Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文全文

第116巻第3号

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総説
東日本大震災の直後期と急性期における精神医療と精神保健―宮城県の状況と支援活動―
松本 和紀
東北大学大学院医学系研究科予防精神医学寄附講座
みやぎ心のケアセンター
精神神経学雑誌 116: 175-188, 2014

 2011年3月11日に発生した東日本大震災では,マグニチュード9.0の地震に引き続き,大津波が起こり,東北地方から関東沿岸部の広域に甚大な被害が起こり,福島第一原子力発電所事故がこの震災に併発した.精神医療にかかわる領域でも,大きな被害が生じ,さまざまな支援活動が行われた.本稿では,東日本大震災における直後期と急性期の精神医療と精神保健領域における被害とこれに対応したさまざまな活動を,宮城県での経験を通じて概観し,今後に向けた課題を検討する.今回の災害では,宮城県内のほとんどの精神科医療機関が被害を受け,入院患者の食糧や医薬品の確保に困難を生じた.特に,沿岸部の精神科病院の被害が大きく,3つの精神科病院が津波による深刻な被害を受け,300名の入院患者の搬送調整が必要となった.震災後には,医療機関へのアクセスが困難となり,精神科救急にも混乱がみられた.宮城県では複数の市町自治体が広域に大きな被害を受け,通信網や交通網の分断により情報集約は進まず,精神医療・保健にかかわる行政機能も著しく低下した.被災地には,震災直後から官・民・学のさまざまな経路を経由して精神医療・保健活動にかかわる支援者が派遣された.直後期には情報集約や支援の指揮系統が混乱し,支援者のコーディネートに困難を来した.支援チーム数は震災後1~2ヵ月後がピークであったが,遠隔地では,外部支援者が長期間継続的に精神保健活動を行う必要が生じた.子どもや高齢者への対策,アルコール問題,支援者への支援などへの対応も行われたが,課題も多く残った.災害時には,災害の種類や規模に応じた対策が必要であり,そのためのモデルを構築する必要がある.自治体の災害医療体制の中に精神医療・保健対策を明確に位置づけるとともに,精神医療・保健領域での災害支援のための恒常的なシステム作りが必要だと考えられる.

索引用語:東日本大震災, こころのケア, 災害精神医学, コーディネート, 精神保健>

はじめに
 2011年3月11日に発生した東日本大震災で起こった地震はマグニチュード9.0を記録し,わが国観測史上最大,世界史上でも4番目に大きい地震であった.その後に引き続いた大津波により,東北地方から関東地方の太平洋沿岸部の広域に甚大な被害が起こった.また,この震災に併発した福島第一原子力発電所事故により,放射性物質に対する恐怖は日本のみならず海外にまで広がり,大津波による被害と福島第一原子力発電所事故の映像は,発災直後から世界に発信され続け,世界にも大きな衝撃を与えた.東日本大震災による死者・行方不明者数は,1万8,500人以上に上り,ピーク時の避難者は最大45万人を超えた.
 被災地のうち,岩手,宮城,福島の東北3県の被害は特に大きかったが,福島県では,福島第一原子力発電所事故による被害が極めて大きいという特殊な状況にあった.一方,宮城県は震源に最も近く,大津波による壊滅的な被害は県沿岸全域に及んだ.死者・行方不明者数は1万人以上に上り,宮城県だけで阪神淡路大震災を大きく上回る犠牲者が出た.
 筆者は,震災当時,東北大学精神医学教室による災害支援に携わり,その経緯から宮城県での災害支援にかかわることになった.本稿では,被災地における支援者という立場から,東日本大震災における直後期(発災から1~2週間)から急性期(避難所での支援が中心となった時期)における精神医療・保健領域での支援活動について,宮城県での活動を概括し,今後の災害支援対策に向けた若干の考察を行いたい.

