本稿では,国際疾病分類の第11回改訂版(ICD-11)に収載されている心的外傷後ストレス症(PTSD)と複雑性心的外傷後ストレス症(CPTSD)の診断要件が,従前Herman, J. L. の提唱した「複雑性PTSD」概念と比較して大きく異なっていることを説明した.ICD-11では,心的外傷的出来事の種類で分類するのではなく,患者の示す症状によりPTSDとCPTSDを区別している.ICD-11でCPTSDと診断するためには,心的外傷体験存在と,3つのPTSD症状(現在における再体験,回避,現在の脅威感覚)の存在,これに加えて感情の麻痺または過剰な反応,ネガティブな自己概念の持続,対人関係困難という自己組織化の障害(DSO)に該当する3症状を加えた6症状のすべてが揃い,かつ社会機能の障害があることが必要である.パーソナリティ症との鑑別などについてはまだ十分な研究の知見が揃っていない.
2)久留米大学医学部神経精神医学講座
https://doi.org/10.57369/pnj.25-099
受付日:2025年1月8日
受理日:2025年5月20日
はじめに
本稿では,国際疾病分類の第11回改訂版(ICD-11)16)に収載されている心的外傷後ストレス症(post-traumatic stress disorder:PTSD)と複雑性心的外傷後ストレス症(complex PTSD:CPTSD)の診断要件が,従前の「複雑性PTSD」概念と比較して大きく異なっていることを説明し,臨床に生かす方法について述べる.
世界保健機関が定めるICD-11(英語版)は2018年6月に公表されているが,諸般の事情で日本語版の公表には時間がかかっている.このためICD-11で新たに取り入れられた疾患概念の説明については,本稿で使用する用語を含め正式な訳に基づくものではないことにご留意いただきたい.
本稿は2024年6月の第120回日本精神神経学会学術総会での教育講演をもとにしているが,折よく2024年3月8日に「ICD-11 精神,行動又は神経発達の疾患の臨床記述と診断要件(Clinical Descriptions and Diagnostic Requirements for ICD-11 Mental, Behavioural and Neurodevelopmental Disorders:CDDR)」15)が公表された.これにより英語版ではあるものの,誰もがICD-11における疾患を診断するための詳細な情報を得ることができるようになった.これまで数年間にわたり,CDDRは草案段階では世界各国の精神保健専門家有志が参加したGlobal Clinical Practice Networkに参加した者9),あるいは国内では2019年の第115回日本精神神経学会学術総会にあわせて開催されたICD-11運用のためのトレーニングセミナーに参加した者のみが閲覧できる非公開資料となっていた.CDDRの日本語版公表にも時間がかかるのかもしれないが,全文を読むことでPTSD, CPTSDの臨床的位置づけがより鮮明となる.CDDRを読まなければ診断要件の理解が浅薄となることは想像にかたくない.そこで,本稿でも適宜CDDRを引用し説明を行う.
なお,ICD-11でのCPTSDは「複雑性心的外傷後ストレス症」という和訳となっているが,本稿では従前の複雑性PTSD概念を「複雑性PTSD」とし,ICD-11でのcomplex PTSDは「CPTSD」とすることで両者の区別がつくようにしている.
I.従前の複雑性PTSD概念―「出来事」で分ける―
Herman, J. L. の歴史的名著である『心的外傷と回復』5)をはじめとした複雑性PTSD概念では,「長期にわたる反復性のトラウマ体験」(例:長期にわたる児童虐待,監禁,戦時捕虜)を単回のトラウマ体験とは異なる体験として定義し,出現する症状もPTSDとは異なるものであるとされた.つまり,心的外傷的出来事としての基準がそもそも異なっているという考え方である.Hermanの提唱する複雑性PTSDでは,「持続する,反復するトラウマ体験によって,通常のPTSD症状(侵入症状,回避症状,認知と気分の陰性の変化,覚醒度と反応性の著しい変化)以外に,感情調節,対人関係上の問題が生じ,不安性の覚醒亢進,怒り,解離,攻撃性,社会回避等を認める」とされた.
また,同時期にTerr, L. C. は児童期のトラウマについて単回性のものをType Iトラウマ,長期・複数回のものをType IIトラウマと呼んだ14).Type Iトラウマでは記憶はすべて鮮明で,「なぜ自分にこんな出来事が起きたのだ」と尋ね,解離性の幻聴や時間感覚の歪みを体験するとしている.一方,Type IIトラウマでは否認や麻痺症状,自己催眠や解離性同一性障害,怒りの噴出が起こると指摘した.
