Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第124巻第9号

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特集 当事者視点の精神医学・精神医療に向けて―パラダイムシフト調査班報告―
主観性のテクノロジーとしての精神医学―医療人類学的視点―
北中 淳子
慶應義塾大学文学部/慶應義塾大学大学院社会学研究科
精神神経学雑誌 124: 637-644, 2022

 医師や科学者が当事者視点に立脚して,自らの経験を振り返り,主観と客観の往復運動として精神医学をとらえたとき,何が起こるだろうか.誰もがなんらかの生きづらさを抱えた存在として世界を想像しなおすプロセスとして熊谷晋一郎らが論じるところの「当事者化」―物語化と法則化から構成される―はどのように可能になるだろうか.本論では医療人類学の知見に基づいて第一に,医師による物語化の動きを,特に北米の医学教育における「病いの語り」運動をめぐる論争の歴史として分析する.第二に当事者による法則化について,英国のユーザー主導運動をはじめとする当事者運動を,市民科学の視点からとらえなおす.第三に,現在台頭しつつあるデータ医療,特にセルフ・トラッキングを中心に,物語化と法則化の相互作用について考察する.精神医療を客観性のみならず主観性をめぐるテクノロジーとしてとらえることで,当事者化がもたらす可能性とその限界についても考えてみたい.

索引用語:主観性, 医療人類学, 当事者化, 物語化, 法則化>

はじめに―当事者化―
 どうすれば当事者の声を聞き取り,医療に反映させることができるのだろうか.これは,古典的名著『病いの語り』で,精神科医/医療人類学者Kleinman, A. が投げかけた問いである.医学部生時代にKleinmanは,全身に火傷を負った少女の治療中,その身体を支えながらも彼女の悲鳴に耐えかねて思わず「あなたはどうやってこの苦しみに耐えているのか」と語りかけてしまったという.一瞬驚きをみせた彼女は,しかし切々と語り出す.ここで重要なことは,この少女自身だけでなく無力感を抱いていた医師自身も,語りを通じて過酷な治療を乗り越えていく力を得ていった事実だろう17).医学における物語の喪失は,患者のみならず医師にも疎外感を引き起こす9)
 そこであらためて見直されたのが,生物医学における極端なまでの客観主義だった.生物医学は,主観に対して懐疑の目を向け,いわゆる「解釈によって汚染されていない(uncontaminated by interpretation)」純粋な客観性をめざすことにその特徴がある.科学史家Daston, L. とGalison, P.によると,この「客観性(objectivity)」概念がもつ歴史は19世紀中ごろからにすぎないが,その後のテクノロジーの急速な発展が「機械的客観性(mechanical objectivity)」の広い浸透をもたらしたという3).前近代には主として語りと触診に頼っていた医師のまなざしは,近代以降,血液検査,X線,脳波,PETスキャンにMRI,ゲノム検査などが導入される過程で,患者の主観から加速度的に離れていく27).身体の奥深くに潜む病理をテクノロジーで発見することが重視されるなか,不安定で不確実性に満ちた患者の主観は,むしろ軽視・排除されるようになる20).そこで徐々に失われていったのは,生活者としての当事者や,病を成り立たせている社会的相互作用をとらえるより全人的な視点だったのではないか―そうした気づきこそが20世紀後半の主観性への再評価をもたらした.
 この動きは,客観的診断・治療ですべてが完結することなど決してない精神医療では最も顕著なものとなっている.当事者の主観性を聞き取る技術に着目し,それを診断治療の中心に据えようとする動きがグローバルに活性化するなかで,日本でも笠井清登が率いる「当事者化」解明の研究プロジェクトが始動している23).そこでは熊谷晋一郎や綾屋紗月が論じてきたように,障害や病気をもっている人だけでなく誰もがなんらかの生きづらさを抱えた当事者として,世界を想像しなおす自省的プロセスとしての「当事者化」の解明がめざされている.彼らによると当事者化とは,「法則化」と「物語化」の両軸でとらえられる.法則化とは,自己の身体や脳の法則性と,周囲の世界の法則性との不調和,生きづらさが起こる際に,それはなぜなのか,どうすればより生きやすくなるのかを考えていくプロセスを指す.一方の物語化は,自己の生きづらさの体験を自伝的記憶・経験として再編し,世界や歴史のなかでそれをより広い社会的な物語として位置づけるアプローチに基づく18).従来前者は自然科学,後者は社会科学によって担われてきたが,このプロジェクトでは両者の融合をめざす.
 このように医師や科学者自身が自らの経験を振り返り,臨床を客観と主観の往復運動としてとらえることで,精神医療を新たに創造しなおすと,一体何が生まれてくるのだろうか.本論では,このような当事者の主観復権への流れを,(i)医師による物語化,(ii)当事者による法則化,(iii)(データ医療をめぐる)物語化と法則化の相互作用,という視点からとらえなおしてみたい.

