Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文全文

第122巻第12号

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特集 精神科医療における身体拘束の現状と課題
精神科医療における身体拘束―人権からの考察―
東 奈央1)2)
1)つぐみ法律事務所
2)広島大学大学院社会科学研究科博士課程後期
精神神経学雑誌 122: 946-954, 2020

 精神科病院における人権問題は深刻である.入院者数も,強制入院の割合も高く,人権侵害につながっている.最近では,四肢体幹を拘束する身体拘束の数が増加している.強制入院である措置入院(1,523人)の9%,医療保護入院(129,593人)の7%以上に現に実施されている(2016年の630調査).その背景には,法律上,強制入院期間や拘束期間に関する規律がなく,不服申立の機会も不十分であり,手続的適正も不十分であるという問題がある.精神科医療における身体拘束への関心は高まっており,いくつかの病院では身体拘束を減らす取り組みがなされているものの,いまだ十分とはいえない.身体拘束が人権上具体的にどのように問題であるのか検討する必要がある.身体拘束は,日本国憲法で保障される個人の尊厳(13条),移動の自由(22条1項),手続保障(13条・31条)に直面する問題であり,最小限度を超えて実施することは許容されない.憲法だけでなく,刑法上の逮捕行為に該当しうるし,民法上の不法行為や債務不履行ともなりうる.身体拘束が最小限にとどめられているのか,その合憲性判断基準としては,厳格に解するべきであり,LRAの基準によるべきである.当該状況において,他に採りうるより緩やかな手段がないといえるか,憲法上の重大な人権侵害の場面である以上,厳格に検討する必要がある.その判断基準も第三者による評価を前提にすべきである.また,拘束開始時だけでなく拘束期間中も常に慎重に検討しなければならない.期間の法定や不服申立機能の充実化も求められる.

索引用語:身体拘束, 人権, 精神保健福祉法, 弁護士, 憲法>

はじめに
 本邦の精神科病院におけるニュージーランド人青年の死亡報道23)を契機に,精神科病院における身体拘束問題はいわば逆輸入のように社会的注目を集め,本邦でも看護職を中心に雑誌で身体拘束に関する特集が組まれた*1.「どうしたら身体拘束をなくせるか・減らせるか」という報告もされている*2
 隔離・身体拘束は従前から精神科病院で行われてきたものであるし,高齢者を中心に身体拘束をなくす取り組みも行われてきた4).「人権上の問題がある」という抽象的ニュアンスも広く共有されてきた.しかし,その人権上の問題の具体的中身については,十分に検討されてこなかったように思われる.
 「身体拘束をなくす・減らす」と言うことはたやすいが,現場は日々大変な葛藤があることを,著者もそれなりに理解しているつもりである.どこまで理想論を並べたとしても,重篤な病状や他害の危険性などに鑑みれば,最終的には隔離・身体拘束もやむなしという場面があるのではないかという指摘も想像される.たしかにそうした場面は想定される.そうではあるが,人権からこの問題を考察する立場として,私は身体拘束の否定を貫徹したい.「人が人を縛る」ことの意味を再度問いたいからである.
 憲法13条前段は,「すべて国民は,個人として尊重される」と規定する.佐藤によると「個人の尊重」あるいは「個人の尊厳」とは,「一人ひとりの人間(個人)が,自由・自律という尊厳性を表象する『人格』主体,『権利』主体として,他者と協働しつつ,それぞれのかけがえのない生の形成を目指す,いわば“自己の生の作者”として己の道を歩む,ということを最大限尊重しようという趣旨である」13).「個人の尊重」「個人の尊厳」あるいは憲法14条と相まって「人格の尊厳」の原理ということもできる14).「病状」を理由とした身体拘束は,本人(被拘束者)に責任の所在が向けられる.しかし,人間が人間であることにより当然に有する個人尊重概念がその拘束場面で失われている可能性を常に意識する必要がある.
 なお,本稿でいう「身体拘束」は,精神保健福祉法36条1項・同3項,37条1項を根拠とする「身体的拘束」であるが(昭和63年4月8日厚生省告示129号,同130号を参照),用語の汎用性・統一性から「身体拘束」と表記する.そして,本稿は身体拘束を中心に考察するが,精神科病院における行動制限としての隔離もまた重大な人権制約であることを忘れてはならない.行動の自由を奪い閉鎖的空間にたった一人におくということは刑法上の監禁行為であり,与える心理的抑圧も,物理的な身体拘束に匹敵しうると考えられるからである.

