Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第125巻第3号

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連載 21世紀の「精神医学の基本問題」 ― 精神医学古典シリーズ―
Wilhelm Griesinger―神経生理学と力動精神医学に焦点をあてて―
加藤 敏
小山富士見台病院
精神神経学雑誌 125: 226-237, 2023
https://doi.org/10.57369/pnj.23-032

 Griesinger, W.(1817~1868)は,精神医学の方法として脳病理学と神経生理学からなる脳科学,記述精神病理学に加え,力動精神医学,社会精神医学などを素描し,それぞれ傑出した理論を提出している.テーゼ「精神病は脳の疾患である」は,人間の精神には,脳の活動に還元できない自律性があるという洞察に裏打ちされており,単純な還元論的思考とは一線を画す.彼は,神経生理学の領域では,「脊髄反射」に関する知見をもとに人間の脳の活動を「精神的反射」ととらえ,「脳は絶えず刷新される巨大な反射器官である」という見解を提出する.彼は,力動精神医学の領域では,人間の成長において表象の集合体が形成され,表象群の対立をもつ自我が形成されるという力動的表象連合論の観点から,心的外傷後ストレス症や遷延性悲嘆症を先取りする考察をしている.力動的表象連合論は「精神的反射」の機制を軸にした神経生理学の構想と密接につながっており,Griesingerにおける神経生理学には無意識の科学を包摂する視点が見て取れる.

索引用語:Griesinger, 神経科学, 心身関係, 精神分析>

はじめに
 欧米における近代医学の発展と確立において,19世紀初頭から始まるパリ学派27)は臨床医学や病理解剖学,実験生理学などにおいて目覚ましい成果をあげた.後進国ドイツはこの動きに啓発される形で19世紀後半に大きな飛躍をみせる.一部のドイツの青年医師はパリに赴いて学び,後にドイツで指導的立場に就いた.
 1865年(48歳),ベルリン大学に教授として着任し,1866年,神経科と精神科を併合した「精神神経科(Psychiatrischen und Nervenklinik)」を開設したGriesinger, W.(1817~1868)はその代表者である.同年,ドイツ語圏精神医学の代表的雑誌となる『精神医学・神経医学誌(Archiv für Psychiatrie und Nervenkrankheiten)』を創刊する一方,「ベルリン医学心理学協会」を発足させた.もう1人挙げなくてはならないのは,彼が学んだテュービンゲン大学医学部の親しい友Wunderlich, C. R. Aである.この人物はテュービンゲン大学医学部内科教授になり,さまざまな病気で入院している患者すべてに体温を測ることを最初に始めた人物である.今日のコロナ禍で広くすべての人に励行される体温測定は,遡るとWunderlich42)の功績なのである.彼は精神医学にも造詣が深く狭義の内科医にとどまらない優れた学識の持ち主である41).付け加えると,東京大学医学部内科教授として日本の医学に多大な影響を及ぼしたvon Bälz, E.は,Wunderlichの弟子にあたる28)
 Griesingerの親しい学友にもう1人,マールブルク大学外科教授になったRoser, W.がいる.まだ30歳に満たない若い3人は,ドイツがロマン主義医学から脱し,新時代の自然科学的方法に基づき変革されなければならないという使命感を分かちもって連帯した.WunderlichとRoserが1842年に「生理学的医学」をスローガンに掲げる雑誌『生理学的医学誌(Archiv für physiologische Heilkunde)』を創刊し,2年後からGriesinger(27歳)も編集に参加し,ドイツ医学に新風を吹き込んだ.「精神病は脳の疾患である」というGriesingerによる有名なテーゼはそうしたドイツ医学の新しい息吹のなかで提出された.本論では,主著『精神病の病理と治療』12)に基づき,現代において再評価に値する彼の理論また臨床医学についていくつか取り上げ,論じたい.この著作の各論で論じられる精神疾患分類については,著者22)25)26)はこれまで何度か論じたので,本稿では「総論」に力点をおき,多数性をもつ精神医学の方法論を確認し,議論したい.なお,引用は原則,邦訳12)に従っているが,必要に応じ原語を補い,部分改訳(ないし全面試訳)をしている.

