Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文全文

第122巻第1号

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特集 健康生成の病跡学―サルトグラフィの試み―
Goetheにとっての女神Salus:Christiane Vulpius
佐藤 晋爾1)2)
1)筑波大学医学医療系茨城県地域医療教育センター精神科
2)茨城県立中央病院精神科
精神神経学雑誌 122: 25-33, 2020

 Antonovsky, A. の健康生成論(salutogenesis)から,小林はサルトグラフィ(salutography)を提唱した.これは精神疾患発症を回避した偉人たちの生涯をたどることで,実臨床へ貢献する学問と考えられる.本稿では,サルトグラフィの観点から,躁うつ病患者だったGoetheを献身的に支えた,彼の妻Christianeについて検討した.Goetheが精神的に大きな破綻もなく生活できたのは,Christianeの支えが大きかったと考えられる.一方,Christianeに相当の負担があったと推測されるが,彼女自身,精神的不調に陥らずに過ごせたのは,彼女なりの工夫があったと思われる.Christianeは自分の生活も大切にし,自己犠牲に偏らないようにしていた.さらに夫が病気であることを認識し,他人の協力を得ることを躊躇わなかった.そして旺盛な自立心で夫から距離をとりつつ,自身が得意とした「他人を世話すること」が夫の介護で行き詰ると,より負担の少ない夫以外の者への「世話」を楽しむことで,夫へのケアを続けていた.Christiane von Goethe夫人の生涯は,精神疾患家族が介護やケアでいかに燃え尽きを回避するかという点でヒントを与えるものと考えられた.

索引用語:サルトグラフィ, ゲーテ, クリスティアーネ, ケア>

はじめに
 医学は病をいかに癒すかが大きな役割だが,いかに防ぐかも重要である.このような理論の1つとして,Antonovsky, A.1)2)の健康生成論(salutogenesis)*1が,本邦では看護28),介護4)12)18),福祉33)42),教育10)20)51)52)分野で応用されている.この概念に注目した斎藤が大会長を務めた第63回日本病跡学会総会で,健康生成が大会テーマとして取り上げられ,シンポジストの小林がサルトグラフィ(salutography)概念を新しく提唱した22).この用語の定義はまだないと思われるが,著者の独断では,精神疾患発症を回避した偉人たちの生涯をたどることで,精神医学実践に貢献する学問といったところになるだろう.病跡学の本流である「病と創造性の関係」という観点からはずれた議論をしてきた著者36-40)のような者からすれば,この概念で病跡学の対象,方法が広がり,より自由に思考することが可能となる余地を作っていただいたと思っている.斎藤,小林両氏に感謝申し上げたい.
 さて本稿では,病跡学的に躁うつ病説17)23)が定着しているJohann Wolfgang von Goetheの妻Christiane von Goetheの人生に注目したい.一次資料から正確なChristiane像が読み取られ評価されるようになったのは,ようやく1990年代からだという11).Christianeは躁うつ病者だったGoetheにとって,どのような存在で,また自身どのように健康を維持したのであろうか.生まれたばかりのサルトグラフィのささやかな試みである.