I.精神科医療における被害状況
 今回の災害では,宮城県内のほとんどの精神科医療機関が被害を受け,震災直後から急性期にかけて,多くの精神科病院ではさまざまな問題が生じた27)表1).入院中の患者は,ライフラインを病院に全面的に依存しており,その確保は直接生死にかかわり,これは,被害が小さかった仙台市内の精神科病院も例外ではなかった.沿岸部の精神科病院の被害はさらに大きく,岩沼と石巻の2つの精神科病院19)42)では津波により病院機能が停止した.気仙沼の精神科病院39)40)も津波被害に遭ったが,関係者の努力によりかろうじて病院機能を維持した.
 直後期の宮城県の精神科医療における最重要課題の1つは,被災病院からの転院を要した患者300名の搬送調整であった.いずれの病院も発災から数日間孤立が続き,被害状況は周囲にほとんど伝わらず,県障害福祉課などに状況が伝わった後にも,転院調整はすぐには進まなかった.県内の精神科医療機関の多くが被災したため,山形県の病院にも受け入れをお願いし,最終的に全ての転院が終わったのは4月に入ってからであった.
 津波被害に遭ったいずれの病院も,周囲が浸水地域となったり,瓦礫に囲まれ,外部との通信ができず,一時的には全くの孤立状態となった.この間,取り残された患者と職員の生命を守るための苦労があったが,公的支援は乏しく,転院のための交渉や移動手段も自力で探す必要に迫られた19)42).一方,津波被害を免れた沿岸部の病院は,被害にあった病院の外来患者,新規の精神疾患の患者,身体科の治療薬を求める患者を受け入れ22)38),また,精神科救急による入院治療の受け皿として機能した.名取市にある宮城県立精神医療センターは,県内の精神科救急の砦として機能し,被災と関連して病状悪化した入院患者を引き受けた22).その他の精神科病院の多くも,食糧と薬剤の確保に苦労し,また深刻なガソリン不足のために職員の通勤や地域支援にも大きな支障を来した.しかし,こうした病院の多くはそのような劣悪な環境の中で入院,外来機能を維持し,さらに被災病院からの転入院の受け入れを行った.
 宮城県の有床総合病院精神科は4つに限られている.仙台市の東北厚生年金病院(現東北薬科大学病院)は,地震被害のため診療機能は著しく低下した.精神科では新規入院の受け入れ停止と患者の転院を迫られたが,合併症をもつ精神疾患患者の転院は難しかった24).3月23日の診療再開後は精神科への入院依頼が相次ぎ平時の運営病床を超える病床数で診療を続けた.仙台医療センター精神科は震災直後に入院が急増したが,地震による給水設備の故障後は新規入院の受け入れを停止した.仙台市立病院の精神科病床16床はすぐに満床となり,一般病床に入院した高齢者に対するコンサルテーション・リエゾン医療のニーズが急増した1).また,被災地の災害拠点病院の多くは精神科が設置されておらず,直後期には精神科救急の対象となる患者が運び込まれ混乱が生じた.
 精神科診療所では,発災直後は休診や診療制限もあったが,仙台市内などの内陸部では,数日程度で診療機能を回復させるところがほとんどであった.しかし,石巻や気仙沼では,津波被害のために診療機能の回復が遅れた.
 震災後には,医療機関へのアクセスが困難となり,医薬品の確保と向精神薬を患者にいかにして供給するかが課題となった.特に,流通システムの破綻により,医薬品を現場の最前線にまで届けることが難しかった.患者は,かかりつけ以外の近隣の医療機関を受診したり,処方箋交付の緩和措置により医療機関を受診せずに調剤薬局で処方を受けた.また,避難所では,こころのケアチームや医療救護チームが処方することもあったが,常備薬には制限があり,医療情報も乏しく,現場で苦労することも多かった.お薬手帳を含めた医療情報の電子化とその利用法が今後の検討課題とされている.

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II.行政機関の状況
 宮城県では,政令指定都市である仙台市と宮城県という2つの行政単位によって,災害後の精神保健福祉政策が行われた.仙台市では,仙台市精神保健福祉総合センターが中心となり発災直後から独自にこころのケアチームを立ち上げ各区保健福祉センターを拠点とした活動を行った7).仙台市は医療機関の復旧も比較的速やかで,被災地区もある程度限定されており,災害時地域精神保健福祉ガイドラインを2008年に作成するなど事前の準備性が高かった.また,こころのケアチームが実際に動きながら情報収集し,各区保健福祉センターとの連携を密に行うことができたため,比較的早く臨機応変な活動展開が可能であった.また,宮城県と比べ外部の支援チームの数も限られていたため,コーディネートの負担も小さかった.
 一方,宮城県が管轄する地域は,南北に広がる沿岸地域で甚大な被害を受けた市町を含む.沿岸部では26の自治体庁舎のうち10ヵ所が仮庁舎への移転を余儀なくされた.また,石巻と塩釜の保健所も大きく被災した.沿岸部には壊滅的被害を受けた市町もあり,県内の精神保健福祉にかかわる情報ネットワークは麻痺状態に陥った.大崎市にある宮城県精神保健福祉センター34)は,通信状況が悪化したために,情報収集・発信能力が著しく低下した.このため,後述する宮城県災害時精神医療福祉対策会議の働きかけもあり,同センター職員3名は3月17~31日まで宮城県庁障害福祉課に席を移し,本庁職員と共同で震災対応を優先して職務にあたった.宮城県が管轄する被災地は広域であり,通信網や交通網が分断された状況での情報収集は困難を極めた.保健所や市町自治体そのものが被災しており,被害の程度が小さい場合でも,現場自体が混乱した状況にあり,情報を中央に集約することは容易ではなかった.また,県内の精神科病院の被災状況の確認,被災した精神科病院の入院患者の転院調整,こころのケアチームの派遣調整などの業務に追われた.
 震災直後の被災地は,通信網の破綻により平時のネットワークが機能しなくなり,情報収集・集約が困難になった.こうした状況のなか,2011年3月15日,宮城県の精神医療関係者と行政関係者が集まり,精神医療・保健福祉領域の情報交換を行う集まりが開催された.この集まりは後に宮城県災害時精神医療福祉対策会議の幹事会へとつながった.この集まりでは,各地域や関連機関の被災状況,被災病院の転入院について,こころのケアチームの派遣や支援状況,みやぎ心のケアセンターの設立などについての話題が取り上げられた.この時期に,県内の関係者が直接顔を合わせて情報交換する場をもつ意義は大きく,県内の情報をある程度統一的に把握し,混乱を最小限に抑えるための調整が可能となった.

