精神科医として日々を送っていると,自分の仕事がどのようなものであるかを見失いがちになる.精神科医の役割を改めて振り返ると,それがさまざまな「特権」に恵まれていることに気づく.そこには,重要な疾患である精神疾患の医療に携わっているという特権,専門家という立場にあることに基づく特権,社会の制度のなかで与えられている特権,がある.さらに仕事のなかで,人間の生き方や人生の価値について気づくことができるのは,自分自身についての特権である.これらの特権を自覚し,医学と医療のために役立てることに意識的であることは,精神科医としての使命である.「人間にとって一番重要な医療」に携わっているという誇りを当事者や家族や多くの仲間と共有できることが,精神科医であることの特権である.
はじめに―精神科医の仕事―
精神科医としての日々を送っていると,自分の仕事がどのようなものであるかを見失いがちになる.精神科医の役割を改めて振り返ると,それがさまざまな「特権」に恵まれたものであることに気づく.その特権を自覚し,医学と医療のために役立てることに意識的となることは,精神科医としての使命である.そうした精神科医の特権をまとめ,多くの精神科医と共有することを,本稿は目指している.その内容は,第110回日本精神神経学会学術総会の教育講演「精神科医の『特権』に気づき役立てる―精神科医はどんな仕事をしているのか」をもとにしたもので,それに先立って要点を短い文章にまとめたことがある9).エッセンスを,英文タイトル「Democratizing the privileges of psychiatrists」に籠めた.
I.大切な精神疾患の医療に携わる特権
1.社会的に重視される精神疾患
精神科医がその医療に携わっている精神疾患は,社会的に重要なものと位置づけられている.日本ではあまり知られなかったが,オバマ大統領は「今月をアメリカのメンタルヘルス啓発月間に(National Mental Health Awareness Month)」とする声明を2014年5月1日付でホワイトハウスのホームページに発表した.
こうした声明の背景にあるのは,精神疾患の重要性についてのデータである.多くの研究者が協力して推定したEUの一般人口における精神疾患の1年有病率は38.2%と国民の3人に1人にのぼり24),それによる社会経済的なコストは年間7,977億ユーロと見積もられている12).人口比で換算すると,日本における年28兆円に相当する.
2.生活への影響が大きい精神疾患
社会経済的コストがこのように大きくなるのは,医療費以上に病状のためあるいは自殺により労働につけなくなることによるところが大きい.疾病のそうした側面を重視すべきことを強調しているのが,世界保健機関(WHO)や世界銀行が用いている障害調整生命年(disability adjusted life years:DALY)という指標である.これは政策決定に役立つ客観的指標として開発されたもので,疾患が社会におよぼす影響を,寿命におよぼす影響(years of life lost:YLL)と健康生活におよぼす影響(years lived with disability:YLD)の合計として評価する.わかりやすく「寿命・健康ロス」と呼ぶことがあり,また最近の「健康寿命」と共通する考え方である.
先進国のDALYにおいて,精神疾患はがんや循環器疾患を上回ってそのトップである.そのことは,2013年から精神疾患が医療法に基づく5疾病の1つとされた1つの根拠となった.こうしたDALYのデータは,精神疾患の頻度が高く,若年で発症することが多く,生活におよぼす影響が大きく,自殺に結びつきやすいことに基づくものである.国レベルでの統計において,YLLの算出が容易であるのに対して,YLDはその把握すら難しいことが,これまで精神疾患の重要性が見逃されてきたことの1つの理由であった.
疾病が健康生活におよぼす影響を220の病状について0~1に数値化したデータによると,従来の4疾病の重症の状態が糖尿病(透析期)0.573,脳卒中(長期重症)0.567,悪性腫瘍(終末期)0.519,心筋梗塞(急性期)0.422と0.5前後であるのに比して,精神疾患は統合失調症(急性期)0.756,大うつ病(重症)0.655,双極性障害(躁状態)0.480,認知症(重症)0.438などそれを上回る値である21).とくにこの統合失調症の数値は,すべての疾患のうちで最大であった.
3.社会経済への影響が大きい精神疾患
精神疾患の社会経済的なコストをそれぞれの疾患ごとに明らかにすると,精神科医の仕事を社会のなかで捉える1つの目安となる.