I.医師による物語化
1.説明モデル
 当事者視点への着目は,治療的要請から生まれた.特に,医師も患者も多様な文化的背景をもつ欧米の医療においては,お互いに相手の前提が必ずしも共有されておらず,医師から患者への一方的な説明とコンプライアンスの要請だけでは治療が難航することは少なくない.したがって,北米における「病いの語り」運動は,患者側だけでなく医師たちも同様に,病に対するなんらかの「説明モデル」をもっているという気づきが重要な出発点となった19)
 医師は基本的に,客観的説明としての「疾患(disease)」モデルを提供しようとする.それに対して,患者や家族はしばしば独自の「病い(illness)」(主観的にとらえられた現象)モデルをもっている.なぜそれが起こったのか(原因論),どう対処すればいいのか(治療論),どうなれば回復とみなされるのか(回復論)について,患者や家族はしばしば独自の見解を抱いている.例えば,原因論には体質論や風土論,時には災いとしての呪術論や過去の出来事に遡るトラウマ論を含むさまざまな様式があるが,それが医師との間でオープンに議論されることは少ない.ただし,病因や客観的診断が確定していない精神科では,疾患モデルも不安定であり,治療がスムーズな回復をもたらさない場合,医師のモデルも途端に説得力を失ってしまう.このようにして,臨床現場は,常に異なる説明モデルが拮抗し,さまざまな客観と主観がぶつかり合う,緊張感に溢れた空間となる16)

2.異文化対応能力
 医師がしばしば混沌として矛盾に満ちた患者の語りを理解し,彼らの思いに寄り添うためには,疾患モデルを相対化するだけでなく,患者自身が必ずしも意識していない背景の文化性にも注意を払う必要がある.そのような問題意識から,特に北米の医学教育で1990年代末以降重視されるようになったのが「異文化対応能力(cultural competency)」だった13).これは,EBM(evidence based medicine)の隆盛により,誰にとっても同じ治療法を適用する(one-fit-all)アプローチが蔓延したことへの批判と,その過程で患者の主観性がないがしろにされたことへの反省として生まれたという.当時教材として北米の医学教育で広く用いられていた医療人類学のテキスト『精霊に捕まって倒れる』7)では,てんかんの症状をみせる少女の発症原因や治療論をめぐって家族と医師が対立し続けることで危機が高まり,最後には少女が植物状態に陥るという最悪の結果に至るまでの経緯が詳細に描かれている.これは医師が精魂込めて治療に臨んだにもかかわらず医師自身の疾病観にこだわりすぎるあまり,マイノリティである患者家族の文化的な説明モデルには一切耳を傾けず,そのために生じた不幸なすれ違い例として論じられた.この時期以降,主観性や異文化理解の重要性が繰り返し医学教育の現場で教えられることになった.
 ただし,「異文化対応能力」には明らかな限界もみられた.最大の課題は,これが文化の複雑さを理解し,医師が自らの思い込みを相対化するためのダイナミックな概念というよりは,患者の違いを単純化し,さらにはエキゾティックな存在として静的に固定化する「他者化のテクノロジー」として作用してしまったことだった.さらに,これが医学で重宝されがちな「膨大な情報を記憶する能力」のようにとらえられた点も懸念を呼んだ.これを助長させたのは,DSM-IVの巻末につけられた文化結合症候群のリストだったといわれている.そこでは「○○族でみられる○○病」といったようにステレオタイプ化された病が列挙され,文化は患者内部に宿る奇妙な差異として病理化されてしまっている.このようにリスト化され,単純化された「文化」論は,患者の背景にある家族や関係性の複雑さを鋭敏にとらえてきた専門家たちの臨床センスをかえって損なうという声もきかれた22)
 他方で,患者の主観をより正確に把握し医療に採り入れ,全人的医療を確立する目的で導入されたカルテ方式「SOAP」も批判を巻き起こした.医師/人類学者Taussig, M. は,S(subjective:主観),O(objective:客観),A(analysis:分析),P(plan:治療計画)の4つの視点から分析するSOAPが,患者の複雑な主観性を医師好みの合理的説明の型に押し込め,そこに心理的解釈を付与することで問題を矮小化してしまっていると批判する.そもそも,まるで医師と患者の「説明モデル」が同等であるかのように並び立て,その違いを「交渉」によって解決するという民主主義的レトリックこそ,医療現場の権力関係を隠蔽し,患者をさらに沈黙させる装置にほかならないとTaussigは手厳しい.たしかに,この時期に患者の語りへの注目が高まった背景には,患者を主体的な消費者として医療に取り込み,彼らに責任の一端を課そうとする医療経済的動向があったことも指摘されている2)34)35)