III.被災地における支援活動
 阪神淡路大震災以降,自然災害後に被災地域の関係者と外部の支援者とが連携,協力して精神医療・保健活動を行うことが定着するようになった13).一般的な自然災害の場合は,被災地域内の関係者による支援で済むことがほとんどであり,1997~2007年までの自然災害後の精神保健活動の中で,被災都道府県外の支援チームが支援を行ったのは新潟県中越地震と能登半島地震のときに限られる15).2008年の岩手・宮城内陸地震の際は,岩手県では外部支援があったが,宮城県では県内関係者による活動のみで済んだ.
 今回の東日本大震災は,外部支援者が被災地の精神医療・保健活動に長期間携わったという点でも最大規模であった.被災地には,震災直後から官・民・学のさまざまな経路を経由して精神医療・保健活動にかかわる支援者が派遣された(図1).精神医療・保健に特化したこころのケアチーム型の精神医療系の支援チームの他にも,一般の医療救護チームの中に精神医療関係者が含まれる場合もあった.また,精神医療とは異なる領域の支援者がこころのケアを標榜して支援する例もあったが,その全貌はつかみきれていない17)
 最終的に宮城県では,5保健所管内の17市町に33チームのこころのケアチームの派遣が行われ,3月末から4月に派遣数のピークがあった25).災害救助法に基づく派遣は10月末で終了し,一部は県の事業として翌年3月まで継続された.県外チームが徐々に撤退していく中で,県内関係者を中心とした支援チームは10月末まで継続的に支援にかかわり,その後は,みやぎ心のケアセンターや「からころステーション」6)による支援へと移行した.

1.自治体を中心としたこころのケアチーム
 被災地における精神医療・保健領域の支援で中心的役割を果たしたのは,自治体や国立病院機構により編制されたこころのケアチームである.こころのケアチームは,災害救助法に基づき都道府県・政令指定都市などの被災自治体からの要請に基づいて被災地に派遣される.今回の災害では,特に被害が大きかった3県(岩手県,山形県,福島県)と1政令指定都市(仙台市)への派遣調整を厚労省が行い,この調整を受けて派遣元と派遣先の自治体間での調整が行われた.被災3県の担当課は精神保健福祉センターと連携し,県内の市町村自治体からの派遣要請に基づいてマッチングを行った.仙台市では,精神保健福祉総合センターによってこころのケアチームが独自に立ち上げられ,県外チームなどと共同で支援活動が行われた7).一方,仙台市を除く宮城県では,多数の自治体が被災し,情報収集が困難であったため,支援のニーズを統一的に把握し派遣調整することが難しかった23)
 今回の災害支援の特徴の1つは,数ヵ月単位の長期支援を行うチームが多数あった点にある.特に,都市部から距離が離れた遠隔地で,医療資源に乏しく,精神保健の人材が不足した地域では,こころのケアチームが被災自治体の要請に応じて長期間の支援を行った12)25)

2.精神医学講座による支援
 仙台市にある東北大学病院の被害は地震による限定的なものであったが,それでも外来棟はしばらく使用できず,精神科の医局がある3号館は倒壊の危険があるため3週間ほど立入禁止が続き,病棟会議室が活動拠点となった.福島第一原発から約100 km離れた仙台市でも,放射能に対する不安は広がり,福島第一原発事故の影響を推し量ることができない状況にあった.交通網は分断され,食糧や燃料調達の長期的な見通しも立たず,被害が比較的小さかった仙台市内でさえも先の見えない孤立感が広がっていた.家族を遠方の実家などに避難させるスタッフもいた.
 東北大学精神医学教室では,3月16日に全国に精神科医派遣の要請を行った.当時は,大きな余震もまだ続き,仙台までのアクセスは限られ,原発事故の影響もあったため,危険な被災地に支援に来る人などいないのではないかという悲観的な見通しも強かった.しかし,この見通しは杞憂に終わり,翌日からは全国からの連絡が続々と入った.当初は個人による支援の受け入れも行ったが,個人ごとの派遣調整は負担が大きいため中止し,その後は全国の大学精神医学講座など組織を介した支援を受け入れた.
 東北大学病院長から,精神科のない石巻と気仙沼の災害拠点病院への精神科医派遣を要請され,それぞれ3月15日と17日から派遣を開始した.3月22日には,宮城県障害福祉課と調整し,東北大学精神医学教室がコーディネートする形でこころのケアチームを立ち上げ活動を開始した.主な活動地域は,石巻地区,沿岸南部(岩沼市など),気仙沼地区であった.石巻市や岩沼市では仙台から車でのチーム派遣を行い,仙台から遠方の気仙沼市では,情報収集やコーディネートのための人員派遣を行った.この派遣活動は東北大学病院に所属するスタッフに加えて,県内外の精神科医,心理士,精神保健福祉士,看護師,その他多くの関係者の活動によって支えられた.
 また,文部科学省の系列に属する大学病院では,大学病院間で災害時の派遣調整が行われ,各大学病院の医療救護チームは,宮城県内の災害拠点病院へと派遣された.この医療救護チームの中に,精神科医が含まれることがあった.また,自治体派遣の主力として大学の精神医学講座が活動していたケースもいくつかみられた.
 東北大学精神医学教室では,各地域に担当責任者を配置し,現地の情報収集とコーディネートの支援,こころのケアチームの派遣を行った21).被災地で直接活動する支援者が医局を行き来する状況が長らく続き,また,県内関係者との情報交換を行うことで,被災地の最新情報を集めることができた.また,行政機関とは異なる,比較的自由な立場で情報収集や情報発信を行うことができたことで,県の機関と補完的にコーディネートの役割を担うことができた.しかし,こうした活動は事前に準備されたものではなく,今回の経験を踏まえた上で,大規模災害におけるコーディネートを改善するための検討が必要だと考えられる.