統合失調症による国全体の年間コストとして,日本は2兆7,700億円20),アメリカは62.7億ドル25),ドイツは96~135億ユーロ3)という数字が報告されており,人口比に基づいて円換算するとほぼ一致して2兆8,000億円程度となる.また自閉症スペクトラム障害の生涯負担を英米それぞれで算出すると,知的障害がない場合は92万ポンド・136万ドルなど約1.5億円,知的障害がある場合は150万ポンド・244万ドルなど約2.5億円であるという2).
精神科医は,国全体としては疾患あたり数兆円程度の,個々の患者ごとには数億円程度の社会的責務を課された仕事に携わっていることになる.
4.がん医療より優れた精神科医療
進んだ医療と考えられているがん医療に対しても誇れるものが精神科医療にあることを書き遺したのは,62歳で膵臓がんのために逝った野中猛の遺稿である18).
「還暦を越えて,『自分も臨床に戻ろう,往診訪問を中心にした地域ケアをやろう』と,大学を早期退職した矢先であった.すい臓癌ステージIVbと診断された.まったく晴天の霹靂と言うしかない.『臨床』に戻ろうとしたら,その中心である『患者』になったわけである.」
「夫婦で必死に勉強したし,いくつかのセカンドオピニオンを訪ねた.…しかし,これらのうちから実際に何をするのか,選択する作業は自分たち夫婦で行わなければならない.結局,この選択過程そのものは誰も手伝ってくれない.手立ての提案はほとんど『治療』類似の話である.しかし,実際に困っているのは,仕事のことやらお金,保険の手続き,遺産相続や遺言,帽子や化粧,あるいはこれからの治療過程がどうなるのかという心配であろう.こうした作業は膨大で,とても片手間で患者をやっているわけにはいかない.全力疾走でこなさなければ,現代のがんサバイバーにはなれない.」
「遅れに遅れていたわが国の精神保健の状況を改善するための半生であった.ところが,自分ががん患者となってみると,がん患者をめぐる医療保健福祉の状況は,精神保健に勝るとも劣らないほどの歪みが存在していることに直面した.むしろ今となっては,精神保健領域におけるサービスの方が,利用者中心の視点で優れているように思える.日本のがん医療は,なおも徹底的に医学中心,医師中心,病院中心の体制である.もっと,患者中心,生活中心,在宅中心,チームワーク中心にならない限り,患者は助からない.そして,これから患者になるのは読者の『あなた』である.」
5.教育において取り上げられない精神疾患
こうした精神疾患が,その好発年齢に近い中学・高校の教科書でどのように扱われているかの現状について,膨大な調査が行われた17).それにより,「1950年から1965年に入る頃まで,精神障害(者)は理解し難い言動や問題行動に走る人たちで最終的には廃人同様になり,且つ優生手術の対象となるべき人たちだと見なされていた.その後一時的に適切な理解・認識が必要だと記述されたが,1970年代後半以降は精神障害に係る記載が病名だけでなく全く排除されてしまった」という驚くべき実態が明らかになった.
そうした現状をなかなか変えることができないことを踏まえて,中学生向けの保健体育の副読本として漫画冊子『悩みは,がまんするしかないのかな?』を作成し,PDFファイルを公開した14).すでにさまざまな学校で利用されている.
II.専門家であることを利用した特権
1.教科書を当事者や家族とともに作る
『統合失調症』8)は,日本統合失調症学会が監修した精神科医向けの教科書である.その基本的な方針は,「教科書は,その内容が統合失調症の当事者や支援者に向けたサービスに役立つことを,最終的な目標としています.専門家向けの書籍であっても誰もが容易に入手できる時代ですので,読者として専門家ばかりでなく当事者やご家族や一般市民を考えることが求められるようになってきています.教科書は,専門家だけで作りあげるものではないはずです」(序)というものである.
