Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文全文

第120巻第9号

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特集 精神医学の哲学(Philosophy of Psychiatry)―新しい潮流―
了解とシミュレーション
植野 仙経
京都府立洛南病院
精神神経学雑誌 120: 766-774, 2018

 「精神医学の哲学」が精神医学に対してもつ意義を考える一事例として,心的シミュレーションとJaspers, K. の了解概念との関係について考察した.Jaspersは心的なものを内から把握する手段として感情移入(Lippsの共感概念)による了解を重視し,心の理解は内的模倣による感情移入によって行われると考えた(共感説).一方,科学哲学や心の哲学を背景とした近年の認知科学,神経科学が重視するシミュレーション説によれば,他者理解はミラーニューロンが関与するメカニズムによって行われる.他者と類似した状態が自己のうちに生じることで他者理解がなされるとする点で,共感説とシミュレーション説とは同じことを述べているといえる.ただし,Jaspersの了解概念と,シミュレーション説とでは扱う主題が異なる.前者は了解という方法を,(精神医学における患者理解という文脈で)他者理解の方法としてパーソナルなレベルで用いることの妥当性を論じている.一方で後者はサブパーソナルなレベルで働く心的・脳内メカニズムを問題にしている.したがって,シミュレーション説の枠内で共感のメカニズムの詳細が明らかになっていくとしても,そのことで,精神医学における了解という方法の位置づけがより明確になるとはいえない.共感説とシミュレーション説の対比からみえてくるこの相違点が示すように,心の理解を論じるにあたっては,問題がパーソナルな水準とサブパーソナルな水準のいずれに位置しているのか,また,問題は対象のメカニズムなのかそれとも方法論上の妥当性なのか,という区別に留意することが議論の混乱を避けるために重要である.Jaspersの『精神病理学原論』は精神医学の方法論として精神科医には馴染み深いものであり今日でも重要な意義をもつ.それとは異なる背景をもつ精神医学の哲学は,Jaspersに馴染んできた精神科医の発想を相対化させ深化させるうえで,興味深い概念枠組みや参考事例を与えてくれるだろう.

索引用語:了解, 共感, シミュレーション説, ヤスパース, メレオロジカルな誤謬>

はじめに
 「精神医学の哲学」は英米圏の哲学,とくに科学哲学や心の哲学を背景にしている.心の哲学には心の理解に関してシミュレーション説(simulation theory)という見解がある.それは,人は他人の心を理解するにあたって,相手の立場に身をおくことでその人の気持ちや考えを思い描く―いわば心的なシミュレーション(mental simulation)を行っている―という説である.イギリスの科学哲学者Cooper, R. は『精神医学の科学哲学』3)の第5章においてシミュレーション説を援用し,患者の個人誌(case history)すなわち生育歴や個人的な体験に関する情報は,臨床家が患者の心を理解するために行うシミュレーションの足場として役立つと述べる.そして,この見解は,了解や共感の重要性に関する伝統的な主張,例えばJaspers, K. の主張と対立するものではなく,心の理解がどのようになされるかに関する1つの説として位置づけられる,という.
 心的シミュレーションによる心の理解はCooperが主張するように共感あるいは了解と同じものといえるのか.また,心の哲学におけるシミュレーション説やそれに基づく考察は,共感や了解に関する伝統的な見解,特に了解に関するJaspersの方法論的考察とどのような関係にあるのか.これらの問題について考えることは,精神医学の哲学という新しい潮流が精神医学にいかに貢献しうるかを考えるうえでの1つのモデルケースとなるだろう.この問題意識のもと,了解に関するJaspersの見解とシミュレーション説との関係について考察を行った.なおJaspers『精神病理学原論』からの引用は初版19)による.引用・参照箇所の原文は初版と第5版24)とではほぼ同じである.

