Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第125巻第3号

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特集 これからの「精神障害にも対応した地域包括ケアシステム」 ― いわゆる「にも包括」を考える―
すべての人が生きやすいインクルーシブな地域のビジョンと実現方向性に関する試論
加藤 博史
龍谷大学名誉教授
精神神経学雑誌 125: 219-225, 2023
https://doi.org/10.57369/pnj.23-031

 本稿では,以下の点を取り上げ考察した.現代における福祉の基本的価値を,人間の「内在する固有な尊厳」の実現と,「共受苦の関係性」の発展に置く.そして,精神障害のある人のようなヴァルネラブル(可傷的,vulnerable)な人が,ありのままの自己を尊敬し,エンパワメントされて暮らすことのできる地域創りを構想する.そのようなめざすべきインクルーシブ・コミュニティは,resilienceに富み,多声的な対話が活発な,生命モデルに基づく地域である.また,中井久夫の説く心の生ぶ毛・弱い関係・無用の用を大切にする地域である.さらに,社会的・生態学的レジリアント・ワールド(レジリアンスに富む社会)の実現をめざす地域である.加えて,悲嘆の仕事を育む地域でもある.そして,多義性を認容し,老いや障害を生きる人から多義性を学ぶ地域であり,共通感覚でのコミュニケーションを促進する地域である.以上の考察を踏まえて,そのような地域の実現方向性に関して,対話次元と居場所次元の2つの視点で提起を行った.対話次元では,自己,他者,共同体,自然・時間との対話を統合的に行うこと,対話は,体性感覚・内臓感覚とともにイメージ(言語化未然の想念)によっても行われることを指摘した.居場所次元では,プライベートの場から人類・生態系の場まで,それぞれの居場所が統合的に機能する意義を提起した.こうして実現されるインクルーシブ・コミュニティは,精神障害のある人にとっても,生きやすい関係と自然治癒力の活性化をもたらすと考える.

索引用語:生命モデル, インクルージョン, レジリアンス, 対話, 居場所>

はじめに
 本稿では,福祉の基本的価値を確認したうえで,精神障害のある人をはじめヴァルネラブル(可傷的,vulnerable)な人がありのままで生きやすい地域社会を,生命モデル(Life Model)に基づき,市民と当事者が共にエンパワメントされていく過程を通して実現していくビジョンを提示する.
 本稿では,生命モデルとエンパワメントの定義と関係を,次のように用いる.ソーシャルワークの生命モデルは,ジャーメイン(Germain, C. B.)によって提起された.それは,「問題を病理的状態の反映としてではなく,生態系の要素間の相互作用の結果として定義され,その生態系には,人々,事物,場所,機構,観念,情報,価値を含む」5)ものである.また,「ジャーメインのライフ・モデルは,エンパワメント・アプローチにとても良く適合している」14)とされる.エンパワメントは,「その人自身に役立つために,その人の生活空間に作用する様々な力に影響を与える,そのための度量の発揮の介在機能の活用」とされている.また,「抑圧に関する批判的自覚と知識」をパワーだとし,またそのパワーとは,「アイデンティティをもつという自己尊重,生き方の方向づけ,コンピテンス(著者註:環境との交互変容力の発揮ができる立場),関係づくり」14)に基づくものだとしている.かつ,エンパワメントの究極の目的はコミュニティのエンパワリングにある15)としている.
 そして本稿では,実現されるべき地域社会をインクルーシブ・コミュニティと呼び,〈多様性が尊重され,個性が発揮でき,異質性を活かし合う社会〉の意味で用いる.また,resilienceに富む社会(レジリアント・ワールド,resilient world:RW)を鍵概念として用いる.