3.日本精神神経科診療所協会
 今回の災害支援における宮城県での特徴的な活動としては,被災地域の精神科診療所6)26)が中心となり,日本精神神経科診療所協会(以下,日精診)の支援を得て,震災直後から継続的に行われている独自の支援活動が挙げられる.仙台市の原クリニックの原ら6)は3月下旬から支援活動を開始し,石巻市で浸水被害に遭った宮城ら26)は,被害に遭いながらも避難所巡回などの活動を震災直後から開始した.原と宮城らは日精診による医療ボランティアチーム(以下,石巻日精診チーム)を立ち上げ,4月初めから本格的なアウトリーチ活動を石巻市で展開した.日精診から派遣された支援者には6),コメディカルスタッフも多数含まれ,仙台市と連携した若林区での支援,山元町の共同作業所への支援,東北大学チームへの人員派遣などが行われた.
 石巻日精診チームの活動には独自性があり,例えば,交通の便の悪い遠隔地に物資の支援も兼ねた巡回活動をしたり,イヴェントや炊き出しに合わせて移動診療室を設置して健康相談を行ったり,ハローワークでの個別相談を実施したりするなどの活動を行った6)26).2011年9月から,石巻日精診チームの活動は「からころステーション」に引き継がれ,石巻市の心のサポート拠点事業や宮城県の精神障害者アウトリーチ推進事業などの委託を受けた活動を継続している.
 この活動は,大規模災害後に,被災地と外部の支援者が協力して精神保健領域の支援を発災直後から継続している貴重な例である.行政による支援体制が整わないうちに活動できたことや,現場のニーズに応じて臨機応変にスピード感のある支援を行い,チーム単位ではなく少人数単位の支援者を被災地に派遣した点などは,制度化された公的支援では難しい領域であった.

4.その他の関連組織などによる支援
 被災地の医療機関などの系列組織や関連組織・団体による支援もさまざまに行われた.成田赤十字病院の佐藤ら37)が中心となり全国赤十字精神科連絡協議会は2011年4月から2012年3月まで継続的に石巻赤十字病院に精神科医の派遣を行った.気仙沼市の光ヶ丘保養園には日本精神科病院協会の千葉県支部による支援が,塩竃市の坂病院精神科には全国民医連による支援が,岩沼市の小島病院には日本病院・地域精神医学会を介して岩倉病院が支援を行った.また,東北大学病院の心療内科が調整役となり,日本心身医学会が気仙沼市立病院や本吉病院の支援を継続的に行った.

5.子どものこころのケア
 震災により子どもを取り巻く環境は大きく変化し,子どものこころのケアに対しては,社会的にも大きな関心が寄せられた.子どもへの支援も,宮城県と仙台市という2つの自治体単位で対策がとられた.宮城県10)では,宮城県子ども総合センターの医師らによって県内の被災状況と支援動向について情報収集が行われ,4月から,気仙沼,石巻,仙塩,県南の4地区で児童相談所や市町の保健センターなどを拠点とした巡回活動が行われた.
 仙台市8)では,市内の児童精神科医の協力により,仙台小児科医会,仙台市教育局および子供未来局などの関係団体・機関と連携した活動が行われた.津波被害を受けた学校に児童精神科医が定期訪問を行い,児童生徒の相談や教職員へのコンサルテーションなどを継続している.また,2011年8月下旬からは日本児童青年精神医学会からの医師派遣を受け,子どものこころの相談室や,若林区・宮城野区の幼児健康診査場面での支援活動を実施している.
 外部支援については,日本児童青年精神医学会45)が厚労省と連携し,こころのケアチームに児童精神科医が含まれる場合は,これを派遣先の自治体に特記することにした.北海道から派遣された子どものこころのケアチームは35)36),気仙沼市と南三陸町において活動し,国府台病院は,石巻市において児童精神科医らによる継続的支援を行った20).その他にも各地に入った一般のこころのケアチームが子どもの相談や診察を行う機会もしばしばあった.また,教育領域でのスクールカウンセラーやその他各種のボランティア団体による支援も行われた.

