Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第122巻第1号

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特集 健康生成の病跡学―サルトグラフィの試み―
からだでしかないじぶん:癌患者としての伊藤計劃と創造性
風野 春樹
東京武蔵野病院精神科
精神神経学雑誌 122: 41-46, 2020

 伊藤計劃は,2007年6月に長篇『虐殺器官』でデビューし,2009年3月に癌のため34歳で亡くなったSF作家である.その活動期間は2年に満たず,オリジナル長篇はわずか2作にすぎないが,彼の作品が日本SF界に与えた影響は大きく「伊藤計劃以後」という言葉すら生まれたほどである.彼の作品はすべて,病を得た自分自身を題材にして,それをSFとして表現した作品といえる.幼い頃から喘息の治療を経験し,癌の発症後は手術や抗癌剤治療を繰り返してきた彼は,自らを「テクノロジーの子供たち」のひとりと呼んでいた.癌が発見されたときの絶望と恐怖,さらには,投与された安定剤の化学作用によりそうした感情が消え去ったという体験は,彼の作品に大きな影響を与えている.伊藤にとって,病は単なる題材を超えて,思考や作品と不可分に結びついたものだったのである.デビュー長篇『虐殺器官』では,人間が「虐殺文法」というソフトウェアスイッチにより自由意志を奪われてしまう存在として描かれているとともに,9.11テロと同じ時期の発症を起点として彼自身の身体のなかを転移して広がっていく癌のイメージが,作品のなかで語られる虐殺の連鎖に重ねられている.また,第2長篇『ハーモニー』で描かれるテクノロジーによってすべての病が駆逐された世界は,作者自身の見てきた医療現場の戯画であるとともに,結末に訪れる世界には,緩和ケアによる感情喪失体験の影響が見て取れる.終わりのみえない闘病生活のなかで常に死の恐怖を感じながらも,彼はいかにして癌という病にかかった自分自身を冷静に観察し,それを作品へと昇華させることができたのか.文字通り自分の命をかけて「からだ」と「じぶん」の関係について考え抜いた伊藤計劃の病歴と創作活動をたどることにより,ある特異な作家の心理と創作について考察した.

索引用語:病跡学, 伊藤計劃, 健康生成>

はじめに
 伊藤計劃(1974~2009)は,2000年代の日本SFを代表する重要な作家である.2007年のデビューから癌による死没まで,作家としての活動期間は2年にも満たず,オリジナル長篇はわずか2作にすぎないが,彼の作品は日本SF界に衝撃を与え,その後の作家たちにも大きな影響を与え続けている.
 その影響の大きさから,SF界では「伊藤計劃以後」という言葉すら生まれている.例えば彼が亡くなって2年が過ぎた2011年7月のSFマガジンは「伊藤計劃以後」を特集テーマにしているし,「伊藤計劃以後のSF」をテーマにした評論集『ポストヒューマニティーズ』も出版されている.
 伊藤は,ウェブ上に公開していたmixi日記7)のプロフィールに,このように記している.

 職業:病人
 副業:物書き
 休業:WEB屋
 週末:嘔吐

 もちろん自虐的にではあるが,彼はたびたび「病気のプロ」を名乗っている.事実,作家としてデビューするはるか以前から,彼は病人として入退院や手術を繰り返してきたのである.「職業:病人 副業:物書き」というアイデンティティは,彼一流の韜晦であるとともに,偽りのない実感だったのだと思われる.
 本稿では,彼の作品と闘病生活との関係について病跡学的に検討を加えた.

