Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文全文

第122巻第7号

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特集 高齢者に求められる精神療法とはどのようなものか
高齢者に対する精神療法的アプローチ―生老病死に逆らわない生き方を支える―
新村 秀人
慶應義塾大学医学部精神・神経科学教室
精神神経学雑誌 122: 528-535, 2020

 高齢者は,身体機能・認知機能の低下,身体疾患などを背景にこだわりが強くなり,不安・焦燥・心気・うつなどをきたしやすい.その精神療法では,症状のみならず,生老病死というこの世で避けられない四苦に注目しつつ,生活についてよく聞きながら,具体的な行動の処方,生活上の工夫を助言することが有効だろう.①生:高齢者が歩んできた人生の物語には光と影がある.光の部分のみを取り上げるのではなく,影の部分にも注意して耳を傾けることが大切だろう.②老:現代の高齢者は,かつての高齢者と比べ「若く」なっているが,高齢者が皆「いつまでも若々しく活動的でいなければ」と若さへの強迫にとりつかれるならば,生きづらいであろう.「老いは自然な過程であり,逆らわなくてよい」と伝える.③病:心気的で不調の訴えが多岐にわたる場合,検査で異常がなければ,「見つからない原因探しという『できないこと』はやめて,今の自分の体と付き合っていくしかないのでは」と話す.不安があっても必要な行動を行い,生活を形から整えることが大切である.また,症状や悩み(ネガティブなこと)だけでなく,健康な面,その人らしさ(ポジティブなこと)についても聞き,症状にとらわれがちな身体感覚を生活のなかに取り戻せるよう助言する.④死:死への恐怖,死後はどうなるのかといった話題では,治療者の人生観・死生観も問われるが,治療者なりの考えを素直に話すことが大切だろう.中年期以降に起こる人生上の危機において,葛藤やうつといった行き詰りが生じたときに,自らの経験を語ることで自己の限界を知り,執着していた症状をある程度あきらめることができれば,自己変容に至り,生活の仕方そのものがその人固有の自然な生の発揮となる.治療者は,患者の生活・人生の伴走者として,その根にある自然な欲求を共有しながら,生老病死に逆らわない生き方を支えていくとよいだろう.

索引用語:老い, 高齢者, 精神療法, 病, 生活>

はじめに
 高齢者は,加齢に伴う身体機能・認知機能の低下,身体疾患などを背景にこだわりが強くなり,神経症的心性,すなわち自分の心身の状態が環境に適応できていないという不安(適応不安)3)をもつことも多く,不安・焦燥・心気症状や遷延するうつなどをきたしやすい.高齢者への精神療法では,症状のみならず,生活や生き方にも目配りし,生老病死というこの世で避けられない四苦に注目しつつ,生活についてよく聞きながら,具体的な行動の処方,生活上の工夫を助言することが有効だろう.
 高齢者では,難聴,老視・白内障があったり,動作がゆっくりの方もおられる.耳元でゆっくり話す,診察室への入退室ではゆっくり待つ,診察室のドアを開けて差し上げるなどの配慮が必要である.治療者が患者の物腰に合わせるとよい.著者は,高齢の患者が難儀そうに椅子に座ったり立ち上がったりするときに,一緒に「どっこいしょ」と言うことがよくある.
 治療者が患者よりも若いこともしばしばあるだろう.自分よりはるかに年長の方の苦労が,若い治療者に実感としてわからないことはやむをえない.そのような場合,治療者は患者に教えていただく,という態度で臨むとよい.
 高齢者を診ていく場合,症状からの回復という流れだけでなく,生活や人生についてさまざまな事柄に話題が広がってくるだろう.これらは,生老病死という人生において避けられない四苦,すなわち,①生まれること(本稿では,「生」を「生きること」に読み替える),②老いること,③病気になること,④死ぬこと,にまつわる話である.高齢者の精神療法では,生老病死を意識するとよいだろう7)

I.生
 高齢者には,それぞれが歩んできた人生の物語(ライフストーリー)がある.親との葛藤(特に母親との関係を引きずる場合が多い),「夫が血痰を吐いて,肺癌だった」(配偶者),「子は46歳独身,それも重荷」(子が自立しない),「私が死んだら,この子はどうなるのか心配」(子の病気・障害),「変わらない98歳の義母をみるとカッカしてしまう」(姑との関係),「義姉が,遺産・年金を使い込む」(親戚との関係),「次期社長の娘婿が頼りない」(仕事・家業の悩み),「ここに引っ越してから,知り合いもいなくてさびしい」(地域性),「隣家の人が猫をたくさん飼って困る」(近所とのかかわり),「介護していた犬が,腎臓が悪くて死んだ」(ペット)など,さまざまな話が出てくるであろう.人生には光と影がある.光の部分のみを取り上げるのではなく,影の部分にも注意して耳を傾けることが,高齢者との面談では大切だと思う.