このように,単回性トラウマと反復性・長期トラウマの性質が異なるために症状が異なって出現するという考え方は臨床観察に基づくもので,DSM-IVへの採用をめざして他には特定不能の極度ストレス障害(disorder of extreme stress not otherwise specified:DESNOS)という概念が提唱された.これは,長期にわたる対人間トラウマの被害者では,a)感情や衝動のコントロール,b)記憶と注意,c)自己知覚,d)対人関係,e)身体化,f)意味体系,に問題が生じているというものであった.しかし,DSM-IVではPTSDとは別にDESNOSが診断名として採用されることはなかった.その理由は,研究結果より「DESNOSの診断基準は満たしPTSDの診断基準を満たさない割合」が低くなってしまったことにあった.つまり,PTSDとDESNOSの併存率が非常に高く,別の疾患として区分することは困難であることが研究上示された.
この歴史はDSM-51)においても繰り返された.複雑性PTSD診断を否定する意見のうち,「単回性のトラウマ体験においても複雑な症状を示すことが稀ではない」「複雑な体験が必ずしも複雑な症状を示すわけではない」という指摘がなされており,このことが,後のICD-11でのPTSD診断とCPTSD診断を分ける鍵概念となったと推察する.
さらにDSM-IVからDSM-5に移行するにあたり,PTSD診断は,「複雑性PTSDの症状を一部取り込む形」で概念が拡大された.DSM-IVでは再体験,回避,過覚醒というPTSDの3大症状と呼ばれていた中核症状は,DSM-5では4大症状となり,「認知と気分の陰性の変化」という項目が増やされたことで複雑性PTSDを診断名として確立しなくても,PTSD診断に取り込むことができるという意見であった12).
従前のPTSD・複雑性PTSDの考え方を模式図に示す(図1).
II.ICD-11でのPTSD診断要件とCPTSD診断要件―「症状」で分ける―
精神科領域では米国で作成されるDSM分類と世界保健機関が定めるICD分類の2つの診断体系が存在するが,DSM-5とICD-11の間では,診断基準をある程度揃えようという動きがあると理解している.しかし,ICD-11でPTSDなどを担当したワーキンググループ(以下,WG)のメンバーたちは,DSM-5とは袂を分かち,PTSDとCPTSDの2つの診断名を用いることを決めた.ただし,これまでと同様に出来事の種類で分けるというやり方では,新しい診断を抽出することができないことは前項より明らかである.ではどうしたか.WGは,心的外傷的出来事の種類で分類するのではなく,患者の示す症状により区別する,という手段をとった.この点はある意味でパラダイムシフトといってよく,「心的外傷的出来事→症状」という従前の時系列の流れ(図1)を検討することを止めて,横断的に「現在示している症状」でPTSDとCPTSDを分けることにしたのである(図2).その際,DSM-5のPTSD診断では前述の通り概念が拡大してしまっていたので,これを用いずに,DSM-IV時代に用いていたPTSD診断(再体験,回避,過覚醒という3大症状)をICD-11のPTSDの中核症状〔現在における再体験(re-experiencing in the present),回避(avoidance),現在の脅威感覚(sense of current threat)〕として採用した.そして,感情の麻痺または過剰な反応(affect numbing or over-reactivity),ネガティブな自己概念の持続(persistent negative self-concept),対人関係困難(difficult interpersonal relationship)という3症状を自己組織化の障害(disturbance in self-organization:DSO)と名付け,CPTSD診断のためにはPTSDでの3症状とDSO3症状のすべて,すなわち6症状が必要であると定めたのである8).ちなみに,CPTSD診断を満たす場合,PTSDとの重複診断とはならず,PTSD診断のほうは除外される.
WGではいくつかのフィールドスタディを行い,CPTSDという診断名を新設することが妥当であるか検討した.その1つ,Keeley, J. W. らが論文にまとめた研究7)では,1,738名の医療従事者を対象として2つの事例(1つはICD-11でPTSD診断該当,もう1つはICD-11でCPTSD該当)を読んでもらい,ICD-10分類(ICD-10でのPTSD診断または「破局体験後の持続的人格変化」診断か,どちらにも該当しないか)とICD-11分類(ICD-11でのPTSD診断またはCPTSD診断またはどちらにも該当しない)のいずれかの診断基準を読んでもらい,どちらが診断が容易であるかを比較した.その結果,図3に示すように,ICD-11のCPTSDをもとにした事例は80%以上が正答しており,医療従事者にとって理解しやすい概念であることが示唆された.