I.『精神病の病理と治療』の成立事情,一般的位置づけ
 1845年,28歳の若さで『精神病の病理と治療』10)を刊行したGriesingerは,1840年から1842年まで公立のヴィンネンタール病院で助手を務め,単一精神病論を説くZeller, A.43)のもとで臨床経験をつんだ.短い期間の研修で,あのような臨床に根差し,卓越した奥行きの深い理論を提出した著作が完成したことは驚きである.引用されている症例はフランスのものが散見され,フランスの記述精神医学の寄与は大きいと思われる.Griesingerは大学で医学を修めた後,6ヵ月あまりパリに滞在し,Magendie, F.の講義を聞いた.Collège de Franceの実験生理学の主任教授を務めたMagendieはClaude Bernardの師となる人物で,『生理学要綱(Précis élémentaire de physiologie)』32)を著した.とりわけそのなかの「神経心理学」の章は,科学的精神医学の方法を論じるにあたり,また脳の機能を論じるにあたり大きな影響を及ぼしたことは間違いない.また哲学者Herbart, J. F.16)の表象連合説は,自我の形成,また心理的葛藤を表象連合から考える一種の力動精神医学を構想するうえで,重要な役割を果たしていると思われる.
 このようにGriesingerは,青年時代に影響を受けた思想を精神科臨床の学びを通じ自分なりに咀嚼して,傑出した独創的な創見を作り上げた.『精神病の病理と治療』は,まだ黎明期にあった精神医学に対し科学的な装いのもとに明確な方法論を提示し,疾患横断的な形で急性期と慢性期の病態を区別するなど重要なパラダイムを提出した点で画期的なものであった23).Jaspers, K.が『精神病理学総論』初版19)を著したのが30歳のときである.それよりも若い年で,あのように非常に充実した内容の著作を書けたことは驚くべきことである.こうしてドイツ精神医学は,Pinel, P.35),Esquirol, J. E. D.に代表されるフランス精神医学に対し優位に立ち,世界をリードすることになった.『精神病の病理と治療』第2版12)が1861年(44歳)に刊行され,重刷を重ねた.西欧で高い評価を受け,1865年に仏訳11),1882年に英訳13)がなされた.『精神病の病理と治療』は,「総論」に始まり「病因」「精神疾患分類」「治療」の項をそなえ,精神医学における最初の「精神医学教科書」といってよい.日本における本格的な精神医学教科書は,呉による『精神病学集要』(第2版)30)と石田による『新撰精神病学』18)が知られているが,Kraepelin, E.により早発痴呆の疾患単位が提唱されて始まるKraepelinによる精神医学体系29)がもとになっており,日本の精神医学の創設時代,Griesingerの精神医学理論はふまえられていない.
 西欧では,Griesingerの精神医学理論,また精神疾患分類は早発痴呆と躁うつ病を2分したKraepelinの体系ができてからは,あまり顧みられなくなった観がある.しかし,現代に入り再評価の動向がみられる.遺伝子解析の手法が普及した1980年代頃からDSM精神医学を進めるアメリカではネオクレぺリニズムの旗印のもとに,Kraepelinの疾病分類を生物学的に根拠づける作業が特に統合失調症とうつ病,躁うつ病について精力的に始められた.この遺伝子解析研究は欧米,日本などで行われたものの,診断,鑑別にまで至る決定的な知見は得られていない.むしろ,統合失調症とうつ病,躁うつ病などに共通する感受性遺伝子が多数見つかり,疾患横断遺伝子の存在をふまえ,Kraepelinの精神医学体系の見直しをせまる動向が出てきた4).疾病分類においては,DSM-5に向けた改訂作業のなか,統合失調症と双極性感情症,うつ病,統合失調感情症などの臨床単位を包括した「全般性精神病(general psychosis)」の概念を提唱する議論も出された38).しかし,この大胆な見地は取り入れられることはなく,現行のDSM-51)が2013年に刊行されたのである.
 「全般性精神病」は,Griesingerの分類に引きつければ,第1グループ「感情および情動状態に関する病的状態」つまり「一次性(感情的)異常」に対応するもので,単一精神病の見地に通じる面がある.新たに開発されたさまざまな新規抗精神病薬は統合失調症だけでなくうつ病や双極性感情症に適応となっている.実際,抗精神病薬また気分安定薬は疾患横断的に効果がある.この薬物療法の知見もGriesingerの単一精神病の見地を支持する21)24-26).こうした知見からして,件の精神疾患分類は現代において新たな意義をもっている.本稿では『精神病の病理と治療』の「総論」に焦点をあて,著者の問題意識に引きつけいくつかの論点を取り上げ吟味したい.

II.テーゼ「精神病は脳の疾患である」の意義と外延
1.記述精神病理学の手法に基づく精神疾患分類
 『精神病の病理と治療』の第1部「総論」の冒頭は,「精神病の座とその研究方法について」と題し,精神医学にとっての基本は「精神病が関係する身体器官はどこか」という問いであるとして,それに答えることから始まる.

 「精神異常という現象は,どの器官に属するものなのか?」12)(p.3)
 「精神異常が存在するとき,どの器官がどんな場合も常に病んでいなければならないのか? この問いに対する答えが,精神医学総体の第1前提である」12)(p.3)
 「この問題の器官が脳にほかならないことが生理学および病理学の諸事実によって示されるならば様々な精神病(psychische Krankheiten)には何よりもまず脳の様々な疾患(Erkrankugen des Gehirns)を認めねばならない12)(一部改訳,下線著者,p.3)

 Griesingerというとテーゼ「精神病は脳の疾患である」の提唱者として知られるが,「生理学および病理学のエビデンスがあるならば」,という留保がつけられ,まずは生物学の視点から含みをもって慎重に提示されていることを確認しておかなければならない.イギリスの言語学者Austin, J. L.3)による発話分類に従えば,このテーゼは,生理学および病理学によってまだ十分な基礎づけを与えられていないので,事実の裏づけが首尾よくなされたうえでの事実確認的な発話(constative utterance)ではなく,厳密には,現在のところ「私はこう考える」という行為遂行性の発話(performative utterance)とみるべきである.
 確かに,第3部「精神病の病型」に入ると,その冒頭で,現在のところ解剖学的知見に基づく分類は不可能であることを認める.
 「精神疾患(psychischen Krankheiten)の分類をその本質に基づいて,つまり基礎にある脳の解剖学的変化の種類により分類することは,現時点ではなお不可能である」12)(一部改訳,p.245)

 そして,精神疾患分類は,当面,個別のさまざまな臨床症状とその一定の組み合わせからなる症状複合に基づく精神病理学的手法に頼るしかないことを認める.