I.精神科医療における行動制限の現状
1.増加傾向
 身体拘束の届出件数は年々増加傾向にある.年度間の数値単純比較は困難ではあるものの〔厚生労働省が毎年6月30日付で行う時点調査(通称「630調査」)では,平成29年度からは身体拘束のカウント方法が精神保健指定医による指示数によることになった〕,全体的に数値が増加傾向にあることは疑いない.しかも,すべての入院形態において身体拘束の割合が増加している(12)
 増加の背景として認知症の入院者の増加が要因とも指摘されているが,認知症入院者の入院形態として想定しにくい任意入院でも増加傾向であることからすれば,要因はそれだけでは説明できない可能性がある.また,身体拘束の定義は「衣類又は綿入り帯等を使用して,一時的に当該患者の身体を拘束し,その運動を抑制する行動の制限」(昭和63年4月8日厚生省告示129号)と,一義的ではない.すなわち拘束具の利用のみならずミトン使用,車椅子ベルトを「身体拘束」に含むかなどは病院によって取り扱いに差があり,現場の具体的判断を精査する必要もある(都立松沢病院では「拘束帯(マグネット式拘束具)・車椅子ベルト・ミトンの3点については,理由を問わず,たとえ短時間であっても指定医の指示が必要な身体拘束と規定し運用している」9)).
 増加要因の詳細についてはさらなる研究調査報告を待ちたいが,要因が何であるにせよ,増加傾向が明らかになったこと,このままではいけないことは,どの立場においても共通認識であり,「『隔離・身体拘束が減少していない』という現実を重く受け止める必要はあろう」24).そして,その問題の具体的中身として,被拘束者(入院者)の人権が不当に制限されている疑いがあるという点もさほど異論がないだろう.

2.必要以上に実施されている疑い
 身体拘束を実施したことのある医療機関と,そうでないところとは拘束に対する感覚が異なる可能性がある.病棟における拘束具の整備,スタッフの拘束具利用経験は,身体拘束の動機形成ないしは心理的抑制に大きな差をもたらし,「拘束具があるから実施する」「過去に経験したから今回も実施する」という現場判断が生じうるのではないだろうか.
 簑島は,(隔離に関する記述であるが)「保護室の問題を考える際にも共通してくる重要な留意点としては“人は易きに流れる”という特性がある」「保護室使用に際しては,単に人は人が毒という意味で刺激を遮断して自閉させるということではなく基本的には患者とスタッフとの間に絶対的な信頼関係が成立して底流を流れていることが欠かせない」という小林正信の指摘や,「保護室が存在することで保護室への依存というのは起こるものである(中略)病院中の全ての保護室をある患者さんに壊されて隔離ができなくなり,その患者さんに接するよりない状況になって初めてきちんと向き合うことが必要だったことに気付かされた」という花岡秀人の指摘を引用しつつ,「精神科医療に携わるいろいろな職種のほとんどのスタッフが,何も知らずに精神科病院で働き始める.そこでは,当たり前に保護室が存在して,こういった場合には隔離して,こういった場合には身体拘束するのが良いと習っていく.真っ新な状態から,『隔離,身体拘束が自然な治療の選択肢として体に染み込むように』教育される.そのような背景にあっては,既成概念である隔離・身体拘束をどのように治療的に活かすかという発想にたどり着くのが精一杯のところではないか」とする8).隔離と同様,身体拘束が前提にある空間では,身体拘束を容認し,その手段に頼る動機が起こりやすい可能性がある.
 さらに任意入院者の拘束率増加も気になる.すなわち,任意入院とは同意に基づく入院形態であり(精神保健福祉法20条),入院者から退院の申出がなされた場合には精神科病院の管理者は退院を認めなければならないのが原則である(法21条2項)にもかかわらず,任意入院の身体拘束数や割合が上昇傾向にある.この現象を理解するには,本来任意入院状態にない者を任意入院形態で取り扱っているか(急性症状を含む),または,任意入院者に対する処遇が過度に制限的であると考えざるをえない.

