Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第122巻第10号

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総説
精神障害の労災認定後の長期療養の現状と課題
黒木 宣夫1)2)
1)医療法人社団宣而会勝田台メディカルクリニック院長
2)東邦大学名誉教授
精神神経学雑誌 122: 723-733, 2020

 精神障害などによる労災請求件数は毎年,過去最高を更新し,2018年度は1,820件(前年度比88件増),実際に労災認定された件数は2017年度506件,2018年度465件でやや減少しているが,「自殺ではない精神障害」の労災請求件数は,2017年度1,511件,2018年度1,620件と増加しており,今後も増加するものと推測される.精神障害の社会保険の障害給付の場合は,どんなに遅くとも傷病の初診日から1年6ヵ月が経過した日に障害認定されるが,労災保険の障害給付の場合は,原則としてその傷病が治ゆしない限り障害認定はされない.そのため精神障害が労災認定された後,治ゆに至らない精神障害事例の長期療養が大きな社会問題になりつつある.本稿では,労災保険,労災認定,労災保険給付,労災保険法による治ゆ(症状固定)の考え方などを報告した.さらに2014年度から2017年度までの労災疾病臨床研究事業に関して,その調査結果を報告した.2016年度,2017年度の合体調査で,療養者のなかで職場復帰をしていない事例は,療養期間が長期化するに従い,その割合が増えていた.また2016年度調査で治ゆしていない事例(145例)の3年以上の療養事例は91%(132例)であり,ほとんどの事例が療養期間が長期化することが明らかになった(P<0.0001*).

索引用語:労災認定, 長期療養, 休業補償, 療養補償>

はじめに
 精神障害の労災請求件数は,「認定基準」14)が運用された2012年から2018年までの6年間に9,398件,同期間の労災認定件数15)は2,743件(認定率は29.2%)に及び,「自殺ではない精神障害」の労災認定件数が増加してきている.労働社会保険の障害給付には,労災保険の障害給付と社会保険(厚生年金・国民年金など)の障害給付の2種類があり,各々の保険制度で年金給付と一時金給付が定められている.社会保険の障害給付の場合は,どんなに遅くとも傷病の初診日から1年6ヵ月が経過した日に障害認定されるが,労災保険の障害給付の場合は,原則としてその傷病が治ゆしない限り障害認定はされない.第115回日本精神神経学会学術総会の教育講演では労災保険,労災認定,労災保険給付などを説明し,今まで実施してきた労災疾病臨床研究事業の調査結果を報告のうえ,精神障害の労災認定後の長期療養者の特徴や特性を考察し,早期復職や社会復帰の対策などに言及した.

I.労災保険と労災認定
1.労災保険16)
 労災保険とは,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」)に基づく制度で,業務上災害または通勤災害により,労働者が負傷した場合,疾病にかかった場合,障害が残った場合,死亡した場合などについて,被災労働者またはその遺族に対し所定の保険給付を行う制度である.また,このほかに被災労働者の社会復帰の促進,遺族の援護などを行っている.業務上災害(「業務災害」)とは,労働者が就業中に,業務が原因となって発生した災害で,業務上災害については,労働基準法(以下「労基法」)に,使用者が療養補償その他の補償をしなければならないと定められている.したがって労災保険に加入している事業所で働いている労働者が,業務中または通勤途中で負傷した場合に,病院で所定の書式を提出すると,労働局から病院へ医療費が直接支払われる.

2.労災認定1)
 労働基準監督署が保険給付の原因となった災害,すなわち負傷,疾病,障害または死亡が業務によって発生したものかどうかを判断することを一般に「労災認定」と呼んでいる.そして,その負傷,疾病,障害または死亡が仕事によるものは「業務上」として労災保険が適用され,仕事によらないものは「業務外」として健康保険の適用を受けることになる.「業務災害」とは,仕事が有力な原因となって発生した災害をいい,労働者の負傷,疾病,死亡を含んでいる.

II.主な労災保険給付の種類9)10)12)16)
1.療養(補償)給付
 業務上災害による傷病に必要な給付を「療養補償給付」といい,通勤災害による傷病に必要な給付を「療養給付」,これらを合わせて「療養(補償)給付」というが,これらの傷病について,労災病院または労災指定医療機関などで療養する場合に給付される(IIIを参照).

2.休業(補償)給付
 業務災害または通勤災害による傷病に係る療養のため労働することができず,賃金を受けられない日が4日以上に及ぶ場合に支給される.業務上または通勤による負傷や疾病による療養であること,労働することができないこと,賃金を受けていないことという3要件を満たす場合に,その第4日目から,休業(補償)給付と休業特別支給金が支給される.