Ⅰ.伊藤計劃の病歴
 まず,伊藤計劃の経歴を紹介しておきたい.
 伊藤は1974年10月東京生まれ.本名は伊藤聡.喘息の治療のため3歳のときに千葉県八千代市に転居している.「ぼくは昔から喘息で,サルタノール吸入器はマストアイテムだった」6)と書いているように,幼少時から病と薬剤は彼についてまわっていた.こうした経験が,彼の人間観や人生観にも影響を与えているものと考えられる.
 伊藤は本を好み,勉強より漫画を描くことに熱中するような少年に成長した.
 1995年4月に武蔵野美術大学映像科に入学.マンガ研究会に入会.同年から原因不明の「坐骨神経痛」に悩まされ始める.
 1998年,熱狂的なファンだったゲーム『メタルギア・ソリッド』シリーズの作者である小島秀夫と出会う.当初はクリエイターとファンの関係だったが,作家デビュー後は互いの作品をリスペクトしあう対等の友人同士の関係となり,その友情は彼が亡くなるまで続いた.
 1999年の卒業後にはウェブディレクターとして就職.この頃には「横になると歯を食いしばって叫び声をあげてしまうほど痛くなる謎の神経痛に汗だらだら」6)だった.
 2001年夏に,ユーイング肉腫の診断を受け,9月には入院して左足大腿部の神経と筋を切除.
 その間にも年に400本を超える映画を鑑賞し,映画評を中心とした個人ウェブサイトは人気を博していた.
 2005年7月,肺転移を告知され,手術と抗癌剤治療を受ける.闘病のかたわら長編小説『虐殺器官』を書き上げ,2006年5月に小松左京賞に応募するが,最終選考で落選.同時に落選したのがのちに芥川賞作家になる円城塔で,円城に誘われ,ふたりで原稿を早川書房に持ち込んだことがデビューのきっかけになっている.
 2006年9月,再手術.10月には激しいうつ状態を体験している(これについては後述).
 2007年5月には肺転移が再発し左肺半分を切除.6月,デビュー作となる『虐殺器官』を早川書房から刊行.この作品は翌年のベストSF国内篇第1位に選ばれる.
 その後入退院を繰り返し,化学療法,放射線療法を行う.
 2008年6月,小島秀夫の依頼により,ゲームをノベライズした長篇『メタルギアソリッド ガンズ・オブ・ザ・パトリオット』を刊行.
 9月,morphine投与開始.並行して抗癌剤,放射線治療を開始.この頃には転移は6ヵ所を数えていた.
 12月,オリジナル長篇第2作となる『ハーモニー』刊行.この作品は作者の没後,ベストSF国内篇第1位,星雲賞日本長編部門,日本SF大賞と数々の賞を受賞.
 2009年3月20日,没.享年34.
 2011年4月には英訳されてアメリカで刊行された『ハーモニー』が,フィリップ・K・ディック賞特別賞受賞.
 2012年には,冒頭部30枚のみ完成していた遺作長篇『屍者の帝国』が円城塔との共作により刊行.第31回日本SF大賞特別賞,第44回星雲賞日本長編部門受賞と,没後もその評価は高まる一方である.

