Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第122巻第5号

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特集 近年の自然災害から学ぶ精神保健医療支援の実際―身近な地域での災害発生に備えて―
岡山県におけるDPAT活動について
野口 正行
メンタルセンター岡山(岡山県精神保健福祉センター)
精神神経学雑誌 122: 378-385, 2020

 西日本を襲った平成30年7月豪雨にて,岡山県も大きな被害を受けた.これを受けて2018(平成30)年7月7日より,岡山県では災害派遣精神医療チーム(DPAT)を組織した.岡山県DPATは調整本部と巡回チームで構成され,7月7日より27日まで活動を行った.DPATの活動は主に避難所を巡回し,保健師チームからの支援依頼を受けて相談や診療を行った.全期間において,診療を行わない相談が40件,診療が56件であった.主訴では不安(18事例:34.0%)が最多であり,診断は適応障害(15事例:28.3%)が最多だった.DPATの課題は多いが,本稿では調整本部の立ち上げと運営に関する点として以下の5つを取り上げた.①DPAT立ち上げや外部支援導入の基準の明確化,②県内の災害対応の体制,調整本部立ち上げのルール,各病院への準備の周知,情報伝達方法の整備,③調整本部と活動拠点本部の役割分担,④DPAT事務局(東京)や厚生労働省との適切な情報共有,⑤混乱した災害下における状況把握と判断の体制整備.DPAT先遣隊については全国的に整備が進んでいるなか,最近では被災した場合の受援体制の整備に関心が集まっている.上記の点を考慮に入れた形で今後の受援体制についても検討することが重要であると考えられる.

索引用語:DPAT, 災害, 精神科, 適応障害, 受援体制>

はじめに
 2018(平成30)年7月5日より梅雨前線の停滞が続き,西日本ではこれまでに経験したことがないような長時間にわたる豪雨に見舞われた.岡山県はもともと「晴れの国」として災害が少ない県であることで知られていたが,今回の豪雨では大きな被害が出た.この被害に対して,岡山県では災害派遣精神医療チーム(Disaster Psychiatric Assistance Team:DPAT)を県内で組織したが,DPATの活動では多くの課題に直面することになった.ここですべての課題について取り上げる余裕はないため,本稿では,調整本部の立ち上げとDPATの組織化という点について,特に情報量のコントロールという観点から取り上げてみたい.

I.岡山県における被害状況
 平成30年7月豪雨では,岡山県において特に倉敷市を中心に大きな被害が出た.被害状況の概要2)を以下に示すと,災害関連死を除き,死者が61名(うち,倉敷市52名)であり,行方不明者3名であった.住家被害も甚大であり,全壊が4,830棟(うち,倉敷市4,646棟),半壊が3,364棟(うち,倉敷市846棟),一部損壊1,126棟(倉敷市369棟,総社市523棟),床上浸水1,540棟,床下浸水5,507棟であった.床上浸水,床下浸水は同じ豪雨災害で河川が決壊した岡山市に多かったが,住家の全壊は倉敷市が非常に多かったのが特徴的である.避難者は2018年7月10日がピークで,約4,000名で,避難所数はピーク時が57ヵ所であった.
 被害は岡山県全域に広がっていたが,医療支援ニーズは倉敷市の真備町を中心とした比較的限局した地域に集中した.職員が被災したり災害当初に水道や電気が止まった精神科病院もあったが,不幸中の幸いであったのは,重篤な機能低下をきたした精神科医療機関がなかったことである.そのため,DPATの活動も比較的早期に終了できることは予測されていた.

