Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文全文

第122巻第11号

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特集 精神科専門医に必要な精神療法の学び方
精神療法研修があたえてくれたこと
渡辺 俊之1)2)
1)渡辺医院
2)高崎西口精神療法研修室
精神神経学雑誌 122: 845-852, 2020

 精神療法に関心が集まっていた1980年代に力動的精神療法の研修をうけた著者の体験と,同時期に研修を受けた現役精神科医3人(50歳代1人と60歳代2人)と私との座談会の内容を踏まえ,構造化された精神科研修の意義を考察した.学生実習や研修における陪席での精神科医との出会いは,精神療法の理論やスキルだけでなく精神科医の後の人生にも影響をあたえる.その中核にあったのは「転移」と「内省」であることを,著者の経験を回顧しながら記載した.座談会では構造化された精神療法研修のもつ4つの意義が明確になった.第一は構造論的認識である.精神療法の場や治療関係を理解するための治療構造論(小此木啓吾)や教育構造論(岩崎徹也)は精神療法のみならず,現在の病棟運営,病院管理,研修教育にも役立っていた.第二は「内省」である.陪席やスーパーヴィジョンにより,「私自身を考える」という内省的態度は現在でもわれわれに維持されていた.第三はチーム医療の意義である.若い頃に経験したチーム医療体験は看護師,精神保健福祉士,心理士らを同じ仲間として意識し,語り合う姿勢につながっていた.第四は「人としての精神科医」である.構造化された研修環境であるからこそ徒弟制度にのみ込まれることなく,われわれは「人としての精神科医」に自由に出会うことができた.それは精神療法を行うパーソナリティ上の準備(Wolberg, L. R.)である「感受性」「客観性」「柔軟性」「共感」を育むことに役立ったと理解している.

索引用語:治療構造論, 精神療法教育構造論, 構造化, スーパーヴィジョン, 人としての精神科医>

はじめに
 そもそも精神療法の技能とは何から構成されているのであろうか.30年以上も臨床を続けているのに,著者には明確化できない.対話を中心とした治療はテキストや台本を読んで演じることとは異なる.科学技術や情報共有が進歩して将来多くの医療技術が機械やAI(人工知能)にとって代わられるに違いない.しかし対話が中心となる精神療法は,いつになっても生き残るはずだ.人と人とのアナログコミュニケーションには多くの要素が入り込み,言語を超えた無意識的交流によっても精神療法は構成されているからだ.精神療法を学ぶための書籍を読んだだけでは,適切な精神療法は提供できないであろう.精神療法とはわれわれの心を遣って患者の心に何らかの変化をもたらす行為であり,教育研修とパーソナリティのブレンドによって醸成される酒のようなものである.研修に必須な構成要素は精神科医同士の直接的な交流であろう.それはスーパーヴィジョン,事例検討,陪席,食事,酒宴などの場であろう.
 本論は論文とは呼べない回顧録のような内容であるが,「構造化された教育研修」を受けた精神科医として,「その体験から得た意義」を会員諸氏に伝えたいという願いから書いた.

I.1980年代から現在
 患者特性や医療のあり方はそれを包含する上位システムの影響を受ける.非定型抗精神病薬も選択的セロトニン再取り込み阻害薬(selective serotonin reuptake inhibitor:SSRI)も登場していないアナログ全盛の1980年代,昭和は終焉し,ポストモダンという言葉が流行り,哲学書や思想書が売れるなど,精神療法には温かい時代であった.精神分析学や精神病理学関連の書籍が沢山刊行され,『ユリイカ』や『現代思想』といった雑誌には精神病理学や精神分析学の特集が組まれ,精神医学には文化系的な香りが漂っていた.精神病理学では統合失調症・うつ病の精神病理や現存在などについての論議が盛んに行われ,精神分析学では境界性パーソナリティ障害の病理と治療についての論議が盛んに行われていた.1983年に日本森田療法学会と日本集団精神療法学会が,1984年には日本家族研究・家族療法学会(現在の日本家族療法学会)が設立されるなど,精神療法全盛の時代であったといえよう.
 1980年代の精神科医の視点は患者の症状ではなく人や生活者としての患者,集団や家族に向いていたと思う.ところが後の30年間に電子カルテが普及,EBM(evidence based medicine)が尊重され,薬物療法が画期的に進歩すると,患者特性にも診療特性にも変化を生むことになる().

