Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文全文

第122巻第9号

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特集 精神病理学の古典を再読する―DSM 精神医学の補完をめざして―
Griesingerの精神医学体系の吟味―現代精神医学を照らす―
加藤 敏1)2)
1)小山富士見台病院
2)自治医科大学
精神神経学雑誌 122: 666-682, 2020

 分子生物学は,統合失調症と双極性障碍に共通な感受性遺伝子を多数見いだした.他方,多くの種類の新規抗精神病薬が開発された現代,精神科薬物療法はとりわけ統合失調症と双極性障碍,またうつ病の急性期に対して同じ薬が使用され,一定の効果を示している.こうした知見は精神病急性期を横断的に一次性感情障碍と大局的に捉え,治療的な布置をもつGriesingerの視点を支持する.統合失調症を一貫して認知障碍と捉えるDSM-5は,Kraepelinの早発痴呆の概念と同様,柔軟な視点に欠け,時代にそぐわない.その点で一旦Kraepelinの体系を方法的に括弧入れして,Griesingerの体系に立ち戻るのは有意義だと思われる.こうした問題意識から,『精神病の病理と治療』を再読し,現代精神医学に光をあてたい.

索引用語:Griesinger, Kraepelin, DSM-5, 統合失調症, 双極性障碍>

はじめに
 臨床の現場で多くの患者の治療にあたり,長期の経過観察を含め多くの経験を積んでいくなか,著者は躁うつ病と統合失調症の疾患単位を導いたKraepelinの精神医学体系だけでなく,それに先行して欧米で支配的な力をもっていたGriesingerによる精神医学体系から学ぶものが多いと,その再評価の必要性を説いてきた16)17).ドイツの精神病理学者Janzarikがこの問題意識を鮮明に打ち出し,これを端緒に,生命力動と人格構造の双方から精神疾患の病理を捉えていく構造力動論を提唱している15).著者は同じ問題意識をFreud―Lacanによる構造論的精神分析の見地を入れて継承・敷延し,ネオグリジンガリズムを提唱した18).分子生物学の台頭とともに,アメリカでKraepelinの体系を生物学的に裏づけようと試みるネオクレペリニズムが力をもったが,疾患横断的関連遺伝子が見いだされるなど,これを支持しない知見がかなりの数出され,「Kraepelinによる二分法の終焉が始まっている」と題した論考に代表されるように,ネオクレペリニズムは旗色が悪くなっているように思う8).その点でも,一度,方法的にKraepelinの体系を括弧入れして,躁うつ病と統合失調症の二分法がなされる以前の精神医学に立ち戻ってみることは無意味ではないだろう.今日の精神医学を新たな視点から見直す機会にもなると思う.Kraepelinが早発痴呆の疾患単位を導いた背景もうかがわれることと思う.
 Griesingerは,ヴィネンタール治療院で単一精神病論の提唱者とされる院長Zellerのもとで豊富な臨床経験を積んでいる30)32).そうした研修が基礎になって1845年,28歳の若さで『精神病の病理と治療』を上梓した9).それはまだ黎明期にあった精神医学に対し初めて科学的な装いのもとに体系化を施し,疾患横断的な形で急性期と慢性期の病態を区別するなど重要なパラダイムを提出した点で画期的なものであった.
 Pinelは『精神病に関する医学=哲学論』において第1種精神病「メランコリー」,第2種精神病「妄狂を呈さないマニー」,第3種精神病「妄狂を呈するマニー」,第4種精神病「痴呆もしくは思考の消滅」などと大づかみの疾患分類をしていた29).これとの関連でいえば,『精神病の病理と治療』はPinelの分類をある程度踏襲しつつ,メランコリーとマニーを「一次性感情障碍」,「痴呆もしくは思考の消滅」を「二次性精神衰弱状態」という形で新しい視点から踏み込んだ組み替えを施し,精神疾患分類の体系化を行った9).こうしてドイツ精神医学は,フランス精神医学に対し優位に立ち,世界をリードすることになったと言うことができる.第2版が1861年に刊行され,重刷を重ね,1865年に仏訳10),1882年に英訳14)がなされ,欧米また日本でもKraepelinの体系が導入される前に大きな影響力をもつことになった.その後,Kraepelinの体系が長く君臨しているという事情も手伝いGriesingerの理論がすっかり忘却されたままになっていた観がある.それも関係してか,邦訳(第2版)11)は遅れ2008年に初めてなされている.本論では,邦訳を再読する形で,必要に応じ原典にあたり,著者の関心に沿ってGriesingerの論点をいくつか確認・吟味し,今日的な意義を論じたい.なお,引用にあたり,一部必要に応じ原語を補足し著者の訳語を使用している.頁は原則,邦訳による.これは他の文献引用でも同じである.
 Kraepelinは,『精神医学』第5版において早発痴呆(dementia praecox)を,「内因性鈍化過程」により人格解体に向かっていく重篤な人格の病いと断定する22).それから100年以上が経った現在,たしかに重篤な経過をとる統合失調症事例が一部にあるものの,良好な経過をとる統合失調症が増えており,もはやこの硬直した捉え方は臨床的見地からは問題が多く,時代にそぐわなくなっている観を禁じえない.軽症化の要因として,社会・文化の変化に加え,薬物療法,社会療法の進歩を挙げることができるだろう.そこで現代において,一旦Kraepelinの体系を方法的に括弧入れして,柔軟性をもったGriesingerの病態理解に立ち戻ってみるというのが著者の基本的な問題意識である.もっとも,Kraepelinの最終的な洞察が示されているとされる「精神異常の現象形態」(Die Erscheinungsformen des Irreseins)*1と題された1920年の論考26)では,早発痴呆の疾患単位を相対化する幅広い考え方を提示していることも付け加えておかなければならない.

I.科学的精神医学(脳器質論)の提唱
 すでにいわれていることであるが,Griesingerこそ現代の精神医学の科学的方法論を最初に説いた学者で,『精神病の病理と治療』の冒頭で以下のように熱く説く11)
 「精神異常(Irresein)は病気,なかんずく脳の病気(Erkrankungen des Gehirns)である以上,それを正しく究めることができるのは医学以外にない」(p.13).
 「この問題の器官が脳にほかならないことが,生理学および病理学の事実によって示されるならば,精神病(Die psychischen Krankheiten)には常に脳の疾患を認めなければならない」(p.3).
 この主張の仕方をよく読めばわかるように,Austin(イギリスの言語学者)2)の発話分類に従えば,Griesingerによる「精神疾患は脳の疾患である」11)という定式は,生理学および病理学によってまだ十分な基礎づけを与えられていないので,事実の裏づけが首尾よくなされたうえでの事実確認的な発話(constative utterance)ではなく,あくまで留保がついた形で「私はこう考える」という行為遂行性の発話(performative utterance)にとどまっていることがわかる.
 DSM-51)は,第1グループに神経発達障碍,第2グループに統合失調症,他の精神病性障害,第3グループに双極性障碍を据えており,精神障碍を神経の障碍として分類していこうとする意図が感じられる.そこには,160年余り前にドイツで主張された精神医学の基本指針が押し進められ,診断分類に明瞭な仕方で具体化しているのは印象深い.しかし,現在の分子生物学の成果はなお分類の正当性を裏づける根拠が不十分で,やはり「われわれは,このたび精神疾患をこのように切り分ける」という行為遂行性の発話が多いことに変わりはない.