 「すべての精神疾患(Geisteskrankheiten)の組み分けが症候学によってのみ可能であると考えるなら,その分類もさしあたり,様々な症状複合(Symptomencomplex),様々な精神異常(Irresein,以下同様に訳す)の型によって決めるしかない」12)(一部改訳,p.245)

 それは記述精神病理学の手法に基づく精神疾患分類である.この手法はKraepelinの体系からDSM-51)に至るまで基本的に変わらないだろう.しかしながら,現代の生物学的精神医学は統合失調症,双極性感情症などにつき,注目すべき脳病理の知見を出していることを一言つけ加えておきたい.例えばユトレヒト大学から,統合失調症では脳のいくつかの部位で灰白質の容量が有意に減少しているという知見が出されている17).「脊髄と脳は一体である」9)という認識のもとに,「主として心理的異常をきたす症状をきたす脳の疾患(Gehirnkrankheiten)を,機能的異常と深い器質的病巣を呈する脊髄疾患に病理学的になぞらえて考える」12)(一部改訳,p.15)視点を打ち出すGriesingerは,精神病における脳病理に関し,特に(脊髄においては感覚と運動の中継点に位置する)灰白質の変化があることを推論していた.現代においてこの予想を支持する知見が出されていることは興味深い.

2.精神疾患を(i)精神病理学レベルの転態(メタモルフォーゼ)と(ii)生理学レベルの転態(メタモルフォーゼ)ととらえる視点
 Griesingerは当面の精神疾患分類に際し,脳の解剖的病理がすぐに見つからないことをふまえ,科学的方法論として「解剖学的な分類原理にかわって,機能的・生理学的分類原理は堅持しなければならない」12)(一部改訳,p.245)と主張した.この言葉は,精神疾患において,解剖学的な病変はともかくとして生理学的な機能の変化は間違いなくあるという考えの表明ではないか.解剖学的な原因が判明しなくても,あるいはないとしても,「症状」また「症状複合」がある以上,それに「随伴」している生理学的な変化はあるはずであるという見解である.薬物療法によって抑うつ,躁状態,幻覚,妄想などが消失し寛解する事例を数多く経験している臨床家なら,この見解にすぐに同意することだろう.
 なお,精神病理学レベルの症状と生物学的変化の相関を論じる場面での「随伴」の術語使用の仕方は,Griesinger独自のものと思われる.「随伴」と言う際,(i)生理学的変化が最初にあり,これが原因となって精神症状が出ている場合(例えばてんかん性精神病),あるいは(ii)精神症状と生理学的変化が同じ1つの病態にある場合(例えばパニック発作における予期不安を含む不安と動悸,頻脈)などが想定可能だが,Griesingerはこの点については何も述べていない.いずれにせよ,「随伴」において精神症状の表出と身体症状の表出は理論的に区別できるはずである.つまり,精神疾患において(i)精神病理学レベルの転態(メタモルフォーゼ)と(ii)生理学レベルの転態(メタモルフォーゼ)があり,双方が同時的な転態であることが少なくない.その際,生理学的な知見は科学的な言語によるまずは一種の記述で,基本的に日常言語で記述される精神症状との「重ね描き」(大森荘蔵34))の関係にあるといえる.
 畏友花村は,オートポイエーシスの見地から統合失調症の実に多様な病態変遷を「精神は分裂せず,ただ転態するのみ」と定式化した14).著者は,これに触発され,「遺伝子-言語複合体」23)としての人間存在の精神疾患一般も転態(メタモルフォーゼ)の諸形態であるという見方を提出している.Griesingerが問題とする心身相関を考慮に入れると,さしあたり精神病理学レベルの転態(メタモルフォーゼ)と生理学レベルの転態(メタモルフォーゼ)が想定できる.
 興味深いことに,このたびあらためて著作を読み,Griesinger自身,Metamorphoseの術語を使用していることを知った.
 例えば,精神病において妄想が目立つ病態とは一線を画す「身体的自己表象・感覚が障害される」病態があることを指摘する際,前者について「表象や欲動が自我を満たすことでもたらされるMetamorphose」,後者を「身体的自己表象・感覚が障害されるMetamorphose」とそれぞれ特徴づけ,転態を鍵言葉にして,両者は「はっきり区別されなければならない」12)(p.59)と述べている.たぶん現代でいえば問題の精神疾患は統合失調症で,「自分の体はない」などと確信する解体の著しい病態があることに注目し,自己身体そのものがまとまりを欠いた病態と,曲がりなりにも一定の体系性をもった病態とは区別されると論じる際にMetamorphoseの術語が使用されている.ここでのMetamorphoseは精神病理学レベルのものといえる.
 また思春期における自我の大きな組み換えを言い表すのに,Metamorphoseの術語が使用されている.

 「これによって自我は,全く新しい別のものに変化し,自己感覚は徹底的な転態(Metamorphose)を遂げる」12)(一部改訳,p.57)

 思春期は心身両面にわたる大きな変化を迎える時期である.そこにおいて自我が新しい変化を遂げる事象につき,Metamorphoseと述べている.そこでの転態は自我の転態で,まずは思春期における正常な成長過程自体が念頭におかれている.ここでも心理的レベルで転態がいわれているが,これに随伴する生理学(生物学)レベルの転態も想定されているはずである.また,思春期の成長が滞る,あるいは挫折して生じる思春期やせ症などの精神疾患も自我の転態,そして生理学的な転態ととらえることも可能だろう.