3.障害(補償)年金
 業務上または通勤による負傷や疾病が治ったときに身体や精神に一定の障害が残った場合に,その障害の程度に応じて障害(補償)給付が支給される.障害の程度に応じて障害等級第1級から第7級までに該当する障害が残存している場合に年金が支給される.

4.障害(補償)一時金
 業務災害または通勤災害による傷病が治ったとき(症状固定時)に,障害等級第8級から第14級までに該当する障害が残存した場合に支給される.

5.遺族(補償)年金
 労働者の死亡の当時その収入によって生計を維持していた遺族であり,妻以外の遺族にあっては一定の年齢または障害の状態にある者のみが受給資格者とされる.遺族補償年金は,すべての受給資格者に支給されるのではなく,受給資格者のうち最先順位の者(受給権者)に支給される.

III.労災保険の障害給付
 労働社会保険の障害給付13)には,労災保険の障害給付と社会保険(厚生年金・国民年金など)の障害給付の2種類があり,各々の保険制度で年金給付と一時金給付がある.国民年金・厚生年金の場合は,初診日から1年6ヵ月を経過した障害認定日に障害の等級に該当する障害年金を受け取ることができるが,労災保険の障害補償給付は,治ゆ(症状固定)しない限り,障害認定しないという基本原則があり,障害認定までの期間は定められていない.
 しかし,労災保険による療養開始日から1年6ヵ月(以上)経過した時点で,療養(補償)給付と休業(補償)給付の両方を受けている場合は「傷病の状態等に関する届書」を労働基準監督署に提出し,その届書で「労働能力喪失率100%」と判定されると,労働基準監督署長の職権で傷病(補償)年金という障害(補償)年金に準じた労災保険給付(傷病補償年金)が支給される.

IV.企業の解雇制限,打切補償17)18)
 労災により休業している労働者に対する解雇は,原則として禁止されている(労基法19条1項).しかし,①症状が固定して30日経過した場合,②使用者が打切補償を支払った場合,③傷病補償年金が支給され3年経過した場合,④天災等により事業の継続が不可能となった場合には解雇が可能となる.したがって療養(補償)給付を受けている労働者の傷病が「治ゆ(症状固定)」に至らない場合は,使用者は労働者を解雇できない.
 労災保険による療養開始後1年6ヵ月経過しても治らず,傷病等級(1~3級)に該当し,その状態が継続している場合に給付基礎日額313~245日分の傷病補償年金が支給(労災保険法12条の8第3項)された場合には,療養開始後3年経過すると解雇制限が解除される(労災保険法19条,労基法19条1項)ため,使用者は該当する労働者を解雇できる.
 「打切補償」とは,労基法81条が定める「第75条の規定(使用者の療養補償義務)によって補償を受ける労働者が,療養開始後3年を経過しても負傷又は疾病が治らない場合においては,使用者は,平均賃金の1,200日分の打切補償を行い,その後はこの法律の規定による補償を行わなくてもよい」という使用者負担を軽減する趣旨で規定している免責措置である.打切補償の対象は,業務上認定された事例で,傷病補償年金受給者以外のすべての事例を含む.使用者は,打切補償を支払うことを条件に労基法に基づくすべての補償責任(解雇制限も解除される)を免れる制度である.

V.労災保険法による治ゆ(症状固定)8)12)17)
 労災保険法には,治療を補償する側面と後遺障害に対しての補償という2つの側面がある.たとえ疾病の程度が軽度であっても業務上と認定されれば,速やかに労災保険が適用されて,治療が開始され,できる限り後遺症を残さないような治療法が施され,社会復帰が促進される.労災保険では,業務上または通勤による負傷や疾病が治ったときに身体や精神に一定の障害が残った場合に,その障害の程度に応じて障害(補償)給付が支給される.労災保険で「治ゆ」という判断は,療養を継続して十分な治療を行ってもなお症状の改善の見込みがないと判断され症状が固定されているときを指し,症状が固定したという状態でその判断がなされている.しかし,労災患者の自覚的症状が消失していない場合には,その判断が非常に困難なことが少なくない(図1).
 非器質性精神障害は,業務による心理的負荷を取り除き適切な治療を行えば,多くの場合完治するのが一般的であるという観点から,第9級以下の三段階評価となっているため,残存した場合には障害に合わせて障害等級第9級から第14級までの後遺障害(補償)一時金が支給される.