II.大学病院精神科・総合病院精神医学の提唱
 Griesingerが提出した精神疾患分類の最大の特徴は,疾患横断的に「治癒可能な急性期病態」(一次性感情障碍)と「治療抵抗性の慢性期病態」(続発性ないし二次性の精神衰弱状態)*2に二分する大分類で,治療的な問題意識が前面にでており,実践的である.著作の題名『精神病の病理と治療』に盛りこまれた「治療」の言葉は,治療こそ最終的にめざす目標であるとする思いがこめられていたことが推測される.後に述べるように,一般に慢性病態と位置づけられる二次性の精神衰弱状態そのものも一次性感情障碍との移行病態の要素もあり,決定的な判断は厳密には困難で,改善する可能性もあると説いており,柔軟性をもつ.Griesingerの体系にも二分法があると言ったものの,統合失調症と躁うつ病を二分したKraepelinの大分類とは,まったく異なる考え方に基づく.Kraepelinにあっては,『精神医学』の冒頭の「精神疾患の分類」の項目で,精神科における診断の要は「どのくらい先まで確かな見通しを将来に向かって開けるか,ということによって測られる」ことに求められる.「先の見通しを判定すること」,つまり予後の判断をすることが「実地的な要求」であり,これこそ精神医学の使命であるという考えを強調している23).「実地的な要求」は治療ではなく予後であるとする主張は,精神病は治らないとする悲観論に裏打ちされている.著者は研修医時代にこのくだりを読み,違和感を覚えた.
 実際,早発痴呆(統合失調症)は「精神的な人格内部の関連が独特の破壊を受け,感情生活と意志の損傷が主をなすような」内因性鈍化と把握され,明らかに予後不良な疾患と定義される24).早発痴呆を深いレベルの人格に特有な障碍であると見てとったのは,現代においても高い評価に価する創見である.しかし,早発痴呆の診断がつけられると,その患者の将来は期待できないとされてしまうことになるわけで,Kraepelinには精神鑑定的な姿勢が目立ち,治療的な観点に乏しい.
 多くの種類の新規抗精神病薬が開発された現代,精神科薬物療法はとりわけ統合失調症と双極性障碍,またうつ病の急性期いずれに対しても同じ薬が使用され,一定の効果を示している.この知見は,精神疾患を横断的に一次性感情障碍と二次性精神衰弱状態に二分するGriesingerの分類を支持するものといえるだろう.Kraepelinには早発痴呆において急性期と慢性期を区別する視点もなく,薬物療法による治療を考える点でもクレペリニズムの考え方は大きな問題をかかえているように思う.Janzarikが『精神医学の構造力動的基礎』(以下,構造力動論とする)15)のなかで何度も説いていることでもあるが,抗精神病薬は生命力動(Dynamik)*3の逸脱の是正に対し効果を発揮するのであり,その点では統合失調症や躁うつ病の急性期だけでなく,産褥性精神病やアルコール精神病にも効果的なのである.
 Griesingerは,精神疾患に対する治療的な視点を内に含んだ体系を提出した理論家である.しかも彼はそれを実現しようと努めた実践家でもあった.晩年の論文で,精神科医療について先駆的な提言をしている12).それまでの精神科施設を人里離れたところに作る伝統に異議を唱え,都市のなかに急性期の患者を治療する急性期病床を,つまり都市精神科病院(Stadt―Anstalt)を創設する必要性を説いた.家族の面会も容易になり,外泊もしやすいと指摘する.そこには24時間観察可能な観察室を設えることも説いた.大学病院精神科病棟(Klinik)を開設することの提案である.対象となる病態としてまず産褥性精神病(産褥性マニー,分娩後マニー)や急性アルコール中毒,振戦せん妄(飲酒マニー)などが念頭におかれており,『精神病の病理と治療』では「大都市の精神病院は,こうした短期の患者も入院させられるように設備を持つべきだろう」と提言し,ニューヨークの病院統計を引き合いにしながら,都市部の精神科病院には「予後のよい症例が集まる」と述べる(p.332~333)11)
 大学病院精神科を創設することで,他科との連携もでき,教育にも資することができると,精神科研修に関する提言もしている.実際,ベルリン大学に招聘されたGriesingerは,シャリテ病院内に精神科急性期病床を作っている.都市部,ひいては大学病院内急性期精神科病棟を創設する意義を強調するGriesingerの提案は,治癒可能性をもつ急性期患者を質の高い医療環境で治療する必要を説くものであり,精神科救急,総合病院精神医学,リエゾン精神医学の提唱に通じるもので,現代精神科治療を先取りした構想である.

