Advertisement第122回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第127巻第5号

特集 一次性妄想の内包と外延
妄想知覚において現れる“他者”とは誰れか?――「異質性(Fremdheit)」の浸潤――
前田 貴記
慶應義塾大学医学部精神・神経科
精神神経学雑誌 127: 327-332, 2025
https://doi.org/10.57369/pnj.25-053
受付日:2024年2月14日
受理日:2024年10月9日

 本稿では,統合失調症に現れる“他者”の問題という切り口から,自我障害と妄想知覚に共通する特異的な体験構造を抽出した.統合失調症においては,体験野全体(自我体験においても知覚体験においても)に「異質性(Fremdheit)」が浸潤し,体験野が変質している状態となっているものと考えられる.統合失調症において問題となる“他者”とは,一次性には,実在の“他者”のことではなく,「異質な力(fremde Mächte)」のことであり,自我障害においてはgemacht(させられる)と体験され,妄想知覚においてはgestellt(しくまれる)と体験されている.このような「異質性」の浸潤という抽象度の高い体験形式は,精神病理学と神経科学との連繋の糸口となるものと考えている.

索引用語:自我障害(Ich-störung), 異質性(Fremdheit), 異質化体験(Entfremdungserlebnis), 非現実性(Unwirklichkeit), 予測(prediction)>

はじめに
 日々の生活において,われわれが体験しているのは,まずもって自分の周りの外界についてであり,そして,そこで出逢う他者たちである.一方,自分自身については,身体の不快,痛み,不具合などの不調な状態に陥らない限りは,通常は体験されないものである.身体の不調によって自分自身が体験されるとしても,問題となるのは,あくまでも“私”の身体についてであり,体験している“私”そのものが問題になるわけではない.このように,体験主体としての“私”は,揺ぎない絶対的な体験基軸としての大前提であり,健常人においては,哲学における存在論的な問いでもしない限りは,“私”の存在自体が問題になることはない.わかりやすく言えば,人は誰でも体験上は,天動説で生きているということであり,太陽や月や星たちは“私”の周りを廻っていると感じるのが素直な体験であろう.つまり,“私”の世界なのである.このように,人間の体験構造の“非対称性”は頑強である.というよりも,この“非対称性”は体験構造における大前提である13)
 こころの病いにおいては,外界・他者についての体験のありようは,病いの種類によって異なってくる.統合失調症においては,安永浩が「健康人においては自我の中心に錨をおろして安らっている主体性の本当の基盤が,病者では流砂のように浮動してしまうのである」と述べているように14),“私”という体験基軸に異常が生じているものの,上述したように人間の体験構造の“非対称性”は頑強であるため,当事者は“私”が変質したとは体験しにくく(つまり,自我障害は体験されにくいということ),外界・他者のほうが変質してしまったと錯覚的に体験する傾向がある13)15).事実,統合失調症の症状は,外界・他者の側の異常として語られることが圧倒的に多く,その代表的な症状が妄想知覚(Wahnwahrnehmung)である.統合失調症という病態においては,人間の体験構造の“非対称性”が,症状の現れ方に大いに影響しているのである.
 本稿では,統合失調症に現れる“他者”の問題という切り口から,自我障害と妄想知覚に共通する特異的な体験構造を抽出し,精神病理学と神経科学との連繋の糸口を探りたい.