3.構造的能力
 そのような反省を経て現在,北米の医学教育で盛んに議論されているのが「構造的能力(structural competency)」である.臨床でのやり取りがすでに深く社会の権力構造に埋め込まれており,患者の多くは貧困やさまざまな格差のなかで生きているにもかかわらず,(通常エリート層に属する)医師にとっては彼らの構造的脆弱性(structural vulnerability)は容易にはみえてこない.患者のコンプライアンスが悪かったり,彼らがリスクの高い行動をとり続けたりするのは,治療へのコミットメントが欠如しているためというよりは,むしろ彼らの家族状況や雇用形態がそもそも望ましい行動をとることを困難としているためかもしれない10).患者側も意識しておらず容易に語ることのできない社会構造的な弱さについて,意志の弱さや心理的問題として扱うのではなく,生活圏ネットワークの脆弱性としてとらえなおす社会的視点の導入が「構造的脆弱性スケール」の開発などで現在試みられている1)24).社会的に構成される「病気(sickness)」に着目するこの視点は36),医師自身が秘かに抱いている文化的価値観や,社会構造に組み込まれた存在としての医師-患者関係について振り返り,主観性をその複雑さとともにとらえなおす契機をもたらしている.

II.当事者による法則化
1.ユーザー主導研究
 医学のなかから物語化への動きが起きた時期に,当事者の間からも,物語化を超えた法則化―いわば「主観性の束としての客観性」の確立―をめざす動きが強まった.その背景には,物語が科学=医学のなかではあくまでもアネクドートであり,そうしたアネクドートとしての当事者の語りは科学知の序列のなかではきわめて低い地位にとどまっていることへの反発があった.病いの物語とは,感情に訴えるものであり,そのような感情のもつ道徳性―圧倒的な苦しみや不正義の糾弾―ゆえに,聞く者はしばしば言葉を失ってしまう.さらにそれは「信じる」ことを無言で要求する.そのため物語は,その真偽の検証・比較検討といった,医師が重視する客観性,中立性,普遍性を基盤とする科学的考察の対象とはなりにくい.さらに,当事者の間でも「誰の物語が語られるべきなのか」という代表性の問題―最も深く苦しんだ人なのか,最も典型的な症状をみせる人なのか,それとも最も理知的に雄弁な,もしくは深く感情を揺さぶるような語りができる人なのか―をめぐる葛藤がつきまとう.このような葛藤は時に,より科学から遠く社会的に最も周縁化された人々こそがより純粋な真理を語りうるといったような逆転の構図さえもたらすが,そのような道徳観に彩られた序列化は,科学から遠のくばかりか,当事者間でのあらたな権力闘争にも発展し,不幸な分断をもたらしかねない14)
 身体医療において,このような分断を乗り越えた大きな一歩がAIDSをめぐる市民科学(citizen science)の台頭だった.1980年代にまだ原因不明の疾患だったAIDSをめぐり,北米の同性愛当事者の人々―なかには博士号取得者,医師,科学者たちも含まれていた―がAIDS研究に参画することで,科学の作法を大きく変えていく.それまでの当事者運動は科学に対して迎合的・従属的であるか,もしくは否定的・対抗的となるかの二極に分かれがちであった.対して,AIDSの当事者リーダーたちは,科学の言葉を身につけ,メディアを動員して現状の科学批判を展開する一方で,当事者団体を組織化し,治験への全面的協力を約束することで,科学者たちの全幅の信頼を勝ち得ていく.さらには,少数疾患の研究者と疫学の専門家,科学者と行政官と異なる領域の専門家を結びつけることで,当事者の意見が直接反映される真に学際的な研究体制を構築する.友人や恋人たちが次々と命を失うなかで,従順さと沈黙は自らの死をもたらすのだと覚悟し,「科学は誰のためなのか」「何がよい医療なのか」を真摯に問う彼らの運動は,科学医療の存在意義を問い直すものでもあった6)12)

