Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文全文

第116巻第2号

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精神医学のフロンティア
うつ病による社会的損失はどの程度になるのか?―うつ病の疾病費用研究―
佐渡 充洋
慶應義塾大学医学部精神神経科学教室
精神神経学雑誌 116: 107-115, 2014

 【背景】様々な疾病に起因する社会的損失を患者数,死亡率,医療費などのみで評価してしまうと,うつ病をはじめとした精神障害は,その損失の規模を過小評価されてしまう可能性がある.疾病費用研究は,これらの指標だけでは把握しきれない様々な社会的損失を包括的に評価しようとする手法である.諸外国では,すでにうつ病の疾病費用が推計されていて政策立案の基礎データとして利用されているが,わが国ではほとんど実施されていない.本研究の目的は,日本におけるうつ病の疾病費用を推計することである.【方法】うつ病の疾病費用の測定には,有病率に基づくアプローチを採用した.うつ病の総費用は直接費用,罹病費用,死亡費用からなるものとした.データは公表されている統計データおよびWorld Mental Health Japan Surveyのデータベースから収集した.推計は社会的立場から実施した.【結果】2005年の日本人成人におけるうつ病の総費用は2兆円と推定された.直接費用は1,800億円,罹病費用は9,200億円,死亡費用は8,800億円であった.【結論】他の先進国と同様,日本におけるうつ病から生じる社会的損失は莫大である.疾病費用研究は,医療資源の配分決定プロセスに1つの判断材料を提供できる.今後は,限られた資源をどのように有効に使えばこれらの社会的損失を削減できるかを明らかにするために費用対効果研究の実施が必要になる.

索引用語:うつ病, 医療経済学, 疾病費用, 費用対効果>

はじめに
 様々な疾病に起因する社会的損失の大きさはどのように評価すればよいのであろうか? それは治療を受けている患者の数であろうか? 死亡者数もしくは死亡率であろうか? はたまたその疾病の治療に使われる医療費であろうか?
 脳卒中や交通外傷など,存在の把握が容易であり,大半が確実に医療につながる疾病の場合,上記のような指標でその社会的損失を十分に把握することが可能かもしれない.しかし,うつ病をはじめとした慢性疾患の社会的損失をこのような指標で評価して,果たして正確にその規模を推計できるのだろうか?
 例えば,うつ病の場合,治療を受けている患者は,全患者の半数以下だと考えられることから6),治療を受けている患者数だけでその社会的影響を評価するとそのインパクトを過小評価することになる.また,この疾患では,長期的に社会機能の低下を引き起こすことが多々あるが,脳卒中やがんなどに比べると相対的に死亡率が低いために,死亡者数や死亡率でその大きさを評価することも過小評価の原因になりかねない.さらに,治療に関しても特に高度医療が必要になるわけでなく患者1人あたりの医療費へのインパクトが大きくないことから,医療費でこの疾患の負荷を評価することもまた,社会的損失の過小評価の原因になりかねない.このように,うつ病などの精神障害は,死亡率や医療費だけでは測りきれない「隠された費用」の多い疾患なのである10)
 よって,様々な疾病による社会的損失を計測する際は,上記のような指標では把握しきれない様々な社会的損失をできるだけ正確に反映していくことが,公平性の観点からも重要になってくる.そのような研究手法の1つが疾病費用研究なのである.諸外国においては,主にアメリカ,西ヨーロッパを中心に1990年代から2000年代にかけて,うつ病をはじめとして様々な疾患について,これらの研究が盛んに実施されてきた3)4)15)19).それらの結果によると,例えばアメリカでは,うつ病による社会的損失は,心血管疾患,または後天性免疫不全症候群など他の重大な疾患の疾病費用に匹敵することが明らかになっている2).そして,このような疾病費用研究の結果が,医療政策立案の際の基礎データとして活用されてきた経緯がある.しかし,わが国では,このような研究はこれまでほとんど実施されていないのが実情である.よって,本稿では,筆者らによって実施され,Psychiatry and Clinical Neuroscience誌に掲載された2005年のうつ病の疾病費用の推計の結果16)を解説し,本研究の意義および今後のこの領域の研究の方向性について議論することとする.

I.目   的
 本研究の目的は,日本における2005年のうつ病の疾病費用を推定し,うつ病から生じる社会的負担の大きさを把握することである.