そうした方針を具体化する1つの試みとして,「冒頭の第2章の執筆を当事者や家族や行政の方,また家族と専門家の立場をともに経験した方にお願いし,さらに当事者やご家族へ病気の説明をする際の参考となる資料も付け加えました.専門家向けの教科書としては異例かもしれませんが,今後こうした構成が常識になっていくだろうと考えています.さらに,こうした方々に編集の段階から加わっていただくことが,次の取組みとなっていくと思います」(序)と述べた.こうしたことを進めることができるのは,専門家としての特権を利用してこそである.
2.用語の工夫で偏見を減らす
上記した「統合失調症の基礎知識―診断と治療についての説明用資料」は,編集委員が作成した案を,当事者やご家族や専門家に読んでいただき,寄せられたコメントに基づいて大幅に修正することで,より良いものにすることができたものである.出版社の好意で,日本統合失調症学会のホームページからPDFファイルがダウンロードできる(印刷や編集はできない).
そのコメントには,用語についての指摘が含まれていた.1つは,偏見に結びつくかもしれない用語が簡単に言い替えられる場合には,それを用いることを求める希望であった.例えば,「生活の障害」を「生活の困難」に,「脳構造の異常」ではなく「脳構造の変化」に,「正常と異常」から「生理と病態」へなどである.こうした容易に実行できることを放置しておくのは,専門家としての怠慢である.もう1つは,科学的に正確でない専門用語を慣用しないことを求める意見であった.例えば,「遺伝負因」は誤りで「家族歴」であるし,「遺伝子異常」は正しくは「遺伝子変異・遺伝子多型」である.
用語を工夫して偏見を減らすこうした取り組みは,専門家だからこそ進めやすい.
3.遺伝について正しく理解し説明する
上記の遺伝の問題は,当事者や家族にとって大きな関心である.最近の研究論文では,双生児研究に基づく精神疾患の遺伝率(heritability)として,統合失調症について80%,自閉症について90%という数字が挙げられる.こうした数字は,正しい理解に基づかないと誤解や偏見に結びつく危険がある.
注意点の第一は,遺伝率の数字は何を示すのかという基本的な点である.遺伝率とは,疾患の発症を遺伝要因と環境要因によるとして,全体のうちで遺伝要因がしめる割合を指す.「親の病気が子どもにどのくらい遺伝するかを表す数値」という誤解が,一般の方にだけでなくある.
注意点の第二は,遺伝性そのものについてである.遺伝研究は,疾患が遺伝要因と環境要因により成立すると考えるので,社会環境が均一化したり研究対象が狭い範囲に限られて環境要因の分散が小さくなると,遺伝要因の比率が大きく計算される.身長がある一時点でみた場合に遺伝率が高い形質とされることと,社会全体の栄養状態の改善に伴って日本人の身長が大きく伸びたことの対比は,その典型である.また,精神疾患のような多くの遺伝子が関与する病態ではその表現型は連続量として認められるのに,遺伝率の算出にあたっては精神疾患の有/無という離散量が用いられることによる影響もある.
注意点の第三は,遺伝性推定の解析モデルの仮定と特徴である.遺伝性を推定するモデルでは,遺伝要因と環境要因に交互作用がないと仮定している.また,遺伝要因による環境選択を考慮せずに,遺伝要因と環境要因に相関はないと仮定している.これらのため,非共有環境要因は環境要因に算定される一方で,共有環境要因は遺伝要因に算定されている.
遺伝率についてこうした内容について十分に説明することで,遺伝についての正しい理解を広めスティグマを減らしていくことは,専門家であるからこそ可能になる.
4.当事者の勇気を支援する
日本の社会における統合失調症のあり方を進める取り組みが,当事者や家族の手で行われている.笑いが絶えないミーティングに基づいて当事者研究を進めている北海道浦河町のべてる,自分を茶化すような替歌に踊りを交えて披露することで楽しい雰囲気の講演を心がける森実恵さん,つらい体験を漫画『わが家の母はビョーキです』にユーモラスに描いて広く公表した漫画家の中村ユキさん,日本の有名人として初めて統合失調症の体験を広く公表したお笑いコンビ松本ハウスのハウス加賀谷さんなど.