I.了解と感情移入
1.了解
 精神科臨床では患者の心的状態について評価し,精神医学的な所見として取り出す.そのためには患者の訴えを字義通りに受け取るだけでは不十分なことが多い.そこで患者自身が主観的に何を思い,何を感じているのかを把握することが求められる.心的状態を主観的・心理的な側面から理解することを,従来の精神医学では了解(ドイツ語でVerstehen,英語ではunderstanding)と呼んできた.この了解という概念は,19世紀ドイツの歴史学,解釈学に由来する37).すなわち,自然科学の目的は物事の説明(Erklären)に,歴史学の目的は現象の了解(Verstehen)にあるという区別を歴史哲学者のDroysen, J. G. が導入し,それを哲学者のDilthey, W. が精神科学の方法としての了解,自然科学の方法としての説明として方法論的に洗練させた.
 了解というアプローチを精神医学に導入したJaspersは『精神病理学原論』において,了解は「精神的なものを中から見ること」を,説明は客観的な因果関係を外から見ることを指すとした20).この区別は,解釈学における説明と了解との区別に相当する.そしてJaspersは了解を,あるがままの精神的性質や状態をつかむ静的了解と,精神的なものから精神的なものが出てくる精神的な関連をとらえる発生的了解とに区別した.また発生的了解を理性的了解と感情移入的了解とに区別し,理性的了解は意味の関連を論理的に理解することを指すがそれは本当の心理学的な了解ではなく,発生的了解のなかでも感情移入的了解(einfühlende Verstehen)こそが「精神的なもの自体の本当に心理学的な了解」であるとした23)
 Jaspersによれば,発生的了解は「心を移し入れる」こと,すなわち感情移入によってなされる.例えば,発生的了解と因果的説明とを対比した箇所では「精神的なものの中へ入ってみると(durch Hineinversetzen in Seelisches),精神的なものから精神的なものが出てくることがわれわれに発生的に了解される」22)という.発生的了解は「精神的関連を内部から,…主観的に,明白につかむこと」(subjektive, evidente Erfassen der seelischen Zusammenhänge von innen)23)であるが,主観的につかむというのは,「精神的なものの中へ心を移し入れること,精神的なものを直接心に描き出すことによって」(durch Hineinversetzen in Seelisches, durch unmittelbare Vergegenwärtigung von Seelischem),あるいは「心を移し入れること,感情移入,共体験によって」(durch Hineinversetzen, Einfühlen, Miterleben)わかることを言う21)

2.感情移入・共感
 了解が感情移入によってなされるとして,感情移入とは何を指しているのか.ここで言う感情移入は,当時のドイツ語圏の人文科学に由来する概念である.19世紀後半,ドイツ・ロマン主義の美学では(対象に)自己を感じ入れる(sich hineinfühlen)という表現が多用されており,そこから感情移入(Einfühlung)という概念が作られた.絵画や彫像などの対象の美しさを感じるといった美的体験は,見る人が対象のなかへと自らの生を「感じ入れる」ことで,すなわち感情移入によって成立すると説明された.そして20世紀初頭,感情移入の概念はLipps, T. によって,他者の心的状態の把握がいかになされるかを説明する概念として心理学に取り入れられた15)31).また共感(empathy)という言葉は,感情移入の英訳として心理学者のTitchener, E. が作り出したものである28)36)
 Lippsによれば,表情や身振りに表現された他者の情動は,感情移入によって直接的に把握される17)18)26).感情移入は模倣衝動と表出衝動という2つの成分からなる.われわれは自らの情動を身ぶりや表情によって表出しようとする傾向性をもつ.これは表出衝動による.一方,他者の表情や身ぶりを知覚したとき,それを知覚した人には,それの表情や身ぶりを模倣しようとする傾向が生じる.これは模倣衝動による.模倣衝動によって内的に模倣された表情や身ぶりにより,それに対応する情動が「再生産」される.その情動を他者の身体的なあらわれの内に移し入れることによって,他者の情動が把握される.例えば,人の悲しみの表情を見たとき,見た人には相手の悲しみの表情を模倣する傾向が生じる.それによって,その表情に対応する情動すなわち悲しみが内的に生じる.そのように生じた悲しみを相手に移し入れることによって,相手が悲しんでいることが直接的にわかるのである.
 Lippsの仕事は,20世紀初頭,他者の心の了解に関する哲学的考察にとっての中心的概念として共感をポピュラーなものにした32).また,共感の概念はDiltheyの初期の仕事によって了解の概念と合流した33)
 その後の解釈学の流れにおいて共感は中心的な位置づけを失い,了解と共感はむしろ注意深く区別されるようになった35).そして心理学や神経科学では共感のさまざまな側面が区別されるようになった.例えば共感への多元的アプローチにおける認知的共感と感情的共感の区別4),共感という概念に含まれる他者の心の理解という側面と他者への共感的配慮(empathic concern)という側面との区別1),共感における自動的なプロセスと意識的・熟慮的なプロセス(社会―認知的要因によるトップダウン的な調節)との区別5),である.しかし本論では,精神医学における方法論としてJaspersが了解を論じた際に最も重視したのは「感情移入的了解」であり,そこで言うところの感情移入とはLippsの意味での共感(模倣衝動を基盤とする)であった,ということを確認しておきたい.そしてこの考えを,心の理解は内的模倣による感情移入によって行われるという説であるとみなし,本稿では以下,「共感説」と呼ぶ.