I.自我障害と妄想知覚
 “自我”という用語については,原語は[英]ego,[独]Ichであるが,あまりに多義的であり,自我障害(Ich-störung)といわれても,よくわからず,むしろ正しい理解を妨げたり,誤解を招くことにもなりかねないような用語である.自我障害における“自我”については,難しく考える必要はなく,“自我”体験(Icherlebnis),つまり,自分自身についてどのように体験しているかを問題にしているのであって,行為や思考などの営為に伴っている“私”という性質が変質してしまうというものである4).島崎敏樹は自律性(Autonomie)の意識の障害と表現した11)
 かのSchneider, K.は,自我障害が「自我意識(Ich-bewußtsein)」の障害として扱われていた当時の趨勢に対して疑義を呈し,「自我意識」という概念は,特に「意識(Bewußtsein)」の概念自体が曖昧であるため使用しないほうがよいとし,あえて言うとすれば,自己性(Ichhaftigkeit)あるいは自己所属性(Meinhaftigkeit)の障害と記述するほうが適切であるとした.そして,本来,自己に所属していたはずの体験が異質なものへと変質するということは,「異質性(Fremdheit)」に浸潤されるということであり,自己所属性の障害を異質化体験(Entfremdungserlebnis)と表現した(従来,疎隔体験と訳されてきたが,疎隔という用語の概念規定が不明確であり,かえって症状理解を妨げている可能性があり,あえて異質化体験と訳した.なお,Hamilton, M. W.による英訳では,depersonalizationとなっている).
 異質化体験は,当たり前であるはずの体験が損なわれる欠如性の症状と言えるが,「異質性」の浸潤が強まり,起源が不明の不可解な「異質な力(fremde Mächte)」によって影響を受けていると体験されるようになると,産出性の症状としての被影響体験(Beeinflussunugserlebnis)ということになり,明確に精神病症状としてとらえることができるため,診断特異性の高い一級症状に列せられることになる8)10).なお,被影響体験の具体例である,させられ体験(gemacht-Erlebnis),とは当事者が表現したことばをそのまま症状用語としたものであるが,むしろ“自我”あるいは“自我意識”なる概念をもち出さないほうが,特異な異常体験のありようについて理解しやすいであろう.
 そもそも自我体験を扱うこと自体が困難であり,さらに自我体験がどんなに重度に損なわれたとしても精神病性の異常体験であるという基準を明確に規定することは不可能である.「異質性」の浸潤における「異質な力」について体験報告されることで,実証可能な精神病性の症状としてとらえることができるのである7).自我障害に関するSchneiderの最大の貢献は,自我障害を実証的に扱う道を開き,後述するように,病態解明に向けて,自然科学としての神経科学との連繋を準備したものと考えており,その炯眼に畏怖の念を禁じ得ない.
 なお,EntfremdungserlebnisにおけるEntfremdungの意味するところは,自我障害の理解においてきわめて重要であり,訳出する際には意味が変わってしまわないように注意が必要である.英語ではalienation, estrangementである.fremdも英語では,alien, strange, foreign, other, unfamiliar, unknown,日本語では,異質の,外(ほか)の,よその,馴染みのない,無名の,疎遠の,疎外された,疎隔された,などであることをあらためて確認しておきたい.
 このように,体験野(意味連関)のなかに対象化したり,定位することが不可能な「異質性」が,一次性に浸潤してくる点こそが,統合失調症の自我障害の本質であろう.「異質性」が,意味に裏打ちされている安定した日常世界の網目に闖入し,意味が剝がれた不確実性(uncertainty)の世界へと変質させてしまうのである.島崎敏樹は,自律性の意識が他者によって支配されるところに,統合失調症の異常体験の本質があるとして,他律体験と表現している11).なお,「異質性」の浸潤については,自我障害に限らず,統合失調症性の症状のすべてに共通している異常体験構造と考えられ,この視点での症状分析が必要と考えている.例えば,知覚体験のなかに,「異質な力」が浸潤してくれば,gemacht(させられる)ならぬgestellt(しくまれる)の体験であり1),それはまさに妄想知覚のことである.妄想知覚においては,異常意味を自己に関係づけるのではなく,異常意味が自己へと押しつけられるという体験構造なのである.
 Schneiderは,妄想知覚の体験構造のなかに,自我障害と同じ体験構造をみてとってはいたものの,知覚は自我についての体験ではなく,あくまでも外界についての体験であり,妄想知覚に現れる「異質性」については「知覚界(Wahrnehmungswelt)」における非現実性(Unwirklichkeit)と記述している.臨床における事実についてしか記述しないという,Schneiderらしい厳密な姿勢が現れているが,表現こそ違えど,体験野への「異質性」の浸潤という体験形式は,さらに抽象度の高い障害として抽出してよいであろう.
 「異質性」の浸潤という異常体験の形式については,自己性あるいは自己所属性の障害から抽出されたものではあるが,それが自我障害なのか,あるいはbizarreな妄想なのかという議論については,もはやどちらでもよい不毛な議論であり,自我障害と妄想の関係という問題設定も,疑似問題ということになる.臨床という実学においては,自我障害も妄想も重要な概念ではあるが,実のところ自我障害や妄想は定義が困難なまま,あくまでも実用のために使用している概念であるということを自覚しておくべきであり,病態論においてはむしろ桎梏となるものと思われる.