統合失調症の時代を一歩ずつ前進させた皆さんが,踊りや漫画やお笑いという楽しい活動に携わっていることは偶然ではない.楽しい活動に携わっていることが,自分のつらい体験を客観視し,それを明るい雰囲気のもとで表現し,周囲に幸せをもたらす使命を感じるという,「利他的な生き方」を支えているのである.そうした生き方が,困難な現状の見え方を変え,先例のない試みに挑戦する勇気をもたらし,社会の理解を変えることへと結びついている.
大切なことは,その訴えが人の成長と社会の発展についての普遍的な理念を提起していることである.統合失調症という病気と苦労を体験することで初めて気づくことができた,生きる意味,人生の価値,社会のあり方.それらは,病気の体験の有無にかかわらずに大切な,人の成長と社会の発展についての普遍的な理念である.そうした普遍的な理念を発信することこそが,本当の意味でのアンチスティグマである.こうした勇気を支援できるのは専門家の役割である11).
III.社会のなかでの特権
1.社会的な特権としての「精神保健指定医」
入院診療に携わっていると,医療保護入院などの非自発入院に携わることは日々の業務である.精神保健指定医という資格に基づいて,非自発入院の判断を行うことができる.しかしそれは法律の面から考えると,大変な権限を与えられていることになる.
非自発入院は,精神疾患の治療のために基本的人権の1つである自由権を制限する制度である.不法な抑留や拘禁を禁じる憲法34条の規定にもかかわらず,精神疾患の治療という理由で自由権を制限する権限が与えられている.犯罪と関連しない対象者について,裁判所や警察ではなく自由権を制限できるのは,法治国家においては極めて例外的な立場である.
制度論からいえば,本来そうした法的立場にないはずの精神科医が,重大な権限を担わざるを得ないという側面がある.したがってこの権限を用いる際には,多職種の関与を求めるなどの工夫をすることで,それを正しく発揮できるよう努める責務が精神科医には託されている.精神保健指定医という社会的特権は,そうしたなかで生かすことができる.
2.心理的な特権としての「本心」
診療のなかで当事者や家族から聞くことのできる話の多くは,それぞれの本心である.多くの方は正直な気持ちや考えを語ってくださる.「このことは家族にも友達の誰にも話していません」という内容を聞かせていただくことも稀ではない.そのようにして,多くの方から正直な心理としての本心を聞くことを,日々の仕事として繰り返している.
しかし自分の日常を振り返るだけでも明らかなように,普段の生活のなかで他人の本心を聞くことができる機会は限られている.毎日の暮らしの大部分は,社会の建前や相手への配慮や自分についての謙遜に基づいて,本心を語ることなく行っている.多くの人から本心とそれに基づく生活や人生の話を聞くことができるのは,社会のなかでは奉仕者や宗教者など限られた立場の人にのみ与えられている機会である.精神科医は,診療という普段の仕事のなかでそうした機会をもてる特権に恵まれている.その深い意味は,罪を贖う人の話においてより明らかとなる1).
多くの方から本心とそれに基づく生活や人生の話を聞くことができるという心理的な特権から得た知恵は,こころの健康を守る社会の制度として広げることで,社会に還元していくべきものである.
3.医療の特権としての「治療」
精神科医としての診療は,どのようなものだろうか.心理的治療により心に働きかけ,向精神薬を処方して脳に働きかけ,社会的治療により生活に働きかける.こうした働きかけの効果を個別の患者ごとに確認することで,自分の見立てや働きかけの適否を知り,働きかけの効果と治癒力や成長との関係を縦断的に実感として知ることができる.診療を通じて,生活や人生が心や脳にどう支えられているかを理解していくことになる.
こうした日々は,精神科医としてはごく普通の日常である.しかし研究に携わったことがあれば,このように心や脳や生活に働きかけることを,いかに特別に許されているかがよくわかる.治療として行うという理由で,普通であれば難しい働きかけが認められている.そのことに,臨床医は思いを致さなければならない.
そうしたなかで臨床医は,治療の場に安心を覚え,治療者を人間として信頼でき,治療の効果に希望をもてるという治療関係の重要性を実感する.安心・信頼・希望は治療の有効性の非特異的な基盤であり前提である.それは心理療法の基盤であるだけでなく,薬物療法にも共通する.「お医者さんで苦労してます」(『こころの元気+』の特集タイトル)という治療関係においては,薬も効きにくい.