3.アンチスティグマの意義をもつテーゼ「精神病は脳の疾患である」
 Griesingerの若い頃,ドイツでは精神病の病因は患者自身の罪,悪口に由来すると説くHeinroth, J. C. A.15)に代表されるロマン派精神医学が力をもっていた.この考え方に対し,Griesingerは近代科学の視点から次のように批判する.

 「精神異常つまり表象と意志の異常において,疾患は魂(die Seele)にまで及んでいるかという,かつてのドイツの精神医学によって長い間,繰り返し取り上げられた問いには.ごく簡単に,そのとおりだと答えよう」12)(p.10)
 「その際,―正しい病理学は,生命過程の疾患や機能が病むとは言わないのと同様に―,魂そのものの疾患というべきではなく,表象と意志に障害をもたらす脳の疾患とだけ言うべきなのである」12)(一部改訳,p.10)

 精神病において,魂が病んでいるのではなく,脳が病んでいるという局在を明示し,その限りで身体疾患と導かれたテーゼ,つまり「精神病は脳の疾患である」は反スティグマのための行為遂行性発話という側面をもつとみることもできるだろう.科学的精神医学は,ロマン派精神医学による精神疾患患者に対する偏見をなくす効果をもったと思われる.そこにはPinel35)から引き継ぐGriesingerの人道主義を認めることができる.

4.精神的反射行為・巨大な反射器官としての脳
 総論第2章「解剖学的予備考察」で,Griesingerは当時明らかになった,痛み刺激があれば本能的に手足を引っ込めるなどの「脊髄反射」に関する神経生理学の知見をもとに人間の脳の活動を「精神的反射」ととらえる観点を提示する.精神的反射行為(psychische Reflexaction)9)の考想から,神経生理学的に正常な人間,異常な人間の双方をとらえようとする方法論は,現代精神医学においても目覚ましい進歩を遂げている神経心理学の先駆けとなるものである.

 「脊髄には,(i)脳に感覚を伝える(ii)脳からの運動刺激を伝える,さらに(iii)単純な反射,感覚の運動への直接的な変換をおこなう,という3つの働きがある」12)(p.25)
 「これらの働きを担っている灰白質は,(i)求心的な伝達経路と(ii)遠心的な伝達経路の真ん中に位置しており,(iii)反射行為(Reflexaction)はこの灰白質に固有の活動である」12)(p.25)

 この知見は,Griesingerの青年期における生理学の師であるMagendieに端を発すると思われる.Griesingerは脊髄と脳は連続した身体器官であるという認識のもとに,「神経による伝達や脊髄反射などを神経や脊髄の機能として考えるのと同じように,表象と欲動を脳の働き,その特異な活動」12)(p.4)と考え,脳の活動について現代でいう神経ネットワークを想定して,感覚の成立過程を素描する.

 「脳内では,脊髄を介して届けられたすべての諸印象,および高度な感覚神経,視覚,聴覚などの諸印象が一つに集められる.それらは,互いにごちゃごちゃにされることなく集められ,相互に結合し,連合しながら,多様な関係と連携をつくり,脳内で全くあたらしい,純粋に主観的な内的感覚像をつくりあげる」12)(一部改訳,p.25)

 さらに,抽象概念や思考活動の成立過程にまで議論を進める.

 「そして,これらすべてから抽出されて残ったものが互いに結合しながら,最終的に一般的性格を有するもの(抽象概念)をつくり出す.ここまでのプロセスは全く意図されないものだが,抽象概念の成立と同時に,論理的な加工と,判断や推論に向けた統合および結合が始まる」12)(一部改訳,p.25)

 「抽象概念をつくり出す」過程に至っても,それは「全く意図されない不随意なものである」という指摘は重要である.
 こう述べながら,「脳は絶えず刷新される感覚の興奮状態が運動刺激を生み出し続ける巨大な反射器官である」12)(下線著者,一部改訳,p.25~26)という大胆な見解が提出される.
 抽象概念が作られ,人間の判断,推論が導かれる局面において,感覚の受容,感覚興奮状態から始まり,運動刺激の創出がなされるという回路が想定され,そこでは自我によって意識されるという契機は前提とされていない.このくだりは,大脳皮質にまで刺激がいかなくても,感覚が受容されて,自我が知ることなく不随意的な運動が自動的に生じる「脊髄反射」に類比を求める形で,一種の反射でもって人間の判断・推論が精神的反射行為の形で発動することを論じている.人間の脳を,「(感覚の興奮状態が運動刺激を生み出し続け)絶えず刷新される巨大な反射器官」であるという定義はなかなか要を得ている.
 スポーツ選手の真剣勝負をみると,例えば,野球の試合で「サヨナラホームラン,ないしヒット」を打った選手のなかに,どう打ったのか覚えていないと答える人が少なくない.試合を決める緊張のなかでの打撃は,確かに「自我」が意図して行う練習,そして試合で意図する部分はあるにせよ,「いま・ここ」での瞬間に発動する勝負の技は「絶えず刷新される巨大な反射器官」としての脳によって可能となっている観を強くする.もちろん,この際,脳の精神的反射行為は身体の反射行為を随伴している.
 人間の日常生活においても,かなりの部分は無意識の力動に駆動される精神的かつ身体的反射行動によってなされると言っても過言ではない.男女の性行為もそのよい例だろう.このように精神的反射行為をとらえるなら,Freud, S.の意味での「無意識の科学」につながる視点が含まれていることに思いが至ることだろう.この点について後にみる.