II.妄想知覚における“他者”の問題
 妄想知覚を体験している当事者にとって,発病当初においては,「異質性」の起源や意味は不明であり,まったくもって不可解なものであるが,その起源や意味よりも,「異質性」の浸潤自体が苦痛きわまりないものであろう.無論,その起源や意味について何とか知ろうとして,推し量ったり,試行錯誤の行動を介して,徐々に「異質性」の起源や意味としての“他者”に関する言辞が聴かれるようになってくる.“他者”の問題については,自我障害においては,「誰かに,○○される」などと表現されるように,一次性に「異質な力」を体験しているのであり,非実在の“他者”が問題となっている.妄想知覚においては,実在の“他者”が問題となるものの,はじめから「特定の“他者”」が問題になることは少なく,やはり一次性には,「異質な力」自体を体験しているのであり,実在の“他者”ではあっても,なんとも名状し難い,漠とした「不特定(unspecified)の無名(unknown)の“他者”」が問題となっている.しかしながら,その後,特定の“他者”に,「異質性」の起源や意味を帰属させるようになり,次第に妄想として体系化されてゆくことになる.
 このように,統合失調症における“他者”の問題については,発達障害など他の精神障害で展開される“他者論”や,哲学領域において扱われるような通常の“他者論”とは,その始原において問題のありかが異なっている.それゆえ,他領域での論考の安易な援用は,かえって理解を妨げることになりかねず,慎重であるべきであろう.例えば,自閉スペクトラム症の精神病状態において問題となるのは,当初から,常に,実在する「特定の“他者”」である.
 なお,統合失調症に現れる「異質性」については,なにもSchneiderという古典の遺物を掘り出してきたわけではなく,特に「異質な力」については,ICD-11においてもone's feelings, impulses, thoughts, or behaviour are under the control of an external forceと記載されており(下線は筆者),また,DSM-5においてもbizarre delusionとして次のように記載されている.Delusions that express a loss of control over mind or body are generally considered to be bizarre;these include the belief that one's thoughts have been“removed”by some outside force(thought withdrawal), that alien thoughts have been put into one's mind(thought insertion), or that one's body or actions are being acted on or manipulated by some outside force(delusions of control).(下線は筆者)
 “他者”の問題の難しさは,自我障害という症状自体の難しさもさることながら,訳出の問題や解釈の問題もあるのかもしれない.原著にあたる場合には,解説ではなく,原文(日本語を含む)を一字一句きちんと読み込むことが大切であろう.

III.精神病理学と神経科学の連繋の糸口としての「異質性」の浸潤
 精神医学において,精神病理学と神経科学とが連繋して研究を進めることができれば,病態解明,そして新たな治療戦略のために,大きな成果が得られることであろう.連繋のために,“こころ”と脳とを架橋する方法論が求められてきたが,いわゆる心身問題(心脳問題)があり,それは難問である.鹿島晴雄は,“こころ”と脳の関係について,“こころ”と脳とは重ね描きの関係であるとし,「見方あるいは方法論の違いであって,どちらが正しいということではなく,またどちらか一方に還元しうるものではない.本来,方法論の範疇が異なるのである」「両者の連繋は治療的である限りにおいて意味があり,しかもそれは重ね描きの関係であり,すり合わせ対応させることであって,両者を統合することではない.またそれは論理的にありえないことである」と述べている.そのうえで,“こころ”の現象や症状を脳につなげ得る言葉で,脳の機能障害を“こころ”につなげ得る言葉で表現することが大切であり,そのような言葉を共有することの重要性を述べている2).自我障害という特異性の高い症状から抽出され,かつSchneiderが実証的に扱えるように抽出した,一段抽象度の高い「異質性」の浸潤という異常体験の形式は,精神病理学と神経科学との連繋の糸口となるものと考えている.
 神経科学において,「異質性」をいかにして扱うかが問題であるが,近年,神経科学の領域において,sense of agencyの異常という枠組みで研究が進められてきている.精神医学の領域においても,National Institude of Health(NIMH)のResearch Domain Criteria(RDoC)において,デイメンジョンの1つとして設定されている.われわれは独自のsense of agencyの実験系を構築し,基本病態仮説を提唱してきた.