6.高齢者・アルコール問題・支援者への支援
 震災直後には,被災高齢者の身体合併症に伴うせん妄,避難所に適応できなくなった認知症高齢者などに対して精神医療が必要となり,精神科への入院が必要となる事例もあった1)38).長期間の避難所生活に適応できずに,避難所を転々とする事例もあり,高齢者を介護する家族の負担も大きかった.災害により地域の介護力は著しく低下し,老人保健施設44)や福祉避難所の入所者が増え,精神科病院では病状が改善した後の退院先を探すことが困難となった.粟田1)は,認知症高齢者や虚弱高齢者については災害時のハイリスク集団として対応策を防災計画に含める必要性を訴えている.
 大規模災害後には,失業,悲嘆や喪失,避難所や仮設住宅での生活を背景に,アルコール問題が表面化し,地域精神保健の大きな課題となる.今回の災害では,飲酒問題についての啓発の必要性が関係者に周知されるなどの対策がとられていた2).こころのケアチームなど外部の支援者が地域に多数配置されている間は,地域保健活動が強化され個別対応も行われていたが,外部の支援者が離れた後には,地域そのものの対応力を高めていく必要に迫られている.仙台市の東北会病院は,被災地におけるアルコール問題に対して専門的立場から支援を継続している.同院では,支援者への教育を兼ねた同行訪問,事例検討,相談,支援員への研修などに取り組んでおり,被災地の保健師らと連携した活動を行ってきた.民間の精神科病院が地域保健にかかわり続けるために必要なマンパワーや活動時間の確保に苦労しているが,現在も,みやぎ心のケアセンターと連携した人材育成や研修事業などを行っている.
 被災地の自治体,警察,消防,病院,学校などの職員は被災者でありながら支援者として働くことを要請されており,大規模災害後の精神保健において特別に配慮を要する人たちである41).実際,いくつかの職域では,比較的早い段階で,こころのケアチームや外部支援者による健康相談や,管理職や人事担当者への啓発が試みられた.宮城県では県職員に対する健康調査が定期的に行われているが,市町自治体については,それぞれ状況が異なっており対策はばらついている.直後期から急性期にかけて,現場は戦場のような混乱にあり,平時に行われていない職場のメンタルヘルス対策をにわかに始め浸透させることは難しい.中期以降においても職域でのメンタルヘルス対策は不十分な組織も多い.被災地の支援者に対するメンタルヘルス対策は,地域の復興に欠かすことのできない重要な領域であり,今後に向けた新たな対策の検討が必要である.

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IV.支援のコーディネート
 今回の災害では,行政,民間,大学などの複数の経路(図1)から同時に多数のチームが派遣され,被災地内での調整は混乱した.支援のコーディネートには,国・県・圏域・市町のそれぞれのレベルがあるが,厚労省を経由するこころのケアチームの場合は,県レベルでの受け入れを行った上で,県が圏域レベルでの調整を図り,市町への派遣が行われた.しかし,実際には,県,圏域,市町の各レベルで行政機能が低下し,情報の収集,分析,発信はままならず,調整が混乱することも多かった(表2).また,外部の支援チームは,現場で直接活動を始めていることもしばしばで,指揮系統の整理が必要となった.コーディネートする側では,被災地の精神医療・保健ニーズに影響を与える因子(表3)を検討し,また,こころのケアチームの予定派遣期間や派遣時期,災害派遣の経験,チーム構成などの特徴を考慮しながら調整を行う必要があった.
 特に,石巻市や気仙沼市など比較的規模が大きく,市内の広域が被災した自治体には,全国から多数の支援チームが集結した.被災範囲が限られた災害であれば,県の人材を被災地に集約する体制を整えることができたかもしれない.しかし,今回のような広域災害では,県の組織自体も被災し,また人材を広域に分散させざるを得なくなり,指揮系統が安定するまでに時間を要した.対照的に,仙台市は行政機関の被害も小さく,精神保健福祉総合センターが事前に準備していた情報集約を行いコーディネートするシステムや機能が保持され,混乱は比較的小さかった.
 被災した市町自治体にとっては,こころのケアチームの受け入れは初めてであり,支援の意義や内容を理解し,これを調整することには多くの苦労があった.それでも,1つの自治体に1つのチームが入る場合の調整は比較的障壁は少なかったかもしれない.被災自治体の交渉相手は限られ,派遣元は被災地のニーズに応じた臨機応変な対応が可能である.一方,1つの自治体に複数の支援チームが入る場合は,受け入れチーム数やチーム配置についてさまざまな調整が必要となる.また,震災直後から続々と入ってくる支援者が,すでに支援を開始している場合もあり,現場でもその状況を把握しきれないことも多かった.
 こころのケアチームは,保健所や市町自治体の保健師と連携して活動を行うが,現地の保健師の負担は過酷なものであった.被災直後の著しい混乱の中で,被災者でもある現地の保健師は,精神保健対策のみならず,母子対策,高齢者対策,感染対策などの役目を一気に求められ,不眠不休の極限状態にあった.こころのケアチームの活動は保健師との連携が円滑に進むことで機能するが,災害時に被災地の保健師に過剰な負担がかからないための対策を事前に検討しておくべきだろう.
 今回,現場での混乱の大きな要因の1つは,災害医療体制におけるこころのケアチームの位置づけが不明瞭であった点が挙げられる.宮城県では,こころのケアチームは,県障害福祉課と精神保健福祉センターがコーディネートを行い,現地では,保健所や市町の精神保健担当者のコーディネートによって活動が行われた.このため,自治体の精神保健活動と連動した領域には強いが,これと連動していない領域で起こった課題に対する対応力に乏しいという弱点がある.一方,現地災害対策本部では,災害医療コーディネーターがDMAT(Disaster Medical Assistance Team:災害派遣医療チーム)を含めた医療救護チームの指揮をとり,宮城県では医療整備課がこの業務を担当する.このため,医療救護系のチームとこころのケアチームとの連携には各地でばらつきがあり,体制が整うまでに混乱が生じた地域があった.また,“こころのケア”の定義の曖昧さのために,非医療系のチームが行う活動と,精神医療の専門家を含むチームとの役割の違いが明確ではなく,この点も現場での混乱の要因の1つとなった.