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II.1980年代の東海大学医学部精神科学教室
 著者は1980年代に大学時代を過ごした.バブルに向かっていた華やかな時代である.学生時代の私にはあまりよい思い出はない.高級車で都内で遊べる医学部学生には付き合えず,授業にはほとんど出なかった.「あいつは本当に医学部か」と言われたこともある.同級生との違いを著者は「劣等感」と名づけ文学部や工学部の学生と付き合い,音楽を聴いて本ばかり読んでいる陰湿な学生であった.
 6年生になり入局先を決定しなければいけなくなった.著者は憧れていた岩崎徹也教授の部屋を訪ねた.「精神科に入りたいのです」と伝えると,先生は「そうか」とだけ言ってほとんど質問もしてくれなかった.「ああ,ここも駄目か」という気持ちで教授室を後にしたことを覚えている.ところが,先生は食堂の前で著者を見かけると手をあげて微笑んでくれるようになった.先生が食堂にくる時間を見計らい視界に入るように待っていたこともある.大学病院に著者を知る教授などいなかったので嬉しかった.

III.精神療法教育構造論
 岩崎は精神療法研修に治療構造論を用いて精神療法教育構造論として理論化している1-3).治療構造論6)とは小此木啓吾が理論化した体系的な理論であり,最初に治療構造と治療構造論の違いについて明確にしておく.
 治療構造とは,治療者と患者の交流を規定するさまざまな要因と条件が構造化されたものをいう.つまり一般臨床における面接室の物理的構造(椅子や机の位置や数)や治療契約(面接の回数,時間,料金)などは治療構造である.一方,治療構造論とは,治療構造の視点から治療者と患者,双方に生ずる諸現象の心理を理解する「治療構造論的認識論」と,その理解に基づいて特定の治療構造をそれぞれの治療関係について意図的に設定する治療の構造化およびその調整をめぐる「治療構造論的な技法論」からなる.
 治療構造論的認識論における重要なポイントは,治療構造の組み立て方(構造化)について3つに分類していることである.①治療者が意図的に設定するもの,②治療者の意図を超えて与えられたもの,③治療経過中に自然に形成されるものと明確にしている.岩崎はこうした点も踏まえ,精神療法教育における構造論を述べている.岩崎が強調しているのは「教育構造論は精神療法教育のあるべき姿を論じたり,先駆的に主張するものではなく,先ず教育者側も教育を受ける側共に,現実に置かれている自分たちの精神療法教育の構造が如何なるものであるか,そしてそれにより,どのような教育的関係(転移や主従関係)が生じているかを,相互に認識することにその主な意義がある」という点である1).今日の精神療法研修や教育を理解するうえで教育構造論は非常に有用である.
 東海大学精神科学教室の初代教授である牧田清志は,力動精神医学と児童精神医学を大学教育に設立時から取り入れた祖である.こうした理念を踏襲し岩崎と先輩諸氏達が1980年代に意図的に構造化したのが東海大学の精神療法教育システムである(表1表2).そこには先輩諸氏の意図を超えた1980年代という力動的入院治療の構造化を推進する時代の影響もあったのかもしれない.また研修を受けるわれわれの関心も患者の心的世界に向いていた.しかし,優れた精神療法教育構造であっても,時代の流れによる変化を強いられていく.社会の変化や医療経済の変化が病棟運営に押し寄せ,精神科入院の短期化が迫られ,力動的入院治療は困難となり岩崎は定年退職し,狩野は転出し,教育構造は変化した.