IV.予測機能の異常によって「異質性」の浸潤が現れる
 生物は,外的環境に自律的に働きかけることで,環境からさまざまな感覚モダリティーを介して,低次から高次の階層性(人間の場合は意味水準まで)に応じた情報を得て,体験図式(モデル)を構築し,行動を最適化しながら適応を図っている.外的環境は絶えず変化しているため,生物個体は常に試行錯誤を重ねて,体験図式を柔軟に更新(学習)しながら生きている.図式というと空間的な印象をもつかもしれないが,時間的な拡がりを有していることは言うまでもなく,生物はただやみくもに行き当たりばったりの行動をしているのではなく,未来を予測(prediction)して行動しているのである.体験図式を更新しなければ,われわれは,生得的な反射や,単純な行動様式のみで生きることになる.反射も,ある種の図式ではあるものの,単純な固定された図式であり,それだけでは絶えず変化する環境に適応して生きていくことはできない.
 行動において,行動に伴って予測通りの結果が生じれば,「体験図式の更新」は不要だが,結果が予測と異なっていたのであれば,得られた結果を考慮に入れて体験図式を更新し,新たに適切な体験図式を構築していかねばならない.人間は,経験を通して,体験図式の時間的・空間的な拡がりを大きくしつつ,精密化させていくように発達・成長していくのだが,特に予測の精度を高めていくことが,行動の最適化において最重要かつ決定的であろう.
 上記のように行動科学的に扱われてきた予測という機能は,神経科学的(特に神経生理学)にも研究が進められてきた.統合失調症においては,予測を支えている神経生理学的機能に異常がみられ,予測シグナル(prediction signal)自体の異常や,それに付随する予測誤差(prediction error)の異常という知見が生物学的精神医学の領域において集積されてきている.また,行動実験によっても,予測機能の異常を支持する知見が得られつつある.われわれも,「実験」というものが有する意義について十分に意識をしながら12),実験精神病理学の試みとして独自のsense of agencyについての行動実験を考案し,delayed prediction signal仮説を導きだしてきている3)5)9).Sense of agencyとは,主体感と訳されるが,自己の行為および外界への作用を意図の通りにコントロールしているという感覚のことである.計算論的には内的フォワードモデルにおいて,予測通りに結果が生じれば主体感が強まり,予測と異なった結果が生じれば,主体感は弱まると説明される.われわれは,予測機能において決定的に重要なのは,結果の内容よりも,タイミングについての予測精度であるという前提で実験系を構築し,上記仮説を提唱してきたが,より低次の階層であるほどタイミングの予測精度の意義は決定的であるものと考えている(予測精度とは計算論的に表現すれば予測分布のことである).タイミングの予測精度は,体験においては因果(causal relation)についての体験にかかわるものであるが,統合失調症ではtrans-modalかつinter-hierarchicalに,因果に関する異常体験が生じるという事実を鑑みても,妥当な前提であると考えている.
 当事者は,予測の神経生理学的機能の異常自体を体験することは不可能であり,体験できるのは,予測とは異なって現れた結果のみである.環境は普段の通りで,何も起きていないにもかかわらず,当事者は,予測と異なる結果を体験してしまうため,常に「体験図式の更新」を迫られることになる.しかしながら,新たな体験図式を作り上げたとしても,予測の神経生理学的機能に異常があるため,予測がズレ続けるというキリのない事態に陥ってしまうことになる.このような事態において,当事者が主観的に体験しているものこそ,「異質性」の浸潤に他ならないであろう.当事者は,世界との親密な結びつきを失ってしまっているのである.
 このようなまさに不測の事態に陥っている当事者が,代償的に取り得る方略については,「体験図式の更新」における根拠の“信頼度(reliability)”という側面から,以下の2つの対極的な方略がありえ,症状形成にも影響しているものと考えられる.
 (i)予測機能への“信頼度”が低いため,行動の結果として得られる外的刺激(sensory data)に過剰に依拠して「体験図式の更新」が図られる.環境との関係でいえば,環境依存(拘束)性が強まり,環境からの情報に翻弄,支配される状態となっている.
 (ii)「体験図式の更新」は図られず,日常において則っている既存の体験図式に固執し続ける.環境との関係でいえば,外的刺激に影響されることはなく,環境からの情報は無意味となる.
 どちらの方略をとるかは,重症度,環境条件,当事者の特性など,さまざまな要因が絡んでくると思われるが,対極的などちらかの方略をとることで,環境への適応を試みている.
 「異質性」の浸潤という異常体験の形式を通して,精神病理学と神経科学との連繋を論理的な妥当性をもって進めるときに,安永浩のファントム理論が,その底知れぬ真の威力を示すことになるものと期待しているが,それは安永浩も望んでいたことである6)16).安永浩のファントム理論は,困難な連繋の道において,論理的に逸脱して安易な連繋に陥らないようにするために,必ずや導きの指針となることであろう.