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II.人権論から身体拘束を考察する必要性
1.人権上の何が問題なのか
 身体拘束が直面する人権上の問題について考察する.ここでは,抽象的「人権」概念ではなく「憲法上の権利」から考察する18).精神科医療で行われる「衣類又は綿入り帯等を使用して」身体を拘束してその運動を抑制する行為は,憲法上の重要な人権上の問題に直面する.
 この点,憲法13条または31条に基づきすべての人には生命・身体の自由が保障されていると考えられる.佐藤17)も,松井7)も,13条を根拠に身体の自由が保障されるとし,みだりに身体を拘束されない自由は,憲法上の権利(人権)として保障されているといえる.また身体拘束は,入院者の尊厳・羞恥心をも脅かし(憲法13条前段),移動の自由をも奪う(22条1項).身体が拘束されることに伴いあらゆる身体行動を制約され,表現活動や経済活動のチャンスも奪われる(21条1項,22条1項).身体拘束は,こうした実体的権利としての憲法上の権利を侵害する.
 そして,憲法13条または31条に基づき適正な手続的処遇を受ける権利が保障されていると解され,生命・身体の自由に対する不可侵が脅かされる際には適正な手続によることが要請される15)16)*3
 このように,身体拘束は,憲法上の重要な人権に直面する場面である.場面が病院であるからといって,「治療の必要性」といった説明で終始しうるものではない.

2.身体拘束を最小限にとどめる必要性
 身体拘束は人権侵害行為であり原則的には認められない.そもそも,強制的に身体を抑制・制圧されることは刑事手続の場合を除き本来許容しえない事態である.
 人権制約が正当化されうるのは,当該制約が必要性や相当性を充足した場合であり,かつ,直面する人権の重要性に鑑みれば,その制約程度も最小限度でなければならない20).精神保健指定医の判断によるという形式的要件さえ満たせば違法性が阻却されるものでもなく,許容性が肯定されるには実体判断が不可欠である.
 法文上も,精神科における身体拘束は,例外的に「医療又は保護に欠くことのできない限度」においてのみ許容されうる(法36条1項).川本も,メンタルヘルスの諸原則(1991年国連で採択)9項,国際人権規約B規約(1996年採択)7条・9条,障害者権利条約(2006年採択,日本は2014年批准)14条などの国際規約や,感染症予防法22条の2(最小限度の制約)を参照しつつ,精神科医療においても,医療上の必要性を根拠とする強制医療が認められるとしても必要最小限度でなければならないことを指摘している3)
 精神保健福祉法にある「行動制限」規定の存在のみでは,身体拘束を肯定する根拠としては不十分である.
 国の設定した拘束の基準の「基本的な考え方」も,「身体的拘束は,制限の程度が強く,また,二次的な身体的障害を生ぜしめる可能性もあるため,代替方法が見出されるまでの間のやむを得ない処置として行われる行動の制限であり,できる限り早期に他の方法に切り替えるよう努めなければならないものとする」(昭和63年4月8日厚生省告示130号)とするが,これも必要最小限の原則の表れといえる.
 精神科医療における隔離拘束が同じように社会問題化していたフランスでも,2016年に,公衆法典(L3222-5-1・医療制度の現代化法律72条)に隔離・拘束に関する明文規定が設けられた*4.これにより,隔離・拘束は最後の手段であり,本人ないし他者へ即時的・差し迫った危険がある場合,精神科医の決定のもと,限られた期間内にのみ実施されうるものであるという要件が設けられることとなった.しかも,実施中は厳格な監督下におかれる.日本においても,最後の手段性や厳格な監督下におくなどの明文化の意義は大きく,法改正の必要性が高いといえよう.