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VI.現在までの療養補償に関する調査研究
1.2014年1月の日本産業精神保健学会と日本精神神経学会合同調査2)
 日本精神神経学会専門医のなかから無作為に5,000名を抽出し,2014年1月14日から3月9日まで労災認定に関する調査用紙をメールで配信し,537名から有効回答が得られた.重度の統合失調症を除いて,うつ病,神経症,ASD(acute stress disorder:急性ストレス障害)・PTSD(posttraumatic stress disorder:心的外傷後ストレス障害),適応障害,心因性うつ病は8割以上の精神科医が2年以内に病状が安定し,重度の統合失調症を除いて8割以上の精神科医が3年以内に職場復帰可能と回答していた(図2).

2.2014年度の労災疾病臨床研究事業(業務に関連した精神科医療の現状と早期復職に関する研究)3)
 全国の大学病院精神科(129名),労災病院精神科(23名),ならびに2013年度に労災認定が10件以上決定された都道府県に存在する精神科診療所の責任者(1,608名),合計1,760名に精神障害の労災認定に関するアンケート調査(回収数360施設,回答率20.5%)を実施,さらに実際に労災認定された事例217例についてもアンケート調査を行い,分析検討を加えた.精神科専門医あるいは精神保健指定医は342名(95.0%)であった.精神疾患の適切な療養期間に関しては,「3年以内」は268名であり,全体の75.5%を占めていた.症状固定(治ゆ)と判断される場合の状態については,「臨床的に『問題ない程度』にまで状態が改善した状態を症状固定(治ゆ)とする」が最も多く140名(39.1%),次に「服薬を続けていても6ヵ月ほどの安定した状態が継続したら症状固定(治ゆ)と判断する」が127名(35.5%)であった.

3.2015年度の労災疾病臨床研究事業4)
 2015年8月に都道府県労働局労働基準部労災補償課長宛てに早期復職・寛解・治療に関する調査用紙を発送し,同年10月末日までに回収(回収率100%)した.2015年8月時点で,労災認定されてから3年以上経過している事例は720例,そのなかで5年以上経過している事例は458例,不明・無回答40例を除く全体(418例)の84.7%(354例)が過去に職場復帰を一度もしていなかった(図3).生活費などの休業補償給付額11)は月に30万円以上が138例(30.1%)であり,これらの額は障害厚生年金の額が第1級でも年間966,000円であることを考えると高額となっているが,これは被災労働者に対する休業損害を塡補するという労災補償制度に由来するものである.
 長期療養者の原因に関する回答で最も多いのは,「症状が改善しない,就業不安,リハへ導入ができない」が26.6%(21例),次に「休業補償給付のために生活に困窮しない,労災患者としての権利を主張」が24.1%(19例)で多く,「適正給付管理すると症状悪化し,面談すらできなくなる,治ゆ判断基準なく休業補償支給期間制限なしであることも長期療養の大きな原因,本来の病態は別であり,素因や脆弱性が長期療養には大きく関係している」などの意見も得られた.

4.2016年度の労災疾病臨床研究事業5)
 2016年7月に都道府県労働局労働基準部労災補償課長宛てに早期復職・寛解・治療に関する調査用紙を発送し,同年9月末日までに回収(回収率100%)した.2011年度から2015年度まで各年度に労災認定された患者が,2016年8月調査時点に治ゆした事例数,治ゆしていない事例数などを精査した.2011年度事案の調査時点の治ゆ率61.4%(162例)であり,労災認定時点から5年経過しても4割近くは治ゆに至っていないという結果が得られた.統計学的探索によれば,年度ごとに治ゆしない事例の割合がただ単に増えているだけではなく,増え方が徐々に大きくなってきていることが認められた.
 労災認定から4年経過して治ゆしていない事例は44.6%(165例)であり,治ゆしていない事例165例のうち,治ゆの見通しがある事例は7.3%(12例)にすぎなかった.また,治癒している事例と治癒していない事例の療養期間に関して,3年以上療養している労災患者は192例(61.5%),そのなかで障害認定されていない治ゆしていない事例は132例(68.8%),障害認定された治ゆ事例は57例(29.7%)であった(図4).調査期間全体で治癒していない事例は145例であったが,そのなかで3年以上の療養事例は91.0%(132例)であり,ほとんどの事例で療養期間が長期化することが明らかになった(P<0.0001*).