III.Griesingerの大分類
 『精神病の病理と治療』において,精神病は第1グループ「感情および情動状態に関する病的状態」と,第2グループ「思考と意志の異常に基づく精神異常」*4に大きく分けられる.第1グループは,病態の基本が「一次性(感情的)異常」に求められ,治癒可能とされる(p.245~246)11).従来,英米圏でも感情障碍とされるうつ病,躁病が好例である.さらにこの体系にあって,一次性(感情的)異常のグループのなかに今でいえば初期統合失調症や急性期統合失調症も含められていると考えられる.
 事実,現代における臨床でも,初期統合失調症また急性期統合失調症は広義の感情障碍の様相を呈する事例が多いのではないだろうか.すでにConradは,名著『分裂病のはじまり』のなかで統合失調症急性期の経過において,「基底感情の亢進」が当初からあり,抑うつ,ないし躁の気分変動が認められることに周到な注意を払っている(p.224)7)
 また統合失調症の治療に力を入れるスイスの精神病理学者Ciompiは,「統合失調症慢性期は人工産物」であり,「統合失調症は感情障碍である」と明言し,統合失調症の病態の基本を急性期に見定める5)6).この考え方は,統合失調症をも一次性感情障碍と捉える布置をもつGriesingerの流れをくむものであることがわかるだろう.統合失調症慢性期が二次性の人工産物であるという見解は貴重で,いかに急性期を首尾よく締めくくるのかは,医師の技量にかかっているという含みがあるとも受け取れる.統合失調症の基本を認知障碍に求めるDSM-5には,残念ながら感情障碍の視点はなく,寛解に導くという治療的視点もない.
 現代においてGriesingerの大分類を評価し,精神病理学の理論を展開したのがJanzarikである.その著作『精神医学の構造力動的基礎』はなかなか難解であるが,序においてGriesingerとの系譜関係を次のように明解に述べている15)
 「本態性精神症候群の領域で,Griesingerが一次性と命名した原則回復可能な感情型障碍は,情動(Emotion)と推進(Antrieb)に拡張して,<力動の逸脱>として再び採用された」(Entgleisungen der Dynamik)(p.170)とした.また「二次性と理解された“残遺”は,人格構造の不全(strukturelle Insuffizienz)および生命力動の不全(dynamische Insuffizienz)に再現されている」(p.4)*3*5
 つまり,躁うつ病,統合失調症急性期を包摂する第1グループの「感情および情動状態に関する病的状態」は,Janzarikの構造力動論15)に照らせば,本来リズム性をもつ生命力動の逸脱によって特徴づけられる.疾患横断的に抗精神病薬が効果的なのは,生命力動の是正をする機能をもつからであるといえる.さらにいえば,躁うつ病に適用するとされる気分安定薬は統合失調症急性期にも効果を発揮する.気分安定薬はもともと生命力動の逸脱を是正する機能をもつわけで,この薬剤が統合失調症にも一定の効果を発揮することは,統合失調症急性期の病態が生命力動レベルの明らかな逸脱にあることの傍証となる.
 また急性の感情・情動障碍に続発する「二次性精神衰弱状態」である第2グループ「思考と意志の異常に基づく精神異常」は―これをJanzarikは「二次性と理解された“残遺”」と述べているのだが―,「情動状態とは無関係に存在」する慢性病態で,誤った思考や意志の障碍が際立ち,治癒は望めないとされる(p.245~246)11).慢性化した統合失調症における妄想,また無為,自閉などがその好例だろう.Janzarikの構造力動論の見地からいえば,病態の基本はまずもって生命力動レベルの変化ではなく,人格構造レベルの変化にあり,その広義の変形,解体に求められる.そのため薬物療法では大きな改善は期待できないものの,支持的精神療法,作業療法など非薬物療法は一定程度の効果をもつ.
 ここで,Kraepelinが早発痴呆の疾患単位を導くに至った事情を,Griesingerの体系の側から少し論じておきたい.1つには,早発痴呆は急性期後に二次性精神衰弱状態が際立った一連の事例があることに注目して案出された記述概念とみることができる.たしかに統合失調症は病態の根が深いだけに続発性の精神衰弱をきたしやすく,その程度も重いことが少なくない.
 早発痴呆の成立に関するもう1つの見方として,早発痴呆は,Griesingerが二次性とする精神衰弱・痴呆状態が感情障碍を呈する前に早期に,あるいは感情障碍なしに早期に出現する一群の事例があるという認識をもとに導かれたとみることもできる.そうすると,Griesingerがいう精神衰弱・痴呆状態は必ずしも二次性ではなく,一次性の精神衰弱・痴呆状態もあるというのがKraepelinの着眼となる.たしかにそうした事例は少なくない.この点ではKraepelinによる早発痴呆の概念は,Griesingerの体系に対する批判のうえに導かれたといえる.
 Kraepelinの真意は精神衰弱・痴呆状態が感情障碍に先立たれることなく早期に出現するという後者の見方にあるとみるのが正しいかもしれない.Kraepelinによるパラノイア概念の導出の仕方がその傍証となることだろう.彼は,『精神医学』においてパラノイアについて何度も考察しているが,最初に論じた第3版から一貫して,「以前グリージンガーによって主張された見解によると,偏執狂は常に,それに先行する情動性障碍の続発的な段階であるとみなされていたが,スネル,ウェストファール,ザンダーの諸研究によってはじめて『原発性偏執狂』が特別な病型として一般に認められるようになった」(下線著者)と,原発性パラノイアの存在を主張していた21)
 要するに,Griesingerは一次性感情障碍に引き続いて固定した妄想の出現があると考えるのに対し,Kraepelinは感情障碍なしに一次性に固定した妄想が出現する事例があるという見解をとる.これと似た論法で,Kraepelinは,感情障碍に先立たれることなく,いわば一次性の精神衰弱状態が出現する事例が存在することを踏まえ,早発痴呆の概念を導いたと考えることができるだろう.付け加えておくと,少なくとも初期のパラノイア概念のなかには後に早発痴呆に組み入れられた事例も多数含まれていた.なお,Griesingerは最晩年(亡くなる年,1868年)の講演で,Snellの見解を受け入れ原発性妄想症(Primäre Verrücktheit)の存在を認める発言をしていることも付け加えておかなければならない13).それは,Kraepelinの主張を先取りする考え方の表明で,それまでの彼の体系を一部覆すものである.だからといって,本論で焦点をあてるGriesingerの大分類の意義が失われることはない.
 ところで,Kraepelinは躁うつ病については,Griesingerの言う「痴呆」を含む精神衰弱の出現について一言も述べていないように思われる.しかし,現在の臨床においても慢性化した際に,人格水準の低下が生じ,かつてのパーソナリティがすっかり変わってしまう事例が散見される.その点でGriesingerの見解は正しく,躁うつ病でも,二次性精神衰弱状態の出現をみる事例は稀ではない.二次性精神衰弱状態は,統合失調症であれ躁うつ病であれ,薬物療法の効果はなかなか得にくい.それは,主要病態が人格構造の変化にあるためである.

IV.うつ病,躁病についてのGriesingerの示唆
 Griesingerがうつ病,躁病について述べていることは,現代における臨床にも有益な示唆を与えるものが多い.一部とりあげる.

1.「精神的抑うつ状態―抑うつ(Schwermuth)またはメランコリ―」(p.247)*6
 「精神的抑うつ状態」(Die psychischen Depressionszustände)は,「精神の落ち込みとそれに伴う脳の過程に由来する無動状態や衰弱状態だけを意味するのではない」「非常に活発な脳の刺激状態と精神的な興奮が,その基本にあるように思われる」(p.247)11)と述べ,抑うつの病態の基本は「脳の刺激状態,精神的な興奮」であると指摘する.たしかに特に内因性うつ病では,さまざまな心配が堂々巡りをして精神活動は普通より過活動になっている.制止,ひいては混迷の出現は,これが下地にあってのことであると解したほうが理にかなっているように思われる.薬物療法においても,内因性うつ病の薬物療法では伝統的には鎮静系抗うつ薬(三環系抗うつ薬,アモキサピンなど)また少量のペルフェナジンなどの抗精神病薬が効果的である.また今日ではうつ病にも適用が認可されている新規抗精神病薬が増え,実際に効果的である.
 メランコリー患者が示す特徴的な身体運動の異常に注目して,2つ挙げられる.1つは不安・焦燥・不穏で,次のように述べている11)
 「内的な不安が身体的な不穏状態として現れる(メランコリア・アギタンス)」.メランコリア・アギタンス,つまり焦燥の強いうつ病は今日でも多いところである.「心の中では妄想的な考えが駆け巡っていることが多い」「それはあくまで単調で,交替性に乏しい」(p.268).この指摘は,メランコリーにおける同じ内容を繰り返す堂々めぐりの不安や妄想の特徴を言いあてており,話す内容が目まぐるしく変わっていくマニーの場合の不安また妄想とは対照的である.
 「患者は落ち着きなく動き回り,泣いたり,もみ手をしたりする」「ときに徘徊の傾向をみせ,遠方の親類や友人のところまで行ってしまうこともある」(メランコリア・エブランダ)(p.268)11)
 メランコリア・エブランダ,つまり徘徊性メランコリーは,焦燥性メランコリーの病態の延長線上にある病態を指し示す呼称と考えられる.著者が外来で診ていた(罪責妄想を主題にもつ)妄想性うつ病の患者が,突然駅まで20分ほど一人で歩き,電車で2時間以上かかる実母の家に行ってしまうことがあった.この行動は著者には「うつ病でこんな動きをするのか」という新鮮な驚きであったが,うつ病概念が提出される前にGriesingerが周到に記述しているのである.「遠方の親類や友人のところまで行ってしまう」行動は,すでに双極性・混合状態を呈しているとみるべき病態で,この特徴が的確におさえられている.
 メランコリー患者におけるもう1つの特徴的な身体運動が,緊張病性昏迷へと至るもので,次のように記述している.「動きが遅く,のろのろした動作となり,臥せがちとなる」.これが進むと「硬直したまま,まるで彫像のように動かなくなることもある」「関節は硬く,ほかの姿勢をとらせようとすると,かなりの抵抗がみられる」「逆に抵抗なく手足を曲げたり動かすことができても,動かされたままの姿勢をとり続けることもある(カタレプシー状態)」(p.268)11).これはメランコリーにおける緊張病性昏迷の記述である.統合失調症性の緊張病が入っている可能性も否定できないが,Griesingerは,メランコリーにおけるそうした身体運動の変化は「悲痛な感情によって特徴づけられる」と指摘していて,気分に一致した変化であることをしっかり指摘している.仮にDSM-5における抑うつ障害群に対する特定用語を使って著者が特徴づけると,「気分に一致する」運動変化,ひいては緊張病といえる.
 突発性メランコリー(Raptus melancholicus)の例として,「それまで健康そうにみえた人に突然自殺衝動が湧き起こってくることもある」と自殺も挙げる(p.293)11).高齢者に突然の自殺企図が生じると,認知症をまず考える風潮が出ている現在,突発性メランコリーの概念は忘れられているように思う.
 メランコリーにおける妄想については,その特徴を「受身性,受苦,圧倒性」にあると的確な指摘をしている(p.265)11).受身性・受苦の特徴は,人間学―現象学的立場からなされた内因性うつ病の中核病態として論じられている「苦悩の重圧」ないし「他なるものの重圧」を,自らに課されたものとして背負い込んでしまう主体変容のあり方を先取りしたものといえる19).妄想内容では,罪責妄想に力点がおかれ,付随的に被害妄想や幻覚が出現することが述べられている.
 先にメランコリーにおける運動異常について,気分に一致していることを指摘していることにふれたが,妄想・幻覚についても「悲痛な感情変化の特徴を強くもって現れる」と,気分に一致している性質をもっていることをここでも指摘している.つまり,DSM-5でいえば,「気分に一致する精神病性の特徴をもつ」病像ということになる.