I.福祉の基本的価値
 今日における福祉の基本的価値は大きく2つある.1つ目は,(i)一人ひとりの「内在する尊厳」と,(ii)奪うことのできない権利(生存権,自由権,幸福追求権),および(iii)尊厳と権利に関する平等,を自覚し実現することである.重い知的障害や認知症があっても,あるいは弱さや欠点も含めて,人間のありのままの独自な尊厳を認識することである.根拠は,世界人権宣言(1948年),障害者権利条約(2006年)である.人の「内在する尊厳」が尊重されるということは,当然,多様性(diversity)が尊重されるということにつながる.
 基本的価値の2つ目は,相手の心の傷みを受けとめること(共受苦),そして寄り添うこと,疎外された状況(欠乏,孤立,被暴力)にある人に,同じ状況に生きるものとして〈責任〉を感じること,にある.〈人として,人に出逢う〉関係性形成自体に福祉の現代的意義がある.

II.どんな地域社会をめざすのか
1.resilienceに富み,多声的対話のある地域と生命モデル
 ズービン(Zubin, J., 1900~1990)らは,Vulnerability-Stress Coping Modelを提起した30).縦軸にストレスの大小,横軸に可傷性の大小をとる座標軸を設定し,可傷性の高い人が,大きなストレスに曝されると,schizophreniaを発症するという仮説である.Zubinは,薬物で可傷性を低め,ストレス処理力を高めることで,発症を抑えることができると考えた.しかし,この相関関係には,生命モデルに基づくソーシャルな視点が欠落している.
 著者は,縦軸にストレスの大小に代わって,社会の文化状況を設定すべきだと考える.上にいくと分断管理的,感情包絡的(high expressed emotional)社会(感情高表出で包摂し操作する社会)となり,下にいくと寛容かつ自由で,resilienceに富み,多声的でオープンな対話が豊かな社会を設定すると,縦軸の原点が下方へ下がるほど,可傷性の高い人も,そのセンシティブな個性を活かしうる状況が広がる.ストレスのない社会は幻想であり,ストレスを活かすことで人生は豊かになる.たとえ強いストレスや精神的外傷に遭っても,受容を支援する環境があれば,ストレスにポジティブに向き合え,苦悩を止揚し,深く広い〈認知と感性のスキーム〉を得られる.デーケン(Deeken, A., 1932~2020)は,末期癌の宣告を受けた人や家族を亡くした人のストレス受容を12の過程で説明した.それは,(i)衝撃,(ii)否認,(iii)混乱,(iv)怒り,(v)運命憎悪,(vi)自責,(vii)空想,(viii)抑うつ,(ix)アパシー,(x)諦め,(ⅺ)運命感謝,(ⅻ)運命創造〔(v),(ⅺ),(ⅻ)は著者の造語〕,である2).ストレスの多寡,大小はもちろん,ストレスの襲来が問題なのではない.ストレスの受容度が,否認,運命憎悪,自責などの段階に固着・停滞していることが問題である.受容過程を促進するためには,一緒に悩んでくれる人がいることと苦悩受容の仕事をポジティブに共展開する文化が不可欠である.そのような関係と文化のある社会構築を,精神障害にも対応した地域包括ケアシステム(にも包括)においてもめざしたい.
 福祉の基本的価値の1つ目の(ii)として挙げた「基本的人権」の一環として,「健康で文化的な」生活基盤を国が責任をもち諸機関が連携して保障することは,憲法で保障された〈権利〉である.従来,精神障害のある人はその権利を十分保障されてこなかった.生活基盤の保障は,権利保障として施策が推進されねばならない.加えて重要なのは,文化の再生である.〈人工環境・消費環境・情報環境〉を包摂しうる〈生命環境〉の再生,生態系の一部として暮らす生活スタイルの再生を実現していくことが求められる.人間の心身そのものがネイチャーでありミクロコスモスであるから,生態系からの乖離は,心身の不調を結果する.
 さらに,コミュニケーションによる世界の再生が必要である.それには,多声的対話(multi voice dialogical meeting in social network)24)が求められる.自己は,自己との対話によって形成される.自己との対話の豊かさは,他者や生態系との対話の豊かさとシンクロナイズしている.その意味で,多様な人と気を合わせて話すこと(多声的対話)は,自己の多様性の発掘につながる.
 インクルージョンとは,先述のように,〈異質性を活かし合う〉という理念である.つまり,〈多様な状況を創出する〉ことが求められている.同質化を強いるものではない.
 のびのびと「心を病み」「引きこもり」「傷つく」ことのできる社会創造をめざすには,心を病むことにも独自なソーシャル・バリューを認容し,多様な人との交流機会を設定し,その固有な尊厳の表出する価値観を,相互の個性化に活かすことが期待される.