表1画像拡大表2画像拡大

IV.陪席という研修空間
 精神療法教育において陪席は重要なトレーニング方法である.テキストや講義では学べない医師と患者の関係をライブで体験できる.患者への負担がかかることは否めないが,見学者にとっては医師や患者の息づかいや表情,会話の間のとり方,非意図的な態度などを学ぶための効果的な場所である.陪席の後も医師と研修医や学生とディスカッションすることが精神療法への理解を深める.
 鮮烈な印象の陪席体験が私には2回ある.
 5年生の学生実習で岩崎先生の外来を見学した.精神病になった母親を当時の著者と同じくらいの年齢の息子が連れてきた.あちこちの病院を転々として,藁にもすがる気持ちで大学病院にやってきたのだ.先生は「お母さんのことで大変だが,それも君の成長に役立つはずだ」と優しく父親のように息子に語っていた.先生は本人だけでなく息子の「親思い」の心理状態まで理解して助言したのである.母子家庭で育った著者は息子に同一化し「早く卒業して医師にならねば」と思った.この陪席は,著者が病人の家族心理に関心が向く契機となった体験であると同時に,先生への父親転移の萌芽でもあった.
 もう1回は研修医時代である.
 結婚したばかりの著者は,精神科面接ができるようになり少々躁的で浮かれていた.狩野力八郎先生が外来で担当していた女性患者Aさんの入院担当になった.結婚後にうつ病になったのである.病棟の面接では音楽の話題で話すことが多く,明るく振る舞い「どこが悪いのだろう」といった印象すらあった.ある日「ワタナベも来るか」と先生が声をかけてきた.外来の精神療法室でAさんの面接が始まった.彼女の表情は著者には見せないものに変わっていく.「お母さんのことを,かわいそうに思うんだね」と,先生は病気の母親に向けた罪悪感と夫への罪悪感(何もできない自分)で二重に縛られている葛藤を引き出したのである.Aさんは声をあげて泣いた.その夜,著者は猛烈につらくなった.忘れていた感情が呼び起こされたからだ.故郷に一人で暮らす母への思いが一気に立ち上がり,ただただ酒を飲んだのを覚えている.この陪席で「逆転移」を体験として理解した.故郷で一人暮らしする母を心から消し,否認と躁的防衛で生活していた著者は「母親」を患者との間で話題にできなかったのである.その後に激しく落ち込んだことも覚えている.
 あのとき,陪席の空間で何が起こったのか?
 おそらく過剰適応しているAさんと母親葛藤を分裂排除していた自分との連合,本当のAさんと狩野先生との連合という治療関係での分裂(スプリット)が,陪席という空間で明確化されたのだと思う.逆転移とスプリットを見せつけられた外来面接は狩野先生の「意図した構造化」だったのか,「意図しない構造化」だったのか,いつかは先生に聞こうと思っていた.しかし狩野力八郎先生は2015年4月11日に他界された.

V.30年が経過して精神科医に残っていること
 同じ研修を受けた3人の医師と一緒に座談会を行った.当時の思い出,そして現在の診療に生きているスキルを自由に話してもらうのが目的である.
 A医師は60歳代の児童精神科医(研修時代は児童精神医学研究会所属),B医師も60歳代で現在は精神科病院副院長(研修時代は精神分析研究会所属),C医師は50歳代で精神科病院医局長(研修医時代は水曜会所属),そして著者という4人である.同じ精神療法教育研修を受けたが,今では専門領域の異なる精神科医である.
 座談会で語られた内容の多くは先輩諸氏の人となりの部分であった.公表できないこともあり,かなりの部分を割愛するが,例えば「チェーンスモーカーの某先生の部屋のスーパーヴィジョンで喘息発作が出そうになった」とか,「某先生は患者を間違えて面接をしていて<先生,その人は私じゃないんです>と言われたが,治療関係は維持されていた」とか,「某先生は必ず陪席の後に一番高い昼飯をおごってくれた」とか,「某先生は自分が読んだ『週間つりニュース』を研修医にあげて,その人を医局に釣り上げた」とか「あんたは顔が丸いから児童精神科医になれと言われた(某先生から著者に)」とか…,人としての部分ばかりが懐かしく語られたのである.そのことにも大きな意味があるのだが,技法的な部分で30年経っても4人に共通して残っていたことは以下の3点であった.第一に,構造と自分自身を考えるようになったこと,第二に看護記録は極めて重要な情報であると思っていること,第三に医師も他のスタッフも同じ水準,同じ仲間というイメージが役立っているということである.座談会の内容と著者の体験をもとに,構造化された精神療法教育の意義を考察する.

