Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文全文

第120巻第9号

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討論
症例報告への患者同意必須化は臨床・研究を貧困化する
小林 聡幸
自治医科大学精神医学講座
精神神経学雑誌 120: 752-756, 2018
受理日:2018年5月22日

索引用語:症例報告, 同意, プライバシー, 公共の利益>

はじめに
 先日,教室員が症例報告を書き上げたので,どの雑誌に投稿するか相談した.彼はたまたまいまだ投稿したことのない『精神医学』誌に出してみたいというので,投稿規定を確認したところ,「症例報告については原則として患者の同意を得,その旨を明記して下さい」とあった.患者に話してみて同意してくれるかどうか,そもそもそのような提案をすることで治療的に害を及ぼさないかどうかが議論となった.そこで,どうしても『精神医学』誌に投稿しなければならないというわけではないので,「調査・研究上の倫理的原則に則った発表であることを明示してください」と記している『臨床精神医学』誌か「症例記述については匿名性を最大限ご配慮下さい」という『精神科治療学』誌に投稿することを考えようということになった.
 患者同意を原則とするという規定は2017年9月16日に改訂された日本精神神経学会の「症例報告を含む医学論文及び学会発表における患者プライバシー保護に関するガイドライン」に「特定の患者の症例を学会で発表したり,学会誌で報告したりする場合等は,本人の同意を得るとともに,下記の患者プライバシー保護への配慮を行わなければならない」と明記された7)こととおそらく連動している(このガイドラインは本稿投稿後の2018年1月20日付けで新たな改訂8)とそのQ & A9)が出されている.そこでは「プライバシー保護に配慮し,個人が特定されないよう留意するとともに,原則として,十分な説明をし,理解を得た上で,同意を得なければならない」8)と「必須」のニュアンスは弱められた).
 はたして,症例報告に患者の同意は必須なのだろうか.

I.症例報告に患者の同意は必須か
 精神神経学会のガイドラインは個人情報保護委員会と厚生労働省の示した「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱いのためのガイダンス」5)に依拠しているようだが,「ガイダンス」では症例報告における患者同意の必須化までは言及していない.なぜこのような規定が出てきたのか,いくつか理由はあると思われるが,1つは患者から文句をつけられたくないという,雑誌を出す出版社や学会の保身が考えられる.つまり患者からのプライバシー侵害の訴えを投稿者レベルにとどめようということではないだろうか.というのも,出版側には,患者の同意を得たかどうかについては投稿者の申告でしか知り得ないから責任のとりようがないのである.患者からの文書による同意を編集委員会に提出させることはできるが,それこそまさに個人を特定する情報である.たとえ患者が症例報告をすることに同意してくれたとして,実際の論文において氏名や住所まで公開して欲しいわけでは毛頭なく,誰ともわからない雑誌編集委員会に個人情報を曝したくはないだろうし,編集側もそのような情報を管理したくはないだろう.
 また,患者本人に同意能力がない場合も親権者や法定代理人などから同意を得る必要があると精神神経学会のガイドライン7)では示されており,代諾者にたどり着くまでの親族捜しを要求されることになる.同様の事態は医療保護入院における保護者捜しでも生ずるが,こちらは人権の点からいってかねてより批判はあるものの,市町村長同意という規定があるために,どうしても保護者が見つからない場合には実際的な対応が可能である.これに対して,あくまで同意を求める学会ガイドラインはどうであろうか.多大な努力をしても同意者に行き着けなかった場合,その症例報告は闇に消える.近年,崩壊寸前の廃屋の持ち主が見つからなかったり,優良地が分割相続されていて相続者すべてにあたることが困難で開発できないといった事態が生じていることが報道されている.これなどは土地私有制度の悪しき側面,あるいはその制度疲労から,公共の福祉に反した事態が生じているわけだが,精神神経学会ガイドラインは「症例」私有制度を厳格に適用して公共の福祉に反した事態を引き起こしかねないのではないかと思量する(この点について,2018年1月20日の改訂8)により,例外規定が明示されたのは一歩前進である).
 国のガイダンス5)には,「学問の自由」を保護するという立場を明示したうえで,「特定の患者・利用者の症例や事例を学会で発表したり,学会誌で報告したりする場合等は,氏名,生年月日,住所,個人識別符号等を消去することで匿名化されると考えられるが,症例や事例により十分な匿名化が困難な場合は,本人の同意を得なければならない」とあり,精神神経学会の対応は明らかに行きすぎである.患者の同意に固執するより,『精神科治療学』誌のように「症例記述について匿名性を最大限に配慮すること」のほうがよほど実際的で有効ではないかと思われる.精神神経学会のガイドライン7)では患者のプライバシー保護への配慮として7項目を挙げているが,症例記述の場合,一律には判断できないこともあろう.投稿者の施した匿名性の配慮が十分かどうかチェックするのが編集委員会の責務ではないだろうか.