5.心身問題への洞察・還元主義に対する批判
 人間の脳を「絶えず刷新される巨大な反射器官」であるという見解以前に,総論で「精神(die Seele)を差し当たってまず,脳の諸状態すべての総和として説明することは,科学的に見て正当なのである」12)(一部改訳,p.8)という見解が打ち出される.これも鋭い論点である.
 「精神は脳の諸状態の総和である」とは,脳にその時々の状態でそれに応じた精神活動が生起しているということを意味する.つまり精神活動は,「自我」がそれと主題的に意識するまでに至らなくとも,その手前で自動的に脊髄反射に類似した反射のように自動的に生起している.
 精神を脳の活動の「総和」とするこの見解は,精神を脳の活動に還元する説明を,その逆の脳の活動を精神から説明する考え方と同様,不十分であると,Griesingerは次のように明言する.

 「精神の内部で実際に何が起こっているかは,精神過程を身体過程によって説明しようとする唯物論によっても,また肉体を精神から説明しようとする唯心論によっても,明らかにされない」12)(p.9)

 これは,脳科学の限界を自覚し,還元論的思考を批判する言葉である.注目すべきことにGriesingerにあって,このような見解の背景に,人間に精神の自由,精神の自律性を認め尊重する洞察が控えている.

 「経験論が,感覚や表象,意志といった現象を,脳の働きに帰す際,それは,豊かな全体をもつ人間の精神生活(menschliches Seelenleben)の事実的な内容に触れることは何らない.それどころか{精神生活の}自由な自律性をあらためて浮き彫りにする」12)(一部改訳,p.9)
 「人間の意識にそなわる最も普遍的かつ価値あることがらを,脳の中でさわれないからといって,一切放り出してしまうことについて,一体何を言うべきだろうか」(p.9)

 人間には脳の活動に還元できない自由な自律性があるという洞察は貴重である.「人間の意識にそなわる最も普遍的かつ価値あることがら」については具体的な内容が述べられていないのだが,察するにそれは,精神生活の自由な自律性を踏まえるなら,善とか美,ひいては新たなささやかな価値を創造していく人間の創造力ではないか.あるいは,物質に還元できない人間における精神の不断の生成ということができるかもしれない.「魂の本質(Seelensubstanz)とは一体何なのかといった問いは開かれたままにしている」と明言する次の言葉に明らかなように,Griesingerは脳科学の方法に限界があることを認め,形而上学的問いの余地を残している.

 「経験論は,感覚や表象,意志との関係において,心的存在(psychischen Exsitenz)となる魂の本質とは一体何なのかといった問いは開かれたままにしている」12)(一部改訳,p.9)

 この見地から,「狂信的な,あるいは過度に厳格な唯物論の側も,これらの問をめぐる議論で,まだきちんと光があてられていないと私には思える論点には注意を向けるべきだ」12)(p.9)と単純な還元論を批判する.

 「神経で生じている基本的過程というものは,とりわけこれを,―多くの人が今日そうしているように,―電気的なものだと考えるならば,プラスとマイナスからなり,すべての人間に共通する,きわめて単純な過程だと考えざるを得ない」12)(p.9)
 「これだけから,直接それが表象や感情や意志に見られる無限の多様性,しかも一人の人間のではなく,何百年にわたる人類の多様性が説明できるだろうか」12)(一部改訳,p.9)

 人間の精神生活は人類の長い歴史の厚みをもち,無限ともいえる多様性をもつ.これは身体の動きにすべて還元することはできない.このようにGriesingerは,人間についての哲学知にも通じている立派な思想家でもあることを忘れてはならない.
 特に精神医学にとっても基本問題となる心身関係について,Plátōn36),Aristotelēs以来の議論まで遡って,慎重な考察をしている.実際,Aristotelēsが,(怒りや愛,記憶,また思考するなど多様な様態をもつ)心と身体の関係を考察している『心とは何か』2)を参照しながら,「記憶や愛は―アリストテレスは述べている(魂について)―魂に帰属するのではなく,魂と身体の結合によって生じる」12)(p.10)と述べ,さらに,「精神活動(Seelentätigkeiten)には常に物質の動きが随伴(Begleitung)していることは,誰も否定できない」と述べる.「精神活動に物質の動きが随伴している」という表現は,脊髄反射から脳の活動を説き起こすGriesingerによる心身関係についての重要な見解である.
 この問題を論じるのに,Griesingerは「純粋で物静かな思索」といったものよりも,身体的過程と呼ばれるもの(生体の他の働き)にはるかに近い「心的過程(psychischen Prozess)」に注目する.そこではアリストテレスが『心とは何か』のなかで論じる考察を再び援用し,「怒ること,奮い立つこと,欲望をもつこと,一般に感覚すること」は「魂と身体の結合によって生じる」という考えをふまえ,近代科学の視点からさまざまな感情,欲望,感覚,そして思考は脳を含む身体の活動の「随伴」を伴うと敷衍する12)(p.10).それは心身相関についての重要な定式である.しかしながら,Griesingerは明らかにしていないように思われるが,それは複数の解釈の余地を残すように思われる.1つは,精神活動が一次的で,脳の活動がそれに随伴する,2つ目は脳の活動が一次的でこれに精神の活動が随伴する,3つ目は精神の活動と脳の活動が同時的に進む,という3つの解釈の余地を残している.例えば,人が「怒る」「人に恋する」とき,精神活動が最初である場合,脳の活動が最初である場合,あるいは同時的である場合,いずれも想定できるのかもしれない.いずれにせよ,精神活動にはいつも脳を含む身体の活動が伴うことに注意が喚起されている.
 Griesingerが心身問題を論じるとき,人間の脳は「絶えず刷新される巨大な反射器官」で,精神は物質には還元できない自律性をもつといった広義の哲学的人間学の思索に裏打ちされている.このような姿勢は,心身問題の基本にかかわるもので,精神医学の基本問題にかかわる.こうした一筋縄ではいかない問題があることを知っておくのは,単純な還元主義的思考が跋扈する現代の精神医学に求められる事項ではないか.Jaspersによる『精神病理学総論』19,20)また内村による『精神医学の基本問題』39)において,Griesingerを論じるとき,もっぱら「精神病は脳の疾患である」という還元主義的性格をもつ脳科学の提唱者であることが強調され,そのテーゼには熟慮されたさまざまな外延があることは述べられていないように思う.