2.抑うつとマニーの中間状態・移行病態への注目
 Griesingerによる一次性感情障碍についての記述で興味深いのは,絶えず抑うつとマニーの中間状態,ひいては混合状態に注意が向かっていることである.
 「単純型メランコリーの経過は,ときに非常に急速である」「マニーにまで高まる不安を伴う悲痛な感情変化が先行し,ときに挿間する」(p.271)11)
 「マニーへの移行や,抑うつ(Schwermuth)とマニーとの交替は,ごく一般的に認められる」(p.271)11)
 このように双極性の病態について述べる際,躁うつ病ないし双極性感情障碍の臨床単位を提唱したFalretによる「循環性精神病」が先行文献として引用されている(p.271)11).フランス学派の影響下にGriesingerは,より精緻な臨床観察に根差した病態論を展開したと考えられる.著者の理解では,Griesingerは,抑うつないしメランコリー自体がマニーの要素を内在的にそなえ,抑うつとマニーの間での微細な動きをみせるたえざる揺らぎのなかにあって,あるときは一気に病像が急変すると診ていたことが推察される.
 メランコリーで「目につくものをすべて破壊しようとする盲目的な衝動が発生」すると,それは「明らかに狂躁の一型」であるとする理解もそのよい例である(p.301)11).こうした病態理解は,穿ってみるならGriesingerが躁うつ病の臨床単位を暗黙の裡に想定していたことを考えさせる.
 Kraepelinは『精神医学』のなかで,躁うつ病につき「躁うつ病の様々の形のものに属する多くの症例を詳しくみていくと,今まで区別した諸基本型,すなわち躁性興奮と抑うつの間に多くの移行がみられる」と躁性興奮と抑うつの間の移行病態を強調している25).この診立てはGriesingerの見解を継承したものであることがわかる.

3.抑うつにおける「痴呆」
 Griesingerは抑うつ,ないしメランコリーにおける「痴呆」(Blödsinn)について,次のように慎重に論じている11)
 「感情鈍麻を伴う抑うつ」が観察され,「抑うつに伴う落ち込みは外見上感情鈍麻と区別しにくい」 「落ち込み状態がきわめて高度になると,外見的に痴呆と区別しにくくなる」と重要な指摘をしている.さらに「軽度の痴呆へも移行することがある点で,その予後と治療上の誤りを犯しやすい」とも述べる(p.286).ここで問題にされる二次性精神衰弱状態における「痴呆」はまずもって知性(Intelligenz)の障碍とされる.「知性」の障碍は,具体的には感情表出が乏しくなる,意志発動が乏しくなる,また認知能力が低下するなどのパーソナリティ機能の包括的な不全を指すように思われる.したがってこの鑑別上の指摘は,一次性感情障碍による豊かな感情性をもつ抑うつと,感情鈍麻を呈する二次性精神衰弱状態の区別が難しく,判断に慎重を要すること,両者がそれぞれ移行的な中間段階にある可能性もあることを言い表しているものと受け取れる.この洞察は臨床的に重要である.
 たしかにメランコリーの急性期後,まったく精彩を欠いた状態が続き,単なる遷延と診るのか,あるいは二次性の慢性的なパーソナリティの不全が生じたのか迷うことがある.罪責妄想,被害妄想を呈するメランコリーで「痴呆」状態が続けば,むしろ統合失調症と診たほうが適切な事例もある.参考までに,抑うつ状態における「痴呆」においてGriesingerは「感情鈍麻」という表現を使用しているが,Kraepelinが早発痴呆における特有な感情表出の変化を特徴づける術語こそ感情鈍麻である.いずれにしてもGriesingerは,メランコリーにおいて仮性の(二次性)精神衰弱だけでなく,真正の(二次性)精神衰弱のいずれも出現することを指摘しており,現代の臨床に照らしても正鵠を射たものである.
 そして,メランコリーにおける仮性(二次性)精神衰弱と真正の(二次性)精神衰弱との鑑別点は,メランコリーでは「ただその目つきだけは「痴呆」患者のそれと違って,なお悲痛な感情,不安,内向的なおののきを表現している」ことに求められる(p.286,鍵括弧は著者補足)11).メランコリーでは仮性(二次性)精神衰弱でも「悲痛な感情,不安,内向的なおののき」といった特徴的な感情が保たれていることを指摘しているのであり,的確な臨床眼である.
 『精神病の病理と治療』には老年期認知症の独自の項目がなく,老年痴呆(senile Blödsinn)は精神衰弱であるとして,精神衰弱状態の項に入れられ一緒に記述されている(p.356~357)11).したがって,高齢者における抑うつと真正の認知症との鑑別も同じ診かたが妥当するとみてよいだろう.たしかに,うつ病において認知機能の「低下」をきたす仮性認知症は認知症と誤診されやすい一方,経過を追うと,認知症に移行する事例もある.そうした臨床観察をふまえ,著者ら20)は「うつ病―認知症移行(中間)領域(depression―dementia medius)」の記述概念を提出しているのだが,Griesingerにもこの診かたが伏在的にあったといえるだろう.

