Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第123巻第9号

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特集 統合失調症とはどういうことか
「統合失調症とはどういうことか?」という問いについて
村井 俊哉
京都大学大学院医学研究科脳病態生理学講座・精神医学
精神神経学雑誌 123: 600-604, 2021

 「統合失調症とはどういうことか?」という問いに対して,多くの臨床医・研究者は「よくわからない」と答えるのではないだろうか.では,どういうことがわかれば,「統合失調症とはどういうことか?」という問いに答えたことになるのだろうか.本稿では,「統合失調症とはどういうことか?」という問いに答えるには,まず,その問題設定を明確にすることが重要であることを論じる.

索引用語:統合失調症>

はじめに
 「統合失調症とはどういうことか?」という問いに対して,多くの臨床医・研究者は「よくわからない」と答えるのではないだろうか.では,どういうことがわかれば,「統合失調症とはどういうことか?」という問いに答えたことになるのだろうか.
 この問いに答える手始めとして,「○○とはどういうことか?」という同じ問いについて,統合失調症以外の病気について考えてみる.例えば○○の部分に「新型コロナウイルス感染症」という言葉をあてはめてみる.すなわち,「新型コロナウイルス感染症とはどういうことか?」という問いであるが,この場合,主要感染経路,潜伏期間,生命予後,全遺伝子配列,各種変異型の一覧,といった情報が順に手に入ってくることによって,流行開始当初は得体の知れない存在であった新型コロナウイルス感染症について,「新型コロナウイルス感染症とはそういうことか!」という,わかった感が得られることになるだろう.別の例を挙げてみたい.「アルコール依存症とはどういうことか?」という問いであればどうであろうか.アルコールの薬理学的特性はぜひ知っておきたい.それだけでなく,依存症形成を促進する社会環境・家庭環境も知りたいと思う.このあたりがわかってくると,次第に,われわれは「アルコール依存症とはそういうことか!」という感覚に近づくことになる.
 では「統合失調症とはどういうことか?」という問いの場合はどうだろうか.新型コロナウイルス感染症やアルコール依存症についての同じ問いと比べ,「統合失調症とはどういうことか?」という問いの難しさの理由の1つは,統合失調症については,言うまでもなくわかっていないことが多いということである.ただ,「統合失調症とはどういうことか?」という問いについてはもう1つ別の水準の難しさがある.「『統合失調症とはどういうことか?』とはどういうことか?」について,臨床医・研究者の間でも,あるいは一般市民の間でも,ほとんどコンセンサスが得られていない.すなわち,「問いに対する適切な答えがどういう性質のものであるのか」「将来,何がわかれば答えがわかったことになるのか」について,コンセンサスが得られていないことに,もう1つの難しさがあると著者は考える.
 新型コロナウイルス感染症の例に戻れば,感染が拡大した当初,「新型コロナウイルス感染症とはどういうことか?」についてほとんどわかっていなかった.ところが,そのような時期においても「『新型コロナウイルス感染症とはどういうことか?』とはどういうことか?」については,大多数の人の間ではコンセンサスが得られていた.陰謀説,人類の運命,など,異なる方向へ問いを立て,異なる種類の回答を追い求める人たちももちろんいたが,こうした方向性は少数派であった.多数派は,ウイルスの感染経路,ウイルス学的実体,あるいは治療薬がわかることが,「新型コロナウイルス感染症とはどういうことか?」に対する回答であると考えていたと思う.
 一方で「統合失調症とはどういうことか?」という問いに取り組んできた専門家はどうだっただろうか? 生物学的方向性の研究者であれば関連遺伝子の詳細,脳構造・機能の病態の詳細,あるいは特徴的な神経病理所見を見いだすことが,この問いへの回答であると考えてきたであろう.一方で,人間学や認知科学など,心の水準において統合失調症の理解を追究する研究者であれば,統合失調症のさまざまな症状や心のあり方を説明するような,統合失調症特有の心のモデルを描き出すことこそが,この問いへの回答であると考えてきたであろう.さらには,社会・文化・制度などによって病気がつくられる側面に注目する研究者であれば,そのような関連因子を見いだしたうえで,社会が病気を生み出す整合性のあるストーリーを描き出そうとしてきたであろう.従来,統合失調症の専門家を名乗る研究者・臨床医は,おそらくは,これらの立場のいずれかに強くコミットしてきた.そして,相互の建設的対話は乏しいものであったのではないかと,著者は考える.
 一方で,比較的最近の傾向として,これらすべての立場を折衷する流れが優勢である.すなわち,統合失調症にかかわる要因は,生物,心理,社会のすべての層にかかわっていると考え,すべての層の要因を網羅的に検討,列挙する立場である.しかし,このような折衷的立場によって,従来の問題であった研究者間の相互対話の可能性は広がったのだろうか.建設的な対話には,対立点を不明瞭にさせることではなく,対立点を明確にすることがより重要である.昨今の網羅的折衷主義によって,「統合失調症とはどういうことか?」ということを「どういうこと」とそれぞれの研究者が考えているのかが,むしろみえにくくなってしまっており,結果として建設的対話の妨げとなっているのではないか,というのが著者の懸念である.
 このような状況のなかで大切なことは,「『統合失調症とはどういうことか?』とはどういうことか?」について,それぞれの臨床医・研究者が,各人が自分自身の関心・スタンスを潔く明らかにしたうえで,語ることではないかと考える.
 すなわち,「統合失調症について,自分自身は○○が知りたいと思っている」と語る.研究を進めていくなかで,統合失調症を「こういうこと」として知りたい,と自分自身が思っていた切り口は,結果的には切れ味があまりよくないということも起こりうる.もちろん,統合失調症について知りたいことは,人それぞれであり,切れ味がよくないとしても,そもそも目的が違うのだから,それぞれがそれぞれの道を進めばよい,という考え方もある.しかし,「こういうこと」が知りたい,という目的が違うとはいえ,同じ統合失調症について関心を共有していることには違いはないのであるから,もっと切れ味のよいナイフを用いている人が周囲にいるとしたら,その話を聞いてみるのも悪くないだろう.その場合は,自らのその切れ味の悪さを認識し,目的が異なることを認識しつつも,別のナイフを探してみることになる.こうしたアプローチが,病態が十分にわかっていないだけでなく,病態を説明するうえで最も適した説明の層(レイヤー)がどこであるのかわかっていない統合失調症のような病態においては,合理的なアプローチであると考える.