さらに大切な非特異的要因として,治療における能動性と主体感がある.治療に前向きな気持ちになり,治療法を自ら選択し,効果を自身で確認するという,治療の中心に自分がいる感覚である.「自らの困難をメタ認知し,仲間と対処法を自己発見し,それを言葉として外在化し,自分で活用する」というリカバリーの取り組みを,増川ねてる氏と仲間は「自分の取り扱い説明書“ジブンのトリセツ”」と表現している.こうした,自我の脳機能を高める自己対処の意義を大切にしていきたいと考えられるのは,医療としての治療という特権をもつ精神科医ならではである10).
4.医療場面における特権としての「力関係」
「重要な面談にのぞまれる患者さんとご家族へ―聞きたいことをきちんと聞くために―」は,国立がん研究センター東病院の精神腫瘍学開発部が作成したパンフレットである.「がん情報サービス」のホームページでPDFファイルが公開されている15).
がん医療において,「本人の意向を十分尊重してがんの治療方法等が選択されるよう医療を提供する」ことが基本理念であるにもかかわらず,「患者さんやご家族から医師に質問することの難しさ」があるという現状を踏まえて作成されたものである.
がんの診断や検査や治療や生活についての53の質問を列挙し,尋ねたい質問に丸印をつけることができるようになっており,「何を質問してよいかわからない」「よくある質問について説明してほしい」という声に応えられるようになっている.診療の現場で用いた経験から,「パンフレットを利用することで医師に質問をしやすくなった」「これからも医師との面談前にこのパンフレットを使用する」ことで役立つことが明らかとなったという22).
この取り組みで重要なことは,医療において医師と患者との関係が非対称であることをむしろ生かしていることである.医師が強い立場にあることを生かせば,「質問してよい」というメッセージを発信することができる.多くの患者がどのようなことで悩み迷っているかを知っているという有利な立場を生かして,「多くの方はこうして質問をしています」と投げかけることができる.
医療場面において,医師と患者の関係が非対称になることには,避けられない側面がある.そうした医師の特権を踏まえたうえで,その力関係を生かす貴重な取り組みである.この取り組みを精神疾患についても発展させる試みが始まっている.それを,「診療のなかではニーズは学べない」という気づき7),当事者や家族と専門家が力を合わせれば社会へ訴える力が増すという経験4)で補うことで,精神科医療を充実させていくことができる.
おわりに―精神科医であることの特権―
1.仕事と生き方についての気づき
「サービス利用者,ケアラー,家族,同僚,一般の人々,さらにはコミュニティと,建設的な協力関係を築きそれを持続できる.利害や目標の違いから関係者の間に緊張が生じた時に,その緊張を生かす前向きな取り組みができるworking positively with any tensions」.これは,イギリス保健省が作成した「精神保健サービスの実践に携わるすべての人に求められる10の基本(The Ten Essential Shared Capabilities)」の冒頭の項目「関係を築き協働できる」である23).自分たちの仕事についての気づきである.
「誰しもが自分の人生を生きている当事者」「1人ひとりが,自分についての専門家」.これは,精神疾患をもつ当事者としてWRAPの活動に取り組んでいる増川ねてるさんの文章のタイトルである16).病気という特殊性から出発して,すべての人に共通する普遍的な理念とそれに基づく取り組みへと発展していることを示すこの言葉が,生き方についての気づきを促してくれる.
2.脳科学と価値についての気づき
「実験室のなかではなく実生活という自然な状況のなかで(現実世界),課題として与えられるのではなく自発的な意志にもとづいたり必要に迫られて(内発性),1つのことだけに絞らずに複数のことを並行しながら(並列処理),想像だけではなく実際の動きとして行動を起こし(実行・遂行),働きかけた物や相手から反応がありそれに対して次の行動を起こしていく(相互性)時の脳機能」(「行動脳」)は,これからのテーマである.こうした普段の生活のなかでの人間の脳機能は,まだほとんど解明されていない.」5)
脳科学は,1950年代の「理性脳」(感覚・記憶)→1970年代の「感情脳」(情動・感情)→1990年代の「社会脳」(対人関係)→2000年代の「自我脳」(意志・自我)と発展してきており,これからは「行動脳」(生活・内発・価値)や「表象脳」(言葉・内省)という捉え方へと進んでいくと予想される13).精神科医が携わっている仕事は,脳科学の最先端であり未来なのである.