II.老
 「外出すると疲れやすくなった」「杖は使いたくない」「夏でも手が冷たくなる」「補聴器をすると電話の声が聞こえにくいので,電話も遠慮している」「いつまで自分で身の周りのことができるのか不安」「今は,時間と金があるが,興味がなくなってしまった.さびしい」など,心身の機能が少しずつ衰えているのに気づき,「老い」に出会ってとまどう.「老い」は,これまで何の気なしにやってきたことが,ある日,スムースにできなくなる,という生活上の気づきの積み重ねとして体験される.
 ところで,高齢者といっても60~70歳代の「若い」高齢者(pre-old)と80歳代後半以上の超高齢者(oldest-old)とでは,身体機能,生活状況,家族構成,悩みのあり方が違う.2017年の日本老年学会・日本老年医学会の『高齢者に関する定義検討ワーキンググループ報告書』5)では,高齢者の新たな定義を提言している.それは,65~74歳は,准高齢者・准高齢期(pre-old),75歳以上は,高齢者・高齢期(old)とし,特に90歳以上は超高齢者・超高齢期(oldest-old or super-old)とするというものである.
 このように,「高齢」者の年齢が引き上げられた背景には,現代の高齢者は,かつての高齢者と比べて医学的・社会学的に「若く」なったというエビデンスがある.例えば,疾患の受療率の推移では,調査した全疾患(肺炎,気分障害,女性の骨折を除く)で,受療率は男女とも経年的に低下した.特に,脳血管障害,骨粗鬆症,虚血性心疾患の3疾患では,全年代で受療率が大きく低下した(図1).要介護率は,男女とも経年的に低下した(図2).身体的な老化については,歩行速度(図3),握力,血清アルブミン濃度など,いずれも10~20年前に比べ,最近の高齢者は顕著に高い.精神心理的老化の経時的データでは,知的機能の平均得点は,この10年間で上昇傾向にあり,2010年の平均得点は,10年前の5~10歳若い年代の平均得点に接近している(図4).
 しかし,高齢者が皆「いつまでも若々しく活動的でいなければ」と自分に課してしまい,若さへの強迫にとりつかれているならば,生きづらいであろう.超高齢社会に入り,「生き生き高齢者」や健康長寿が叫ばれ,生活習慣・運動・食事・生きがいの創出が注目されているが,その背後には,認知症や寝たきりに対する不安,老いの忌避,健康や若さへのとらわれがあるのではないだろうか.そうであるとすれば,むしろ高齢者には「老いは自然な過程であり,逆らわなくてよい」と伝えることが大切ではないだろうか.アンチエイジングではなく「成熟としての老い」という視点である.「もっと,もっと」と自分を駆り立てながらより多くを得ようとする人生から,「老い」とともに歩んでいく人生へ転換し,「今の自分は,もはや以前のような自分ではない」と自己の限界を知り,それをしみじみと受け入れられるようになると楽になるのではないか.
 高齢者にとっての孤独は大きな問題である.「一人娘が電話をしてもとってくれない.さびしい」「中学からの友人は,1人はひ孫ができて忙しい.もう1人は認知症になってしまった」「カルタ会の仲間8人が,1人亡くなり,1人来られなくなり,6人になった.年をとるとこんなにつらいものかと思う」「周りに話をする人がいないのは,本当にさびしい」.さまざまな思いを診療の場で話してもらうことが大切であると思う.
 ここで,90歳代・100歳以上の超高齢者の心理について紹介する.超高齢者は,悪いことがあっても必ずしも悪い気分にはならず,むしろ穏やかに受け止めることも多いという.若い世代からすると,孤独は悪いこと,不幸にみえる.しかし超高齢者は,例えば一人で生活していても,孤独感は感じていなくて人とのつながりを十分に感じているという.
 東京都在住の95歳以上の超高齢者にナラティブ・インタビューを行い,テーマ分析を行ったところ,以下のようなテーマが明らかとなった2).テーマ①「揺るぎない信念とつながり」:機能が衰え,社会参加は難しいが,限られた人々との間で強いきずなを感じ,ケアを受けるだけでなく誰かをケアすることを思っている.テーマ②「ありのままの受け入れ」:老いや限界を認め,自らの歩んできた道を受け入れ,よくみせたり他者と比較することは意味がないと考え,自他ともに肯定し,別れと困難を乗り越え「これも人生」「自然なこと」と受け入れる.テーマ③「日常生活におけるかけがえのない喜び」:日常のルーチンを淡々と続けることにより安らぎと幸せを得る,援助を必要とするがすべてを依存してはいない,過酷な現実を受け入れ自律性を保つために自由に想像を広げる,日常の細やかなことを自分で決めささやかな出来事を意味のある大切なことと感じる.
 超高齢者の心理を説明する概念として,1989年にスウェーデンの社会老年学者Tornstam, L. が提唱した老年的超越(gerotranscendence)8)がある.超高齢になると,生産性,効率性,個人,自立,富,健康,社交性など中年期までの人生で重視されている価値観や行動パターンの継続ではなく,超高齢期に特有の発達段階に至り,物質主義的で合理的な世界観から,宇宙的・超越的・非合理的な世界観へ変化するという.超高齢者の老年的超越においては,現在と過去の境界があいまいになる,大きな出来事でなくささやかな体験に喜びを感じる(宇宙的なつながりの次元),自己中心性が減って利他的になり,身体的なケアは続くがそのことで悩まされなくなる(自己の次元),表面的な交際に興味がなくなり,孤高の時間の必要が増す,必要以上の富を求めなくなる,物事の善悪を割り切りにくくなる(社会と個人の関係の次元)という.老年的超越の評価尺度4)に示す.老年的超越性は,年齢が高くなると自然に上がってくるのであり,経験や努力によって上がるのではないらしい.老年的超越は,何かを乗り越えて得られる心理ではなく,自然な老化の過程で起こる心理と考えられる.
 なお,老年的超越には,森田療法で用いられる用語と極めて似た概念がみられる.中に老年的超越と対応する森田療法の用語を併記した.老いに伴う身体の衰え,孤独,不安に対し,行動から入ること(外相整えば,内相自ずから熟す),衰えて,孤独・不安でもよいこと(自然服従),年齢を重ね得られた経験や人生の知恵に光をあて(性を尽くす),高齢者がもつ強迫性や生きる欲求を,悲嘆や後悔にではなく,意味のある生き方(あるがまま)に方向づけるなど,生老病死を支える精神療法の基盤として,東洋的な人間観に基づく森田療法を援用することができるのではないだろうか6)