2.エビデンスの多軸化
 同時期に精神科領域での市民科学の下地も作られていった.特に英国でのユーザー主導研究は,1970年代の脱施設化運動後,自分たちが精神科病院で受けた「治療」の不思議さや不条理さを振り返り,話し合うための場として誕生したという.その後,当事者たちの「治療」に関するまっとうな疑問は,英国保健省のガイドラインを書き換えるほどインパクトのある研究を生み出していく.例えば,当事者/心理学者Rose, D.を中心とするグループは,従来の電気けいれん療法(electroconvulsive therapy:ECT)に関する科学的研究では,その効果に18~90%と驚くほどの幅があり,その多くが当事者の実感とはそぐわないほど高い効果を出しているのはなぜなのかという素朴な疑問から研究を出発した.ECT研究のメタ解析を行ったRoseらは,ECT研究が行われた状況に関する当事者たちのインタビューなどを重ねることで,極端に高い効果を示している論文には,方法論的・倫理的に深刻な問題があることを明らかにしていく.このように,当事者の体験から生まれた疑問を,個人の主観性にとどめるのではなく,広く語りを収集し分析することで客観的なエビデンスへと高めていく彼らの市民科学は,ついには政府をも動かす力へと急成長していく28-30)
 この運動の背景には,向精神薬市場の拡大により精神科が巨額の富を生み出す領域へと変貌した過程での,科学知を生産する装置の変化への懸念もあったという.治験が大規模なものとなり,その主導が医師から製薬業界へと変わっていった当時,臨床知を科学知に高めるプロセスがより複雑化していく.精神科医・医学史家Healy, D. が指摘したように11),治験のネガティブデータが隠蔽され,ゴーストライターによって書かれた論文に,製薬業界からの支援を受けた著名な研究者が名を連ねている実情が暴かれたことで科学に対する信頼が一気に落ちたことも,当事者に危機意識をもたらした8).また1990年代以降,製薬業界のマーケティングが薬を売る以前に疾病カテゴリーを売り,自己を向上させるためのエンハンスメント・テクノロジーとして宣伝する手法をとるようになったことも大きい.消費者が自らの選択により薬を飲み続けることで,真の自分になれるかのような主体性に関する巧妙なレトリックが問題視されるなか,批判的視点が科学から追いやられていくことへの不安も高まったという4).その結果,当事者にとって真に大切な問い―例えば,向精神薬以外の治療法の有効性はどうなのか,薬はいつ止められるのか―を検証する場が早急に求められたという.
 現在,多くの先進国で研究への当事者参画は政府による助成金の条件として求められており,当事者に主導権が委譲されていればいるほど政治的に正しい科学研究であるとの意識も高まりつつある.他方では障壁も多く,一流の医学雑誌を含め何百もの論文を発表しているRoseでさえも,医学のヒエラルキーのなかでは声を挙げにくいと感じるという.ましてや一般市民が科学者集団に招聘され,意見を求められても自由に思いを語ることは容易ではない.しかも科学者集団においては,重要なことはしばしばインフォーマル・ネットワークですでに決められており,彼らの価値観から外れるマイノリティ当事者の意見は除外されやすい.成果論文では研究者の一方的な解釈を押し付けられたと感じられる当事者も多く,当事者参画が助成金支給条件を満たすだけに用いられる単なる「形だけの平等主義(tokenism)」に成り下がってしまっているとの声もある.これでは本来当事者のエンパワメントのためであるはずの場が,かえって無力感を深める装置へとなりかねない.
 また,当事者同士の分断も一部では深刻化している.市民科学も含めた当事者運動が盛んな発達障害領域では,高機能と呼ばれる一部の人々が「神経多様性(neurodiversity)運動」を展開し注目を浴びてきた.彼らは脳の差異を異なる存在様式としてとらえ,自閉スペクトラム症の特徴(同じことの反復,微細な差異への感覚感度の高さ,過集中)を社会に革新をもたらすようなアイデンティティとして語ってきた33).さらには,定型発達者を周囲への同調に囚われた病的存在として批判し,反治療主義を貫く人々もいる.しかし,彼らの激しい主張の裏に隠れがちな多くの発達障害当事者の間では,自分の性格を変えたいわけではないが,より生きやすくなるための治療は受けたいという声も少なくない.神経多様性という言葉を最初に書物で用いたとされる当事者/社会学者Singer, J. も,極端な主張を展開する人々に対して,「永遠に犠牲者であり,子どもじみていて,無条件の愛と承認を求める一方で,成人としての自己省察や,自己批判,ストイックさ(を欠き),自分と他人の内に光と闇の両方があることをみようとしない」(p.333)25)と痛烈に批判している.ここでは障害の性質や重症度だけでなく社会階層や経済格差が生む分断も根深く,決して一枚岩ではない当事者の多様な物語を市民科学としてどう法則化していくかが課題となっている25)