2.ひげ根のような弱い関係,無用の用を大切にする地域ビジョン
 中井は,心の病になったときに,「心の生ぶ毛」を大切にでき,やわらかい恢復ができる地域17)の意義を指摘している.これと関連して中井は,「強い人間関係は閉鎖的で外部との情報の受け渡しの機会に乏しく,それを補う弱い人間関係が重要だ」19)と,〈弱い人間関係〉という概念を提起する.そして,「夫婦関係にも親友関係にも遊びがあるほうがよい」「焦点をしぼらない会話は無意味ではなく必要でさえある」21),「社会にひげ根を張るには,弱い関係の豊かさが欠かせないのだ」「強い関係とヴァーチャルなネット友達との中間が抜け落ちる」21)と言及している.〈弱い人間関係〉は,〈遊び〉があり,〈漠然〉があり,〈いいかげん〉がある.それは,ひげ根のように,強い関係を支え養う.
 生活全体の「ゆとり」は,≪所得・住宅・医療・雇用・教育の保障≫と≪意味のある仕事≫と≪気の置けない仲間の確保≫を前提にしつつ,それに加えて,社会全体が≪生態系のリズム(植物が育ち果物が熟れていく時間テンポ,農民や漁民がもつゆったり流れる時間感覚)≫を基盤にすることによってもたらされるのではないか.現代は,あまりにも機械・機構のリズムに圧倒されているといえる.
 「ゆとり」を再考してみる.「リダンダンシー(redundancy)」という概念がある.冗長性とも訳され,≪必要最低限のものに加えて余分や重複がある状態≫と説明され,≪遊び,潤い,余裕≫の意味で用いられ,近年,情報システム分野で故障に備えたバックアップシステムとして使われる概念である.
 『老子』に,車輪の中心や器のなかの空間の例を挙げて,「なにもないことが,はたらきをとげている」という教えがある(第十一章).『荘子』に,足下の地面だけを残して他の地面を百メートル以上掘り下げたら怖くて歩けない,という例を挙げて,「無が用を為してくれるおかげで,有が用を為せるのだ」「無用を知ってはじめて有用を語ることができる」という考えが示されている(雑篇二十六).「リダンダンシー」は,「無用の用」を言い換えた概念ともいえる.

