Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第123巻第3号

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討論
英語文献の訳語について―DSM-5の“may”の翻訳をめぐって―
田宮 聡
姫路市総合福祉通園センター(ルネス花北)児童精神科
精神神経学雑誌 123: 121-125, 2021
受理日:2020年10月9日

 多くの精神医学関連文献が出版されている昨今,外国語で書かれた文献を参照する際に,第三者による翻訳で読むことは少なくない.そして,その翻訳を担当するのは,しばしば,翻訳や語学の専門家ではなく,精神医療関係者である.翻訳(ここでは英文和訳に限る)は,ただ単に英語を日本語に置き換えるだけでなく,原文の意に添った適切な訳語を厳選する,優れて創造的な知的作業である.本稿では,DSM-5診断基準の日本語版における“may”の訳語に注目し,翻訳作業の意義を改めて再確認する機会とする.DSM-5の診断基準で使用されている助動詞“may”にあてられる訳語には大別して3通りあり,「…かもしれない」「…こと(場合)がある」および「…してもよい」が用いられている.このうち,認可・許容を表現する「…してもよい」は本稿では取り上げない.「…かもしれない」と「…こと(場合)がある」はともに推量・可能性を表現する用法であるが,微妙なニュアンスの違いがあり,前者は個別ケースを対象とした視点でより主観的,後者は集団を対象とした視点でより客観的であると思われる.こうしたニュアンスの違いを考慮に入れたうえで,文脈に即したより適切な訳語を選択することが重要である.今後,精神医療関係者のあいだで,精神医学文献の翻訳技術にも関心が広がることを期待したい.

索引用語:翻訳, 英語, DSM-5, 診断基準>

はじめに
 一部の国や地域に偏ることなく全世界的に精神医学的研究が活発に行われている昨今,科学研究を生業としない一臨床家であっても,海外で行われている研究に無関心ではいられない.最新情報を入手するためには海外で発表される文献にも目を向ける必要があるが,そこで問題となるのが,言語の違いである.ドイツ医学が世界をリードしていた頃とは異なり,現在の国際共通言語は,精神医学においても英語である.英語文献にふれる際,原文のまま読みこなす人もいれば,翻訳に頼る人もいるだろう.翻訳や語学の専門家が精神医学関連文献の翻訳を担当することもあるが,精神医療関係者自身が翻訳を行うことも珍しくない.しかし,どれだけ翻訳に正確を期しても,原文の細かいニュアンスまで訳しきることは至難の業である.幸い,文学作品とは違って,科学論文は明確を旨として書かれており,誤訳は別として,微妙なニュアンスの違いが大きな問題となることは少ない.だが,それでも,英語文献を読んでいて,「この箇所は,どう訳すのが適切なのだろうか」と思ったり,和訳を読んでいて「もっとよい訳し方はないだろうか」と考えたりすることはある.本稿では,著者が感じるそうした一例についてふれたい.

I.助動詞“may”について
 本稿で取り上げるのは,英語の助動詞“may”の翻訳である.日本の英語教育では比較的初期に習う基本単語であるが,和訳する際にはいくつかのバリエーションがあり,学校の試験や職業上の英文和訳で悩まされた方もおられるのではないだろうか.英語を母語とする学生が使用している文法書7)は,“may”の用法として“permission”と“possibility”を挙げている(p.128~133).また,著者の手元にある英和辞典6)では,「ある行為・認識に対して『それを妨げるものがない』ということを示す」のが“may”の中核的意味であると説明しており,「行為の場合は『…してもよい』,認識の場合は『…かもしれない』の意になる」としている(p.1019).さらに,別の英和大辞典5)で“may”の項目をみると,その主たる用法として,第一に推量・可能性,第二に認可・許容が記載されており,前者の訳語の例として「…することがある」「…かもしれない」,後者の訳語の例として「…してもよい」が挙げられている.その他,譲歩を表現する用法もある(p.1673).精神医学文献においてこの“may”にあてる日本語訳について,以下に考察する.