II.同意の得やすい経過
 治療関係が円満に進行し,治療自体も成功裏に終わった症例であれば,症例報告の同意はとりやすいものと思われる.著者が駆け出しで内科医をしていた時代,死亡例の剖検率を上げよとの上級医からの要請があった.それは将来的に内科専門医教育機関の認定を取得できるようにとの配慮であったと思うが,今でも内科専門医教育機関の条件として年間の剖検数の規定がある.そのような外的な理由はさておき,死亡例の病理学的検討は医師の技能向上に必須であることは,経験科学である医学においては当然のことであり,これを推奨するのも納得できる.しかし,実際に遺族に剖検の許可を求めるのは難だった.
 著者が内科医として勤務していた地方では高率に「死人に刃物を立てるなんて」という決め台詞で断られた.他方,「医学の発展に役立つならば」という言葉とともに同意をしていただいたときには,大変面映ゆい思いをしたことを今でも覚えている.剖検を快諾してもらえるケースというのは,患者の死について遺族も納得のいく経過をとった場合が多く,臨床的な疑問が比較的少ないわけで,「医学の発展」は大げさに思えたからである.しかし,そのような感想は浅薄であった.地道に剖検を繰り返していくと,疑問をもっていなかった治療経過に想定外の事象が発見されることがあり,その繰り返しが医師の経験値を高めるからである.さらに教訓的なケースは臨床病理カンファレンスにおいて施設内で共有し,あるいは症例報告でもっと広く共有することで,将来の患者の誰かに益をもたらす可能性がある.そういう意味では遺族が期待してくれたように医学の発展に貢献するといっていいのである.
 症例報告の同意も同様であって,治療の成功例ほど取得しやすいだろう.しかし,われわれは失敗例から学ぶことが大きいことをよく知っている.治療失敗例の場合,患者や遺族からの同意は何かと難しい面が生ずることが予測される.あるいは治療薬の副作用の報告もしかりである.重篤な副作用が生じても救命し得た場合より,不幸な転帰をとったときのほうが同意を得にくく,その一方で報告する必要性が高いのは後者と考えられる.症例報告の同意を一律に課すことは,こうした報告すべき失敗例の報告を抑制することになるだろう.