5.2017年労災疾病臨床研究事業6)
 2017年7月に都道府県労働局労働基準部労災補償課長宛てに早期復職・寛解・治療に関する調査用紙を発送し,同年9月末日までに回収(回収率100%)した.業務上疾病として労災認定され療養開始から10年以上の長期療養に至った事例(治ゆに至っていない事例)は195例であり,労災認定時点から調査時点までに過去に職場復帰をしたことのある事例は13.9%(27例)にすぎず,不明・無回答15例を除いた180例のうち職場復帰をしたことがない事例は83.3%(152例)にも及んだ.

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VII.2016年度調査と2017年度調査の結果を合体して検討6)
1.100時間以上の時間外労働と長期療養
 2016年度調査と2017調査を比較し,さらに5年以上療養している事例を抽出し,休業給付金について100時間以上の時間外労働の有無で比較検討した(表1).
 5年以上の長期療養事例(210例)に関して,100時間以上の時間外労働あり群と100時間以上の時間外労働なし群に分けたところ,100時間以上群は,給付金が20万円以上が87.5%(112例),100時間未満群は53.7%(44例)であり,5年以上の療養群のなかで100時間以上群は,100時間未満群に比べ,高い休業給付金11)を受給している割合が高いことが明らかになった(図5).
 次に休業給付金を30万円未満と30万円以上に分けて,影響する因子を探索(ステップワイズ法)したところ100時間以上の時間外労働の有無だけが要因として残り,30万円以上の給付になる要因として100時間以上の時間外労働が関連していることが示された,すなわち,5年以上の治ゆに至らず長期療養となり,かつ30万円以上の休業給付金となる要因として100時間以上の時間外労働が有意に関連(P<0.0001*)していることが明らかになった.2015年度調査で5年以上の長期療養事例が職場復帰できない理由として「手厚い補償,生活に困窮しない,権利意識」19例(24.1%),「復帰すると収入減,労災給付終了後の不安」2例(2.5%),2017年度調査の「休業補償を継続している者の多くは労災保険に依存する傾向,手厚い休業補償給付に依存」15例(24.6%)という調査結果からも,長期療養の要因の1つに労災補償の休業給付金額の問題が関係していることが推測できる.

2.労災認定時と調査時点で変化した傷病名
 認定時の傷病名は,うつ病40.3%(226例),次にPTSD 13.5%(76例),適応障害13.2%(74例)の順に多くみられた.病名の変更で多いのは,気分感情障害58.8%で17例中10例が他疾患へ変更(うつ病への変更事例は8例),神経症性障害は28例中18例(変更率64.3%),うつ病6例,その他5例などに変更されていた.PTSDは76例中26例が統合失調症,うつ病,神経症性障害などへと変更されていた.神経症性障害は28例中18例がうつ病,適応障害などへと変更されていた.適応障害は74例中28例(37.8%)がうつ病,双極性障害などへと変更されていた.全体の561例中147例(26.2%)の傷病名の変更がなされていた(表2).

