

122) 新福尚武: 外来でうつ病患者が増えている. 病院, 41 (3); 238-239, 1982

123) Shorter, E., Healy, D.: Shock Therapy: A History of Electroconvulsive Treatment in Mental Illness. . Rutgers University Press, New Brunswick, 2007 (川島啓嗣, 青木宣篤ほか訳: 〈電気ショック〉の時代―ニューロモデュレーションの系譜―. みすず書房, 東京, 2018)

124) Shorter, E.: The history of DSM. Making the DSM-5. Concepts and Controversies (ed by Paris, J., Phillips, J.). Springer, New York, p.3-19, 2013

125) Spitzer, R. L., Endicott, J., Woodruff, R. A. Jr.: Classification of mood disorders. Depression: Clinical, Biological and Psychological Perspectives (ed by Usdin, G.). Brunner/Mazel, NewYork, p.73-103, 1977

126) Spitzer, R. L.: Values and assumptions in the development of DSM-III and DSM-III-R: an insider's perspective and a belated response to Sadler, Hulgus, and Agich's "On values in recent American psychiatric classification". J Nerv Ment Dis, 189 (6); 351-359, 2001
Medline

127) 鈴木國文: 「『うつ』は変わったか―評価と分類―」特集にあたって. 精神科治療学, 17 (8); 959-960, 2002

128) 諏訪 望: 神經症と鬱病―診斷上の諸問題―. 日本醫事新報, 1692; 8-15, 1956

129) 諏訪 望: 最新精神医学―精神科臨床の基本―, 新改訂第31版. 南江堂, 東京, 1984

130) 玉田 有: 執着性格論(下田光造)の構成過程に関する考察―森田正馬による精神病質論と比較して―. . 精神経誌, 120 (1); 11-24, 2018

131) 玉田 有: 日本の「うつ病」概念は独特か―現代の英語圏精神医学におけるメランコリア論と比較して―. 精神科治療学, 34 (1); 11-16, 2019

132) 玉田 有: うつ病の軽症化問題とは何か―執着性格論の変遷を中心に―. こころと文化, 20 (1); 60-68, 2021

133) 樽味 伸, 神庭重信: うつ病の社会文化的試論―特に「ディスチミア親和型うつ病」について―. 日本社会精神医学会雑誌, 13 (3); 129-136, 2005

134) 田中恒孝: 2014

135) Tellenbach, H.: Melancholie: zur Problemgeschichte-Typologie Pathogenese und Klinik. Springer, Berlin, 1961 (第4版: 木村 敏訳: メランコリー, 改訂増補版. みすず書房, 東京, 1985)

136) 內村祐之: 鬱病の診斷と治療. 日本醫事新報, 1188; 3-5, 10, 1946

137) Watts, C. A. H.: The incidence and prognosis of endogenous depression. Br Med J, 1 (4980); 1392-1397, 1956
Medline

138) Watts, C. A. H.: The mild endogenous depression. Br Med J, 1 (5009); 4-8, 1957
Medline

139) Weitbrecht, H. J.: Zyklothymie. Fortschr Neurol Psychiat Grenzgeb, 17 (10); 437-481, 1949

140) Weitbrecht, H. J.: Über Hypochondrie. Dtsch Med Wochenschr, 76 (10); 312-315, 1951
Medline

141) Weitbrecht, H. J.: Zur Typologie depressiver Psychosen. Fortschr Neurol Psychiat Grenzgeb, 20 (6); 247-269, 1952

142) Williams, J. B.: The multiaxial system of DSM-III: where did it come from and where should it go? I. Its origins and critiques. Arch Gen Psychiatry, 42 (2); 175-180, 1985
Medline

