大麻関連嘔吐症(CHS)は,長期的な大麻使用により反復性の悪心・嘔吐を呈する比較的新しい疾患である.欧米では報告例が増加している一方,日本では依然として稀であり,診断遅延や誤診が課題となっている.診断には慢性的な大麻使用歴,入浴による症状軽快,周期的な嘔吐という三徴が重要だが,初期症状が非特異的なため消化器疾患や心身症と誤診されやすい.さらに,大麻使用の違法性や社会的スティグマにより使用歴の聴取が困難であることも,診断遅延を招く要因である.本稿では,X-2年からX年までの約3年間心身症と診断され精神科治療を受けていた20歳代前半の男性の症例を報告する.患者はX-4年から大麻を使用し,徐々に使用は増加し,X-1年時ほぼ毎日継続.初発症状として腹痛・嘔吐を認め,以後も周期的に再発したが,急性胃腸炎や心因性嘔吐と診断され,対症療法や抗うつ薬による治療が行われた.精神症状は目立たないにもかかわらず,嘔吐の再発を繰り返していた.X年の当院受診後,これまでの器質的疾患の精査歴,慢性的な大麻使用歴および入浴による症状軽快を再確認し,さらに断薬後の持続的寛解を経過観察した結果,X+1年にCHSと確定診断した.CHSは消化器疾患や機能性嘔吐症,心身症との鑑別が難しく,疾患への認知不足が診断遅延の一因となっている.診断には大麻使用歴の積極的かつ非断罪的な聴取が不可欠であり,多職種連携による診断が求められる.本症例は,CHSの特徴的経過を示す貴重な1例であり,疾患理解と早期診断の重要性を示唆する.
https://doi.org/10.57369/pnj.26-109
受付日:2025年11月10日
受理日:2026年3月17日
はじめに
本稿では,大麻関連嘔吐症(cannabinoid hyperemesis syndrome:CHS)と記載を統一する.CHSは,長期的な大麻使用に伴い発症する,反復性の悪心・嘔吐を特徴とする症候群である.本症は,2004年にAllen, J. H. らにより初めて報告され1),以降,欧米諸国を中心に認知が進んでいる.しかし,日本国内においてはきわめて稀な疾患であり,著者らが検索し得たかぎり,2025年現在,文献としての症例報告はいまだなされていない.
CHSは,慢性的な大麻使用歴,入浴による症状の一過性軽快,周期的嘔吐を特徴とする.一方で症状が非特異的であるため,消化器疾患や心身症と誤診されることもあり,特に大麻使用歴の聴取が困難な場合には診断が遅延してしまうことも少なくない.
大麻の精神作用に関する研究は多数存在する一方で,消化管機能への影響に関する臨床的理解は限定的であり,CHSは世界的にも依然として認知度の低い疾患である2).とりわけ日本においては,大麻使用歴の聴取が積極的に行われておらず,それが診断遅延や誤診の一因となっている3).入浴による症状の一過性軽快といった本症に特徴的な所見に着目し,その背景にある大麻使用歴を適切に評価することが,正確な診断および早期介入において重要であると考えられる.
今回,X-2年からX年までの約3年間にわたり心身症と診断されていたが,CHSの診断に至った1例を報告する.
本症例報告の発表および学術誌への掲載について,患者本人より文書による同意を得た.また,個人が特定されないよう十分に配慮した.また,オープンアクセスでの公開に関しても併せて同意を取得した.
I.症例提示
1.症例:20歳代前半,男性
1)主訴:突然の腹痛と嘔吐の持続
2)既往歴:熱性けいれん
3)併存疾患:特記事項なし
4)内服歴:なし
5)家族歴:特記事項なし
6)生活歴:A市にて出生.未婚.義父と実母との3人暮らし.幼少期に両親が離婚し,その後母親は2度再婚している.友人は多く,対人関係は良好であった.勉強はあまり好まず,中学以降の学業成績はあまり良くなかった.最終学歴は高卒.高校卒業後は飲食店に勤務していたが,大麻使用による拘留を機に解雇となった.釈放後から現在まで実母・義父と同居し,アルバイトを掛け持ちしている.
7)性格傾向:生来健康であり,元来性格傾向は,内省的かつ几帳面であり,対人場面ではやや緊張を伴いやすく,他者の評価に対して敏感な一面を有していた.