III.ICD-11のPTSDとCPTSD
本項ではCDDRをもとにPTSDとCPTSDの概略について説明する.心的外傷的出来事について,診断要件では異なる説明がなされている.これは,特にCPTSDについて典型例イメージは従前の概念に沿っていることを説明しているが,単回の出来事を容認していることや本稿でのこれまでの説明の通り,出来事でPTSDとCPTSDを区分しているわけではない(図2).
PTSDでは,極度に脅威的または戦慄的な性質の出来事や状況(短期または長期)への曝露が前提となっており,例として自然災害や人為的災害,戦闘,重大事故,拷問,性的暴力,テロリズム,暴行,生命を脅かす急性疾患(心臓発作など)を直接体験した場合,突然,予期せぬ,または暴力的な方法で他人が傷害を受けたり,実際に死亡したりするのを目撃した場合,愛する人が突然,予期せぬ,または暴力的な死を遂げたことを知った場合などが挙げられているが,出来事や状況はこれらに限定されない.第一の中核症状である「現在における再体験」はフラッシュバックや悪夢が該当するが,単に想起されるだけでなく,今ここで再び起こったこととして体験される必要がある.出来事を振り返ったり反芻したり,その時に経験した感情を思い出したりするだけでは,再体験の要件を満たすには不十分である.
第二の中核症状である「回避」は,意図的に行われるものを指す.第三の中核症状である「現在の脅威感覚」は,例えば,予期せぬ物音などの刺激に対する過警戒や驚愕反応の亢進によって示される.PTSD患者の示す診断要件以外の症状として,全般的な不快感(dysphoria),解離症状,身体的愁訴,自殺念慮や自殺行動,社会的ひきこもり,再体験を回避したり情動反応を管理したりするための過度のアルコールや薬物の使用,パニックを含む不安症状,トラウマの記憶や想起に反応する強迫観念や強迫行為が挙げられている.経過の特徴として,PTSDと診断された人の半数近くは,発症から3ヵ月以内に症状が完全に回復すると記載されている.
CPTSDは極度に脅威的または戦慄的な性質の出来事(注:単回の出来事を意味する)または一連の出来事(注:複数回の出来事を意味する)―最も典型的なのは,そこから逃れることが困難または不可能な,長期にわたるまたは反復する出来事―への曝露が前提となっており,例として拷問,強制収容所,奴隷制労働,大量虐殺作戦,その他の組織的暴力,長期にわたる家庭内暴力,児童期の性的・身体的虐待の繰り返しが挙げられているが,出来事はこれらに限定されない.CPTSDでは,PTSDの3つの中核症状〔1)現在における再体験,2)回避,3)現在の脅威感覚〕すべてが該当するのに加えて,4)感情調節における重度かつ広範な問題,5)自分自身の価値が低下している,敗北している,無価値であるという持続的な信念,6)人間関係を維持することや他者を身近に感じることの持続的困難,と計6つの症状が該当する必要がある.CPTSD患者のその他の臨床的特徴としては,自殺念慮や行動,薬物乱用,抑うつ症状,精神病症状,身体的愁訴がみられることがある,とされる.経過の特徴として,CPTSDはPTSDよりも症状が一般に重篤で持続的であることや,発達初期の心的外傷体験はCPTSDを発症するリスクが高いことが挙げられている.年齢層に関する記述では,CPTSDの児童や青年では,学業や職業に支障をきたすような認知的困難(注意力,計画性,整理整頓の問題など)を示す可能性が同世代の子どもよりも高いとされる.アタッチメントとの関連では,両親や養育者がトラウマの原因(性的虐待など)である場合,児童や青年はしばしば無秩序なアタッチメントスタイルを発達させ,それがこれらの個人に対する予測不可能な行動面(例えば,欲求不満,拒絶,攻撃性を交互に繰り返す)として現れることがある.5歳未満の児童では,虐待に関連するアタッチメント障害には反応性アタッチメント症や脱抑制型対人交流症も含まれることがあり,これらはCPTSDと併発することがある.
PTSDの中核3症状およびCPTSDの中核6症状を表に示す.
IV.CPTSDと境界性パーソナリティ症の異同について
CPTSDのDSO症状を眺めていると,境界性パーソナリティ症(borderline personality disorder:BPD)と似ているのでは,と感じるのは至極当然のことに思える.この点に関してCDDRでの記載がどのようになっているのかを紹介する.
CDDR15)の鑑別診断,パーソナリティ症との境界の項目では,以下のように記載されている.