Ⅰ.Christiane VulpiusとGoetheの生涯5)6)21)
 1765年6月1日,ChristianeはWeimar公国で生まれた.父方は代々牧師の家柄で父親は宮廷司書だった.母方は製造販売を営む裕福な家庭出身の市民だった30).しかし父親の給料では,母親,3人の子ども,父親の未婚の姉妹2人の大所帯を支えることは困難だった.少女時代のChristianeは私塾で教育を受けたと推測され,ギムナジウムに通った兄Christianと終生仲がよく,二人で文学や演劇の話をしていたという.当時のChristianeは「とてもかわいく親切でよく働く女の子で,リンゴのような丸顔で血色がよく,黒い瞳が輝いていた.唇は少しふくよかでさくらんぼのように赤く,よく笑うので美しい白い歯がみえた.栗色の豊かな巻き毛が,額と首筋にかかっていた」という30)55)
 1782年(17歳),父親が横領容疑で投獄される.このとき,父親の減刑のために行動を起こしたのはChristiane一人だった.父親は釈放されたものの失職し,妹と実母の死去,父親の再婚,義母の病気で一家はより困窮する.Christianeは開設されたばかりの女性だけを雇用する造花工場で働くようになる.当時,女性が外で働くことははしたないこととされていたが,彼女は喜んで働いていた.
 1786年(21歳)に父親が死去.芸術家志望だった兄は出版社などと契約して収入先を確保する旅に出る.彼は法学学位をもっていたことから,宮廷での仕事を嘆願する書簡をChristianeに託した.1788年7月12日,23歳のChristianeはGoethe邸へ出向く.当時,GoetheはWeimar公国の枢密顧問官であり,民間人として最高位の立場だった.彼女はGoetheを見つけると堂々とした態度で兄の書簡を手渡したのだった.Italy旅行から戻り,初めての恋愛を経験したばかりだった39歳のGoetheはChristianeを一目で気に入り,その日のうちに愛人にした.なお当時の23歳の女性は結婚適齢期を過ぎたと考えられていた30)
 しばらく二人の関係は隠されていたが,同年秋には噂になる.このことに最も反応したのはCharlotte von Stein夫人だった.彼女は冷え切った夫婦関係の不満の癒しをGoetheに求めていた.約10年間続いた二人の関係は,Goetheにとって夫人は「宮廷愛的貴婦人」,夫人にとって彼は「理想像へ教育する若者」で,あくまでプラトニックなものだった.夫人はGoetheを許さず,Christianeを「尻軽女」「売春婦」と呼び続けた.この侮蔑的振る舞いは当時のWeimar公国の上流階級では当然のことだった.一方,GoetheにとってChristianeは単なる愛人ではなかった.というのも,当時の上流階級男性は愛人を戸籍のうえで親戚にしたり,女中などの適当な役職をつけて住まわせたりするなどのさまざまな方法をとった.しかし,彼はChristianeをそのまま同居させた*2.彼女は一緒に住むことを許された叔母と勤勉に家事をこなし,生活の雑事からGoetheを開放した.
 1789年(24歳),Christianeは妊娠し,同年12月25日に息子Augustが生まれる.その後13年間でChristianeは4人の子どもを4~5年おきに出産するが,全員死産か数日で死亡している.
 1790年(25歳),公務でGoetheはItalyに再び旅立つが,この旅行でGoetheはChristianeと息子がどれだけ自身にとって大切な存在かを思い知らされる.GoetheはChristianeに,情熱的で他の誰に対してとも違うリラックスした内容の手紙を大量に送っている.1793年(28歳),GoetheはChristianeの存在を母親Katharinaに伝える.母親はChristianeの素性にふれずに素直に喜んでいたという.
 1794年(29歳)にGoetheはSchillerと強い友情で結ばれ,Schiller家に入りびたるようになる.Christianeは孤独感から不満を強め,この期間は二人にとって危機的状況だった.しかし,Goetheは創作活動にChristianeを参加させるようになり,さらに未亡人年金を確保したり,遺言書をわざわざ作成して相続人として彼女と息子を指定するなどした.さらに1797年(32歳),GoetheはChristianeを姑と会わせることにした.明朗で邪気がない気質が似ていた二人は意気投合し,以後,多くの書簡が交わされる.ところが,再びGoetheはSchillerのいたJenaに戻ってしまい,Christianeは「私は不愉快で仕方がありません」という手紙を幾度か送るようになった.同年11月,二人は改めて話しあい,「愛情だけで結ばれる関係」から「創作活動のために共同作業する関係」へ変わったことを確認したとされる.以後,Christianeの愚痴めいた手紙はなくなる.
 1800年(35歳),GoetheはChristianeを連れてLeipzigを旅行する.そこで初めて彼女は「Goethe夫人」として扱われる.この経験の後,彼女は「私は(略)わが道をいき,家政を立派に司り,夫を愛し,子どもをよろこびにし」「Weimarの人々はどうぞご勝手になさって」と決然とした発言を残している.
 1801年(36歳)から24歳の医師Nicholas MeyerがGoethe邸にしばしば訪れるようになる.Meyerと彼女は気があい,以後,10年以上文通を続ける.Christianeは夫への手紙では明るく振る舞っているが,Meyerへの手紙では落ち着いた別人のような文章で心情を記していた6).1802年(37歳),妊娠で体調がすぐれなくなり,同年12月に出産するも乳児はすぐに死亡し,彼女は一人悲嘆に暮れていた.そこでGoetheがBad Lauchstädtへの湯治をすすめると,彼女は瞬く間に活気を取り戻した.「恋の冒険」「ダンス」に興じ「当地では私にとても丁寧にしてくださいます」と喜びに満ちた手紙をGoetheに送り,Goetheは男性のことを記した彼女の手紙に軽く嫉妬していると返している.
 その後,Weimarに戻るとGoetheは奥の自室で秘書と仕事に没頭し,Christianeは自分の友人をもてなすか読書をして過ごすという日常生活に戻った11).彼女はSchopenhauer夫人主催のサロンに出入りできたが,当時,低い身分とされた俳優たちや幼馴染の友人たちとの交流を続けていた11)
 1806年10月14日,Jena/Auerstedt戦でWeimarが混乱している最中,Goethe宅に侵入したフランス兵をChristianeが追い返してGoetheを救うという事件があった.その直後の同月19日(41歳,Goethe 57歳),とうとうGoetheは婚姻届を出した.彼がなぜ長い内縁関係に終止符を打ったのか理由は不明だが,フランス兵の一件で彼女の働きに心を打たれたからという説が一般的なようである*3
 1808年9月13日(43歳),Goetheの母が78歳で死去.Christianeは即座に一人で遺産相続の手続きをこなし,周囲から手際のよさを称賛された.また劇場監督でもあったGoetheは運営についてしばしば現場と衝突した.その際,俳優たちの心情や実情を知りつくしたChristianeが仲介して事態を収めることがあった.この年の12月からGoetheはChristianeのことを公然と「うちの妻(das Frauchen)」と呼ぶようになる.
 しかし,1810年(45歳)以降は,二人の関係がさらに変化した時期だった.Goetheは創作と同時に多くの女性たちと恋愛を楽しみ,さらにそのことをChristianeに隠さなかった.Christianeは手紙のうえでは寛大だったが,自宅ではしばしば泣いていたという.一方でNapoleonとの戦争で訪れる将軍たちの世話や,ダンス,観劇,舞踏会などの余暇に参加して彼女なりの生活を過ごしていた.しかし二人は機会があれば旅行に出かけ,Christianeが交友関係でトラブルに巻き込まれるとGoetheは妻をかばった.1813年(48歳)は出会いから25周年だった.64歳の夫は鉛筆で書いた詩を送ったのだった.
 1815年1月(49歳),Christianeは脳卒中発作で倒れ,2月にはけいれん発作を起こした.彼女は記憶障害と軽度の麻痺症状を抱えたが,いつも通りに家事をこなしていた.一方のGoetheは妻の病気から逃げるように創作とMarianne Willemer夫人との恋愛に耽溺した.30歳のWillemer夫人はGoetheにとって初めて出会った審美的に対等な女性だった.Goetheにとって最初で最後の創作的絆と愛が結びついた関係は,この年の暮れに終わりWeimarに帰宅する.
 1816年に入っての数ヵ月は穏やかな時間だったと推測される.二人きりで昼食と散歩を楽しみ,時に観劇やハイキングにも出かけている.しかし,同年5月,Christianeは再度の卒中発作に襲われる.Goetheは死を恐れていたため,妻の病室に近づけず仕事に逃げ込んだ*4.日中は義姉と知人がChristianeに付き添ったが,夜は一人だったという.1816年6月6日正午,Christianeは息を引き取った.享年51歳だった.

