Advertisement第122回日本精神神経学会学術総会

論文抄録

第127巻第8号

特集 医学教育に活かす精神病理学
医学教育のための純粋精神医学
古茶 大樹
聖マリアンナ医科大学神経精神科
精神神経学雑誌 127: 561-568, 2025
https://doi.org/10.57369/pnj.25-088
受付日:2024年12月12日
受理日:2025年4月23日

 精神医学を構成する学問は多岐にわたるが,一つひとつの学問の基礎知識や具体的方法,あるいはその志向性は大きく違う.例えば同じ治療学の領域にあるものでも精神分析学(psychoanalysis)と精神薬理学(psychopharmacology)とでは共有する部分は全くない.諸学問の多面性・多様性と同時に存在する排他性は身体医学の分野では類をみない,精神医学特有のものである.そのなかで一つ抜きん出ているのが臨床精神病理学〔clinical psychopathology(精神症候学symptomatology)〕だろう.臨床精神医学の理解には「精神障害(mental disorder)には疾患的であるものと,ないものとがある」という前提が必要不可欠である―こう述べたのはSchneider, K. である.彼の主著『臨床精神病理学(Klinische Psychopathologie)』に基づく純粋精神医学(pure psychiatry)の思想はその前提から出発したもので,あらゆる精神医学の教育の根幹に据えるべきであるように思う.本稿では,精神医学教育について筆者が実践していることを紹介したい.医学生が精神医学に初めて触れる機会に精神症候学を中心に据えること,専攻医教育には上級医の問診技術の物真似が重要であること,純粋精神医学の思想を学ぶためのSchneider『臨床精神病理学』の輪読会,助手として精神鑑定に携わること,和文症例報告の再評価について論じた.精神医学はその対象を把握する段階で社会科学の方法を使い,その本質を探究する段階で自然科学の方法を駆使する,社会科学と自然科学が交差する特殊な学問領域である.そして「精神科医になる」ということは,「人体」ではなく,分ち難く結びついている心身の全体像としての「ひと」に関心を寄せ続けることである.臨床実践の場面で,一人の患者を全人的に把握しようとする態度は,医学教育に必要とされるジェネラリズム(generalism)に他ならない.精神医学教育はまさにその姿勢を学ぶ最適の機会であり,それは純粋精神医学の思想を根幹にすることで最大の効果が得られるように思う.

索引用語:医学教育, 臨床精神医学, 臨床精神病理学, 純粋精神医学, 精神障害>

はじめに
 はじめに純粋精神医学(pure psychiatry)10)について簡単に紹介する.Schneider, K. は,臨床精神病理学ひいてはそれに基づく臨床精神医学の理解には「精神障害(mental disorder)には疾患的であるものと,ないものとがある」という大前提が必要不可欠であると述べている12)(筆者注:mental disorderを「精神疾患」と訳してしまうと意味が曖昧になるので,本稿では従来通り「精神障害」と訳す).しかしながら,現代精神医学においてこの前提は採用されていない.DSM-5-TRにせよICD-11にせよ,mental disorderを定義するだけで「精神医学における疾患とは」を明らかにしようとはしていない.
 主要な精神障害のカテゴリー(類型)の実在に対する疑念は,歴史的に異なる文脈で繰り返し表明されてきた.1970年代の反精神医学運動7),たびたび話題に上るカテゴリーの妥当性問題8),そして生物学的精神医学から突きつけられた脱DSM宣言5)とカテゴリー不在のResearch Domain Criteriaの提唱4)などである.精神障害の医学モデル化に躍起になる現代精神医学は混乱した状況にあるように思う.それは先の大前提を不問にしてきたことと無関係ではない.現代精神医学は何らかの指針を必要としており,それがSchneiderの『臨床精神病理学』に代表されるハイデルベルク学派の思想であると考えている.筆者がこれを純粋精神医学(pure psychiatry)と呼ぶ所以は,国や文化や時代を超え臨床精神医学を理解するうえで普遍的な価値を有しているからである.紙数の都合もあり,その要旨だけを表1にまとめた.詳しくは成書10)を参照してほしい.ちなみに純粋精神医学の思想はエビデンスを否定するわけでもなければ盲従するわけでもない.臨床精神医学の実践に必要な知識にはエビデンスに馴染むものと,そうでないものがあるという認識を堅持し,いわばエビデンスによって得られた知見をどのように理解・解釈すべきかという次元にかかわる思想である.本稿では純粋精神医学の思想に根ざした,医学生から若手精神科医に至るまでの精神医学の教育の実際を紹介したい.