Ⅱ.抑うつ症状と「安定剤体験」
 ここで,伊藤計劃を語るうえでなくてはならない「ポストヒューマンSF」について触れておきたい.
 「ポストヒューマン」とは,現代SFの重要なテーマの1つで,山岸真によれば「テクノロジーによって変容した人類の姿,そしてそれにともなって倫理観や価値観,さらには人間性の意味や人間の定義までもが大きく変化した世界の物語」9)ということになる.70年代のジョン・ヴァーリイ,80年代のスターリング,ギブスンらサイバーパンク作家から,G・イーガン,C・ストロスまで,多くの作家が主題にしているテーマである.
 伊藤計劃の作品もこのポストヒューマンSFの流れのなかに含まれる.前にも書いた通り,「伊藤計劃以後のSF」をテーマにした評論集は『ポストヒューマニティーズ』と題されている.この「ポストヒューマン」のテーマは,伊藤計劃にとっては,単なるSFの題材ではなく重要な意味をもっていた.
 作家になる以前の2002年に,伊藤はこう書いている.
 「科学技術によって維持される身体.科学技術がなければ消滅してしまう身体.これが意味するのは,要するにぼくはサイボーグだってことだ.…ぼくは「テクノロジーの子供たち」のひとりだ.自分の生きた現実が既に,常にサイバーパンクであることを,肉体によって実証した人間たちのひとりだ」6)
 幼い頃から喘息の治療をして,このときすでに癌の手術を経験していた伊藤は,自分自身がテクノロジーなしには生きられないことを実体験として知っていた.つまり「ポストヒューマン」は,彼にとって現実そのものであったのである.
 伊藤は,癌の治療中に何度かうつ状態を体験している.そして,こうした抑うつ感や絶望感に対し,緩和ケアとして安定剤を投与されているが,これについてこのように語っている.
 「怖いとか,泣きたくなる気持ちは当然あります.しかし,そういうのは治療に際して良くないから,と医者に薬を飲まされたら,非常にフラットな気持ちになってそれが一切解決してしまったんですよ.人間の感情って,一体何なんでしょうかね」8)
 これは,彼の大学の後輩であるマンガ家の篠房六郎が伊藤の一周忌に寄せて書いた文章に引用されている伊藤の言葉である.
 ブログのなかでも,次のように書いている.
 「いろいろなことを思う.医者に自分の大腿の中に巣食うものの存在を告げられたときのこと.あのとき感じた絶望.そんな絶望も恐怖も悲しみもあっさり吹き飛ばしてしまった安定剤のこと.その化学作用によって感情が吹き飛んだときの奇妙な怒り」6)
 この「安定剤体験」について,伊藤は何度もくりかえし語っている.また,この体験は『虐殺器官』『ハーモニー』といった代表作にも大きな影響を与えている.いわばこの体験が,作家伊藤計劃と作ったと言っても過言ではない.
 彼は感情というのはテクノロジーや化学薬品により変容しうるものだということを実感している.しかし,それを受け入れるのではなく,そのことに苛立ちと怒りを感じている自分もいる.これはつまり,自分のものであるはずの感情が,たかが薬でなくなってしまうことへの実存的な怒りだろう.
 さらに,うつ状態について,本人の語っている言葉を引用しておく.
 「夕方になるとかならず気がめいり,恐怖に体が震えはじめる.比喩じゃなく,これ以上転移したら,もう削る肺はどこにもないぞ.そこで終わりだぞ,と.こういうのは自分の脳みそのはなしなので,ああ,これは脳の各機能がそういう感情をジェネレートしやすい方向に傾斜しているのだな,とか考えても,何も解決するわけじゃない.サイクルがはっきりしているから,フィジカルな,どうしようもなく物理的な(ま,意識も物理現象なわけですが)問題なのは明らかなのに」6)
 伊藤は,うつ状態は脳の機能によって生じたものであり,物理的な問題であるとごく自然にとらえていた.また,意識も物理現象である,と彼は認識している.
 しかし,それがわかっていても「何も解決するわけじゃない」というのも彼の実感であった.
 自分の感情やアイデンティティのありようさえもが,薬剤やテクノロジーによって変容しうること,それはまさにグレッグ・イーガンらが描いてきた「ポストヒューマンSF」のテーゼである.例えば,イーガンの短篇「しあわせの理由」2)は,脳内麻薬物質の分泌が極端に低下し,重度のうつ病になった青年が主人公である.彼は治療として脳内麻薬様物質を自由にコントロールできるいわゆる“幸福の合成装置”を得るが,それによってどのような幸福感であっても「コントロールされた幸福」でしかなくなってしまうという物語である.伊藤計劃が生きていたのは,まさにこの小説のような現実である.イーガンの小説では,主人公はそのような自分を受け入れているが,伊藤の場合は,それに対して「奇妙な怒り」を感じている.
 「じぶんが,からだでしかないことを知っていて,そこから逃れられないことを知っていて,死ぬのが怖い自分」6)と非常に切実な認識を,彼はブログに綴っている.
 感情や意識すらも物理現象であるということを実体験として理解し,納得していながら,そこをはみ出す「怖さ」や「怒り」.それが伊藤の創作の原動力であるといえるだろう.