3.当事者視点の検査法
 こういった分断を乗り越える方法として現在,当事者研究で試みられていることの1つは,主観性を客観性に変換するために有効な概念や方法論を開発し,科学研究のルーティンに組み込んでいくことである.例えば,従来の治験で用いられてきた効果(efficacy)とは,(主として病院内で測定できる)治療の短期的効果にすぎなかった.むしろ当事者が求めているのは,地域に戻って日々生活するなかで経験される治療の長期的効果(effectiveness)であり,さらには,その治療が(たとえ有効であったとしても)生活の質の向上をもたらすのか,という主観的満足度(satisfaction)をめぐる答えだろう.そのような多重な軸を用いることで,科学実践のデフォルトとして当事者の主観性を導入する道が模索されている.さらに,当事者フォーカス・グループで検討してみると,従来の質問紙法や測定法にも問題が多いという.例えば質問紙の項目自体に,過剰なまでにネガティブな精神病像を生み出したり,トラウマを引き起こしたりするような激しい言葉が用いられているケースが指摘されている.また多くの検査法では,「友人の多い人」=「健康」といった社会的価値観が質問項目に透けてみえる.広く交流関係を求めることが(統合失調症などの)当事者のストレスや再発の可能性をかえって高める危険性があると示唆する研究結果もあるなかで,価値中立であるべき科学調査によってこういった偏見が流布されることはあってはならないだろう.当事者視点による科学実践の検証は,科学をより配慮的・治療的なものへと変えつつある14)

III.物語化と法則化の相互作用
1.セルフ・トラッキング
 当事者化が開くさらなる可能性として注目したいのは,従来の当事者運動の文脈を超えて現在,一般の人々の間での「自己のデータ化」―さらには客観性と主観性に関しての振り返り―が行われていることだ.1990年代以降の神経科学言説の大衆化と,インターネット上での医学知識の普及は「患者」像を大きく変えた.SNS系大企業が蓄積されたテキストをもとに「絶望のデータベース」を構築し自殺予防に挑む一方で15),うつや不安を経験する一般の人々の間からも,医療的測定機器を用いることで日々の心身の客観的データを用い,病いの意味を主観的に振り返る動きがでてきている.

2.計量化された自己
 そのような潮流の代表的なものとして,シリコンバレーのIT専門家を中心に始まった「計量化された自己(Quantified Self:QS)運動」が挙げられる21).ここではセルフ・トラッキング機器を用いて1日中自己をモニターしている人々が集い,データ化が自己にどういう影響を与えているのか振り返る集会が定期的に開かれている.
 QS運動の初期には,データ化が人々の健康意識を高め,彼らが「数字によって生きる(living by numbers)」ことで行動変容へとつながるのではとの期待があったという.他方,セルフ・トラッキングは,自己の微細な部分へのこだわりを生じさせ,かえって病理を深めるとの批判もあった.病いはその人のほんの一部にすぎないにもかかわらず,データ化は過剰なまでの健康への執着を作り出すのではないか,そのように客観化・医療化されたアイデンティティがその人の主観性や健康な部分までをも蝕んでしまうのではないかとの懸念もあった.
 実際のセルフ・トラッキングの民族誌的調査からは,より複雑な現象が浮かび上がってくる.セルフ・トラッキングによる数値化はたしかに,時間によって移り変わる自己の健康や気分に関して新しい視点をもたらしていた.QS運動では,深いうつに沈み込んでいたときに,拡散する問題を1つ(例えば,心拍数)の観察に局在化することで,自己制御感を得られたといった声が報告されている31)32).参加者のストレスレベルを測ると同時に彼らに日記をつけてもらったフィンランドの研究では,主観的にはストレスフルな出来事(例えば,激しい夫婦喧嘩)にもかかわらず,客観的な数値(心拍変動など)レベルに変化がないことに驚き,ストレス発散法として出来事の意味をとらえなおした例も検討されている.また,主観的/客観的ストレスレベルの推移を知ることで,就寝時間を早める,ストレス値が下がるような行動(例えば,パソコンから離れた同僚とのお喋り)を増やすといった行動変容もみられるようだ.