2.現病歴
以降の記載では,当院初診月を便宜上X年と表記する.小中学校では問題行動はみられなかったが,高校生時代には家庭環境の悪化に伴い,万引きや喧嘩などの問題行動が出現した.X-4年に友人の勧めで大麻を初めて使用し,その後は使用量・頻度が徐々に増加し,X-2年にはほぼ毎日使用していた.ちょうどこの時期から周期的な腹痛と嘔吐発作が出現し,内科クリニックで急性胃腸炎と診断され対症療法が行われたが,症状は数日間持続した.同年3月にも同様の症状が再燃し,総合病院内科で上部消化管内視鏡検査,腹部超音波検査,頭部MRI検査が施行されたが明らかな異常は指摘されなかった.情動不安定および易怒性がみられ,精神科(A病院)を初診し,うつ病・心身症の診断でセルトラリンおよび制吐薬(メトクロプラミド)が処方されたが,以後も約1ヵ月ごとに同様の発作を反復し,2回の精神科入院歴を有した.A病院での2回目の入院中に,入浴をすると悪心・嘔吐が一過性に軽快することを本人が自覚した.母親の再婚を契機に単身生活を開始したが,同年10月に大麻使用が発覚して拘留・解雇となり,12月に保護観察下で釈放された.その後は義父・実母と同居した.X-1年2月,約5ヵ月ぶりに悪心・嘔吐が出現し,B病院へ転院して心身症の診断で抗うつ薬の処方が継続された.患者は前医の診断や対応に不満を抱き,X年に当院を受診した.当院初診時点ではCHSを鑑別に挙げ,前医での器質的検査の結果と断薬後経過の確認を通じて最終診断の確定に至った.
3.初診時現症
顔貌はやや緊張を帯び,不安気な表情が認められた.視線は逸れる場面があるものの,質問に対しては適切に反応し,ラポールは良好に形成されていた.声量は小さく,トーンは低く,語調に抑揚が乏しい傾向があった.発話は論理的で明瞭,流暢さに問題はなく,言語的遅滞や作為性は認められなかった.身だしなみは清潔で整っており,季節に適した服装をしていた.診察室内では落ち着いて座っていたが,やや体を揺らす動作や手指の落ち着きのなさが見られ,軽度の焦燥が示唆された.異常行動や,易刺激性は認められず,全体として協力的な態度を保っていた.
意識清明で,注意および集中力もおおむね保たれていた.知的水準は年齢相応と判断された.思考は論理的に保たれ,幻覚・妄想,自我障害などの精神病性症状はみられなかった.軽度の抑うつ気分,易疲労感,意欲低下を自覚していたが,精神運動抑制はなく,そのほかに顕著な症状はなかった.
身体的には特記すべき異常所見を認めず,見当識や記憶も保たれていた.大麻への依存傾向については,使用頻度が増加しほぼ連日の使用に至っていた点から示唆されたが,摂取が中断された後に顕著な離脱症状や強い渇望は認められなかった.
4.診断Cannabinoid hyperemesis syndrome(CHS)
本症例は,CHSと大麻使用障害(cannabis use disorder)の2つの診断に至った.
まずCHSについてである.患者はX-4年に大麻を初回使用し,その後使用量と頻度は漸増し,X-2年にはほぼ連日使用していた.この大麻使用と時期を同じくして,周期的に腹痛および激しい嘔吐発作が出現しており,発作時に内科を受診した際には急性胃腸炎として対症療法が行われたが,制吐薬による効果は乏しかった.また,その後の精査では,上部消化管内視鏡検査,腹部超音波,頭部MRIおよび血液検査において器質的異常は認められなかった.さらに,入浴により嘔気・嘔吐が一過性に軽快するという特徴的な所見が本人から聴取された.決定的であったのは,大麻使用中止後に嘔吐発作が完全に消失し,当院受診後の追跡においてX+1年まで再燃を認めなかった点である.以上より,本症例の反復性嘔吐は大麻使用と明確な時間的関連を示し,CHSの診断基準に合致すると判断した.
次に,併存する精神科的診断について述べる.当院初診時,抑うつ気分や易疲労感などの軽度の情動症状はみられたが,うつ病や不安障害の診断基準を満たす持続的精神症状は認められなかった.一方で,患者は大麻使用を繰り返す過程で拘留や就労喪失といった社会的機能低下を経験しており,使用量の増加,生活上の問題の発生にもかかわらず使用を継続していた.抗うつ薬を中心とした前医での治療では改善は乏しく,むしろ大麻中止後に精神症状が軽減していることから,情動症状は大麻使用に付随するものであった可能性が高い.以上より,DSM-5に基づき,本症例は大麻使用障害と診断することが妥当と考えられた.
以上のように,本症例でみられた反復性嘔吐発作は,器質的疾患や心身症では説明が困難であり,大麻使用との因果関係が明確に示された.したがって,本症例はCHSに大麻使用障害を併存した症例であると結論づけられる.