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III.病
 「症状が気になって仕方がない」「痛みが続いてとれない」「頭がフワフワ,眼の奥が重い,足がだるい」などと不調の訴えが続き心気的である場合,検査で異常がなく,器質疾患のルールアウトができていれば,「見つからない原因探しという<できないこと>をしていませんか」と問いかけ,「どうあがいてもこれが自分の体,付き合っていくしかないのでは」といったアドバイスをする.ただし,押しつけにならないよう注意する必要がある.「一緒に困る」というスタンスもよいだろう.
 つらい状態をある程度抜けだしたならば,不安などの症状があっても生活に必要な行動を行い,生活を形から整えることが大切である.例えば,「いくら苦しくても,痛くても,さりげなく日々の生活を続けていたほうが,苦しみも痛みも減っていきますよ」「病人ではなく,健康な人のふりをして生活してみましょう」といった助言を行う.
 また,折にふれて,「楽しみにしていることはありますか?」「やすらぐ時間は,どんなことをしていますか?」と,健康な面・うれしかったこと・その人らしさについても聞いていく.そして,「お風呂にゆっくり入ってみては」「お茶をよく味わってください」など,症状にのみとらわれがちだった身体感覚を生活のなかに取り戻せるようにアドバイスするとよい.
 高齢になると,認知症とまではいかなくても,物忘れを自覚したり,周囲から物忘れを指摘されることもあるだろう.例えば,「施設の演奏会の日付を忘れてしまった」「物事を心配に考えて,考えの中心がわからなくなる.現状がつかめず,考えがまとまらず不安・心配」といった状態である.このような場合,メモや周囲の助けなど何かに頼ることが有用・大切だろう.「時には頼ることも必要なのでは」「頼られるのは,周囲にとっては嬉しいことですよ」と伝えていく.
 高齢者には,行動,生活,認知機能の制約がある.それに寄り添い,勇気づけながら,生活場面のなかで,単純で具体的な行動の処方,ワンポイント・アドバイスをしていく.何かを大きく変えるのではなく,少しずつでも生活上の工夫をすすめるのである.人生の影の部分を受け入れていきながら,やわらかい生活力や欲求に焦点をあてて引き出し,おだやかな生き方を一緒に模索する.行動処方は,家族にもわかりやすく伝えることが大切であろう.