II.シミュレーション
1.シミュレーション説
 次に,シミュレーション説について概観しよう.例えば,航空学のエンジニアは,新たに設計した飛行機がある気象条件のなかでどのようにふるまうかを予測するためにスケールモデルと風洞を用いたシミュレーションを行う.すなわち,その飛行機のスケールモデルを作製し,風洞を用いて空力学的に同様の条件のもとで飛行させることによって,本物の飛行機のふるまいを予測する.これと同様のことをわれわれは他人の心を知るために行う,とシミュレーション説では考える.しかじかの状況における人の気持ちや考えを推し測るとき,人は自らがその状況におかれたとすればどのような気持ちや考えをもつだろうかと思い描く.すなわち「その人の立場に身をおくこと(putting oneself into someone’s shoes)」で,自らの心をモデルとしてシミュレーションを行い,そのシミュレーションから得られた心的状態を人に帰属させることによって心を把握する12)13)
 このような見解を初めてシミュレーションという概念を用いて展開したGordon, R. は,心をシミュレーションするために人はある種の「ごっこ遊び(pretend―play)」の能力を用いると述べている16).このような考えが1980年代に,シミュレーション説として提案された.

2.シミュレーションとミラーニューロン
 その後,1996年に発見されたミラーニューロンは,シミュレーション説を支持する証拠として受け止められた11).ミラーニューロンとは,餌をつかむといった対象にかかわる行為(object―directed action)をマカクザル自身が行うときと,他のマカクザルやヒトが同様の行為をするのを観察するときとの双方において活動するニューロンである10)27).ヒトの脳にもミラーニューロン的活動を行う領域ないし回路が,いわばミラーシステムが存在する6)28).すなわち,ある行為について,自分自身がその行為を行った場合にも,他者がその行為を行っているのを見た場合にも同じ神経システムが活動するのである.ということは,ある行為について,行為者の神経システムの活動と相同的な神経システムの活動が,その行為を観察している者においても生じる,ということになる.このことから,ミラーシステムとは,他者の行為をシミュレートする役割を担っていると推測されることになったのである.
 このようなミラーシステムの発見により,シミュレーション説は神経科学者および認知科学者たちに熱狂的に支持された30).2000年代前半には,他者理解のほとんどはミラーニューロンを基盤としたメカニズムで行われているという風潮が認知神経科学の世界にあったという7)

3.暗黙の・自動的なシミュレーション
 ミラーニューロンに言及する上記のようなシミュレーション説を本稿では「強いシミュレーション説」と呼ぶことにする.この「強いシミュレーション説」に対してはGallagher, S. らによる次の批判がある8)9).ミラーシステムの活動は,意識的にコントロールされるものではなく,自動的な,サブパーソナルな活動である.すなわち,ミラーシステムによって心に関するシミュレーションが行われるとしても,それは暗黙のうちに,自動的に行われることになる.しかし,従来のシミュレーション説によれば,心的シミュレーションとは「その人の身になって考えること」,あるいはその人がおかれた状況や生まれ育ちを仮装(pretend)することでなされる.これはパーソナルなレベルで行われるものであり,意識的に制御されうるものである.また,そもそもシミュレーションとは何かを装う(pretend)ものであり,フライト・シミュレーターなどのシミュレーターは本当の物事を理解するための道具として意図的に用いられる.それゆえ,ミラーニューロンの働きが暗黙の・自動的な心的シミュレーションを担っているという考えはおかしい,とGallagherらは批判する.
 この批判に対してGoldman, A. I. は,「強いシミュレーション説」の立場から次のように答える13).シミュレーションにとって本質的なのはターゲットとモデルとの類似性の関係であり,仮装ではない.したがって暗黙の・自動的なプロセスであっても,それが何かをシミュレーションしていると考えることに問題はない14).むしろ,シミュレーションとは「ごっこ遊び」すなわち仮装であると考えていたのでは,ミラーシステムによるシミュレーション的な活動や,目前の人の悲しみは考えなくても自ずとわかるといった心の理解を扱うことはできない.類似性という観点からシミュレーションを考えることで,暗黙の自動的な心ないし神経系の活動もシミュレーション説の枠組みで扱うことができるのである.さらに「人の身になって考える」こと,すなわち仮装による心の理解についても,類似性関係を実現する1つの方法として仮装を位置づけることで,シミュレーション説のなかで扱うことができる,という15)