II.方   法
 疾病費用の推計にあたっては,prevalence based approachを採用し,2005年の日本人成人のうつ病患者によってもたらされる疾病費用を推計した.うつ病の疾病費用は,直接費用,罹病費用,死亡費用からなるものと見なした.うつ病の定義については,直接費用の評価の際には,ICD-10のうつ病エピソードおよび反復性うつ病性障害と診断されるものとし,罹病費用の推計においてはDSM-IVによる大うつ病性障害と定義した.各費用によって,うつ病の定義が統一されなかったのは,入手できるデータの限界によるものであった.気分変調症や双極性障害に伴ううつ状態などの他の気分障害については,うつ病の疾病費用の推計をより厳密にするため,推計から除外した.本研究では,社会的立場から疾病費用の推計を行った.データは,World Mental Health Japan Survey(WMH-J)のデータベースをはじめとして,公表されている統計データおよび文献から収集した.

1.直接費用
1)外来費用
 外来費用の推計に必要なデータは患者調査11)および社会医療診療行為別調査12)から収集した.要約すると,患者調査では,すべての身体疾患および精神疾患に関して各診断群の患者数が推計されており,社会医療診療行為別調査12)では,診断ごとの公的な医療保険が適用された医療費が示されている.社会医療診療行為別調査12)では,うつ病に関して,うつ病性障害,双極性障害,気分変調症など,すべての気分障害を合わせた外来総費用が示されており,うつ病性障害に限定した費用は示されていなかった.したがって,うつ病性障害にのみ関連する費用を調べるために,各気分障害の患者の平均外来費用は同じであると仮定し,気分障害の全患者のうち,うつ病性障害の占める割合を算出した.
2)入院費用
 入院費用に関するデータも患者調査11)および社会医療診療行為別調査12)から収集した.外来費用の場合と同様に,社会医療診療行為別調査12)では,全気分障害に関する総費用のみが入手可能であったことから,患者調査11)で確認されたすべての気分障害のうち,うつ病性障害の占める割合を割り出し,うつ病性障害の入院費用の算出に使用した.この際,各気分障害の間に平均治療費の差はないものと仮定して推計を行った.
3)薬剤費用
 先行研究3)19)では,うつ病治療における薬剤費の算出に抗うつ薬のみが含まれていた.しかし,抗うつ薬は,パニック障害,強迫性障害,外傷後ストレス障害など,他の疾患にも処方される可能性がある.一方,うつ病患者の中にも一定の割合で,抗うつ薬による治療を受けていない患者がいる.したがって,うつ病に関する薬剤費を,抗うつ薬,気分安定薬,抗不安薬などをはじめとして,うつ病と診断された患者に処方されるすべての薬剤の費用と定義して推計した.社会医療診療行為別調査12)では,うつ病性障害に特異的な総費用ではなく,気分障害(すなわち,うつ病性障害,双極性障害,気分変調症,その他すべての気分障害)に関する薬剤費が示される.したがって,うつ病性障害の総薬剤費は,気分障害に要した総費用に,気分障害の全患者中うつ病性障害患者の占める割合を乗じることで算出した.