4.メランコリーの転帰
 メランコリーの転帰につき,長期にわたって持続するメランコリーの場合,「昏迷状態が現れたり,精神的衰弱状態や中等度ないし高度の痴呆へと移行するものもある」と述べる(p.273)11).この点は,(精神的)抑うつ状態における「痴呆」という問題ですでに少し論じたところで,そこではメランコリーと二次性精神衰弱の中間にある移行病態もあり,二次性精神衰弱の診断は慎重にすべきであるとGriesingerは説いていた.そうはいっても,メランコリーに引き続き,活気がない状態が続くといった真正の二次性精神衰弱状態が出現することは現在の内因性うつ病でも生じる病態といえる.別の転帰として「妄想症(Verrücktheit)に近い状態」あるいは「妄想症そのもの」が挙げられる11).メランコリーに引き続く妄想症として次の事例が紹介されている.
 「患者は毒をもられるとか,陰謀が企てられるとか,電気にかけられているなどの妄想を口にし,治癒傾向はほとんどない」(p.273)11).この事例は,統合失調症とみるべきだと考えられる.もし高齢になって提示事例のような被害妄想が出現しているなら,高齢初発統合失調症と診るのがふさわしいと考えられる.

5.「精神的昂揚状態(Die psychischen Exaltationszustände)―マニー―」(p.313)―「自我周辺」が侵される狂躁と「自我深部」が侵される妄想性興奮―
 Griesingerの言うマニーについて少しみておこう.①運動性興奮と「精神的激しさによって次から次へと入れ替わり,錯乱し,恒常性を保つことはない」狂躁(Tobsucht)と,②「患者は表面的には静かに見える」こともあり,「持続的な誇大感情が生まれ,妄想へといたる」妄想性興奮(Wahnsinn)に大別されている.とはいえ,「両者は厳格な意味で互いに密接に連関し合い稀ならず交互に移行し,さらに断片的に混合した状態にもなる」(p.311)11)と,ここでも相互の移行状態・混合状態があることにも注意を促す.
 狂躁の基本病態は「精神的エネルギーが衝動の赴くままに増大」することに求められ,これが「直接運動器官へと伝達」し「持続的な筋肉運動(発語,表情,体全体)が起こり,喋ったり,騒いだり,跳ねたり,暴れたりする」.Janzarikの理論でいえば生命力動の拡大の事態といえる.障碍は「精神生活の比較的周辺の領域においておかされる」と述べる11).狂躁では,自我深部ではなく,自我周辺が侵されると診る視点は精神病理学的に重要な洞察といえる.
 狂躁において双極性気分変動が生じることも指摘している.
 「興奮と無動,充足と空虚といった気分状態は,非常にしばしば交替」し,「癒楽から悲哀へ,反抗から無抵抗へ,無関心から激しい反応や嫉妬状態へ,不安状態から自信過剰へ」といった極端な変化が生じる.この病態の「最大の特徴は,錯乱(Verworrenheit)」であると明言される11).したがって,Griesingerが狂躁(Tobsucht)というとき,錯乱性躁病がモデルとして考えられていることがわかる.DSM-5でいえば,「混合性の特徴を伴う躁病エピソード」ということになる.今日,多弁,多動を主要標識とする躁病に比べ,それよりも重い病態がマニーの1つの類型とされている.そこでの気分変動は「何の動機もなく起こり,外部からの精神的介入によってそれを中断させたり,静穏化することは一般に不可能」である(p.317)11).もはや主体の制御を超えた激しい気分変動は,躁うつ病における内因性病態,Janzarik15)の構造力動論でいえば生命力動の自律化を言い表していることがわかる.
 妄想性興奮(Wahnsinn)においては,「妄想が精神生活全体を支配」し,「特定の妄想観念の形で意志の逸脱」,つまり妄想の影響を受けた問題行動が生じる.「不可能な発明計画を抱く」「(自分は)ナポレオン,億万長者,大改革者,神,英雄,国王」(p.341)11)などの妄想また幻覚が出現する.被害的妄想は挙げられていないのだが,狂躁においては,「精神生活の比較的周辺の領域」しか侵されていないのに対し,妄想性興奮では,障碍が「自我深部にまで及んでいる」「精神の深奥部を疎外し,改竄してしまう」(p.312)11),「思考が病的に変化している」と述べる.「自我深部にまで及ぶ障碍」「精神の最奥部の疎外,改竄」「思考の病的な変化」という把握は,訂正不能な妄想が持続し,本来の判断能力が著しく損なわれている病態が出現していることを語っている.そうすると,Griesingerは,躁病のレベルを超えた病態,つまり(妄想型)統合失調症にあたる病態を想定していると考えられる.
 狂躁状態の経過に関し,「狂躁が回復せず,精神病がさらに進行していくと,二次性の精神的衰弱状態へと移行」「痴呆症状を呈し,時に焦燥」が続発すると述べる(p.327)11).たしかに躁病ないし躁うつ病においても,まったく覇気がない状態が続く,パーソナリティ機能不全をきたすなど二次性の精神的衰弱が出現することも稀ではない.興味深いことに,「妄想性興奮の患者でも治癒はありうる」とはっきり述べる(p.344)11).これは妄想型統合失調症でもいえることである.
 「治らない場合には,患者は妄想性興奮特有の気分昂揚状態にずっと留まるということはなく,興奮や昂揚は次第に消えてゆき,固定化した妄想観念だけが残遺する」「あるいは痴呆段階へと進んでゆく」(p.345)11).残遺性妄想や人格水準低下などからなる二次性精神衰弱の出現は,妄想型統合失調症にあてはまる経過である.
 Griesingerは,狂躁と妄想性興奮は「同一の精神的過程から生じたもの」と断定的に述べる.しかしながら他方で,狂躁と妄想性興奮では精神生活において侵される場所に違いがあることにも注目し,狂躁では「精神生活の周辺領域」,妄想性興奮では「自我の深部」がそれぞれ侵されると明言している.Kraepelinが「自我の深部」が侵される妄想性興奮に独特な病態があると診て早発痴呆の疾患単位を導いたことをふまえると,Griesingerにもすでに類似の診かたがあったことが推し量られ興味深い.
 この点はJanzarik自身は述べていないことだが,構造力動論15)また著者が展開しているネオグリジンガリズム18)の見地にひきつけていえば,Griesingerは人格構造の視点から,「精神生活の周辺領域」が侵される単なる精神昂揚状態(マニー)と,「自我の深部」が侵される精神昂揚状態(マニー)の病態を区別する姿勢を示したのである.ただしかし,彼の体系にあって両者は精神昂揚状態(マニー)に包摂される.それは生命力動の視点からの見解と受け取れる.つまり,生命力動の逸脱という点では両者は連続すると診ていたと理解できるだろう.この意味でこそ,狂躁と妄想性興奮は「同一の精神的過程から生じた」とGriesingerは論じたといえるかもしれない.このようにみると,彼の精神医学体系は,躁うつ病急性期と急性期統合失調症は,人格構造のレベルでは段差がある一方,生命力動のレベルでは連続しているという診かたを内に含んでいることが示唆される.それは,著者がJanzarikの構造力動論を踏まえつつFreud―Lacanの観点をとりこみGriesingerの精神医学体系の脱構築を試みるネオグリジンガリズム18)に通じる観点にほかならない.
 Griesingerの体系を単一精神病論だとして,批判する向きもあったが,このようによくみるとそう単純ではないことがわかるだろう.単一精神病の提唱者とされるGriesingerの師,Zellerは,すべての精神病は,①うつ状態(Trübsinn,Melancholie)から始まり,次いで,②躁状態(Tobsucht,Manie),③妄想症(Partieller Wahnsinn,Paranoia),最後に,④痴呆(Amentia,Dementia)へという病態を段階的に経る途上に位置するとみた30)32).精神病が「単一」なのは,疾患横断的に同じ経過をたどる布置をもつという意味で解することができる.この点では,GriesingerはZellerの学説を継承し,単一精神病論に与するといえる.しかし,Griesingerの体系は臨床により密着した繊細な精神病理学的観察に裏づけられ,病態の共通性だけでなく,質的違いにも十分配慮しており,多種多様な精神病を単一(Einheit)とする視点ではおさまりきらないと著者は考える.単一精神病の概念については議論が錯綜していて,混乱があるように思う.この点については,Vliegen, J. による『単一精神病 歴史と問題』30)と題した著作が啓発的である(p.31).