VI.考察―研修において現在でも必要なこと―
1.構造論的認識
 岩崎によれば教育構造論は,教育構造のあるべき姿を理想論的に追求するものでなく,構造論的な認識をすることに主な意義があることを強調している.教育研修で習得した構造論的認識は,その後何年経っても4人の精神科医には残っていた.それらは,①治療を構造化するという認識,②すでに存在する勤務先構造の認識,③働く場所の構造が時代で変化していくことへの認識,④変化する構造を許容するのか,抑制させるのか促進させるのかといった認識が,精神療法のみならず病院運営や病棟運営などにおいても必須であることを確認した.
 岩崎は研修構造がないのも構造だと述べる.わが国では「見習う」という言葉に示されるように,何事によらず先輩のすることを見て習うのが重んじられてきた.しかし岩崎はそれに対して批判的見解をとっていない.構造化された精神療法教育も見習い的な教育も,どちらも精神療法研修には必要だと述べて,自分のおかれている教育構造を構造論的に認識すること強調している.著者は陪席こそが「見習い的」教育の1つだと考えている.
 狩野ら4)は「徒弟制度的な日本の医療現場では研修医は一つの学派やリーダーに過剰に同一化し,その結果,他の学派に対して排他的になったり葛藤を引き起こす.過剰な同一化は他の学派に入ることが踏み絵のように体験される,そのためには構造化された研修システムが必要であり,その中で研修医は自身の内面にある目的や葛藤を探すことだ」と述べ,構造化した研修システムの必要性を強く主張している.

2.内 省
 著者が研鑽を積んだ教室では,スーパーヴィジョンが構造化され義務づけられており,精神分析的精神療法と児童青年精神医学の事例をもつことが必須であった.力動精神医学は自身に湧き上がる感情についての「内省力」を残してくれている.あの時代,研修仲間からは「私はあの患者に会うと凹む」とか,「私はあの患者を好きになれない」とか,「私は完全に怖い親父になってるんだよね」といった発言をよく聞いた.しかし当時,他の病院で他大学から来た先生方と話していると「症状」や「薬物療法」についての話が多いことに気づかされた.考える対象に「私」が入ってこないのである.
 現在でも,若い精神科医と話すと「患者の症状と治療」についての話が多く「私」という主語での語りが少ない気がする.おそらく患者の症状だけが対象化され,自分に湧き上がる感情や連想,自分と患者との関係についての考えが乏しいのではないかと思うことがある.「私」の体験や「私」の感情について語り合えるのが精神医学であり,それこそが,症状処置や疾患予防がメインである他科医師と違うところである.「私」に生じる思考や感情に気づくための内省を学べば,研鑽していく自我が育ち,それは臨床態度として何年も残っていく.

3.チーム医療
 当時の精神科病棟では力動的入院治療が行われていた.指導医を中心とした治療チームに研修医は配属され入院患者を受けもつ.患者の半分くらいは境界性パーソナリティ障害であった.こうした患者特性もチーム医療という構造の維持に影響したのだと思う.患者の攻撃性やas if的な性格によってチームワークが乱れやすく,毎週1回の看護スタッフとの病棟ミーティングがチームワーク維持には欠かせなかった.それに加えて研修医は週に2~3回,1時間くらいの精神療法を患者に行い,指導医と研修医の話し合いをもっていた.入院患者に対しては,家族面接やグループミーティングも行われていた.患者と治療チームは家族のような関係になり,そこには転移や逆転移が生じ,それをまたミーティングで話し合ったりしたのである.著者の指導医は病棟に朝一番に行くと,著者が記載した内容はほとんど見ないで,真っ先に看護記録を読んでいた.「俺のカルテより看護記録かよ」と当時は思ったが,夜の行動が詳細に記録してある看護記録が重要であるのは今なら当然理解できる.医師も看護師も同じチームの一員であり,それぞれが主体性をもって行動できていたのだと思う.また,こうしたチーム医療を包含していた主任教授や病棟管理者の支えも大きかった.互いの主体性を尊重し情報共有を大切にするというチーム医療の基本はわれわれに根づいていたのである.