「本人の夢を大切にし(aspirations),備わっている力を見出し(strengths),当事者と専門家が対等な立場で相談し(shared decision making),多職種による全人的なサービスを提供することで(multi-disciplinary),望む生活と人生を実現し(recovery),自尊心(self-esteem)と自己効力感(self-efficacy)の回復を図る」という価値志向の精神医学・精神科医療(value-based psychiatry)は,実践的・倫理的な考え方であるとともに,こうした脳科学にも基づいている.
3.誇りをもてる仕事に携わっていることへの気づき
「回復が難しいといわれる統合失調症になったとしても,当事者も家族も『より良く生きたい』と願っています.精神科医療は,患者であるその人自身とその複数の家族の人生を左右する重要な医療です.人間にとって一番重要な医療だという誇りを持って,治療・研究にあたっていただけることを切に願っています.」19)
この文章は,さきに紹介した『統合失調症』に家族会の方が執筆した原稿「統合失調症になってもだいじょうぶな社会を願って」の結びの部分である.「誇りを持って」という励ましは,普通であれば専門家が当事者や家族に向ける言葉だろう.しかしここでは,専門家が家族に励まされている.
「人間にとって一番重要な医療」という心構えで自分は日々の診療に取り組んでいるだろうか? 自分の職業に誇りをもっているだろうか? そう断言できない自分の気持ちが,サービスの質を低下させ,そのことが患者や家族に伝わり,自分から偏見を作り出してはいないだろうか? そうしたことを思い知らされ,自分の仕事の使命と覚悟について学んだ衝撃であった.
仕事に携わるなかで,生き方について,価値について,誇りについて気づくことができること7),それがみずからの成長へも結びつくこと6),それが精神科医という専門家の特権である.そうした特権に気づき社会のために役立てることが,精神科医と公益社団法人となった日本精神神経学会には求められる.
第110回日本精神神経学会学術総会=会期:2014年6月26~28日,会場:パシフィコ横浜
総会基本テーマ:世界を変える精神医学―地域連携からはじまる国際化―
教育講演:精神科医の「特権」に気づき役立てる 座長:内富 庸介(岡山大学大学院医歯薬学総合研究科精神神経病態学教室)
利益相反開示
日本精神神経学会「臨床研究の利益相反(COI)に関する指針」に基づいて開示すべき利益相反はない.ただし,金額の多少にかかわらず利益相反の可能性があるのは以下のとおりである.〔共同研究費〕日立製作所,日立メディコ〔奨学寄附金〕アステラス製薬,エーザイ,MSD,第一三共,ファイザー,大日本住友製薬,日本メジフィジックス,吉富製薬〔講演料・原稿料・編集料〕医学書院,医薬ジャーナル社,新興医学出版社,星和書店,中央法規出版,日本評論社,南山堂,群馬県看護協会,高崎市,群馬県こころの健康センター,国立精神・神経医療研究センター,アステラス製薬,エーザイ,大塚製薬,協和発酵キリン,大日本住友製薬,大鵬薬品工業,日本ベーリンガーインゲルハイム,ヒューマンサイエンス振興財団,ヤンセンファーマ
1) 青島多津子: 少年たちの贖罪―罪を背負って生きる. 日本評論社, 東京, 2014
2) Buescher, A. V. S., Cidav, Z., Knapp, M., et al.: Costs of autism spectrum disorders in the United Kingdom and the United States. JAMA Pediatr, 168; 721-728, 2014
3) Frey, S: The economic burden of schizophrenia in Germany: a population-based retrospective cohort study using genetic matching. Eur Psychiatry, 29; 479-489, 2014
4) 福田正人, 西田淳志, 岡崎祐士ほか: こころの健康推進を日本の基本政策に―精神保健と医療の改革の課題. 臨床精神医学, 40; 35-43, 2011
5) 福田正人: 脳の働きとこころ―脳科学の発展. もう少し知りたい統合失調症の薬と脳・第2版 (福田正人編著). 日本評論社, 東京, p.209-223, 2012
6) 福田正人, 臺 弘: 精神科臨床サービスの専門家としての基本と成長. もう少し知りたい統合失調症の薬と脳・第2版 (福田正人編著). 日本評論社, 東京, p.153-171, 2012
7) 福田正人: 患者から学ぶ―「専門家」がようやく学んだこと. 精神療法, 39; 625-628, 2013
8) 福田正人, 糸川昌成ほか編: 統合失調症 医学書院, 東京, 2013
9) 福田正人: 精神科医の「特権」. こころの科学, 174; 1, 2014