Ⅱ.Christianeの気質
 Christianeは当時「女中(Magd)」「家政婦(Haushälterin)」「空っぽのデブ(ein rundes Nichts)」「血入りソーセージ(eine Blustwurst)」,没後もThomas Mannに「素敵な肉体(un bel pezzo di carne)」と呼ばれ,Goetheの「無教養で下品な性的パートナー」とみられていた6)11)21)30)*5.しかし,Goetheと親しい上流階級,知識人たちは彼女を「心の温かい,形式ばらない堅苦しくない人」「控えめで好ましい」「(落ち込みがちなGoetheは)彼女の明るい,生活を楽しむ気質によって元気づけられ(略)結婚生活は満ち足りている(略)Goetheは公の場でも妻に敬意を払い(略)彼女はとても楽しそうにしゃべるので(彼女と話すのが)楽しみ」「人の悪口を言わず(略)素朴で明るい,ごく自然な知性がGoetheの関心を惹きつけるのだと納得した」と評している6)21)54)
 伝記では,Christianeの性質は以下のようにまとめられている6)21).控えめで見栄をはらず,分をわきまえ,堅実だった.そして勤勉で,清潔であること,整頓に努め管理能力に優れていた.他人に対して偏見をもたずに自然に接し,円満で,日常的な暮らしに喜びを見出し,いるだけでその場を明るくして人生を楽しむすべを知っていた.さらに,夫が長く留守にしても耐えられ旅行の帰りに別行動の際は,懐に拳銃を隠しもって行動するなど6)21)30)54)自立心をもっていた11)54).一方,彼女には他者からの承認が重要で6),Goetheは繰り返し手紙で彼女の実務能力を褒めているが,それは彼女にとって大きな原動力になっていた6)
 彼女には教養はなかったかもしれない.しかし,生活の知恵と賢明さがあった.ある夫人はそれを「明るい知性(heller Verstand)をもつ」と表現している21).さらに「(Goetheが)ある問題に取り組み,考えがあまりに入り乱れてくると,考え過ぎて収拾がつかなくなることがあり,そういうときに彼女のところに行って,わかりやすくその問題をもちだすと(略)いつもすぐさま適切なものを見つけ出すことができた」という証言もあった21).西山30)やDamm6)はChristianeの手紙の文章から,女性性を肯定的に活き活きと描写する表現力に驚嘆し,「当時としては異例」と高く評価している*6.彼らは微笑ましいことに隠語で手紙を交換し,時にあけすけな造語もあった.また,Goethe自身は彼女を「自分と考え方と行動の仕方が同じ」で,「自分のままであり続けた」「自然人」と表現していた6)
 Christianeは,勤勉で整理や秩序を重んじ,他者への配慮を欠かさない点など循環気質的な側面を有していたと考えられるが,Goetheが彼女のことを「自然人」と述べていたことは注目すべきだろう.彼女の生涯をみると,遠慮しつつも感情表現ははっきりしており,抽象的なものよりも現実的で日常的なことに関心と好奇心をもっていること,行動力をもち,熱中しやすく,ダンスを愛好する運動性が特徴であるなど,安永56)の指摘する中心気質的な面がより強かったと考えられる.まとめると,Christianeは,基本的に己の望むことに自然に従って生きる中心気質だが,同調性,他者配慮性の強い循環気質的な側面もあった女性だったのであろう.