3.他法令との関係性
 身体拘束は,刑法的には「逮捕」行為(刑法220条)に該当する.同条にいう「逮捕」とは,人の身体に対して直接的な拘束を加えてその行動の自由を侵害することであり10),身体拘束はまさにこれに該当する11)*5.裁判例では,精神疾患の親を保護義務者(当時)たる子どもが身体拘束した行為について「被害者保護上必要な程度をはるかに超えたもの」であるとして同条の成立を認めている21)
 また,民事責任が生じうる場面でもある.深部静脈血栓症ならびに肺塞栓症のリスクを孕み2),身体拘束に違法性が認められれば不法行為責任(民法709条)ないし債務不履行責任(民法415条)が生じる可能性もある.

4.外部からのチェックの必要性
 以上みてきたように,身体拘束は憲法上の重大な権利が脅かされている場面である.しかるに,精神保健福祉法には「行動制限」「処遇」という文言しかなく,これらの文言からは身体拘束の具体的要件が明らかではない.手続的処遇の観点においても,法的整備に重大な欠陥がある.
 この点,刑事手続の身柄拘束に際しては,逮捕状発布,勾留判断などあらゆる場面において司法機関のチェックが要件とされ(刑事訴訟法199条,207条),弁護人選任権や身柄拘束期間も厳格に法定されている〔刑事訴訟法205条,208条,身柄拘束後は罪名にかかわらず国選弁護人の保障がある(刑事訴訟法37条の2,37条の4)〕.刑事施設に対しては刑事施設視察委員会による調査も行われている(刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律9条).
 これに比べて,精神保健福祉法ではまったくの青天井状態である.拘束期間も法律上規定されず,身体拘束開始に関する外部審査規定もない.監視の仕組みも不十分である.一応,精神医療審査会に対する処遇改善請求として身体拘束からの解放を求めうるが,精神医療審査会は月に1回の頻度での会議開催であり,身体への直接的侵襲を伴う拘束の場面には効果的に機能しえない.
 たとえ,実施者側が,人権に配慮して真に必要最小限に行っていると認識していても,密室での行動制限は常に性質上行き過ぎの危険性を孕むものであることは念頭におかねばならない.そのため期間の法定化や拘束開始に関する第三者調査の仕組みを構築する必要性は高い.