IV.死
 「夕に一人で部屋にいると『このまま息ができなくなったらどうしよう』という不安がある」.高齢者では不安の背景にも,若い人に比べて,身体の不調や実感としての死への恐怖があり,容易にやり過ごすことはできないことも多い.「死ぬのが怖い」は,人間だれしもがもつ自然な感情である.「死ぬのは怖くない」と否定することはできない.同じ死すべき人間の一人として,治療者も一緒に悩み,考えてもよいのではないだろうか.

おわりに
 治療の経過とともに,診察時の話題は,症状から生活へ,さらには生き方・性格上(パーソナリティ)の問題へと,行きつ戻りつしながらも変遷して,治療は深まっていくであろう.中年期以降に起こる人生上の危機において,葛藤や抑うつといった行き詰りが生じたときに,自らの経験を語ることで,自己の限界を知り,今まで執着していた症状をとることをある程度あきらめる(症状をそのままに,受容を促進する)ことができれば,症状の収束(引き受け),自己変容に至る1)
 症状の改善や生活,生き方の修正が行われると,治療は自然に終結に向かう.若年者の場合は,復職や復学など社会機能の回復と安定(寛解)をもって終診となることも多いが,高齢者の場合はそうではない場合もあると思われる.抑うつ,意欲低下,不安,焦燥感,心気,不眠などの初診時に訴えていた症状が改善し,終診となることもあろうし,疾患や機能低下〔難聴,骨折,癌,フレイル(体重減少,疲れやすい,歩行速度低下,握力低下,身体活動量低下),認知症の進展など〕,家族の問題(配偶者の死など)が新たに生じてきて,診療が継続することもあるだろう.いずれにせよ,治療者は,患者の求めに応じながら,患者の生活(人生)の伴走者として,個別の老い,生き方,病との向き合い方,その根っこにある自然な欲求を共有しながら,生老病死に逆らわない生き方を支えていくとよいだろう.

 なお, 本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

1) 北西憲二: 回復の人間学―森田療法による「生きること」の転換―. 白揚社, 東京, 2012

2) Komatsu, H., Yagasaki, K., Kida, H., et al.: Preparing for a paradigm shift in aging populations: listen to the oldest old. Int J Qual Stud Health Well-being, 13 (1); 1511768, 2018
Medline

3) 高良武久: 森田療法. 治療(日本精神医学全書第五巻). 金剛出版, 東京, 1965 (森田療法. 高良武久著作集II. 白揚社, 東京, p.9-45, 1988)

4) 増井幸恵, 中川 威, 権藤恭之ほか: 日本版老年的超越質問紙改訂版の妥当性および信頼性の検討. 老年社会科学, 35 (1); 49-59, 2013

5) 日本老年学会, 日本老年医学会: 高齢者に関する定義検討ワーキンググループ報告書. 2017 (https://www.jpn-geriat-soc.or.jp/info/topics/pdf/20170410_01_01.pdf) (参照2020-01-31)

6) 新村秀人: サクセスフル・エイジングとあるがまま―老いに対する森田療法の意味―. 日本森田療法学会雑誌, 26 (2); 179-186, 2015

7) 新村秀人: 老年期のうつ病に対する精神療法的アプローチ―生老病死に逆らわない生き方を考える―. うつ病治療における精神療法―10分間で何ができるか― (中村 敬編). 星和書店, 東京, p.108-119, 2018

8) Tornstam, L.: Gerotranscendence: A Developmental Theory of Positive Aging. Springer, NewYork, 2005 (冨澤公子, タカハシマサミ訳: 老年的超越―歳を重ねる幸福感の世界―. 晃洋書房, 京都, 2017)

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