III.公共の利益
 2017年5月の改正個人情報保護法の施行がこうした症例報告への萎縮を招いているわけだが,同法の理念において個人情報の保護は一方の柱にすぎない.同法では「個人情報の有用性」について,「個人情報の適正かつ効果的な活用が新たな産業の創出並びに活力ある経済社会及び豊かな国民生活の実現に資するものである」3)としており,「個人情報の保護と適正かつ効果的な活用のバランスを考慮した取組が求められる」4)とされている.ここに謳われているのは個人の権利保護と公共の利益のバランスであって,決して個人の権利保護に片寄った発想ではない.
 例えば,2013年にようやく開始されたヒトパピローマウイルス(HPV)ワクチン(いわゆる子宮頸癌ワクチン)の定期接種を日本政府が積極的に国民に勧めることを2ヵ月で中止した事件が連想される.このワクチンによりけいれん,歩行不能,記憶力低下,成績低下,不登校6)などの副作用を生じたという「薬害被害者」の声をマスコミが大々的に取り上げ,政府が国民感情を慮った6)からである.こうした状況下で,例えば札幌のデータだと,接種率が70%前後から0.6%にまで低下してしまった1).医師でジャーナリストの村中璃子はHPVワクチン接種後の多彩な症状は薬害ではないのではないかと科学的に検証する記事を次々に発表し,2017年11月にジョン・マドックス賞(Nature誌の編集者を22年務めたマドックスを記念して,同誌と,彼の友人が設立したKohn財団,および慈善団体Sense about Scienceが共催する賞)を受賞した2).「困難や敵意に直面しながらも,公共の利益のために科学や科学的根拠を広めた」というのが受賞理由である.
 まったく副作用のないワクチンなど存在し得ないのであり,個人の権利保護と公共の利益のバランスでもって施行されるしかない,という論点もあるが,それはひとまずおいて,症例報告ということに焦点を絞ってみよう.つまり,このような症状を診療した医師が,これは薬害ではなく,身体症状症だとする症例報告を発表しようとしたらどうだろうか.患者やその親はけいれんなどの症状が「薬害」だとする症例報告の発表には同意しても,身体症状症だという症例報告は拒否するのではないか.実際,村中はこう述べている.「親たちは娘のけいれんする姿や車椅子姿を携帯電話やスマートフォンで撮影し,インターネットに投稿した.メディアからの取材にも積極的だった.大多数のまっとうな医者たちは『心ない医者に,心の問題だと言われた』などと激しく批判されて面倒になり,みんな黙ってしまった」6)
 患者同意を必須化すると症例報告の発表バイアスがかかるのである.それは「面倒になって黙ってしまう」医者ばかりではなく,科学的に正しいことを行おうとしている医師をも無理やり黙らせてしまう効果をもちうる.これだけ利益相反について神経質になっている現状において,こうしたタイプの利益相反を看過してよいわけがない.この場合の利益の片側は公共の利益なのである.「10万個の子宮」のタイトルでマドックス賞受賞講演を行った村中は,HPVワクチンの接種再開に国が動き出すまでに10年がかかるだろうという見通しを示し,その間に10万個の子宮が摘出されねばならなくなるだろうと述べている6).もちろん現代において症例報告1本の有無でこれに比肩する重大な影響が生ずることは考えにくいが,例えば,悪性症候群の最初の症例報告がこのような形で抑圧されてしまったらなどと考えてみると,場合によっては大きな影響が生ずることもあるのではなかろうか.
 個人情報保護法において,「個人情報」とは,生存する個人に関する情報であって,特定の個人を識別できるもの3)とされている.上述の通り,匿名性が最大限配慮されれば規制の対象となる「個人情報」ではない.この法律はビッグ・データなどの活用により「新産業・新サービスの創出や我が国発のイノベーション創出」4)を期待するもので,企業の利益が公益に結びつくという発想にあると思われ,症例報告のような実践とすぐにマッチするものではないかもしれない.が,「個人情報の効果的な活用」という側面を無視して対応するのは大いに誤ったことといわねばならない.

IV.臨床情報の効果的な活用
 症例という臨床情報の効果的活用とは,それを医師間で共有することによる経験の拡張である.われわれ個々の医師の臨床経験の拡張は公益に属することなのである.言うまでもなく発見の多くが症例報告で先導されてきたのが医学の歴史である.
 今日,医学研究がゲノムや分子のレベルにミクロ化し,新たな医学的知見は実験室でのデータや膨大な情報処理に依存しているのかもしれないが,それでもなおわれわれが診療という実践の現場にいるかぎり,症例報告の重要性が減弱することはない.
 英語の医学雑誌がインパクト・ファクターを高めるために軒並み症例報告欄を削り,症例報告を掲載するとしても「編集者への手紙」などインパクト・ファクターの算定外の場所に持って行ったのが,最近20年ほどの傾向であった.ところが今度は,オンライン・ジャーナルが隆盛を極めるなか,症例報告をターゲットとしたジャーナルがおびただしく登場している.そのなかには,いわゆるハゲタカ雑誌(predatory journal)もたくさんあるのだろうが,主要雑誌が等閑視してきた需要を満たそうとしているという側面も見逃すことができないだろう.
 著者は今では同業者の大勢いる職場に勤務しており,症例について相談したり,雑談を交わしたりする相手には事欠かないのだが,かつてはひとり医長やそれに近い境遇で勤務していたことがある.その際に著者の対話の相手は医学雑誌の症例報告だった.著者はゆえあって,精神科を志望しながら,精神科医となったのは卒後5年目からであるが,その際,母校の宮本忠雄教授は精神科への道が開けた祝福とともに「まず症例報告を書きなさい」と勧めてくれた.それを金科玉条として若手にも同じように伝えてきたが,最近あらためて気がついたことは,キャリアの初期から宮本は大部の論文を立て続けに発表しており症例報告は書いていないのである.
 有能な研究者は症例報告など書かずとも,研究を積み上げてアカデミックなキャリアを築き上げることができるのであろう.その宮本が「症例報告を書きなさい」と後進に勧めたのは,宮本自身がキャリアを重ねるなかで症例報告の重要性を改めて認識してのことであったのではないかと推測される.宮本の勧めに従って,ほぼひとり医長だった著者は症例報告を書いては医学雑誌に投稿した.1990年代のことである.残念ながらそれは『精神神経学雑誌』へではない.『精神経誌』は敷居が高い印象があったし,実際,当時は症例報告など現在と比べてもあまり掲載されていなかった.当時,興味深い症例報告が多く掲載されていたのは創刊間もない『精神科治療学』であった.
 自分が書いた症例報告の投稿先も自然と『精神科治療学』になった.『精神科治療学』の査読は格別に丁寧なものであったことを,当時まだ投稿経験がほとんどなかった著者は認知できなかったが,その後,他誌にも投稿してみて違いに気づいた.その懇切丁寧さは指導教官に論文を見てもらうのに匹敵するものだったのである.中井久夫,吉松和哉の編集主幹のもと錚々たるメンバーが編集委員に名を連ねており,誰が査読してくれたのかは知らないが,感謝に堪えない.ほとんど同業者のいない環境にいた著者は症例報告と対話し,症例報告を介して医学的教育を受けたのである.
 当時の著者のような環境にいる精神科医も少なくなかろう.彼らのためにも症例報告の炎を絶やしてはいけないのである.そして症例報告は身の回りの同業者からは運ばれてこない情報を,全国から,全世界から運んでくる.さらには,大規模な研究を立案する端緒ともなる.最初に述べたように症例報告に患者同意を必須化した医学雑誌には,当面,当たり障りのない症例報告ばかりが寄せられるか,症例報告が減るといった事態が生ずるかもしれないが,そういう経営・運営方針でその結果を負うというならそれで結構である.しかしそれを精神神経学会が行うとなると影響は由々しいものがある.関連学会誌や商業誌が追随する可能性があるからである.