III.「無意識の科学」に通じる力動精神医学・自我心理学
1.表象複合体としての自我
 Griesingerは,神経生理学の観点を広げるような形で,神経ネットワークの考え方に類比される表象のネットワーク形成の考えを提出し,自我心理学について論じる.
 「人間の成長とともに,諸表象(Vorstellungen)は互いに連携を密にし,大きな表象の集合体が形成されていく」12)(一部改訳,p.55)

 人間の成長過程で表象連合がなされていくことになる「表象」の多くは,時間が経つうちに忘却されていくことになるだろう.記憶は表象の術語を用いて次のように定義される.

 「観念連合によっては新しい表象が惹起されず,かつての表象のストックだけをたよりに,いくつかの表象が喚起され,かつ再生されるようになるケース,これを記憶という」12)(下線著者,p.35)

 これは記憶想起の優れた規定だと思う.そこからも類推されるように,Griesingerが使用する「表象」の術語は,大きく(i)頭のなかで思い浮かべられ意識される表象だけでなく,(ii)貯蔵されていて,そこから引き出され,使用される表象,(iii)引き出されることなく「記憶」の貯蔵庫に入ったままの表象の3つの種類が区別される.第3の表象は,Freudの意味での無意識の記憶を構成する表象に通じる含みをもつ.
 Griesingerは,表象の連合が進み,自我ができていき人格が成長・発展を遂げていく動きを明確に述べる.表象連合による自我形成というときの「表象」はFreud6),さらにLacan, J.31)の精神分析でいえば言葉,シニフィアンにそれぞれあたると見なせる.Griesingerにあって表象連合がなされていく過程は,すでに述べた「精神的反射行為」によって進むと構想されていると思われるが,そうだとすると,脳神経においても表象連合に「随伴」する脳活動を想定していると考えられる.現代では,脳神経細胞同士のシナプスを介したネットワーク形成として実証されているところではないか.
 表象連合におけるネットワーク形成と脳細胞の連合ネットワーク形成がどのように関係しているのかについては,Griesingerは明確に述べていないように思うが,この関係を明らかにすることは現代脳科学,また精神医学の重要課題だろう.
 それはともかく,表象群から自我の形成がなされる過程は,無意識における領域を含みこむ仕方で厳密に論じられるため,やや難解になっている.

 「子どもの持つ表象群は,まだ比較的小規模だけれども,すでに子どもはそこから表象群を保存するようになっており,これが一定の大きさと強度を獲得しさえすれば,即座に―抽象的な言い方をすれば自我(Ich)が形成されはじめる」12)(下線著者,p.56)
 「自我とは,1つの抽象物(eine Abstraction)であり,そこにはそれまでの感覚,思考,意志すべての残滓(Residuen)が言わば一まとまりになって蓄積されており,また精神活動の進行に応じて,常に新しいものがそこに取り込まれていく」12)(一部改訳,p.56)

 自我形成において「表象群の保存」がなされるという指摘,また自我には,「それまでの感覚,思考,意志すべての残滓が言わば一まとまりになって蓄積されている」という指摘は,自我には自ら気づいてない無意識の領域があることを認めるものである.他方,自我は「1つの抽象物」であるというときの自我は,無意識の領域を下地にした1つの定点としての自我,<私>を指すように思われる.「表象・意志複合体(Complex von Vorstellung und Wollen)が自我を表象する」(p.56)という言い方もなされる.そうすると,自我は,(i)「表象・意志複合体」の部分と,(ii)この複合体によって表象される部分から考えられている.「表象・意志複合体」が無意識を構成する一方,これがもとになって,一種の「定点」をもった<私>としての自我(Ich)が表象される.要するに,Griesingerは,表象連合の観点から,自我は,(i)非意図的な表象に属す「表象および意志の複合体」からなる意識されない自我と(ii)意図的な表象に属す,意識される自我から構成されているとみている.
 自我の分裂や葛藤についても,複数の表象集合体の視点から論述される.