3.精神疾患発症と労災認定後の病態の変化
 精神疾患は,まず多因子によって発病し,複雑要因によって精神疾患が発症することは,論をまたない.つまり,ストレスを受け止める側とストレスの強度の関係,すなわちストレス脆弱性理論を基本に認定基準が作成されたことは論をまたない.ストレスが非常に強ければ個体側の脆弱性が小さくても精神疾患が起こるし,逆に個体側の脆弱性が大きければストレスが弱くても破綻が生じて精神疾患が発病するという考え方である.しかし,心理的負荷がかかったときの個体側の心理的反応⇒精神疾患⇒時間的推移⇒精神疾患の病態の変化⇒治療経過により本質的な精神科病態が顕在化⇒精神疾患の病態が複雑化していく過程が,明確化されていない.現在の認定基準は,心理的負荷のストレス強度の判断⇒精神疾患の病名などの特定に関しては,業務による心理的負荷評価表など14)に定められている.
 しかしながら,労働災害時の心理的負荷のストレス強度と精神疾患発症との間に相当因果関係があったことは検討されても,労働災害に起因した精神疾患を有した個人にその後,その心理的負荷がどのように影響し,いつまで影響因子として関係があるかは,検討されていない.
 「認定基準」では,その対象となる精神障害は,国際疾病分類第10版(ICD-10)第5章「精神および行動の障害」に分類される精神障害であって,認知症や頭部外傷などによる障害(F0)およびアルコールや薬物による障害(F1)は除き,業務に関連して発病する可能性のある精神障害の代表的なものは,うつ病(F3)や急性ストレス反応(F4)と記載されている.現実には,大きな「強」のストレスが評価されたら,統合失調症であれ双極性障害であれ,業務ストレスと相当因果関係があると判断され,業務起因性疾病として労災保険で療養給付および休業給付が支給される.精神障害と,労働災害によって惹起された不可逆的な身体疾患の大きな相違点は,ストレスを受け止める側の心の動きや,精神障害の症状の推移や個体側要因である労働者自身の性格や能力などの特性の問題が見え隠れしながら病像が変遷するという点である.すなわち労災認定時点で業務が大きなストレス(心理的負荷)として精神疾患発病に関係があり,相当因果関係が認定時点で存在していたとしても,その後,長い経過を経ていく過程で,その認定時点で判断されたストレスが持続的に長期に経過した時点の病像や病状の形成因子として持続しているかというと,疑問を感ぜざるをえない.すなわち,業務ストレス(心理的負荷)に起因した精神障害は,化学物質やアスベストや有機溶剤が引き起こす健康障害とは異質であり,経過中に心理的負荷そのものの内容や強度が変化し,状況によっては減弱し,業務ストレスが影響した病態とは違う病態が明らかになることは,日常臨床のなかでよく経験するところである.
 2017年度調査で10年以上職場復帰できない理由について,「最近傷病名に『ADHD』が追加された(私病扱い).主治医は元々幼少期からADHDがあったとしており,発症の背景にADHD特性も関与していると考えられる以上,ADHDに対する処置が必要としている」という見解がみられた.このような見解は,認定時点では業務ストレスが大きく関係していたとしても,労働災害(心理的負荷)に起因した精神障害が長い経過を経ていく過程で,その病像が変遷し,その労働者の本来の疾病が顕在化したと判断することはできないだろうか.このように強い業務上の心理的負荷を受けて発病した場合,その後の長期療養の過程で,認定時点で評価された心理的負荷の影響は少なくなり,労災認定時と異なった病態へ推移することもありうると判断せざるをえない事例も認められているのである.すなわち,精神科病態は時間的経緯により変化する可能性が高く,個体側要因として生来の隠れていた病態が顕在化した可能性もあり,化学物質やアスベストなどの身体疾患のように不可逆的な健康障害を惹起するのと違い,心理的負荷は可逆的な病態を引き起こし,生物学的疾病や生来性の病態が顕在化した傷病へと変遷することもある.つまり,業務に起因した心理的負荷が引き起こしたストレスが濃厚な病態は,治療過程のなかで大きく変化し,その心理的負荷による病態は長い経過のなかで減弱化し,それと逆比例するかのように生来性などの個体側要因や認定時点と違った精神科病態に変遷・推移していくという視点が精神障害の労災補償のあり方から欠落していると言っても過言ではない(図6).
 労災保険の休業補償給付の背景に複雑に変遷する精神科病態があると考えられる場合,不幸にも労働災害に遭遇,あるいは労災認定時点で業務が大きなストレス(心理的負荷)として精神障害発病に関係があり相当因果関係が認定時点で存在していたとしても,その後,長い経過を経ていく過程で,その認定時点で判断されたストレスが長期に経過した時点の病像や病状の形成因子として持続しているかどうかは,慎重に第三者の視点から検討していくプロセス(過程)が必要である.そして労災保険という労働者のための手厚い補償を,ただ単に生活給付という観点からではなく,精神障害者を自立させる視点に立って,精神障害の適正給付の検討,さらに労働者としての職場(社会)復帰を含めた地域および社会のなかでの位置づけを検討することが喫緊の課題と考える.したがって,精神疾患・障害の特性を把握したうえで職場(社会)復帰を促進する労災補償を検討するべきあり,前述したように労災認定時にいったん認められた精神障害が,治ゆするまでストレス起因性(労働災害に起因した)のある精神科病態として労災保険で補償され続けるのは,見直されるべきである.
 長期療養を防止するためには2017年度調査では,「医療,行政,企業の連携」が37.1%(13例),精神障害を対象とした期間限定給付,精神障害の適正給付管理要領を斉一的に定めるべきなどの「精神障害の適正給付管理要領等の施策」が31.4%(3例),治ゆ判断の検討,年1回程度の専門医を活用した面接による現況把握を行う制度の確立などの意見は5例(14.3%)であった.労災保険の根幹である「治ゆするまで障害認定しない」という規定があるが,その治ゆしない背景に焦点をあて,行政,医療が連携するときがきていると思われる.