2.間接費用
 間接費用には,罹病費用および死亡費用を含めた.罹病費用は,疾患が原因で患者が本来の社会機能が発揮できない場合に発生する費用とし9),死亡費用は,患者が平均余命を下回る年齢で自殺した場合に発生する費用とした.
1)罹病費用
 本研究では,罹病費用に,欠勤によって生じる生産性の低下(absenteeism)および勤務中の生産性の低下(presenteeism)を含めた.本来であれば,失業による損失も推計に含めるべきであるが,推計に必要なデータが存在しなかったため今回の推計からは除外した.
(1)Absenteeism
 Absenteeismは,うつ病が原因の欠勤による損失日数の合計に2005年の平均日収を乗じて算出した.総損失日数を推定するために,まずWMH-Jから得た有病率データを用いてうつ病の性年齢別症例数を算出した(表2).Absentteismは,上記の性年齢別症例数に性年齢別労働参加率,平均欠勤日数,性年齢別平均日収を乗じることで算出可能である.うつ病の労働者1人あたりの年間欠勤日数に関するデータは,WMH-Jから収集した.性年齢別労働参加率は労働力調査17)から,性年齢別平均日収は賃金構造基本統計調査13)および毎月勤労統計調査14)から算出した.
(2)Presenteeism
 Presenteeismは,罹病中も出勤する患者から生じる生産性の低下と定義される.しかし筆者らは,日本におけるうつ病のpresenteeismに関する信頼性の高いデータを特定することはできなかった.したがって,文献レビューを実施し,諸外国の研究結果からpresenteeismとabsenteeismの相対比率を推計し,それに上記の日本におけるabsenteeismの損失額を乗じることで日本におけるpresenteeismを推計した.
 文献レビューを実施するにあたっては,以下の組み入れ基準を設け,レビューを実施した.
 ・一般母集団から抽出した大規模かつ代表的なコミュニティベースのサンプルに対して実施された観察研究.
 ・Absenteeismとpresenteeismの割合がサンプルから直接算出されており,うつ病の診断はICDまたはDSMなどの精神医学的診断分類システムを用いて定義されている.
 職場サンプルを用いた研究は,多様な職業を代表しない可能性があることから除外した.文献は,査読を受けた出版済みの英語の報告に限るものとした.
 文献レビューは,PubMedを通じて,検索語(うつ病,absenteeism,presenteeism,生産性の低下)を用いて実施した.24報の論文が見つかったが,検索結果が上記基準を満たすものは2報のみであった8)18).この2報の結果を統合すると,極めて顕著な不均一性が示された(I2=100%).したがって,この2報に基づくメタアナリシスによる相対比率の同定は不適切な方法と判断した.個々の論文をみてみると,Stewartら18)の研究では,prenseteeismを,評価尺度を用いず,面接者が主観的に評価していたのに対して,Kesslerら8)の研究ではpresenteeism測定に関して,妥当性がすでに検証されているHealth Performance Questionnaire(HPQ)を使用して測定していたことから,後者の研究結果を採用することにした.
 Presenteeismによる損失日数は,上記で算出したように,presenteeismとabsenteeismの相対比率に,absenteeismによる損失日数を乗じて算出した.
 次にpresenteeismによる損失日数を,absenteeismによる損失日数と合計した.罹病費用は,absenteeismとpresenteeism両方に相当する総損失日数に,性年齢別の平均日収を乗じて推計した.
2)死亡費用
 死亡費用は,human capital approachに基づいて,うつ病による自殺者数に,自殺がなければ獲得したであろう期待生涯賃金(遺失賃金)を乗じて算出した.性年齢別自殺者総数は自殺の概要資料7)から入手した.自殺者に占めるうつ病患者の割合は,2009年に発表された加我ら5)の研究のデータを引用した(表3).このデータを選択した理由は,サンプルサイズは比較的小さいものの,76名の自殺者に対して心理学的剖検を実施して診断を確定しており,診断の信頼性が高いと考えられたこと,および研究で用いられたサンプルの人口統計学的データが,日本の全自殺症例のそれに近似しており,本研究のサンプルが母集団の特性を十分に代表していると考えられたからである.
 期待生涯賃金は,賃金構造基本統計調査13)および労働力調査17)に基づき算出した.割引率には,最近の国際的研究で使用されることの多い3%を採用した1)

3.不確実性
 うつ病の疾病費用の推計にあたっては,入手可能な範囲で最良のエビデンスの収集を行った.しかし,罹病費用および死亡費用の推計に使用したパラメーターのいくつかにおいて,一定の不確実性が認められた.よって,結果の不確実性を反映させるために,確率感度分析(Probabilistic Sensitivity Analysis:PSA)を実施して,平均費用とその95%信頼区間(CI)を推定した.費用推計のために使用されたパラメーターの値およびその確率分布の詳細は,表2および表3に示した.PSAは,Excel 2007©のマクロ機能を用いて実施された.PSAでは,推計に用いられるパラメーターの値を定義された確率分布の中からランダムに決定し,その値を用いて費用の計算を行う.この作業を5,000回繰り返し,その平均値およびその95%CIを求めることで,不確実性を表現した.

表2画像拡大表3画像拡大

III.結   果
1.直接費用
 日本における2005年のうつ病の直接費用は1,800億円と推計された.この数字には外来費用,入院費用,薬剤費用が含まれる.結果の詳細は,表1に記載する.

2.間接費用
1)罹病費用
 PSAの結果として,うつ病の労働者1人あたりのabsenteeismによる年間平均損失日数は11日(SE 3.7)と推計された.同様に,presenteeismによる生産性損失を損失日数に置き換えるとその値は26日(SE 13)となった.したがって,うつ病の労働者1人あたりのうつ病による年間総損失日数は38日(SE 16)となった.この結果,罹病費用は9,200億円と推計された(表4).
2)死亡費用
 日本における2005年の自殺者総数は31,944名であった.推計の結果,これらの自殺の53%がうつ病に関連すると考えられた.これらの結果をもとにうつ病による死亡費用を推計すると,その値は,8,800億円となった(表4).