3.状況化された客観性
 他方で,主観的ストレスが客観的には抽出されていないことから,データ医療の限界に気づいたといった声も報告されている.離婚後の実存的危機を経験した女性にとって,客観的データはその心情を理解するためにはあまりにもお粗末な装置であり,自分を振り返るために他の健康実践を行うようになったという.このように,自己のデータ化は当初心配されていたような「人間の機械化」を生み出すのではなく,「データ」の相対化にもつながっている.データはより大きな人生のなかに位置づけられ,多要素との関連で解釈されることで主観と客観の矛盾を生み出し,そのことがより深い自己省察をもたらしている.つまりデータ医療は,単純な機械的客観性を浸透させるというよりは,各個人の価値観や環境を含めた解釈を浮き彫りにする「状況化された客観性(situated objectivity)」の誕生をもたらしている26)
 さらにデータ医療で興味深いのは,心身への微細な臨床的まなざしが必ずしも(当初懸念されていたような)個人的・生物学的還元主義をもたらしていないという発見である.セルフ・トラッカーたちはしばしば自分のデータをインターネットで公開し,お互いのデータの変動に関して意見を交換しあう.その過程で例えばワーキングメモリーの低下に悩む人は,自分がどういった環境で誰といるときに何が起こるのかといった,脳と環境のフィードバック・ループに注目することで,より複雑な人間理解を獲得しつつある.当事者研究を先導する編集者・白石正明が指摘するように,専門知としての医学はどうしても細分化に向かうが,データ化を通じて当事者の「共通性の回復」をめざすことは医学の縦割りを超える視点をもたらす可能性がある.
 当事者視点の物語化と法則化の往復運動は「データ」の意味をも変えつつある.現在セルフ・トラッキングのデータについて,機械工学,都市工学,情報科学,経済学といったさまざまな領域の専門家による分析が試みられ,より生きやすい環境や社会デザインについての対話が始まっている.従来の医学モデルでは,統合失調症,うつ病,発達障害,認知症といった疾病カテゴリーによって分断され,個人の内にある欠陥や喪失にのみ焦点があてられがちであった.ところが異分野の専門家にとっては,(それがどういった疾患であれ)記憶が奇妙に歪む人のオルタナティブな世界をどうナビゲートできるのかという問いは,技術的革新のためのアイデアの宝庫であり,工学的問題としての知的刺激をもたらすようだ.今後は精神科においても疾病カテゴリーによる分断を超え,脳神経系の障害が共通してもたらす生きづらさの構造を人々の語りから明らかにし,それを法則化し「生きづらさのデータベース」を構築することで,あらたな社会想像/創造が可能になるかもしれない.