V.精神衰弱状態(Die psychischen Schwäch―ezustände)― 一次性感情障碍としての躁うつ病と一次性言語の病理としての統合失調症―
 最後に,一次性感情障碍に続発するGriesingerのいう二次性精神衰弱状態について論じる.そこでは,「感情や思考の障害はもはや明瞭ではなく,知性そのものの障害がその基礎に存在」「思考エネルギーの消失に基づく特有の痴呆」「精神運動の減弱,意志エネルギーの消失,感情活動の減弱,反応性の乏しさなど」が生じ,「精神生活の完全な消失にまで至る」と述べる(p.354)11).「特定の妄想観念に固執」がみられることもあり,「残り少ない精神力がそこに集中」する(p.354).「一次性疾患群の残遺状態」とも表現されるこの病態は,Kraepelinによる精神医学体系以後は主に統合失調症の慢性化病態にあたるものである.ドイツ精神医学においてよくいわれた欠陥(Defect)状態である.それはパーソナリティの質的変化,またパーソナリティ機能の質的変化を言い表す.
 この質的変化に関し,Griesingerは実に精緻に段階的に記述している11)
 「最軽症精神的衰弱症」は「マニーの回復期に現れる」もので,「感情は再び穏やかとなり,思考や判断も正常化」「記憶力もほとんど問題なくなる」「会話もまとまって理解可能となる」.しかし,「病前の健康な人格とイコールではない」と病前と比べ,パーソナリティそのものの変化をきたしていることに注目する.
 「生き生きとした精神がどこか失われ,輝かしい部分がなにか擦り減ってしまったようにみえる」「以前にあった繊細で審美的な感情,高尚なものへの興味,人としての美しさや気高さのようなものがみられない」「生き生きした表情や人間らしさが全体として鈍感,痴呆,動物的な低さへと変化している点で,何らかの根本的な病変を想定させる」(p.358).
 なかなか細かな描写である.マニーと包括される急性期精神病が経過した後,患者に実際に会い,話をして初めて,生き生きした表情や人間らしさが全体として失われていることがわかる.それは患者を前にした医師の印象に基づいており,人間学的観点からなされている.このパーソナリティの変化は,統合失調症の患者を前にした医師が,患者との疎通性が成り立たず,いかんともしがたい壁にぶつかるといった印象を記述したプレコクス感に似て,現象学的直観により導かれているといえる.うつ病や躁うつ病でも,慢性化した経過をとるもので,この種の精彩を欠くパーソナリティの変化が出現することもある.
 「精神的衰弱状態における最軽症型痴呆」では,「単調で機械的な仕事はこなすが,素朴で感覚的な欲求を満たす以上のことは何も望まない」「こうした状態のまま精神病院から退院すると,新たな精神病に陥ったり,鈍感さがますます亢進してゆく危険性がある」「療養院に移れば,彼らはしばしば長期にわたり安定して比較的健康で穏やかな人生を送ることができる」などと述べる(p.358).パーソナリティ機能のかなりの質的な狭まりが生じるこの段階の二次性精神衰弱は,躁うつ病でも時に認められるのだが,主には統合失調症で認められる病態だろう.
 「精神的衰弱状態における高度痴呆」では,日常生活への適応能力が著しく低下した状態で,「高度で繊細な精神領域だけでなく,すべての領域で鈍感さが進行し」「精神生活はちょうど子供のような特性を帯び,抽象的思考能力は失われる」.この段階の重篤なパーソナリティ機能の低下をきたす精神衰弱は,後天性痴呆にほかならず,統合失調症に特徴的な病態といえるだろう.
 他方でGriesingerは,二次性精神衰弱の類型のなかに「奇妙で固定した妄想観念だけが残遺して持続的に現れる」「部分的妄想症」(partielle Verrücktheit)があることを4つの種類に分けて記述している(p.359)11).これも統合失調症の病態にあたるものと考えられる.
 「部分的妄想症1」の項目では,「ひとたび思考が昂揚してマニーの状態になると」「神,三位一体,大改革者,預言者,神の使い,永久機関の発見者,自然界の支配者」などになる(p.362)11).この「昂揚した妄想」の記述からして,一旦急性期が経過して慢性期に入って,再び妄想が賦活することが述べられている.かたや「消極的で抑うつ的な妄想」もあり,「外部から支配されて苦しめられる妄想もある」「迫害,陰謀に巻き込まれる,見えない敵から電波を送られる」.いずれも統合失調症に特徴的な妄想である.
 「永劫の罰に処せられる」「全財産を失う」という妄想も部分妄想症として記述されている(p.364)11).これは,現代からすればうつ病(メランコリー)における妄想〔(コタール症候群の性状をもつ)罪業妄想,貧困妄想〕ということになる.これらの妄想は,急性期に出現してもおかしくない妄想である.ただし「永劫の罰に処せられる」という罪業妄想は,慢性化して続くことが少なくない.
 「部分的妄想症2」の項目では,妄想が自動的な発展をみて,妄想体系の形成されていく病態を描く.
 「妄想はあらゆる事柄と関連づけられ,半ば自動的に発展している」.「一つの誤った中心から,すべての誤りが派生し無意味な思考のシステムが,あらゆる人間関係や道徳的判断にまで浸透する」(p.363)11)
 Griesingerにあって,この妄想形成がメランコリー,あるいはマニーという一次性感情障碍に引き続いて出現するというのが,肝要である.すでに述べたように,Kraepelinは妄想症(パラノイア)を論じるにあたり,感情性の変化なしに原発性妄想症(パラノイア)が出現するとしてGriesingerの見地から距離をおいた21).感情性の変化が先行するか否かは,両者の決定的な相違点である.ただしすでに指摘したように,最晩年(亡くなる年,1868年)の講演で,原発性妄想症(Primäre Verrücktheit)の存在を認める発言をしており,最終的にはKraepelinの見解につながる立場もとっていることに留意したい.
 ここで,著者の問題意識から統合失調症と躁うつ病の精神病理について議論を深めておきたい.Freud―Lacan27)の精神分析の見地に立てば,妄想体系化の動きは,無意識の論理による自動的な妄想形成と理解できる.妄想産生の主体は無意識である.それは,言語そのものの自動的な動きとみることができる.いわば言語自動症(精神自動症)を基本病態にして妄想形成がなされるとみることができる.この場合,言語により妄想が出現ひいては結実して,二次性に「気分の高揚といった感情の変化がもらされることもある」.こうみると,統合失調症では,一次性言語の病理から始まり,二次性に感情障碍が出現しているという診かたが成り立つ.このように言語に特化した考察はJanzarikにはない.この点で著者が展開しているネオグリジンガリズム18)は,Janzarikの構造力動論を押し進めた構想である.
 精神病を理解する際に,「感情が先か,言語が先か」という標識に注目して,あえて対比的にやや誇張して区別するなら,躁うつ病においては感情の変化が一次性に生じているのに対し,統合失調症では,うつ状態や躁状態が出現することもある前駆期は別にして,顕在発症の時点に限るなら,言語の病理が一次性に生じているとみるのが適切といえる.「早発痴呆」に代わって「精神分裂病群」の呼称を提唱したBleuler, E. は,精神分裂病群(統合失調症)の基本病態を連合弛緩に求める.連合弛緩は,言葉がうまくつながっていかない事態を指している4).それはシニフィアンの連鎖の障碍で,一次性の言語の病理にほかならないと捉えなおすことができるだろう.
 その際,同時に生命力動の変化が統合失調症急性期で生じていることも指摘しておかねばならない.そこでは,言語の病理に触発されて,生命力動の逸脱が生じ,この事態がさらに言語の病理を促進させる効果をもたらすとみることができる.したがって抗精神病薬をはじめとする薬物療法は,二次性に出現する生命力動の逸脱の是正に,さらに言語の病理の進行をおさえるのに有効であるといえる.要するに著者は,統合失調症急性期における(Griesingerのいう)一次性感情障碍,あるいは(Janzarikのいう)生命力動の逸脱を,一次性言語の病理に触発される形で生じると考えたい.
 さて再びGriesingerの臨床記述に立ち戻りたい.「全般性妄想症 錯乱症の段階」とされる「部分的妄想症3」の項目では,意味不明な「独自の言葉を作り出して妄想を語ったりする」言語新作の事象が挙げられる.「そこで幻覚が存在すると,言葉はいっそう意味不明なものとなる」とも述べる(p.363)11).この場合の幻覚は,言語新作に付随する言語性幻覚,つまり意味不明な内容の言葉が聞こえてくるという幻聴が念頭におかれていると察せられる.意味不明な言語新作やそれに関連する幻覚の出現は,「精神衰弱の進行」を示唆するとみる.これらの病理は知的な解体であるという判断からであると思われる.とはいえ,統合失調症急性期においても意味不明で謎に満ちた言語新作を内容にした幻聴が出現することもある.これが核になって妄想が形成されていくこともある.そのような統合失調症でも,言語の病理が一次的で,これに巻き込まれる形で生命力動の逸脱が生じていると理解できる.
 「部分的妄想症4」の項目では,「幻聴の声と言い争ったりする」対話性幻聴が挙げられる.行動面では「もっとも軽い場合でも,一種のひねくれや不自然さに満ちている」と記述される(p.364).ひねくれ(Verschrobenheit)は,現象学的精神医学を代表するBinswanger3)によって,統合失調症あるいはいまだ顕在発症はしていない統合失調病質に特有な現存在のあり方とされたもので,慢性期に限って認められる身体の態勢ではない.「首をかたむけて幻聴に聞き入っている」姿も挙げられるが,幻聴に聞き入るのは,患者において主体の意志とは無関係に言葉が勝手に自動的に喋る言語自動症が生じていること,つまり言語の病理が一次性に生じていることを示唆する.この現象も,慢性期に限ったことではなく急性期にも生じる.
 妄想から無気力の状態に陥っていく経過も記述されている.「患者はおしなべて妄想に凝り固まってゆき,徐々に患者の思考の全領域が犯され,ついには錯乱または無気力性の痴呆へと至る」(p.365)11)
 精神的衰弱の1つの型として挙げられる(部分的)妄想症(Verrücktheit)のこの経過は,著者の見地からすると,一次性の言語の病理が患者を支配し,その結果,パーソナリティが解体していくことを述べていると理解できる.これも統合失調症に特徴的な病態を描いていることがわかる.
 以上のように,Griesingerが一次性感情障碍に続発する形で出現すると構想する二次性精神衰弱状態は,統合失調症の病態にかかわるものがかなり多いことがわかる.今日からみれば統合失調症に特有な精神衰弱状態も記述されている.さらに一次性感情障碍と二次性精神衰弱状態の二分法に関し,Griesingerはかなり慎重に「部分的妄想症」を例にとり次のように述べている11).「この(部分的妄想症の)終末状態と初期状態とのあいだに,非常に多くの移行段階がある」「患者がまだ移行段階にあるのか,あるいは,ここでいう精神的に衰弱状態に入っているのかの判別には長い観察期間を要す」(p.355,括弧内著者補足).
 二次性精神衰弱状態のなかには可逆性のものもあることを,Griesingerは指摘しており,診断的に重要である.たしかに,躁病の後,どうも人が変わってしまったみたいで,パーソナリティの変化をきたしたという印象を禁じえない事例で,さらに時間が経過すると,もとのように精彩を放つ深みのある人柄が戻ってくることもある.あるいは,統合失調症で華々しい幻覚,妄想の消退後,すっかり自発性を欠き,もぬけの殻になってしまった状態が出現することがある.これをもって慢性化が始まったとする判断をされかねない「痴呆」の状態である.この点は,メランコリーの項でも「痴呆」との鑑別の問題として論じた.
 繰り返すと,「痴呆」の状態は経過を追っていくと,すっかり消え,すっかり元気になる事例がある.それは急性期消退後の「急性期後疲弊病相」28),「寛解時低迷病相」(p.78)16)などと命名された基本的には可逆性の病態である.ICD-10で統合失調症の亜型分類のなかに挙げられる「統合失調症後抑うつ」31)はこれらに通じるもので,Griesingerでいえば可逆性の二次性精神衰弱状態とみることができる.そうした可逆性の精神衰弱状態は,リズム性を基本的には備える生命力動の内因性の動きのなかにあるといえる.