3.レジリアント・ワールドをめざす地域ビジョン
 「ゆとり」の再考に際し,さらに吟味したい概念がある.近年,精神保健福祉分野でも使われるようになった,resilienceという概念である.辞書では,「回復力」「自然治癒力」と訳されている.Resilienceに恵まれた人は,巨船が大波に傾斜しても復元するように,大きなストレスを受けても回復する,ということである.それは,苦悩を乗り越えた経験によって再構成され幾重にも保持された≪葛藤止揚方法の学修蔵≫といえる.それは,先述のデーケンの12過程を経験として蓄積していくことで得られる.この学修蔵が個人の外に広がり,一緒に悲苦するような親密関係が幾重にも保持される状況を,social resilienceととらえたい.
 Resilience研究の第一人者である加藤は,レジリアンスモデルを脆弱性モデルに対置してとらえている.ただしそれは,「脆弱性を跳ね返すレジリアンスモデル」12)であり,田辺によって「疾病抵抗性」25),辻野らによって「抗病力」26),八木らによって「ドーパミン神経の可塑性が強い患者ほど回復力が強い」27)と解されている.つまり,生物学的にしろ,心理学的にしろ,個人の属性に重きが置かれているのである.社会的,生態学的視点は軽視されていると言わざるをえない.かつ,可傷性(vulnerability)はネガティブな状態としてとらえられている.
 ちなみに加藤は,精神疾患が,「良好な回復をする病態は多数ある」ので,「精神保健福祉法の改正に伴い,精神疾患の理解において,福祉サービスの対象となるような社会機能の固定的な障害に重きをおいた『精神障害』概念が支配的となってきたことは遺憾である」12)と述べている.これは,「福祉の援助を全く受けることなく立派に社会生活している事例が多数いる」13)との加藤の指摘とも関連して,福祉サービスの理解にバイアスがあるように思われる.福祉サービスの利用者は,社会機能の障害が固定化した人とはいえないし,福祉の援助を活用しながら,多くの人が〈立派に社会生活をしている〉のである.
 一般に,resilienceは,personal resilience,もしくはinter-personal resilienceでとらえられがちである.しかし巨視的構造的にみれば,社会的状況や文化との相関関係でとらえるべきものである.その生態学的視点に関して,「レジリアント・ワールド」という考え方がある.これを提起したのは,ブライアン・ウォーカー(Walker, B., 1940~,ジンバブエ生まれの社会生態学者,CSIRO持続可能生態学部門チーフ,スウェーデン王立科学アカデミー国際生態学経済学研究所理事長を歴任)とディヴィッド・ソルト(Salt, D.,生態学者,オーストラリア国立大学名誉教授)である.彼らは,2006年,『レジリアンス思考―変容する世界での生態系の維持と人々』28)を著し,resilienceとsustainabilityについて考察している.そして,「レジリアンスに富む社会(resilient world:RW)」に関して,従来説も踏まえ,9のビジョンを示している28)
 第1に,ダイバシティである.RWでは,生物学的,風土景観的,社会的,経済的,あらゆる形態の多様性が促進され,維持される.
 第2に,生態学的可変性である.RWでは,生態学的可変性を制御したり,減少させるよりも,変動を受け容れて,共に働く.
 第3に,モジュラリティである.RWは,モジュールな構成要素で形作られる.ここでのモジュールとは,1ヵ所がアウトになると全部崩壊するシステムではなく,分節自律的であり,全体から独立し,独自の機能を果たすよう設計された部分で構成された構造をいう.
 第4に,「遅さ」の選択幅の認容である.RWでは,許容閾値を伴う制御された選択幅での「遅さ」に,政策的焦点をおく.
 第5に,緊密なフィードバックである.RWでは,システム間で緊密なフィードバックが機能する.ただし,緊密すぎてはいけない.
 第6に,社会関係資本(social capital)である.RWでは,信頼関係,よく発達した社会的ネットワーク,リーダーシップ(応答責任性)が促進される.
 第7に,革新である.RWでは,学習,実地試行,各局部で発展するルールの革新がなされ,変化の認容が重視される.
 第8に,重複的統治である.RWでは,統治機構に「無用の用のゆとり(redundancy)」をもつ制度があり,公共資産と私的資産の利用権にも,二重の重なり合いがみられる.
 第9に,生態系からのサービスである.RWは,貨幣換算できない生態系からのサービス(きれいな水や空気)すべてを,社会発展のための提案や査定の際に,織り込んで考えている.
 RWでは,貪欲であることが制御され,過度な貪欲行為は多岐にわたるレベルで罰せられる,としている.RWは,私たちが,ヴァルネラブルなままに,のびのびと主体的に自由に暮らすことを保障する状況指標だといえる.

4.悲嘆の仕事を育む文化の豊かな地域ビジョン
 インクルーシブな地域を創っていくには,悲嘆の仕事(grief work, trauer arbeit)3)を促す文化を醸成することが求められる.日本文化は,身を切られるほど苦しく悲しいことがあったとき,十分悲嘆する時間と場所と関係を培ってきた.「能」の「隅田川」で,子を失った母親に,「面白う狂うてみよ」という言葉がかけられ,母親は悲しみのなかで舞い,周りの人たちも観客も共に悲しむ.芭蕉の句に,「憂きわれを寂しがらせよ閑古鳥」がある.花鳥風月と対話し,寂しさを身に沁みて感得する時間が「憂い」を癒していくのであろう.「わび」「さび」のもつ時間を,相手と分かち合うのである.茶道の「和敬清寂」,仏教の「涅槃寂静」は,悠久の時間と儚い無常の時間を同時に感じとり,共有する文化といえる.
 悲嘆の仕事は,自己の中心を経験し,どん底を打つこと(hitting bottom)1)であり,「小さな死を死に切ること」6)でもある.デーケン指摘の「(x)諦め」にあたる.日本ではかつて暮らしのなかに,いざとなったら真剣に相談に乗ってくれ,柔らかく見守ってもらえる関係性が安定的にあった.それゆえ,思い切って,苦悩の仕事をすることができた.こうして身についた受難受容力(art of suffering, Illich, I.)は,resilienceのキャパシティとなり,エンパワメントをもたらす.