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I.医学生に向けた精神医学の教育
1.精神医学に初めて触れる
 精神医学の範疇に含まれる学問は,臨床に限っても多岐にわたる.主要なものを挙げてみると,臨床精神病理学(精神症候学),神経心理学,神経内科学の基礎知識,脳画像診断学,精神薬理学,それ以外の身体的な治療法についての知識,認知行動療法,精神分析学,その他のさまざまな精神療法,精神科リハビリテーション,社会精神医学,司法精神医学などを挙げることができる.一つひとつの学問の基礎知識や具体的方法,あるいはその志向性は大きく違う.例えば,同じ治療学の領域にあるものでも精神分析学と精神薬理学とでは共有する部分は1ミリもない.精神医学を構成する学問の多面性・多様性と同時に存在する排他性は身体医学の分野では類をみない.これはまさに精神医学特有の特徴でもある.
 聖マリアンナ医科大学(本学)では医学部第2学年で精神医学について12コマの連続講義(1コマ50分,1日3コマの連続4日間)があり,それが学生にとってはじめて精神医学に触れる機会になっている.この12コマをどう使うかによって学生の精神医学に対する印象は自ずと違ってくるだろう.先の学問的多面性という側面からは,1コマ1コマをそれぞれの学問の専門家に語ってもらう方法がすぐに思い浮かぶ.網羅的であり多様性を感じ取ってもらうことで精神医学の魅力を伝えようとするわけである.しかし,各分野の専門家をすべて揃えるのは難しいというこちら側の事情もさることながら,この方法は聞き手にとってデメリットがある.それは初学者にとって「何が最も大切なのか」(そういうべきものがあるとすれば)がよくわからないことである.
 先に列挙した精神医学を構成する諸学問のうち,頭ひとつ抜きん出ているもの,「それなくして臨床を学ぶことも実践することもできない」ものが1つだけある.それは臨床精神病理学(clinical psychopathology)とくに精神症候学〔symptomatology(記述精神病理学descriptive phenomenology)〕であり,臨床において「対象を把握・同定する」「診断をする」という重要な役割を担っている.それ以外の領域はいずれも精神症候学によって把握された対象について展開するものといってもよい.そういえば,20年ほど前に米国において記述精神病理学への関心が著しく低下している事態が懸念されていた1)のだが,それはもはや対岸の火事ではなく,今日のわが国にとっても現実的な問題となっている.そのことに気づくと精神医学への入り口を開く,もう1つの方法は臨床精神病理学に焦点を絞るというものである.それでは偏りすぎだという批判があるかもしれないが,ここには大きなメリットがある.それは物質を扱う身体医学と心・非物質を扱う精神医学の違いをはっきりさせることで,精神医学の魅力を伝えることができることにある.筆者が選んだのはこのやり方である.
 本学の連続講義12コマすべてを筆者一人が担当している.こうすることで聞き手は「ひとつの一貫した考え方」(純粋精神医学の思想)に触れることになる.全12回のテーマは,精神医学と身体医学の違い(因果的関連と了解的関連を含む1コマ),記述精神病理学(精神症候学7コマ),分類学(1コマ),疾患各論(3コマ)という構成である(表2).臨床精神病理学の最も重要なテーマの1つである妄想にはまるまる1コマあてている.第1回と第9回に純粋精神医学の思想をかみくだいて紹介しているのだが,そこでは精神医学と身体医学の違いにスポットライトをあてている.総論的内容を深める一方で,疾患各論は高学年で詳しく取り扱うのでここでは3コマに凝縮し概要だけを伝えている.症候学の講義では単なる術語の解説だけでなく短い症例の描写をふんだんに取り入れることでより臨床を意識させるように工夫している().講義ではパワー・ポイントを一切使わない.穴埋めプリントを配布し,ホワイト・ボードを使って進める.学生は端末に取り込んだPDFファイルあるいはプリント・アウトした紙媒体に書き込みながら耳を傾けている.たくさんの症候学の用語を覚えるためには,自分で書くという一手間があったほうがよい.延々とスライドを受動的に見せられるよりも記憶に残るものである.例年同じプリントを使っているので,すでに穴埋めが完成したものがあるはずだが,学生を見ている限り,自分で書き込んでいて居眠りする学生は少ない.卒業生の入局者に精神科医の道を選んだ理由を聞いてみると,この連続講義を挙げる者がいた.この講義は精神医学の魅力を伝えるのには十分な力を発揮するが,国家試験にはあまり役に立たない.国家試験対策も含めた精神医学の網羅的な講義は第3学年と第6学年に行われている.それは他の大学と似たり寄ったりの内容でここであえて紹介する必要もないだろう.