おわりに
 総じてGriesingerの精神医学体系には,精神病理学的な深い洞察のもとに病態の質的固有性に注意を払いつつ,病態を流動的に捉える視点が一貫してあり,しかも治療的な要素が内在している.これに対しDSM-5では,統合失調症の経過分類に関する特定用語のなかに「初回エピソード完全寛解」「初回エピソード部分寛解」など,寛解の術語が明記されているものの,「症状の発展と経過」の項目では,精神病後抑うつを経て寛解していくといった類の言及があってもよいと思うのだが,急性期後いかに寛解していくのかについて一言も論じられない.またDSM-5のなかの「抑うつ障害群」の記述のなかにも,統合失調症後抑うつ,あるいは精神病後抑うつにあたる分類はないようである.
 DSM-5における統合失調症の経過記述に関して注意を引くのは,DSM-5では認知障碍がずっと持続していることが強調されている点である.「認知機能の変化は精神病症状の出現に先立って発症の段階ですでに存在し,成人期には固定した認知障害の形態をとる.認知障害は他の症状が寛解しているときにも持続し,本疾患による能力障害に影響することがある」(p.102)1)
 このように統合失調症を病前から発症そして慢性期まで終始,認知障碍と捉える視点には,動的視点が欠け,治療的展望がまったくない.それは統合失調症を新たな「神経認知障碍」とみなす姿勢にさえ通じるわけで,Kraepelinによる現代版の「早発痴呆」と言われてもおかしくない硬直さがうかがわれる.これに対し,Griesingerには生命力動の自律的なリズム性を尊重する姿勢があり好感がもてる.分子精神医学では疾患横断的な関連遺伝子が多数特定され,薬物療法も疾患横断的な見地を支持している現在,あらためてGriesingerの創見を見直す時期に来ているように思う.
 抑うつにおける「痴呆」の項で,「うつ病―認知症移行(中間)領域」の考え方に言及した.これに関連していうと,Griesingerの精神医学体系は,抑うつとマニー,あるいはまた一次性感情障碍と二次性精神衰弱の間などの移行(中間)病態を主題化しているといえる.それは,こう言ってよければ「抑うつ―マニー移行(中間)領域」「一次性感情障碍―二次性精神衰弱移行(中間)領域」などとディメンジョナルの観点を徹底させたもので,そのため治療的なしなやかさをそなえる.
 これに対し,Kraepelinの体系はカテゴリーの観点を徹底させようとした行為遂行性の言語行為といえる.彼が創出した2つのカテゴリーにも理があり,これは突き詰めると,それぞれ特徴的な人格構造にかかわる切り分けに由来すると著者は考える.このことを踏まえ,躁うつ病の基本は一次性の感情障碍であるのに対し,統合失調症の基本は言語自動症をはじめとした一次性の言語の病理であると捉え直した.この点で躁うつ病と統合失調症は質的に異なる.より正確には,統合失調症は言語の病理を特徴とするゆえに,感情の病理を特徴とする躁うつ病に比べ上位に位置する.論理的に厳密に言うと,カテゴリーという点では同列にはないので,同じ地平で論じるのはカテゴリー錯誤になる.
 この考え方については,『分裂病のはじまり』のなかでの次のConradの説明がわかりやすいだろう.「『X氏の統合失調症は内因性うつ病で始まった』というのは,誰も反対できない正しい定式化ではないだろうか」「しかし逆に,『Y氏のうつ病なり躁病が統合失調症から始まった』とは決して同程度の権利をもって言うことはないだろう」という例を持ち出し,統合失調症と躁うつ病は「同等の疾病学的単位として並列不能」であり,統合失調症は躁うつ病に比べ上位にあると断じる(p.80)7).著者の見地からすると,統合失調症が躁うつ病に比べカテゴリーで上位にあるのは,統合失調症の基本病態が言語の次元にこそ根を張るからである.
 とはいえ,一次性の言語の病理においても,これに連動する形で生命力動の逸脱がもたらされる.この点では,躁うつ病と統合失調症は連続する.そうしたネオグリジンガリズムの観点から,双方の病態に関し,また治療に関しさまざまな示唆が得られることだろう.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