II.DPAT活動
 2018年7月7日に,岡山県庁にある保健福祉部に県災害医療本部が,医療推進課に災害派遣医療チーム(Disaster Medical Assistance Team:DMAT)調整本部が立ち上がった.同日,精神保健の担当課である健康推進課にDPAT調整本部が立ち上がった(表1).当初は,岡山県精神保健福祉センターセンター長を務める著者が県外出張で不在であったため,国のDPAT統括の研修を受けたばかりの同じ所属の精神科医が統括者となり,健康推進課の職員3名と岡山県精神保健福祉センター職員1名で調整本部を構成した.
 当初は被害についての情報はほとんど入らず,状況把握が非常に難しかった.精神科病院については,広域災害救急医療情報システム(Emergency Medical Information System:EMIS)で確認しても,病院の被災状況は入力されていないことがほとんどであった.このため,調整本部の担当者がすべての精神科病院に電話連絡を入れて確認をとった.被災地の病院は電話がつながりにくく,なかなか状況がわからなかった.7月8日にDPAT先遣隊を派遣し,またその後の電話連絡などで,被災地の病院で水道が止まっており,停電になっていることが確認できた.病院に必要な支援の情報については,担当者によって異なる要請が出る場合もあり,ひとつひとつの用件を受付け,確認,解決するために非常に時間がかかった.
 被災地支援としては,7月10日にDPAT先遣隊が避難所巡回チームを組織し,7月11日より避難所に赴くこととなった.実際に支援を行った状況を表2および表3に示した.ピークは7月16日でそれ以降も散発的に相談や診療を行ったが,それほど多くはなかった.なお,こうした支援は主に避難所に詰めていた保健師からの要請に応える形で行った.実際に診察を行った事例では,主訴は不安が18事例(34.0%)と最多で,診断も適応障害が15事例(28.3%)と最多であった.
 DPAT調整本部は,岡山県保健医療調整本部が7月17日に倉敷市に移ったのに合わせて,倉敷市にある備中保健所に場所を移した.そこで巡回チームの情報や倉敷市保健所,備中保健所,そして7月12日よりすでに同保健所に入っていた災害時健康危機管理支援チーム(Disaster Health Emergency Assistance Team:DHEAT)とも協議を行い,DPATの終結を見据えながら対応を協議した.最終的には7月27日をもってDPATは終了とし,その後は市町村,保健所,岡山県精神保健福祉センターによる既存の精神保健活動で支援することとなった.

表1画像拡大表2画像拡大表3画像拡大

III.活動の課題
 以下に今回のDPAT活動について課題を確認しておく.課題は多岐にわたるが,ここでは特に受援体制,主にDPAT調整本部の立ち上げと運営に関する点を取り上げる.なおこれは,あくまでもDPAT統括として調整本部の運営にかかわった著者の個人的見解であることをはじめに確認しておきたい.
 課題を以下に挙げる.
 ①DPAT立ち上げや外部支援導入の基準の明確化
 ②県内の災害対応の体制,調整本部立ち上げのルール,各病院への準備の周知,情報伝達方法の整備
 ③調整本部と活動拠点本部の役割分担
 ④DPAT事務局(東京)や厚生労働省との適切な情報共有
 ⑤混乱した災害下における状況把握と判断の体制整備
 以下,それぞれについて簡単に説明する.

1.DPAT立ち上げや外部支援導入の基準の明確化
 今回の災害対応でまず困ったのは,DPAT立ち上げの基準が明確ではなく,立ち上げの判断に迷ったことである.この判断は重大なものであるが,DPAT統括者による個人的判断による部分が大きいところがある.今後の災害のケースでは災害医療対策本部の立ち上げを受けて,統括者と都道府県担当課,DPAT先遣隊派遣病院と協議して行うのが適切だろう.DPAT事務局がこの点で適切なアドバイスを与えられるとよいかもしれない.
 同じく,DPATの外部支援を要請する基準も明確なものがなく,非常に迷うところであった.最終的に,保健医療調整本部,健康推進課,保健所,DPAT先遣隊派遣病院などとの協議により,今回は外部支援を依頼しないという判断に至った.この点でもDPAT事務局と相談しながら,外部支援の導入の是非,そのタイミングと要請チーム数などのアドバイスをもらえるとよいように思われる.