I.著者の方法
 そのようなアプローチの一例として,ここからは著者自身の方法を紹介する.著者が統合失調症の理解に際し採用している方法は,神経心理学・了解心理学の組み合わせ法である.すなわち,以下に示すようなステップで統合失調症の理解を試み,それがうまくいけば,著者は「統合失調症とはどういうことか」がわかった気持ちになれる,と考えている.
 神経心理学・了解心理学の組み合わせ法は,次の2つの要素を含む.
 A.その障害を想定すれば,それを前提に統合失調症の諸症状が理解できるであろう,「既知の認知機能・脳機能」を特定する.
 B.そのような認知機能・脳機能の障害を前提として,統合失調症の主観症状を「了解」する.
 このA,Bがうまくいけば,「統合失調症とはそういうことか!」というわかった感が著者には得られることになる.それゆえ,著者はそれをめざす.まず,この方法の成功例を統合失調症以外から1つ挙げてみたい.それは,健忘症候群とそれに伴う物盗られ妄想である.上述のAのレベルについて,健忘症候群では,エピソード記憶,あるいは長期記憶,という認知機能が候補として挙がってくる.この認知機能については,海馬を中心とする一連の脳領域・ネットワークが中心的役割を果たすことがわかっており,そして,それらの脳領域が働かなくなれば,長期記憶・エピソード記憶に支障が生じることもわかっている.そのうえで,Bのステップに進み,「物盗られ妄想」の理解を試みる.長期記憶・エピソード記憶に重い障害があれば,何時間か前に自分が棚に財布をしまったのにそのことを忘れてしまっていて,あるはずの財布がないのはきっと誰かが盗っていったのだろう,と考えることも自然に納得できる,と第三者の立場からは「了解」できる.Jaspers, K. の了解・説明の二分法に沿っていえば,脳機能の障害として,長期記憶・エピソード記憶の障害を「説明」し,そのような記憶機能の障害を前提として,患者の主観的訴え(物盗られ妄想)を「了解」している,ということになる.この2つのレイヤーの理解を組み合わせることで,「財布がないと言って家族を責めるのはそういうことか!」と,わかることになる.