5.人権制約の許容性に関する判断枠組み
 どのような場合に当該人権制約が許容されるといえるか,誰がどのように判断するか,その判断枠組みについて検討する.
 すでにみてきたように,身体拘束を受けない利益(身体に不当な侵襲を受けない利益)は重大な憲法上の権利(人権)である.人権制約が許容されうるとしてもその根拠(法や適用)に合憲性が認められるかは厳格に審査すべきである.松井は身体の自由を「政治参加に不可欠な権利」の側面から考察しているが,この観点からも,制約についての厳格審査が必要となる6)
 合憲性判断基準について,日本の裁判所は,アメリカの判例を受けた二重の基準という判断枠組みを採用してきた.これは,当該規制の対象が(表現の自由などの)精神的自由か経済的自由かによって判断基準に差異を図り,前者は厳格な審査を実施し,後者は比較的緩やかな審査で行うというものである(それにより規制の目的と手段とをどのように解釈するかの程度が異なる).これによれば,表現の自由などは民主主義の根幹をなすものでありいったん侵害されると回復困難であるから厳格に審査する必要がある一方,経済的自由については司法審査能力の限界もあるために比較的緩やかに審査すべきということになる.表現の自由の制約の場合は原則として「違憲性の推定が働き,したがって,規制の目的が正当なものであるか,また規制の手段・方法や程度がその目的を達成するために必要最小限のものであるかどうかが,厳格に審査されなければならない」ということになる19)
 身体拘束の場面は,身体の自由というまさに現実的侵害の程度が大きく,また表現の自由にもかかわりうる.したがって,厳格な審査が妥当すると考えるべきである.具体的には,少なくとも,制約の程度が少ない他の代替手段によって目的を達成しうる場合には,その制約は許されないという判断枠組みであるLRAの基準(less restrictive alternative)による必要がある5)22)*6
 そして,この具体的考察においては,衝突する利益を天秤にはかるといった比較衡量論を踏まえつつ検討する必要がある.身体拘束によって失われる利益と身体拘束を必要とする利益とを天秤にかけると,身体拘束は,行動自由のすべてを奪い個人の尊厳を脅かすという著しい負の効果をもたらす.それが現在直面している状況を解決するための手段として必要最小限のものといえなければならない(他に採りうるより制約の程度が少ない手段は本当にないのか).「何かあったら困る」「過去に暴力行為に至ったことがある」といった抽象的危険性ではなく,現に今,この状況においての判断である.身体拘束開始時のみならず継続の場面においても常時必要になる考察であろう.
 さらに,誰がどのように判断するかも重要である.すなわち,行為実施者による主観的判断ではなく,客観的第三者を基準に判断する必要があり,第三者による評価を念頭においた場合にどうか(司法監査にも耐えられるか)という観点で行われなければならない.
 さいごに,デュープロセス(due process of law)の観点も重要である.告知聴聞の機会,透明性,本人側からのSOSルートが保障されていることが必要である.デュープロセスの徹底は,結果的には実施者側の負担軽減にもつながる.
 このような合憲性判断基準を参照して客観的指標を示す意義は,身体拘束を減らすことのみならず,入院者の身心の健康を考えるという本来の精神科医療において求められるものでもある.つまり,「法は患者(入院者)を救えない」という批判が考えうるが,では,「身体拘束を利用した治療」はその人の身心を救っているのだろうか.本来,治療は入院者の心のケアも行う場面のはずである.そうした治療の場面において,真の心の健康の回復から遠のかせてしまうような手法は妥当かを頭に入れて,身体拘束以外の代替手段を常に考え続ける必要がある.
 そして,忘れてはならないのは,当該身体拘束が,仮に「違法」とまでは評価しえない場合であっても,対象者の重大な憲法上の権利(人権)を侵害していることに変わりはないことである.常に,人権制約を最小限にとどめる意識が必要となる.

III.身体拘束を必要とする事情に対しての一考察
 事故防止のため,例えば自殺防止のためには身体拘束やむなしという意見も考えられる.岩下は,事故報告書に基づく検討において「“適切な精神医療の確保”の実現のためには,隔離・身体拘束などの行動制限を施行せざるを得ない,あるいは施行をためらうべきでない場合が少なくないのが現実であろう」とする1).たしかに,そうした現実は「少なくない」とは思われる.しかし,それでもなお,身体拘束が奪う利益を再考すると,合憲性判断基準を参考にする意義は少なくない.
 精神科病院入院中に入院者が自死に至るケースで,遺族側からの追及根拠の1つとして身体拘束を実施しなかったことが問われる可能性はあるが,著者が調べた限りでは,身体拘束の不実施と自殺との因果関係を前提として病院側に損害賠償責任を負わせた判例はない.
 他方,急性期症状の入院者に対して,その健康や早期退院を実現するため(例えば点滴をスムーズに行うため),治療を円滑に行うためにも身体拘束をやむをえない手段として利用する必要性も聞かれるところである.しかし,入院期間の短縮化にとって本当に身体拘束が必要であるかは慎重な考慮を要する.例えば,諸外国が入院期間を短縮化していくなかで総じて身体拘束を活用したとの報告はなされていないように思われる.
 治療ないし治療に付随した身体拘束はやむをえないという意見と,身体拘束は人権侵害であるという意見は,ものの見方・見え方に大きな隔たりがあり,一見どこまでも噛み合わない平行線にも思われる.しかし,限られた範囲内でのみ許容されうること自体は共通認識であろうし,その最小限を担保するためのデュープロセスの徹底は,身体拘束やむなし論においても共通する要請であろう.