 「新しい表象が成長し,その表象が自我に取り込まれていくのに時間がかかる.まだ吸収されていない表象は,自我に対し,人間関係に喩えるなら「君」(Du)に相当する対象としてまず立ち現れる」12)(一部改訳,p.56)
 「やがて新しい表象は,「表象・意志複合体」―それが自我を表象する―自我から離れていき,その結果,それ自身で閉じたいくつもの要素からなる,ある程度の表象群がいくつも出来上がってくる」12)(一部改訳,p.56)
 「内的葛藤やせめぎあいも,ここから生じ,実際それは,思考する限り,どんな人間にも起こっている」12)(p.56)

 こうした表象連合の観点から,精神疾患における妄想などの固定観念の形成過程について,次のように論じられる.
 「脳疾患によって,表象どうしが間違った仕方で接続され,さらに,その結果生じる誤った推論が頑強なものになって,自我を構成する一塊の表象集合体(Vorstellungsmasse)の中に混ざり込んでしまい,これに対抗するはずのものが,精神の外側へと放擲され,そのため(v)誤った推論があらゆる決断の中に入り込み,この「固定観念」に欺かれた自我が,自分に都合のいいように舵をとるように」12)(一部改訳,p.53)
 この説明はやや心理学的にすぎるという批判があるだろうが,神経生理学レヴェルの病理を想定しながら,妄想を一塊の表象群集合体と規定し,無意識も包摂する自我における表象連合の病理ととらえる見解は,認知機能の障害と把握する今日的な理論に通じる面をもちつつ,より豊かな内実をもっているのではないだろうか.
 Ellenberger, H. F.は『無意識の発見』のなかで,Griesingerを連合心理学主義を展開する力動医学の先駆者であると評価している5).確かにFreudの理論に近似する論点がいくつも出されている.実際,抑圧の考え方も表明されている.

 「表象・衝動・意志志向性複合体はその内部で対立し,状況によってはある表象・衝動・意志志向性複合体が別の表象・衝動・意志志向性複合体を抑止(zurückdrängen)することもある」12)(一部改訳,p.57)

 つまり,抑止(zurückdrängen)は,「表象・衝動・意志志向性複合体A」が,「表象・衝動・意志志向性複合体B」を抑制すると定式化される.その際,原理的には,意識的になされるものと,無意識のうちになされるものが区別されるが,これについては述べられていないように思う.しかし,Freudがいう抑圧(Verdrängung)と重なる事象も含むことは間違いない.Freudが提唱したエディプス複合(Ödipuskomplex)でいわれるコンプレクスは,まさに抑圧・抑止の恰好の対象となる「表象・衝動・意志志向性複合体」とみることができるだろう.
 Freudは『夢解釈』のなかで同時代の学者の本を引用しながら,Griesingerの名前を出し,正当な評価を与えている.

 「グリジンガーの議論は,夢と精神病に共通の表象作用の性格が欲望形成にあることを,実に判然と暴き出している.私自身も,探求の末,夢と精神病の心理学的理論の鍵がここに見いだされることを学んだ」7)

2.(心的)外傷性精神症
 臨床的には,『精神病の病理と治療』のなかで,心的外傷性精神症について自身が論じた脊髄反射,および精神的反射行為の考えも踏まえて,Freudを先取りする考察もなされている.

 「刺激が過度である場合,感覚でも,表象でも同じ結果がもたらされる」「強い光をいっぺんに受けたり,大きな音や強烈な臭い(例えばアンモニア臭)が入ってくると」「大量の感覚情報が一気に押し寄せてきて,雷のようなショック感覚を襲う」12)(p.34)
 人間では,「強烈な印象とともに,ある一群の激しい表象が,一気に喚起されると,そのショックが最も多い場合には,やはり麻痺が生じる」12)(p.34)

 「大量の感覚情報が一気に押し寄せてきて,雷のようなショック感覚を襲う」という事態は,Freudが示した,外傷性神経症の病理を「表層の刺激保護が破られ,過大な刺激量が心の装置へと入り込む」8)という考え方と符号している.それは,例えば東日本大震災で起こった津波を見て,その刺激を処理できず,感覚麻痺さらには昏迷に陥ってしまう「急性ストレス症」にあたる病理を記述している.他方,「強烈な印象,また一群の激しい表象が,一気に喚起されると,そのショックが最も多い場合には麻痺が生じる」12)(p.34)という事象は,外傷記憶のフラッシュバックが起こって感覚麻痺さらには昏迷などが生じてしまう重篤な「心的外傷後ストレス症」の病理をよく言い表しているのではないだろうか.「そうならない場合でも,当該の表象複合体(Vorstellugkomplex)は印象が消え去った後も,意識をほとんど独占し,その他の表象には,しばらくの間,注意が向けられなくなる」とも述べる.
 心的外傷後ストレス症を,精神的反射行為の発動をもたらす表象複合体の病理ととらえる視点は示唆に富む.それは基本的に神経症とみる考え方につながり,しかも生理学的変化が「随伴」していることが暗黙の裡に前提されている.Griesingerにあって,表象連合論による自我心理学および無意識の科学は,神経生理学と切り離しがたい関係をもつものとして構想されていたと思われる.現代に入り,Magistretti, P.とAnsermet, F. 編集による『神経科学と精神分析(Neuroscience et Psychanalyse)』33)といった著作がよい例だが,学際的に神経科学から精神分析学に光をあてる研究が盛んになっているのだが,これはGriesingerの構想を発展させるものだといえる.
 Griesingerは従来診断分類でいう症状性精神病および内因性精神症だけでなく,心因性精神症にも注目し,自身の精神病理学の視座から鋭い考察をしていることも付け加えておきたい.
 「大きなショックとなるような生活経験は,すでにこのような形で,精神を荒廃させうるのである」12)(p.33)という指摘は,例えば,相思相愛の大恋愛をした末に,相手の男性から捨てられ大きな情動的かつ精神的打撃を受け,急性精神病状態に陥り,その後立ち直れず廃人になってしまう事例を思い浮かべればよいだろう.こうみると,精神疾患を(i)一次性感情症,そして一部の事例でこれに続いて生じる(ii)二次性の精神的衰弱と大きく分けるGriesingerによる精神疾患分類は,外傷性精神症にもあてはまることを認めており,そこでの「単一精神病」は,神経症を含む心因性精神症も包摂した概念といえる.