Ⅲ.作品の検討
 さて,こうした点を踏まえて,代表作である長篇2作についてみていきたい.デビュー長篇である『虐殺器官』4)は,次のような物語である.
 テロ対策のため管理社会化が進んだ近未来.それまで何の火種もなかった多くの国で突如虐殺が始まった.そしてその影に見え隠れするジョン・ポール.アメリカ特殊部隊隊員である主人公は彼を追う過程で,「人間には虐殺を司る器官が存在し,器官を活性化させる“虐殺文法”が存在する」ことを知る.
 この作品は,一級のエンタテインメントであるとともに,非常に私的な物語でもある.そして,作者自身の身体をイメージした作品ともいえる.物語のなかでは,9.11テロを転機として世界が変わり,世界中へと虐殺の連鎖が広がっていくが,これには同じ時期の発症を起点として彼自身の身体のなかを転移して広がっていく癌のイメージが重ねられているように読める.
 「WTCに航空機が突っ込んだとき,ぼくは病院でその映像を見ていた./ぼくはそのとき,不具者の仲間入りをしたばかりだった.僕は右座骨神経と右大腿の主要な筋を失い,膝下の制御と感覚の一切に,永遠の別れを告げたばかりだった」6)と,エッセイに書いているとおり,『虐殺器官』で,世界が変わった転機として語られている9.11テロは,彼にとっては癌の発症と分かちがたく結びついている.まさに彼の世界もそのときに変わったのである.自分自身の肉体でありながら,触っても何も感じず自由に動かすこともできないということ.自分とは物質にすぎないということを,彼はこのときに実感としてはっきり知らされたのだった.
 また,この作品のなかでの人間は,「虐殺文法」というソフトウェアスイッチにより自由意志を奪われてしまう存在である.また,主人公は,戦場での心理的障害を取り除くため,心理的・外科的処置を施されている.先ほど述べたように,こうした描写は,彼にとってはSF的なスペキュレーションではなく,現実そのものであった.こうした描写には明らかに作者自身の薬剤による感情喪失体験が反映されている.
 つづいて『ハーモニー』5)について検討する.
 世界規模の大災禍により従来の政府は崩壊.新たな統治機構「生府」は,人々自身を公共のリソースとみなし,体内システムが常に健康を監視する高度な医療福祉社会を築いていた.そんな社会で,同時多発自殺事件が発生.WHO監察官の女性トァンは,かつて健康社会に反抗してともに自殺を試みたミァハの影を見る,というのが物語のあらましである.
 この作品は,文体そのものに仕掛けがほどこされており,ウェブサイトを記述するときに使うhtmlのようなタグがそのまま書かれている.これは感情を記述するためのetmlという架空のマークアップ言語で,この記述スタイル自体が物語の根幹に大きくかかわっている.こうしたタグを使わなければ感情を体験することができない存在のために書かれている,という設定なのである.
 『ハーモニー』で描かれているのは,体内を常時監視するモニタリングシステムとテイラーメイドの医療分子によってすべての病が駆逐された世界である.それは,自然を徹底的に排除し,現実を仮想現実化しようとする人間の欲望を描いたものであり,作者自身の見てきた医療現場の戯画でもある.しかし,そうした医療技術によって自分は生かされているということも,作者は十分認識している.
 物語の結末では,そうした欲望の終着点として,「意識=じぶんの消滅」が描かれる.全人類が,意識や感情を抹消した,いわゆる「哲学的ゾンビ」として生きる,ポストヒューマンによる完璧なユートピアが誕生することになるのである.
 『ハーモニー』の一節を引用する.
 「社会的動物である人間にとって,感情や意識という機能を必要とする環境が,いつの時点でかとっくに過ぎ去っていたら,我々が糖尿病を治療するように,感情や意識を「治療」して脳の機能から消し去ってしまうことに何の躊躇があろうか」5)
 ここで糖尿病と比較されているのは,糖尿病は寒冷気候に対応するため必要とされた機能であるという説があるためである.つまり,人類が獲得した意識も,進化の過程で一時的に必要とされた機能にすぎず,必要とされなくなれば「治療」すべきものだというのが,この物語の根幹的なアイディアとなっている.薬剤やテクノロジーによる感情変容を体験している伊藤は,人間の意識や感情を特権化するような言説にはもともと違和感を覚えていた.ここにも,さきほど述べた作者自身の緩和ケアによる感情喪失体験の影響が見て取れるだろう.つまり,『ハーモニー』もまたある種の私小説であり,自己のおかれた状況に対する批評として読めるのである.