10) 福田正人: 安心・信頼・希望と「ジブンのトリセツ」. こころの科学, 177; 1, 2014
11) 福田正人, 高橋啓介, 武井雄一: 統合失調症. 情動の仕組みとその異常 (山脇成人, 西条寿夫編). 朝倉書店, 東京, 2015 (印刷中)
12) Gustavsson, A., Svensson, M., Jacobi, F., et al.: Cost of disorders of the brain in Europe 2010. Eur Neuropsychopharmacol, 21; 718-779, 2011
13) Kasai, K., Fukuda, M., Yahata, N., et al.: The future of real-world neuroscience: imaging techniques to assess active brains in social environments. Neurosci Res, 90; 65-71, 2015
14) こころの健康副読本編集委員会編: 悩みは, がまんするしかないのかな? 中学校保健体育副読本. 精神神経科学振興財団, 2013(http://psycience.com)
15) 国立がん研究センター東病院臨床開発センター精神腫瘍学開発部: 重要な面談にのぞまれる患者さんとご家族へ―聞きたいことをきちんと聞くために―. 2011(http://pod.ncc.go.jp/pamphlet/PromptSheet_110620.pdf)
16) 増川ねてる: WRAPの「ファシリテーター」体験記―1人ひとりが, 自分についての専門家. 精神科臨床サービス, 13; 88-93, 2013
17) 中根允文, 三根真理子: 精神障害に係るAnti-stigmaの研究: 教科書に見るメンタルヘルス教育―中学校・高等学校の教科書における記載を通して (1950~2002年までの「保健体育」教科書調査から). 日社精医誌, 22; 452-473, 2013
18) 野中 猛: がんサバイバーという臨床活動. 緩和ケア, 23: 266-267, 2013 (私家版『私の療養日誌』に再録)
19) 岡田久美子: 統合失調症になってもだいじょうぶな社会を願って. 統合失調症 (福田正人, 糸川昌成ほか編). 医学書院, 東京, p.13-16, 2013
20) Sado, M., Inagaki, A., Koreki, A., et al.: The cost of schizophrenia in Japan. Neuropsychiat Dis Treat, 9; 787-798, 2013
21) Salomon, J. A., Vos, T., Hogan, D. R., et al.: Common values in assessing health outcomes from disease and injury: disability weights measurement study for the Global Burden of Disasese Study 2010. Lancet, 380; 2129-2143, 2012
22) Shirai, Y., Fujimori, M., Ogawa, A., et al.: Patients' perception of the usefulness of a question prompt sheet for advanaced cancer patients when deciding the initial treatment: a randomized, controlled trial. Psycho-Oncology, 21; 706-713, 2012
23) Thornicroft, G., Tansella, M.: Better Mental Health Care, Cambridge Univerity Press, Cambridge, 2008 (岡崎祐士, 笠井清登, 福田正人ほか訳: 精神保健サービス実践ガイド. 日本評論社, 東京, 2012)
24) Wittchen, HU, Jacobi, F, Rehm, J, et al.: The size and burden of mental disorders and other disorders of the brain in Europe 2010. Eur Neuropsychopharmacol, 21; 566-679, 2011
25) Wu, E. Q., Birnbaum, H. G., Shi, L., et al.: The economic burden of schizophrenia in the United States in 2002. J Clin Psychiatry, 66; 1122-1129, 2005