2.臨床実習
 第5学年の臨床実習では,入院患者の診察だけでなく上級医の外来診療を見学してもらう.ここには筆者のほか,老年精神医学,児童思春期の専門家が含まれているのだが,問診を中心に展開する診療スタイルは個人個人で大きく違う.そこには精神科医一人ひとりの個性が表れており,それもまた学生の興味を惹きつける.学生には医師―患者間に展開される心の交流を感じ取ってもらいたいと思っている.毎回2,3名が陪席するのだが,筆者がそこで彼らに繰り返し伝えているのは以下のメッセージである.

 A)精神障害には「疾患的であるものと,そうでないもの」がある
 B)「疾患的ではないもの」を医療の対象として積極的に取り上げている
 C)「疾患的ではない精神障害」はしばしば人生や運命の問題を扱っていて,精神科医の役割は限定的である場合がある(ただし薬物療法を否定するものではない)
 D)優れた臨床精神科医は学問的知識だけでなく人生の問題について深い関心を寄せている
 E)優れた身体科の医師は病気を抱えた「その人全体」に関心を寄せるものだが,精神科医は最初から「その人全体」に関心を向けている
 F)患者を見る視点は医師自身の人生の展開・発展によって変化する
 G)「疾患的ではない」患者に薬を投与することは「あなたは病気ですよ」という誤解を与えることがあるので注意したい
 H)目の前の一人の患者について「疾患的であるか,ないか」の判別は時に非常に困難になることがある(とくに抑うつ状態)
 I)精神病(疾患的である精神障害)の患者はいつも精神病であるわけではなく体験反応もある,時に疾患的な症状と反応性の症状が混じり合うことがある

 これらのメッセージを2時間程度の陪席中に要領よく伝えることにしている.

表2画像拡大
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II.臨床的スキルの向上をめざす専攻医の教育
 ここでは,現代精神医学のEBMの実践をふまえたうえでわれわれの教室で特徴的なものだけを紹介する.若手精神科医の教育目標は臨床的スキルの向上にある.ここでは「純粋精神医学」の思想を柱として現代精神医学を批判的にみる姿勢を養う.入局者は精神症候学の基礎知識を先の穴埋めプリントで学習(本学卒業生にとっては復習だが,専攻医向けに講義内容の録画を用意してある)する.上級医の外来診療への陪席も積極的に勧めているのだが,陪席を希望する者はわずかでせっかくの機会なのに少し残念である.