III.考察
1.現代の共感の理論としてのシミュレーション説
 以上に述べてきたことからは,了解および心的シミュレーションはそれぞれ次のようにまとめられるだろう.
 ①了解(厳密にはJaspersの了解概念の中核となる感情移入的了解)は感情移入による.感情移入は内的模倣による.他人の情動表現を知覚したとき,模倣衝動によって自らの内部にそれに対応する情動が再生産される.その再生産された情動を他人のなかに移し入れることで,他人の心は理解される(以上,他者理解の「共感説」).
 ②他人の心の理解は心的シミュレーションによる.他者の表情や動作を知覚したとき,ミラーシステムのような神経メカニズムによって,ターゲットの脳状態と類似した脳状態が成立し,ひいては自らの内部にそれに対応する心的状態が生じる.そこで生じた心的状態を他人に投射することで,他人の心は理解される(以上,他者理解のシミュレーション説.神経メカニズムへの言及箇所は,「強いシミュレーション説」).
 上記のことからは「共感説」と「シミュレーション説」はほぼ同等のことを述べているようにみえる.さらには,共感説の基盤となる感情移入は意識的プロセスであるとは想定されていないことからすると,「共感説」は,「強いシミュレーション説」とさえ同等であるようにみえる.そうだとすれば,シミュレーション説は現代版の共感の理論といえることになる31).Zahavi, D. はシミュレーション説を批判的に検討するなかでLippsの共感説に対する現象学からの批判を参照しているが,そこでLippsの共感説とGoldmanのシミュレーション説とが同等のものであることを指摘している38)

2.了解とシミュレーションとの相違点
 シミュレーション説と共感説とが同等のものだとして,了解に関するJaspersの見解とシミュレーション説とはどのような関係にあるのだろうか.共感の神経メカニズムの解明によって,感情移入的了解に関するJaspersの主張がより明確で具体的になったというのが,多くの支持を集めやすい考え方であろう.すなわちシミュレーション説によって共感説は,その生物学的基盤を付与された,物質的な肉づけを与えられた,という見解である.
 しかし,このような理解は的を外している,というのが著者の主張である.内的模倣やミラーシステムといったメカニズムはサブパーソナルなレベルの事象である.一方,精神医学の方法としての了解は,科学の手段としてパーソナルなレベルで用いられる手段である.それらは異なるレベルの物事であり,一方に関する話が精緻で具体的なものになったからといって,もう一方の物事が明確で具体的なものになったとはいえない,と著者は考える.細かくみると,ここには2つの相違点が含まれる.
 1つめの違いは,パーソナルなレベルとサブパーソナルなレベルとの違いである.先に述べたGallagherの批判はこの点にある.すなわち,パーソナルなレベルにおいて,「脳(脳領域)が何かを行っている」と述べることは意味をなさないし,逆に,脳が「何かのふりをしている(pretend)」などと,パーソナルな概念を用いて述べることも意味をなさない8)9).この違いは心や脳を扱ううえで留意すべきポイントである.同様の指摘はメレオロジカルな誤謬(mereological fallacy)2)という概念によってもなされている.それによれば,パーソンとしての人間に対して用いるのが適切な言葉を人間の身体のさらに一部である脳に対して用いることは,全体としての人間に固有の属性を脳という部分に帰属させているという点で,全体と部分との関係にかかわる誤謬すなわちメレオロジカルな誤謬であるという.あるいは,そのような言葉づかいは,あるクラスの事物に固有の属性をその属性を本来もちえないクラスの事物に帰属させている点で,カテゴリー錯誤(category mistake)29)であると言うこともできる.もちろん私たちは「ペンは剣より強し」「大学を通り抜ける」「心が痛む」といった言語表現を日常的に用いている.これらの表現はメレオロジカルな誤謬,あるいはカテゴリー錯誤をおかしていると考えられるが,少なくとも修辞表現としては問題ない.大切なのは,このような表現を心や脳に関する主張のなかで扱う場合に,そのレトリック性に自覚的であることだろう.
 2つめの違いは,議論の主題の違いである.この相違点も重要だと著者は考える.先にみたように,Goldmanが述べるようなシミュレーション説は他者の心の理解に関する認知科学的な仮説である.一方,了解に関するJaspersの考察は,精神医学の方法を論じたものである.したがって,そもそも考察の主題(subject matter)が異なる.人の心の理解において用いられる神経学的あるいは心理学的メカニズムに関する話と,そうしたメカニズムによる心の理解が精神医学においてどのように使用されているのか,また使用されるべきかという話とは,たとえるなら,顕微鏡のメカニズムに関する話と,顕微鏡を用いた観察が組織病理学において果たすべき役割に関する話のように,その主題を異にしている.同様の論点は熊崎25)が指摘している.すなわち,Jaspersが「精神病理学者が患者を把握する仕方」を問題にしているのに対して,シミュレーション説などの仮説が問題にしているのは「観察者が観察対象となる人の心をどのように了解しているのか」であり,後者では研究者自身の方法論は問われていない25)
 Lippsによる感情移入/共感の概念は了解の概念と合流したが,のちに了解とは注意ぶかく区別されるようになったことは先述した.この変化の背景の1つとして,解釈学者の関心は,美的体験や他者の気持ちがわかることの直接性とそのメカニズムにではなく,表現の了解という方法の正当化にあったことが挙げられる34).すなわちLippsと解釈学者とでは,議論の主題が違うのである.これは,議論の主題が違えば,一方の分野の成果を他方に転用することはできないということの一例である.