2.県内の災害対応の体制,調整本部立ち上げのルール,各病院への準備の周知,情報伝達方法の整備
 岡山県はこれからDPATの体制整備を行う段階で今回の災害を被った.そのため,調整本部をどういう構成で運営するかも決まっていなかった.この点は災害時の業務の優先順位を決めて,事前に想定しておくことが必要である.また県内の精神科病院でのEMIS入力の周知もできておらず,また,病院での非常時の水や電気の確保などが十分ではなかった.発災後にDPAT調整本部で水の確保に向けて災害対策本部に連絡をとったが,被災の混乱でなかなか回答が得られなかった.その後も生活衛生課や市町村などへの連絡にかなり時間を費やした.また,停電によって電話が使えなくなると,病院の被災状況や支援ニーズについて連絡がとれないため,最終的にDPAT先遣隊が現地に出向くなどでようやく確認できたこともあった.また病院としての支援ニーズについて,異なる部署から異なる内容の依頼もあり,災害時の院内の情報収集と院外への情報発信の窓口の整理など,災害発生時の院内の体制整備も課題であると考えられた.

3.調整本部と活動拠点本部の役割分担
 今回の災害支援は倉敷市が中心であったが,DPAT調整本部を岡山市の岡山県庁内に立ち上げた.岡山県庁から被災地の倉敷市真備町までは30 kmほど距離があるが,今回のDPATの編成が,先遣隊と調整本部のみという小規模な構成だったこともあり,先遣隊がそのまま巡回チームとなり,真備町とその周辺の避難所を巡回し,調整本部に報告するという形になった.
 振り返れば,より真備町に近い倉敷市に活動拠点本部を設置し,そこで巡回チームから事例に関する報告を受けたほうがよかったと思われる.この理由としては,①倉敷市保健所に保健医療調整本部が立ち上がっていたこと,②保健師チームも倉敷市保健所で情報共有会議を行っていたこと,③被災地の支援ニーズの把握と急な支援依頼にも被災地に近いところで調整したほうが効率的であったことなどが挙げられる.今回のマンパワーでは活動拠点本部の設置は難しかったが,県内精神科医療機関の協力が得られれば,それが可能になっただろう.大きな災害になれば,精神科医の協力を広く呼びかけることが大切になると考えられる.

4.DPAT事務局(東京)や厚生労働省との適切な情報共有
 災害時にもDPAT事務局や厚生労働省からは頻回に状況把握のための連絡があり,それらの対応にかなり時間をとられた.災害対応で忙殺されているわれわれからすると,頻回な連絡は正直苦痛であったが,DPAT事務局や厚生労働省からすれば,被災地の状況がわからないため,支援提供がニーズにマッチしているのか,今後の対応がきちんと準備できているのか,心配だったのだろう.
 この点ではDPAT事務局から連絡調整員を派遣してもらい,DPAT事務局と厚生労働省との連絡を担ってもらったほうがよかったと考えられる.そうすることで調整本部は被災地支援に集中できただろう.また先にも述べたが,被災地のDPAT調整本部では外部のDPATを要請すべきか,どのタイミングで要請すべきかなどについて判断に苦慮する.このような重大な判断については,DPAT事務局からの派遣調整員と相談してアドバイスをもらえたほうがより適切な判断が可能になったと思われる.