II.DSM-5における“may”の使用例
 ここでは,そのための材料として,DSM-5原書1)とその日本語版4)の診断基準から例文を挙げる.DSM-5を材料とする理由は,おそらく日本の精神科医にとっては最も身近な英文和訳文献の1つであり,その訳文は十分吟味されているからである.なかでも,各診断カテゴリーの診断基準の訳文には,細心の注意が払われているであろう.最初に断っておくが,出版されている日本語版DSM-5を批判しようとしているのではない.あの大部の書物を短期間に,しかも多くの方のチームプレーで翻訳しきった労力は大変なものであったに違いなく,多大な敬意を払う.ここで著者が行おうとしているのは,異なる訳文の感じ方の違いに目を向けることであって,翻訳の正誤を問題にするのではない.
 DSM-5の診断基準を概観すると,“may”には,3通りの訳語があてられているようである.これらを,例文とともに以下に挙げる.分担翻訳であるため訳者によって訳文の傾向が異なるかもしれないので,できるだけ多くの診断カテゴリーから例文を挙げた.DSM-5診断基準における“may”の使用箇所をすべて網羅しているわけではないが,先述した主な用法はほぼカバーされている.括弧内は,原書もしくは訳書の該当ページである.

1.推量・可能性「…かもしれない」
①注意欠如・多動性障害の診断基準
 In adolescents or adults, may be limited to feeling restless.(p.60)
 青年または成人では,落ち着かない感じのみに限られるかもしれない.(p.59)
②双極性障害および関連障害群の特定用語
 Fear that something awful may happen(p.149)
 何か恐ろしいことが起こるかもしれないという恐怖(p.149)
③強迫性障害の診断基準
 Young children may not be able to articulate the aims of these behaviors or mental acts.(p.237)
 幼い子どもはこれらの行動や心の中の行為の目的をはっきり述べることができないかもしれない.(p.235)
④身体症状症の診断基準
 Although any one somatic symptom may not be continuously present, the state of being symptomatic is persistent.(p.311)
 身体症状はどれひとつとして持続的に存在していないかもしれないが,症状のある状態は持続している.(p.307)
⑤不眠障害の診断基準
 In children,this may manifest as difficulty initiating sleep without caregiver intervention.(p.362)
 子どもの場合,世話する人がいないと入眠できないことで明らかになるかもしれない(p.356)
⑥早漏の診断基準
 Although the diagnosis of premature(early)ejaculation may be applied to individuals engaged in nonvaginal sexual activities, specific duration criteria have not been established for these activities.(p.443)
 腟以外の性行為を行う人に早漏の診断が適用されるかもしれないが,このような行為には特定の時間基準は定まっていない.(p.435)
⑦オピオイド中毒の診断基準
 This specifier may be noted in the rare instance in which hallucinations…occur in the absence of a delirium.(p.546)
 この特定用語は,(中略)錯覚がせん妄の存在なしに起こる,まれな例で記されるかもしれない.(p.539)
⑧軽度認知障害の診断基準
 i.e., complex instrumental activities of daily living such as paying bills or managing medications are preserved, but greater effort, compensatory strategies, or accommodation may be required.(p.605)
 すなわち,請求書を支払う,内服薬を管理するなどの複雑な手段的日常生活動作は保たれるが,以前より大きな努力,代償的方略,または工夫が必要であるかもしれない.(p.596)
 以上の例のうち,例文④,⑥,⑧には,譲歩のニュアンスも感じられる.また,例文⑦は,認可・許容の用法とも解釈しうる.しかしいずれも,推量・可能性と解しても矛盾はないので,ここでまとめて取り扱う.