おわりに
 弁護士会の相談活動においても,精神科病院入院中の人やその家族などから,「身体拘束を早く解いてほしい」という相談が持ち込まれることがある.相談を受けて入院者のもとを訪ねると,保護室内で拘束具を付けられたままの入院者が悲しそうに臥床している場面にも遭遇する.
 もちろん,入院者の話に耳を傾けようと訪れた者を前に,入院者は興奮したり暴れたりすることはない.病院スタッフが拘束の必要性を感じたときの状況とはまったく異なる様相を示していることは容易に想像される.現場が,人員不足や診療報酬の壁により日々悲惨な状況にあること,入院者が大声を出して暴れているなどの状況で,他患,スタッフ,入院者自身を守るためにも,一定の行動制限を行う必要があるのに,そのことが許容されないのか,事故が起これば家族は病院を訴えるのではないか,という批判も想像される.
 しかし,そうしたトラブル発生前に起きていた事柄や,入院者とスタッフとの関係性構築はできているかなど,今一度,身体拘束が必要とされた以前に遡って検討することも必要であろう.
 そして,今,直面しているのは,入院者の重大な憲法上の権利である.「治療」「病状」というフレーズによる正当化の前に,それにより失われる利益の大きさに思いを致し,入院者の心のケアを行う場面であるからこそ,その心を傷つけないような手法にこだわる必要性もあろう.重大な人権上の問題に直面していること,人権制約は最小限にとどめなければならないという共通認識を持ち続ける必要もあろう.そのためにも,第三者による外部審査に耐えうるかという視点は一定の判断基準になりうる.
 さいごに,国立精神科病院にも併設された重症心身障害病棟での隔離・拘束も深刻な課題である.身体拘束の社会問題化により,隔離・身体拘束を受けながら何十年も生活している重度の知的障害者にも光があたるのではと期待している.

 本稿については,「公益財団法人野村財団(2018年度)」および「公益財団法人三菱財団(2018年10月~2019年9月)」による研究助成を受けている.

文献

1) 岩下 覚: 行動制限に関連した医療事故―日精協に寄せられた事故報告書に基づく検討―. 日精協雑誌, 37 (12); 1215-1226, 2018

2) 樫山鉄矢: 精神科入院における静脈血栓症と肺塞栓症の現状と対策. 日精協雑誌, 38 (8); 743-748, 2019

3) 川本哲郎: 精神障害者の人権と法―行動制限(身体拘束と隔離)を中心にして―. 同志社法学, 70 (6); 1811-1825, 2019

4) 厚生労働省「身体拘束ゼロ作戦推進会議」: 身体拘束ゼロへの手引き―高齢者ケアに関わるすべての人に―. 2001 (syowakai.org/wp/wp-content/uploads/2014/04/854.pdf) (参照2020-08-18)

5) 松井茂記: 日本国憲法第3版. 有斐閣, 東京, p.451, 2007

6) 同書. p.505

7) 同書. p.505-507

8) 蓑島豪智: 隔離・身体拘束が必要であるという「文化」「常識」を問い直してみる. 病院・地域精神医学, 61 (2); 130-133, 2018

9) 中田信枝: 高齢者・認知症患者の身体拘束を削減するために―身体拘束と転倒・転落事故のリスク―. 老年精神医学雑誌, 29 (2); 147-157, 2018

10) 大塚 仁, 河上和雄ほか編: 大コンメンタール刑法第3版第11巻 青林書院, 東京, p.350, 2014

11) 同書. p.383

12) 630調査. (https://www.ncnp.go.jp/nimh/seisaku/data/630) (参照2020-08-25)