おわりに
 Jaspersは,了解を精神医学の方法の1つとして位置づけた.そして,感情移入による了解を重視した.感情移入は内的模倣によってなされるという心理学的仮説は,心的シミュレーションはミラーシステムによってなされるという近年の認知神経科学の仮説と相同のことを表現している.内的模倣とそれによる感情移入という側面に限れば,Jaspersの了解概念はシミュレーション説によって具現化されたといえるかもしれない.
 しかし,了解に関するJaspersの主張は,精神医学の方法論として提示されたものである.加えてJaspersは,サブパーソナルなレベルでの了解のメカニズムではなく,パーソナルなレベルでの了解の使用法にその関心をおいている.シミュレーション説によって了解のサブパーソナルなメカニズムが具体化されたとしても,「パーソナルなレベルの方法としての了解が精神医学における他者理解の方法論として妥当か否か」というJaspersの問題意識に関して貢献することにはならない.
 この違いが示すように,心的現象の理解について論じる場合,それがパーソナルなレベルでの話なのか,それともサブパーソナルなレベルでの話なのかという区別,およびメカニズムについての話なのか,その使用法に関する話なのかという区別に留意することは,概念の混同や混乱を避けるうえで重要である.この点が,本稿での著者の主張の核心である.
 精神医学の方法としてJaspersが提示した了解と説明という枠組みは,精神科医には馴染み深いものである.しかしそれは,20世紀初頭の共感=了解というパースペクティブに大きく影響されたものである.それとは異なる背景をもつ精神医学の哲学は,精神科医にとって重要な了解概念を相対化してみることに役立つだろう.また精神医学の哲学の背景の1つである科学哲学は,それ自体が科学的方法に関する考察を主題としている.こうしたことから,精神医学の哲学はJaspersの言う方法論的自覚を深めるうえで,興味深い概念ツールや参考事例を与えてくれるだろう.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

1) Batson, C. D.: Altruism in Humans. Oxford University Press, New York, 2011 (菊池章夫, 二宮克美訳: 利他性の人間学―実験社会心理学からの回答―. 新曜社, 東京, 2012)

2) Bennett, M. R., Hacker, P. M. S.: History of Cognitive Neuroscience. Wiley-Blackwell, Chichester, 2008 (河村 満訳: 脳を繙く―歴史でみる認知神経科学―. 医学書院, 東京, 2010)

3) Cooper, R.: Psychiatry and Philosophy of Science. McGill-Queen's University Press, Montreal, 2007 (伊勢田哲治, 村井俊哉監訳: 精神医学の科学哲学. 名古屋大学出版会, 名古屋, 2015)

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5) Decety, J., Claus, L.: Empathy and personal distress. The Social Neuroscience of Empathy (ed. by Decety, J., Ickes, W.). MIT Press, Cambridge, p.199-213, 2011 (岡田顕宏訳: 共感の社会神経科学. 勁草書房, 東京, 2016)