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おわりに
 2014,2015,2016,2017年度調査,さらに2016年度調査結果と2017年度調査結果を合体させて,精神障害事例の長期療養の背景にある要因を分析した.その結果として,早急に労災患者の治ゆ判定の検討および労災保険による休業患者に対する職場(社会)復帰支援に対する具体的な対策を検討すべきである.また,『労災補償業務の運営に当たって留意すべき事項について(労災発0219第1号)』8)に精神障害を発病したとして労災認定を受けた被災労働者については,社会復帰が難しく長期間にわたる療養を余儀なくされている傾向にあり,今後,厚生労働省においてこれらの者に対する早期社会復帰に向けた支援策について検討を開始することを予定していると記載されており,今後,精神障害で労災認定された長期療養者の職場(社会)復帰への具体的な施策が検討されることを期待したい.

 編  注:第115回日本精神神経学会学術総会教育講演をもとにした総説論文である.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

1) 金子仁郎: ストレスによる業務上疾病と災害補償. 社会精神医学, 10 (1); 19-25, 1987

2) 黒木宣夫: 精神疾患の療養期間及び業務災害に関連した精神科医の役割に関するアンケート調査―日本精神神経学会「精神保健に関する委員会」と日本産業精神保健学会「精神疾患と業務関連性に関する検討委員会」の合同調査―. 産業精神保健, 22 (4); 342-347, 2014

3) 黒木宣夫: 業務に関連した精神科医療の現状と早期復職に関する研究. 労災疾病臨床研究事業2014年度研究. p.1-23, 2015

4) 黒木宣夫: 業務に関連した精神科医療の現状と早期復職に関する研究. 労災疾病臨床研究事業2015年度研究. p.1-35, 2016

5) 黒木宣夫: 業務上認定された精神障害者の早期復職・寛解・治療に関する調査・研究. 労災疾病臨床研究事業2016年度研究. p.1-30, 2017

6) 黒木宣夫: 業務上認定された精神障害者の早期復職・寛解・治療に関する調査・研究. 労災疾病臨床研究事業2017年度研究. p.1-42, 2018

7) 厚生労働省大臣官房審議官: 労災補償業務の運営に当たって留意すべき事項について(労災発0219第1号). 2019 (https://www.mhlw.go.jp/hourei/doc/tsuchi/T190220K0010.pdf) (参照2020-07-02)

8) 厚生労働省, 都道府県労働局, 労働基準監督署: 労災保険における傷病が「治ったとき」とは…. 2015 (https://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/roudou/gyousei/rousai/110427-1.html) (参照2020-04-05)

9) 厚生労働省, 都道府県労働局, 労働基準監督署: 労災保険―療養(補償)給付の請求手続―. (https://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/roudou/gyousei/rousai/040325-14.html) (参照2020-04-05)

10) 厚生労働省, 都道府県労働局, 労働基準監督署: 労災保険―障害(補償)給付の請求手続―. (http://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/roudou/gyousei/rousai/dl/040325-8.pdf) (参照2020-04-05)

11) 厚生労働省: 労災年金給付等に係る給付基礎日額の年齢階層別最低・最高限度額. 2017 (https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11200000-Roudoukijunkyoku/0000053175.pdf) (参照2020-07-02)

12) 厚生労働省: 労災保険―神経系統の機能及び精神の障害に関する障害等級認定基準について―. (http://www.mhlw.go.jp/new-info/kobetu/roudou/gyousei/rousai/040324-4.html) (参照2020-04-05)

13) 厚生労働省労働基準局編: 労災補償障害認定必携. 労働福祉共済会. 東京, p.123-140, 1981

14) 厚生労働省労働基準局長: 心理的負荷による精神障害の認定基準について (基発1226第1号). 2011 (https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/rousaihoken04/dl/120118a.pdf) (参照2020-07-02)

15) 厚生労働省労働基準局補償課職業病認定対策室: 精神障害に関する事案の労災補償状況. 2019 (https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_05400.html) (参照2020-07-02)

16) 小此木啓吾, 坂本 弘, 祖父江逸郎: 労災認定と補償. 337-352, 1985

17) 労働省労働基準局編: 労災保険法解釈総覧 労務行政, 東京, p.51-59, 1996

18) 労働省労働基準局補償課: 災害補償は使用者の責任6~9, 脳・心臓疾患と新労災認定基準の解説. 労働基準調査会, 東京, 1995

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