Advertisement第120回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第117巻第3号

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教育講演
第110回日本精神神経学会学術総会
家族として,当事者として,そして精神科医として―日本精神神経学会の皆様へお伝えしたいこと―
夏苅 郁子
やきつべの径診療所
精神神経学雑誌 117: 228-233, 2015

 筆者は,本誌113巻9号に「『人が回復する』ということについて」と題した論文を発表した.この論文は,統合失調症者と暮らす家族の実態と回復を中心に書いたものであり,当事者・精神科医としての筆者の「回復」にはほとんどふれていない.発表当時は,「家族が実名で公表する」ことが主な目的だった.公表が契機となり多くの当事者や家族と出会い,診察室では聞くことのできなかった彼らの本音と強さを知り,筆者の彼らへの考え方は大きく変わった.一方で,筆者と同じように医療職であり家族の立場でもある方から,多くの感想を得た.家族と専門職の立場の間で板挟みの感情に苦しむ状況を知り,家族の孤独,母の時代と全く変わらない精神疾患への根深い偏見が現在も続いていることを実感した.公表は,筆者の精神科医としての視野を大きく広げた.医師になって30年余,「自分は何をやっていたのか」「当事者・家族の声を聞き落としてきたのではないか」と自問する.それでも,精神科医として今日まで存在し続けてきた.精神科医療は,その内なる矛盾に疑問さえもたなければ,そのまま通過できてしまう世界であり,これが,近代化100年を通して「当事者中心のリカバリー」が立ち遅れ,結果として精神科医療が取り残されてきたゆえんだと考える.「精神科医が増えるにはどうしたらよいか?」という声を,本学会会員から聞く.筆者は,自身の経験がよい意味で動機づけとなって精神科医となったわけではない.当事者や家族が「受けてよかった」と思える医療をすること,そうした医療を受けた家族の中から,「精神科医になりたい」と夢をもつ若者が出てくることが,精神科医療が発展する道だと考える.そうなるためには,エビデンス重視・量的研究主体の現在の医学においても,当事者・家族の「生きた言葉」を大切にし,その強さに敬意を払って1例1例と慎重に向き合う診療姿勢が何より必要だと考える.

索引用語:当事者, 家族, 偏見, 精神科医療>
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