5.〈生の多義性〉の認容を老いや障害から学ぶ地域ビジョン
 中井は,患者自身に,「道草能力」「御免能力」「半残し能力」「棚上げ能力」「転進能力(背水の陣ではなく逆艪の構え)」が育つことを心がけた16).つまり,曖昧さに耐える能力,多義性の認容(tolerance of ambiguity)能力4),である.それは,自他に寛容である関係性をもたらす.夫婦,友人,親子の関係性が成熟するとは,この多義性を認容でき,葛藤止揚関係力を身につけることを意味する.ここに,関係性としてのresilienceが明らかになる.
 赤瀬川原平が「老人のアバウト力」,ウィニコット(Winnicott, D. W.)が「周囲の援けがあり少し抜けている母」(good-enough mother)29)と表現したものもresilienceであり,これは地域の文化によって育まれるものである.
 「ゆとり」は共同性によって広がり,孤立によって細る.宗教行事も共同性をもつ社会的なものといえる.空き地でのチャンバラゴッコ,縁日でのひやかし,呑み屋での世間話や愚痴など,一見,無駄と思われる共同的な時と場所が,「ゆとり」の正体かもしれない.
 老いや障害を生きている人は,生きる意味のもつ多義性を豊かに問いかけてくれる.この人たちとの出逢いから,「ほんとうのゆとり」が学べ,エンパワメントされるのではないか.それを促進する仕掛けが,地域福祉施策に求められる.

III.共通感覚でコミュニケートする地域ビジョン
 人間関係のゆとりを失い,暴力依存に陥っていく人たちが少なくない.神田橋は,「家庭内暴力の基本的な雰囲気は,たいてい『悲しみ』なんです」7)と述べている.「悲しみ」の内容を神田橋は同論考で語っていないが,文脈からして,〈自分の本心を理解してくれる人は誰もいない,自分は独りぼっちだ〉という悲しみではなかろうか.
 神田橋は,暴力の意味を本人に理解してもらうために,暴力というアクションと暴力を振るった瞬間の気持ち(イメージ)の往復作業を奨めている.具体的には,「『腹を立てているその気持ちを,この枕にパッとぶつけてみて.そうすれば今の腹が立っている感じが自分にもっとリアルになるから』と枕を叩かせる」8)のである.暴力の背景にあるイメージが認知できると,暴力に支配されることはなくなる.言葉だけでなく自分の身体全体を使って,リアルにコミュニケーションする経験が,生活世界において実体験として感じられなくなっていることと,暴力依存の蔓延はつながっているといえよう.
 神田橋は,共感が「言葉以外の表情やタイミングや語調によって伝えられるもの」としつつ,共感の本質について,「相手の中に『自分はひとりではない』」という感じが出てくること9),と定義している.共感は,全身体的な実存的対話によってなされ,〈共に在る〉実感をもたらす経験である.また神田橋は,「『そばに寝て,眠るまで見守ってやろう』という気持ちのある人がいるということだけで眠れる」ことにふれ,「自分のことを思ってくれる人が欲しい」というニーズに気づくことの重要性10)を指摘している.共感を求めるニーズに気づくことは,共感の感受レセプターが広く開くことであり,さまざまな事象や人々に愛され,大切にされていることに気がつくことでもある.
 なお,神田橋は,「患者を入れてスタッフの治療会議をすることのいちばんの成果は,勤務者がみな,心がほわっと広がったオープンなマインドになることなの」11)と指摘している.これが発表されたのは,1998年8月のことであり,オープンダイアローグが喧伝される相当以前のことである.
 身体全体を使い,イメージを使った実存的対話はどのようにして展開されるのだろうか.中村は,〈共通感覚(センスス・コムニス,sensus communis)〉という概念を提起する.それは,視覚,聴覚,嗅覚,味覚,触覚,内臓感覚などの「感覚のすべての領野を統一的に捉える根源的な感覚能力」22)と定義される.また,それは,第六感や自省・顧慮能力も含んだ統合的感覚能力である.中村は,「共通感覚とは,その反省において他のすべての人々のことを顧慮する能力であり,他者の立場に自己を置く能力(カント)であってみれば,共感や共苦としての病みや受苦の問題は,ほとんど共通感覚の問題と相接している」23)と指摘する.そして,病みは,「触覚,圧覚,温覚,冷覚,運動感覚と一緒に〈体性感覚〉の中に属する」と同時に「臓器感覚とともに〈内臓感覚〉の中に属する」23)としている.
 中井は,患者のどこかに,「ふるえるようないたいたしいほどのやわらかさ」をまったく感じない人は治療にたずさわるべきでしょうか18)と述べる.自らの内なる共通感覚を働かせ,多声的な対話のなかで,ほわっとオープンなマインドになり,心の生ぶ毛で相手の柔らかさを感じとってリフレクションする,そんな関係が重なり合う社会でありたいインターネット社会はこれを侵食し破壊していると考える.