表2画像拡大表3画像拡大

V.日本精神神経学会による災害支援
 日本精神神経学会は,2011年3月15日に鹿島晴雄理事長(当時)が,「東日本大震災被災地の皆様へ」という声明28)を発表し,3月19日には理事長を本部長とする災害対策本部を立ち上げ,災害支援委員会(金吉晴委員長)を設置した.災害対策本部会議には,連携組織として関連するさまざまな学会,協会,組織の代表者が参加した.同会議は,当初は月2回ほどで実施され,Web会議により被災地の関係者を含めて全国からの参加が可能であった.被災地の関係者にとっては,全国に被災地の状況を発信することができ,また,さまざまな関連団体の動きや災害支援にかかわる全般的な動きを把握することができた.このような情報共有と活動調整の機会は,こころのケアチームの活動が活発な急性期には有用性が高かった.
 2011年5月に予定されていた第107回の学術総会(三國雅彦会長)は,10月に延期され,5月21日に東日本大震災に対する緊急支援対策ワークショップと通常総会が東京で開催された.当日は,発災後に全国の関係者が一堂に会する初めての機会となり,被災地の活動状況と課題についての報告や災害支援の専門家からの発表があった31)32).また,総会では東日本大震災復興支援に対する日本精神神経学会声明28)が発表された.
 今回の災害においても被災地における調査・研究の倫理にかかわる問題が生じたが,日本精神神経学会では,2011年4月20日にこの件に関する緊急声明文(同年5月13日に第2版に改訂)を発表した29).また,2011年7月25日には,「被災自治体(県,市町村)職員の健康に関する緊急要請」30)を行うなど,積極的に災害支援にかかわる社会的な発信を行った.
 被災地の関係者にとっては,情報集約・発信力のある日本精神神経学会とつながっていることの意義は大きく,同学会の全面的な支援は大きな支えとなった.今後も,中長期的な視点から災害対策にかかわることは,同学会の重要な役割として期待したい.

VI.情報収集・メーリングリスト・調査/研究の倫理
 今回の災害では広域な被災地で,過去にない多数の精神医療関係者が長期にわたって活動に従事したが14),多くの支援者にとっては初めての災害支援活動となった.このため,過去の経験を活かしたガイドラインやマニュアルをインターネットを介して入手することができた点は3),支援に対する一定の知識や姿勢を支援者の中に共有させ,被災地での混乱を最小限に抑えることに役立った.
 また,支援における情報共有のためにメーリングリストもさまざまな形で活用された.最も代表的なものは,3月14日に川副18)により開設された「東日本大震災に関わる精神保健・医療・福祉支援をつなぐメーリングリスト」,通称「東北支援ML」であろう.川副は新潟県中越地震の際にもメーリングリストを立ち上げた経験があり,今回も川副の尽力により管理・運営が行われ,その後,精神神経学会対策本部事務局にこの作業は引き継がれた.同メーリングリストは,災害支援における直後期から急性期にかけて,こころのケアチームを中心とした全国の関係者同士の情報共有と意見交換の場として重要な役割を果たした18).その他,県,学会,こころのケアチーム単位でさまざまなメーリングリストが立ち上げられ支援に活用された.しかし,一部のメーリングリストでは,個人情報への配慮を欠いた内容が一斉に流れたり,中傷的な内容が含まれるなどの問題もあった.過去にも指摘されているとおり5),震災時のメーリングリストは大変有用であるが,管理や運用については十分な注意が必要である.
 大規模災害後に,調査や研究を実施し,被災地支援に役立てたり,科学的検討を行うことは重要であるが,一方で,科学的な妥当性や倫理性について事前の検討が不十分なまま実施された研究や調査が問題として指摘された17).日本精神神経学会では2011年4月20日に「東日本大震災被災地における調査・研究に関する緊急声明文」29)を発し,文部科学省と厚生労働省からは5月16日付けで関係試験研究機関,大学等,関係学協会宛てに「被災地で実施される調査・研究について」という事務連絡が出された.こうした災害後の調査研究の倫理については基本的な概念や制度を整理し,支援者や研究者が知っておくべき知識として事前の教育が必要である.

VII.今後に向けた課題
 今回の東日本大震災での経験を,今後の災害対策にどのように活かしていくかが今後求められている.災害を経験することで準備性が高まることが指摘されているとおり13),大きな災害を経験するごとに,災害時の精神保健医療対策も確実に進歩してきている.今後に向けた主な課題を最後に述べたい.

1.都道府県の災害医療体制の中に精神医療・保健対策を明確に位置づける
 都道府県の医療計画の中には災害医療体制が盛り込まれているが,精神医療の位置づけは明確ではない.今回も,宮城県の災害医療対策本部が,精神医療についての情報集約を行い指揮する体制にはなく,各地の災害医療コーディネーターや災害拠点病院が,精神医療についてどのようにかかわるかも不明確であった.発災後に立ち上げられた宮城県災害時精神医療福祉対策会議も現場関係者と行政側との情報共有や意見交換の場としては機能したが,精神医療・保健領域の情報集約や指揮調整機能を統括する機能や権限はなく,災害医療対策本部との連携も乏しかった.災害時の混乱を最小限にとどめ,被災者への支援を効果的に行うためには,大規模災害時に精神医療・保健領域の情報集約と指揮調整機能を統括するための対策本部を設置し,これを都道府県の災害医療体制の中に明確に位置づけることを検討すべきだと考えられる.