Ⅲ.Christianeのしたこと―快適な環境を提供し,自身も快適に過ごすこと―
 Salutogenesisの健康(Salut)の語源はローマ神話の女神Salusに由来する16)32)41).もともとローマ人にとって病気回避あるいは子の誕生を祈願する神だったが,疫病が流行した際に祈願の対象となったことから32),徐々に公衆・環境衛生の女神という側面も付け加わったと考えられている41).したがってsalutogenesisという言葉は,環境衛生生成という意味にもなる.治療においては個人の特性はもとより,それを活かすために,いかに環境を整えるかも重要であろう3)13)
 GoetheにとってChristianeは女神Salusだった.彼が創作に集中するために,彼女はほとんど不平を言わずに家庭の雑事をすべて引き受け,努めて明るく振る舞い,彼の身勝手な振る舞いや不機嫌な気分変調を受け流し,ほぼ一人で息子を育て上げ,彼の邪魔にならないように行動した.では,躁うつ病者Goetheの介護者としては,Christianeをどう評価できるだろうか.
 躁うつ病者の介護についての報告は少なく14),基本的に心理教育の重要性が指摘されている程度である7)14)25).酒井35)は躁うつ病者の家族の対応について国内外の文献の総説を発表しているが,家族が症状をコントロールできると考えている場合や,家族が患者の状態判断に自信がもてない場合に負担感が大きくなり,また介護をする家族の多くが孤独感を抱えているという.さらに,感情に焦点をあてた対処は疲弊が大きくなる29)ので,介護者の多くは問題解決に焦点をあてた対処行動をとっていると指摘されている35)*7.また精神疾患一般の介護に関する報告でも,孤立(社会的・家族からのサポート不足),患者に過剰に巻き込まれることが,介護者の疲弊を招くと指摘されている8)9)15)19)31)
 病跡学では高橋44-50),吉井57)が精神疾患を抱えた才人の家族のケアについて多くの論考を発表している.彼らによれば,介護がうまくいった例では,地域でのケア,多くの協力を得た,敬意をもって接した,本人の特性や疾患への十分な理解,共依存を避け自身の生活を大事にしたなどが挙げられている.
 さて,Christianeだが,彼女はGoetheを尊敬し信頼してケアする一方,ダンス,観劇などの自分だけの気晴らしをもち,過剰な自己犠牲に陥らなかった.さらに兄や叔母,Goetheの母親,Meyer医師など多くの知人がおり,彼女は孤独を回避できた.また当時はおそらく「芸術家気質」と考えられ病人扱いされていなかったGoethe*8を「旦那様はHypochodorie」で「あの方は病気なのですから,私はどんなことでも嫌がらずにいたします」6)と,あっさりと夫を病人としてみていた.そしてChristianeはGoetheの「症状」すなわち不機嫌さなどを無理にコントロールしようとせず,夫の自由にさせていた.さらに彼女は気分を発散して嫌なことは忘れる情緒的対処だけでなく,Goetheが劇場問題で悩んでいるときなどは,何が解決を阻んでいるかを自分なりに考えて行動する問題解決型の対処をしていた.以上は,まさにこれまでの文献で指摘されていた点と合致している.では,Christianeの生涯から,他に得られることはないだろうか.
 まず一点は「自分だけの趣味・時間をもつ」とは異なる形で,Goetheと心理的距離がとれていたことである.ChristianeはGoetheに敬意を抱きつつ,彼の俗っぽさだけは皮肉めいた視線で眺めていた6).宮廷で恭しく振る舞うGoetheを彼女は滑稽に思っていたらしい6).つまり,根っからの循環気質で世俗的成功を好むGoetheと,基本的に中心気質で日常的で自然なものを好むChristianeの間でわずかな価値観のずれがあった.そのため,Goetheが演劇や著作で酷評されたり宮廷内の出来事で落ち込んでも,世俗の評判に価値をおかないChristianeは彼の精神状態に影響されなかったのではないだろうか.
 もう一点が彼女はもっていた他者配慮性を別の形で生かすという点である.彼女はGoetheの介護,ケアに苦労していたが,現在でいう明らかな「介護うつ」に陥ることはなかった.Goetheによる介入もあったが,彼女なりの工夫も関係していると思われる.Damm6)はChristianeが,身分の低い者たちの代母になったり,結婚式や子の誕生に立ち会ったり,一緒に死を悲しむ,あるいは他の者に忘れられていた誕生日を祝ってやるなどを楽しみ,とりわけGoetheが気難しい―つまり抑うつ的な―ときほど,それらが大きな息抜きになったと指摘している.他者配慮性から夫の役にたつことは喜びだったようだが,時としてそれが負担になることもあっただろう.そのような際にChristianeは,「より負担の少ないケア」をGoethe以外の者に行うことで,自分の気質を生かした気晴らしができたのだった.