IV.ビジョン実現のための対話と居場所の方向性
 RWを地域に実現していくには,以上の視点を踏まえつつ,対話次元と居場所次元の〈多次元的,統合的〉実現に取り組むことが必要だと考える.
 対話次元に関しては,次の四次元を挙げる.(i)自分との対話(イメージ,集合的無意識),(ii)他者との対話(性愛・友情・養育の相手,死者),(iii)多種共同体との対話(多声的オープン対話,自治,協働),(iv)生態系,時間,宇宙的悠久,超越者との対話.この四次元の対話が,包括的,交互変容的に為されることで,相手の気持ちを受容するイメージと言葉が豊かになる.対話は,体性感覚・内臓感覚とともにイメージ(言語化未然の想念)によっても行われる.
 居場所とは≪自分が役立っている実感が得られる場所≫である.その重層性に関しては,次の五次元を挙げる.(i)プライベートな住居でのくつろぎとケアの居場所,(ii)プライベートとパブリックの媒介中間的,半開きの自由な居場所,(iii)多種共同体での個性的役割と評価があり,多声的対話のある居場所,(iv)社会機構での安定的関与と評価がある居場所,(v)人類,生態系における居場所.以上の居場所が,交互変容的,包括的に展開されることで,マルチ・アイデンティティ(multi-identity)と自尊心(inherent dignity;integrity)が形成・表現される.今日,居場所について(ii),(iii),(v)の解体が進み,(iv)が支配的となり,(i)の機能低下が著しい.

おわりに
 本稿では,まず,福祉の2つの基本的価値を考察した.次に,地域福祉のめざすべきビジョンが,可傷性の高い人ものびのび暮らせる寛容な,ゆとりある地域を,市民が主体的に創造していくところにあることを確認した.そして,ゆとりの本質を考察し,RWのビジョンを生命モデルの視点から検討した.生態系は,究極の開放系,相依系(活かし活かされるシステム)であり,RWとして概念化できる.またそれは,悲嘆の仕事を見守る文化の活きる地域,ひげ根のような弱い関係や無用の用の活きる地域,〈生の多義性〉の認容を老いや障害から学ぶ地域,共通感覚でコミュニケートする地域でもある.そしてそのビジョン実現のため,対話と居場所を多次元的・統合的に機能させる方向性について提起した.私たちに内在する固有な尊厳は,これによって,発揮が保障される.こうして実現されるインクルーシブ・コミュニティは,精神障害のある人にとっても,生きやすい関係と自然治癒力の活性化をもたらす.