II.統合失調症への適用
 ここからは,上述の方法を,統合失調症へ適用してみる.ただし,統合失調症の何を理解するのか,という点でも,問いの整理がさらに必要である.著者が関心をもっている問いは,以下の2つである.すなわち,
 a.幻覚妄想を理解する
 b.幻覚妄想と他の症状との関係を一元的に理解する
 である.
 まず,a,すなわち,幻覚妄想の理解に取り組んでみたい.統合失調症の幻覚妄想がどういうことかがわかるには,前節の戦略からは,次の2つの課題を設定することになる.
 A.幻覚妄想を説明できるような既知の認知機能・脳機能を特定する.
 B.そのうえで,幻覚妄想という「主観体験」が「了解」できるかを考える.
 そして,これら2つのレイヤーでの課題について,それぞれ別々に考えることになる.この方法をとるうえで,重要と著者が考えているのは,AのレイヤーにBのレイヤーを混入させないことである.すなわち,Aのレイヤーのモデルは,患者の主観体験を持ち込まず,純粋に機械論的に記述することをめざす.すなわち,言葉をもたない動物にさえあてはまるような機能障害として幻覚妄想の基盤となる機能障害を概念化することをめざす.Aのレイヤーでの考察にBのレイヤーを混入させないのは,上述の健忘症候群のAのレイヤーの概念化において,本人が語る「最近忘れっぽくなってね」などの主観的陳述を混入させないのと同じことである.
 例えばミーアキャットは天敵とそれ以外の動物を弁別することができる.そして,見張りに立つミーアキャットは,「天敵がきたら金切り声をあげる」「天敵以外の動物だと周囲のモニターを続ける」という行動をとる.すなわち,ミーアキャットは,見張りをしているという文脈において天敵を認識しているといえる.もし,ある見張りミーアキャットが「天敵がきたら金切り声をあげる」が,「天敵以外の動物がきても金切り声をあげる」ようになったとしたら,われわれは,そのミーアキャットに何が起きたと考えるべきだろうか.ミーアキャットが単にいらいらしているわけではない証拠として,あるいは,動物一般を認識できなくなったわけではない証拠として,金切り声はランダムではなく,動物がきたときに限られる,ということも確認できたとする.かつ,天敵と天敵以外の弁別障害は,「見張り」という文脈に限られ,他の文脈では弁別できていることも確認できたとする.さらには,それ以外の非特異的な認知障害や行動障害でこの現象が説明できる可能性を観察によって1つずつ排除していくことができたとすれば,われわれは,「近づいてくる動物は皆,敵である」という被害妄想をミーアキャットはもっている,となぞらえてよさそうなところまでかなり近づいたことになる.すなわち,ある特定の文脈(例:見張り役)において,時々刻々変わるさまざまな動物の来襲(天敵,天敵以外,天敵以外,天敵…)に対して,変化する状況をトラッキングすることなく柔軟性を失った反応をすること(天敵,天敵,天敵,天敵…)を,妄想の行動的定義(この例でいえば見張りミーアキャットの天敵妄想)とみなすことができそうになってくる.
 続いて,こうした行動と矛盾しないような認知心理学レベルの仮説の候補を挙げてみる.有力な候補の1つは,異常セイリエンス仮説である1).自分に対して大きな意味をもたないランダムで些末な事象や感覚刺激に対して,過剰な意味が付与され,幻覚妄想に至るという仮説である.この認知心理学的な仮説は,さらには神経生物学的レベルでは,ドパミン細胞あるいはドパミン神経伝達の誤作動というドパミン仮説に対応することになる.ここまでがAのレイヤーの課題になる.
 そのうえでBのレイヤーに進む.Aのレイヤーの機械論的な機能障害を前提とした患者の主観体験の「了解」である.

 私は今,比較的静かな屋内でこの本を書いていますが,ドパミン神経系の働きが何らかの病的な理由で過剰になると,窓の外の車の滑走は原稿を書く私の作業を妨害し,私にとって大きな意味をもつ物音として私の耳に飛び込んでくるかもしれません.鳴りやむことのない車の滑走音は,私の執筆作業への嫌がらせという「私にとっての重大な意味」を帯びてくるかもしれないのです.こうした「妄想気分」は,次第に「私の仕事をことさらに邪魔するために騒音をたてる悪意をもった人々が存在する」という「妄想」へと移行するかもしれません.2)(p.31-32).