2.推量・可能性「…ことがある」「…場合がある」
⑨自閉症スペクトラム障害の診断基準
 Symptoms must be present in the early developmental period(but may not become fully manifest until social demands exceed limited capacities, or may be masked by learned strategies in later life).(p.50)
 症状は発達早期に存在していなければならない(しかし社会的要求が能力の限界を超えるまでは症状は完全に明らかにならないかもしれないし,その後の生活で学んだ対応の仕方によって隠されている場合もある).(p.49)
 例文⑨の前半は「…かもしれない」の例で,一文に1と2が混在している.
⑩大うつ病性障害の診断基準
 Responses to a significant loss…may include the feelings of intense sadness, rumination about the loss, insomnia, poor appetite, and weight loss noted in Criterion A, which may resemble a depressive episode.(p.161)
 重大な喪失(中略)への反応は,基準Aに記載したような強い悲しみ,喪失の反芻,不眠,食欲不振,体重減少を含むことがあり,抑うつエピソードに類似している場合がある.(p.161)
⑪社交不安障害の診断基準
 In children, the fear or anxiety may be expressed by crying, tantrums, freezing, clinging, shrinking, or failing to speak in social situations.(p.202)
 子どもの場合,泣く,かんしゃく,凍りつく,まといつく,縮みあがる,または,社交的状況で話せないという形で,その恐怖または不安が表現されることがある.(p.201)
⑫心的外傷後ストレス障害の診断基準
 In children, there may be frightening dreams without recognizable content.(p.271)
 子どもの場合,内容のはっきりしない恐ろしい夢のことがある.(p.269)
⑬解離性同一性障害の診断基準
 These signs and symptoms may be observed by others or reported by the individual.(p.292)
 これらの徴候や症状は他の人により観察される場合もあれば,本人から報告される場合もある.(p.290)
⑭神経性やせ症の診断基準
 The level of severity may be increased to reflect clinical symptoms, the degree of functional disability, and the need for supervision.(p.339)
 重症度は,臨床症状,能力低下の程度,および管理の必要性によって上がることもある.(p.333)

3.認可・許容「…してもよい」
⑮統合失調症の診断基準
 This 6-month period…may include periods of prodromal or residual symptoms.(p.99)
 この6カ月の期間には,(中略)前駆期または残遺期の症状の存在する期間を含んでもよい.(p.99)
⑯アルコール使用障害の診断基準
 With the exception that Criterion A4…may be met.(p.491)
 例外として,基準A4(中略)は満たしてもよい.(p.484)
 これらの用法のうち,3の認可・許容「…してもよい」は,診断基準を臨床場面で適用する際のルールを説明する文脈で,満たすべき条件について補足している.この“may”の用法は,意味合いが1,2の推量・可能性とは明らかに異なるので,ここでは取り上げない.

III.考察
 本稿で問題としたいのは,1と2のニュアンスの違いである.その意味するところはいずれも推量・可能性であり,試みに両者を入れ替えてみればわかるように,大きくは変わらないように思える.例えば,例文①の「青年または成人では,落ち着かない感じのみに限られるかもしれない」を,「青年または成人では,落ち着かない感じのみに限られることが(も)ある」としても,不自然さはないし大意もほぼ変わらない.だが,著者には,微妙なニュアンスの違いがあるように感じられる.第一の違いは,集団をみているか個人をみているかであり,第二の違いは,主観と客観の違いではないだろうか.この2つの違いについて以下に述べる.