 編  注:本特集は,第117回日本精神神経学会学術総会シンポジウムをもとに臼杵理人(国立病院機構災害医療センター救命救急科)を代表として企画された.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

1) Bateson, G.: Steps to an Ecology of Mind: Collecred Essays in Anthropology, Psychiatry, Evolution, and Epistemology. University of Chicago Press, Chicago, p.329-330, 2000

2) デーケン, アルフォンス: 死とどう向き合うか. 日本放送出版協会, 東京, p.37-46, 1996

3) Freud, S.: Trauer und Melancholie. International Zeitschrift für Psychoanalyse. 4 (6); 288-301, 1917 〔伊藤正博訳: 喪とメランコリー (フロイト全集14). 岩波書店, 東京, p.284-285, 2010〕

4) Frenkel-Brunswik, E., Sanford, R. N.: Some personality factors in anti-semitism. J Psychol, 20 (2); 271-291, 1945

5) Germain, C. B.: An ecological perspective in casework practice. Social Casework, 54 (6); 327, 1973

6) 樋口和彦: 死と再生. 生と死の教育―デス・エデュケーションのすすめ― (樋口和彦, 平山正実編). 創元社, 大阪, p.284-286, 1985

7) 神田橋條治: 神田橋條治精神科講義. 創元社, 大阪, p.37, 2012

8) 同書, p.82

9) 同書. p.109

10) 同書, p.22

11) 同書, p.121

12) 加藤 敏: 現代精神医学におけるレジリアンスの概念の意義. レジリアンス―現代精神医学の新しいパラダイム― (加藤 敏, 八木剛平編). 金原出版, 東京, p.18, 2009

13) 同書, p.20

14) Lee, J. A. B.: The Empowerment Approach to Social Work Practice. Social Work Treatment: Interlocking Theoretical Approaches, 4th ed (ed by Turner, F. J.). Free Press, New York, p.225, 1996

15) Ibid., p.229

16) 中井久夫: 病者と社会 (中井久夫著作集5). 岩崎学術出版, 東京, p.28-54, 1991

17) 中井久夫: 最終講義―分裂病私見―. みすず書房, 東京, p.83, 1998

18) 同書, p.84

19) 中井久夫: 樹をみつめて. みすず書房, 東京, p.135, 2006

20) 同書, p.136

21) 同書, p.137

22) 中村雄二郎: 共通感覚論. 岩波書店, 東京, p.8, 1979

23) 同書, p.297

24) Seikkula, J., Arnkil, T. E.: Dialogical Meeting in Social Networks. Karnac Books, London, 2006 (高木俊介, 岡田愛訳: オープンダイアローグ. 日本評論社, 東京, p.109, 2016)

25) 田辺 英: 医学哲学からみた発病モデルと回復 (レジリアンス) モデル―自然治癒力資料の興亡―. レジリアンス―現代精神医学の新しいパラダイム― (加藤 敏, 八木剛平編). 金原出版, 東京, p.72, 2009

26) 辻野尚久, 水野雅文: レジリアンスモデルに基づく統合失調症の再発予防研究. レジリアンス―現代精神医学の新しいパラダイム― (加藤 敏, 八木剛平編). 金原出版, 東京, p.148, 2009

27) 八木剛平, 渡邊衡一郎: レジリアンスの視点からみた統合失調症の臨床生物学的知見. レジリアンス―現代精神医学の新しいパラダイム― (加藤 敏, 八木剛平編). 金原出版, 東京, p.201, 2009

28) Walker, B., Salt, D.: Resilience Thinking: Sustaining Ecosystems and People in a Changing World. Island Press, Washington, D. C., p.145-148, 2006

29) Winnicott, D. W.: The Family and Individual Development. Tavistock Publications, London, p.18-19, 1965

30) Zubin, J., Spring, B.: Vulnerability: a new view of schizophrenia. Journal of Abnorm Psychology, 86 (2); 103-126, 1977
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