6) Fabbri-Destro, M., Rizzolatti, G.: Mirror neurons and mirror systems in monkeys and humans. Physiology, 23; 171-179, 2008
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7) 福島宏器: ミラーとメンタライジング. ミラーニューロンと〈心の理論〉 (子安増生, 大平英樹編). 新曜社, 東京, p.153-193, 2011

8) Gallagher, S.: Simulation trouble. Soc Neurosci, 2; 353-365, 2007
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9) Gallagher, S., Zahavi, D.: The Phenomenological Mind. Routledge, New York, 2008 (石原孝二, 宮原克典, 池田 喬ほか訳: 現象学的な心―心の哲学と認知科学入門―. 勁草書房, 東京, 2011)

10) Gallese, V., Fadiga, L., Fogassi, L., et al.: Action recognition in the premotor cortex. Brain, 119; 593-609, 1996
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11) Gallese, V., Goldman, A.: Mirror neurons and the simulation theory of mind-reading. Trends Cogn Sci, 2; 493-501, 1998
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12) Goldman, A. I.: Interpretation psychologized. Folk Psychology: The Theory of Mind Debate (ed by Davies, M., Stone, T.). Blackwell, Oxford, p.74-99, 1995

13) Goldman, A. I.: Simulating Minds: The Philosophy, Psychology, and Neuroscience of Mindreading. Oxford University Press, New York, 2006

14) Ibid., p.37

15) Ibid., p.49

16) Gordon, R.: Folk psychology as simulation. Folk Psychology: The Theory of Mind Debate (ed by Davies, M., Stone, T.). Blackwell, Oxford, p.60-73, 1995

17) 池田 喬, 八重樫 徹: 「共感の現象学」序説. 行為論研究, 3; 11-35, 2013 (https://actiontheories.files.wordpress.com/2014/05/studies_on_action_theory_3_ikedayaegashi.pdf) (参照2017-08-20)

18) 石原孝二: 「感情移入」と「自己移入」―現象学・解釈学における他者認識の理論(1)「感情移入」の概念史―. 北海道大学文学部紀要, 48; 1-19, 1999

19) Jaspers, K.: Allgemeine Psychopathologie. Springer, Berlin, , 1913 (西丸四方訳: 精神病理学原論. みすず書房, 東京, 1971)

20) Ibid., p.14 (同書, p.28)

21) Ibid., p.17-18. (同書, p.32-34)

22) Ibid., p.145 (同書, p.179)

23) Ibid., p.147 (同書, p.181-182)

24) Jaspers, K.: Allgemeine Psychopathologie. 5 Aufl. Springer, Berlin, 1948 (内村祐之, 西丸四方, 島崎敏樹ほか訳: 精神病理学総論. 岩波書店, 東京, 1953-1956)

25) 熊崎 努: 101年目のJaspers (歴史編): 了解概念は消滅したのか? 精神医学史研究, 19; 27-31, 2015

26) Lipps, T.: Das Wissen von fremden Ichen. Psychologische Untersuchungen, Band 1 (Lipps, T., hg). Wilhelm Engelmann, Leibzig, S. 694-722, 1907

27) Rizzolatti, G., Fadiga, L., Gallese, V., et al.: Premotor cortex and the recognition of motor actions. Brain Res Cogn Brain Res, 3; 131-141, 1996
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28) Rizzolatti, G., Fadiga, L., Matelli, M., et al.: Localization of grasp representations in humans by PET: 1. observation versus execution. Exp Brain Res, 111; 246-252, 1996
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29) Ryle, G.: The Concept of Mind. Hutchinson's University Library. London, 1949 (坂本百大, 井上治子, 服部裕幸訳: 心の概念. みすず書房, 東京, 1987)

30) Saxe, R.: Against simulation: the argument from error. Trends Cogn Sci, 9; 174-179, 2005
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31) Stueber, K.: Rediscovering Empathy: Agency, Fork Psychology, and the Human Scienes. MIT Press, Cambridge, 2006

32) Ibid., p.9

33) Ibid., p.11

34) Ibid., p.12

35) Ibid., p.16

36) Titchener, E.: Lectures on the Experimental Psychology of the Thought-Processes. Macmillan, New York, p.21, 1909

37) von Wright, G. H.: Explanation and Understanding. Routledge, London, 1971 (丸山高司, 木岡伸夫訳: 説明と理解. 産業図書, 東京, 1984)

38) Zahavi, D.: Empathy, embodiment and interpersonal understanding: from Lipps to Schutz. Inquiry, 53; 285-306, 2010

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