1.アドミッション・カンファレンス
 アドミッション・カンファレンスでは,担当医のプレゼンテーションに続き,同意の得られた入院患者を招き入れ上級医が実際に問診する.Kraepelin, E. やCharcot, J. M. の時代から続く昔ながらの教育方法だが,最近は大学でも大勢の前で患者さんに協力してもらい診察を見せるということは行われなくなってきている.それもまた理由のあることなのでわからなくはないが,座学では伝えることができない技術はこのような方法で伝承するしかない.問診は主に筆者が担当しているが,例えば,児童思春期症例や認知症が疑われる症例であれば専門の教授がそれにあたる.教授陣もそれぞれの問診スタイルがあって,その違いを知ることもおもしろいだろう.診察の様子をじっくりと見てもらうことで問診技術を学んでもらうわけだが,よいところを物真似してもらえればと願っている9).筆者は患者が今ここにいる理由をどのように理解しているのかというところから始まる,発生的了解の視点を重視した問診をしている.すぐに症状をピックアップしようとするのではなく,自然な語りから症状を読み取る術を学んでほしい.認知症に代表される器質性疾患については,必要最低限の脳神経内科の知識も身につけてもらうよう指導している.
 診断名はDSMやICDも使うが,従来診断(病因論的診断)をより重視する.退行期メランコリー(involutional melancholia)や遅発緊張病(late catatonia),遅発パラフレニア(late paraphrenia),非定型精神病(atypical psychosis)といった古典的な病名をできるだけ引き合いに出すよう心がけている.例えば,退行期メランコリーであれば妄想が出現するうつ病と出現しないものとの間に臨床的な違いがあるのか,非定型精神病であれば内因性精神病の二分法に対する疑問というように,これらの概念は特定の臨床的視点(疑問・問題点)から導かれている.そのようなさまざまな視点を学ぶことで,症例を診る力を養うのである.抑うつ状態の鑑別では病因論的視点を重視(DSMは病因論を排している)し*2内因性うつ病(endogenous depression)なのか,抑うつ体験反応(depressive reaction)なのか,あるいは神経症性抑うつ(neurotic depression)なのかを鑑別するよう専攻医は要求される.この鑑別にはその抑うつが疾患的なものか・そうでないのか,そうでないとしたらより体験や状況とかかわりがあるのか,それともパーソナリティと関連があるのかという吟味が必要になる.もちろんそれは簡単なことではなく,上級医が診察したところで結論が出るとは限らない.その鑑別には,患者自身の精神生活の発展を十分に知らなければ判断を下すことはできないものであるから,「精神医学的診断とは本来は時間のかかるものだ」ということを知ってもらうためでもある.現病歴と精神的現在症の記載は,書き手の臨床的スキルを如実に反映する.表面に表れている「症状」だけをピックアップするのに精一杯な者もいれば,患者の語るストーリーによく耳を傾け,了解的関連を加味した縦断的評価を含んだ優れた病歴をまとめる力のある者もいる.筆者はDSM分類の特徴や欠点についても折にふれてカンファレンスで指摘しているが,専攻医には「説得力のある優れた症例記述をできるようになること」が重要な到達目標の一つであると強調している.そうすることで優れた臨床医になるために「何に磨きをかけることが大切なのか」を彼らに知ってもらう.