3.精神異常の「最も重要な基本状態」としての精神的苦痛
 「総論」において表象の快と苦について論じるところで,Griesingerは外傷性精神症だけでなく精神異常全般の発病の心理的な契機として,精神的苦痛を重視する.
 「精神的苦痛(psychisches Schmerz)こそ精神異常の最も重要な基本状態(Fundamentalzustand)(改訳)である以上,この点には一層,注意が必要である」12)(一部改訳,p.38)と精神的苦痛を重視する.そして精神的苦痛が表出される際の身体症状について経過を追いながら周到に記述する.

 「感覚でいえば,局在化がなされない形で身体がすぐれないとか,身体がだるいといった感じ,表象でいえば,対象は不明の形で,何かに圧迫されているという気分,すなわち不安であり,これがしばらく続いた後に,やがて個々の具体的な苦痛の表象が析出されてくるのである」12)(一部改訳,p.38)

 ここには,Griesingerによる精神疾患の大分類でいう一次性感情症が始まり最初の段階,つまり「非常に強い身体の病感」をもってさまざまな身体的不定愁訴が患者によって語られる「最も軽度の精神疾患」としての「ヒポコンデリー」12)(p.249)の病像が記述されているのがわかる.
 「総論」では,「不安,驚愕,悲哀,悲嘆など精神的苦痛は,それが内側からやってこようと,外側からやってこようと,他の身体器官に感覚的な痛みと同様の結果もたらす」「すなわち,不眠,栄養失調,体重の減少,慢性的な疲労があらわれる」「心窩部の痛み(一種の筋肉痛か?)も見られる」12)(p.42).
 「精神的に苛まれた人は,あらゆる刺激が不快であるため,外界との交流を忌避し,それらには無関心になりながら,自分自身の殻に閉じこもってしまう」12)(p.40),時に引きこもりに続き,「さまざまな幻覚や幻想」が生じる一方,「あらゆる精神的印象が不快に向かってしまうため,否定的な感情や嫌悪感が広がってしまい,好意や愛の代わりに,不信や憎悪に向かってしまう」12)(p.41)とも述べる.この指摘は,恵まれない養育環境を過ごした人による犯罪事例にも目を向けていて,現代にもそのままあてはまるだろう.
 以上のように,Griesingerは「総論」において精神的苦痛をもつ人はいかなる精神病理の推移をたどるのか,非常に説得力をもって記述している.これは心的外傷・逆境性体験の精神病理学の端緒といえる.また,ICD―11 40)で採択された,愛する人を亡くしたことによる遷延性悲嘆症37)に対応する記述もなされている35)

おわりに
 Griesingerは大学5年時に,彼を優しく育て見守ってくれた愛する父が,突然ピアノの女性教師にピストルで殺害されてしまうという大変悲惨な体験をした.この出来事は,すぐに癒えることのない心的外傷として彼に影響を与え続けたことが推し量られる.『精神病の病理と治療』ほど,外傷性体験,あるいは精神的苦痛を重視した「精神医学の教科書」はないのではないか? これは自身の外傷と無関係ではないように思う.ベルリン大学教授に就いてわずか3年あまりで過労のためか感染症のため51歳で突如,亡き人になってしまった.もしも彼がもっと長くドイツの指導者に君臨していたなら,Kraepelinの時代はすぐに来ることはなく,精神医学の歴史は違った歩みをしたのではないかと夢想する.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

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20) Jaspers, K.: Allgemeine Psychopathologie, Fünfte Auflage. Springer-Verlag, Berlin, 1948 (内村祐之, 西丸四方, 島崎敏樹ほか訳: 精神病理学総論, 上・中・下巻. 岩波書店, 東京, 1953, 1955, 1956)

21) 加藤 敏: 生物学的精神医学と精神病理学の架橋の試み. 統合失調症の語りと傾聴―EBMからNBMへ―. 金剛出版, 東京, p.217-233, 2005

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23) 加藤 敏: 「遺伝子―言語複合体」としての人間に対する薬物療法を考える. 薬物療法を精神病理学的視点から考える(石郷岡 純, 加藤 敏編, 精神医学の基盤1). 学樹書院, 東京, p.42-62, 2015

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25) 加藤 敏: Griesingerの精神医学体系からDSM-5を吟味する. 精神医学, 62 (6); 855-866, 2020

26) 加藤 敏: Griesingerの精神医学体系の吟味―現代精神医学を照らす―. 精神経誌, 122 (9); 666-682, 2020

27) 川喜田愛郎: 近代医学の史的基盤, 上巻. 岩波書店, 東京, p.476-547, 1977

28) 川喜田愛郎: 近代医学の史的基盤, 下巻. 岩波書店, 東京, p.620-624, 1977

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40) World Health Organization: ICD-11 for Mortality and Morbidity Statistics, WHO―FIC Maintenance Platform (https://icd.who.int/dev11/l-m/en) (参照2022-12-07)

41) Wunderlich, C. R. A.: Geschichte der Medicin: Vorlesungen gehalten zu Leipzig im Sommersemester 1858. Ener und Seubert, Stutgart, 1859

42) Wunderlich, C. R. A.: Das Verhalten der Eigenwärme in Krankheiten. O. Wigand, Leipzig, 1870

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