おわりに
 症例報告がしにくくなるという状況は確実に臨床や研究を貧困化する.「症例」という情報を,特定されうる個人から切り離し,医療従事者の共通財産として効果的に活用し,豊かな国民生活の実現に資するのがわれわれの社会的使命ではないか.精神神経学会のガイドラインは議論を深め,改訂されるべきである.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

1) Hanley, S. J., Yoshioka, E., Ito, Y., et al.: HPV vaccination crisis in Japan. Lancet, 385; 2571, 2015
Medline

2) 岩永直子: 海外の一流科学誌「ネイチャー」HPVワクチンの安全性を検証してきた医師・ジャーナリストの村中璃子さんを表彰. BuzzFeed News, 2017 (https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/rikomuranakajohnmaddoxprize?utm_term) (参照2017-12-31)

3) 個人情報保護委員会: 個人情報の保護に関する法律(平成15年法律第57号) (https://www.ppc.go.jp/files/pdf/290530_personal_law.pdf) (参照2017-12-31)

4) 個人情報保護委員会: 個人情報の保護に関する基本方針 (https://www.ppc.go.jp/files/pdf/290530_personal_basicpolicy.pdf) (参照2017-12-31)

5) 個人情報保護委員会, 厚生労働省: 医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱いのためのガイダンス. 2017年4月14日 (http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12600000-Seisakutoukatsukan/0000194232.pdf) (参照2017-12-31)

6) Muranaka, R.: A hundred thousand wombs:before Japanese-made antivaccine sentiment spread throughout the world (The John Maddox Prize speech) (https://note.mu/rikomuranaka/n/nd26c1eaacb3e) (参照2017-12-31)

7) 日本精神神経学会: 症例報告を含む医学論文及び学会発表における患者プライバシー保護に関するガイドライン. 2016年1月16日, 2017年9月16日改訂 (https://www.jspn.or.jp/modules/basicauth/index.php?file=activity/h29/patient_privacy_considerations_guideline201709.pdf) (参照2017-12-31)

8) 日本精神神経学会: 症例報告を含む医学論文及び学会発表における患者プライバシー保護に関するガイドライン. 2016年1月16日, 2018年1月20日改訂 (https://www.jspn.or.jp/modules/basicauth/index.php?file=activity/h29/patient_privacy_considerations_guideline20180120.pdf) (参照2018-03-09)

9) 日本精神神経学会: 「症例報告を含む医学論文及び学会発表におけるプライバシー保護に関するガイドライン」Q & A (https://www.jspn.or.jp/modules/basicauth/index.php?file=activity/h30/rinri_faq201802.pdf) (参照2018-03-09)

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