パーソナリティ症患者の多くは,特に児童期にトラウマとなる出来事を経験しており,感情調節障害はCPTSDとパーソナリティ症,特にBPDとの両方の特徴となりうる.しかし,この2つの障害の具体的な症状プロファイルが異なる点がいくつかある.トラウマに関連した記憶の回避や現在の脅威感覚の亢進は,パーソナリティ症の診断上の特徴ではない.CPTSDにおける親密関係や対人関係は,見捨てられることへの恐れや関係の不安定さによって特徴づけられることは少なく,むしろ回避や全般的な断絶感によって特徴づけられる.CPTSDの患者は,不安定な自己意識が一般的なパーソナリティ症とは対照的に,安定しているが持続的に否定的な自己観を示す傾向がある.パーソナリティ症が衝動的な自殺を含む頻繁な衝動的行動を特徴としやすいのに対し,CPTSD患者の自殺は頻度が低く,衝動的ではなく,致死率が高い傾向がある.両疾患の診断要件が満たされている場合,パーソナリティ症と追加診断することの有用性は,特定の臨床状況によって異なる.
著者の個人的見解であるが,上記の記載はすべての臨床家が積極的に歓迎するような内容ではないと感じられる.もちろん,BPD患者で心的外傷的出来事を体験していない症例はPTSDやCPTSDと明確に鑑別でき,こうした患者も少なくないとする文献は存在している11).しかし,心的外傷体験が存在する場合,DSO症状とBPD症状の区別が明確につかない症例もありそうである.PTSD症状,DSO症状,BPD症状に対して潜在クラス分析などを用いてCPTSDとBPDの区別がつくかどうか調べた研究では,明確につくと結論付けている論文2)と,DSO症状とBPD症状には重複が多いとする論文6)の両方がある.
CPTSDとBPDの特徴について,最近出版されている論文での知見を3編紹介する.英国でパーソナリティの問題を抱える292名を対象とした研究10)では,97%にトラウマ体験があり,約半数がCPTSDであった.CPTSDとBPDの併存は約50%に認められた.BPDのみの診断となった者と比較して,CPTSDとBPDの併存患者では,ネガティブな感情状態の特性がより強く現れていた.27名のCPTSD患者,21名のBPD患者,37名の健常者に対してfunctional MRIを用いてDesire-Reason Dilemma taskによる神経活動を比較した研究13)では,CPTSDとBPD患者の神経活動には有意差がなかったと報告されている.香港でICD-11のCPTSD患者とDSM-5のBPD患者の比較を試みた論文3)では,対象者220名のうち30.9%がCPTSDのみ,10.0%がBPDのみ診断基準に該当し,28.2%の対象者で両方の診断がついていた.CPTSD症状は抑うつ症状やトラウマに関連した非適応的信念との関連が高くなっていたのに対し,BPD症状は解離症状との関連が高いという結果となっていた.
V.PTSD/CPTSDにおける文化差
CDDR15)には,各疾患ごとに「文化に関連した特徴」という項目があり,PTSD,CPTSDについてもかなり詳しく紹介されている.
PTSDでは,以下のように記載されている.
特定のPTSD症状の重要性は,文化によって異なることがある.例えば,ある集団では,怒りが心的外傷の曝露に関連する最も顕著な症状であり,苦痛を表現する最も文化的に適切な方法であるかもしれない.他の文化的文脈では,悪夢が,PTSDの特徴的な症状を評価するうえで重要性を増すような,精緻な文化的意義をもつことがある.
一部の文化におけるPTSDにおける中心的な症状は,この障害の記述に含まれていないことがあり,そのため,そのような文化的表現に不慣れな臨床家は見逃してしまうことがある.例えば,頭痛(多くの場合,前兆を伴う),めまい,体の熱感,息切れ,胃腸障害,震え,起立性低血圧などの身体症状が目立つことがある.
文化的差異がPTSDの発症および外傷性ストレス因子の意味に影響を及ぼすことがある.例えば,ある文化集団では,PTSDのリスクは,本人に影響を及ぼす出来事よりも家族に影響を及ぼす出来事のほうが大きいとされる.
他の社会では,宗教的シンボルの冒涜や破壊を目のあたりにしたり,亡くなった親族の葬儀を執り行う能力を否定されたりすることが,特にトラウマになる場合もある.