1.第一の違い
 ある疾患のケースを一定数検討して,特定の性質を示すケースと示さないケースが混在している場合は,「…こと(場合)がある」という表現のほうが適切に感じられる.該当するケースと該当しないケースの両方の存在がわかっているからである.つまり,その性質が認められるケースと認められないケースとが両立しているのである.これは集団をみていることになる.一方,ある単独ケースについて考えるときには,そのケースが特定の性質を示しているか示していないかのどちらかであって,両立はしない.このように個人をみる場合は,「…かもしれない」という表現のほうがよいように思える.その性質が,その人にあるかもしれないし,ないかもしれないということである(これらはすべて,現在の事実の可能性について言及している.上記例文②として挙げた双極性障害および関連障害群の特定用語「何か恐ろしいことが起こるかもしれないという恐怖」の用法は,将来についての推量であって,ここでの考察はあてはまらない).
 再び,上記例文①の,注意欠如・多動性障害の診断基準で考えてみよう.DSM-5の訳文は,「青年または成人では,落ち着かない感じのみに限られるかもしれない」となっている.ある日外来を訪れた青年患者が注意欠如・多動性障害の診断基準を満たすかどうか検討していくと,その患者の症状は,落ち着かない感じのみに限られるかもしれないし,そうでないかもしれない.事実はそのどちらかであって,両立はしない.一方,ある研究の対象となった注意欠如・多動性障害患者を一定数みてみると,青年患者のなかで,落ち着かない感じのみに限られるケースと限られないケースが混在していることがわかる.この場合,両立しうる事実をみており,落ち着かない感じのみに限られることもあるし,そうでないこともあるということになる.

2.第二の違い
 いずれも推量・可能性の表現ではあるが,「…こと(場合)がある」は事実の可能性を述べていて,より客観的な印象を受ける.これに対して,「…かもしれない」は推量の意味合いが強く,話者の主観がより色濃く感じられる.実際,国語辞典3)で「かもしれない」の項を参照すると,「話し手の不確実な判断を表わす」と説明されている(p.1023).英文法2)では,“may”“can”“will”などは法助動詞と呼ばれ,「文で述べられている内容についての話者の心的態度の表明」という機能を担うと説明されている(p.113).したがって,原語“may”にすでに主観的なニュアンスが含まれているわけではあるが,訳語によって,そのニュアンスに強弱を感じるのである.

 以上2点の違いを踏まえると,DSM-5のような診断基準の訳文としては,どちらがふさわしいだろうか.訳文としてはどちらも誤りとはいえず,先に述べたように,これは,正誤を問題にしているのではない.第一の違いに関しては,診断基準というものをどう捉えるかという問題になろう.すなわち,診断基準を,あくまで個々の患者の評価ツールと考えるなら,個人をみていることになるので,「…かもしれない」のほうがしっくりする.他方,診断基準を,ある疾患の疾患概念を規定するものと捉えるなら,集団をみていることになるので,「…こと(場合)がある」のほうがふさわしいと思う.第二の違いに関しては,診断基準は可能な限り客観的なものであるべきことを考えると,「…こと(場合)がある」のほうが適切のように思える.もし,どちらかに統一しろと言われれば,著者であればこちらを選択すると思う.

おわりに
 最近,いくつかの精神医学関連文献を翻訳する機会があったので,その作業のなかで考えさせられたことを記した.翻訳というのは,ただ単に外国語を日本語に置き換えていく作業ではない.原文の外国語を理解することのみにとどまらず,訳文の日本語に関しても感性を研ぎすます必要があり,想像力と創造力を要求される知的な営みでもある.多忙ななか,多くの外国語文献を和訳してわれわれの視野を広げてくれる,多くの翻訳者たちに感謝したい.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

1) American Psychiatric Association: Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, 5th ed (DSM-5). American Psychiatric Publishing, Arlington, 2013

2) 村田勇三郎, 成田圭市: 英語の文法. 大修館書店, 東京, 1996

3) 日本国語大辞典第二版編集委員会, 小学館国語辞典編集部: 日本国語大辞典第2版第3巻. 小学館, 東京, 2001

4) 日本精神神経学会 日本語版用語監修, 髙橋三郎, 大野 裕訳 : DSM-5精神疾患の診断・統計マニュアル. 医学書院, 東京, 2014

5) 小学館ランダムハウス英和大辞典第二版編集委員会: ランダムハウス英和大辞典第2版. 小学館, 東京, 1994

6) 田中茂範, 武田修一ほか編: Eゲイト英和辞典. ベネッセコーポレーション, 東京, 2003

7) Thompson, A. J., Martinet, A. V.: A Practical English Grammar, 4th ed. Oxford University Press, Oxford, 1986

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