Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第119巻第11号

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教育講演
第113回日本精神神経学会学術総会
日本の近代精神医療史研究からの精神科臨床へのフィードバック
橋本 明
愛知県立大学
精神神経学雑誌 119: 870-876, 2017

 わが国の精神医療は,社会の動きや国内政策,国際情勢などの影響を強く受けながら,批判と反批判の渦のなかで翻弄されてきた歴史をもっている.時代に足元をすくわれないように,歴史を学び,歴史的な視点をうまく利用しながら,精神医療の現在と未来の基礎を固めることが肝要である.精神医療史の最初のポイントとして,法制度に関する連続と断絶が挙げられる.日本の「乱心者」処遇の近代史は,遅くとも江戸時代後期には始まっていた.明治初年に各府県が定めた瘋癲人取締規則を統一する形で,精神病者監護法(1900年)が作られた.精神病院法(1919年)を経て,施設化を進める法的基盤は整備されたものの,前2法を廃止して成立した精神衛生法(1950年)以降になってはじめて本格的な精神医療施設建設が進んだ.上記の法制度の変化は,帝国大学という研究教育基盤のもとで発展した,日本の精神病学の形成と深くかかわっている.研究の中核には,西欧からもたらされた脳病理解剖学的な関心と方法論があった.だが,身体主義的な研究に批判的な日本精神医学会の設立(1917年)や日本の精神文化を重視する森田正馬の精神療法の開発などにみられるように,日本の精神病学の近代化には,西欧の精神医学の受容だけに帰着できない展開があった.他方,伝統的治療は,概して精神病学者からは批判されたものの,西欧の学理にかなう部分は評価もされた.しかし,西欧医学的な文脈への依存から離れれば,伝統的治療の実践は,自然地理的な条件を含む多様な要素と結びつきながら,家族や地域社会による病気治療の共同作業を必要とするものだった.これは今日的な地域支援プログラム概念とも通じうるだろう.

索引用語:近代日本, 精神医療史, 帝国大学, 精神医学批判, 伝統的治療>
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