ある種の外傷関連症状は,特定の文化的背景において,特定の破局的認知との関連から強い恐怖と結びつき,PTSDにおけるパニック発作を誘発することがある.このような破局的な解釈は,障害の経過に影響を及ぼし,重症度,慢性化,治療に対する反応性の低下と関連する可能性がある.例えば,ラテンアメリカの患者の中には,トラウマに関連した震えを,生涯続く重度の神経症状(nervios)の前兆と考える者もおり,カンボジア人の中には,動悸を「心臓が弱い」徴候と解釈する者もいる.
PTSD症状の中には,文化集団によっては病的と見なされないものもある.例えば,侵入的思考は病気を示す症状ではなく,正常なものと見なされることがある.
さらに,CPTSDの文化に関連した特徴については,以下のように記載されている.
CPTSD症状の発現には文化的差異が存在する.例えば,身体症状や解離症状は特定の集団で顕著であるが,これは症状の心理的,生理的,精神的病因や高度の覚醒に関する文化的解釈に起因する.
CPTSDを発症させる外傷的出来事の深刻さ,長期化,反復の性質を考慮すると,集団的苦痛や社会的絆,ネットワーク,コミュニティの破壊は,焦点となる関心事として,あるいは障害の重要な関連する特徴として現れるかもしれない.
移民社会,特に難民や庇護を求める人々にとって,CPTSDは,異文化適応ストレス因子や受け入れ国の社会環境によって悪化する可能性がある.
近年出版されたCPTSDにおける文化的側面について取り扱った論文4)では,西洋と東洋の「自己批判」に関する認識の相違がDSO症状の有無と関連すると論じている.すなわち,北米の文化では,自尊心,または自分に対して肯定的な感情をもつことが重要視されるのに対して,東アジアの文化では,自己批判は,個人が向上するために最善を尽くし,社会環境により適合するように自己を調整するための重要な方法とみなされているという.そのように考えると,自分に対する肯定的な感情で表現される自尊心や自己評価は,より良い人間になるために十分なことをしていないことの表れであるということになる.DSO症状は否定的な自己陳述であるが,こうした陳述に対して共感を示し同意する心理的特性が東アジア文化に存在するのではないかという推論は興味深いものであり,今後各国からの研究成果が蓄積されることによりさらに明らかになってくることが期待される.
VI.CPTSD概念を臨床に生かす
ICD-11のCPTSD診断が著者のトラウマ診療にどのように生かされているかを考えてみると,初診時あるいは2回目の診察時に,これまでよりも格段にDSO症状を具体例として取り上げて,患者と症状の有無について話す場面が増えたと感じている.例えば,家族からの長期にわたる性暴力被害によって「自分自身の価値が低下している」と感じている患者がいたとする.DSM-5のPTSD枠組みでは直接ネガティブな自己概念について尋ねる項目がないが,ICD-11ではこれを用いて,恥や罪悪感,希死念慮について尋ねることが容易になるという印象をもっている.PTSD臨床において自殺の問題は非常に重要であり,自殺のリスクのアセスメントのタイミングを早めることが可能になっていると感じている.
以上の臨床上の特徴を理解しやすくするために作成した2種類の資料を紹介する,1つはCPTSD患者を想定したDSO症状の心理教育テキスト『今を生きるヒント』(図4に一部抜粋を示す)である.これは,DSO症状を1)感情について知ることと感情を安定させること,2)自分に対する考え方,3)人付き合いの3テーマとして表現し,不安・恐怖,抑うつ,怒りについて説明した後に認知行動療法的アプローチに基づく対処方法について記載している.2つ目は,思春期・青年期の患者の希死念慮に関する心理教育的アプローチとして作成した『死にタイマンガ』というタイトルのマンガである(図5).このような資料は対象患者に直接用いることを主たる目的としているが,大学病院においては臨床研修医や専門医をめざす専攻医,コメディカルスタッフに対する教育目的にも使用している.
おわりに
本稿ではICD-11のCPTSD診断を理解するうえで最も重要な「症状で分ける」という点を中心に論じた.今回新たにCPTSDが診断名となったことは臨床上有益であると著者個人は感じているが,その一方で,トラウマ診療に従事している経験が長いベテランほど従前の複雑性PTSD概念に精通しているがために,ICD-11でのパラダイムシフトに対して困惑しているのではないかと推察している.本稿が微力ながらCPTSD診断の理解の一助になれば幸いである.
編 注:第120回日本精神神経学会学術総会教育講演をもとにした総説論文である.
利益相反
大塚製薬株式会社,大塚メディカルデバイス株式会社から原稿料をもらっている.
謝 辞 本論文はJSPS科研費JP23K02998の助成を受けたものです.
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