おわりに
 主観性のテクノロジーである精神医学においては,当事者性こそがその歴史を駆動してきたと言っても過言ではない.Freud, S. やJung, C. G. といった精神療法の創立者は,自らの心の病と向き合い,その当事者性を活かすことで新たな治療法を構築した.統合失調症概念を確立したBleuler, E. は,患者の話に丁寧に耳を傾けた詳細な症候学で知られるが,その背景には,精神障害に苦しんだ姉への,医師たちの無関心で冷徹な態度に対する憤りがあったという.Kanner, L. は強い自閉症傾向をもつ父方の親類に親近感を抱き,彼自身もその特性をもっていたというが,その当事者性こそが独自の視点での「自閉症」の発見へとつながったといわれている.無論,これらの医師が権威をもちえたのは科学者としての法則化へのコミットメントのためであり,彼らの物語はその影に隠れてみえづらくなっている.しかし探究への情熱を支え,突き動かしたのは物語の力だったのかもしれない.
 ただし物語化と法則化とは対極ともいえる文化に依拠しているために,その融合は決して容易ではない.特に従来の当事者運動とは圧倒的に物語化の場だった.そこでは医学の言葉で乗っ取られた自分の心身を,自らの経験に根差した言葉で語りなおすこと―「自己の語りの復権」―がめざされてきた.弱さの承認や,現実につき合わせた検証を必ずしも経ない「心的現実」の尊重こそが重視されるからこそ,科学医療とは異なる言語ゲームを創出する空間として価値をもちえたといえる.そのような場に,脱感情化や脱個別化を重視する法則化をもちこむことの反作用を考えることは,無用な傷つきや分断を防ぐためにも重要となってくるだろう.
 特に現在提唱されているように,当事者のみならず医師までもが当事者化を行うことが医師―患者関係に何をもたらすのかについても熟考が必要かもしれない.当事者の側からはなぜ医師がそれを行うのか,法則化の権化としてただでさえ強大な権力をもつ医師が,当事者としても語り出すことで誰も反論できない「スーパー当事者」になってしまわないかとの懸念の声も聞こえてくる.ただしそのような動きが生まれた背景には,Kleinmanがそうであったように,医師自身が感じている構造的脆弱性と,それが治療関係にもたらす影響への懸念があるのかもしれない5).この潮流の先にある当事者化の動きが,分断を超えた深い自省性と開かれた対話をもたらすことができるのか,今後の発展が期待される.

 編注:本特集は,第117回日本精神神経学会学術総会シンポジウムをもとに鹿島晴雄(医療法人社団葛野会木野崎病院),尾崎紀夫(名古屋大学大学院医学系研究科精神疾患病態解明学),本稿著者を代表として企画された.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

 謝 辞 本論の調査は文部科学省科学研究費補助金学術変革領域研究JP21H05174と,基盤研究(B)19KT0001の助成を受けている.大変貴重なコメントをいただいた神庭重信先生,笠井清登先生,江口重幸先生に御礼を申し上げたい.

文献

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20) Lock, M. M., Nguyen, V. K.: An Anthropology of Biomedicine, 2nd ed. John Wiley & Sons, Inc., Hoboken, 2018

21) Lupton, D.: Data Selves: More-than-human Perspectives. Polity Press, Cambridge, 2020

22) Martinez, I. L., Wiedman, D. W.: Anthropology in Medical Education: Sustaining Engagement and Impact. Springer, Cham, 2021

23) 文部科学省科学研究費補助金・学術変革領域研究「当事者化」人間行動科学. (https://tojishaka.net/) (参照2021-11-25)

24) Neff, J., Holmes, S. M., Knight, K. R., et al.: Structural competency: curriculum for medical students, residents, and interprofessional teams on the structural factors that produce health disparities. MedEdPORTAL, 16; 10888, 2020
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26) Pantzar, M., Ruckenstein, M.: Living the metrics: self-tracking and situated objectivity. Digit Health, 3; 2055207617712590, 2017
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27) Reiser, S. J.: Medicine and the Reign of Technology. Cambridge University Press, New York, 1978 (春日倫子訳: 診断術の歴史―医療とテクノロジー支配―. 平凡社, 東京, 1995)

28) Rose, D., Fleischmann, P., Wykes, T., et al.: Patients' perspectives on electroconvulsive therapy:systematic review. BMJ, 326 (7403); 1363-1368, 2003
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29) Rose, D., Fleischmann, P., Wykes, T.: Consumers' views of electroconvulsive therapy:a qualitative analysis. J Ment Health, 13 (3); 285-293, 2004

30) Rose, D.: Service user views and service user research in the Journal of Mental Health. J Ment Health, 20 (5); 423-428, 2011
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32) Schüll, N. D.: Digital containment and its discontents. Hist Anthropol, 29 (1); 42-48, 2018

33) Silberman, S.: NeuroTribes: The Legacy of Autism and the Future of Neurodiversity. Avery, an imprint of Penguin Random House, New York, 2016

34) Taussig, M.: Reification and the consciousness of the patient. Soc Sci Med, 14B (1); 3-13, 1980
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