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16) 加藤 敏: 分裂病の構造力動論―統合的治療にむけて―. 金剛出版, 東京, 1999

17) 加藤 敏: 生物学的精神医学と精神病理学の架橋の試み. 統合失調症の語りと傾聴―EBMからNBMへ―. 金剛出版, 東京, p.217-233, 2015

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22) Kraepelin, E.: Psychiatrie Ein Lehrbuch für Studierende und Ärzte. 5Auf. Bd II. Verlag von Johann Ambrosius Barth, Leipzig, p.425, 1896

23) Kraepelin, E.: Psychiatrie Ein Lehrbuch für Studierende und Ärzte. Unveränderter Abdruk der Achte Auflage. Bd I. Algemeine Psychiatrie. Verlag von Johann Ambrosius Barth, Leipzig, 1909 (西丸四方, 遠藤みどり訳: 精神医学総論. みすず書房, 東京, p.21, 1994)

24) Kraepelin, E.: Psychiatrie Ein Lehrbuch für Studierende und Ärzte. Unveränderter Abdruk der Achte Auflage. Bd III. Teil II Kliniche Psychiatrie. Verlag von Johann Ambrosius Barth, Leipzig, 1913 (西丸四方, 西丸甫夫訳: 精神分裂病. みすず書房, 東京, p.5, 1986)

25) Kraepelin, E.: Psychiatrie Ein Lehrbuch für Studierende und Ärzte. Unveränderter Abdruk der Achte Auflage. Bd III. Teil II Kliniche Psychiatrie. Verlag von Johann Ambrosius Barth, Leipzig, 1913 (西丸四方, 西丸甫夫訳: 躁うつ病とてんかん. みすず書房, 東京, p.231, 1986)

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27) Lacan, J.: Le Séminaire livre III: Les Psychoses (1955-1956). Seuil, Paris, 1981 〔小出浩之, 鈴木國文, 川津芳照ほか訳: 精神病(上・下). 岩波書店, 東京, 1987〕

28) 永田俊彦: 精神分裂病の急性症状消褪直後の寛解後疲弊病相について. 精神医学, 23 (2); 123-131, 1981

29) Pinel, F.: Traité Medico-philosophique sur l'Aliénation Mentale, ou la Manie. Richard, Caille et Ravier, 1800 (影山任佐訳: 精神病に関する医学=哲学論. 中央洋書出版部, 東京, 1990)

30) Vliegen, J.: Die Einheitspsychose. Geschichte und Problem. Enke, Stutgqart, 1980

31) World Health Organization: The ICD-10 Classification of Mental and Behavioural Disorders: Clinical Descriptions and Diagnostic Guidelines. World Health Organization, Geneva, 1992 (融 道男, 中根允文ほか監訳: ICD―10精神および行動の障害―臨床記述と診断ガイドライン―, 新訂版. 医学書院, 東京, p.103-104, 2005)

32) Zeller, A.: Zweiter Bericht über die Wirksamkeit der Heilanstalt Winnenthal vom 1. März. 1837 bis zum 29. Februar 1840. Med. Coresp. B1. d. Würtembg. Medinvereins. Bd10. p.129-136 〔宇野昌人訳: 古典紹介. 精神医学, 20(3); 319―330, 1978〕

注釈

*1 「精神異常の現象形態」(Die Erscheinungsformen des Irreseins)は邦訳では「精神病の現象形態」となっているが,Irreseinは広い意味で考えられているので,「精神異常」と訳した.

*2 「精神衰弱状態」は原書11)では“Die psychischen Schwächezustände”(p.322)で,訳書では「精神的衰弱状態」とされている.簡潔にするためこの表現を使用する.

*3 「生命力動」の原語はDynamikである.邦訳では「力動」と訳される.情動面,活動面でのあり方を指す術語で,生物学的身体に根差す「生命」を基礎にしている.そこで,力動だけではわかりにくいので,著者は「生命力動」と訳している.

*4 「思考と意志の異常に基づく精神異常」は,邦訳では,「思考と意志の異常に基づく精神病」となっている.原書11)(p.212)の文章“Irresein in Störung des Vorstellens und Wollens”における“Irresein”が「精神病」と訳されているが,本論では普通に「精神異常」と訳した.

*5 人格構造の原語はStrukturで人格の総体を指す.そこで著者は「人格構造」と訳している.著者の理解では,より正確には,「人格(・認知・言語)構造」としたほうが適切だろう(拙論18),p.153-155参照).一次性感情障碍に引き続く二次性障碍において,Janzarikは人格構造の不全と生命力動の不全が生じるとしている.

*6 「抑うつ」の原語はSchwermuth(原書11),p.213).邦訳では「うつ病」となっているが,GriesingerのいうSchwermuthは,状態像の意味が強いので本論では「抑うつ」と訳す.なおSchwermuthの表記は今日は使用されなくなったが,原書のままとした.

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