3.日本における2005年のうつ病の総費用
 上記のデータを用いて,日本における2005年の成人のうつ病の総費用は,2兆円と推計された.直接費用は1,800億円であった(外来費用1,300億円,入院費用500億円).罹病費用は9,200億円であり,死亡費用は8,800億円であった.各要素の総費用に占める割合は,直接費用が9%,罹病費用が47%,死亡費用が45%であった(図1).

4.推計費用の頑健性
 PSAの結果,罹病費用の平均値は9,200億円であり,その95%CIは770億~1兆8,000億円となった.同様に,死亡費用の平均値は8,800億円(95%CI:6,900億~1兆1,000億円),総費用の平均値は2兆円(95%CI:1兆1,000億~2兆8,000億円)となった(表4).

表1画像拡大表4画像拡大
図1画像拡大

IV.考   察
 これまでの諸外国の研究3)19)と同様に,日本でもうつ病から生じる社会的負荷は甚大であることが,本研究から明らかになった.我々の知る限り,本研究は,日本におけるうつ病の疾病費用を推計する初めての研究であり,その点が本研究の第一の意義であろうと考える.
 最初に,この研究から得られた,治療へのアクセス,罹病費用,死亡費用についての知見にふれ,その後,政策的示唆を示した上で,本研究の限界について述べる.
 まず,治療へのアクセスについてであるが,本研究で利用したWMH-Jのデータ,患者調査の結果から,過去1年以内にうつ病に罹患していた患者の半数以上が,治療にアクセスしていない可能性が示唆された.昨今,うつ病の啓発が進んだ結果,医療機関を受診する患者が急増し,過剰診断が1つの問題になっている.これについて,十分な注意が必要であるのはいうまでもないが,真に治療が必要な患者についていえば,その多くが,治療にアクセスしていなかったり,アクセスが遅れていたりする現実がある.過剰診断の問題とともに,この点についても認識しておく必要がある.
 罹病費用については,全疾病費用に占める罹病費用の割合は,本研究では47%であった.疾病費用研究に含まれるコストの項目や費用の推計方法は研究によって異なること,国が違えば,医療制度や社会状況も異なり同じサービスでもコストが異なることなどから,単純に今回の結果を諸外国の結果と比較することは困難であるが,参考までにアメリカ3)とイギリス19)の結果を挙げておくと,その値はそれぞれ,約60%,90%であった.それらに比べると日本の割合は小さい値となる.罹病費用の全体に占める割合を押し下げた理由としては,(1)日本では死亡費用が高いこと,(2)罹病費用そのものがこれらの国と比較して低いこと,の2つがある.(2)については,なぜ罹病費用が低くなるのか,本研究結果からその理由を特定することは困難であるが,いくつかの可能性は考えられる.
 1つは,方法論的な問題で罹病費用が過小評価された可能性である.本研究では,罹病費用の推計に必要な疾病による欠勤日数をWMH-Jの患者申告のデータから引用しているため,想起バイアスの可能性が残る.またpresenteeismの推計にあたっては必要なデータがわが国に存在しないため,海外のデータを引用している.これらのことから,罹病費用の推計値には一定の不確実性が伴う.過大評価,過小評価どちらの可能性もあるが,結果として過小評価に傾いた可能性は否定できない.
 もし,これらの罹病費用が過小評価でないとすれば,罹病費用が低い理由として,1つは有病率の低さが挙げられる.WMH-J6)によると,日本におけるうつ病の12ヵ月有病率が2.2%であるのに対し,アメリカでは8.7%3),イギリスでは5.1%19)で推計が行われている.この差が罹病費用の差に現れたと考えるのは自然である.しかし,それだけでは説明がつかない部分もある.例えば,日本の人口1人あたりの傷病欠勤日数は,アメリカ,イギリスのそれぞれ1/7,1/5であるが,これを上記の有病率で補正しても,患者1人あたりの傷病欠勤日数は,それぞれこれらの国の半分程度にしかならないからである.この結果からは,日本では患者がうつ病に罹患しても,これらの国に比べ傷病欠勤に至りにくい可能性が考えられる.なぜ,1人あたりの傷病欠勤数が少ないのか.日本では,症状が軽い患者が多く欠勤が必要なレベルになる患者が少ないからなのか,うつ病になっても社会制度的,文化的に欠勤しにくいからなのか,それとも何かそれ以外の理由があるのかについては,今回の研究結果から明らかにすることは不能である.しかし,この患者1人あたりの傷病欠勤日数の少なさが,重症度の低さや適切な介入によって達成されている結果なのか,それとも,状態が悪いにもかかわらず必要な休養がとれないため,見かけ上罹病費用が小さくなっているにすぎないのかについては,今後十分な検証が必要になると思われる.
 死亡費用についてであるが,これは8,800億円であった.死亡費用が諸外国に比べここまで高くなったのは,ひとえに自殺者数の多さに起因すると考えられる.なお,今回の研究では,human capital approachを採用し死亡費用を推計したが,このhuman capital approachには,死亡費用を過大評価しているという批判もある.これは,自殺によってもたらされる労働生産性の損失は,代替的な労働力が確保されるまでの間に限定されており,それ以降は労働生産性の損失は発生しないという考えからくる批判である.この考えを反映したアプローチは,friction approachと呼ばれる.
 以上の結果から,いくつかの政策的示唆を得ることができる.1つは,医療機関を受診する患者が急増し,うつ病の過剰診断が問題になる一方で,真に治療が必要な患者がまだ十分に治療にアクセスしていない状況を鑑みて,これらの患者の適切なアクセスを改善させる施策を遂行する必要である.2つ目は,罹病費用の少なさが,適切な介入の結果なのか,それとも休養しにくい環境のため起きている見かけ上の結果にすぎないのかについての検証である.そしてもし,休養が必要な状況であるにもかかわらず,適切な休養がとれていないことが,見かけ上の罹病費用を低くしているにすぎないのだとすれば,スクリーニングや適切な治療へのアクセスのサポートなどを通じて,必要な場合には適切な休養へと促す体制の整備が必要となる.そして,最後が,死亡費用が疾病費用全体に占める割合が甚大である現状を考え,効果的な自殺対策を開発する必要性である.
 本研究の実施にあたっては,いくつか課題が認められた.その1つとして,いくつかの費用項目において,推計に必要なデータが十分に存在しなかったため,これらの費用項目を推計から除外せざるを得なかったことが挙げられる.具体的には,インフォーマルケアや失業に関する費用などである.もう1つは,推計にあたって使用したパラメーター(absenteeimsおよびpresenteeism)の不確実性が高く,結果として推計値の不確実性も大きくなったことである.今後より精度の高い推計を行うためには,これらの費用を推計するための基礎データを整備していくことが求められる.一方で,疾病費用研究では,推計値に不確実性が伴うこと,時に政治的な意図などから,推計が過大評価に傾きやすいことなどの課題があることを考えると,あまりに不確実性の高い費用項目を推計から除外したことや,PSAを実施してその不確実性を示したことは,本研究の意義の1つである.疾病費用研究の結果を参照する際には,単にその数値だけに着目するのでなく,これらの点にも注意をしておく必要がある.