 このように,異常セイリエンス仮説という機械論的な仮説を前提とすることで,具体的な主観体験が了解されたことになる.
 もちろん,残される課題もある.先のミーアキャットの例でいえば,異常セイリエンス,ドパミン細胞の誤作動は,天敵への反応という行動のみに限定され,ミーアキャットのすべての行動を覆わないのか,という問題,すなわち,妄想の限局性の問題である.次に,妄想の出現は説明できるとしても,妄想の維持はどう説明するのか,という問題もある.後者は妄想の二段階仮説の議論に行き着くことになる.
 幻覚妄想を理解することは何しろ大きな課題なので,すべてが解決とはもちろんいかないが,それでも,「健忘症候群とはそういうことか!」というところと大きく離れないレベルで,著者は,「幻覚妄想とはそういうことか!」という感覚に近づくことができた,と考えている.
 一方で,統合失調症とはどういうことか,という問いについて,幻覚妄想を理解することに加え,著者は課題bとして,幻覚妄想と他の症状との関係を一元的に理解することを目標として挙げた.しかし,いろいろ考えてみたが,著者が幻覚妄想に採用してうまくいった方法,つまり神経心理学と了解心理学の組み合わせ法は,この2番目の問いについては,なかなか難しいと考えている.幻覚妄想を含む陽性症状と,陰性症状,解体症状は,同じ個人において,それぞれの症状が偶然同時に生じるよりもはるかに高い確率で併存している.それゆえ,統合失調症という単一の病名で呼ばれることが妥当ということになるのである.しかし,幻覚妄想,陰性症状,解体症状,という異なる症状群は,同一の脳領域の損傷として,あるいは同一の神経ネットワークの機能異常として,一元的に理解することは難しい.一方で,よほど踏み込んだ解釈,穿った解釈を行うのでなければ,例えば,ある個人の急性期にみられた幻覚妄想とその数年後に次第に生じてくる陰性症状の関連を,なるほどそういうことかと自然にわかるという意味で,「了解」することも不可能である.すなわち,幻覚妄想と,陰性症状,解体症状の間には,それらを一元的に説明しうる共通のマクロレベルの神経基盤があるわけでもなく,一連の症状を納得しうる了解関連があるわけでもなく,神経心理学や了解心理学の観点からみた場合には「たまたま」同じ個人に生じている,と考えるしかないというのが著者の見解である.おそらくはこれらの症状群の併存は,脳領域特異性の低い分子病理など,神経心理学や了解心理学とはまったく異なるレベルに答えがあるのであろう.広範な脳領域で病態が生じる変性疾患(例えばアルツハイマー病)において,それぞれの脳領域の病理は個別の症状を神経心理学的に説明しうるが,ではなぜ,さまざまな症状が同じ個人に同時に生じるのか,なぜある空間分布で異なる脳領域に神経病理が生じるのかは,神経心理学や了解心理学では説明できないのと同じことといえる.

おわりに
 本稿では,「『統合失調症とはどういうことか』とはどういうことか?」という問いを立てた.そして,「どういうこと」がわかれば,著者自身は,「統合失調症とはそういうことか!」とわかった気持ちになれるのか,について考えてみた.そのうえで,著者は,①幻覚妄想とはどういうことか,②統合失調症のさまざまな症状(幻覚妄想,陰性症状,解体症状)が同時に生じるのはなぜか,について,神経心理学・了解心理学の併用法で理解しようと試みた.前者については,かなり「わかった!」感がある.しかし,後者については,残念ながら見当がつかない.すなわち後者については著者のとった方法の切れ味が悪いのではと考えている.
 はじめに述べたことの繰り返しになるが,諸々の実験や観察がうまくいって最終的に何がわかったとしたら自分にはわかったという納得が得られるのかを最初にイメージしておくことが,「○○とはどういうことか?」という問いに取り組むうえでの,建設的な姿勢であるということを本稿では主張した.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

1) Kapur, S.: Psychosis as a state of aberrant salience: a framework linking biology, phenomenology, and pharmacology in schizophrenia. Am J Psychiatry, 160 (1); 13-23, 2003
Medline

2) 村井俊哉: 統合失調症. 岩波書店, 東京, 2019

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