2.災害時の精神科医療体制の維持
 直後期から急性期にかけては,精神科医療体制の維持が課題となったが,過去の災害でも被災した精神科病院への支援と精神科救急体制の維持が課題として挙げられている4).特に,今回は,一度に複数の病院が広域に被災したために,患者の移送調整は困難を来した.福島県でも,福島第一原発事故による入院患者の避難,転院が必要となり,やはり多くの課題が残された33)43).特に,民間の精神科病院への支援は手薄となり,患者の転院調整についても自助努力を迫られた19)42).非常事態において,精神科の入院患者をどのように避難,転院させるべきかの議論と事前の準備が必要である.また,各医療機関では,災害時のライフラインの確保,情報収集と発信のための方法,関連機関とのネットワーク,患者の避難・移送方法などについて,事前の確認と準備を再検討する必要があるだろう.
 精神科病院の同時被災,情報の混乱,交通麻痺などのために直後期を中心に地域の精神科救急への対応力は大幅に低下した.精神科救急体制については,平時から地域ごとに事情は異なり,災害の状況に応じた対応が必要なため画一的な対策は難しいかもしれない.しかし,災害時の精神科救急体制については,災害拠点病院との連携も含めた事前の検討が必要と考えられる.
 震災後には,外部の精神医療関係者が医療機関に入って診療支援を行う案が検討されたが,実際の支援につながった例は限られた.顔の見えない関係で,外部から短期交代で派遣される精神医療関係者が医療機関で支援を行うことは難しかったといえる.職能団体や学会・協会レベルで,災害時の支援のあり方については事前に検討を行い,災害時に円滑な支援を行うための体制を整えておくことが役に立つと考えられる.

3.精神医療・保健領域での恒常的な災害支援システム作り
 災害に備えた医療チームの派遣システムとしてはDMATがあるが,精神医療・保健領域においても,同様の恒常的な災害支援のためのシステムを構築する必要性は以前から指摘されていた16).自然災害の多い日本においては,どこの都道府県であっても“被災地”になる可能性があり,大規模災害が近い未来に起こることも想定されている.次に起こる災害に備えて,こうした検討を進めていくことは当然に思える.
 大規模災害では,精神保健行政の関係者だけではなく,さまざまな立場から精神医療関係者が支援にかかわることになる.あらゆる精神医療関係者は,ある日突然に“被災地の精神医療関係者”となるかもしれない.したがって,精神医療関係者が,災害精神医学についての基本的な知識やスキルを学ぶための教育システムの検討も必要だろう.また,災害精神医学の領域では,今回の災害を踏まえた実践的な知識やスキルについての体系化を進めていくことも大切である.
 現在のこころのケアチームを中心としたシステムは,規模が限定された災害では十分に機能するが,今回のような大規模災害を想定した場合には,こころのケアチームが果たすべき役割,派遣時期,派遣規模などを含めて見直すべき点はまだ多い.すでに指摘したように,自治体の精神保健活動を超えた領域での精神医療・保健活動との連携,特に医療救護チームとの連携についての整理が必要だろう.また,今後は,DMATのように支援者の資格化や研修の義務化も検討課題の1つであろう.
 平成25年4月に厚生労働省は,従来のこころのケアチームに代わる災害派遣精神医療チーム(Disaster Psychiatric Assistance Team:DPAT)の活動要領を発表した.DPATが今回の災害の経験を踏まえた,より実践性の高い制度になっていくためには,DPATを含めた災害支援システム全体の見直しを進めていくことが必要である.

4.大規模災害における支援モデルの構築
 精神保健の領域では,災害規模に応じた支援システムを構築する必要性は以前から指摘されていたが9),今回のような大規模災害を想定した支援モデルは十分に検討されていたとはいえない.東日本大震災では,複数県が同時被災し,市町村自治体も広域に被災した.保健所の被災によって圏域レベルでの精神保健行政が滞り,広域な被災により県中央だけで災害対策を統御することは困難となった.今回はいずれの県でも,県庁所在地での被害は比較的小さかったが,都道府県庁もが大規模に被災する事態も想定しておくべきだろう.
 こころのケアチームによる外部支援の調整は画一的なものではなく,県,圏域,市町村の各レベルで行われ,被災状況や地域の事情に応じてコーディネートされた.周囲から孤立した遠隔地への支援と都市部での支援のあり方には違いがあり,また,発災後の時期によっても支援のあり方は異なった.被災地の精神医療・保健ニーズはさまざまな因子に影響されるため,画一的なモデルは実際的ではない.想定外の大規模災害では,基本的ないくつかのモデルを共有した上で状況に応じた臨機応変な対応が大切だと考えられる.こうした観点からは,IASC(Inter-Agency Standing Committee)ガイドライン11)のように,基本的な原理や原則を共有することが実際的と思われる.また,広域被災においては,地域ごとにコーディネーターが必要となるため,人材育成や被災地のコーディネーターを支援するための仕組み作りも検討すべきだろう.