5.混乱した災害下における状況把握と判断の体制整備
 これまでの課題のまとめのような形になるが,今回の被災の現場で一番困ったのは情報の氾濫であった.ニュースなどで多くの避難者がいることが推測できたが,最初のうちは支援要請やそれに関する連絡などはまったく入ってこなかった.もちろんこのことは支援ニーズがないことをまったく意味しない.少し遅れて連絡が次々と入ってくるが,内容もさまざまである.水やトイレの支給の要請,避難所からの支援要請,外部支援者からの支援希望,学校関係者からスクールカウンセラーについての助言要請,DPAT事務局をはじめ各方面からの問い合わせや報道関係者からの取材要請もくる.多種多様な連絡が無秩序に入ってくるので,情報の整理に苦労する.一方で,支援ニーズは断片的情報や不正確な情報も多いので,保健所,DPAT先遣隊,災害保健医療対策本部,医療救護班など多方面に連絡をとって総合的に判断しなければならない.逆にその経過のなかで,必要な支援情報が埋もれてしまうこともある.
 こうした事態に対しては,調整本部の人員体制を増やすことも必要になる.DPAT活動マニュアル1)では調整本部の具体的な人員体制については書かれていない.しかし,統括者,連絡調整係,記録(クロノロ)作成係,パソコンに記録を打ち込む係で最低4名は必要である.もっとも,この人数では同時に連絡が入ったときの対応,協議や会議への参加ができないため,最低6名はいたほうがよいだろう.精神科病院の患者の転院調整業務が入ったり,外部からの支援を要請したときには,さらにその対応や調整が必要になるため,外部からのDPAT先遣隊が調整本部の立ち上げ支援に入るなどで人員を相当増やさないと対応ができなくなる.この点についてはにまとめた.
 また,こうした人員体制の増強だけではなく,そもそもの情報の整理によって情報の氾濫を防ぐことも必要であろう.そのための方法はいくつか考えられる.
 ①災害への事前準備を精神科病院も行っておくことである.被災直後の時期の水や電気不足をしのぐことができれば,それでなくても混乱しやすい情報収集や支援で混乱することが少なくなる.また病院の災害時体制ができていれば,被災状況や支援ニーズの把握がスムーズになり,調整本部での支援調整がかなり効率的になる.
 ②活動拠点本部を立ち上げて,そこが被災地の支援ニーズと巡回チーム派遣の調整を担えば,調整本部は活動拠点本部から上がってくる被災地の支援ニーズの過不足を把握して,支援の増員や減員についての判断を行いやすくなる.
 ③厚生労働省やDPAT事務局の連絡調整員がいれば,それらとのやりとりを一任できる.
 こうした情報の整理をひとつひとつ積み上げることで情報量のコントロールがかなり行いやすくなると思われる.災害時には混乱した情報が次々入ることで,それでなくても情報が伝わりにくい状態をさらに増悪させる.普段なら10分ぐらいで済む用件に何時間もかかることもある.それが支援の遅れを招き,被災者や関係者の不満や焦りを悪化させる.またさまざまな用件が矢継ぎ早に入れば,当然伝達が漏れたり,連絡が遅れたりするリスクが高くなる.そのために督促の連絡を追加しなければならなくなり,それでなくても渋滞している情報伝達の流れをさらに混乱させる.こうした情報の氾濫が悪循環を招く事態をなるべく整理して,情報量をコントロール可能な範囲にするために,上に述べたように組織体制や情報伝達のルールを工夫するのが大切であろう.もちろん災害時に混乱はつきものであるので,混乱をすべてなくすことは現実的ではない.しかし,情報の氾濫による悪循環は気合だけで乗り切れるものではない.合理的な工夫はかなりの程度可能であり,それによってより迅速で効果的な支援が可能になると期待される.

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おわりに
 平成30年7月豪雨から1年経った2019(令和元)年度にも,台風19号をはじめ豪雨災害が多発し,多数の河川の決壊と浸水という被害をもたらした.これからは毎年どこかで水害が起こることを想定せざるをえない状況である.台風19号で明らかになったのは,災害が同時多発する状況ではDPATの外部支援も難しくなることである.災害では次々と想定外のことが起こってくるため,事前の準備でできることには限界がある.しかし,受援体制を整備して,情報の混乱を早期に収拾し,現場から適切で必要度の高い支援ニーズを収集し,迅速な支援を提供することはある程度可能だろう.情報量のコントロールという観点から,災害に備えた準備,災害時の調整本部と活動拠点本部の適切な役割分担,DPAT事務局などとの連絡などを検討したが,このような点についてあらかじめ準備しておくことが必要であると考える.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

 謝 辞 岡山DPATの運営にご協力いただいた,岡山県精神科医療センター,岡山県健康推進課,岡山県備中保健所,倉敷市役所,総社市役所,岡山県精神保健福祉センター職員をはじめ,関係者に深謝いたします.

文献

1) DPAT事務局: DPAT活動マニュアル. version 2.1. (https://www.dpat.jp/) (参照2019-01-03)

2) 岡山県: 平成30年7月豪雨災害からの復旧・復興ロードマップ. 平成30年8月 (令和元年7月改訂). (http://www.pref.okayama.jp/page/626080.html) (参照2019-01-03)

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