おわりに
 ここで,今回のシンポジウムのテーマである「健康生成」に引きつけるならば,癌の闘病という過酷な環境にありながら,彼はなぜ精神的な健康さを保ち,優れた作品を生み出すことができたのか,という疑問がうかぶ.
 伊藤計劃とほぼ同時にデビューした同志であり,死後に未完の遺作『屍者の帝国』を完成させた円城塔は,彼についてこう書いている.「彼は常に自分の病状を冷静に観察しており,自分を素材,物質として見つめる視線は揺らがなかった」3)
 おそらくこれは幼い頃から喘息にかかっていた彼が身につけた態度であったのだろう.そして,こうした人間観は,科学という視点から人間を描くSFというジャンルに親和性があるものであり,SFに惹かれるようになったのは必然といえるだろう.
 さらに,伊藤にとって「書くこと」が健康に与えていた影響も重要である.
 そもそも大学時代までの伊藤は決して書く人ではなかった.伊藤計劃は美大ではマンガ研究会に所属,メンバーは漫画や小説を部誌に投稿していたが,伊藤は作品の予告を載せることはあっても,本編はいっこうに発表しなかったという.卒業後の2000年には短篇漫画「ネイキッド」でアフタヌーン四季賞冬・佳作を受賞,編集者がつくようになったが,その後続くことはなかった.
 彼が精力的にブログを執筆し,小説を本格的に書き始めたのは,癌の告知を受けたあとのことである.癌になったから作品が書けたというような安易なことを言うつもりはない.しかし,少なくとも彼が癌でなければ,彼の作品はまったく違うものになっていたということだけは言えるだろう.
 不安や死の恐怖といった生々しい感情や,自分の置かれた状況を,いったん距離をおいて冷静に見つめ,ブログでは映画オタクという一貫したキャラクターを演じ,さらに架空世界を舞台にしたSF作品としてアウトプットする.このプロセスが,疾病に「有意味感」(アントノフスキー1))をもたらし,彼の精神面での安定に寄与していたのではないか.そのように考えている.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

1) Antonovsky, A.: Unraveling the Mystery of Health. Jossey-Bass Publishers, 1987 (山崎喜比古, 吉井清子監訳: 健康の謎を解く. 有信堂, 東京, 2001)

2) Egan, G.: Reasons to be Cheerful and Other Stories (山岸 真訳: しあわせの理由. 早川書房, 東京, 2003)

3) 円城 塔: 文庫版あとがき. 屍者の帝国(伊藤計劃, 円城 塔著). 河出書房新社, 東京, 2014

4) 伊藤計劃: 虐殺器官. 早川書房, 東京, 2007

5) 伊藤計劃: ハーモニー. 早川書房, 東京, 2008

6) 伊藤計劃: 伊藤計劃記録Ⅰ. 早川書房, 東京, 2015

7) http://mixi.jp/show_friend.pl?id=293915

8) 篠房六郎: 一周忌に寄せて. 篠房六郎日記 (http://cgi.din.or.jp/~simofusaC/cgi-bin/jinny/jinny.cgi?no=20&page=1&view=mini) (参照2019-10-21)

9) 山岸 真編: スティーヴ・フィーヴァー―ポストヒューマンSF傑作選― 早川書房, 東京, 2010

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