4.人としての精神科医
 座談会では人としての精神科医の思い出が多く語られた.精神療法教育構造という枠組みがあるからこそ,それ以外の部分では先輩諸氏のパーソナリティが際だって研修医に体験されたのかもしれない.先輩諸氏の人としての部分に接することは精神療法研修では重要な体験になる.西園5)は『治療者論』のなかでWolberg, L. R.の精神療法を行うための準備として,①教育的準備,②パーソナリティ上の準備,③実践上の準備(スーパーヴィジョン)の3つを紹介している.Wolbergは,パーソナリティ上の準備において「感受性」「客観性」「柔軟性」「共感」の4つを最初に挙げている.こうした精神科医としてのパーソナリティ特性は構造化されていない研修部分である先輩医師との日々の語りやかかわりによっても内在化されていく部分だと思っている.若い時代の先輩諸氏への陪席体験や,医局での体験は研修医に「人」という大切な要素を残してくれた.

おわりに
 2019年4月,シンポジウム準備のために岩崎徹也先生のご自宅を訪ねた.先生は奥様の介護をしながら二人で生活していた.そこでも,人としての精神科医,岩崎徹也に出会うことになる.奥様に「今日はたくさん食べたね」とか「お茶を飲むかね」と話をする姿がそこにあった.優しい人柄は変わっていない.先生とウィスキーを飲んでいるうちに,私はすっかりよい気分になり,ずっと前から先生に聞きたかったことを聞いてみた.
 私の母が卒業式の謝恩会に叔父と一緒にやってきたときの出来事.群馬の田舎から,自分で縫った服を着てやってきた足の悪い母が見窄らしく見えて,私は遠く離れた場所にいた.しかし母のことが気になって遠目にチラチラと見ていた.母は椅子がなくてウロウロしている.そのとき,岩崎先生は,座る場所を探していた母に椅子を差し出してくれたのだ.あのときの真意が私は30年以上気になっていた.私はこのエピソードを同窓会誌などには書いたが,あのときの岩崎先生の気持ちを知りたかった.
 「謝恩会で先生は私の母親と知っていて椅子を差し出してくれたのですか」と問うと,「いや,違うんだよ.知らなかった.ただ,あんなふうに田舎から出てきた,子ども思いのお母さんがいるのかなあと思ってね」と語って微笑んだ.「そうでしたか」と先生に勧められたスコッチを飲み私は涙を拭った.
 最後に若い精神科医達に贈りたい言葉がある.

 ―弟子は,師を見てはいけない.師が見ているものを見なければならない
 (技芸の伝承より

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

1) 岩崎徹也: 精神療法教育における構造論. 治療構造論 (岩崎徹也編). 岩崎学術出版社, 東京, 1990

2) 岩崎徹也: 精神療法の訓練―若手精神科医養成の場において―. 精神療法, 26 (2); 20-24, 2000

3) 岩崎徹也: 東海大学精神科教室における精神療法卒後教育―とくに精神分析的なスーパービジョンの現状と問題点について―. 精神分析研究, 23 (4); 152-156, 1979

4) 狩野力八郎, 服部陽児, 河野正明ほか: 家族療法研修と精神科卒後研修教育. 家族療法研究, 3 (1); 28-35, 1986

5) 西園昌久: 治療者論. 精神療法, 3 (2); 112-120, 1977

6) 小此木啓吾: 治療構造論序説. 治療構造論 (岩崎徹也編). 岩崎学術出版社, 東京, 1990

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