おわりに
 Christianeの生涯をみると,階級差別のなかでひたすら耐え忍んだ女性のように思える.もちろん,その側面は否定できない.一方で,彼女なりの賢明さで,自己犠牲に陥らない工夫をしていたと思われる.彼女は夫に敬意を払っていたが,曇りのない観察眼で夫が病気であるとしっかりと認識していた.さらに自分だけの生活も大切にし,他者から協力を得ることを躊躇わなかった.そして旺盛な自立心で夫に心理的に支配されずに距離をとりつつ,自身が得意とした「他人を世話すること」が夫の介護で行き詰ると,彼女はより負担の少ない夫以外の者への「世話」を楽しむことで,夫への介護を続ける工夫をしていたのだった.
 偉大なGoetheを支えたChristiane von Goethe夫人の生涯は,精神疾患家族がいかに燃え尽きを回避してケアするかという点で,いくつかのヒントを与えるものと考えられた.

 なお,本論文に関して開示すべき利益相反はない.

 謝 辞 女性として,妻としての立場から貴重なコメントをくださった筑波大学医学医療系精神医学(現・早稲田大学)石井映美先生,筑波大学医学医療系精神医学 袖山紀子先生,渡部衣美先生,茨城県立こころの医療センター 小松崎智恵先生,石崎病院 野尻美流先生,そして最も辛口のコメントを与えてくれた妻直美,皆様方に深謝いたします.

文献

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50) 高橋正雄: 統合失調症者としてのニジンスキー―妻の側からみた病い―. 病跡誌, 79; 70-80, 2010

51) 高柳茂美, 福盛英明, 一宮 厚ほか: 疫学的アプローチによる学生のメンタルヘルス支援に向けたシステム構築―首尾一貫感覚 (SOC)―. 九州大学P & P研究 EQUSITE Study 5. 健康科学, 33; 87-90, 2011

52) 辻 大士, 笹川 修, 中村信次ほか: 大学生におけるスポーツ系の部・サークル活動参加とストレス対処力, うつ・不安感の縦断研究―2年間 (3時点) の追跡調査に基づく分析―. 運動疫学研究, 19 (1); 24-35, 2017