2.Schneiderの『臨床精神病理学』の輪読会
 純粋精神医学の思想はこの書から導かれている.Schneiderの『臨床精神病理学(Klinische Psychopathologie)』12)はかつてのわが国では輪読会の定番ピースで,原文で読まれていた時代もあっただろう.筆者が精神科医になりたての頃(1986年)も,教授(慶應義塾大学,故保崎秀夫先生)の指導で訳書の輪読会が行われていた.数多くの専門書のなかで『臨床精神病理学』が選ばれたのには理由がある.それはこの書が臨床精神病理学とくにその診断学において最も優れた普遍的な価値を有していたからにほかならない.臨床精神医学の理解には欠くことのできない礎と言っても過言ではあるまい.生きた脳に侵襲なくアプローチすることができなかった時代には,精神状態の評価は専ら問診に委ねられていた.問診によって得られた情報をどのように評価・理解すべきかが非常に重要だったのである.科学技術の進歩により脳を含む身体の状態について多くの情報を得ることができる今日においても,精神医学的診断の拠り所は臨床検査ではないという,困惑させられる事実がある.診断は身体医学では当たり前の存在概念(臨床検査による疾患の実在の証明)によるのではなく,依然として問診によって得られる情報に委ねられている(臨床精神病理学・症候学による類型診断)のである.この歴然とした事実は身体医学と精神医学の本質的な違いを物語っており,Schneiderはそれをしっかりと見据えている.精神障害の医学モデル化が前提となっている現代において,本書の価値は以前にも増しているのではなかろうか.
 われわれの医局では毎週金曜日朝8時から30~40分間,少しずつだが約1年をかけて訳書12)を読み進めていく.「輪読会」と称しているのだが,実際は筆者の読み聞かせである.本文をゆっくりと音読し,そこに筆者の臨床経験を加味した解説を加えていく.とくに現代精神医学との異同について言及するようにしている.毎回最後にハイデルベルクに留学経験のある菅原一晃講師が訳語について丁寧な解説をつけてくれる.それによって本書の理解がより深まっている.それほど長くはない本書だが,一人で読み進めるのは結構骨の折れる作業だろう.しかし,このような形でゆっくりとしかも現代精神医学との関連を解説しながら読み進めていけば,初学者であっても興味深くついてゆくことができる.

3.精神鑑定に携わること
 筆者のほかに安藤久美子准教授(当時,現在は東京科学大学に異動)をはじめ数名の医師が精神鑑定に携わっているのが,医局の大きな強みとなっている.希望者は精神鑑定の助手になってもらい,1つの症例を徹底的に観察・吟味する経験をしてもらう.
 通常の診断は心の動きを一旦止めてみた静的な状態像診断に基づいている.状態像から具体的な類型診断に至り,そこで治療方針が立てられる.診断は「これから」の治療に役立てるものである.一方の精神鑑定は,ある犯罪行為と精神障害との関連を検討するもので,その視線は「過去の犯行時」に注がれている.生育歴・生活史,現病歴をまとめ,性格と知能そして身体を評価し,犯行前・犯行時・犯行後についてさらに詳しく心の動きを追う.その評価には了解的関連による理解が必要不可欠である.ここには優れた問診技術が必要になる.必ずしも協力的ではない対象者に「この人だったら心のうちを話してもいい」という気持ちにさせるにはどうしたらよいのか.答えを制限しない質問,有無を問う二者択一の質問,確認のために使われる消極的な暗示的質問,共感を示すために使われる積極的な暗示的質問といった質問の仕方(表3)を身につけてもらう.患者に向き合う態度を含む問診技術,了解的関連による理解,精神症候学の学問的知識―優れた指導者のもとで精神鑑定に携わることは臨床家としてのスキルの育成に最適な学習機会となる.

4.和文症例報告を重視する
 薬物療法をはじめとする治療の有効性や危険因子研究など,まさに実証主義的アプローチが必要不可欠な領域もあるのだが,精神医学にはこれに馴染まない分野が少なからずある.精神症候学の学理や精神療法の原理といった精神医学を身体医学とは違う「心の医学」たらしめているもの,いわば精神医学の核心部分はその類である.Conrad, K.の「ライナー」3),Freud, S. のいくつかの有名症例,Blankenburg, W. の「アンネ・ラウ」2)―重要な学理が導かれる(概念が生み出される)のはしばしば優れた症例報告に基づいている.その価値は精神医学の歴史が証明しているといえないだろうか.身体医学において症例報告の価値は高くない.エビデンス・レベルではずっと下のほうに位置付けられている.専ら自然科学に根ざす身体医学についてはそれで何の問題もないのだが,精神医学の核心は実証主義から導かれるものではないことを忘れてはならない.
 われわれは対話するときも考えるときも日本語を使っている.1つの症例から重要な何かを感じ取ったら,それは日本語で伝えるのが最良の方法であることは疑いようがない.さらに文化を共有する日本人に伝えたいならなおさらである.臨床的スキルの向上という観点からは,和文症例報告を苦労して書き上げることは大いに価値あることなのである.専攻医には優れた和文症例報告を大いに勧めたい.