おわりに
 今回の災害は,日本全体に大きな衝撃を与え,全国から多くの支援者がかけつけた.未曾有の事態に対して,準備不足や混乱もみられたが,全体的には協調的かつ臨機応変な活動が行われ,結果的に被災地での支援に大いに役だった.また,外部支援者だけではなく,被災地内の関係者は,自分達の持ち場の中で必死に精神医療・保健を維持するための活動を行っていた.
 発災から2年余りが経過した被災地では,災害後の支援が現在も続いている.時間の経過とともに過去についての見え方は変化し,先には次々と新たな困難が待ち受けている状況はいまだに続いている.今回の災害による影響の全貌が見えてくるのはまだ先のことと思われるが,発災後初期の支援活動を振り返り,今後の大規模災害に備えた対策について本格的な検討を始める時期が来ているように思える.災害時に重要なのは平時の備えといわれているが,大規模災害への備えを平時の精神医療や精神保健といかに結びつけていくかが鍵となるだろう.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

 謝 辞 本稿を作成するにあたってご指導賜りました東北大学大学院精神神経学分野 松岡洋夫教授,貴重なご意見を賜りました東北会病院理事長 白澤英勝先生,原クリニック院長 原敬造先生,仙台市精神保健福祉総合センター 林みづ穂所長,宮城県精神保健福祉センター 小原聡子先生,およびご支援ご指導をいただいた多くの関係者の方々に深く感謝いたします.

 編  注:編集委員会からの依頼による総説論文である.

文献

1) 粟田主一: 災害精神医療の現状 老年精神医学領域の問題点と課題. 老年精神医学雑誌, 23; 204-208, 2012

2) 藤田さかえ: 震災復興と心のケア, アルコール問題 東日本大震災久里浜医療支援報告. 日本アルコール関連問題学会雑誌, 14; 99-101, 2012

3) 深澤舞子: 国立精神・神経医療研究センター「東北地方太平洋沖地震メンタルヘルス情報サイト」の紹介. トラウマティック・ストレス, 9; 148-151, 2011

4) 福島 昇: 新潟県中越地震における被災者支援について. トラウマティック・ストレス, 4; 105-114, 2006

5) 後藤雅博, 福島 昇: 新潟県中越地震における災害時精神保健医療対策. 精神医学, 48; 255-261, 2006

6) 原 敬造: 東日本大震災とこころのケア 原クリニックの取り組み. 病院・地域精神医学, 55; 53-55, 2012

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10) 本間博彰, 小野寺滋実, 高田美和子ほか: 東日本大震災と子どもの心のケアについて. 児童青年精神医学とその近接領域, 53; 128-136, 2012

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14) 加藤 寛: 大災害後の外部からの支援をめぐって. トラウマティック・ストレス, 10; 39-43, 2012

15) 加藤 寛, 藤井千太, 後藤豊実ほか: 日本における自然災害後の精神保健活動. 心的トラウマ研究, 1; 95-103, 2005

16) 加藤 寛, 鈴木友理子, 金 吉晴: 自然災害とメンタルケア. トラウマティック・ストレス, 6; 103-111, 2008

17) 加藤 寛, 鈴木友里子, 金 吉晴: 自然災害後の精神保健医療の対応について. トラウマティック・ストレス, 9; 152-157, 2011

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21) 松本和紀, 小原聡子, 林 みづ穂ほか: 東日本大震災における宮城県の精神科医の活動. 精神医学, 55; 391-400, 2013

22) 松本和紀, 白澤英勝, 岩舘敏晴ほか: 宮城県における震災後の精神医療の状況 震災から1年を経て. 精神経誌, 115; 492-498, 2013

23) 松本和紀: 宮城県における現状と課題. 精神科, 19; 543-547, 2011

24) 三浦伸義, 山川麻貴, 上田一気: 災害で高まった有床総合病院精神科のニーズ. 総合病院精神医学, 23; S150, 2011

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27) 宮城県精神科病院協会: MIYAGI 3. 11 2011○東日本大震災の記録 (浅野弘毅, 岩舘敏晴ほか編). 宮城県精神科病院協会, 仙台, 2011

28) 日本精神神経学会: 東日本大震災支援活動記録. 東日本大震災 被災者の皆様へ. 2011 (https://www.jspn.or.jp/activity/eastjapanquake/index.html)

29) 日本精神神経学会: 東日本大震災被災地における調査・研究に関する緊急声明文. 2011 (https://www.jspn.or.jp/activity/eastjapanquake/info/files/2011_04_20jspnkinkyuuseimei.pdf)

30) 日本精神神経学会: 被災自治体 (県, 市町村) 職員の健康に関する緊急要請. 2011 (https://www.jspn.or.jp/activity/eastjapanquake/info/geje_emergency_appeal2011_07_21.html)

31) 日本精神神経学会: 東日本大震災に対するこころのケア支援と復興支援対策ワークショップ (前篇). 精神経誌, 113; 749-772, 2011

32) 日本精神神経学会: 東日本大震災に対するこころのケア支援と復興支援対策ワークショップ (後篇). 精神経誌, 113; 825-844, 2011

33) 丹羽真一: 福島県における現状と課題. 精神科, 19; 537-542, 2011

34) 小原聡子: 東日本大震災における宮城での支援活動を通して 宮城県精神保健福祉センターの立場から. 精神医療, 64; 104-112, 2011

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