143) Wilmanns, K.: Die leichten Fälle des manisch-depressiven Irreseins (Zyklothymie) und ihre Beziehungen zu Störungen der Verdauungsorgane. Sammlung klinischer Vorträge, Neue Folge, Nr. 434 (Serie 15, Heft 14), Innere Medizin Nr. 132 (Hrsg. von Hildebrand, O., Müller, F., u. a.). Breitkopf & Härtel, Leipzig, S., p.765-790, 1906

144) Winkler, W. T.: Formen existentieller Depressionen und ihre psychotherapeutische Behandlung. Regensburger Jb arzt Fortbidung, 6 (4); 236-242, 1958

145) Winokur, G.: All roads lead to depression: clinically homogeneous, etiologically heterogeneous. J Affect Disord, 45 (1-2); 97-108, 1997
Medline

146) Woodruff, R. A. Jr., Goodwin, D. W., Guze, S. B.: Psychiatric Diagnosis. Oxford University Press, New York, 1974

147) 吉永五郎: 躁うつ病の病前性格について―執着性性格を中心とした性格像の変遷, および, その性格学的考察―. 九州神経精神医学, 9 (3-4); 148-169, 1962

148) Ziehen, T.: Die Erkennung und Behandlung der Melancholie in der Praxis. Sammlung zwangloser Abhandlungen aus dem Gebiete der Nerven- und Geisteskrankheiten. 1 (2-3); 3-66, 1896 (trans. by McCorn, A.: The diagnosis and treatment of melancholia. Am J Insanity, 54 (4); 543-587,1898)

注釈

*1 ただし当初からプロトタイプや中核や本物といわれたわけではない.この病型は第二次世界大戦後,反応性(悲哀反応)と内因性(重症の躁うつ病)の境界にある「非定型的な」30)98)病態として注目された91).これが定型的で中核的な病型とみなされるようになったのは,抗うつ薬の有効性が確立されて以降である.

*2 「内因性」はしばしば重症という含みをもつ.「メランコリー型」では病前性格(Tellenbachのメランコリー型)と病像(DSM-5のメランコリアの特徴)のどちらを指すのかが不明確である99).しかも,メランコリアの特徴はおもに重症例にあらわれる6)7)

*3 DSM-III4)は新Kraepelin主義者たちの主張60)102)146)と違い,精神障害と健常の間の境界づけや,精神障害と他の精神障害の間の境界づけを必須としない.さらに多軸診断を設けて心理・社会的次元の記録を求めた142).これらは生物心理社会モデルに対する配慮である15)17)

*4 Guze21)は「すべての心理学プロセスは脳のプロセスなのだから,これらはすべて医学モデルに含まれている」とまで言いきっている.

*5 ちなみにDSM-IV以降,日本語版はmental disorderを精神疾患と訳している6).D1=D2である.これは結果としてDSM-5の方向性と合致している.

*6 この病型に対する表記は混乱をきわめている.当初は神経症・ノイローゼとの比較で修飾語なしの「鬱病」128)「うつ病」80)81)120)と表記された.しかしのちに躁うつ病のカテゴリー内部で比較される際は,「反応(性)うつ病」82)83)あるいは「抑うつ神経症」44)そして「神経症性うつ病(メランコリー型)」44)などとも表記された.ここでの「神経症」・「神経症性」は「軽症」の意味である.また,Kielholz56)にいわせれば,これは内因性うつ病でなく心因性抑うつの一型である.この病型が近年のように「内因性うつ病」と表記されるようになったのは,Tellenbachの著書135)が紹介されて以降である.

*7 この概念の端緒を開いた論文28)は,はじめにSchneiderの生気的悲哀感を紹介している.

*8 DSM-III4)とIII-R5)で抑うつ神経症と等価とされた持続性抑うつ障害(気分変調症)の診断基準にA1はあるがA2はない.抑うつ気分を伴う適応障害も同様である.