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おわりに
 精神医学はその対象を把握する段階で社会科学の方法を使い,その本質を探究する段階で自然科学の方法を駆使するという,社会科学と自然科学が交差するねじれの構造をもった特殊な学問領域である.精神医学の最大の特徴と魅力はまさにそこにある.そして「精神科医になる」ということは,「人体」ではなく,分ち難く結びついている心身の全体像としての「ひと」に関心を寄せ続けることである.臨床実践の場面で,一人の患者を全人的に把握しようとする態度は,医学教育に必要とされる「総合的に患者・生活者を見る姿勢―ジェネラリズム(generalism)」11)にほかならない.精神医学はまさにその姿勢を学ぶ最適の機会であり,それは純粋精神医学の思想を根幹に教育することが最も有効であるように思う.

 編  注:本特集は第120回日本精神神経学会学術総会シンポジウムをもとに熊﨑 努(東京農工大学保健管理センター,国家公務員共済連合会虎の門病院精神科)を代表として企画された.

 なお,本論文に関連して開示すべき利益相反はない.

文献

1) Andreasen, N. C.: DSM and the death of phenomenology in America: an example of unintended consequences. Schizophr Bull, 33 (1); 108-112, 2007
Medline

2) Blankenburg, W.: Der Verlust der natürlichen Selbstverständlichkeit: ein Beitrag zur Psychopathologie symptomarmer Schizophrenien. Ferdinand Enke Verlag, Stuttgart, 1971 (木村 敏, 岡本 進, 島 弘嗣訳: 自明性の喪失―分裂病の現象学―. みすず書房, 東京, 1978)

3) Conrad, K.: Die beginnende Schizophrenie. Georg Thieme Verlag, Stuttgart, 1966 (山口直彦, 安 克昌, 中井久夫訳: 分裂病のはじまり―妄想のゲシュタルト分析の試み―. 岩崎学術出版社, 東京, 1994)

4) Insel, T. R., Cuthbert, B., Garvey, M., et al.: Research domain criteria (RDoC): toward a new classification framework for research on mental disorders. Am J Psychiatry, 167 (7); 748-751, 2010
Medline

5) Insel, T. R.: Transforming Diagnosis (https://psychrights.org/2013/130429NIMHTransformingDiagnosis.htm) (参照2025-06-09)

6) 神庭重信: 内因性うつ病endogenous depression. 現代精神医学事典. 弘文堂, 東京, p.778, 2011

7) 笠原 嘉: 反精神医学. 精神医学事典 (加藤正明, 保崎秀夫ほか編). 弘文堂, 東京, p.541, 1975

8) Kendell, R. E.: Clinical validity. Psychol Med, 19 (1); 45-55, 1989
Medline

9) 古茶大樹: 良き臨床精神科医になるための精神医学の学び方. 総合病院精神医学, 16; 189-194, 2004

10) 古茶大樹: 臨床精神病理学―精神医学における疾患と診断―. 日本評論社, 東京, 2019

11) 文部科学省モデル・コア・カリキュラム改訂に関する連絡調整委員会: 総合的に患者・生活者をみる姿勢. 医学教育モデル・コア・カリキュラム令和4年度改訂版 (https://www.mext.go.jp/content/20240220_mxt_igaku-000028108_01.pdf) (参照2024-08-09)

12) Schneider, K.: Klinische Psychopathologie. Mit einem aktualisierten und erweiterten Kommentar von Gerd Huber und Gisela Gross, 15. Auflage. Georg Thieme Verlag,, Stuttgart, 2007 (針間博彦訳: 新版臨床精神病理学原著第15版. 文光堂, 東京, 2007)

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