おわりに
 統合失調症においては,体験野全体(自我体験においても知覚体験においても)に「異質性」が浸潤し,体験野が変質している状態となっているものと考えられる.統合失調症において問題となる“他者”とは,一次性には,実在の“他者”のことではなく,「異質な力」のことであり,自我障害においてはgemacht(させられる)と体験され,妄想知覚においてはgestellt(しくまれる)と体験されるのである.
 人間が生きていくために必要な体験図式において,予測はとりわけ重要な機能であるが,「異質性」の浸潤は,予測の神経生理学的機能の異常によって現れる症状とみなすことができる.予測は,神経科学的に,trans-modalかつinter-hierarchicalに機能しているため,その異常は統合失調症の多彩な異常体験を演繹的に説明することができる可能性があると考えている.「異質性」の浸潤という抽象度の高い体験形式は,精神病理学と神経科学との連繋の糸口となるものと考えている.

 編  注:本特集は第119回日本精神神経学会学術総会シンポジウムをもとに岡一太郎(もみじヶ丘病院)を代表として企画された.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

1) Conrad, K.: 分裂病のはじまり―妄想のゲシュタルト分析の試み― (中井久夫, 山口直彦, 安 克昌訳). 岩崎学術出版社, 東京, 1994

2) 鹿島晴雄: "こころ"と"脳"―重ね描き―. 精神経誌, 116 (4); 316-322, 2014

3) Koreki, A., Maeda, T., Fukushima, H., et al.: Behavioral evidence of delayed prediction signals during agency attribution in patients with schizophrenia. Psychiatry Res, 230 (1); 78-83, 2015
Medline

4) 前田貴記: "自我"の精神病理学から考える統合失調症. 臨床精神医学, 44 (5); 701-706, 2015

5) 前田貴記: Sense of Agency―自己意識の神経心理学―. 神経心理学, 35 (4); 178-186, 2019

6) 前田貴記: 精神病理学と生物学の連繋―ありうべき方法論―. 精神科治療学, 34 (6); 613-619, 2019

7) 前田貴記: "自我"体験の異常のとらえ方. 精神科治療学, 38 (4); 421-426, 2023

8) 野原 博, 前田貴記, 鹿島晴雄: 一級症状の特異性について― "in aller Bescheidenheit" という表現をめぐって―. 精神医学, 58 (6); 528-531, 2016

9) Okimura, T., Maeda, T., Mimura, M., et al.: Aberrant sense of agency induced by a delayed prediction signal in schizophrenia: a computational modeling study. Schizophrenia, 9 (1); 72, 2023
Medline

10) Schneider, K.: 新版 臨床精神病理学 (針間博彦訳). 文光堂, 東京, 2007

11) 島崎敏樹: 人格の病人格の病. みすず書房, 東京, 1976

12) von Goethe, J. W.: 客観と主観の仲介者としての実験 (木村直司訳). 色彩論. 筑摩書房, 東京, 2001

13) 安永 浩: 精神の幾何学. 岩波書店, 東京, 1987

14) 安永 浩: 分裂病の症状論. 安永浩著作集4. 金剛出版, 東京, 1992

15) 安永 浩: 精神科医のものの考え方―私の臨床経験から―. 金剛出版, 東京, 2002

16) 安永 浩: 臺論文に対する総論的コメント. 「宗教・多重人格・分裂病」その他4章. 星和書店, 東京, 2003

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