*9 たしかに神経症性うつ病の一部,例えば笠原・木村分類III型「葛藤反応型うつ病」45)は「うつ病」といいながらも正常心理の延長のA1にとどまる病態である.しかし笠原ら45)は「神経症性うつ病という不定の呼称は捨てた方がよく」と釘をさす.また木村57)にとって神経症性抑うつ状態はうつ病ではない.非うつ病性抑うつ症状である.さらに大熊82)83)は「神経症性うつ病は狭義の躁うつ病でなく神経症の範疇に属するものである」,新福ら121)は「神経症性うつ病(neurotic depression)とはうつ状態であるが,本質は神経症である.従って,うつ性神経症(depressive neurosis)というのがよい」と指摘している.DSM(-I)2)とII3)の分類もこの指摘と同様である.神経症性「うつ病」(病名)は神経症性「抑うつ」(状態像)(neurotic depression)の誤訳なのかもしれない.

*10 抑うつに対するリチウム投与はたしかに先駆的である.しかし,これと現代の双極性障害に対するリチウム療法との連続性は,歴史的にも理論的にもない.当時は痛風に対するリチウム療法が流行していた.Lange, C. の提案もその一環である.

*11 KahlbaumとHeckerの業績の一部はLange, C. に先行しているが,名称と理論のみで具体的な症例の記載に乏しい.

*12 Lange, J. は1926年の論文ではA1からA2に移行する「反応性メランコリー(reactive Melancholie)」と出来事からA1を経ずに直接A2を発症する「精神的に誘発されたメランコリー(psychische provozierte Melancholie)」を区別していた66).1928年にはこれらを「反応性抑うつ(メランコリー)〔reactive Depression(Melancholie)〕」のもとにとりまとめている67)

*13 管理職のほかでは,政治家,弁護士,医師そして数多い心配事に押しつぶされそうな主婦が挙げられている.肉体労働者は少ない.肉体労働と規則的な労働時間は精神的な消耗に対して抑止的に働くからだという55).このような,比較的高い社会的地位と重要性をもつ層がおそわれる現代病という,当事者のつらくはあるがちょっぴり誇らしげな様子も盛り込んだニュアンスは,19世紀後半の神経衰弱をめぐる言説と酷似している.

*14 漢字の「鬱病」は本文に挙げた內村136)や諏訪128),平仮名の「うつ病」は1956年の学会発表100)や1958年の一般向け書籍80)にもみられる.ただしニッポンのうつ病の原点はこの平沢の総説である.

*15 この原型はすでに1970年に出版されていた43)

*16 ちなみに同じ1984年に出版された教科書『必修精神医学』では笠原自身が内因性うつ病の治療を執筆している48).そこにムンテラ七カ条はあるが,激励禁忌の記載はない.

*17 松浪71)72)は「内因性うつ病の現代的病像」と明記している.ただしこれらのあらわす病像が内因性うつ病のカテゴリーにおさまるかどうかについては議論もある76)

*18 実際に新福119)は,神経症性うつ病の治療では薬物療法やECTなどの身体的治療は「どれもあまり効がない」ため,心理療法で「性格の改善に重点をおいて激励説得し,スポーツ,レクリエーションなどで気分の転換をはかる(以下略)」というように,ニッポンのうつ病と相反する方針を提案していた.

*19 1962年平沢29)は,京都で外来の軽症うつ病者にみられる執着性格の特徴を論じた.それは熱中性でなく几帳面を主たる特徴とする.この違いは対象症例の重症度の違いから発生すると推測された.一方で同年吉永147)は,かつて下田の所属した九州大学病院で執着性格の性格標識の時代的変遷を調査した.「熱中性」「責任感」「率直」が終戦を機に頻度を下げた一方で,「規帳面(ママ)」「徹底的」は有意の差をもたなかった.この要因として吉永は社会文化的影響を想定した.メランコリー型性格も,時間とともに移ろいゆくダイナミックな構造の一瞬をとらえたスナップ写真のようなものだったのかもしれない.メランコリー型の概念自体が時間性を含んでいる事実が皮肉ではある.

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