13) 佐藤幸治: 日本国憲法論第2版. 成文堂, 東京, p.139, 2020

14) 同書. p.194-195

15) 同書. p.217-219

16) 同書. p.367

17) 同書. p.371-376

18) 宍戸常寿: 「人権」と「憲法上の権利」. 憲法学の現代的論点第2版. 有斐閣, 東京, p.231-239, 2009

19) 初宿正典: 憲法2―基本権―第3版. 成文堂, 東京, p.268, 2010

20) 同書. p.272

21) 大審院判例昭和11年4月18日: 尊属監禁致死被告事件. 大審院刑事判例集15巻. 法曹会, 東京, p.507, 1936

22) 竹中 勲: 憲法上の自己決定権. 成文堂, 東京, p.157-187, 2010

23) The Guardian: New Zealand man died after being tied to bed in Japanese hospital, says family. 2017.7.13 (https://www.theguardian.com/world/2017/jul/13/new-zealand-man-dies-tied-bed-japanese-hospital) (参照2019-08-19)

24) 吉浜文洋, 杉山直也, 野田寿恵: 精神保健領域における隔離・身体拘束最小化(1)翻訳にあたって. 精神科看護, 37 (6); 52-56, 2010

注釈

*1 日本精神科病院協会雑誌,37(12)「特集・行動制限環境―短く,安全に」(2018),精神保健福祉,49(4)「特集・身体拘束と精神保健福祉士」(2018)など.

*2 精神看護,21(6)「特集・認知症高齢者へ,こんな対応の工夫により身体拘束をせずに乗り切っています」(2018),精神看護,22(3)「特集・松沢病院が身体拘束最小化を実現した25の方法」(2019),精神看護,15(3)「特集・スーパー救急で拘束ゼロ―山梨県立北病院の実践から強制治療の倫理について考える」(2010)などがある.

*3 この論点は憲法13条と31条の関係性にかかわる.この点佐藤は,憲法13条は憲法14条の規定する「人格の平等」の原理と相まって,憲法が「人格」原理を基礎とすることを明らかにしており,憲法13条により適正手続が保障されるとする.「『人格の尊厳』は当然に『人格の平等』を意味する理であるが,『人格の尊厳』は他の人格との関係をひとまずカッコに入れて,『人格』それ自体のあり方ないし内的構造を示すものである.『人格の尊厳』原理は,まず,およそ公的判断が個人の人格を適正に配慮するものであることを要請し,第2に,そのような適正な公的判断を確保するための適正な手続きを確立することを要求する.したがって,一人ひとりの事情を不用意に概括化・抽象化して不利益を及ぼすことは許されない.行政の実態・手続の適性の問題については諸説あるが,基本的にはまさしく本状によって要請されるところであると解される.」14)16)

*4 Cécile CastaingやVelpry Liviaからのヒアリング(2019年6月訪問調査)Article L3222-5-1
 Créé par LOI n°2016-41 du 26 janvier 2016-art. 72
 L'isolement et la contention sont des pratiques de dernier recours. Il ne peut y être procédé que pour prévenir un dommage immédiat ou imminent pour le patient ou autrui, sur décision d'un psychiatre, prise pour une durée limitée. Leur mise en œuvre doit faire l'objet d'une surveillance stricte confiée par l'établissement à des professionnels de santé désignés à cette fin〔隔離と拘束は最後の手段である.精神科医の判断に基づく本人または第三者への即時ないし差し迫った危害を防ぐためという目的のもと,限定された期間で許容されうる.実施に際しては,この目的のために指定された医療専門家機関により厳密に監視されなければならない(著者訳)〕.なお,同条2項は登録簿に記載する義務,3項は報告書提出義務を規定している.法文はフランス政府・法文サービスよりダウンロード(
https://www.legifrance.gouv.fr/affichCodeArticle.do?idArticle=LEGIARTI000031918948&cidTexte=LEGITEXT000006072665&dateTexte=20160128)(参照2019-08-28)

*5 なお,「法令行為」として違法性阻却事由となりうるが「これらの行為も,その本来の趣旨を超える場合には,違法性を帯びる」という.

*6 強制入院制度の合憲性判断基準に関するものであるが,かかる観点は身体拘束にも共通されよう.

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