53) 内海 健: 双極性障害と創造性. 臨床精神医学, 46 (3); 307-315, 2017

54) Weissensteiner, F.: Die Frauen der Genies. Franz Deuticke. Vienna, Frankfurt, 2001 (山下 丈訳: 天才に尽くした女たち. 阪急コミュニケーションズ, 東京, p.55-99, 2004)

55) Witte, B., Buck, T., Dahnke, H. D., et al. (hg): Goethe Handbuch Bände 4/1. J. B. Metzler, Stuttgart und Weimar, p.394, 1998

56) 安永 浩: 「中心気質」という概念について. 安永浩セレクション (内海 健編). ライフメディコム, 東京, p.145-149, 2014

57) 吉井初美: 『クラクラ日記』から読み取る家族看護―発病時の安吾を支えた三千代夫人の心理と対応―. 病跡誌, 81; 53-63, 2011

注釈

*1 私見だが,健康生成論に疑義がいくつかある.機会があれば詳述したいが1つだけ指摘すると,同理論で概念化されたのはホロコーストという特殊で異常な環境下での生き残り能力である.しかし,このような極限状態での能力は,日常的状況に適用するには,いわば強度が高すぎ,単純に日常の「病」などにパラフレーズできないのではないだろうか.斎藤34)は健康生成論の主要概念の首尾一貫感覚は,ある種の鈍感さではないかと論じているが,著者の疑問を具体的かつ明確にした批判であると考える.

*2 Damm, S.6)は,この同居をFrance革命に傾倒していたGoetheの自由な生き方を選択するという意志表明だったと指摘している.一方,Klessmann, E.21)は二人が互いに上流階級からかばいあっていた可能性を指摘している.Goetheは市民階級の出であり(父方は蹄鉄工や仕立屋で,父親は旅館主人となり蓄財して法学学位を購入してもっていた.母方は法律家などを輩出,祖父はFrankfurt終身市長だったが30)43),決して高い家柄ではない30)).Weimar公国着任時も,当初の周囲の反応はお手並み拝見という程度だったという6).嫉妬と権謀術数が日常の上流階級のなかで己の能力だけを頼りに生きてきたGoetheにとって,本来の自分をみせられる存在はChristianeだけだったのだろう.そして,自分自身そうだったかもしれない―上流階級夫人の愛人―もう一人の自分の姿を彼女にみていたのかもしれない.

*3 かつての恋愛経験から結婚を束縛と考え決意が遅れたという指摘6)24),息子を正式な嫡出子にする意図があったという指摘もある6).ただし,後者は当時すでにAugustが認知されていたことから否定できるだろう.また,DammはGoetheが結婚指環にNapoleon Bonaparteが勝利した10月14日を刻印したことから,新秩序に自ら移るという期待と決意の象徴としての結婚だったのではないかと述べている.石井映美は,結婚という外形をとっているが,GoetheがChristianeを女性としてというより人として認めたことを証拠立てたかったのではないかと指摘している(私信).著者は石井説が最も説得力があるように考える.

*4 内海53)は同調性の特性として環境との共振があるが,逆に異質なものへの脆弱性につながると指摘している.Goetheの病者への態度はまさにあてはまる.さらに躁うつ病者の防衛手段として,躁的防衛とナルシシズム的撤退を指摘53)しているが,Goetheが己の創作世界に引きこもったのはナルシシズム的撤退であろう.

*5 本邦で1941年に「父親としてのゲーテ」26)という著作が出ている.まだ欧州ではChristianeを侮蔑的に扱っていた時期に,同書は彼女を好意的に取り上げ,引用文献も「シュタイン夫人に近い立場からの著作なので注意が必要」など慎重な態度をとっている.

*6 例えば「睦みあいのとき(Schlampamps-Stündchen)」6),おなかの子を「鬼っこちゃん(Pfuiteufelchen)」,お互いや気に入った異性を「いい人(Äugelchen)」,そしてGoetheの「偉大な足閣下(Herr von Schönfuss)」と「おしゃべりと愛撫の時間(Schlampampsstündchen)」21)27)を過ごす,などである.

*7 感情焦点型対処は感情の調整や気分の発散,問題解決型対処は問題に関する情報を集め現実的解決策を探る対処行動のことである31)

*8 精神的不調に気づいた者も地位の違いから遠慮していた可能性もあろう.しかし,当時,はっきり「病気」と言い切ったのはChristianeだけと思われる.

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