おわりに―今後の展望―
 今回の疾病費用研究から,うつ病の社会的損失額について明らかにすることができた.しかし,これは,うつ病の社会的損失を削減してくためのスタートラインを明らかにしたにすぎない.次に必要なのは,どのようにすれば,限られた資源でこの損失額を削減できるのかを検討することである.そのために必要なのが,質の高い効果研究や費用対効果研究である.また,今回の研究結果からも明らかなように,うつ病の社会的損失額の多くが,自殺も含めた労働生産性の低下によってもたらされていることを考えると,今後の研究では,アウトカムを単にうつ症状の改善におくのでなく,社会的機能の改善におくことが求められる.なぜなら社会機能の改善を伴って初めて,尊厳なども含めた患者の生活の質が改善するのであり,それが社会全体としてみたときには,社会的損失の減少という形で体現されるからである.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

 謝 辞 Psychiatry and Clinical Neuroscience誌に掲載された原著論文の共著者の,山内慶太先生,川上憲人先生,大野裕先生,古川壽亮先生,土屋政雄先生,田島美幸先生,鹿島晴雄先生,そしてWMH-Jの諸先生方に感謝の意を表する.本研究の実施にあたり,WMH-Jデータベースを使用した.データベースの使用を許可してくださった川上憲人先生およびWMH-Jのスタッフの皆様に感謝の意を表したい.

 本論文は,PCN誌に掲載された最新の研究論文16)を編集委員会の依頼により,著者の1人が日本語で書き改め,その意義と展望などにつき加筆したものである.

文献

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