5.経過
当院初診後,反復性嘔吐の原因として器質的疾患を含む鑑別を挙げたうえで,これまでの検査結果を再検討し,必要な除外診断を進めた.加えて,病歴聴取を再構造化することで慢性的な大麻使用歴を具体化し,入浴による症状軽快という特徴的所見を再確認した.診断確定後は,患者に対し大麻使用と症状との因果関係を説明し,CHSに対する確立した介入が断薬であること,再使用が再発リスクとなることを指導した.その後も継続的な通院によるフォローアップで断薬は維持され,診断から現在までの観察期間において悪心・嘔吐の再発は一切認められず,安定した寛解状態を維持している(図).
II.考察
CHSは,2004年にAllenらにより初めて報告された,慢性的な大麻使用に伴い出現する反復性の悪心・嘔吐を主徴とする比較的新しい疾患である1).CHSは慢性的な大麻使用者のうち約6%にみられるとされ,若年成人男性に多く,摂取量および使用期間がリスク因子とされる2).病態生理はいまだ明確ではないが,tetrahydrocannabinol(THC)による視床下部や腸管の内因性カンナビノイドシステムの調整異常,あるいはCB1受容体を介した消化管運動抑制が関与すると考えられている7).
CHSに特異的な所見として,熱いシャワーや入浴による一過性の症状軽快が知られており,診断における重要な手がかりとなる11).この現象にはTRPV1受容体の過剰刺激が関与するとされ,カプサイシン外用剤の有効性も報告されている6).今後は神経生理学的な研究の進展が期待される.
CHSは症状の非特異性から機能性胃腸疾患や精神疾患と誤診されやすく,診断までに平均4.1年を要するとの報告がある11).日本でも同様であり,精神症状の訴えや若年層における心因性要因の強調が大麻使用歴の探索を妨げている.背景には,(i)大麻使用歴の聴取が形式的に終始することと,(ii)医療者の認知度不足がある9)11).日本では大麻使用率が若年層を中心に増加傾向にあるものの,違法性やスティグマにより患者は使用歴を伏せやすい4)10).結果として,CHSが診断の鑑別に挙げられず,誤診や診断遅延につながる3).本症例でも急性胃腸炎や心身症と診断され,効果の乏しい対症療法が継続された経過が約3年間に及んだ.診断においては,大麻使用歴と症状の時系列的関連の把握が重要であり,医療者はCHSを常に鑑別に挙げ,非断罪的に使用歴を聴取する姿勢が求められる11).特に反復する原因不明の嘔吐を呈する場合,器質的疾患の除外後には積極的に大麻使用歴を確認すべきである.また,ガイドライン上の記載は未整備であり,精神科・消化器科・救急科を含む多職種の認知向上と連携が必要である.
CHSは心身症,周期性嘔吐症(cyclic vomiting syndrome:CVS)や機能性ディスペプシアと誤診されやすい2).これらは心理社会的ストレッサーと関連する一方,CHSでは大麻使用状況に応じた周期的症状が特徴的である5).CVSではストレスや過労,不眠などが誘因となることが多いが,CHSでは慢性的な大麻使用歴が鑑別点となる8).さらに,制吐薬への反応不良や周期的反復,入浴による症状軽快といった臨床特徴を統合的に評価することが診断に有用である9).
CHSは診断確定後においても,患者が大麻使用と症状の関連を十分に自覚しない場合があり,依存の問題を含めた精神医学的支援が求められる.初診時から鑑別診断を意識し,疾患理解を促す情報提供を行うことが,症状改善と再発防止に重要である.
おわりに
本症例は,診断確定までに約3年を要し,精神疾患と誤診されていた若年男性が,大麻使用の中止と入浴による症状軽快という臨床的特徴からCHSと診断された1例である.CHSは,非特異的な症状,大麻使用歴の秘匿,医療者側の認知不足が重なり,診断までに時間を要しやすい疾患である.特に日本では,大麻使用の稀少性が問診上の障壁となりやすく,原因不明の反復性嘔吐に対しては,器質的疾患を除外したうえで積極的な使用歴の探索が求められる.入浴による症状軽快という特徴的な所見は,鑑別診断の手がかりとなるため,問診での把握が重要である.また,診断後においても,大麻使用と症状との関連を丁寧に説明し,断薬継続の支援を行うことが再発防止に不可欠である.そのため,CHSは単なる診療のみにとどまらず,患者背景に応じた精神医学的アプローチや包括的支援が不可欠な疾患であり,精神科,消化器科,救急科などを含む多職種の連携体制の構築が求められる.本症例は,CHSの特徴的な臨床経過を示す貴重な1例であり,今後の疾患理解と早期診断に向けた啓発の一助となることが期待される.
なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.
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